【発達障害】私の正論へのこだわりは「正論への恨み」から来ていたという話

こんにちは、ちあき です。

さて、私はASD(自閉症スペクトラム)という発達障害で、ADHD(注意欠陥・多動性障害)も併存しているタイプです。

そんな私は正論に対するこだわりが強い傾向にあり、よく会議やディスカッションになると論理的に正しいかどうか、社会的に意義があるかどうか、という視点で考えてしまい、よく他人の主張や感情とぶつかります。

言っちゃえば、すぐ揉めます。

このように、中堂系さんみたいなことを会議で言ってよく空気が最悪になります。

なんでなんだろう…?と思っていた矢先、Twitterで素晴らしいサイトに出会いました。

私がハッとした「アスペルガー研究家マスペルさん」のtweet

マスペルさんのサイトがこちらになっており、詳細が掲載されています。

サイトから引用させていただきました、こちらの文章が実におもしろい。

アスペルガーASDは皆元々は積極奇異型であるという仮説

私の仮説にアスペルガーASDは元々は積極奇異型であるというものがあります。

積極奇異型は最も感情的で自己本位なタイプと言われています。

感情的、自己本位的に振る舞った結果周囲の人との間にコミュニケーションの問題が起き、これじゃダメなんだと思い自分を抑えて周りの言うことを聞くように適応していくと受動型へと変化していくと思われます。

受動型になると周りの言うことに合わせて自己を抑え合わせるのでどんどんとストレスが大きくなっていきます。

その結果もう限界だと感じるようになると自己を抑えることをやめて他人から遠ざかり関わることをやめる孤立型へと変化していくと思われます。

ツイッターでこの仮説についてツイートしたところ、子どものときはガンガン自分から行く積極奇異型だったが大人になっていくうちに周りと衝突し孤立型になったというリプライや、受動型だったが周りに合わせるのがしんどくなって孤立型になってきたというリプライをいくつもいただきました。

この考察をもとに私の成育歴を振り返る

先ほどのtweetに対する私の反応がこちらです。

興奮してます。笑

①積極奇異型シーズン:生後~小学校低学年

とにかく幼稚園でも学校でも習い事でも浮きまくっていました。笑

どこに行っても仲間外れにされたし、いじめられました。

言いたいことを言語化できないもどかしさで殴ったり物を投げたりする攻撃性を大人からも子供からも非難されたことや、ドハマりすると24時間でも延々平気でやってしまう極端さが「集団で仲良く遊ぶ」という幼稚園や学校が奨励する価値観と真逆で『厄介な子供』扱いされたことなどが、背景にあったように思います。

当時は、美術と図画工作が好きでした。

材料を使って『好きなように何をしてもいい』という授業は心が躍りました。

しかも、好き勝手に発想したことをやればやるほど褒められる。

こんなことは他の授業や習い事では未だかつてなかったので、どんどんエキセントリックなことをやりました。

それが気に入らないいじめっ子が、賞をもらった私の絵を一生懸命「たいしたことない」と罵り、嫉妬からいじめが激化しました。

やがてそうした副作用が面倒になり、美術や図画工作も楽しくなくなりました。

そんな感じでどんどん歪んでいった私はだんだん周囲の人間は憎いもの、という認識を形成していき「俺から時間や尊厳を略奪したり大好きなものをこき下ろすクラスメイトなど、敵と同じだ。敵なら自分がやられる側でも文句言えないだろう」などと考えはじめ、いじめっ子や日和見主義のクラスメイトたちにいじめられたらとにかく『奪われたら奪い返す。やられたらやり返す』という生き方をしていました。

