【依存症】コントロール不可能なことをコントロールしようとしてません?

こんにちは、ちあき です。

今日は断酒会でした。同じ依存症でも、本当にいろいろなひとがいますね。

断酒会の話は秘匿義務があり会のメンバーじゃないと話せないんですが、みんなに知ってもらいたいくらい本当におもしろいそれぞれのストーリーがあります。

Twitterで「市販の物差しで測れるような単位で生きてる人ばかりじゃないンだよ、それぞれ特注」というコメントを拝見してすごく心に響いたので、今日はそんな話をしたいと思います。

「許せないこと」はどんなこと?

私は、いろいろ許せませんでした。

例えば、ゴルフ。

明日は接待ゴルフです。私は2年前、明日と同じ得意先との接待ゴルフが嫌で嫌でスリップしました。

「次飲んだら離婚」って妻に言われていたのに、ハイボール3リットル近く飲みました。

得意先はゴルフに厳しいタイプでした。

「スコア100切れないのは、真剣に練習していないからだ。練習しろよ~。」

「体鍛えてんのに、こんなにゴルフ下手なんて信じられない、何のために鍛えてるの?」

そんなことを言いながらガハハと笑って断酒してる私の前でビール飲みまくる顧客。

殺意を覚えました。笑

でも、一番許せなくて大嫌いだったのは、「自分自身」でした。

ゴルフが下手なかっこ悪い自分。

過去の失敗で降格された惨めな自分。

何より、馬鹿にされても言い返せない、こんなにも情けない自分。

そういう大嫌いな自分を見たくなくて、飲みました。

帰り道は、後悔で心の中はドロドロでした。

風呂に入っても、サウナに入っても、全然抜けないお酒(3リットル飲んだらそりゃ抜けないよね)。

息も臭い。体中がお酒の匂い。

絶対バレる。

バレたら離婚。

いや、バレないんじゃ…?

というかとても言えない…

でも言わないと…また信用を裏切った

嘘ついた時のあの悲しい顔をまたみるのか…

それは嫌だ

でも正直に言うのも怖い…

ぐるぐるぐるぐる。いくら考えても、「飲んだ」っていう事実は変わらないのに。

何度も間違える自分が、最も許せない存在でした。

その「許せない」って、コントロールできないことじゃない?

でも、自分は「自分」でしかないんですよね。

アルコールに負け続けてきた自分。

人に嫌われることが恐ろしくてたまらない自分。

自分の言いたいことも言えない自分。

誰かに認めてもらわないと安心できない自分。

ぜーんぶひっくるめて、私は「私」でしかない。

人の生き方も個性も、それぞれ全部『特注品』なのだから、

一つも欠けてない人間なんていないし、全部正しくできるわけない。

「世間的に」「常識的に」正しいか間違っているかを判断するのは、実は簡単です。

自分にとって「正しい」かどうか、それが自分や自分以外の人にとって「優しい」かどうかを判断することのほうが、よっぽど難しいことです。

「自分が許せない」と思ってきた私は、「自分をコントロールできる」と思い込んでいたと思います。

そんなこと、できなくて当たり前だったのに。

いろいろな人が関わって私の人生や私は形作られていくのに、それをコントロールしようとすることは、関わる全ての事象や人物をコントロールしよう、と考えることです。

今日、妻と娘と愛犬2匹で散歩をしているときに、娘の将来の話になりました。

私「娘ちゃんはどんな人生を生きるんだろうか」

私「俺みたいにお酒で失敗しないといいけど…」といった私に、

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、そうだね~ と言いながら妻は次のように言いました。

妻「でも、娘ちゃんが生きる人生だから、本人が決めるよ。飲むか、飲まないかも、本人が決めて、経験して生きていくんだから、私たちには結局コントロールすることなんてできないよね。伝えることと、信じることの2つくらいしか、親だけど他人の私たち二人にできることなんてないのよ。」

何気なく言われたこの言葉に、ガーンと頭殴られたみたいでした。

あんなにあれやこれや言ってきて私をコントロールしようとしてきた共依存の自覚がない実母を憎んでいたのに、同じようなことを考えていたんだな、と。

自分の人生すら、こんなに波乱万丈でコントロールできたことなんて何にもないのに、

いわんや他人の人生をや、ですよね。笑

娘といえど、妻といえど、息子といえど、自分ですら、ないのだから。

コントロールすることなど、できるはずがないのです。

コントロールしたくなるのは、結果が欲しいから。

結果が欲しいのは、自己肯定感がないから。

自己肯定感は、「〇〇ができているから自分は価値がある」ではないんですよね。

「こんなに欠けてばかりの自分も悪くない、こんなのでも、そのままで安心して生きていてもいいんだよね」と思えることですから。

結果的には、どんな人生でも、一生懸命生きている限り、それぞれ特注のストーリーがあり、特注に値する価値がある。

なぜなら、存在するということは、それすなわち影響する、ということだからです。

この世界に、影響を少なからず及ぼしている。それは、まぎれもない価値です。

だから、どんなに欠けていても、どんなに至らなくても、それは貴重な「特注品」なんですね。

まとめ:コントロールできなくても、いいじゃない

私は、お酒でたくさんの人に迷惑を掛けました。

会社で最下層まで降格されましたし「辞めてほしい」と何度も言われたことがあります。

めったに泣かない妻を泣かせ何度も裏切りました。

だけど、その根本は、コントロールできないものに一生懸命力を注いで疲れ切ったから。

なんで一生懸命力を注いだか?

一生懸命この辛い人生を自分なりに生きようとしたからじゃあ、なかったか?

じゃあ、やってきたことは間違っていたけれど、もともと思っていた私の素直な気持ちは、素直な私はそんなに悪いやつじゃなかったんじゃないの?

そう思ったら、俺みたいなのでも素直に生きててもいいんだな、ってやっと思えました。

ゴルフが下手でも、いいじゃない。

仕事が完璧じゃなくたって、いいじゃない。

ゴルフなんてただの玉打ち遊びなんだし、仕事も人生のほんの一部なんだから。

そんなことに怯えながら、キョロキョロおどおど、しなくていいじゃない。

自分に素直に生きたほうが、私の場合は、お酒を飲んでいたころより幸せなことに気づきました。

飲まないで生きている今のほうが、飲んでいた時よりも幸せだなんて!

断酒し始めは信じられませんでしたよ。

「あー、唯一の支えを頼れなくなった…オワタ」と思ってました。

「あとの人生は何の楽しみもないけど生きないといけないから生きる消化試合」みたいな。笑

そう思って断酒辛くなる時、あるじゃないですか。

でも、私の場合は、断酒して1年9ヶ月の『今が一番幸せ』だと思います。

だから、私は断酒してよかった、と思うし、これからも断酒して生きていきたい、と思うのです。

今日はこれまで。

読んでくださってありがとうございました。


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