「自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。」
STEP8と9をすすめてきて、謝らなければならないひとについて思い悩むことが少なくなってきた。
罪と過ちを認めること、その謝罪について真摯に考え形にすることによって、可視化されて切り離して眺めることができるようになってくる。
楽になってくると同時に、他のことに目がいきやすくなる。
自分自身の心の動きよりも他人の行動が気になったり、自分には変えられないものに心を囚われたり。
最近の私は少し驕っているように思う。
ステップ1〜9を振り返ってみよう。
- 私たちはアディクションの影響に対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
- 自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。
- 私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。
- 恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行ない、それを表に作った。
- 神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。
- こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう準備がすべて整った。
- 私たちの短所を取り除いて下さいと、謙虚に神に求めた。
- 私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。
- その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをした。
引用;https://aca-japan.org/i/12steps.html
今までやってきたことを一度やっていればいいということではなかったのだ。
12ステップという新しい捉え方で世界を見て生きていくことを進めていこうとしているからこそ、私たちは繰り返し繰り返し棚卸しを繰り返して自分の考え方や生き方の癖を点検して、行動に移して行かなくてはならない。
理解したからすぐ生き方が変わるわけではない。
自転車を一度では乗りこなすことができないように。
何度も何度も転んでは起き上がり、トレーニングしなくてはならないものだったのだ。
私は今までステップを踏んできて、一度一巡すればいいと思っていた。それは大きな間違いだった。
STEP5と9;実践の重要性
棚卸しを実際に第三者に聞いてもらう5と9が特に重要だと感じる。
直接話せないこともあるかもしれないが、これこそOJTというか、自分の内的な変化を他の誰かに対して表出するという意味でとても重要なステップだと思う。
すなわち12ステップの実践である。
実際の自分の行動に反映して、反応の変化を実感する。
その経験により認知が補正されていき、STEP6・7で手放そうとしている性格の欠点(変えていきたい自分のとらえ方や考え方)を具体的に手放していくことが可能になっていく。
一度やったからといって回復するわけではないとは、結構衝撃だが、これには思い当たる節がある。
私は実際に行動を変えて、自分がいかに思い込みや被害妄想の中で生きていたかを実感してきたからだ。
謝罪に勇気を出して取り組んでみた。
自分の心が傷ついた時には相手に謝罪を求めてみた。
理解されないかもしれない自分の特性についてアサーティブに説明する努力をしてみた。
自分からは話しにくかったアルコール依存症や発達障害をオープンにする勇気を持ってみた。
全部、今までにはできなかったことで、12ステップに取り組んでから変えたこと。
それにより新しい結果を獲得した。理解してもらえないと思っていたことが受け入れられたり、謝罪を受け入れられたり。
逆に、信じて伝えて拒絶され、傷つくこともあった。
しかしそれらの実践と検証があって、12ステップで語られていることの真の意味や本質を、実感を伴って改めて捉え直すことができるようになった。
ステップを始めた頃よりも、内容を深く理解することにつながったと思う。
まとめ;12ステップがライフワークになるという生き方
慣れてくると、わかった気になる。
自分は回復していると思い込む。
もう大丈夫だと甘く見る。
そうして私は何度もスリップしてきた。
私は簡単に自分の無力さを忘れる。
コントロールできると思い込んで、巻き込み巻き込まれて失敗し、ふと気づくとまた蟻地獄のそこに堕ちている。
これで何度目だよ…と呆れて脱力する感覚。
自分にほとほと愛想が尽きる、あのイライラ感。
それらは今も変わらず、私のすぐそばにあるのだ。
いつも、いつでも、何度でも。棚卸しに向き合う。
それが唯一、苦々しい感覚をもたらす驕りを遠ざけて、謙虚に誠実に生きることを思い出させてくれる。
私はまだまだスタートラインに立ったばかりなのだと感じる。
そして、それはどれほどステップをやってきた人であっても変わらない。
皆、同じライフワークを愛する仲間なのだと思う。
12ステップが趣味だなんて、とても素敵ではないか。