②受動型:小学校高学年〜大学2年

そんな生き方をしてきてどんどん嫌われていきました。

私が発言すれば皆が異を唱える、という具合で、四面楚歌になり、学校で終業間際に行われる「クラス会」は毎回紛糾しました。

まさに私にとって会議は今も昔も鬼門です。

多勢に無勢。

徒党を組まれてはたとえ独りで奮闘していてもいずれ押さえ込まれ屈服させられる。

今までのスタイルに対して敗北感と危機感を持ち始めます。

私小学校3~4年のころだったと思いますが、ある事件が起こりました。

ある日、砂場で一人きりで丹精込めて作っていた砂の城を、いじめっ子の主犯格Fくんが

「イエーイ」と言いながら踏みつぶしてきました。

ニヤニヤしたその顔を見た瞬間、私の中で何かが切れました。

追いかけましたが、足が相手のほうが早いので勝てません。

先生を呼ぼうか…いや、大人は私を認めてくれないのであてになりません。

しかたない。自分で報復するしかない。

私はその子のランドセルの中身が大事なものだと知っていたので、置いてあるランドセルをつかんで走り、池に投げ捨てました。

その子は泣きながら私に蹴りを入れようと走ってきたので、身を躱したところ、池に落ちました。

それを見て千載一遇のチャンスに舌舐めずりしました。

「こいつは何回も『やめてよ』と訴えたがいっこうに改善されないんだからしかたない。最早ここで殺すしかない。」

とランドセルをつかんで上がろうとするFくんの顔や手を踏みつけて池に蹴り落とし続けました。

誰かが通報したのか、先生が慌てて2~3人飛んできました。羽交い絞めにされるまで、ずっとその子を殺そうと蹴り落としていました。

その事件はクラス中を戦慄させました。

私が大した力がないと見くびっていたいじめっ子グループや日和見主義のその他大勢も、私を恐れているのが翌日のクラスの様子で分かりました。

ここらで『擬態』するしかない。

私はその突き落として殺し損ねたいじめっ子の主犯格Fくんに作り笑いを浮かべて

「昨日はごめんね」と皆の前であえて自ら歩み寄るポーズをとりました。

これでどちらが人間的に上か印象付けることができる、と考えて先手を打ったわけですが、

これが功を奏して「怒ると怖いけど優しい」というイメージを周囲に鮮烈に植え付けることができました。

そこからとにかく他人に気を遣う生活になりました。

学校では登校時と下校時が最も苦痛でした。

なぜか?あいさつしなくてはいけないからです。

もれなくあいさつしなくてはならない。目が合ったりすれ違ったのに挨拶をし忘れて「無視した」と思われてはならない。笑顔で過ごして印象を悪くしてはならない。

集団で団結したときの他人の脅威をこちらに向けられないよう過ごしていたら、うわべだけの友人・仲間がたくさんできました。

自分の気持ちを押さえつけて押さえつけてとにかく集団に馴染む。擬態する。

安全でした。でも、実につまらなかったです。

③孤立型になりかけ:大学3年〜今

少し本音を出したり自分を出すと、不協和音を奏でる私の性質に辟易として、他人との関わりにもう限界を感じ始めた高校時代。

大学に入り、アルコールを知りました。

アルコールを飲めば前頭葉を麻痺させ感情を開放して普段押さえつけている本音が出せる。

受動型でため込んできた鬱屈したストレスを開放することができる。

しかも、「酔っていたから」という理由で多少破天荒なことを言ってもやっても許されるので、どんどん酒にハマっていきました。

これが悪魔的に素敵に愉快にキマってしまい、良くも悪くも相乗作用を発揮したといえます。

特に親しい友人数名としか飲み交わさず、本音も明かさず、話さなくてもいい、最低限の繋がりのみで生きていける大学生活はかなり快適でしたが、それも長くは続きませんでした。

そう、社会人生活です。

私立大学で、通称「やめと経済学部」と揶揄される文系の有象無象が集うマンモス学部、経済学部をただ卒業しただけの、なんの特色もない私が行きつく新卒採用ポストは、定番の営業職しかありませんでした。

