【仕事】「底辺の仕事ランキング」問題からわかる現代社会の病

このニュースが話題になっていたので、ちょっと書いてみる。

就活情報サイト「底辺の職業ランキング」に批判殺到 12の職を羅列…運営会社は削除し「事実関係を確認する」

引用:就活情報サイト「底辺の職業ランキング」に批判殺到 12の職を羅列…運営会社は削除し「事実関係を確認する」

「就活の教科書」というサイトに掲載された『【底辺職とは?】底辺の仕事ランキング一覧』という記事が炎上したという話。

引用:「就活の教科書」HP

問題のランキング表はこちら。

引用:就活情報サイト「底辺の職業ランキング」に批判殺到 12の職を羅列…運営会社は削除し「事実関係を確認する」

なぜこのランキングが生まれ、なぜ人々が反応したのか。

そこから現代社会の病が見えてくる。

①資本主義・新自由主義が生む「損得マシーン」の世界

②自己肯定感を失った寄る辺ない心

③共感性・想像力を失う「言葉の自動機械」化

④正義という暴力 現実逃避のための憂さ晴らし

この4つに分けて、抱える病について話していきたい。

①資本主義・新自由主義が生む「損得マシーン」の世界

経済で社会を構成しよう、というのが資本主義。

できるだけ公的介入を少なくして、自由に競争させることで資本主義経済を最適化しよう、というのが新自由主義。

現代社会は資本主義社会であり、新自由主義社会である。

儲かるか、儲からないか。つまり、損か得か。

そういった合理的な判断をもとに、計算可能性・投資可能性で人がやることを決めるのが、今の社会のルールとなった。

そのルールのもと、人間は「損得マシーン」になっていく。

そうなると、就職活動も結局は「楽して稼げるか」という観点で就職先を選ぶのが、最も合理的という判断にならざるを得ない。

底辺職の特徴について、

(1)肉体労働である

(2)誰でもできる仕事である

(3)同じことの繰り返しであることが多い

—- と解説しており、

デメリットについては、

(1)平均年収が低い

(2)結婚の時に苦労する

(3)体力を消耗する

—- を挙げた。

引用:就活情報サイト「底辺の職業ランキング」に批判殺到 12の職を羅列…運営会社は削除し「事実関係を確認する」

だから、デメリットの箇所のような思考になる。

投資する労力に対して、金銭的なメリットが大きいかどうか、婚活において市場競争力があるか、という「効率」でしか仕事を評価していない。

つまり何もかも「コスパ」で考えてしまうそもそものこの社会における価値判断が、大きく歪んでいるのである。

画一的な価値観を刷り込まれている。その歪んだ思考回路に気づいていないのが、病。

②自己肯定感を失った寄る辺ない心

なんで「ランキング」をつくるのか。

なぜそれを人々は嬉々として、あるいは戦々恐々として見に行ってしまうのか。

それは、順位をつけて上か下かを見て、安心したいからだ。

裏を返せば「相対的に他人と比べて上か下か」しか自分を肯定する材料がない、ということだ。

しかも、収入というごく一部の側面での、優劣でしか、自分を測れなくなっているということだ。

元々狩猟採集民族であった人類は、「目標」というものに弱い。

命を繋ぐために100万年以上「目標」を達成してきた私たちの遺伝子には、「目標」を達成しようとする精神神経回路が強烈に組まれている。

なので、競争の勝ち負けに人間の脳は引かれやすくできている。

ゲーム開発者はハマりやすいこの回路に働きかけて、よりゲームにハマってたくさん時間を使ってもらえるように、ゲーム内のランキングという「目標」をあえてつくっている。

本来、自分に合った仕事を誠実に行っていれば、それだけで有意義だと感じられるはずだ。仕事を通じて感謝され、自己実現が叶うのなら、それはその人にとって最良の仕事だといえる。

しかし、そういった自分の内面から湧き上がるような意思を持っていないと、与えられた「目標」に引っ張られる。それが、「お金=収入」という社会が与えた「目標」だ。

他人が考える他人が良しとする他人の為の目標。それに引っ張られて、自分が本当に成し遂げたい目標が無い。

つまり自分がない。空っぽだ。

自分の心から出発するものではないから、いくら他人から賞賛されても、いくら稼げても、その胸のうちは空虚で飢えている。

自己肯定感は、自分が自分として生きる過程でしか育まれない。そして、成功ではなく失敗からしか、実は自分のありのままを肯定するエッセンスは得られない。

失敗しないように、他人に認められるように、と生きていればいるほど、自己肯定感は養われない。

そうやって、空っぽになり穴を抱えた寄る辺ない寂しい心を「ランキング」で慰めるのは、実に空虚な行いだ。

③共感性・想像力を失う「言葉の自動機械」化

再びこの引用箇所を読んでみてほしい。

底辺職の特徴について、

(1)肉体労働である

(2)誰でもできる仕事である

(3)同じことの繰り返しであることが多い

—- と解説しており、

引用:就活情報サイト「底辺の職業ランキング」に批判殺到 12の職を羅列…運営会社は削除し「事実関係を確認する」

決定的に、想像力が足りないことに気づくだろう。

たとえば11番目に挙げられた、保育士。

この仕事は、肉体労働という側面だけではない。神経発達症や学習障害をもつ子の療育について専門書を読んで学ぶ必要もあるし、子どもだけでなく親についても学ぶ必要がある、実に専門性を問われる性質を持っている。

