【仕事】「仕事」というゲームに殺されそうな人へ

皆が強制的に参加させられているゲームがある。

それは「仕事」だ。

「仕事」というゲームに今まさに殺されそうな人に、読んでほしくて書いた。

例えば、サラリーマン。

ゲームホストは経営者。ゲームプレイヤーは社員。

ホストがまずどれだけの利益を出すかを決める。

その利益を得られるように、ホストが「売上目標」を立てる。

「売上目標を達成する」というゴールをホストがプレイヤーに提示する。

プレイヤーに「時間」と「労力」をベットして、「承認」と「収入」を賭けて勝負する。

手元にある戦略・戦術のカードを切っていく。

お互いにババを押し付け合い、それでいて早くアガれるようにと画策する。

このゲーム、戦っているのは常に「社内」である。

他のプレイヤーは社員だからだ。

「競合他社ではないのか」って?

いやいや、競合他社はただの環境要因に過ぎない。

プレイヤーにとって重要なのは「自分が会社に他プレイヤーと比較されたとき、いかにより優れた評価をされるか」ということだけだ。

営利団体である限り、私益のために働く。公益に資する存在であるはずの政治家もそうだし、官庁もそうだ。

この国の組織はほとんどそんなふうだ。

人から褒められたい。人から尊敬されたい。お金が今よりももっとたくさんほしい。

考えているのはそんなことだけだ。

承認欲求を満たすため、己の懐を温めるため、時間と労力をベットする。

ゲームに勝てば、欲が満たされ、金が他人より多く手に入る。

世の中の、あんまり何も考えていない人や、このゲームが得意で勝てる自信がある人は、「世の為人の為」などということは頭にない。いわゆる社会的利益のことは、本当に考えない。

世間でいうところの『社会人』というのは、そういうペルソナのことを言う。

私益をめぐって人生を賭け続ける、ギャンブル型リアルシミュレーションゲーム。

このゲームに何の疑いもなく己のすべてをベットできる人たち。ある意味幸せである。

矜持など無い。

他の卓(競合他社・異業種など別の利益団体)でこっそり交換したカードを切って自社のライバルを出し抜いたりすることを「関係構築力」「人脈の有効活用」などとビジネスでは綺麗にな言葉でもてはやす。

配られるカードはホスト次第だし、そもそも卓がクソだったりする。

ではホスト(経営者)になればいいのではないか?と言えば、そうでもない。

「国」というカジノの総元締めが、メンバーを集められずゲームを大規模にできない卓を、つぶしにかかるからだ。

ホスト同士も、他人を遊ばせながら、他のホストより多くの「時間」と「労力」をベットさせて目的を予定通り達成するというゲームに興じている。

勝てばホスト続行。負ければホストから、観客(無職)か、プレイヤー(雇われ社員)に転落だ。

品のないクソゲー

このように、この世で「仕事」と一般的に呼ばれているものは、ただのゲームでしかない。

そして、このクソゲーは命を賭してやるほど面白いものではない。

いや、語弊があるな。このゲームのとらえ方は人それぞれだろう。

だって、大切な人を養うためにと過労死するほど命をベットする人もいるし、ゲームの進捗さえ順風満帆なら家族など省みない人もいる。

金を稼ぐという「業」。業とはカルマ。報いのもととなるすべての行い。

稼業というゲームでの行いは、全て己に還ってくる。報いを受ける。

このゲームは品がない。

人間の醜い面を、これでもかと表にえぐりだしてくる。

自分だけが得をしようという利己心の醜さで、世界中で殺し合いを始めるほど荒れている。

ビジネスとはある種の殺し合いだ。略奪合戦に他ならない。

プレイヤーにとっても、ホストにとっても、常に他人を自分と比較し、他人を蹴落として自分が一番になることを目指すゲームだから。

だから「勝ち組」「負け組」などという概念が生まれる。

結局このゲームの業とは、参加する人の魂を貧相にする、ということのようだ。

だって一つのゲームしか認めないなんて、そんなゲームセンターおもしろいか?

価値観が硬直化している。画一的すぎる。だから、箱としておもしろみに欠ける。

しかし今の世の中は、一種類のゲームしか推奨していないゲームセンターみたいなものだ。

一生「仕事」というババ抜きをやっているしかない、と親や教師やどっかの知らない偉い人に言われて、言われるがままわけもわからずぶち込まれるのだ。

もう本当に最悪だ。

一生懸命やってもゲームで得られるものは、金という紙切れと他人から与えられた偽りの承認欲求だけ。

そんなもん、徳が高くて品がある人からやりたくなくなるに決まっている。

だから、徳のある人ほど、ビジネスから遠ざかるように思う。

ビジネスという品のないギャンブルに溺れて腐ってしまった社会には、とても適合することができないから。

「社会人」というのが優れていて「社会不適合者」は劣っている。

そんな風に世間では勘違いをしているけれど、実は逆だ。

こんな社会に適合できるようなギャンブラーのほうが狂っていて、社会不適合で悩んでいる人のほうが正常なのだ。

良心と道徳心があるからこそ、こんなギャンブルにはとてもじゃないけどずっと「時間」や「労力」を使っていられないのだ。

まとめ:夢破れた君へ

「ありがとう」

「あなたがいてくれてよかった」

そんな温かい言葉が形を変えてお金となり手元に届く。

感謝と感動がお金に変換され、労働の対価として受け渡される。

だから、仕事は素晴らしいものなんだ。

そんな風に考えていた時期が私にもあった。

稲盛和夫の本なんかを読んで仕事に青い夢を抱いていた当時の自分をグーで殴りたい。

「目を覚ませ」と、肩を激しく揺さぶりたい。

仕事にそんなことを期待してはいけない。

これはただのつまらないゲームだ。ただのつまらないギャンブルだ。

人生を賭けていいような代物じゃない。

そんなことのために私たち一人一人の命があるわけじゃない。時間があるわけじゃない。

もっともっと貴重なものだ。つまらないゲームなんかで浪費してはならない、とても大切なもので、かけがえのないものだ。

だから、仕事がうまくいかないからと言って、ダメな人間だと思ったりするんじゃあない。

だかが一つのゲームにすぎない。

このゲームが苦手なら、それでも全然かまわない。

何にどれだけ「時間」と「労力」をベットするかは、私たち一人一人に選ぶ権利がある。

そう、どのゲームに力を入れるかは、君も私も自由に選べる。

私もそうだが、他のゲームを楽しむために、君もこの世にログインしてきたんだと思う。

この仕事というクソゲーはそこそこにしておいて、一緒に他のゲームで遊ぼうよ。

もっと楽しい、もっと素敵なプレーヤーと遊べるゲームがきっとある。

それをやらずにログアウトするのは、もったいなさすぎる。

「仕事」なんて人生のほんの一部なんだ、という、よくあるありきたりな話を長々と喩え話を交えながら文字にしてみると、こんなふうだろうか。

「仕事」というゲームに今まさに殺されそうだったいつかの私に向けて、今の私が書いてみた。

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