【発達障害】私の正論へのこだわりは「正論への恨み」から来ていたという話

こんにちは、ちあき です。

さて、私はASD(自閉症スペクトラム)という発達障害で、ADHD(注意欠陥・多動性障害)も併存しているタイプです。

そんな私は正論に対するこだわりが強い傾向にあり、よく会議やディスカッションになると論理的に正しいかどうか、社会的に意義があるかどうか、という視点で考えてしまい、よく他人の主張や感情とぶつかります。

言っちゃえば、すぐ揉めます。

このように、中堂系さんみたいなことを会議で言ってよく空気が最悪になります。

なんでなんだろう…?と思っていた矢先、Twitterで素晴らしいサイトに出会いました。

 

私がハッとした「アスペルガー研究家マスペルさん」のtweet

 

 

マスペルさんのサイトがこちらになっており、詳細が掲載されています。

サイトから引用させていただきました、こちらの文章が実におもしろい。

 

アスペルガーASDは皆元々は積極奇異型であるという仮説

私の仮説にアスペルガーASDは元々は積極奇異型であるというものがあります。

積極奇異型は最も感情的で自己本位なタイプと言われています。

感情的、自己本位的に振る舞った結果周囲の人との間にコミュニケーションの問題が起き、これじゃダメなんだと思い自分を抑えて周りの言うことを聞くように適応していくと受動型へと変化していくと思われます。

受動型になると周りの言うことに合わせて自己を抑え合わせるのでどんどんとストレスが大きくなっていきます。

その結果もう限界だと感じるようになると自己を抑えることをやめて他人から遠ざかり関わることをやめる孤立型へと変化していくと思われます。

ツイッターでこの仮説についてツイートしたところ、子どものときはガンガン自分から行く積極奇異型だったが大人になっていくうちに周りと衝突し孤立型になったというリプライや、受動型だったが周りに合わせるのがしんどくなって孤立型になってきたというリプライをいくつもいただきました。

 

この考察をもとに私の成育歴を振り返る

先ほどのtweetに対する私の反応がこちらです。

興奮してます。笑

 

 

①積極奇異型シーズン:生後~小学校低学年

とにかく幼稚園でも学校でも習い事でも浮きまくっていました。笑

どこに行っても仲間外れにされたし、いじめられました。

言いたいことを言語化できないもどかしさで殴ったり物を投げたりする攻撃性を大人からも子供からも非難されたことや、ドハマりすると24時間でも延々平気でやってしまう極端さが「集団で仲良く遊ぶ」という幼稚園や学校が奨励する価値観と真逆で『厄介な子供』扱いされたことなどが、背景にあったように思います。

当時は、美術と図画工作が好きでした。

材料を使って『好きなように何をしてもいい』という授業は心が躍りました。

しかも、好き勝手に発想したことをやればやるほど褒められる。

こんなことは他の授業や習い事では未だかつてなかったので、どんどんエキセントリックなことをやりました。

それが気に入らないいじめっ子が、賞をもらった私の絵を一生懸命「たいしたことない」と罵り、嫉妬からいじめが激化しました。

やがてそうした副作用が面倒になり、美術や図画工作も楽しくなくなりました。

そんな感じでどんどん歪んでいった私はだんだん周囲の人間は憎いもの、という認識を形成していき「俺から時間や尊厳を略奪したり大好きなものをこき下ろすクラスメイトなど、敵と同じだ。敵なら自分がやられる側でも文句言えないだろう」などと考えはじめ、いじめっ子や日和見主義のクラスメイトたちにいじめられたらとにかく『奪われたら奪い返す。やられたらやり返す』という生き方をしていました。

 

②受動型:小学校高学年〜大学2年

そんな生き方をしてきてどんどん嫌われていきました。

私が発言すれば皆が異を唱える、という具合で、四面楚歌になり、学校で終業間際に行われる「クラス会」は毎回紛糾しました。

まさに私にとって会議は今も昔も鬼門です。

多勢に無勢。

徒党を組まれてはたとえ独りで奮闘していてもいずれ押さえ込まれ屈服させられる。

今までのスタイルに対して敗北感と危機感を持ち始めます。

 

私小学校3~4年のころだったと思いますが、ある事件が起こりました。

ある日、砂場で一人きりで丹精込めて作っていた砂の城を、いじめっ子の主犯格Fくんが

「イエーイ」と言いながら踏みつぶしてきました。

ニヤニヤしたその顔を見た瞬間、私の中で何かが切れました。

追いかけましたが、足が相手のほうが早いので勝てません。

先生を呼ぼうか…いや、大人は私を認めてくれないのであてになりません。

しかたない。自分で報復するしかない。

私はその子のランドセルの中身が大事なものだと知っていたので、置いてあるランドセルをつかんで走り、池に投げ捨てました。

その子は泣きながら私に蹴りを入れようと走ってきたので、身を躱したところ、池に落ちました。

それを見て千載一遇のチャンスに舌舐めずりしました。

「こいつは何回も『やめてよ』と訴えたがいっこうに改善されないんだからしかたない。最早ここで殺すしかない。」

とランドセルをつかんで上がろうとするFくんの顔や手を踏みつけて池に蹴り落とし続けました。

誰かが通報したのか、先生が慌てて2~3人飛んできました。羽交い絞めにされるまで、ずっとその子を殺そうと蹴り落としていました。

その事件はクラス中を戦慄させました。

私が大した力がないと見くびっていたいじめっ子グループや日和見主義のその他大勢も、私を恐れているのが翌日のクラスの様子で分かりました。

ここらで『擬態』するしかない。

私はその突き落として殺し損ねたいじめっ子の主犯格Fくんに作り笑いを浮かべて

「昨日はごめんね」と皆の前であえて自ら歩み寄るポーズをとりました。

これでどちらが人間的に上か印象付けることができる、と考えて先手を打ったわけですが、

これが功を奏して「怒ると怖いけど優しい」というイメージを周囲に鮮烈に植え付けることができました。

 

そこからとにかく他人に気を遣う生活になりました。

学校では登校時と下校時が最も苦痛でした。

なぜか?あいさつしなくてはいけないからです。

もれなくあいさつしなくてはならない。目が合ったりすれ違ったのに挨拶をし忘れて「無視した」と思われてはならない。笑顔で過ごして印象を悪くしてはならない。

集団で団結したときの他人の脅威をこちらに向けられないよう過ごしていたら、うわべだけの友人・仲間がたくさんできました。

自分の気持ちを押さえつけて押さえつけてとにかく集団に馴染む。擬態する。

安全でした。でも、実につまらなかったです。

 

③孤立型になりかけ:大学3年〜今

少し本音を出したり自分を出すと、不協和音を奏でる私の性質に辟易として、他人との関わりにもう限界を感じ始めた高校時代。

大学に入り、アルコールを知りました。

アルコールを飲めば前頭葉を麻痺させ感情を開放して普段押さえつけている本音が出せる。

受動型でため込んできた鬱屈したストレスを開放することができる。

しかも、「酔っていたから」という理由で多少破天荒なことを言ってもやっても許されるので、どんどん酒にハマっていきました。

これが悪魔的に素敵に愉快にキマってしまい、良くも悪くも相乗作用を発揮したといえます。

特に親しい友人数名としか飲み交わさず、本音も明かさず、話さなくてもいい、最低限の繋がりのみで生きていける大学生活はかなり快適でしたが、それも長くは続きませんでした。

そう、社会人生活です。

私立大学で、通称「やめと経済学部」と揶揄される文系の有象無象が集うマンモス学部、経済学部をただ卒業しただけの、なんの特色もない私が行きつく新卒採用ポストは、定番の営業職しかありませんでした。

嫌でも毎日他人と話をしなくてはなりません。

それが仕事だから。

受動型の時代とは比較にならないほどのストレスを抱えていきます。

それを晴らすために毎日浴びるように飲みます。

その結果、社会人にあるまじき失敗をするようになります。

どんどん自尊心が削られていきます。

次第に必要最低限のことしか話さなくなり、失礼だなんだと文句をつけられないように、慇懃無礼なほどの丁寧語でしか誰とも話さなくなっていきました。

妻に言わせると、最初に合コンで出会ったとき

「ロボットみたいな人だな」

と思ったそうです。(なのになぜ付き合ってくれたのか謎)

気を遣っているのがまるわかりの、常に強張った顔。(なんなら瞼は痙攣)

言われた言葉を分析して応答するまでにパターン化して〇×を判断していたので応答が遅い。

ギャグと嫌味の区別がつかないのでとりあえず愛想笑い。

そんな感じでした。

 

アルコール依存症になったことが、気づきを与えてくれた

とにかくもう自分に自信がなかったです。

そのまま生きていたら嫌われてきた。

だから擬態しないと、この世の中では生きていけない。

しかし、生きていくために擬態すると、ずっと理性で感情を抑えているから苦しくてたまらない。

だから、アルコールで緩和してきたけど、それももう限界に近づいている。

アルコール依存症だと診断されるまでの新社会人の約5年間は地獄のようでした。

 

 

「るろうに剣心」の登場人物の、瀬田宗次郎にシンパシーを感じていて、ずっと心から離れなかったセリフがあります。

 

 

所詮この世は弱肉強食

強ければ生き、弱ければ死ぬ

殺さずとか、弱いものを守るとか

貴方の言うことは間違いなんだ

あのとき貴方は、僕を守ってくれなかったじゃないですか

貴方が正しいというのなら

なんで守ってくれなかったんです

あのとき、誰も僕を助けてくれなかった

僕を守ってくれなかった

あの時僕を守ってくれたのは

志々雄さんが教えてくれた「真実」と、一振りの脇差だった

だから間違っているのは、貴方なんだ

 

このシーンになんで心が揺さぶられるのかなぁ、と思っていたのですが、ようやくわかりました。

 

たしかに、私はずっとイライラして生きてきました。

 

「俺が正しくないというのなら、お前らはとことん正しいんだろうな?」と

他人に対して自分に対するのと同様に常に正論とルールにこだわり、外れるものを許しませんでした。

他人が、私のありのままを許してくれなかったことに対して、恨み憎んでいました。

 

でも、自分が幼少期にされて性格が歪むほど嫌だったことを、他人にまで強いて徹底して主張してきたのか…。

と思うと、なんだかやるせない気持ちです。

 

本当はありのままに生きたかったのに、そうさせてはもらえなかった。

そのままの自分を受け容れてもらえなかった。

だから、こっちは死ぬ気で我慢しているんだ。

俺が我慢してるのに、否定してきたお前らは我慢しないなんて、ずるいじゃないか。

正しくないと私にいうのなら、あなたたちは徹底的に正しくいてくれなくては嘘だろう?

正しくないのに、私に間違っていると言うな!

間違ってもいいというのなら、どうしてあのとき私を許してくれなかったんだ?

全部おかしいじゃないか。

 

という怒りが私を正論に駆り立てていたんだなぁ、と気づいてすっごくすっきりしました。

 

また、生きてるだけでストレス抱える理由もわかりました。

受動型で周囲に合わせて理性で抑え込んでいるからだったのか。

だから、アルコールやタバコなど依存物質に頼って脳を弛緩させたかったのか。

 

これらを解決するためには、

誰よりも私自身が、私に対して

「そのままで生きていていい」

という許可を出すしかないのだと思います。

偽らなくてもいい。

正しさにこだわらなくてもいい。

感じるままに感じてもいい。

やりたいと思うことをやってもいい。

そういうカギをひとつひとつ解除して自分を解放してあげたいなと思います。

 

剣心から「真実の答えは己の人生の中から見出せ」と諭されて歩き始めた宗次郎のように。

 

ではまた。

【発達障害】ASDやADHDは本当に「使えないやつ」なのか?

