【メンタル】神経発達症のためのライフスキル「言いにくいことを伝える配慮」

私は他人に言いにくいことを伝えるのが下手である。

理路整然と話をまとめる技術と、伝わるように伝える技術は、全く違うベクトルだ。

論理的に構成がきれいでも、人間は機械ではないので、受け取り方は様々だ。

いくら理屈っぽく正しそうな話をしても、気持ちが伝わらなければその言葉は無駄になる。

では、どうすれば伝わるのだろうか、伝えたい思いをどう言葉にすればいいのだろうか。

その答えに近いものを発見したので、書き起こしてみる。

妻は、伝えるのが上手だ。

私は少なくとも警戒せずに聞くことができる。

多少耳が痛いことを言われても、心の扉をとじないで落ち着いて耳を傾けることができる。

それはなぜなのか、彼女の話の組み立てを分析してみた。

そして、以下の法則があることが分かった。

■言いにくいことを他人に伝えるときには話す順序がある

①感謝を伝える

②「助けてほしい」「困っている」と投げかける

③歩み寄り:こちらで対応可能な範囲を提示する

④提案:相手に「してほしいこと」を明確にする

⑤御礼:「話を聞いてくれてありがとう」「話せてよかった」

順番に解説していく。

①感謝を伝える

まず、「いつも有難いと思っている」「あなたがいてくれて助かっている」ということから話を始める。

私が今まで体系的に理解してきたビジネスコミュニケーションとは異なる。ビジネスシーンでは結論から話すことが最善とされているが、これは言いにくいことを伝える際には逆効果になる。

いきなり受け入れがたい要求をバーンと提示されると、人は必ず身構える。その瞬間から、私が話す言葉はもう相手の心に届いていない。耳を通過して右から左に流れていく。相手は、どう断ろうか、どう切り返そうか、を頭の中で考えているから、聞いていない。

まずは、私と相手の関係が大切で、私にとってはかけがえのないものだ、という共通認識を持つことからスタートするのがよい。

対話できると信じているから話をするし、大切だからこそ言いにくいことも伝えようと思う。

それを相手に伝えるには、感謝を言葉にすることが重要だ。

②「助けてほしい」「困っている」と投げかける

「Youメッセージ」と「Iメッセージ」というのがある。

「Youメッセージ」は「なんであなたは○○なの?」とか「どうしてあなたは○○してくれないの?」と主語が相手になる話し方。

「Iメッセージ」とは、「私は○○だと感じている」「私は○○で悩んでいる」という「私」を主語にした話し方。

「Youメッセージ」では話すと、相手は独断で断罪されているように感じる。境界線を侵害された痛みと混乱で防衛本能が働き「違う、そうじゃない」「私だって○○なんだ」と反発する気持ちが生まれる。

