【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録②(低い自己評価)

前回の棚卸しにしたがって、まずは「低い自己評価」について棚卸ししていきたいと思います。

「低い自己評価」とはどんなこと?

子供時代を通じて、わたしたちは自分の能力を信じるようには決して奨励されませんでした。終始批判されてきた結果として、自分は「悪く」、家族の問題の原因なのだと信じ込みました。愛され、受け容れられていると感じるために、わたしたちは人を楽しませ、完全であって、批判の余地がないようにしようと、さらに一生懸命努力しました。一生懸命やればやるほど、私たちの欲求不満は大きくなりました。私たちが何をしても、「偉い人たち」を楽しませることは決してできませんでした。私たちは自己評価を低く保っていて、そのことは目標を設定し、それを成し遂げる私たちの能力に影響を与えました。間違いをすることを恐れて、私たちは危険を冒すことを避けます。物事がうまくいかないと、そのことに責任があるように感じてしまい、うまくいくと、そのことに自分が功績があることを受け容れようとしません。そうする代わりに、自分はそれに価しないと思って、「もう一方の靴がなくなる」のを待っているのです。

わたしたちの自己評価が低いと、わたしたちは次のようであるかもしれません。

●主張できない
●失敗を恐れる
●無能のように見える
●拒絶を恐れる
●他の人たちからひきこもる
●否定的な自分像を持っている
●完全である必要がある

出典:『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
73Pより引用

ありのままではダメだという呪縛

小さいころから「そのままではダメなんだ」という気持ちが常にありました。

親は私がありのままに振舞うと哀しい顔をしました。

小さいころから好きな遊びもはたから見れば危険なことが多かったので「止めなさい!」とヒステリックに叱責され、したいことをするといつも否定されていた、おぼろげな記憶しかありません。

幼稚園に行きたくないと泣けば哀しい顔をされ、ショッピングモールで「もう疲れた帰りたい」と言えば哀しい顔をされ。

「どうしてみんなと同じようにいい子にできないの?」

「なんで普通のことが普通にできないの?」

「なんでいうことを聞かないの?」

「お母さんのことが嫌いなの?」

母親からそんな質問を投げかけられ続け、次第に「ごめんなさい」しか言わなくなりました。

みんなと同じでなくてはダメ、普通でなくてはダメ、言うことを聞かないとダメ、そうじゃないとお母さんが嫌いということになる。悲しまれる。

だから、私はそのままでいちゃダメなんだ、何か自分とは違う別の物にならないと、お母さんに認めてもらえない、好きだと言ってもらえない人間なのだ、と思いました。

「求められている完璧な自分」になり愛されるために

だから文字通り死ぬ気で、一生懸命努力しました。

ありのままと違う、優秀で愛される自分になるために。

小学校のテストは100点以外は失敗だと思っていたしそういわれてきました。受験の合格ラインも親が満足し社会的に評価が高いレベルでなければならないと思って偏差値で決めました。

勉強を理由にして部活で成績を残せないのは甘えであり、全国大会に行くレベルでなくてはならない。だから、県内3位なんて中途半端な成績で満足していてはいけない。だれも認めてくれないと思っていました。

将来の夢など、どのタイミングでも思い描いたことはありませんでした。すべてが義務でした。

勉強もスポーツも親の望み通りになるように、愛してもらえるように、完璧な長男で在ろうと頑張りました。

誰にも相談できませんでした。弱音を吐いて聞いてくれるはずの親にいいところを見せないといけないのですから、当然ですよね。

どんどん一人で抱え込んでいきました。

結果が不十分なのは自分が未熟だからだ、自分が悪い、まだ至らないから幸せになれないのだ、もっともっと完璧にならなくてはならない、そうでないと誰も私を必要としてくれない。

自分にも他人にも厳しくなり、どんどん孤独になる

それはとても、さびしいことでした。

そのままでは私は親にすら必要とされないのか?そんなに私は生きる価値のないダメな人間なのか?なら、のうのうと生きている私以外の人間は、私以上に正しく結果を残していて、偉くなくてはならないはずだ。でないとつじつまが合わない。