こんにちは、ちあき です。

妻によく「めんどくせー!笑」と突っ込まれる私はASD(自閉スペクトラム症)+ADHD(注意欠陥・多動症)です。

俗に言う「空気を読む」「行間を読む」がすごく下手です。

そんな人はよく社会に出て「使えないやつ」と言われて馬鹿にされます。

本当にそうでしょうか?という話です。

 

 

私の懲戒処分事件に見るASDの特性

何回か書かせていただいていますが、私はアルコール依存症でして、度重なる飲酒による失敗から懲戒解雇をネタに依願退職を勧められた経験があります。

結果的には「戒告」という懲戒処分になりました。

会社としては、何回も酒で問題を起こすような「使えないやつ」はさっさと退場させたい。

そこで、上層部は結託し、私がいかに成果が出ていなくて、いかに効率が悪い働き方しかできなくて、会社に迷惑をかけるやつかを証明するために証拠集めを始めます。

並行して、もし証拠不十分で辞めさせられない可能性を視野に入れて、「自宅謹慎」を命じて仕事を取り上げ、社内外への連絡を一切禁じて、孤立させます。

そうして、たまに人気のない喫茶店などに呼び出しては、以下のような事を言葉を繰り返し言い聞かせます。

「このままもし会社に残ってもお前のためにならない」

「業績も大したことはないし、私から見たら君はこの仕事は向いていないから、違う可能性を探したらどうか」

「懲戒解雇されたら退職金も出ないぞ、今のうちなら自己都合退職扱いにしてもらえるぞ」

「今まで散々指導した事実がある以上懲戒処分は免れない、そうなったらお前のこの会社でのキャリアはもう終わりだ」

 

つまり、言外に

『お前は使えない。懲戒解雇されたくないだろ?自己都合にしてやるから、早く辞めろ。』

と繰り返し言い聞かせる、ということです。

 

しかし、私は残念ながらASDでした。

このような行間は、追い詰められていればなおさら、簡単には読めません。

しかも、真剣に考え反省して決断しなくてはならないと、徹頭徹尾、空気を読むなどという『曖昧な決め方』はしてはいけない、と思って論理的に考えようとしました。

 

これが私にとっては幸いし、上司にとっては災いしました。笑

 

ここまでズタボロに言えばさすがに「辞めます」っていうだろう、と思ったのに、首を一向に縦に振らない私に、次第に上層部は苛立ちを隠さなくなりました。

言い方は徐々に直接的になりました。唾を撒き散らしながら罵倒し、さながら「千と千尋の神隠し」の湯婆婆のようでした。

私も負けじと善意から真剣に「恩返しと罪滅ぼしを具体化するためには会社に残り成果を上げてから辞めるのが最低の礼儀だ」と考えて、上司の遠回しな主張や提案(=マジ早く辞めてくれというお願い)を結果的に丁重にお断り(いっちゃえば全無視)して

「ここで働かせてください」

という一言だけを壊れた人形のように繰り返し、終いには泣きながら土下座し始めたあたり、千尋並みの狂気を彼らは私に感じたようでした。

 

表現が時間が経つにつれ直接的になるに伴い、私も徐々に言いたいことが分かってきました。

そうかそうか、私に「迷惑だからもうどっかいけよ」と言いたいんだな、君たちは、と。

その理由では納得できませんでした。

それはパワハラだよね?

それに弁護士に聞いたり調べたところ、著しく戒告事由に抵触し会社に損害を与えた実績がなければ、懲戒解雇はできないよね?

理由が十分ではないうえに、懲戒解雇という単語を使うのは、一種の脅迫だよね?

私は確かにあなた方に多大な迷惑をかけたし大した特殊能力があるわけじゃない。

だけど、あんたたちが今まで言ってきた事は「貴方のため」という嘘に包んだ自分勝手な理論だよね?

それって私が辞めないことを責める大義ではないよね。

じゃあ、その主張は聞く価値ないよね。

それゆえに、私は私の判断に従い、やめるより残って実績で贖罪と恩返しをしてから辞めたいし、やりたかった仕事をやるまでは辞めたくない。

だから、絶対に「今は」辞めない。

この方程式がおかげで組み上がっていたので、的確な変数(合理的かつ良心的な理由)を示してもらわないと自己都合退職という無責任な決断はできない、とある種の融通の利かなさが功を奏した形で、強い意志でありがたい退職勧告を頑なに固辞し続けることになりました。

結果として、予想通り懲戒解雇はコンプライアンス委員会と組合を通過できず、人事部と上層部の頑張りも虚しく「戒告」のみにとどまりました。

 

ASDは目的と理由が明確かつ正当であればムラなく動ける

今回の事例で会社が得るべき教訓は、「ASD+ADHDの私に察してほしいとか空気を読んで欲しがるのは最適解ではない」ということです。

定型発達が多用する「言わなくても分かるでしょ」的暗黙知を前提にしてしまったので、私が自主退職すべき明確な理由を提示できていませんでした。

発達障害同士なら、むしろ周到に目的と手段を明確化して言語化して意思疎通しようとするから、認識に齟齬がなく、伝達ミスも起こり得ないので、私を説得できたと思います。

「採用コスト(初期費用)がこれだけかかっているのに、給料と売上と純利益から考えて、月当たり○○円の損害だから、会社を一日も早く辞めてくれたほうが我が社のためになる」

「その上で最も早く辞められて、退職金を支払ったとしても○○万円だから、このまま懲戒会議にかける時間的コストを勘案すればむしろプラスなので、お互いwin-winだから、懲戒解雇より依願退職が望ましい」

という分析が妥当であったなら、私は首を縦に振っていたでしょう。

 

結果として、土下座した頭を踏まれるような陰口と嘲笑を、泥水をすすり血反吐を吐きながら耐え抜いて会社に残り努力を続けました。

それからは、売上計画(ノルマの110%)を達成し続けており、四国地方の支店内でトップ5の連続達成記録を達成しており、この決算期もすでに見通しは立っているので、記録更新予定です。

ほら、やはり私の考えが正しかったじゃあないですか。辞めさせるより金を生んだでしょう?笑

 

ASD、ADHDが「出来ない子」なんじゃない。

伝え方や受け取り方が違うだけであり、活かし方次第なのに、それを定型発達者が理解していないだけなのではないかなぁ、と思います。

https://twitter.com/frenchbeansaya/status/1125166350349897728?s=20

このツイートにもあるように理由をつけて説明することは重要ですし、

何をしてほしいのか?

どうすればできるのか?

なぜやるのか?

いつまでにしてほしいのか?

 

5W1Hを明確にしさえすれば、これほど説得しやすい人種は逆にいないのではないか、とすら思います。

 

しかし、私の場合は

・マルチタスクになると著しくエネルギーの消耗が速く精度が落ちる

・急な予定変更や作業中断に激しいストレスを感じる

という特性ゆえのマイナス面もあります。

この辺りについての対策はまた改めてまとめたいと思います。

 

子供をあやしながら、つらつらとそんなことを考えた連休最終日でした〜。

明日からお仕事の方も、そうでない方も、のんびりいきましょう。

だいたい会社の言うことは論理的ではなく都合の良いことです。

相手が適当なんだから、こちらも適当にこなしたって文句言われる筋合いはありませんから。

気楽にいきましょー!

 

 

【依存症】お酒しかなかった数年前のGWを振り返ってみた

こんにちは、ちあき です。

GWも残すところあと少しですね。

世の中的には長い休みですよねー。10連休とかすごすぎ!

今日は断酒例会で酒を飲みまくっていた時の長期連休の話になり、自分自身を振り返っていました。

 

とにかく酒を抱えて引きこもった3年前までのGW

妻と出会う前、独りで迎えたGWの記憶は、あまりありません。

ずっと、酒で酩酊していたからです。

連休の最初の夜にしこたま酒を買い込んでましたねー。

ビール・ワイン・ストロング系チューハイ・ウイスキー・ジン・ウォッカ・リットル単位の焼酎…

なぜこんなに買うのか?

酒を買いに出ると人に会ってしまうから。

そう、私は休みはとにかく人に会いたくなかった。

「やっと、人に気を遣わずに過ごせる!!」というのが、連休前の金曜日の感想でした。

人に会うのは今も疲れますが、当時は本当に苦痛でした。(なのに営業という意味不明さ)

聞きたくもない話に愛想笑いして。自分の話など怖くてできなくて。

「つまらなそうに見えて悪く思われないか」「失礼なことをしてないか」「言葉を間違えて勘違いされやしないか」とビクビク怯えて。

そんな針の筵のような平日が、やっと!やっと!小休止を迎えたぞ~!!やったー!!

という感じでした。笑

 

そして金曜の夜、カーテンも閉め切り、PCだけつけて電気も真っ暗にして、独りきりで飲み始めます。

飲んでは気絶・飲んでは気絶・たまに吐いてトイレに籠って・また飲んで気絶

気がついたら、もう連休も最終日。

 

「ああ、また明日から地獄の日常がはじまるのか…」

 

と思って最後の瓶を空けながら、さめざめと泣いて最後の夜も気絶するまで飲んでいました。

 

断酒していると「人といるのもいいかな」と思えてきた

こんな鎖国状態の私も、今は少しずつですが、人に本心を打ち明けたり、人の話を聞いたりすることが、いいことなのかもな、と思うようになりました。

それは断酒会に行き始めてからでした。

会社を懲戒解雇されかけ、運よく首の皮一枚繋がって戒告処分で済んで、それから悔しさと恨みで1年3ヶ月飲まずにいられていました。

しかし、転勤して環境が変わり、周りから懲戒処分をネタに馬鹿にされたり揶揄されたりしたことに負けて一度スリップしてから、もう自分の力ではどうしようもなくなりました。

妻に教えてもらって病院に繋がり、初めて断酒会に出席した時、私は生まれたての小鹿のように震えながら中を覗き込むような心境でした。

「もう、情けないけど自分の力だけでは、どうしようもない」

「でも、こんな人生の落伍者の集まりに参加するまでに落ちぶれてしまった」(超失礼)

「どうせやめたって、もう俺の人生は終わったも同然なんだ」

「これからは、今までの情けない自分を罰しながら、日陰で一生謝りながら生きていくんだ」

そんな気持ちで覗いた断酒会場の椅子に、ちょこんと仲良く座っている老夫婦がいらっしゃいました。

Kさんご夫婦は、旦那さんが依存症者本人で、奥様が酒害者家族でした。

口を開いたKさんの酒歴はそれはそれはすさまじいもので、警察沙汰・刃物も出てきて、留置所もバンバン入っているという、私が足元にも及ばない(と当時は勘違いしていた)ものでした。

そんな酒害を盛大にまき散らしてから、断酒を志し、以来30年近く断酒しているというではありませんか!

3:30に寺を訪ねて仕事前に4時間の座禅を組み、仕事終わりにまた深夜にかけて4時間の座禅を組み、それを毎日!10年続けたそうです。

そのエピソードを話す傍らで、やわらかい笑顔を浮かべている奥様。

比喩ではなく殺し殺されかけた修羅を乗り越えたお二人が、

「今は、断酒していて幸せです」

とおっしゃる姿が、私には太陽よりも眩しかった。

こんな未来があるのか、こんな未来もあるのか!

なら、もう一回頑張ってみよう。

こんな未来があるのなら、もう一回、覚悟を決めて『生きて』みよう!

この出会いが今も私を支えています。

 

断酒会って、本当に不思議なところです。

みんな言いっぱなし・聞きっぱなし。

終わったら特に感想を言い合うでもなく

「おつかれっしたー」と思い思いに散っていきます。

でも、心が・魂が、触れ合った実感があります。

お互いにあえて何も言わなくても「私たちは仲間だ」という共通認識が産まれます。

それは、私にとって素のままでいられる、とても安心できる空間であります。

言い訳やキレイごとを全部なくした生の感覚を話すことができる、数少ない私の居場所。

そうして自分のそのままを話すことで、私はヒトの魂に触れることができる。

そのままを聞くことで、自分の魂に触れることができる。

ああ、だから皆、あんなに人に会うと嬉しそうだったのか!

だから今、私はこんなに涙が出るほど、人に会えて、人に会うだけで感謝されることが嬉しくてたまらないのか!