「Iメッセージ」で伝えられたとき、相手は自分を否定されているとは感じない。「ああ、あなたはそうなんだね」と思いながら落ち着いて言葉を受け取ることができる。

相手に言いにくいことを伝える、というのは、何か問題が起きていて、それを解決したいからコミュニケーションを取ろうとしている状況だ。

責任の所在は置いておいて、話し合ってその問題を解決することが対話の目的だ。

したがって、相手を責めても仕方がない。自分が過剰にへりくだっても仕方がない。

「悩んでいる」「困っている」「助けてほしい」その主体はあくまでも私だ。

「私は○○だと、とてもつらい気持ちになる、それで困っている、あなたの力を貸してほしい」

という具合に、まずは抱えている困難は何なのか、Iメッセージで伝える。

そうすると、相手は私がどんな状況で何に困っているのかが、抵抗なく理解できる。

③歩み寄り:こちらで対応可能な範囲を提示する

さて、困った状況をどうするか、に言及するフェーズだが、焦って④に行ってはいけない。

その前にやることがある。

それが「これからも良い関係を続けていきたい」という意思表示だ。

「歩み寄り」である。

相互の対等な関係である以上、こちらもできる限り相手に寄り添った形で着地点を探りたい。

私と同じように、相手にも権利と自由がある。それを最大限尊重し合って、お互いに納得できる妥協点を探すのが、コミュニケーションの基本原則だと思う。

一方的にこちらに有利な条件を飲ませよう、というのは、不誠実だ。コントロールであり、過干渉であり、傲慢不遜な相手に対する攻撃である。

私たちが争いたいのではない、話し合いたいのだ。

「これからもあなたとの関係を大切にしていきたい」

「だから、私としては現段階でここまでならできる、こういう工夫ならできる」

「逆に、○○は難しいと感じている」

と、今発生している問題に対して自分ができる事・できない事を提示する。

④提案:相手に「してほしいこと」を明確にする

そのうえで、自分の範疇を越えた、相手にしかできない事を、「してほしいこと」「教えてほしいこと」として提示する、または意見を求める。

「○○のとき○○をしてほしいと私は思うんだけど、あなたとしてはどうだろう?」

「○○なとき私は○○な状態にしたいんだけど、あなたはどう考えているか教えてほしい」

という具合だ。

相手ができそうだと感じるか、難しいと感じるか、尋ねる。

どの範囲までなら協力を得られるのか、教えてもらう。

それで初めて着地点が見えてくる。

もちろん、当初期待したほどの協力を得られないかもしれない。してほしかったことの100%は叶わないかもしれない。

でも、そもそも元の状態を考えてみよう。

相手が全く協力してくれないなら、それは0%。もともと0%だったのだから、協力してくれるというのはそれだけで有難いことだ。

私もあなたも、無理なく継続していくために、お互いが実現できる「協力」がそれぞれなんなのか、お互いに手札をすべてテーブルにさらして検討するのである。

一定の協力が得られないと達成できない事なら、現状二人だけでは達成できない、という結論を踏まえて、別の話し合いになる。

具体的にいえば、結婚生活の継続が達成できないようなら、離婚を視野に入れて関係の在り方を模索する、夫の協力が得られず子育ての継続が達成できないようなら、別居し実家に帰る・お金を払ってシッターなどの民間サービスを利用検討する、などである。

⑤御礼:「話を聞いてくれてありがとう」「話せてよかった」

結論は出ないかもしれない。

それでも、時間を取ってお互いの意見を交換することなしに、事態の改善を模索することはできなかった。

相手がいて初めて成立する「対話」という機会を設けられたことに感謝する。

「話を聞いてくれてありがとう」

「話を聞かせてくれてありがとう」

「あなたと話せてよかった」

そういう感謝の言葉で会話を締めくくる。

議論が平行線だったとしても、関係が大切なことには変わりない。その気持ちが相手に伝わる。相手は少なくとも「もう二度と話したくない」とは思わないだろう。

話し合いの機会が持てることは、こちらにとって有難いことであり、相手なくしては叶わない。

まとめ:私も相手も大切

全体の工程を通じて共通するのは「自分と相手を尊重する」という姿勢だ。

私の意見も大事。でも相手の意見も大事。

共同生活を送るためには、調整する必要がある。だから話し合う。

基本的に人は独りでは生きていけない。

だから、他人の存在には常に感謝と礼節をもって対応する。

かといって「他人がいないと何もできないのだから、ヘコヘコして機嫌を損なわないように無理をしなくては」というのは、違う。

なぜならそれは、自分を蔑ろにしているからだ。

自分も、かけがえのない大切な存在で、相手だってあなたがいないと困るのだ。あらゆる人は、老若男女問わず完全に対等である。

私は永らく、他人なくして生きていけない自分の脆弱さが許せなかった。

そんな弱いことだから他人と関わらなくては生きていけないのだ、苦労して他人のご機嫌取りをしないといけないのだ、人間になんて生まれなければよかった、来世は石になりたい…などと何度も何度も思った。

何かを成し遂げても誰かのおかげ、生きていることすら他人のおかげ、何もかも全部自分の実績として誇れず、誰かに感謝しながら生きていかなくてはならないのか、重すぎるよ他人の恩…それならいっそ死にたいよって感じだった。

でもどうあがこうと、私は弱いのだった。それはもうどうしようもないことだった。

そして安心したことには、他人も一様に、私と同じように弱いのだった。

全員弱い。

強そうに見える人も、偉そうにしている人も、誰でも他人がいないと生きていけない弱い生き物であることに変わりがない。

だから、ひとりで何でもできるほど強くなくていい。それは私も他人もそうだった。

なーんだ。

誰だって持ちつ持たれつだったんだ。

自分だけで生きていくなんて、人類には不可能なんだ。

だったら恥ずかしがったり負い目を感じたりすることないじゃないか。

そう思って一気に心が軽くなった。

お互いに対等な弱い存在。だから力を貸してくれるなら心の底からありがとうだし、力を貸せないときも「弱いんだからしかたがないよな」と許せる。

基本的に自分が生きるだけで精いっぱいの弱い存在が、何とか肩を寄せ合って生きている。

そういう認識で改めて振り返ると、対話というモノの尊さと有難さをしみじみ実感する。

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