兄弟の喧嘩が激しすぎて大変だ、というツイートを見て、「そういえば、妹とは激しい喧嘩などしたことないなぁ…なんでだろ?あんまり好きでもないのに。」と思いました。
実は私は、今まで妹に対してそんなに良い感情を持ったことがあまりありませんでした。
そのことについて考えてみました。
妹はあのとき、私から親を奪う脅威だった
生まれてきたときは、本当に嫌でした。
厄介なやつが家に突然やってきた、と恐れおののいたものです。
突然生まれて家に入り込んできた、小さくてなんだかよくわからない「妹」という生き物にばかり愛情が注がれて、今まで私に注がれていた親からの愛情は「妹」に奪われたように見えました。
私は、この生き物に母親を奪われたと感じました。
こんなやついなくなればいいのに、と思っていました。
お兄ちゃんなんだから、譲りなさい、我慢しなさい!
お兄ちゃんなんだから、妹の面倒をみてあげなさい!
お兄ちゃんなんだから、妹に優しくしてあげなさい!
私は、お兄ちゃんになんてなりたくてなったわけではありません。
この生き物がきてしまったから、「お兄ちゃん」にならざるを得なかっただけで、私がしたいのは、この生き物の世話じゃない。
しかし、そんなことを訴えたら、哀しい顔をされたり、なぜそんな心無いことを言うのか?と責められ、見限られるだけだと思いました。
『「我慢する」「面倒見のいい」「優しい」兄』。
そんな「お兄ちゃん」だったら褒められるけれど、それ以外なら私に価値はないのか?
何が哀しくてこんな憎いやつを私が世話しなきゃならんのだ…
と、思っていました。
思えば、演技しなければならないと心を決めたこの危機感を感じていたのは、幼稚園の年長の頃(妹とは4歳差)のことでした。
歪んだ偽物の「優しい兄」
本心はどうあれ、私だって親に見捨てられ嫌われるわけにはいきません。
愛情が欲しい。それなら、親たちが望む「お兄ちゃん」をやらなくてはならない。
妹には嫌々なのはおくびにも出さず、あくまでもポーズで優しく接するようになります。
そうしていたら、何も知らない妹は、偽りの優しさだとは気づきもせず、後ろをついてくるようになりました。
これが、鬱陶しくて仕方がなかった。
でも、「どこかにいけ」「独りにしてくれ」と言ったら、やつは泣きます。
ひとたび泣かれたら、俺が悪いことになり、父も母も俺を責めるのは目に見えています。マイナスしかありません。
だから、「離れてほしい」とは言えない状況でした。
私が小学生、妹が幼稚園に上がった、ある休日のこと。
木を掘りたくなりました。
玄関に胡坐をかき、太めの枝の端っこ彫刻刀で彫ってたら「私もやりたい」と言って近寄り、私が「いいよ」とも言っていないのに、私の彫刻刀を勝手に使って、反対側を削りだしました。
そのとき、自分がしていることを邪魔されたのが尋常じゃないくらい腹が立ちました。
私は、わざと木をいきなり動かせば、妹が自ら誤って指を切るのではないか?と思いつきました。
実行すると、見事に爪ごとザックリ人差し指を切り、妹の指はみるみる血まみれになりました。
号泣しながら母親の下へ退却して行った妹の後姿をみたとき、気の毒なことをしたとはわかっていましたが、スッとしている自分がいました。
妹が彫刻刀の扱いを誤り、勝手に指を切ったことにすれば、私は責められない。うまい具合に追い払い、ついでに報復もできた、よしよし、と思いました。
妹に対して、そういう陰湿な仕返しをしていたひどい兄であることを、今ここに、認めます。
じゃあ、私はどうしてほしかったのだろうか?
妹が嫌いで嫌いで、いっそのこと死んでほしかったのか?
といえば、そうでもないのです。
妹がいじめられていたことを知ったとき、自分と同じようにいじめられた心の痛みに共感した私は、そのいじめっ子のクラスまで行ってぶん殴りに行ったので、職員室で指導くらって「何が悪いんだ」と悔し泣きしたことがあります。
妹も私も硬式テニスをしていましたが、妹の試合を観戦していたときは、わりと真剣に勝ってほしいと思って真剣に応援していました。
たぶん、人としてはそんなに嫌いじゃないし、肉親として愛情もあったはず。
何が歪ませたのか?と思うと、やはり親なのかなと思います。
妹ができて、私に注がれる愛情は条件付きになった、と私は当時、感じたのでした。
そう、妹ができて親が期待する私にならねばならなかったからです。
無理して笑い、明るく振る舞い、いい兄を演じる必要性が生じました。
ASD(自閉症スペクトラム)で幼少期に手のかかった私は、母や父が私に関わると哀しそうな辛そうな顔をする様子ばかり見てきました。
私が思うようにすればするほど、両親の顔は曇っていきました。それが、私にはとても悲しかったし、なぜ私が楽しくしていると二人とも哀しい顔をするのだろう?と思っていました。
そのままでは受け入れられないのだと知りました。
私はそんなふうに二人に悲しい顔をされたのに、私に比べて比較的大人しかった妹は「○○ちゃんは、いい子だねー」と言われ、父母から可愛がられていました。
その光景を見たときの私の絶望感と危機感は、それはそれは強いものでした。
「ああ。俺の『そのまま』がダメだからか。だから俺はこんな扱いなのか」
そして、表しようのない怒りと、素朴な疑問。
「なぜ、俺の『そのまま』はダメなのに、妹の『そのまま』は良いんだろう?そんなの、不公平じゃないか?」
まとめ:親を憎む代わりに妹を憎んでいたことに気づいた
実は、私の『そのまま』を受け入れてもらえなかった悲しみを、妹への憎しみに置き換えていたんだな、ということに気づいたのでした。
憎む対象を、親にはしたくなかった。親を憎んでいるとは信じたくなかった。
小さい頃、私にとって親は世界でした。
世界を否定することは、自分を否定することでした。
とても怖かった。私は愛されているはずだと思いたかった。
『そのまま』の自分を、最も認めてほしい親に、受け容れてもらうことができないだなんて、とてもつらくて耐えきれなかったから、信じたくなかったのですね。
その代償に、妹につらく当たってきたことを、本当に申し訳なかったな、と今思っています。
本当に、申し訳ありませんでした。
しかし、憎む対象を親だと認められなかった、それを認めたら生きていけなかった、という当時の自分も、ちゃんと許したいと思います。あのときは、私が生きるには仕方がなかった、ということも、事実であり、子供だった私には酷なことでした。
実は、私は親になって、もし子供が増えて兄弟げんかが起こったら、どうしようかと思っていました。
私はどうしてほしかったか?ということが見えなくては、私は子供同士が憎しみあい殺し合うのを、指をくわえてみているしかないのかな、と思っていたからです。
しかし、子供たちそれぞれの『そのまま』をちゃんと見て、子供の話をきちんと聞いていれば、妹(下の子)を憎む心配もないし、その上でのケンカなら、殴り合いでもつかみ合いでも好きにやればいい、と思います。おそらくお互いに痛めつけ合って、程度や加減を覚えていくのでしょう。そういう関係のほうがよっぽど健全であると思うのです。
だから私は、ちゃんとケンカしている兄弟姉妹を見ると、安心してしまうのでした。