と、最近は「人と会ったり話したりするのも悪くないんじゃないかな」思うのです。

 

数年前のGW、酒瓶を抱えて映画やニコニコ動画を観ながら、さめざめと泣いていた当時の俺に教えてあげたい。

「そんなに、他人は痛みばかりを与えてくる存在じゃないよ」

「自分も他人もそのままに触れ合えれば、こんなにも癒されることはないよ」と。

 

夢に出てきた恩師が思い出させてくれた昔ばなし

東北に赴任していた時、とてもお世話になった整形外科のO先生が昨夜、夢に出てきました。

「元気にやっとるかね」

「はい、先生にお世話になっていたときよりも、ちゃんと真剣に生きてますよ(笑)」

「そうかい、そうかい。せっかく生きてるんだから、やりたいことやって精一杯全力で生きんとね。」

「そうですね。当時は先生がおっしゃっている意味が分かってませんでしたよ。」

「そうだろうと思ったよ(笑)。」

先生はご存命なので夢枕に立つという表現は正しくなく、「おい!まだ勝手に殺すなよオイ!」と怒られそうですが、久々に夢ででもお会いして今朝は嬉しかったですよ、先生。

 

O先生のご専門は「筋ジストロフィー」で、国立病院勤務にも拘らず患者さんやご家族のために休日も個人的に動くなど、本当に日夜奮闘していらっしゃる、それはそれはエネルギッシュな先生でした。

■「筋ジストロフィー」とはどのような病気ですか?

筋ジストロフィーとは骨格筋の 壊死 ・再生を主病変とする遺伝性筋疾患の総称です。筋ジストロフィーの中には多数の疾患が含まれますが、いずれも筋肉の機能に不可欠なタンパク質の設計図となる遺伝子に 変異 が生じたためにおきる病気です。遺伝子に 変異 が生じると、タンパク質の機能が障害されるため、細胞の正常な機能を維持できなくなり、筋肉の 変性 壊死 が生じます。その結果筋萎縮や脂肪・ 線維化 が生じ、筋力が低下し運動機能など各機能障害をもたらします。

引用:難病情報センター:筋ジストロフィー(指定難病113)

 

 

当時小児(5歳から7歳くらい)で発症した患者さんだと、その地域ではだいたい20歳代で亡くなるケースが多く、先生はそうした若年の患者さんとそのご家族を多く担当してこられました。

私は先生のご専門を調べ、営業として毎週訪問していたわけですが、筋ジストロフィーの話になるといつも悲しい気持ちになってしまいました。

 

たぶん暗ーい顔をしていたんでしょう。

ある日、先生が言いました。

「君は、『筋ジストロフィーの患者さんって可哀想だな』と、思っているね?」

「はい、だって20歳までしか生きられなくて、全身も思うように動かないなんて…」

言葉に詰まる私に、先生は笑いながら言いました。

「それはねぇ、偏見だよ。君の。」

私はその言葉を聞いたとき、背中からドッと冷たい汗が出るような、心臓を握りしめられるような心地がしました。

それは、真実を言い当てられたときに胸に突き立てられるあの独特の感覚でした。

先生の言葉は氷柱のような鋭さで私を貫きました。

「偏見…ですか…」

「そう。だって、可哀想な人生かどうかは、その人自身が決める事だろう?

君が決める事じゃない。君の物差しで決められることじゃないし、測れることじゃない」

「君の物差しで、勝手に可哀想だと決めつけるなんて、非常に無礼なことだろう?」

穏やかに笑いながら先生が放ってくる言葉に、私は顔から火が出るくらい恥ずかしい気持ちでした。

 

先生によると、患者さんもご家族も

『自分たちに与えられた運命を覚悟して真剣に生きている』ということでした。

 

「この子とは20年しか一緒にいられない」

ではなく、

「この子といられるこの20年を全力で楽しもう!」

という輝きを放っている、私はそれに何度も救われてやっと医者できている、とおっしゃっていました。

それは、魂の輝きだ、と。

 

それを思い出すにつけ、

私はいま、ちゃんと与えられた運命を受け容れて、

全力で、真剣に、覚悟して生きているだろうか? と思うのです。

 

アルコールに溺れて様々な人を傷つけ迷惑をかけ、

早期に昇進してマネジメント層になることを期待されて転職してきて

最下層まで降格され、懲戒処分まで受けて、いつクビになってもおかしくない。

 

だから、可哀想か?

否。

それは、もうどうしようもないこと。

罪を悔い改めて、償いながら、前を向いて生きていくしかない。

そう、もうやってしまった罪は消えない。

もはや、私にはコントロールできない、動かしようもない、仕方がない事実なのです。

 

私がこれまでやってきたことや生きてきた道は、

他人から見れば

「自業自得」「身から出た錆」と思うかもしれない。

「もう終わったな」「負け組で可哀想」と思うかもしれない。

 

私にとっては、受け容れるべき「私の人生」という運命なんだろうな、と思います。

私の運命そのものは、恥ずかしいことでも、可哀想なことでもない。

20歳まで生きる運命を背負ってこの世に産まれた筋ジストロフィーの子が、

決して『可哀想な人生』などでは無いのと同じように。

 

テニスクラブで知り合った、重症筋無力症の娘さんを授かった女性が、朗らかに笑いながら言っていました。

「〇〇ちゃんがせっかく産まれてきてくれたのに、『どうして』とか『なんで私の娘だけ』なんて、嘆いている時間がもったいない。私たちに神様が与えてくれた時間をもう、精一杯思いつく限り楽しむ!それっきゃないでしょ!だって、私たちはもう、そうでしかないんだもの!

この人の笑顔は本当に美しいなと思った記憶があります。

 

奇しくも、やはり先生もおっしゃっていたのでした。

「君にはしたいことがあるかい?ちゃんと、『生きている』かい?」

「せっかく生きているんだから、生きている間に好きなこと・したいことをするしかないよ、君。そんな浮かない顔している間に、どんどん時間が過ぎていく、それは実にもったいないじゃないか」

「どう生きるかは、君自身が決めて、君が思いっきり精一杯思いつく限りの楽しいことや成し遂げたい事をやりつくすことだよ。そうやって楽しむために、今、まさに君は息をしているんだよ。」

「私も患者さんに教えてもらったんだけどね。どんなに欠けていたって、どんなに悔やんだり羨んだって、もう、君も僕も、そうでしかないんだから、そのまま限界まで燃えるように楽しむこと以外、やるべきことは一つもない。

 

先生、今は少しちゃんと『生きている』気がしますよ。

 

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【依存症】頑張って断酒してきたのに長期連休でくじけそう…そんなあなたにおすすめの漫画

こんにちは、ちあき です。

連休が続くと、時間がある→いろいろ考えてしまう→マイナス思考に陥る→飲酒欲求↑という負のサイクルで、どうしてもスリップ(再飲酒)しやすくなります。

家族がいる場合は抑止力になってくれますが、独りで断酒している方などは、誰も見ていないから、という悪魔のささやきが聞こえてきてしまいます。

そんなときに、おすすめの漫画があるので、今日は紹介させてください。

 

その漫画は「はじめの一歩」

作者:森川ジョージ 先生

■作品概要 (wikipediaより)

母子家庭いじめられっ子であり、釣り船屋を親子で支えている主人公・幕之内一歩が、プロボクサー鷹村守との出会いをきっかけに鴨川ボクシングジムに入門。「強いとは何か?」という問いの答えを求め、プロボクサーとして、また人間としても成長していく過程を、周囲との交流やライバル達との戦いを通じて描いてゆく。主人公のみならず脇役である仲間やライバル達の戦いも詳細に描いている点が特徴的であり、作者は「登場人物全員が主人公です」とコメントしている。

登場人物の多くにボクシングの歴史を彩った実在選手の姿が投影されている。作者自身も実際にボクシングジムのオーナーで著名なプロボクサー達と親交があり、『週刊少年マガジン』誌上でも若手を応援するコメントなどを載せている。

ボクシング漫画の金字塔ともいうべき、有名な漫画ですよね。

非常に長いストーリーのなかで「この戦いがすごく断酒の励ましになる!」というエピソードを独断と偏見で選び紹介していきます。

 

①戦後編 鴨川源二 vs ラルフ・アンダーソン

原作45~46巻(鷹村VSホーク戦直後)、アニメ第3期「Rising」の第22~25話(鷹村VSイーグル戦直後)までが該当します。

 

 

敗戦国となった日本、「拳闘」が主流だった当時。
階級が上のアメリカ人に、親友の敵討ちで試合を申し込み、挑みます。
日本人、特に若者に、この話を読んでほしいです。
こんなどん底から、我らが祖先は今の日本を創り上げたのです。
それが、どれだけ“強い”ことだったか。
目頭が熱くなります。
この試合は、私が「断酒を貫く」意思の具体化したイメージであり、今も精神的支えになっています。
どんな障害さ あろうと
初志を貫徹する・・・鉄の意志
意志を貫くためには
何も恐れない
死ぬことになろうが恐れはしない
何も恐れない
すなわち「勇気」!!
それがヤツの武器だニ!
体格的にも階級が一回り上のラルフに何度も上から右を食らいながら
絶対に折れない鉄の意志で耐え、ボディを狙う試合展開は圧巻です。

②宮田一郎 vs アーニー・グレゴリー

原作36巻~37巻までが該当します。

 

カウンターを持ち味とする「雷神」宮田一郎。

逆に左のジャブを意図的に出すアーニーの作戦にまんまとハマり、カウンターを誘われてボコボコにされます。

自慢のカウンターをコケにされ、プライドをズタズタにされ、自慢のスピードも地に落ち、体力も残り少ない…

精神的にも肉体的にも追い詰められてしまいます。

もう慎重にやっても無理、負けるなら玉砕覚悟で手数を出すしかないか…と、

半ば自棄になる一郎に、セコンドの父が言う名言が心に響きます。

振り回してラッキーパンチを狙うか!?

お前のことだ。自分の状態がどれほどかよく理解しているだろう

クレバーと言われているが その実 誰よりも気が強い

煮え切らない判定よりまず玉砕を選ぶ

最近になってわかったコトがある

何十年もボクシングにたずわさってようやく気づいた

無論 現役の時には納得できなかったが…

ボクシングに ラッキーパンチはない!!

結果的に偶然当たったパンチにせよ それは…

練習で何百何千と振った拳だ

その拳は『生きている』のだ

試合を投げて適当に振ったパンチなど決して当たらん

当たったとしても死んだ拳では人は倒せん

現役の時 ラッキーパンチに泣かされ嘆いた時もある

しかし それは間違いだった

選手を育てる立場になってようやく気づいたよ

ある者は名誉のため ある者は金のため

様々な理由のために 辛い練習を耐え抜く

何千何万とサンドバッグを叩き

思いのたけ全てを両の拳にこめる

最後の最後まであきらめない

そういう生きた拳こそが

奇跡を産むのだ!!

断酒をしていても、くじけそうになるときがあります。

もうしんどいし、自分が大切にしていたものも無くなったし、

いいじゃんもう…と思うとき。

約束を果たすために、成し遂げたい思いのために、今まで血反吐を吐きながら頑張ってきたのではなかったか。

困難を突破し、理想を形にする『生きた拳』。

断酒でも同じで、最後の最後まであきらめない『生きた魂』こそが、飲むことをやめられない病気にもかかわらず酒を断つという一種の狂気ともいえる「断酒」という奇跡を産みます。

 

 

③鷹村守 vs ブライアン・ホーク

原作では43巻~44巻、アニメで2期「NewChallenger」の21話~24話が該当します。

作中でも最も評価されてる試合の一つともいわれています。

 

 

急遽決まった世界戦。

この鴨川会長の名言はこの試合の前に鷹村に放った言葉です。

努力したものが全て報られるとは限らん。

しかし!

成功した者は皆すべからく努力しておる!

