【AC】Step8「傷つけた人」その①『中学校の担任教師 M先生』

謝らなくてはならない、謝りたい人がいます。

その人は、私が中学校のときの担任教師、M先生です。

当時の状況

Mさんは、女性で、離婚していました。

子どもはふたりいました。確か、息子さんだったと思います。働きながら、子供二人を育てていました。

私は、その頃、心が荒れ狂っていました。

出会う人全てが嫌いでした。

家電量販店・コンビニ・スーパー・百貨店などで万引きを繰り返しては、中古屋に売ったり自分で使ったりしていました。

世の中をバカにして、大人は特にバカにしていました。

自分の問題に気づかず、あらゆる人を憎み、『権威ある人を恐れ』ていたので執拗に攻撃していました。

教師を憎むことと、反抗挑戦性障害

私にとって権威の象徴であった教師を特に攻撃しました。

私の両親が教師だったこと、正しさの象徴だったこと、このふたつで、天敵として認定するには十分でした。

反抗挑戦性障害(英: Oppositional defiant disorder ; ODD)というものがありますが、その状態におそらく近い状態でした。ADHDに併発しやすい障害で、反抗期とは少し異なります。

もちろん、これは言い訳にはならないことで、障害と名前がついていますが、自分の弁明ではなく、こういう状態だった、という説明のために名称を出しました。私がADHD合併のASDでもあり、関連が浅くないので、というだけです。私の行いは、ODDによらず、謝罪したいことであり、謝罪すべきことであると認識しています。

反抗挑戦性障害はどんな病気?
反抗挑戦性障害は、9歳前後~思春期前後にみられ周囲に対し挑戦的、挑発的でかつ反抗的な態度や行動を当然の様ににしてしまうものです。ADHDいわゆる注意欠陥多動性障害を持つ4割の子供が発祥するとされています。治療はADHDと合併症で出たものならば親子関係の修復(ペアレントトレーニング)や育児支援、ADHDへの薬物治療がほどこさせます。

反抗挑戦性障害の症状
反抗挑戦性障害の症状は、文字通り反抗的で挑発的な態度を取ることが主となります。例えば目上の人に対して必要以上に挑発的で、規則に対して必要以上に反抗したりします。口論や、意地悪などが多く感情をコントロールすることが苦手で、明らかに度が過ぎる行動を行います。主に9才から思春期に見られ、年齢と主に自然と落ち着くのが一般的です。

反抗挑戦性障害の原因
反抗挑戦性障害とは、精神状態が普通の状態ではなく、何事に対しても反抗的な態度をとってしまうことが特徴です。原因としては様々な精神疾患が考えられます。精神疾患が起因の場合もありますが、何か特定のショッキングな事件や事故が起こったあとにもこの障害は起こり易くなります。反抗的であるだけでなく挑戦的なところも特徴で、すべてのことに対して反してくることが問題です。

出所:https://www.hospita.jp/disease/2277/

具体的に何をしていたかと言えば、学校の備品やイベントで先生がたが作ったものをこっそり破壊しておいたり、授業をボイコットして全く違うこと(ゲームや授業妨害)をしたり、授業内容を予習して先生が間違ったことを言ったら指摘して訂正したりしていました。

基本的に先生という存在がすることをすべてを否定し、バカにして、周囲にも煽動していました。

担任は管理者責任を問われるので、M先生は、口うるさく私を注意しましたが、私は何も聞かず、むしろ逆のことをしました。うっとおしいと感じ、攻撃を激しくするばかりでした。三者面談では、私たち親子を睨みつけて「こんなに憎たらしい子は見たことがない」と言っていました。とにかく、教師と生徒としての関係は最悪でした。

ここまでのことについても、先生の職務を妨害し、QOLを著しく下げる態度をとったことに対して、本当に申し訳ないと思います。

当時の私にとってはしかたないことだったかもしれないけれど、それは、M先生を傷つけていいということではなかったから。

私は私の課題に向き合わずに、苦しさや悔しさを他人であるM先生をはじめ多くの大人たちに、当時押し付けました。それは、不当なことでした。

彼らは子どもを育て教え導くことに夢を持ち、教師になったはずです。私たちのことを考えていろいろなことをやっていてくれたかもしれないのに、その気持ちを踏みにじったことを、私は恥じて、とても後悔しています。