だから、他人に対して、自分と同じようにどんどん厳しくなっていきました。

少しのミスも許されないのだから、お前らにも許されるべきではない。

完璧でなければ愛されないのだから、愛されて幸せなお前らは完璧でなくてはならない。

そうやって正しさと理屈を振りかざして防御を固め続けて、気がつけばさらに独りになっていて、そばにはお酒しかありませんでした。

ただただ、ずっと寂しかった。

酒という名の簡単に手に入る薬物であるエチルアルコールに耽溺しているときだけが、自分の脳を麻痺して停止させ、「こうでなくてはならない」という義務感から解放される唯一の安息でした。

次第にそれも、より多くの問題を引き起こすだけの代物だとわかったわけですが。笑

失敗という財産を今度こそ 自分の足で歩くために

振り返ると、私は、なんとかエチルアルコールという薬物の力を借りて、ぎりぎりで命をつないできたのだと思います。

今は、その杖をなくし、今断酒しているということは、たとえば足を骨折して松葉づえをついていたのに、杖をすてて骨折したまま歩いているようなものだと思います。

だから、棚卸をして、自分の問題に目を背けず、立ち向かわなければ、この足はまた歩けるようにはならない。今まで生まれてからずっと引きずってきたこの足をリハビリしなければ、2本の足で真の意味で自立できない。だから、がんばりたいのです。

失敗は恐ろしい損失ではなく、むしろ財産でした。

私はアルコール依存症になりそれはそれはたくさんの失敗をしてきましたが、そのおかげで私は自分の問題に気づくことができました。失敗はしてしまったら終わりではなく、そこから学ぶことができる。そして、自分の失敗をそのまま受け入れることが、他の人の至らなさに対して寛容になれる最善の方法だったのだと最近よくわかります。

「失敗してもいい、失敗してきたからこそいい、そのままの黒い心を含めてあなたはそのままですばらしい」といってくれる最も大切な人と出会い、あこがれを抱き、好意を持っています。ここ数ヶ月交流があり、いろいろな学びをもらったおかげで、行動することの大切さや、プロセスを認めてもらう喜びを教えてもらいました。

「低い自己評価」からの回復とはどんなもの?

わたしたちは、ハイヤー・パワーと協同して、自分自身と自分の能力をより現実的に見るようになるにしたがって、私たちの自己評価は高まります。他の人たちと、もっと自信をもって交際できるようになり、自分自身をそのまま受け入れて、自分の弱さと同じように、自分の力も評価できるようになります。失敗から学ぶことができるということが分かってくるにつれて、前には可能だとは夢にも思わなかったことが、気が付いてみたらできています。他の人たちを知り、他の人たちに自分を知ってもらうようになるにつれて、私たちはより安全に感じます。人間関係はさらに健康になります。ーなぜなら、自分を信じ、自分を保証できて、もう保証してもらうために他の人たちを当てにする必要がないのですから。

わたしたちの自己評価が高まるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます。

〇もっと自信がつく
〇より積極的に行動する
〇他の人と交際するのが楽になる
〇自分を愛し、大事にする
〇感情をオープンに表現する
〇危険を冒す

出典:『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
74Pより引用

自分に言い聞かせる意味でも、私が気づかせてもらった私の真実を話して〆たいと思います。

私は失敗してもいい。

私は完璧でなくてもいい。

私は普通と違うところがあってもいい。

私は他人の言うとおりにせず、自分がしたいように生きていい。

親に愛されようと無理に自分を飾らなくてもいい。親はありのままの私を見てくれなかったが、今は他に大切な人が、私自身を見てくれるのだから。

そして、もし見てもらえなくても、私を一番大切にできるのは私であり、親ではないことが分かった今、親の顔色をうかがう必要はもうなくなった。

だからこそ、私は、そのままの自分をこれからはずっと好きでいていい。

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