厳しい減量に耐え、鷹村は試合に臨みますが、死闘を極めます。

しかし、本当に苦しい最後の場面で支えになるのは、「ボクシングにだけは…ウソつきたくねぇんだ」と言い、毎日毎日サンドバッグを叩き走り込み、何千何万とミットを叩いた鷹村のバックボーン。

倒れてたよ……

きつかった……

支えがなきゃ、倒れてたよ。

ずっと、支えててくれたんだな。

やっと、わかったよ

鷹村のこのセリフで泣きました。

本当に苦しくて何度も倒れそうになっているときに力をくれるのは、支えてくれる仲間たちの存在、というところが、断酒会やSNSの皆さんとの繋がりを彷彿とさせます。

④幕之内一歩 vs 千堂武士

日本フェザー級タイトルマッチで、チャンピオンの千堂に幕ノ内が挑みます。

ハードパンチャー同士の「LALLAPALLOOZA(ララパルーザ、“地鳴り”の意)」と冠した試合名通りの凄まじい攻防は必見です。

 

 

ガードの上からでも一歩の鼻から出血するほどのハードパンに一歩は前のめりに崩れ落ちるダウンをとられます。
もう寝てしまえば楽になれる…。そう考える一歩。
何を考えてるんだ 僕はー!!

これじゃあ あの時と同じじゃないか!

あの時と 同じ想いを またしたいのか!?

伊達さんに負けてから 鍛えに鍛えたんだ

ボクはあの時と同じじゃない!!

同じじゃない!!
一度スリップしたことのある人なら、この言葉はすごく響くんじゃないでしょうか。
あのときと同じ思いをしないために
対策を立てて、苦しくても頑張ってきた。
昔の自分と同じじゃない!
同じ後悔をもう二度としたくない!
そういって立ち上がる一歩の姿に、私は断酒から立ち上がる仲間の背中を見る気がします。
いかがでしたか?
もし興味があったら読んでみてくださいね。
強くなれ!
おれたち!

 


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【メンタル】リーガル・ハイに学ぶ『闘う』ということ、『生きる』ということ。

こんにちは、ちあき です。

突然ですが、「リーガル・ハイ」というドラマをご存知でしょうか?

私はこのドラマが「結婚できない男」という阿部寛主演のドラマと同じくらい好きで、たまに録画したのを見返したりしています。

なぜ好きか?

私に考え方がすごく似ているからです。

承認欲求や不安や怒りや恐れで、生き方がぶれそうになったとき、主人公である「古美門研介」の言葉は、日和った腑抜けの私の胸を穿ちます。

今日はそんなお話。

 

「リーガル・ハイ」ってどんなドラマ?

2013年12月18日(水)に放送終了した、フジテレビのドラマです。

番組紹介

偏屈で毒舌な上に気分屋で超わがままだが、なぜか憎めない堺雅人演じる古美門と、社会正義の使命に燃えるが、かたくなで融通の利かない新垣結衣演じる黛という凸凹コンビに、岡田将生演じるまったく新しい世代の弁護士・羽生を加え、さらにパワーアップした『リーガルハイ』。視聴者の方々からの熱狂的な支持と、続編を切望する声に応える形で、凱旋を果たす「弁護士ドラマ」史上最も笑える極上のリーガルコメディに乞うご期待。

出演者

古美門研介…堺雅人
黛真知子…新垣結衣
羽生晴樹…岡田将生

安藤貴和…小雪

加賀蘭丸…田口淳之介
本田ジェーン…黒木華
磯貝邦光…古舘寛治(※本来の舘の字は、偏が舎)
☆☆
三木長一郎…生瀬勝久
沢地君江…小池栄子
井手孝雄…矢野聖人
☆☆☆
服部…里見浩太朗

スタッフ

【脚本】
古沢良太
(映画「三丁目の夕日」シリーズ 映画「キサラギ」 『相棒』 『外事警察』 『ゴンゾウ』など)

【企画・プロデュース】
成河広明
(『ラストホープ』 『遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~』 『ストロベリーナイト』 『謎解きはディナーのあとで』 『絶対零度』シリーズなど)

【プロデュース】
稲田秀樹
(『家族ゲーム』 『アンフェア』 『ジョーカー 許されざる捜査官』 『薔薇のない部屋』など)

【監督】
石川淳一
(『遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~』 『ストロベリーナイト』 『謎解きはディナーのあとで』 『ジョーカー 許されざる捜査官』など)

【制作協力】
共同テレビ

【制作著作】
フジテレビ

楽曲紹介

【主題歌】
「SLY」RIP SLYME

【オープニングテーマ】
「Re:」9nine

 

 

伝説の第9話 と 堺雅人の驚愕の演技力

そんな破天荒なリーガルコメディ「リーガル・ハイ」1期の第9話は、

「神回」として、伝説となっています。

第9話「恩讐の村人よ…美しき故郷を取り戻せ!!」 あらすじ

古美門(堺雅人)黛(新垣結衣)は、東京地方裁判所で女性霊媒師(千葉雅子)の弁護をしている。

原告の浜村(古澤裕介)は、女性霊媒師に合計500万円近くも支払ったにも関わらず、見合いは失敗続きで恋人ができないと訴える。

いつもの弁舌で浜村の訴えを退け、女性霊媒師に勝利をもたらす古美門。その様子を老人たちが見つめていた。

法廷を後にする古美門と黛。

そこに現れたのは、春夫(二瓶鮫一)、譲二(丹古母鬼馬二)ら老人たち。

譲二は突然、古美門に土下座をし、「俺たちの村をお助け下さい」と懇願する。

事務所に戻り、老人たちから話を聞く古美門。

彼らは南モンブラン市という、昔は絹美村と呼ばれていた山々に囲まれた美しい集落の出身。

必死な反対運動にもかかわらず、5年前に仙羽化学という大企業の化学工場ができてから、住民に健康被害が出ており、裁判で戦うために古美門の元を訪れたという。

大企業相手の公害問題訴訟、さらには顧問弁護士が三木(生瀬勝久)ということもあり、これまで依頼した弁護士には全て断られていた。

依頼を受けた古美門は、絶対に勝てない裁判だと断言し、老人たちの依頼をきっぱりと断る。

古美門特有の毒の効いた断り方に唖然とし、怒って席を立つ老人たち。

いつもの通り、黛がひとり南モンブラン市に赴くことに。

非協力的な古美門を批判する黛だったが、古美門はこの依頼を受けることができない深い理由を抱えていた・・・。

 

 

詳しくはぜひ本編をご覧いただきたいのですが、

まあいろいろあって、裁判は苦しいものになります。

仙羽化学は、系列会社のホテルの支配人を通じて訴訟側の老人を懐柔する作戦に出ます。

仙羽化学の代表取締役社長池部拓郎(神保悟志)自らが出向いて、
和解金として、2000万円支払うといい、商品券10万円を羊羹つきで配ります。

しかし、古美門は、ホテルの支配人の寝返りを写真をばらまいて指摘し、追い返します。

徹底抗戦の構えを崩さない古美門ら弁護士に対し、村人達は、2000万円あれば一人頭100万円、工場の誠意が知れればいい、和解を受け容れるのはどうか?、と言い出します。

「この世に金より大事な物がありますから」と。

大企業側の懐柔作戦に翻弄され、闘いを意気込んでいた村人たちは、「やっぱり辞めようかな…」と弱気になりだしたのです。

 

その様子を黙って聞いていた古美門でしたが、ついに村人たちに口を開きます。

 

素晴らしい!

皆さんのお考えに感服いたしました。さすがふれあいと絆の里だ。

それではそのように手続きしましょう。黛君、あとは頼んだ。さようなら。

 

(黛:先生これでいいんですか?)

いいんだよ。彼らが良いと言ってるんだから。ですよね?皆さん。

 

(村人:ええ、この世には金よりも大事なものがありますから。な!)

見たまえ彼らの満足そうなこの表情を。

ズワイガニ食べ放題ツアーの帰りのバスの中そのものじゃないか。

黛君よく覚えておきたまえ、

これがこの国の馴れ合いという文化の根深さだ。

人間は長い年月飼い馴らされると

かくもダニのような生き物になるのだよ。

 

(村人:何!?俺たちのこと言ってんのか)

 

他に誰かいますか?

自覚すらないとは本当にうらやましい。

コケにされているのも気づかないまま墓に入れるなんて幸せな人生だ。

 

(村人:あんたちょっとひどいんじゃないか?)

 

申し訳ありません

最初に申し上げたとおり

皆さんのような惨めな老人共が大っ嫌いなもんでして。

 

(村人たち:おい若造、お前何なんだよ!お前そんなに偉いのか!そうよ!目上の人を敬うってことがないの!?私たちは君の倍は生きてんだ!)

 

倍も生きていらっしゃるのに

ご自分のこともわかっていらっしゃらないようなので

教えて差し上げているんです。

いいですか?

皆さんは国に見捨てられた民、棄民なんです。

国の発展の為には年金を貪るだけの老人なんて無価値ですから、

塵取りで集めて端っこに寄せて、

羊羹を食わせて黙らせているんです。

大企業に寄生する心優しいダニ、それが皆さんだ!

 

(村人:てめえだってダニに寄生してる黴菌じゃねえか!あたしたちの何が気に入らないの)

 

かつてこの地は、一面に桑畑が広がっていたそうですよ。

どの家でも蚕を飼っていたからだ。

それはそれは美しい絹を紡いだそうです。

それを讃えて人々は、いつしかこの地を絹美と呼ぶようになりました。

養蚕業が衰退してからは稲作に転じました。

日本酒に適した素晴らしい米を作ったそうですが、

政府の農地改革によってそれも衰退した。

その後はこれといった産業もなく、過疎化の一途を辿りました。

市町村合併を繰り返し、補助金でしのぎました。

五年前に化学工場がやってきましたね。

反対運動をしてみたらお小遣いが貰えた。多くは農業すら放棄した。

ふれあいセンターなどという中身の無い立派な箱物も建ててもらえた。

使いもしない光ファイバーも引いてもらえた。

アリガタイデスネー。

絹美という古臭い名前を捨てたら

南モンブラン市というファッショナブルな名前になりました。

なんてナウでヤングでトレンディなんでしょう。

そして今、土を汚され、水を汚され、病に冒され、

この土地にももはや住めない可能性だってあるけれど、

でも商品券もくれたし、誠意も絆も感じられた。

ありがたいことです。本当によかったよかった。

これで土地も水も甦るんでしょう。

病気も治るんでしょう。

工場は汚染物質を垂れ流し続けるけれど、

きっともう問題は起こらないんでしょう。

だって『きずな』があるから!

 

(村人たち:うあーっ。はなせー!てめえなんかーぶっ殺してやる!。あんたなんかに、俺たちの苦しみがわかってたまるか!俺たちだってあんたの言ったことぐらい嫌というほどわかってる。みんな悔しくて悔しくて仕方ないんだ。だけど、必死に気持ちを押し殺して納得しようとしてるんじゃないか!)

 

なぜ?

 

(村人:なぜ?)

 

ゴミクズ扱いされているのをわかっているのに、

なぜ納得しようとしてるんです?

 

(村人:俺たちはもう年寄りだし)

 

年寄りだからなんなんですか?

 

(村人:具合が悪いのにみんな頑張ってきたんだ)

 

だから、なんだってんだーッ!!!

だからいたわってほしいんですか。

だから慰めてほしいんですか。

だから優しくされたらすぐに嬉しくなってしまうんですか。

先人たちに申し訳ないと、子々孫々に恥ずかしいと思わないのですか。

何が南モンブランだ。

絹美村は本物のモンブランより遥かに美しいと

どうして思わないんですか!

誰にも責任を取らせず、見たくないものを見ず、

みんな仲良しで暮らしていければ楽でしょう。

しかし、もし、誇りある生き方を取り戻したいのなら、

見たくない現実を見なければならない。

深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。

『闘う』ということはそういうことだ。

愚痴なら墓場で言えばいい!

金が全てではない?

金なんですよ。

あなた方が相手に一矢報い意気地を見せ付ける方法は、

奪われたものと踏みにじられた尊厳にふさわしい対価を

「勝ち取ること」だけなんだ。

それ以外に無いんだッ!

