【AC】「承認を求めようとすること」にとらわれる

■承認を求めようとすること■

機能不全の育ち方をしたので、わたしたちは承認されなかったり、批評されたりすることを恐れます。子どものとき、わたしたちは親や祖父母や兄弟姉妹や重要な他人から、愛と承認を受け取ることを絶望的に浴していました。わたしたちの大部分にとって、それらが得られたことは滅多になかったので、私たちは今も他人からの保証を求め続けています。しかしながらこの承認の欲求・必要が、自分の生き方や考え方を他人の欲求・必要に合わせるという、私たちのやり方に重大な影響を及ぼしています。私たちは、自分自身をどうやって愛し、承認したらいいか知らないので、自分をよいと感じるために他人からの補償を求めようとします。また他の人たちに自分を好きにさせるように振舞うかもしれません。この「外に焦点を合わせること」は、わたしたちが自分の欲するものや必要とするもの、自分の感情や欲求に気づくことを妨げます。わたしたちは、他人の反応を見てその人たちを楽しませるにはどうしなければならないかを推し量り、彼らの私たちに対する印象を管理しようと試みます。わたしたちはすべての人を楽しませようと努力し、他の人を傷つけたくないので自分自身にとって破壊的な関係にしばしば留まります。

他人からの承認に対する必要・要求があるとき、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●人の機嫌を取る
●批評を恐れる
●自尊心を欠く
●自分を無価値に感じる
●自分自身の必要・欲求を無視する
●失敗を恐れる
●集中力を欠くこと
●身体的な不快

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
59Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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ACAに繋がってなくても、欲しいと言えば送ってもらえます。
お求めの際には、ここの名前は出さないようお願いいたします

●自尊心を欠く

●自分を無価値に感じる

最近、この2つを特に感じる。

ということは、まだこの「承認を求めようとすること」にとらわれていて、結局のところまだ自分の欠点や考え方の歪みを手放せていない。そう内省する。

私はとても今虚しい。

今している仕事の意味が薄いことに気づいた。

しかし、独立して同じだけの給料を稼ぎ出すほどのスキルはない。

鍛えてきたのは営業力くらいだ。

創造的な何かをする力はやはり矮小だ。

このブログもそうだ。

誤字脱字が多い。文章の展開がワンパターンで、いいことを言おうとして言葉だけが上滑りしているときもある。実に恥の多いことだ。

一生懸命自分なりに深淵に近づこうとしていながら、それは実は他人から見れば実に浅い考えだったり、見透かされていたりする。

そういうもろもろの拙さが目に付いて、私は、私が持っているものなどすべてくだらないゴミばかりのような気持ちになったりする。

そういう気持ちを乗り越えて、あるいは抱えながら、今創作で生きている人(特にフリーランスをしている人)は、今の自分の世界観を確立して、それを評価され収入を得て生きている。本当にすごいと思う。

自分が創造する世界観にお金を支払ってもらえる。

それはとてつもなく凄いことだ。存在が肯定される。自己肯定感を支える上で非常に効果的なワークスタイルでありながら、自分の魂を外界に触れさせることから、非常にメンタル面でハードだと思う。それに耐え抜いて自分を生きる姿は強く美しいと思う。

少なくとも、自分で卑下していいものじゃない。

そうなのだろう。

そういう「恥ずかしさ」に真正面から向き合うことが、「強さ」の一つの形だと思う。

私はまだ弱いんだな、と思う。

自分が何もできていないこととか、影響力がないこととか、生み出すもののクオリティが低いこととか、自分の力の無さを恥ずかしいと思っている。

精一杯やっているなら、恥ずかしいことなど無いはずなのに、進歩しているのだからそれは誇ってよいはずなのに、他と比べて卑下しがちだ。

鷲のように飛べたら
蟻が一歩一歩、歩いていることなど見えやしないだろう
でも、歩いているんだ 蟻はあるいているんだ
一歩一歩 喜びをかみしめながらっ
成長しろ、武蔵 それでも俺が勝つ
こいつらの為にも 俺が勝つ!!

『バガボンド』 第21巻 儂と蟻 より引用

『バガボンド』の吉岡伝七郎の言葉。

兄の吉岡清十郎や宮本武蔵のような天賦の才を持たず、愚直に真面目にやることしかできない伝七郎に、とても共感を感じる。

とびぬけた何かがあるわけではない。不器用で不格好。

しかし「平凡」という宿命を負っているからこそ苦しみや悲しみに寄り添うことができる。

吉岡道場のみなは、それをこそ愛していて、人の輪が集まる。

私に才能がないとは限らない。

才能が開花するかどうかは、明日か、10年先か、50年先か。

その日は、努力し続けない限り訪れない。

才能が有ったとしても、自ら枯らせてしまうのが「諦め」。

だから、できることは、できることをひとつひとつ増やしていくしかない。

そもそも才能なんていうものはな
自分で掘り起こしてつくり上げるものなんだよ
俺だって天才なんかじゃない

誰よりも必死に働き
階段を一つ一つ踏みしめてきただけだ
振り向いたら誰もついてきてない

怠けた連中は麓でこう呟く
「あいつは天才だから」

冗談じゃない

ゆとりで育ったのんびり屋どもが本当に嫌いだ

俺より時間も体力も感性もある奴が
何で俺より怠けるんだ

だったらくれよ

無駄遣いするんだったら俺にくれ
もっともっと作りたいものがあるんだ

俺にくれ

『リーガルハイ2』第7話より 宇都宮仁平(伊東四朗)の言葉

とりとめもないけど、私がやるべきことははっきりしている。

それは、自分の創作や活動など「できること」を磨き上げるということだ。

それなくして、何も開花しないし、状況は変わらない。

□承認を求めようとすることからの回復□

自分自身の承認と、ハイヤー・パワーの承認に頼り始めるとき、承認を求めること自体はOKなのだということを、わたしたちは理解し始めます。他人を操ることはしないで承認を求めるやり方を身につけます。他の人たちの褒め言葉を受け入れて、その褒め言葉が心からの物であることを信じて、率直に「ありがとう」といえるようになります。わたしたちは自分の欲望に焦点を合わせて、「イエス」と思っているとき「イエス」と、「ノー」と思っているとき「ノー」と言います。

適切でない承認の求め方から回復するにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○自分の必要を認める
○自分自身がどう感じているかについて本当のことを言う
○自分自身に対して忠実になる
○自分と他人に対する信頼を築く

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
60Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

✨この本の購入はこちらからできます✨

https://aca-japan.org/docs/books.html

ACAに繋がってなくても、欲しいと言えば送ってもらえます。
お求めの際には、ここの名前は出さないようお願いいたします

他人を操って、よく見られようとして、承認を得ようとしなくていい。

そして、承認を求めること自体は悪いことではない。

このことを私はよく忘れる。

他からの承認に目がくらんで、自分が今やるべきことが見えなくなる。

そして、承認欲求を見ていると苦しいから、見ないように目を瞑る。

そうやって否認している限り、どんどん肥大していくのに。

何度同じことを繰り返すのだろう、と辟易する。

しかし、私は私がACたるゆえんでもあるこの「承認を求めようとすること」を受け容れたいと思う。

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