【AC】全く自信がなかった私が「世間」に全く動じなくなったのはなぜ?
そのままで受け容れてもらえなかったから、何者かにならないといけないと思い込む。 だから、様々な「応急処置」をしながら、自分以外の何かになろうと一生懸命に努力していたのだ。
そのままで受け容れてもらえなかったから、何者かにならないといけないと思い込む。 だから、様々な「応急処置」をしながら、自分以外の何かになろうと一生懸命に努力していたのだ。
大企業で出世している人を「すごい」などと崇め奉る必要もない。彼らは会社にとって扱いやすい「奴隷度」が高いというだけ。より良い奴隷としての才能を認められしクズどもだ。「毎日毎日株主への奉仕活動おつかれさまです」とでも心のなかで唱えてほうっておこう。
皆が強制的に参加させられているゲームがある。 それは「仕事」だ。「仕事」というゲームに殺されそうな人に、読んでほしくて書いた。
既婚者が未婚者より上だなんて誰かどっかのやつが決めたルールだ。 高学歴エリートが中卒より上だなんてどっかの誰かの妄想だ。
何もかも偽物だったのは、私だった。 影だと思ってみてきたものは、私そのものだった。 私が世の中に「私」を見つけていただけだった。
「乾杯はビールだろ!烏龍茶で乾杯なんて失礼だぞ!」「上役やお客様から注がれたら、飲めなくても飲み干すもんだ!」「お酌しにくる立場で、瓶ビール片手に、自分は烏龍茶なんて、もしかしてバカなの?」これ、口にしている人は要注意です。ちなみに、全部、私が言われてきた言葉です。笑 ということで、今回は、アルコール依存症でない人々に向けての視点で書いてみたいと思います。
・権力がほしい ・お金がほしい ・ほめてほしい ・居場所がほしい
全ては必要だから、その時々に私の目の前に用意されていたのだと、今は感じます。 当時はとてもじゃないけどそんな風には考えられませんでした。無理で当たり前だと思います。
見縊られるのもそう。バカにされるのもそう。 他人がどう反応し、私をどう見るか。そんなことは、本当に『私には何にも関係がなかった』。些末なことだった。
問題は2つ。 ①他人の評価を気にし過ぎたこと。 ②自分の意志の力を信じすぎたこと。