 

ニシキノハルオさん、あなたは元郵便局長だ。

幾度となく閉鎖されそうになった村の郵便局を最後まで守り抜いた。

モリグチサブロウさんは小学校の校長先生。村にいた子供たちはみんなあなたの教え子だ。

奥さんのヒサコさんは町のデパートの化粧品売り場で月間売り上げの記録の保持者。

ゴウダジョウジさんは実に100ヘクタールもの田畑を開墾した。

カワタサトコさんとご主人は田んぼをやりながら日雇いの仕事をいくつもいくつも掛け持った。

トミタヤスヒロさんは商店街の会長。毎年祭りを盛り上げて、あのクリスタルキングを呼んだこともある。

イタクラハツネさんは女だてらにクレーン車を動かし、六人の子供を育て上げた。

 

敗戦のどん底から、

この国の最繁栄期を築き上げたあなた方なら、

その魂をきっとどこかに残してる!

 

…はずだと期待した私が愚かでした。

いいですか?

二度と老後の暇つぶしに私を巻き込まないでいただきたい。

心優しいダニ同士

お互い傷を舐めあいながら穏やかに健やかに

どうぞくたばっていってください。

それではみなさん、さようなら。

これをワンシーンで言い切れるなんて、すごすぎません?

堺雅人さんの演技力には唯々感服するばかりです。

 

闘うとは何か?生きるとは何か?

生きていると、実に様々なことが起こります。

理不尽なこともあれば、因果応報、やったことが自分に返ってくることもあります。

アルコール依存症になって、アルコール問題が原因で会社から戒告処分を受け、いつ首になってもおかしくない。

給料がなくなったら、養う家族もいるし、大企業の力にはかなわないし、断酒しながら仕事するだけでしんどい。

雇ってくれているだけ有難いんだから、せいぜい頭を低くして日の当たらない場所で謝りながら生きていきましょう。

はぁ?ふざけたことぬかしてんじゃねーぞ?

 

生きづらさからお酒に逃げて、自分も他人も粗末にして、たくさんの人に迷惑をかけたし、自分の首も絞めた。

だから、なんなんだ?

だから、首を垂れて生きるのか?言い訳しながら、過去を悔いて愚痴ばかり小声でつぶやきながら一生を終えるつもりか、お前は?

冗談じゃない、冗談じゃないぞ! おい、ちあき、コノヤロウ!

お前はまだ生きているじゃないか。

まだたった30年と少ししか、生きていないじゃあないか。

「自分は何回か失敗したんで」って愛想笑いしながら、もう場末に引っ込むつもりか?

まだ早すぎるだろ! まだやれることあるだろ!

もっと失敗してもっといろいろトライする権利があるのに

それを唯一決められるお前が真っ先に諦めてどうすんだよ?

 

惨めに傷を舐めあって生きていくなら、

3年前に自殺を考えたときお前はなぜ、あのとき早めに死を選ばなかった?

生きたかったからだろう?

生きると決めたからだろう?

闘いを諦めるための言い訳に、己の無能さを使うな。

生きると、生きて闘うと決めたんだから、最後まで闘えよ。

どんなに惨めでも、どんなに苦しい闘いでも、決して、自分にだけは負けないと誓ったじゃないか。

だから今があるんじゃないか。

それを忘れて、見たくないものを見ず、聞きたくないことを聞かず。

逃げてるんじゃねーよ。

 

という、自問自答を思い出させてくれます。

生きる、とは、『己と己の人生を闘う』ということ。

 

 

誰にも責任を取らせず、見たくないものを見ず、

みんな仲良しで暮らしていければ楽でしょう。

 

しかし、もし、誇りある生き方を取り戻したいのなら、

見たくない現実を見なければならない。

深い傷を負う覚悟で前に進まなければならない。

 

『闘う』ということはそういうことだ。

愚痴なら墓場で言えばいい!

 

私には、日和ったときこの言葉がすっごく響くのでありました。

 

まとめ:「せっかくの命なんだから闘いましょうよ、誇りをもって生きていきましょうよ」と私は自分に言いたい

愚痴は墓場で言うとして、せっかく数十年の奇跡を両親のおかげでもらえたんですから、私たちは生まれた時点でボーナスタイムというか、すごい確率で宝くじに当選したみたいなものなんだと思うので、楽しまなきゃ損だし、せっかく生まれたんだから闘って闘って闘って、力尽きるときは前のめりに倒れて死にたいな、と思っています。

せっかくの命なんだから、どんな人でも、どんな失敗をした人でも、尊厳をもっていていい。

それを脅かす状況や相手には、一歩も引かず、徹底的に闘う覚悟を持つ。

そんな不器用でも熱い生き方は、何かを産むはずだと信じて、今日もぴくぴく瞼を愛でながら仕事しようと思います。

ではまた。


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【メンタル】嫌われる正論とは

こんにちは、ちあき です。

自分が嫌いで凹んでます。

人と接すれば接するほど、私は私が嫌いになるようです。

今日はそんな暗い話です。

 

月曜日

私のもとに会社の上司からのメールが来ました。

「ゴルフコンペを断ってください」

という内容でした。

理由は

「前後に長期有給休暇を取得しているから、前後の活動ができないから。」

と書いてありました。

私は、それは正しくない、と訂正しました。

「長期有給休暇を取っているからといって業務であるイベント参加を断る公式な理由にはならないし、休暇を理由に業務上の指示を出すべきではありません。しかも前後の活動ができるように工夫して休みを調整しているので、前後の活動は可能です。」と述べました。

上司は「活動というより事故した時に良くないし。ていうかゴルフを営業に使うのはやめてくださいね。お付き合いですから。」と言ってきました。

「事故のリスクが理由ならある程度納得できますが、当初提示した理由は納得できませんし、私はゴルフコンペを楽しいと感じたことなど一度たりともありません。お付き合いが会社のルール上出来てしまうから仕方なく応じているだけであり、使いたくないのは私も同じです。断っても評価を下げないかむしろ評価する、という会社からのオフィシャルな見解と文章があれば別ですが、それも無しに口頭で断れと言われても、実績低下のリスクが0ではない以上担当者としては了承しかねます。私が事故した場合のリスク管理の観点から私が出るべきではない、というのは納得なので、代役を立てて参加でよろしいですか?」

と述べたところ、

「じゃあそれでいい」

と苦虫を噛み潰したような顔で吐き出すように言われました。

じゃあ、って何が?

すごくイライラしました。

 

火曜日

私は別の事務所で毎月1回ある、エビデンスの勉強会とワークショップに参加しました。

その事務所は、クジ引きで回答者を当てていくクイズスタイルでした。

「事業所長も含めて、参加する全員が当てられるかもしれない恐怖感によって学習効率を上げたいから、この方式を採用しました。」と管理者が言っていました。

なるほどな、と思って説明を聞いていました。

私は序盤のクイズに立て続けに間違った回答をしました。

管理者が「これは重要なデータなので、間違えないでくださいよ!」と言い、皆が嗤いました。

私はひどく不愉快な気持ちになりました。

そこから身じろき一つせず聴講するようにしました。

管理者が進行途中で「空気を読みます」と言い出しくじを忖度しようとしだしたので、

「いや、別に今から空気読まなくていいですよ?先ほど私になさったように、間違えた人間を晒し者にして、皆にその恐怖を植え付け、恐怖感で学習効率を高める方針だと、冒頭おっしゃっていたじゃありませんか。その通りに運用なされてはいかがですか?

恐怖はより記憶に残りやすい、という論文を根拠にそういう運用方針になさったんですかね。

いずれにせよ、そうした手法をとることを決めた時点で、こういう殺伐とした空気になるのは目に見えていたでしょう。想定の範囲内のはずですから、今更それを理由に空気読む必要はないでしょ。」

と言いました。

私はその後当てられることはありませんでした。

質問があったので手を挙げて質問しました。

「このデータのこの薬効群のAとBの使用割合を教えていただけませんか?」と聞くと、

「その割合はテキストに書いてありませんでしたっけ?」と講師が笑いながら言ったので、

「ああ、私が冒頭のクイズに立て続けに間違ったので、『こいつはアホか予習してないかのどっちかなのに質問してるな』と勘違いされたのかもしれませんが、私は今朝5時から8時までテキストを隅から隅まで読んでからこの会議に参加しているので、このテキストに記載がないことは確認済みですし、むしろ記載がないから質問しています。

もし書いてあるとおっしゃるなら、何ページの何行目に何%だと記載されているか教えていただけますか?」

講師は「いや・・元論文には書いてありますよ」と言いました。

「いや、だからじゃあ元論文には何%って書いてあるんですか?って、聞いてるんですよさっきから。知ってるんですか、知らないんですか、どっちなんですか?」と言いました。

講師は「申し訳ありません、調べます。」と言いました。

 

嫌われる正論とは

私は妻にその話をしました。

妻は「あー、それは嫌われる正論だわ」

と言いました。

嫌われる正論とは、「正しいんだけど、それ言ったってしょうがないやん」という正論のことで、

正論とは違う、嫌われポイントは、「何もプラスを生み出さない」という点。

発言が周囲にプラスの影響を与えるなら発言には価値がありますが、何の価値も生み出さない場合は発言者が嫌われ周囲が不愉快な思いをするだけで、誰も幸せにならないのだ、だから、嫌われる正論なんだよそれは、ということでした。

 

確かにそれは正しいな、と思います。

私は小さい頃、性格が悪い、とかなんとかで、除け者にされイジメられてきたし、友人と過ごして楽しかった、という経験は恥ずかしながら経験したことがありません。

アルコールでラリって会ってときは仲間といるのは楽しいと勘違いしていましたが、前頭葉がアルコールという薬物でマヒしてそう錯覚していただけだと分かりました。

小学校辺りに、このままハブられ続けて社会から切り離され、社会不適合者のままでは生命が維持できないのではないか、と感じて、周囲に合わせて本音を言わず、それらしいコメントを模倣して発言することでコミュニティーに同調(擬態)して社会で生きる術を身につけました。

社会人になるまで過ごしてきましたが、生きている喜びは皆無でした。

妻と出会ってアルコール依存症に向き合い、自分らしく生きることの大切さに気づかされ、私が正直に思うことは別に悪いことじゃないんだ、と理解して、すこし生きるのが楽しくなってきたかも、と思える今があります。

しかし、私が考えたり発言したりすることは、悪いことではなくても、決して良いことでもないのだなぁ、となんだか最近は虚無感がすごいです。笑

結局、何もプラスを生み出さないなら、言わない方がいいんだし。

私は私らしく生きていると、自分にも皆にもプラスは生み出さない人間なんだなぁ、と。

マイナスなら生きていない方がいいじゃん、は卑屈すぎるし我ながら極論すぎかなぁと思いますけどね。笑

 

じゃあ自分らしく生きるって本当にいいことなの?

自分らしさや個性は、私は素晴らしいと思っていますし、そう思いたいです。

まぁ、なんていうか、一言で言えば、生きててずっといつも寂しいです。

見解の相違は意見をぶつければ当然起こるでしょうし、だから共通言語として科学やエビデンスがある、と考えています。

自閉スペクトラム症の私には心情を推し量ったり空気を読んだりするのが不得手なぶん、精一杯情報を共有するために一般的な程度と比較して、事実を重要視しすぎているのかもしれません。

今のところ、自分らしく生きていることが良いか悪いか?は、判断が難しいと感じています。

私の私らしさは、公共の福祉には反する気がしますが、そのまま生きたいか生きたくないか、は私が決めなくてはいけません。

自分らしく生きること自体は悪ではないが、自分と自分が所属する社会にとって必ずしも善ではないことも、あるのでしょう。

人に関わらなければ害悪ではないので、当面生きていく間は、私も悲しい思いや不愉快な思いをするのは好きじゃないので、必要最低限にとどめていこうかなと思います。

おつかれさまです。

【依存症】依存症と依存症の疑いの違いと様々な定義

こんにちは、ちあき です。

AAAの浦田直也氏の暴行事件が報道され、SNSで触れられることが多くなっています。

逃げた女性、追いかけて蹴る…AAA浦田容疑者

人気グループ「AAA(トリプル・エー)」のリーダー浦田直也容疑者(36)が暴行容疑で逮捕された事件で、浦田容疑者が逃げる女性を追いかけ、蹴っていたことが捜査関係者への取材でわかった。浦田容疑者は21日、東京地検に送検された後、釈放された。警視庁月島署が今後、任意で捜査を続ける。

捜査関係者によると、浦田容疑者は19日午前5時頃、東京都中央区のコンビニ店で、面識のない20歳代の女性に「飲みに行かないか。自分はAAAのメンバーだけど知らないか」と声をかけた。女性が「知らない」と答えると、平手で頬を殴り、店外に逃げた女性を追いかけて足を蹴ったという。

浦田容疑者は21日夜、所属事務所で記者会見し、「被害者に大変なご迷惑をおかけしたことを心よりおわびします」と謝罪した。事件前日の18日夜はウイスキーやワインなどを20杯以上飲んだといい、「最後は自分が何を飲んでいたのかもわからない状態だった。事件のことは記憶になく、警察から言われて知った」と話した。

出典:読売新聞記事

「彼はアルコール依存症か、そうでないか」について意見が結構分かれています。

依存症か、そうじゃないか、ってどういう基準で判断できるんでしょうか?