そのような失礼な態度を本当に心から謝りたい。まことに申し訳なかった、と思います。

最も謝らなくてはならないこと

それ以上に謝らなければならないことがひとつ、あります。

これを話すのは怖いですが、やはりこれこそ最も謝りたいことなのだと思います。

私はいつだったか、弁当を忘れたことがありました。M先生は、すごく嬉しそうな顔をして「分けてあげようか」とニヤニヤしながら提案してきました(というように私には見えました)。
しかし、今思えば、それは弱いところを見つけたので歩み寄るチャンスだと思ったのかもしれないし、優しさからくる笑みだったのかもしれません。

私は、放課後、教室の黒板に次のように書きました。

「先生のお子さんはお父さんがいなくてさびしいでしょうね」

あくる日の朝、黒板を見た担任のM先生は、しばらく言葉を失っていました。その後怒りで顔を真っ赤にして、泣きながら「これを書いた人は誰ですか?名乗り出なさい」と言いました。

1時間近く、誰なのか聞きましたが、私は手を挙げず、ダメージを与えられたことを密かに喜んでいるだけでした。

その後、先生は、心を病んで転勤していき、今はどうなさっているのか、分かりません。

M先生、もう謝っても償えることではありませんが、本当にごめんなさい。

なんてひどいことをしてしまったのだろう、と今でも後悔しています。

子どもができて、初めて分かりました。こんなことを言われたら、私はなんとしても犯人を突き止めて殺しているかもしれません。私は「相手が最もダメージを与えられることをして復讐しよう、心を折ってやろう」という残酷な発想で、言ってはならないことを言いました。こんなことは、どんな人にも言う権利など無いし、言うべきではなかったことでした。

そしてその発端となった復讐心も、逆恨みであり、もしかしたら優しさかもしれなかったのに、わたしが受け取る器がなかったことでした。M先生に何の落ち度もなかったことでした。受け取り方を誤ったのは私の過失であり、私の課題でした。それらを見つめることから逃げて、八つ当たりをしました。

「権威ある人を恐れること」の課題に向き合い、私は不当に先生という存在に対して敵愾心を抱いてきたことを認めます。

そして、その怒りや憎しみをぶつけて、私に対して与えようとしてくれていた人々を深く傷つけ裏切ってきました。それは、誠実に生きている人を苦しめ、哀しみを無用に与えるものでした。本当に申し訳ありませんでした。

先生のお子さんに対して、私は何も意見する権利はありませんでしたし、会ったこともないその子たちを「さびしい」と言ったことは、許されざる侮辱でした。

今、大切な仲間がお子さんをふたり立派に育てている姿を見ています。

「私は、このように懸命に誠実に愛をもって生きている人に、嗤いながら石を投げたのか」と自らの行いを深く後悔しました。自分がしたことの罪の重さに震えています。

そして、石を投げた後に隠れて、気持ちを真っすぐぶつけることもしなかった卑怯者です。隠れたのは、非がありいけないことだと分かっていたからです。私のこのときの行いは、先生と他の生徒たちとの信頼関係をも傷つけ、先生が遠くに行かざるを得ない状況をつくり、先生を孤独にしました。それを意図した冷酷さで先生を深く傷つけたことを、心から謝りたいです。

M先生とそのご子息に対して失礼なことを書き、卑怯にも当事者として逃げ隠れし、そのことにより先生の気持ちを傷つけたことを、深くお詫びいたします。本当に、ごめんなさい。

まとめ:これからどう改善するか?

12ステップ・プログラムを教えてくれる仲間に出会い、いかに人を傷つけたかを知りました。

私は今後このような過ちを犯さないように、これからも真摯に自らの課題に向き合っていきます。

過ちを犯すことがあったとき、傷つけた相手に対し、真摯に逃げ隠れせず誠実に、謝罪することを誓います。

また、過ちを犯した仲間がいたとしても、存在を否定せず、行動について共に考え、自分と相手の気持ちを受け止め、これからも真摯に考え続けることを誓います。

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