【共依存】他人の存在の煩わしさ・私が唯一ほしい他人との繋がり
私が唯一ほしい他人との繋がりは、それだ。本物であればよい。それは少しでいい。
私が唯一ほしい他人との繋がりは、それだ。本物であればよい。それは少しでいい。
大きな主語で語ると、その主語の大きさに比例して他人を傷つけるリスクを高くする。 気を付けなくてはならない。
横たわる大きな何か、支えてくれている大きな何か。それに感謝できる、存在を感じる。 そのために「祈りと黙想」はある。
「ひとりで生きてるような顔しちゃってさ」2年前、義母にそう言われたとき、私は「はぁ?」と青筋を立てた。
インナーチャイルドワークを通じて実感したのは、親を特別視して恨まなくてもいいんだな、他人を必要以上に怖がらなくてもいいんだな、ということ。
3、今までの生き方を支えてきた意志の力への信仰をやめ、他人の評価を恐れることなく、あるがままの自分の心と体を受け容れようと決心した。 ...
だから私はこんな恥ずかしいブログを書いているのだと思う。
仕事がゲーム化している以上、仕事依存症はゲーム依存症である。 例えるならば、サービス終わりかけのリアル『フォートナイト』なのかな。
自称エリートだらけの職場で働いている。 確かに、一流大学を出て一流企業に勤めている。年収だって平均に比べてもらっているほうだろう。 しかし、その実態や現状認識は、気でも狂ってしまったんじゃないかと思うくらい実に shabby だ。
努力が結果的に社会的に報われないと、それらの切望は嫉妬、すなわりルサンチマンになる。 努力が結果的に社会的に報われると、傲慢な自己顕示欲となる。