なんとなくモヤモヤしたので、エビデンスのある事実をもとに、考えをまとめてみたいと思います。

 

最新のアルコール・薬物使用障害の診断治療ガイドラインでの考え方

アルコール依存症の治療に関連して、新しいガイドラインが2018年に公開されました。

新ガイドラインは、プライマリケア医や内科医、研修医が治療に応じる機会の多いと思われる初期のアルコール依存症患者に焦点をあて、精神科などの専門医療機関でなくても対応が可能となることを目的として作成されています。

なぜなら、アルコール依存症は専門医療機関に紹介することが望ましいとされてきましたが、実際には専門医療機関の数が少ないといった医療資源の課題や、専門医療機関への紹介の同意が得られない方、遠方のために通院ができない方が一定数存在するといった患者要因などから、プライマリケア医や内科医、研修医が初期対応を行う必要があるからです。

また初期対応が可能になることでアルコール依存症の早期発見・治療につながること、ひいては治療のギャップを少なくすることに有用と考えられます。

今までアルコール依存症の治療は断酒の達成とその継続を目標とし、アルコール依存症の専門医療機関を中心に行われてきました。

しかしながら、断酒を治療目標とする事に抵抗感を持つ患者(特に初期のアルコール依存症患者)が多くいたことが、上記の治療のギャップの原因の1つと考えられます。

これに対し、近年、すぐに飲酒をやめることができない場合は飲酒量を減らすことから始め、飲酒による害をできるだけ減らすという“ハームリダクション”の概念が提唱されています。

この概念は、アルコール依存症の治療のギャップを少なくすることに有用と考えられ、わが国においても欧米に遅れることなく飲酒量低減という治療選択肢を加えた新アルコール・薬物使用障害の診断治療ガイドラインとして2018年に公開されたのです。

※「ハームリダクション」は、すぐに断酒できない場合の段階的に「減らす」中間目標であり、最終的には断酒がゴールになります。現在の医療において断酒ではなく節酒を推奨するという解釈は正しくありません。あくまで、初期のアルコール依存症の段階で治療から離脱してしまわないために、取り入れられた考え方です。

出典:新アルコール・薬物使用障害の診断治療ガイドラインに基づいたアルコール依存症の診断治療の手引き【第1版】

 

医師が依存症と診断する基準は2つ 「ICD-10」と「DSM-5」

アルコール依存症の診断は、主に『 ICD-10 精神および行動の障害 臨床記述と診断ガイドライン(新訂版)(医学書院)』が用いられます。

ICD-10に記載されている「依存症候群」は、ある物質を使用することが、他の行動よりもはるかに優先するようになる生理的、行動的、認知的な現象のことを指します。

精神作用物質(薬物など)、アルコール、タバコを使用したいという欲望が非常に強くなり、時に抵抗できないほど高まる状態です。

例として、アルコール依存症は、平日・週末を問わず、飲酒しなければ我慢しがたい欲求に駆られます。症状が重くなると、入手可能な物質ならどのようなものでも使用したいという衝動を常に感じ、使用を絶つと苦悩、感情の激しい高ぶりなどが見られるようになります。

 

■「ICD-10」診断基準

以下の 6 項目のうち、過去 1 年間に 3 項目以上が同時に 1 カ月以上続いたか、または繰り返し出現した場合 “アルコール依存症” と診断されます。

 

1、渇望:物質を摂取したいという強い欲望あるいは強迫感。

2、飲酒行動のコントロール:物質使用の開始、終了、あるいは使用量に関して、その物質摂取行動を統制することが困難。

3、離脱症状:物質使用を中止もしくは減量した時の生理学的離脱状態。その物質に特徴的な離脱症候群の出現や、離脱症状を軽減するか避ける意図で同じ物質(もしくは近縁の物質)を使用することが証拠となる。

4、耐性の増大:はじめはより少量で得られたその精神作用物質の効果を得るために、使用量を増やさなければならないような耐性の証拠(この顕著な例は、アルコールとアヘンの依存者に認められる。彼らは、耐性のない使用者には耐えられないか、あるいは致死的な量を毎日摂取することがある)

5、飲酒中心の生活:精神作用物質使用のために、それに代わる楽しみや興味を次第に無視するようになり、その物質を摂取せざるを得ない時間や、その効果からの回復に要する時間が延長する。

6、有害な使用に対する抑制の喪失:明らかに有害な結果が起きているにもかかわらず、依然として物質を使用する。例えば、過度の飲酒による肝臓障害、ある期間物質を大量使用した結果としての抑うつ気分状態、薬物に関連した認知機能の障害などの害。使用者がその害の性質と大きさに実際に気付いていることを(予測にしろ)確定するよう努力しなければならない。

彼は会見で「もうお酒は飲まない」と公言しましたが、もし再度飲み始めて1ヶ月経過しまった場合、1・2・6に該当するので、医師がその時点で診断するとしたら、「アルコール依存症」でしょう。

 

もう一つ、『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル(医学書院)』があります。

DSM-5では「物質使用障害」として、同様の疾患について記載されています。アルコール、大麻、幻覚薬、吸入剤、オピオイド、鎮静薬、睡眠薬、抗不安薬、神経刺激薬、タバコ、その他のすべてにおいて、強烈な渇望を抱くようになる状態を指します。

 

■「DSM-5」診断基準

診断基準は、「制御障害」「社会的障害」「危険な使用」「薬理学的基準」の4群に分けて考えることができる。一般的な評価として、2~3つの症状が当てはまれば軽症。4~5つの症状が当てはまれば中等度、6つ以上は重度の物質使用障害と考えられる。

 

基準1 その人は当初意図していたよりも、より多量にまたはより長期間、物質を使用するかもしれない。

基準2 その人は物質の使用を減量または制御しようという希望を持続的に表明しているかもしれないし、使用量を減らしたり使用の中断を試みたりした時の失敗を報告するかもしれない。

基準3 その人は非常に多くの時間を、物質の獲得、物質の使用、物質の作用からの回復に費やす場合がある。

基準4 渇望は薬物に対する強烈な欲求または衝動となって表れ、それはいかなる時も出現することがあるが、特に出現しやすいのは、かつて薬物を獲得したり使用したりした環境においてである。

基準5 物質使用を繰り返した結果、職場、学校、または家庭で果たすべき重要な役割責任を果たすことができなくなることがある。

基準6 物質の作用によって引き起こされたり、悪化したりした、社会上のまたは対人関係上の問題が持続したり、繰り返されたりしてもなお、その人は物質使用を続けるかもしれない。

基準7 物質使用の結果、重要な社会的、職業的あるいは娯楽的な活動が放棄されたり、縮小されたりするかもしれない。

基準8 身体的に危険な状況で物質を繰り返し使用するという形をとる場合がある。

基準9 持続的または反復性の身体的または精神的な問題が物質によって引き起こされた、あるいは悪化したらしいとわかっていても、その人は物質使用を続けることがある。

基準10 望むような効果を得るために必要な物質の量が著明に増大するか、または通常量を摂取した際の効果が著明に減弱する。

基準11 離脱。物質を長期にわたって大量に摂取していた人において、血中あるいは組織内の物質の濃度が減少した時に生じる症候。

 

つまり、「社会的障害」の項目である、5・6・7に当てはまるので、「軽度アルコール使用障害」と診断される可能性があります。

 

医学的には、この2つの基準の項目にあてはまる可能性が場合(自己診断ではなく、客観的にみて当てはまるという意味で)、「アルコール依存症の疑い」となり、「アルコール依存症」の病名が付くかつかないかは、医療機関で医師が診て決めます。

 

したがって、医学的には「依存症かそうでないか」を判断できるのは、『診断をする医師だけであり、私たち素人が無責任に、依存症かそうではないかを判断するべきではない』といえます。

 

「疑いがあるかどうか」はどう判断するの?

では、その前段階、「アルコール依存症の疑い」は、どう判断するのでしょうか?

一般的にアルコール依存症のスクリーニングには3種類のテストがあり、『新久里浜式アルコール症スクリーニングテスト』、『CAGEテスト』、『AUDIT』があります。

新久里浜式・CAGE テスト サイトリンク

AUDIT テスト サイトリンク

新久里浜式やCAGEはアルコール依存症専門病院で診断に使用されてきた実績があり、医療機関のHPによく掲載される傾向にあります。

おもしろいことに、AUDITはWHOが作成しているのですが、アルコール飲料製造メーカーが好んでHPに掲載しています。

メディアで得られる情報は限られますし真偽のほどがわからないのでこれは正確ではないかもしれませんが、得られた情報だけでスクリーニングテストを実施擦れると、いずれのスクリーニングでも浦田直也氏はハイリスクだと判断できます。

つまり、スクリーニングテストの観点で考えれば、彼は「アルコール依存症の疑い」であると言えます。

しかし、今回のケースは「ビンジ飲酒」によるものであり、アルコール依存症ではないのでは?という見解もあります。

 

「ビンジ飲酒」とは何か?

ビンジ(binge)とは、「大量に短時間で」という意味の形容詞です。

つまり、「ビンジ飲酒」とは、「大量に短時間で飲酒する行為」を指します。

では、大量・短時間の定義はなんなのか?

内閣府で平成27年6月12日に行われたアルコール健康障害対策関係者会議において、久里浜医療センターの樋口進委員が次のように用語を説明しています。

ビンジ飲酒(Binge drinking)

・ 短時間に大量に飲酒すること(日本におけるコンセンサスなし)
・ WHOでは「heavy episodic drinking(大量機会飲酒)」を、1回
60グラム以上の飲酒を30日に1回以上する飲酒と定義
・ 米国NIAAAは、「アルコール血中濃度が0.08g/dLに達する飲
酒」と定義。通常の男性は5ドリンク(70g)、女性は4ドリンク
(56g)を2時間以内に飲酒した場合」(米国の1ドリンクは14g)

 

アルコール60gとは、どのくらいの量なのでしょうか?

