【仕事】起業とか転職とかいろいろ思うこと

おそらく今いる会社には、そう長くはとどまらないと思う。

生きていくのに必要なお金を調達できさえすればいいので、組織内でのキャリア形成や社会的評価はどうでもいい。

私はやはり、組織で働くのは向いていないんだろうなぁ。

というか、雇われて働くのが向いていないんだろう。

そうなると、自分で事業を興すしかない。

なので、個人事業主に妻をたてて副業をスタートしたわけだが、今までの年収をカバーしようと思うと、かなり時間がかかりそうである。

機能不全家庭に育って、高学歴高収入を目指せと言われ、言われたとおりにレールの上を走ってきた。心を殺して無理をしながら。だから依存症になるほど心が追い詰められていった。

資本主義社会・学歴偏重主義社会にありがちな、典型的な量産型歯車要員。

現在の年収や待遇は、おそらくこの日本ではかなり恵まれていて、生活には全く困らない。家族を養っていける。

しかしこのまま良心の呵責を無視して勤め上げられるほど、私の心は鈍感ではない。

私の人生は、歯車として摩耗するためにあるような、無価値な代物でもない。

残念ながら、特に何か秀でた技術や才能があるわけでもない。

コンプレックス克服のために苦手な営業職にあえて突っ込んで行った結果、向いていない営業のスキルばかり身について、何か他に活かせるかというと、正直頭を抱えてしまう。

人生にタラレバはないので、ことこの期に及んでは今のパラメータで市場価値を示すしかないわけだが、これがなかなか難しい。

手に職、というのは実に羨ましく私の目には映る。輝いてみえる。

しかし無いものはない。しかたがない。

資本主義経済において市場価値のある私の特性とは何だろう。

プレゼン資料の構成・文章力には多少自信があるが、chatGPTには及ばない。先に触れた技術にしても、作曲・作詞・翻訳・ライター・SE・イラストレーターなどは、今後AIの台頭によりレッドオーシャンになるに違いない。私がこれからライターやブロガーとして生きていくという選択は現実的ではない。

対人関係構築は、ノウハウこそ知っているものの、おそらく不得手な部類だ。何より楽しくない。そんなに他人に興味を持てない。一時的に仲良くなっても、いずれ心理的にも物理的にも離れていく。

「疑り深くひねくれている」という短所の裏返しで、「課題の本質を自分の頭で深く考える」という特性がある。

これは、おそらく人工知能ではできない。なぜなら、AIは人間が明確な課題を提示しなくては答えを出せないから。潜在的な課題の抽出とそれに至る着想、人のなかの見えない想いを整理して可視化・明確化することにおいて、私は長けていると思う。活かすとしたらここだろう。

だからこそのカウンセリング事業であり、かつ対人援助の表に立たないアドバイザー的な在り方が最も向いているポジションだと思う。

逆に妻は、対人関係構築がとても上手で、境界線を守りつつ長く良好な関係を維持することができる。良い意味で楽観的、反面深く考えない。全く正反対の二人だからこそ、良いタッグになる。

私一人でなんとかしなくてもいい。

私に足りないところを、妻が補ってくれて、妻にかけている部分を、私が補う。

なぜか妻とは「全く違う」からこそ興味が尽きないし、尊敬し続けることができる。

そうであればこそ、私は苦手な他人との協業にもかかわらず、妻とだけは事業を運営していける自信がある。

とはいえ、軌道に乗るまでは、私のWワーク状態は続いていくだろう。

シリコンバレーバンク銀行の破綻。これはおそらく世界恐慌になる。西側諸国主導の経済システムは、もうそろそろ終わる。

そうなると、グローバルユダヤ資本の傘下である日本の大企業の多くが、近々大規模なリストラを国内でも始めるだろう。経営の観点で最もコストがかかるのは人件費であり、人員削減は株主にとって嬉しい経営判断であり、株価を下げたくない雇われ社長は必ずその決断をどこかでする。

