【AC】Step8「傷つけやがった人」その② 『会社・上司』

まずは、会社や上司に「傷つけられたこと」について、整理します。

2015年3月のできごと

私は、アルコール依存症を自覚する前、お酒を飲んでは失敗を繰り返していました。医療関係の職場でありながら、職場の人たちには、依存症の知識はありませんでした。やはり、依存症については、当時の私も含め、社会的にはまだまだ浸透していませんよね。

そんななか、私は、2015年3月のある日、決定的に会社と上司を困らせることをしました。

泥酔して仕事現場である某一流ホテルに登場した私は、運営していた本部スタッフを激怒させました。とても悪目立ちしていたと言います。

前日に歌舞伎町に飲みに行き、後輩の話によると、飲み屋を2軒、キャバクラに1軒、そのキャバ嬢の子の知り合いのゲイバーに1軒と4軒はしごしたそうですが、最初の2軒まではしっかり覚えているものの、あとはうろ覚えです。

目が覚めたのは、朝方のタクシーのなか。かけていた眼鏡をなくして視界が悪く、時間を確認すると、9時から仕事なのに、8時。

私はふらふらになりながらホテルに一度戻りました。「仕事に行かなくては」その一心で荷物をまとめてヨレヨレのスーツのままシャワーも浴びずにホテルに向かい、会場周辺をふらふらしているところを、本部スタッフに保護されたかたちです。

直接取引先や顧客にご迷惑をおかけすることは幸いにもありませんでしたが、社内の風紀を乱したとして相当問題視され、全社に風紀の乱れに対する注意喚起としてアナウンスされました。

私を懲戒解雇すべく動き出す会社と上司

今までも遅刻やミスを繰り返していた私をかねてより迷惑に思っていた当時の直属の上司(所長Sさん)とその上司(支店長Tさん)は、私を組織として抱えることに限界を感じたのでしょう。私に懲戒解雇をちらつかせながら依願退職させよう、と本腰を入れて動き出しました。

数週間、自宅謹慎となりました。出勤が解禁されても、チリ紙を折るという明らかに何の役にも立たないことをやるように命じられました。

そして、これらの言葉を繰り返し繰り返し投げかけられる日々が数ヶ月続きました。

「もう仕事を任せることはできない」

「つまり残っていても仕事はないぞ」

「今お前がやっているのはなんだ?紙を折ることだろ?会社には何も貢献していない」

「これからも貢献するとは思えない」

「もう私たちはお前を必要としていない」

「このままだと懲戒解雇になって、退職金がもらえないぞ」

「お前が会社をやめてくれることが、私たちにできる最後の貢献だ」

結局、私は会社の労働組合が守ってくれて、解雇を免れ、戒告処分となりました。当初リーダーになるべく転職してきた私でしたが、新入社員よりも下の「半人前ですらない」というランクまで職務等級を降格されました。給料はぐんと落ちました。

当然、周囲からは馬鹿にされました。「失敗してもう終わった人間」として、指をさされて嗤われる日々が数年続きました。

その間、私は「死ぬなら全員見返してから死のう」と心に決めていたので、何も言わず、静かに屈辱を反芻しエネルギーにかえながら、臥薪嘗胆を座右の銘にして断酒しながら仕事に励みました。ちゃんと死ぬために生きました。

2年後、私は採用されたときの職務等級まで昇格することができ、周囲の人間より優秀な成績を収めることができるようになりました。

私は何に傷ついていたのか?

私は、この経験から、自分の行動に対する責任を問われて、いくら反省しいくら組織に貢献しても、所長Sさんと支店長Tさんに否定され続け、傷つきました。

もちろん私がアルコールを乱用して迷惑をかけたことが事実で、それに対していわゆる自業自得の扱いを受けたと思いますが、行動が改善され、己の罪を見つめ直した人間に対して、一度張ったレッテルをキープし続けて、思い込みから見たくない事実を見ようとしなかったことは、上長として適切な行動ではなかったし、私はそれを理不尽だと思いました。

私のほうが先に信頼を裏切りましたが、それを免罪符にして私の尊厳は踏みにじってもいいものだと言われているように感じました。私はいくら努力しても、しょせん失敗した人間なのだから、二度と日の目を見ることはないのだ、と繰り返し否定されていると感じました。

それは、当時は感じないようにしてきましたが、今思えば、とてもつらいことでした。

また、回復したのちも、アルコール依存症については口外しないように言われました。

アルコール依存症は「恥」であり、会社のイメージを損ねるから、やめてほしい、というのが、会社と上司から言われたことでした。

そんな身の上話に興味はない、みんなそんな話は聞きたくない、と言われました。

私は、人生を否定されたように感じました。

回復して生きていることが罪であるかのように感じました。

このことを棚卸するにあたり、とても抵抗がありました。

というのも、断酒会に参加していて、個人的な感想として抱いていたのが、アルコール依存症の当事者は犯罪者というか罪人であり罪人は罪人らしく陽が当たらないところを一生謝りながら生きていくものだ、というような感覚でした。

なので、酒害をまき散らした分際で、酒害を与えられた人に傷つけられた、なんて言うことは、タブーという印象で、許されざることだと思っていたのです。たとえるなら、殺人を犯したのに、私も傷ついていて苦しかったんだ、と法廷で弁明しているような感覚です。

人殺しが何を言っているのか?と言われたら口をつぐんでしまうもので、私も「酒害をまき散らしといて何言ってんの?」って言われたら、「まことにその通りです」としか言えないというのが正直な気持ちでした。

しかし、これで正しさで蓋をしてしまったので、私は私の本当の気持ちを感じることから離れて、長い間会社や上司という存在に対して怒りや憎しみを抱え続ける原因になったと今、振り返って考えています。

まとめ:傷ついていたことを認めることが、心からの謝罪につながる

私は、当時やはり傷ついていました。

自分が起こしたことや傷つけた人に対して、その行動を深く反省して謝罪し、償いをしていくということが大前提なのですが、先日のハートネットTVであったように依存症の当事者の傷は確実にあるわけで、依存症当事者だったとしても人としてリスペクトされるのは当然の人権なのだと思います。

その基本的人権の部分を軽視されたことに、傷ついたのだと思います。

正しさを振りかざして印象やイメージで私に対する偏見や差別を行ったことは、彼らの過失で在り、私の責任の範囲を超えたストレスだった、と改めて認識しておきたいと思います。

それを認められて初めて、私は、彼らを傷つけたことに真摯に目を向けることができるのではないか、と思います。

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