【AC】Step8「傷つけた人」その⑧『自助グループの仲間』
私は、間接的に目に入るブログという媒体を通じて、直接実直に話すことが難しい怒りや悲しみを、相手に作為的に伝えようとしたことを、謝罪したいです。
アルコール依存症からの回復・社会福祉・家族との日々・時々キャンプ な ソーシャルワーカー ちあき の情報発信ブログ。
私は、間接的に目に入るブログという媒体を通じて、直接実直に話すことが難しい怒りや悲しみを、相手に作為的に伝えようとしたことを、謝罪したいです。
あなたには、次のようなことはありませんか?当てはまるものが多いほど、境界の混乱が起きています。 □「No」と言うことができない。 □ほしいものや必要なものを要求できない。 □人の意見に合わせる…etc
どう考えても、生きるのは大変だ。「え?何かの罰?呪いか何か?」と思うくらい、喜びの比率が少ない。ことに人が関わると、その比率は激減する。
仕事でもなんでも、他人に力を認めてほしい、正当に評価してほしい、せめて認識してほしい、と思うことがある。
恨みこそ、私が生きる原動力だと思って生きてきた。 私に、死なずにもう少し生きようと思わせてくれたのが、恨みだった。 私が当時生きるために、恨みや憎しみはなくてはならないものだった。
「われわれの意志といのちの方向を変え、自分で理解している神の配慮に委ねる決心をする」
●自尊心を欠く ●自分を無価値に感じる
「自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。」
だから私は、誰かから愛についていくら言葉を尽くして言われても、うまく信用できないのだと思います。
私は新人のとき「仕事」だけが、社会と自分を繋げる唯一の命綱だった。 だから、仕事を命を賭してやるべきものだと考えていたし、他の何を犠牲にしても達成するべきものだと思ってきた。