私はできるだけ多くの退職金を得られるタイミングで希望退職者に手をあげジョブチェンジしなくてはならない。これは確定事項である。

そうなったとき、既存の産業構造のなかで、私は今何ができるのか。

西側諸国の経済システムが終わるとなると、テック系はもうダメだろうと思う。

シンギュラリティ、メタバース、トランスヒューマニズムなど、グローバリストが思い描いてきたグレートリセットは、残念ながら実現しない。

メタの大規模人員削減は、メタバースの開発スタッフが中心だったことからも、彼らの青写真は崩れかけていると感じる。

もちろん医薬品業界・医療業界も、このコロナ詐欺で産業としては成り立たないほどに信頼を失うだろう。コロナワクチンの薬害による疾病の増加でがん・神経変性疾患・心血管疾患・精神疾患の領域はしばらく潤うだろうが、その後は焼け野原になるとみている。

介護業界は今度の介護報酬改定で厳しい予算案が通る予定だ。3~5年激務なのに薄給という悪夢のような状況のあと、コロナワクチンの薬害で高齢者はほぼ死に絶え、利用者すらいなくなるだろう。後遺症で心身を痛めた人々は介護を必要とするだろうが、元気に働ける介護職は減ってしまう。限られた人数で対応するなど不可能な阿鼻叫喚が生まれる。しかしそれでもこの国が今更、報酬を手厚くして介護職の人員を確保し、政府としてケアに力を尽くすことはないだろう。この国はそんな善良な国ではない。

コロナワクチンによる不妊化で、少子化はますます加速する。なので、教育・児童支援の業界も、先細りになる。

学校教育などは、もうすでに奴隷養成所であり、そこで働いている教員ももはや限界を超えた劣悪な労働状況でリタイア寸前なので、仕組み的に続くはずがない。前時代的な詰め込み式の教育や、プログラミングを共通テストの必修科目に今更、しかもこれから導入しようとしている時点で笑ってしまう。

児童支援は、先細りするにはするが、神経発達症・不登校・いじめ・自殺企図など、ますますニーズは高まるだろう。

しかし、この狂った社会常識に盲目的に従うような愚かな大人が問題の本質だ。彼らを中心に構成された家庭環境・学習環境が地獄すぎる。生まれた時から周りがすでに終わっている。

抱えている問題の真因が子どもではないからこそ、ある程度年齢を重ねてしまってからのソーシャルワークの実践は、かなり複雑かつ困難を極めると思う。というか実際現場でそんなふうになっている。はたで見ていて、本当に大変だな、と胸を痛めるほど。

そうなると、せめて未来ある、まだ幼い子どもたちだけでも、手を差し伸べたくなる。

このディストピアで自分らしく生きていけるような居場所を彼らに提供することこそ、本当に世界にとって価値ある行いだと思われる。

大人はもはや救いがたい。腐ったミカンは元には戻らない。他のミカンが腐らないようできるだけ避けておくしかない。

やっぱそれだな。

正直、依存症は、支援をやっていてぬぐえない徒労感を感じる。対症療法的でしかないことに、虚しさを覚える。

健全な大人になれなかった大きな子どもをいくら手当てしても、世代間連鎖はすでに継承されていて、キリがない。絶えず来る相談を受けてアプロ―チしていると、承認欲求は満たされるし、やっている側は救ってる感で充実するだろうが、自己満足に過ぎない。際限がなさすぎるのは「社会そのものが狂っている、だから順応なんてしなくていい」という大前提があるからで、それを鉄板の共通認識にしない限り、いつまでも誰もかれもが病み続ける。

私を含めた今の大人たちが盛大に「失敗」したこと、そのせいでこんな狂った世の中になっていることを隠して、偉そうに立派な振りをして居座り子供たちに場所を譲らないから、また同じことの繰り返しになる。

いずれ信用を失う政府とマスメディアと連帯した、既得権益のリソースを通じてやってしまった時点で最初から根本的にダメだったんだよ。それはもう認めるしかないよ。すみませんでした、というところからスタートじゃないかと思う。

