禅の世界では而今(にこん:いま、ここ)という言葉が重要だと言われてきました。
「昨日はない。明日のことは考えない。今日だけを一生懸命生きるだけ」
即今(いま)・此処(ここ)・自己(わたし)の現実に目を向けて耳を傾けることこそ、全て。
恐れや怒りにイライラする全ての人に、届け。
— ちあき🏳️A4C (@8ZYrA2k21DgF4c7) March 17, 2020
『而今』という禅語は、命の真実は『今』にしかないことを説いた言葉です。
私たちは『今』この瞬間にしか生きることはできません。
昨日の自分はすでに死んでいるのと同じ。
明日生きているという保証もないのです。
であるからこそ、『今』という時期を大切に生きることが大事なのです。
出典:『おだやかに、シンプルに生きる』枡野俊明 著
「マインドフルネス」という言葉は、ビジネスパーソンの間で一時期流行り、ご存知の方も多いと思います。
「マインドフルネス」こそ、『今』に集中している状態を示していて、反対の状態を「マインドワンダリング」というそうです。
「マインドワンダリング(Mind Wandering)」とは、心が、「今この瞬間」に起こっていることに注意を向けないで、目の前の課題とは全く関係のないことを考えて、さまよう状態のことです。
私は、滅法、マインドワンダリングしやすいです。
つい、明日のアレをやらなきゃいけないから今はこれをしなきゃ、とか、昨日のあの言葉は○○じゃなくて△△って言えばよかったな、とか、心がワンダリングしまくります。
考えてもまだ来ていないか、もう過ぎ去っているか、どちらかだというのに。
特に風呂場とか、何気なく散歩しているときなんかに、思い出してしまうから質が悪いんですよね。リラックスしようと思っているときに、頭のなかにポツリポツリとそうした雑念がわいてくるのです。
特に今は、新型コロナウイルスの感染がひろがり、みなさんの心も私と同じように、不安や恐怖でいっぱいでしょう。
将来がどうなるのか全く見えないことについて、不安になることは当然だと思います。それによって苛立ち、いつもは言わないような言葉を大切な人にかけてしまうこともあるでしょう。それらの行いを悔いて、夜寝られないようなこともあるでしょう。
私も同じように、何となくざわざわしたような、怒りと不安にもみくちゃにされたような心でなんとか懸命に毎日を生きている、といった具合です。
そんなときに、SNSのタイムラインが政府への非難や世の中に対する怒りと悲しみに満ちていると、見るだけで疲れてしまいますよね。
私は疲れてしまいます。正直、結構キーワードミュートにしています。
だって、いくら考えても、いくら悲しんでも、いくら怒っても、仕方がないからです。
わたしたち一般市民には、最低限の衛生上の管理を守る、そのくらいしか、できることはないのですから。
政府の対応がいくらまずくても、困っている人のために自分がアクション出来る範囲で提言することしかできません。決定的にコントロールすることなど、残念ながら不可能なことです。何もかも汲んでうまくやってくれる政府であれば、私たちは日ごろもっと幸せに生きていたことでしょう。今それが変わるかどうかは、きわめて可能性が低いことです。
現状を変えていく努力はもちろん継続的にするべきことだと思います。
でも、コントロールはできないということを理解していてやるのと、変わらないことへ苛立ち精神を摩耗するのとでは、大きな違いがあるんじゃないかな、と思います。
いつ収束するか?なんて、新型コロナたんにしかわかりません。どのくらい繁殖したいかウイルスは答えられませんから、やはり世界でどうなるかは、もう神のみぞ知るといったところでしょう。
誰も答えを持っていない問いをいくら投げかけても、虚しくなるだけです。
会社でも同じですね。
すごくみんな不安そうにしているくせに、無理に前向きにアピールしようとしたりして、正直どんどん迷走しています。
人の小さな間違いを見つけてはやり玉にあげたり、皆ストレスが溜まっています。
自分の仕事が失われるのではないか?このまま何もしなければとんでもないことになるんじゃないか?と怯えている人ほど、他人に対して攻撃的になり、不安定になっていきます。
その不安や恐怖は、持っていて恥ずかしいものではない、ということを私は言いたい。
