誰が何と言おうと、自分が信じるようにやるのが一番よい。
結果的に自分にとってだけではなく、他人にとっても、最もよい。
あなたの心が「最良」「最善」と感じたのなら、
その感覚に従うのが最も適切な選択だ。
他の選択肢はない。
「たられば」は存在しない。
常に自分の心に素直に耳を傾け、その声に従って進めばよい。
この生き方はとても勇気がいる。
何故なら誰かのせいにはできなくなるから。
どんな結果になっても受け容れて納得するしかない。
でも、勇気がないからと決断を他人に委ねたとて、結果がともなうとは限らない。
だれも結果の責任など取れはしない。
結果はコントロールできないものだから。
つまり、自分で決めるにせよ、他人に決めてもらうにせよ、どっちに転んでも結果はなるようにしかならない。
それなら、よりあなたが納得できるほうを選択するほうがよい。
あなたは、他人に言われるがままに動くのと、自分の意思で動くのとでは、どちらが納得できるだろうか。
前者を選べば、他人のせいにできるから、一時的には楽だ。
だから、恐れと不安を見て見ぬフリしたい人は、判断を他人に委ねる。
誰もが弱い。私もそうだから。
だけど、前者の選択は後々もっと大きい苦しみを抱える可能性がある。
結果が良くても、素直に喜べなくて苦しく、
結果が悪いと、他人を責める理不尽な怒りに苛まれて苦しい。
どっちにしても苦しくなる可能性が高い。
だから私はおすすめしない。
後者を選ぶと、結果がどうであっても、ありのままを受け容れられる。
失敗しても成功しても、自分の血肉になる。
そもそも、失敗するか成功するかなんて、どうだっていい。
コントロールできない事なんだから、気を揉んでも仕方ない。
やりたいか、やりたくないか。
やるか、やらないか。
本当に決まるべきはそれだけだ。突き詰めると簡単なこと。
結果は関係ない。
他人はもっと関係ない。
下手で結構。むしろ下手こそよい。不完全なほうが人間らしくてよい。
誰かと比較するから、気後れする。「上手にやらなくては」と身体が硬直する。
あるいは自分のほうが上手いと自惚れて、雑になる。
それでは、あなたは本当の意味で生きることを楽しめない。
本人が楽しめていないうちは、他人を楽しませることは到底できない。
結果にばかり目が行ってしまって、楽しむことが忘れ去られた「屍」では、人は感動しない。
ひとつひとつを、まるで初めてやるかのように、何回でもやってみればいい。
何回失敗してもいい。
何回諦めてもいい。
やりたいからやる。
信じたいから信じる。
従いたくないことに、従う必要はない。
唯一の羅針盤は、いつも己の心の裡に在る。