もちろん、先人たちの取り組みのおかげで成り立ってきた様々なことがあり、それに対してはとても感謝している。

でも、古代ギリシャ哲学や東洋哲学ですでに優れた生き方の見本が示されていたにもかかわらず、教育からすっかり抜けていたのは、許されざる過失だ。それを思うと、大戦から高度経済成長期にかけてうつつを抜かしたアホすぎるご先祖には、どうしても呆れずにはいられない。命ともいうべき人生哲学を忘れさり、物欲と名誉欲に夢中になってしまって、大事なエッセンスを後世に継承できなかった事実。それがヒラメきょろめ同調圧力MAXの、さもしい日本人の劣等性なのだと思い至るに、深い諦観を覚える。なんかこんなしょぼい国に産まれるなんて結構ハードな運命だな、と思うよね。(笑)

国民性なら、もうそもそも無理じゃね?とも思うことがある。

特にマスクもろくに外せない今の状況をみると、何もかもやるだけ無駄なんじゃないかとすら思う。

しかし、希望を捨てきれない。他ならぬ我が子の輝く姿が、そうさせない。

日本社会はこんなにもゴミなのに、大人たちはこんなにもクズしかいないのに、プロパガンダと奴隷教育に洗脳される前の子どもたちの眼の光、なんと美しいことか。

やはり彼らに関わるしかないと思えてくる。本当に唯一の希望。

書いていて思ったが、私は給料が低かろうが、他人に馬鹿にされようが、児童福祉支援、特に保育のフィールドでこそ、生きる意味を見出せるのではないかと思う。

まだ幼く凝り固まっていない、ちゃんと自分の頭で考えられる幼少期に、依存症にしても哲学にしても世の中の狂気にしても、まだ吸収できる余地がある。共同身体性と感性を養う、いや、養うというより、彼らがまだもっているそれらを守る、そのチャンスは療育者によって与えられるべき当然の栄養だと思う。

保育士はやはり取ろう。

おそらく私は変なので既存の組織には受け容れられないだろうから、いずれは自分でエピクロスの園のような認可外保育施設を立ち上げるしかなくなるだろうが、今の会社を離れなくてはならない状況になったら、経験を積むために保育施設や児童福祉支援施設で働こう。そうすれば実務も内情も、知らない部分も見えてくる。

うん、これだ。やはりこれだ。

それまでに、保育士を取って、副業を軌道に乗せて、ダブルインカムで子どもたちが好きな国に留学できるくらいの資本力を維持できさえすればいい。

物質的に欲しいものなどもう無い。家も両親が近々コロナワクチン後遺症で死ぬだろうから、本家と分家の2軒空くので最悪あてはある。

マイナンバーカードの激推しの背景には、超監視社会を構築する意図があるのはもう皆さんご存知の通りである。

日本は愚かなので、おそらく西側が倒れるにもかかわらず、世界から取り残されて、ある程度までディストピア化は進んでしまうだろう。そうなると有事を理由に捕捉された財産は取り上げられる危険性が高い。だから所有する財産を守るためにも、負債を抱えることだけは避けたい。

なぜなら、個人が負債を抱えていれば政府が抵当権を行使して、マイナンバーで捕捉できていなかった財産を合法的に取り上げられるから。その後、働く自由を奪われてベーシックインカムで飼われる奴隷に成り下がることになる。このタイミングで新築物件を買い住宅ローンを組むなど自殺行為。できる限り借金は今すべきではなく、資産を政府に捕捉されるべきではない。

そう考えると、現時点で設備投資や初期投資はできないので、虎視眈々と耐えて、時期を待つしかない。

おそらくこれから起こるであろう「台湾での戦争」あるいは「自然災害」で緊急事態条項を発令し、全体主義の最終仕上げに乗り出した後だ。

どうせそれは失敗に終わり、巨大なカタストロフのあと、小さな共同体、その土地ごとの「空き地」ができる。

そのときこそ、夢を実現するタイミングだと思う。

それまで、信頼できる人との繋がりを大切に、自分たちで生き抜く生活の知恵を学び実践し、クソくだらない社畜のふりをしながら、今を楽しんで生きていく。

それが、いずれ経済が崩壊した後に、何物にも代えがたい本物の財産となる、

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