 

■アルコール20gに相当するアルコール飲料の量

 

日本酒なら、3合

ビールなら、1.5リットル

ウイスキーなら、ダブル3杯

缶酎ハイなら、4.5缶

これくらい空けてしまう日が月1回でもあったら、「ビンジ飲酒」です。

 

浦田直也氏は当時、朝まで飲んでいて酩酊状態になり、記憶がなくなっている状態です。

「ビンジ飲酒」により、記憶をなくす=「ブラックアウト」を起こしています。

このように、酔い方に異常があるケースを、「異常酩酊」と定義します。

 

酔い方の異常「異常酩酊」は2種類

飲酒してアルコール血中濃度に応じた通常の酩酊を単純酩酊と言います。

一方で血中濃度に対応しないような著しい興奮や幻覚などの精神症状を伴うような酔い方があり、異常酩酊として区別されます。一般的に酒乱と呼ばれる酔い方はこれに含まれます。

日本で使用されている代表的な酩酊分類にBinderの分類があります。

普通の酔っている状態から病的な酩酊状態までを3つに分けています。

そこでは単純酩酊と異常酩酊に大きく二分され、

異常酩酊はさらに

単純酩酊と量的に異なる複雑酩酊 

単純酩酊と質的に異なる病的酩酊 に 2種類に分類されています。

このような分類は、客観的な身体的指標によって決定することができず、症候学的な観察に基づいています。

 

複雑酩酊は、飲酒によって気分の刺激性が高じて、著しい興奮が出現します。持続時間はかなり長く、一時的に鎮まっても興奮が再燃して波状的な経過を辿ることがあります。平常時では抑えられている脳機能の衝動性や未熟性がアルコールによって賦活されたと考えられます。重大な情動犯罪や突発的な自殺につながることもしばしばあります。酩酊時の記憶は断片的であることが多いですが、概括的な記憶は保持されており、限定刑事責任能力が認められます。

 

病的酩酊は、意識障害があり、単純酩酊や複雑酩酊とは質的に異なる状態像を呈します。幻覚が生じたり見当識が失われて、周囲の状況への認知はほとんど不可能になっています。周囲から見ると了解不可能な言動を繰り返し、幻覚・妄想や状況の根本的な誤認から重大な犯罪に及ぶこともあります。刑事責任は原則的には無能力が認定されます。

 

ここで勘違いしてはいけないのは、刑事責任についてです。

「酔っていて覚えていないから責任能力は問われない」というわけではありません。

米国の全国司法統計の有罪者(14,000人余り)の約60%が犯行時にアルコールか薬物を使用し、約30%はアルコール単独の使用群であったという報告があります。

酩酊時の犯罪は一般に暴力や性犯罪につながりやすいことが知られています。

最近では、飲酒行動そのものは本人の自由意志に基づくものなので、その結果としての犯罪行為についても「原因においては自由な行為」という考えから、酩酊犯罪の責任能力に関して刑事政策的にかなり厳しい態度がとられる傾向にあります。

 

また、異常酩酊の基盤や誘引としては、遺伝的な素因・アルコール依存症・脳挫傷や脳梗塞などの脳器質性障害・極度の疲労や衰弱状態などが考えられています。

異常酩酊は繰り返すことが多く、事故や事件に繋がる危険性が高いため、断酒を始めることが必要とされます。

まとめ:なんかいろいろ書いてあるけど、結局どっちなの?

ビンジ飲酒であっても、異常酩酊であっても、その定義によって「アルコール依存症ではない」とは結論付けることはできません。
事実から言えることは、まとめると以下の通りです。
今回の事件を起こした本人は「異常酩酊」になっていた、それは「ビンジ飲酒」という飲むスピードと量の異常が直接的原因で引き起こされた。
そのような「異常酩酊」の背景(基盤・誘因)のひとつには、アルコール依存症が考えられるので、
「アルコール依存症」かどうかは、病院で医師の診断を受けなくては決定できないが、
「アルコール依存症の疑い」があると
医学的かつ客観的にスクリーニングと事件の状況からは、判断できる。
また、異常酩酊は繰り返すことが多いため、断酒を始めることが必要であると考えられる。
これに似た状況に、元サッカー選手の前園真聖さんのケースがあります。
厚生労働省の依存症啓発イベントにも参加している前園真聖さんはアルコール依存症ではないのでしょうか?
「アルコール依存症の疑い」ではあっても、専門病院で医師の診断がつかなければ、厳密にいえば「アルコール依存症」ではない、といえるのが、彼の状況だといえます。
■前園真聖さん 飲酒トラブル概要
2013年10月13日午前9時15分ごろ、自宅近くの路上で、タクシー運転手の男性の右頬を殴った後、右太ももを蹴った疑いで逮捕されたが、男性にケガはなく、その後釈放された。
また会見で報道陣から、過去の飲酒トラブルを聞かれると「昨年10月にも飲酒後、タクシー運転手とトラブルを起こしていた」と初めてではないことを明らかに。「(運転手の)物の言い方などに腹を立て、強い言葉を言った」と経緯を説明。このときはタクシーを手配した知人に運転手が苦情を入れ、前園氏本人が直接謝罪し解決した。
会見したこの日は、もともと香川県でサッカースクールがあり「酒で仕事を飛ばすとは…」と痛恨の面持ち。「言い訳できない。飲もうが飲むまいが、しっかりしなければいけない」と言った上で「断ちます。お酒は」と強い口調で宣言した。
以来、素晴らしいことに断酒をずっと継続しておられます。
専門病院による確定診断・通院・投薬などが行われていないという意味で、「アルコール依存症ではない」といえるでしょう。
しかし、本当に重要なのは、依存症か否か、なのでしょうか?
「アルコール依存症でないから、その人の人格の問題?」
「アルコール依存症だから、病気のせい?」
いやー、違いますよね。
「アルコール依存症であろうとなかろうと、犯した本人の罪は変わらない」
「アルコールで異常酩酊を繰り返す場合は、社会的責任を果たせないので断酒を始める必要がある」
この2つがまぎれもない事実です。
だから、AAAリーダーである彼はこれから被害者の方に対して犯した罪を償わなくてはいけないし、今後、自分のためにも断酒に取り組み始める必要があります。
病気や飲酒の有無は、犯罪の事実のとらえ方を変えるファクターにはなりえない。
病気でないからといって、彼を否定したり非難する権利は被害者以外には、誰にもない。
ただ犯した罪とその再発を防ぐためのメソッドとしての断酒があり、それができない場合の医学的アプローチとして「アルコール依存症」と分類したうえで診断・治療があるのです。
なんだか問題が混在している気がしたので、長くなりましたがまとめてみました。

とにかくまずは被害者の方の回復。

そして彼本人の回復を願ってやみません。

疲れたー。寝よ。


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【依存症】「松村断酒語録」に学ぶ『断酒』の心得とは?

こんにちは、ちあき です。

私たちの地域の断酒会では、「断酒の誓い」を参加者全員で声に出して読んでみる、ということを会の始まりに毎回やっています。

他の地域の断酒会はどうなんでしょうか?

私はまだひとつの地域しかしらないのですが、地域によっては断酒会のなかでもそれぞれのスタイルがあるとか。

おもしろいですね。

今日は、私たちの断酒会に参加すると配られる紙に「松村断酒語録」という53の言葉が載っていたので少し調べてみました。

 

松村春繁 というひと

松村断酒語録は、断酒会の創始者であり全日本断酒連盟初代会長である「松村春繁」の言葉を集めたものと言われています。

 

松村春繁はアルコール依存症患者です。

享年65歳(1905(明治38)年4月1日~1970(昭和45)年1月30日)。すでに亡くなっています。

後免町(現・南国市)の診療所・川田内科より紹介されて来院、下司孝麿が勤務する町田病院精神科外来を受診。1950年~1956年の6年間、高知市内帯屋町二丁目の町田病院内科に5回の入院を繰り返します。

『兄のアルコール依存症死』にも『今際の母の手が振り払った拒絶』にも『妻文子に常子の誕生』にも断酒できず、『主治医のなんともいえない顔』にこれは見捨てられては大変だと、ようやく断酒につながります。医師が医療の敗北を認め、そのとき松村に始めて断酒の意思が芽生えました。

凄絶な酒害体験を経て酒をやめたのは昭和32年、彼が52歳の時。以後65歳で亡くなるまで渾身の力で活動し、断酒会活動に身を捧げました。

昭和38年11月、全日本断酒連盟が高知で結成されたのは、彼の功績があってこそと言われており、いわば日本における『断酒会の始祖』です。

それまで日本では、アルコール依存症患者は「アル中」と呼ばれ、人格的な問題であり治らないもの、と見なされていました。その認識が偏見であることを日本中に知らしめたのが、松村春繁氏でした。

 

松村語録は、全国の仲間達がそんな松村春繁氏より得た、最も感銘の深かった言葉を53に集約し、以後「松村語録」として伝えています。

なお、全断連発刊の『指針と規範』は、この松村語録をもとに作成されています。

 

松村断酒語録

  1. 例会には必ず出席しよう。
  2. 一人で止めることはできない、無駄な抵抗は止めよう。
  3. 断酒に卒業なし。
  4. 今日一日だけ止めよう。そして、その一日一日を積み重ねよう。
  5. 前向きの断酒をしよう。
  6. 例会には夫婦共に出席しよう。
  7. 例会の二時間は断酒の話のみ真剣に。
  8. 自分の断酒の道を見出だそう。
  9. 断酒優先をいつも考えよう。
  10. アル中は心身の病気である。
  11. 例会で宗教や政治の宣伝をしてはいけない。
  12. 酒害者の最大の敵は自分自身であり酒ではない。
  13. 自信過剰は失敗のもと。
  14. 失敗したらすぐ例会へ。
  15. アル中は一家の病気である。
  16. 断酒会は、酒害者の酒害者による酒害者のための会である。
  17. 酒害者は酒のため墓場へ行くか、断酒会で酒を断つか二つの道しかない。
  18. 会員は断酒歴に関係なく平等である。
  19. 自覚なき酒呑みの多い中で入会された勇気に敬意を表する。
  20. 断酒会員には普通の人より何か優れたところがある。
  21. 節酒は出来ないが断酒は出来る。
  22. 飲酒に近づく予防のため自己の酒害を常に認識しよう。
  23. 酒害者に対する奉仕は自分の断酒の糧である。
  24. 仲間の体験をよく聞き、自分の断酒を再確認しよう。
  25. 家族、同僚の協力を得るために、絶対飲んではいけない。
  26. 断酒会に入会すること。
  27. 最初の一杯に口をつけないこと。
  28. 時間励行。
  29. 仲間に励ましの手紙を書こう。
  30. 全国組織の拡大につとめよう。
  31. 厳しさのないところに断酒なし。
  32. 実践第一。
  33. 他力による断酒ではなく、自力、自覚の上に立つ断酒であること。
  34. 失敗しても悲観するな、成功への糧とせよ。
  35. 消極的だが初心者は酒席に出ないこと。
  36. 姓名を堂々と名乗り、断酒会員であることを明確にせよ。
  37. 各人の性格の相違を認め、各人が自らの体験を通じて体得せよ。
  38. お互いが欠点や失敗を話し合って、裸の触れ合いが出来るように努めること。
  39. 酒の奴隷になるな。
  40. 断酒会員であることを誇りに思え。
  41. どんなことがあっても会から離れるな。
  42. 条件をつけて断酒をするな。
  43. 酒害者の最後の一人までも残すな。
  44. 素直な心で話を聞こう。
  45. 一年半したら会の運営に参加しよう。
  46. 私の屍を乗り越えて断酒会を益々発展させて下さい。
  47. 一県、一断酒会。
  48. 会員は人に疑われるような場所に行くな。
  49. 初志貫徹。
  50. 君と僕は同じ体質だ。断酒するより他に生きる道はない。
  51. 語るは最高の治療。
  52. 例会は体験発表に始まり体験発表に終わる。
  53. 聞くは最高の治療。

引用:公益社団法人 全日本断酒連盟 ホームページ

https://www.dansyu-renmei.or.jp/zendanren/goroku.html

 

いかがだったでしょうか。

この語録、その時々、回復の段階で心に響く箇所が変わるような気がするので、おもしろいです。

今見返してみても、「そうだなー」と思うことは変化しているように感じます。

スリップして打ちひしがれていたとき目に飛び込んできたのは、

「一人で止めることはできない、無駄な抵抗は止めよう。」だったなー、とか思い出します。笑

参考になれば幸いです。

 

ではまた。

【依存症】コントロール不可能なことをコントロールしようとしてません?

こんにちは、ちあき です。

今日は断酒会でした。同じ依存症でも、本当にいろいろなひとがいますね。

断酒会の話は秘匿義務があり会のメンバーじゃないと話せないんですが、みんなに知ってもらいたいくらい本当におもしろいそれぞれのストーリーがあります。

Twitterで「市販の物差しで測れるような単位で生きてる人ばかりじゃないンだよ、それぞれ特注」というコメントを拝見してすごく心に響いたので、今日はそんな話をしたいと思います。

 

「許せないこと」はどんなこと?