未来がわからないことは怖いです。
「これから生きていけないかもしれない」って思うことを怖いと思わない人は、生きていたくないか、もう人生がどうでもいいか、のどちらかだと思います。
つまり、一生懸命生きようとしているから、不安になる、ということについて、あなたの真摯な生きる姿勢が逆説的に証明されたようなものだと思います。
私も、まだ死にたくないし、貧困にも陥りたくないし、幸せに生きていきたいです。
それが、シンプルな願いであるということです。
私たちはその「生きたい」というシンプルな願いをかなえるために、今を生きることがもっとも「やりたいこと」であると思います。
そのためには、今何をすべきなのか?というところに、立ち返ってみましょう。
そのときに見えてくる答えが、『而今』という言葉なんじゃないかな、と思います。
私たちは『今』この瞬間にしか生きることはできません。
昨日の自分はすでに死んでいるのと同じ。
明日生きているという保証もないのです。
であるからこそ、『今』という時期を大切に生きることが大事なのです。
再度引用して読んでみます。
結局、新型コロナウイルスがどうなろうと、未来には予測不可能なことが次々と起こるのです。地震も起こるし、火災も起こるし、殺人も起こることがあります。それらはすべて、私たちがコントロールできるものではありません。「変えられないもの」です。
自分が世界に影響できる範囲は、ほんのわずか、これっぽっちしかない、ということを改めて認識すると、それら「変えられないもの」について思い煩うことの無意味さが実感としてわいてくるのではないでしょうか。
突然、明日コロナではなく交通事故で死ぬかもしれない。
昨日の私自身の行いをリセットすることはできない。
ならば、今。確実に変えられる、楽しめるのは、今、ということになります。
今、あなたは何をしたいですか?
こんな自粛のときに、できることなんてないよ!
そのやりたいことをできないようにさせられてんだよ!
やりたいことやってる場合じゃないよ、生活が最優先だよ!
様々な声が聞こえてきそうです。
そうですよね。うん。やりたいことを取り上げられ、生活のことだけで頭がいっぱいになるほど追い詰められていますよね。つらい状況です。
だからこそ、今できるやりたいことを探してみませんか?
家にいるなら、今まで目を向けていなかった家事の大変さを味わい、やってくれているパートナーに感謝することもできるし、子供と過ごす時間が取れなかった人は、子供の笑顔を見ることができます。
どうせ仕事ができないなら、遠くまで散歩に出てみるのもいいでしょう。今まで通ったことのない道を通ってみるのもいいでしょう。
未来に仕事があるかないか。そんなことは、未来の自分に任せましょう。
大丈夫、ここまで生きてきたあなたなら、きっとたくましく生きていける。何かを失っても、きっと別の何かを得て、喜びに顔をほころばせる日が来るでしょう。
なぜなら、今までも、この日本という国は、とても冷たい、つらいことが多い国だったからです。私は発達障害者・依存症者というマイノリティーとして生きてきて、この国がどれほど不寛容で、偏見に満ちていて、弱い民族の国であるかを身をもって味わってきたつもりです。
日本の自殺率は世界で6位です。↓
OECD (2020), Suicide rates (indicator). doi: 10.1787/a82f3459-en (Accessed on 07 April 2020)
そのような過酷な国で今まで自殺せずに生きてきたんです。すごいんです。
それに、辛くて当然なんです。だから、弱音を吐いてもいいし、もうやってらんねーわ!って思ったっていい。
未来なんてわからないんだから、今できる楽しめることを探して、全力で今を楽しむしかない。
そのためには、私はお酒を飲まずに自分が正常な状態で世界を感じたい。もう、エチルアルコールで脳がラリった状態で死んだように生きるのは「やりたいこと」ではないから。
風の匂いや、空の色や、知識欲を満たしてくれる書籍や、愛すべき仲間との語らいに、時間を使いたい。
それが私を真に豊かにしてくれるものだからです。
そういうふうに、今を過ごしていけたらいいな。と思います。