嫌でも毎日他人と話をしなくてはなりません。

それが仕事だから。

受動型の時代とは比較にならないほどのストレスを抱えていきます。

それを晴らすために毎日浴びるように飲みます。

その結果、社会人にあるまじき失敗をするようになります。

どんどん自尊心が削られていきます。

次第に必要最低限のことしか話さなくなり、失礼だなんだと文句をつけられないように、慇懃無礼なほどの丁寧語でしか誰とも話さなくなっていきました。

妻に言わせると、最初に合コンで出会ったとき

「ロボットみたいな人だな」

と思ったそうです。(なのになぜ付き合ってくれたのか謎)

気を遣っているのがまるわかりの、常に強張った顔。(なんなら瞼は痙攣)

言われた言葉を分析して応答するまでにパターン化して〇×を判断していたので応答が遅い。

ギャグと嫌味の区別がつかないのでとりあえず愛想笑い。

そんな感じでした。

アルコール依存症になったことが、気づきを与えてくれた

とにかくもう自分に自信がなかったです。

そのまま生きていたら嫌われてきた。

だから擬態しないと、この世の中では生きていけない。

しかし、生きていくために擬態すると、ずっと理性で感情を抑えているから苦しくてたまらない。

だから、アルコールで緩和してきたけど、それももう限界に近づいている。

アルコール依存症だと診断されるまでの新社会人の約5年間は地獄のようでした。

「るろうに剣心」の登場人物の、瀬田宗次郎にシンパシーを感じていて、ずっと心から離れなかったセリフがあります。

所詮この世は弱肉強食

強ければ生き、弱ければ死ぬ

殺さずとか、弱いものを守るとか

貴方の言うことは間違いなんだ

あのとき貴方は、僕を守ってくれなかったじゃないですか

貴方が正しいというのなら

なんで守ってくれなかったんです

あのとき、誰も僕を助けてくれなかった

僕を守ってくれなかった

あの時僕を守ってくれたのは

志々雄さんが教えてくれた「真実」と、一振りの脇差だった

だから間違っているのは、貴方なんだ

このシーンになんで心が揺さぶられるのかなぁ、と思っていたのですが、ようやくわかりました。

たしかに、私はずっとイライラして生きてきました。

「俺が正しくないというのなら、お前らはとことん正しいんだろうな?」と

他人に対して自分に対するのと同様に常に正論とルールにこだわり、外れるものを許しませんでした。

他人が、私のありのままを許してくれなかったことに対して、恨み憎んでいました。

でも、自分が幼少期にされて性格が歪むほど嫌だったことを、他人にまで強いて徹底して主張してきたのか…。

と思うと、なんだかやるせない気持ちです。

本当はありのままに生きたかったのに、そうさせてはもらえなかった。

そのままの自分を受け容れてもらえなかった。

だから、こっちは死ぬ気で我慢しているんだ。

俺が我慢してるのに、否定してきたお前らは我慢しないなんて、ずるいじゃないか。

正しくないと私にいうのなら、あなたたちは徹底的に正しくいてくれなくては嘘だろう?

正しくないのに、私に間違っていると言うな!

間違ってもいいというのなら、どうしてあのとき私を許してくれなかったんだ?

全部おかしいじゃないか。

という怒りが私を正論に駆り立てていたんだなぁ、と気づいてすっごくすっきりしました。

また、生きてるだけでストレス抱える理由もわかりました。

受動型で周囲に合わせて理性で抑え込んでいるからだったのか。

だから、アルコールやタバコなど依存物質に頼って脳を弛緩させたかったのか。

これらを解決するためには、

誰よりも私自身が、私に対して

「そのままで生きていていい」

という許可を出すしかないのだと思います。

偽らなくてもいい。

正しさにこだわらなくてもいい。

感じるままに感じてもいい。

やりたいと思うことをやってもいい。

そういうカギをひとつひとつ解除して自分を解放してあげたいなと思います。

剣心から「真実の答えは己の人生の中から見出せ」と諭されて歩き始めた宗次郎のように。

ではまた。

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