私は、いろいろ許せませんでした。

例えば、ゴルフ。

明日は接待ゴルフです。私は2年前、明日と同じ得意先との接待ゴルフが嫌で嫌でスリップしました。

「次飲んだら離婚」って妻に言われていたのに、ハイボール3リットル近く飲みました。

 

得意先はゴルフに厳しいタイプでした。

「スコア100切れないのは、真剣に練習していないからだ。練習しろよ~。」

「体鍛えてんのに、こんなにゴルフ下手なんて信じられない、何のために鍛えてるの?」

そんなことを言いながらガハハと笑って断酒してる私の前でビール飲みまくる顧客。

殺意を覚えました。笑

 

でも、一番許せなくて大嫌いだったのは、「自分自身」でした。

ゴルフが下手なかっこ悪い自分。

過去の失敗で降格された惨めな自分。

何より、馬鹿にされても言い返せない、こんなにも情けない自分。

 

そういう大嫌いな自分を見たくなくて、飲みました。

 

帰り道は、後悔で心の中はドロドロでした。

風呂に入っても、サウナに入っても、全然抜けないお酒(3リットル飲んだらそりゃ抜けないよね)。

息も臭い。体中がお酒の匂い。

絶対バレる。

バレたら離婚。

いや、バレないんじゃ…?

というかとても言えない…

でも言わないと…また信用を裏切った

嘘ついた時のあの悲しい顔をまたみるのか…

それは嫌だ

でも正直に言うのも怖い…

 

ぐるぐるぐるぐる。いくら考えても、「飲んだ」っていう事実は変わらないのに。

何度も間違える自分が、最も許せない存在でした。

 

その「許せない」って、コントロールできないことじゃない?

でも、自分は「自分」でしかないんですよね。

 

アルコールに負け続けてきた自分。

人に嫌われることが恐ろしくてたまらない自分。

自分の言いたいことも言えない自分。

誰かに認めてもらわないと安心できない自分。

 

ぜーんぶひっくるめて、私は「私」でしかない。

 

人の生き方も個性も、それぞれ全部『特注品』なのだから、

一つも欠けてない人間なんていないし、全部正しくできるわけない。

 

「世間的に」「常識的に」正しいか間違っているかを判断するのは、実は簡単です。

自分にとって「正しい」かどうか、それが自分や自分以外の人にとって「優しい」かどうかを判断することのほうが、よっぽど難しいことです。

 

「自分が許せない」と思ってきた私は、「自分をコントロールできる」と思い込んでいたと思います。

そんなこと、できなくて当たり前だったのに。

いろいろな人が関わって私の人生や私は形作られていくのに、それをコントロールしようとすることは、関わる全ての事象や人物をコントロールしよう、と考えることです。

 

今日、妻と娘と愛犬2匹で散歩をしているときに、娘の将来の話になりました。

私「娘ちゃんはどんな人生を生きるんだろうか」

私「俺みたいにお酒で失敗しないといいけど…」といった私に、

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、そうだね~ と言いながら妻は次のように言いました。

妻「でも、娘ちゃんが生きる人生だから、本人が決めるよ。飲むか、飲まないかも、本人が決めて、経験して生きていくんだから、私たちには結局コントロールすることなんてできないよね。伝えることと、信じることの2つくらいしか、親だけど他人の私たち二人にできることなんてないのよ。」

何気なく言われたこの言葉に、ガーンと頭殴られたみたいでした。

 

あんなにあれやこれや言ってきて私をコントロールしようとしてきた共依存の自覚がない実母を憎んでいたのに、同じようなことを考えていたんだな、と。

 

自分の人生すら、こんなに波乱万丈でコントロールできたことなんて何にもないのに、

いわんや他人の人生をや、ですよね。笑

娘といえど、妻といえど、息子といえど、自分ですら、ないのだから。

コントロールすることなど、できるはずがないのです。

 

コントロールしたくなるのは、結果が欲しいから。

結果が欲しいのは、自己肯定感がないから。

自己肯定感は、「〇〇ができているから自分は価値がある」ではないんですよね。

「こんなに欠けてばかりの自分も悪くない、こんなのでも、そのままで安心して生きていてもいいんだよね」と思えることですから。

 

結果的には、どんな人生でも、一生懸命生きている限り、それぞれ特注のストーリーがあり、特注に値する価値がある。

なぜなら、存在するということは、それすなわち影響する、ということだからです。

この世界に、影響を少なからず及ぼしている。それは、まぎれもない価値です。

だから、どんなに欠けていても、どんなに至らなくても、それは貴重な「特注品」なんですね。

 

まとめ:コントロールできなくても、いいじゃない

私は、お酒でたくさんの人に迷惑を掛けました。

会社で最下層まで降格されましたし「辞めてほしい」と何度も言われたことがあります。

めったに泣かない妻を泣かせ何度も裏切りました。

だけど、その根本は、コントロールできないものに一生懸命力を注いで疲れ切ったから。

なんで一生懸命力を注いだか?

一生懸命この辛い人生を自分なりに生きようとしたからじゃあ、なかったか?

 

じゃあ、やってきたことは間違っていたけれど、もともと思っていた私の素直な気持ちは、素直な私はそんなに悪いやつじゃなかったんじゃないの?

そう思ったら、俺みたいなのでも素直に生きててもいいんだな、ってやっと思えました。

ゴルフが下手でも、いいじゃない。

仕事が完璧じゃなくたって、いいじゃない。

ゴルフなんてただの玉打ち遊びなんだし、仕事も人生のほんの一部なんだから。

そんなことに怯えながら、キョロキョロおどおど、しなくていいじゃない。

自分に素直に生きたほうが、私の場合は、お酒を飲んでいたころより幸せなことに気づきました。

飲まないで生きている今のほうが、飲んでいた時よりも幸せだなんて!

断酒し始めは信じられませんでしたよ。

「あー、唯一の支えを頼れなくなった…オワタ」と思ってました。

「あとの人生は何の楽しみもないけど生きないといけないから生きる消化試合」みたいな。笑

そう思って断酒辛くなる時、あるじゃないですか。

でも、私の場合は、断酒して1年9ヶ月の『今が一番幸せ』だと思います。

だから、私は断酒してよかった、と思うし、これからも断酒して生きていきたい、と思うのです。

 

今日はこれまで。

読んでくださってありがとうございました。

 


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【依存症】断酒会ってどんなことするの?(アルコール依存症)

こんにちは、ちあき です。

昨日は久しぶりに断酒会に行けました。よかったー!

私が通院している病院の断酒会は毎週土曜日にあるんですが、研究会のお手伝いやらゴルフやら花見やら、この季節は本当に得意先の行事が多すぎて土日がほぼ潰れるんですよね…。

何を隠そう、私はこの断酒会に繋がれたおかげで断酒が継続できるようになりましたし、逆に離れたことによって1回スリップしています。

そんな私にとってかけがえのない断酒会という会、いったいどんな会なの?ということで今回は書いてみたいと思います。

 

断酒会=アルコール依存症からの回復を目指す「自助グループ」

自助グループ、という言葉も聞きなれないかと思います。

こちらの過去記事 で展開過程やどのような作用が期待できるのか、社会福祉士としての視点でまとめています。

簡単に言えば、「やめたいと思っている依存症当事者やその家族が自ら主体的にお互いを助け合うためのグループ」です。

特に依存症からの回復には、自助グループの力が欠かせないと言われています。

 

断酒会って、具体的には何するところなの?

こちらが私たちの断酒会のタイムスケジュールです。

19:00 集合 会がスタート

断酒の誓い を皆で唱和する

①家族側 の酒害体験を話す

②当事者側 の酒害体験を話す

21:00 終了 解散

当事者やその家族が、正直な気持ちや、失敗について振り返り、話す会です。

特徴的なのが、「聞きっぱなし」「言いっぱなし」です。

誰が何を話しても、黙って聞くだけ。否定したりしません。

逆に、何を話しても否定されることはありません。

だから、自分がその時に感じていること、

たとえば「正直言って今すぐにでも飲みたい」とか

「家族が憎くて毎日首を絞めてしまいたいと思っていた」とか

とにかく話して、とにかく聞く。

 

これだけ?これだけで何が変わるの?

 

と思うでしょう?

 

私も参加する前はそう思っていました。

「こんな人生踏み外したアル中ばっかり集まって、何を話したって無駄だ」

「何、傷の舐めあいしてんだよ、くだらねーな」

「みんな断酒してるとか言って本当は裏で酒飲んでんじゃねーのかよ」

って、正直思ってました。(笑)

 

でも、ずっとみんなの話を聞いていて、

私の話をする番が来て、

もうどうしたらいいかわからなくてたどり着いたことを話して、

何も言わずに同じような悩みで苦しんできた人がただ黙って聞いてくれて、

それだけで、帰り道、涙がとまりませんでした。

 

「ああ、ひとりじゃなかったんだ」

 

って、心底思いました。

だって、その断酒会には、たくさんいたからです。

苦しんだ自分、酒をまだ飲みたい自分。

自分と同じ気持ちで、それでも自分に向き合っている「もう一人の私」がたくさんいたからです。

世間の常識でも間違っている、私も間違っていると思っている、

でもどうしようもないこの感情を、そのまま話してそのまま聞いてくれる。

「そういうこともあるよね、わかるよ。」という心が、言葉でなくても感じる。

私は私が思っていることを自分自身でも、受け容れられていなくて

でも誰かに受け容れてほしかった、私自身も受け容れたかったんだ、と。

 

私たち夫婦が入室した時、老夫婦がニコニコしながら迎えてくれました。

その人たちは壮絶な酒害体験を経て、今26年断酒して夫婦仲良く暮らしていました。

「こんな未来があるのか」「まだ死ななくてもいいのかもしれない」

私たちにとって、その後姿が、どれだけ救いになったことでしょう。

 

「理解と共感で心の穴が埋まる」

「安心できる居場所ができる」

 

そんな風に、私たちにとっては、素敵な出会いが断酒会にはありました。

 

お金はかかるの?誰でも参加できるの?どこで探せばいいの?

断酒会は、「断酒会」と「家族会」など、いくつか酒類があります。

  • 断酒会…依存症当事者とその家族が参加する会(本記事で取り上げている会)
  • 家族会…当事者は居なく、家族だけで集まる会
  • 女性の会…女性だけで当事者や家族が集まる会

本人がいる前では話せない人や、女性だけでないと話しにくい内容がある人も素直に話ができるように、様々な形式があります。

 

そして、断酒会は会費制です。

私の会では、毎月500円ですね。そんなに負担にはなりません。

「世話人」と呼ばれるリーダー役の人がいます。

司会などを担当してくれていますが、その人に会費を毎月月初に渡すかたちです。

特に参加資格などはなく、事前の連絡も必要ありません。

ちょっと早めに来て、「今日は初めてです」と言えば、快く受け入れてくれます。

安心して覗いてみてください。

 

公益社団法人全日本断酒連盟

☝全国にそれぞれ断酒会がありますので、お住まいの地域で近いところを探してみてください。

断酒会も雰囲気がそれぞれ違うので、素直に話しにくいな、とか、ここで話を聞いているとつらいな、ということもあると思います。

もしそう感じたら、「自分が安心できる断酒会」を探していくつか顔を出してみてください。

貴方の居場所はどこかに必ずあると信じています。

 

だらしない夫じゃなくて依存症でした 第6話

☝この漫画がわかりやすく自助グループについてまとめてくださっています。

ここまで読んでみて、ちょっととっつきにくいな、と感じた人は、ぜひ読んでみてください。

もっとわかりやすく書いてくださってます。

 

まとめ:断酒の誓い

いかがだったでしょうか?

最後に、いつも断酒会で言葉に出す「断酒の誓い」と書いて締めくくりたいと思います。

いつも、この言葉は新しい発見があって、奥が深いなぁと感じます。

 

一、私たちは酒に対して無力であり、自分ひとりの力だけではどうにもならなかったことを認めます。

一、私たちは断酒例会に出席し、自分を率直に語ります。

一、私たちは酒害体験を掘り起こし、過去の過ちを素直に認めます。

一、私たちは自分を改革する努力をし、新しい人生を創ります。

一、私たちは家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをします。

一、私たちは断酒の喜びを酒害に悩む人たちに伝えます。

 


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では、また!