誰でもできるわけではない。子どもを複数人同時に見守る、ということは、そう簡単にできる事ではない。子育てをした経験がある人なら、容易に想像できるはずだ。

毎日が同じことの繰り返しであるはずがない。子どもたちは日々成長するし、その子ごとに日によって遊びたい内容も気分も違う。喧嘩が起こる日もあれば、急な体調変化で対応に迫られる日もある。

つまり、この記事を書いた人は、保育士という仕事のリアルを知らない。

なぜリアルを知らないのに底辺の仕事と位置づけたかというと、給与水準・平均的な学歴といった、データでしか仕事を見ていないからだ。

実際に体験したことのない、あるいは体験した人の話を聞いたことすらない、共同身体性を伴わない平坦な言葉や数字だけの情報を鵜吞みにしてしまう思慮の浅さ。これこそが「言葉の自動機械」化であり、問題の本質だ。

④正義という暴力 現実逃避のための憂さ晴らし

「職業に貴賎なし」

この正義の名のもとに、問題の記事を書いた人、掲載した会社を断罪するツイートをよく見かけた。

ごもっともだし、正論だ。正論には力がある。

その力を借りて、自らの残虐な嗜虐心を正当化してはいないだろうか。

人間が最も残虐になるのは、悪に染まったときではなく、真偽どうあれ「正義の側に立った」と思ったときだ。

「自分は正しい」という免罪符を手に入れて、正義という名のこん棒で悪とみなしたものの頭を打ちのめす快感に溺れる。

何かの漫画の一コマで有名な一節である。なんだったっけ・・・。

言いたいのは、この記事を書いた人と同じ、加害者になっているということ。

正義で他人を叩き殺す快感で、何を忘れたいのか。

それは「うまくいかない自分の現実(リアル)」だ。

自分の仕事の報われなさ、虐げられた記憶で同調し、その憎しみをぶつけることで、憂さを晴らす。そのために、このネタを使っているに過ぎない。

「自分はそうはならない」と心のなかで思っている。

それはわからない。私たちは誰もが、何もかも知っているわけではない以上、見えない差別(アンコンシャス・バイアス)で誰を傷つけてもおかしくない。

自分も叩かれる側になる日がくるかもしれない。その想像力にかけている。それは誰もが同じなのかもしれない。

その共感性と想像力の欠如こそ、この社会が抱える問題であり、議論すべきことではないだろうか。

そして、こうした「尊い仕事の給料が低いこと」が解決すべき課題であり、本来目を向けて皆で解決していかなくてはならない問題の本質ではないか。すなわち新自由主義的な社会が構造的に間違っている、それをどうするか、という問題だ。

暴力を暴力で解決しようとするのでは、同じになってしまう。いつまでも形を変えて同じ悲しみが繰り返されるだけ。

私が就活生に声をかけるとしたら

この社会は、いずれ崩壊する。

行き過ぎた資本主義が行きつく先は、ごく一部の富裕層による全体主義化だからだ。

99%の人間が不幸になる。そしてその不満が頂点に達したとき、カタストロフが起こる。歴史は繰り返されてきた。

潰える運命のこの社会の常識。それにどれほど価値があるだろうか。

常識はいずれ非常識に裏返る。そのとき私たちは何を寄る辺として立つのだろうか。

本当に価値あるものは、自分のなかにしか見いだすことができない。

ランキングなど、ただの低俗な遊び。気にする価値もない。

自分に問いかけよう。

本当に価値があると心から思えることをしよう。それが天職だ。

そして志を同じくする、損得ではなく心で通じ合える仲間を持とう。

金の切れ目が縁の切れ目。金で繋がる縁など、本当の繋がりではない。本当に困ったとき、手を差し伸べられる、手を差し伸べてくれる友人こそ、最も大切にすべきものだ。

経済も社会も崩壊したとき、本当に頼りになるのはそれだけだ。逆に言えば、その繋がりさえあれば、愛で繋がるコミュニティーに属していさえすれば、助け合って生きていける。

私が就職活動をしている学生にアドバイスをするとしたら。

何度失敗してもいい。まずはやってみること。そうでなくては見えない世界がある。

自分でつかんだ経験と哲学に照らし合わせ、自分の内なる声を聞き、望む道を見出すこと。

その道で出会えた心から尊敬できる仲間を大切にすること。

そんなところだろうか。

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