【仕事】社内評価を気にすることが無意味である理由

今のご時世、懐は氷河期を迎えているんじゃないかというくらい冷え込んでいます。

だからこそできるだけいい評価をもらいたい。

だから人事評価の時期は特にストレスを感じますよね。

「成果を出しているのに思うように評価してもらえなくてつらい…」

「評価面談時にいつも書類を準備するけど、正直しんどい…どんなに頑張って作ったところで結局上司の主観じゃないか」

こんな声が聞こえてきそうです。(特に私の心から…笑)

今日は従来型の人事評価がいかに無意味で気にする必要がないか?を考えます。

Adobe社が実施した調査「Performance Reviews Get a Failing Grade(パフォーマンスレビューに不合格判定)」

#アドビ 調査、従業員の #人事評価 のやり方が時代遅れになっていることを示唆

上記のサイトにおいてAdobe社が以下のように報告しています。

アメリカで1,500人の会社員を対象に実施した調査「Performance Reviews Get a Failing Grade(パフォーマンスレビューに不合格判定)」によると、人事評価の多くは時代遅れで、多くの時間を費やなくてはならないストレスフルなものと認識されています。

調査では、従来型の人事評価が、従業員やマネージャーから、いかに非生産的で無意味だと思われているかを明らかにしています。

調査対象となった従業員の88%は、ランク付けや数値の評価をともなう文書によるレビューなど、体系的な従来型の人事評価を定期的に受けなければならないと答えています。そして、こうしたレビューが同僚間の競争を激化させ、人間関係上のストレスを増やしており、感情的なやりとりや退職にも繋がると回答しています。

従来型の人事評価は、特にマネージャーにとって時間の無駄

  • 従業員とマネージャーの多くが、人事評価の準備は時間の無駄であると考えている。(従業員:72%、マネージャー:88%)
  • マネージャーは人事評価の準備に、従業員1人あたり平均17時間を費やしている。
  • 従業員とマネージャーの3分の2近くが、人事評価は時代遅れと考えている。(従業員:64%、マネージャー:62%)
  • 従業員の半数以上が、人事評価は仕事に対する影響力はない(59%)または、不必要である(58%)と考えている。

従来型の人事評価とAdobeの評価制度「check-in」の違い

Adobe社は、従来型の年次の人事評価早くから廃止した企業の一つであり、2012年には独自の評価制度となる「チェックイン(Check-in)」を導入しました。

この新しい制度では、従業員とマネージャーが常に対話を行い、その中で明確な目標を決め、何度もフィードバックし合いながら、キャリアアップについて話し合います。

従来型の年次の人事評価を廃止する前は、数値による評価、ランク付け、評価を文書化して提出する厳格な手続きを行っていましたが、「チェックイン」導入後、以前のプロセスで必要だったマネージャーの所要時間を最初の1年間で8万時間(フルタイム従業員40人分)削減しました。

従業員数が増加した現在、マネージャーが人事評価にかける時間を年10万時間以上削減していると推定しています。また、従業員に関しては、意欲、定着率が高まり、自らパフォーマンス管理ができるようになりました。

つまり、アメリカにおいて約70~80%の人が「年1回の人事評価は時間の無駄」と考えており、約60%の人が「仕事に対する影響はないか不必要だ」と考えているのです。

これは、日本においても同様ではないでしょうか。

そもそも、社内評価はあてにならない

一人の人間(マネージャー)によりその人の仕事内容を評価するのは、極めて難しい仕事だ、ということが大前提にあります。

人事評価によるランク付けや数値による評価は、同僚間の競争や感情的なやりとりを生み、ストレスの原因となると言われています。

従業員の半分以上が、人事評価によって同僚との競争が生まれた(57%)、直属の上司が気に入った部下をひいきする(61%)と答えている。

私は零細のベンチャー企業で新卒時代を過ごし、国内大手・東証一部上場企業の異業種に転職して、事業規模と事業領域の異なる二つの会社を経験しましたが、いずれも人事評価については平等とはいいがたいと感じました。

