【AC】恨みこそ生きる原動力だった私が、恨みを手放したい理由
恨みこそ、私が生きる原動力だと思って生きてきた。 私に、死なずにもう少し生きようと思わせてくれたのが、恨みだった。 私が当時生きるために、恨みや憎しみはなくてはならないものだった。
恨みこそ、私が生きる原動力だと思って生きてきた。 私に、死なずにもう少し生きようと思わせてくれたのが、恨みだった。 私が当時生きるために、恨みや憎しみはなくてはならないものだった。
私は、人に認められること=承認欲求へのこだわりから離れられず、この執着のために日々の生活がままならなくなっていることを認めた。
自分の無力さをみたくない、そんな怖いことは認めたくないので、他人や自分をコントロールしたいのだ。
「われわれの意志といのちの方向を変え、自分で理解している神の配慮に委ねる決心をする」
「自分の本心以外の何かに隷属する」ことが美徳とされる共同体での在り方とは対極に位置するのが、個としての最適化である。
やりたくないことで毎日がいっぱいになって、本当は何をしたかったのか、どう生きたかったのか、わからなくなっているのである。
狡く巧く生きる人をたくさん見てきて「私はなぜあんな風にできないのだろう」と自分以外の誰かと私を比べては、妬ましく思ってきた。
我々は見えないところからあらゆるひとにイネイブリングされコントロールされて育ってきた。だから自分も他人を「コントロールできる」と信じられる。信じてしまう。
「もう酒はこりごりだから飲まないようにしようと思う」と話すと、「ちょっとくらいなら飲み過ぎることもあるよ」「俺も若い頃はいろいろ失敗したもんだ」などと引き留めてくれる。実に心優しい仲間たちに思えた。
私は、妻と出会って付き合おうと考えた当時、共依存的な関わり方をしていたと思う。