【仕事】組織に使い潰されない!サボリーマンのススメ

サラリーマンは仕事に入れ込まなくていい

受け身の雇われ仕事に、基本的に意味などない。

ゼロベースで自分がやるべきこと・やりたいことを明確化し、それを実現するためにやっている分には、大いに意味がある。能動的に思い描く未来の延長線上、通過点に今の仕事があるから。

そういう人を除いた、ただ惰性で言われたことをやっているサラリーマンの仕事のことを「受け身の雇われ仕事」と表現していると思ってほしい。

今の待遇・生活を維持するために、やりたくもないけどやっている。

そういう人がほとんどではないだろうか。

周りがやっているからなんとなく始めた就職活動。

会社の名前や知名度で選んだよく知らない会社に、なんとなく就職。

なんとなく組織内の出世競争という「椅子取りゲーム」に巻き込まれて、なんとなく日々消耗している。

不安と恐れと虚しさに苛まれながら毎日が終わっていく。

「こんな人生生きたくない」

その不快で不都合な本音をかき消すために、SNSで暴言を吐いたりより不遇な他人を覗きに行って溜飲を下げたり。少し空いた時間で酒を飲んだりギャンブルをしたりゲームをしたり。

楽しみは全てが本音をみないための対症療法。誰かに飼育される奴隷。

誤魔化しでできている人生。クソのような人生。

客観的にみると改めてそう感じるのではないだろうか。

「そんなこと言ったって、どうしようもないじゃないか!今の私が生きていくにはこれしかないんだ!」

「そうですか。そりゃしょうがないですね。じゃあずっとこのままそうしてたらいいんじゃないですかね。それしかないんだから。」誰かからそう言われると、本気で腹が立つだろう。

その感覚はとてもわかる。私もそうして摩耗してきたひとりだから。

組織はあなたを道具扱いしているという事実

組織は、あなたのお母さんではない。お父さんでもない。

他人である。利己的な他者で構成された、ただの営利団体。

「社員こそわが社の宝」などとほざいているが、嘘八百。

ただの換えの効く歯車だと思っている。金儲けのための道具だ。

使い潰すつもりで雇用している。

あなたの人生なんてどうでもいい。一ミリも考えていない。使った後、どう死のうがどう生きようがどうでもいい。

本当は、どんな会社も、どんな経営者も、心の底ではそう思っている。

だって、利益を出すために組織はあるのだから。

利益を効率的に生み出すには、一人では手が足りないから、人を使う。

できるだけ少ないコストでできるだけ効率的にお金を稼げれば、それが最適。

だから、給料はできるだけ払わないようにしようとするのが当然だし、昇進はできるだけしないようにする引力が当然働く。

私は営業部門において類い稀なる成果を継続的に残してきた。だから、私を認めもっと仕事を任せたいなら昇進させるだろう、昇給するだろうと思っていた。しかし組織はあれやこれやと言い訳をして私を評価しなかった。

結局、昇進・昇給とは、その人の真の価値と相関しない。

組織に対する忠誠、つまり「奴隷としての利用価値」の見せ方と運で決まる。私はそれがなかった。だから組織内で評価されなかった。

私はそれでほっとした。

私には奴隷の才能がなかった。道具として使い勝手がよくなかった。だから、評価されなかった。

私は、組織内での「椅子取りゲーム」にはハマれなかった。私にとっては、心底つまらないゲームだったから。

ここまで読んで「負け惜しみじゃん」と思う人もいるだろう。

そう思ってもらって構わない。

私にとって価値がないことで、どうでもいい他人が勝ち負けを勝手につけているだけなので、その勝敗を他人がどうとらえようと、私にとってはどうでもいい。

会社という組織は「横並びにした数字の勝敗でムキになってくれる」「目の前にぶら下げたニンジン(昇進・昇給・賞罰)を追いかけてくれる」そういう他者承認を餌にした心理的誘導に引っかかってくれるようなチョロい奴隷が大好きだ。

「どうぞ終わりのないラットレースに巻き込まれてくださいな。終わらない苦しみを癒すためにせめて私を憐れんだらいい。そして自分の心に目を逸らしながら、無駄な一生を終えればいい。」、「負け惜しみじゃん」と思う人に、私はそう思う。

仕事は極限までサボってかまわない

向こうが使い潰す気なんだから、こっちも使い倒す気でいて構わない。

仕事に割くリソースなど、MAX50%でいい。それ以上はかけすぎ。

身を粉にして働く、というのは、自分がやりたいと能動的に思うことなら全然OKだと思う。それは自己実現のカタチだから。

でも、他人にやれと言われて、金でほっぺたをひっぱたかれたからって、そんなに根を詰める必要はない。

向こうができるだけ安く使い倒そうと思っているなら、こちらとしては、できるだけ力を入れずにできるだけ多くの金がもらえればよいと思って何の問題もない。

サラリーマンとはそういうものだ。

だからできるだけサボって構わない。

いやむしろ、サボりを極めたサラリーマンこそ、最も優秀なサラリーマンだ。

「やってる感」を出すコツは、理論武装と数字のレトリックにある。

結局ビジネスとは、相手がある以上「変えられないもの」「コントロールできないもの」なので、結果も能力も突き詰めると「運」でしかない。

それっぽく、偶然の産物を「努力によって誰もに再現性のある成功」のように見せているだけだ。理論立てて数字で味付けすれば、その「成功の法則」が出来上がる。

それがその人の「やってる感」「優秀な人材っぽさ」を演出する。

組織での椅子取りゲームは、実はこのイカサマの上手下手を競っている。

上の指示に従って上が決めたことが「成功につながっている正しい判断だ」と証明する材料になるのが、イカサマをそれっぽく見せるには手っ取り早い。だから全社方針・経営者方針を体現した(ように見える)人が出世する。

見え透いていてつまらない。

しかし、他に面白いことのない空虚な人には、すこぶる面白いのだろう。だからなんとか成り上がろうと頑張れる。世にも素晴らしい暇人たちだな、と感心する。

まとめ:所詮、金儲けはすべて暇つぶし

そもそも、お金というもの自体に価値がない。

単なる商業用の交換媒体であり、本質的な価値はそこに存在しない。

必要最低限あればよく、囚われてはいけないものの代表例だ。

それをもっと欲しがったり、無駄にかき集めたりして、人生を見失っていく。

たまたま世の中が資本主義経済を主体をした社会だったから、ビジネスがあるだけで、本来の人の営みにはほとんど重要ではない。

ヒマつぶしの遊びのようなものだ。

そんなもんに人生をかける必要はない。

面白がれるならおもしろがり、ハマれないならテキトーにやってる感を出して参加しているふりをしておればよい。

どうせ暇つぶしのゲームなんだから。

ただ、生きている時代のせいで強制的に参加させられているだけ。

仕事はつまんないと感じていいし、やる気が出ないのは当然だ。面白いと感じないなら、それはおもしろくないんだ、あなたにとって。

ゲームごときで、暇つぶしごときで、あなたの貴重な人生を棒に振ってはいけない。

私はそう思う。

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