上記の調査の「ひいきすると客観的に感じている人が60%以上いる」という状況は、現在の日本における従来型人事評価制度にも当てはまると思われます。

とくに「忖度」を重んじる日本企業において「上司の俺に忠実に従う使い勝手のいい部下」を評価する短絡的思考の上司がアメリカよりも多くの割合存在すると推定され、適切にその機能を果たせていない可能性すらあります。

尊敬する先輩が降格された話

ここでひとつ、いかに人事制度にみる目がないかを示す事例を紹介します。

先輩のNさんは面倒見もよく、担当エリア全体を見る視座の高さもあり、尊敬すべき先輩の一人です。

しかし、このNさんは降格されました。

理由は「職責に見合ったパフォーマンスを発揮していない」「先輩社員として後輩に手本となる活動ができていない」でした。

両方とも上司(エリアマネージャー)の「見る目の無さ」からくる誤解であることに、私以外は気づくこともなく、また上司に意見することもなかったのです。

まず、「職責に見合ったパフォーマンスを発揮していない」ですが、これは上司が職責に合わせた仕事を差配していないからです。つまり、上司の過失です。パフォーマンスを発揮できるように適切な人員配置をするのが、マネージャーの役割ですが、その能力不足を部下に押しつけて責任逃れする典型的無能パターンの上司が陥りやすい思考です。

次に、「先輩社員として後輩に手本となる活動ができていない」ですが、できています。会社の『手本となる活動』の認識に問題があることと、手本となっている場面を上司が診ていないだけ、という2点で説明がつきます。

会社が求める『手本となる活動』は、「何でもいいから新製品を売ってくること」というユーザー目線ではない会社本位のものなので、「顧客満足度を一番に考えてエリアに貢献する活動をし、その延長線上に売上最大化を見込む」という尊敬すべきNさんの視点は会社の方針にそぐわず、理解できない人が多いという悲しい状況です。

そうした意味で少なくとも私には、社会貢献のあるべき姿を示しているという意味で、この上ない手本になっているし、それを上司が視野狭窄に陥っているため知らないだけなのです。

このように、上司は必ずしも社員を評価できるほど有能ではありません。

それは上司も人間なので仕方のないことですし、人としての成熟度にも違いがあって当然です。

なぜそのような不適格な人間がマネージャー層に昇格してしまったか、といえば、前述の通り、「『上司の俺に忠実に従う使い勝手のいい部下』を評価する短絡的思考の上司」がマネージャーの器がないゴマすりしか巧くない人物を、無理やり引き上げてしまったからです。

つまり、人事評価すべき人間が評価する能力に乏しいため、社内評価には全くと言っていいほど信憑性とその意義が失われてしまったのです。

だから、あなたは上司の評価など気にする必要はない

見る目がない人の評価を気にしてビクビクする必要はありません。

逆に、そのような器の小さい人間の顔色をうかがってユーザーを蔑ろにしてはいけません。

私たちはユーザーを通じて社会に貢献するために、仕事をしているのです。社内の権力争いやマウントの取り合いなどにかまけて優秀な貴方の心が顧客から心が離れてしまっては、それこそ社会的損失です。

上司の顔色をうかがっていても自分の為にも会社の為にも、社会の為にもなりません。

だから、気にするのはもうやめましょう。

それにどのみちそんな無能が昇進するような会社は、これから社員も金も離れていきますから、これから自分が別の会社で活躍するためにもスキルを磨いて社会貢献度を高めておきましょう。

そうして能力を伸ばしていれば、ちゃんとあなたのことを評価してくれる会社と巡り合うこともあるでしょう。

社員に諦められる将来性のない会社のために、あなたの貴重な時間をつかうことはありません。

気を楽にして、建設的な働き方をしていきましょう!

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