こんにちは、ちあき です。
断酒会が今まで自分の心のオアシスだったんですが、最近はすこし様子が違ってきていまして…。
この心のモヤモヤは何なんだろう?ということで、よく考えてみました。
私は断酒会に救われて断酒を続けてきた
私は2015年3月から断酒を始めましたが、はじめて断酒会に繋がったのは、2017年。
得意先とのゴルフコンペが嫌で嫌で、スコアが悪いことをネチネチ言われるのに耐えかねてハイボールをがぶ飲みしました。「次に飲んだら離婚」と言われていたのに、飲みました。
妻が探してくれた専門病院に繋がり、先生から、入院か通院どちらがいいか聞かれました。
仕事をやめるわけにはいかなかったし、妻も仕事をつづけながら通院という選択を許可してくれたので、私の場合は通院しながら断酒会に通うことを約束しました。
断酒会にはじめて足を踏み入れた時は、「ああ、こんな人生の落伍者の集まりに参加するにまで、俺は落ちぶれてしまった」と思ったものです。(超失礼)
しかし、同じように止められない酒の問題に悩み苦しみ、一度は自死を意識した面々の赤裸々な酒害の告白に胸を打たれ、「苦しんできたのは私ひとりではなかったんだ」という安心感と内省を繰り返すうち、自分がどれだけひどいことをしてきたか、いかに酒が生活を壊してきたか、を認識できるようになりました。
そして、月日が経つにつれ、自分の話を打ち明けるだけで精いっぱいだった私も、自分のことばかりでなく次第に他の人の言うことに聞く耳が持てるようになりました。
他のアルコール依存症者の体験談や感じたことから学びを得て、共通の傾向・どんな状況でスリップしたり欲求が蘇ったりするのか、とても興味深く、また目が開かれるようでした。
少しずつ感じ始めた「違和感」
そこまではよかったんですけどね…。
最近、断酒会の「体育会系」な体質に少し辟易としています。(あくまでも私が参加している断酒会は、という話で、全国の断酒会にはそうではない会も多数あると思います。)
自助する人の心の安全が守られていないように感じてしまうのです。
例えばある日、入院患者さんが「実は酒を飲みたいです、退院したらうまく飲めると思うので、今度こそ失敗しないようにしたい」と本心を打ち明けました。
そうすると、断酒を1~2年継続しているような元入院患者の「先輩」が、自らの体験談を語る順番になるとこういうのです。
「うまく飲めるなどと言っているやつはまたすぐ再入院になる。私はそうだった。そんな心構えではまだまだ甘い」
あとは、基本的に断酒会はずっと着席していなくてもよく、聞きたくない話のときには席を外してもよいのですが、席を外して外で電話をしていた人がいて、部屋に帰ってきたら、
「なんでみんなの話を聞かないんだ?!」
と恫喝されていたこともありました。
これ、きつくないですか…?
本心を話しても受け容れてもらえる、心の安全があるから、一度過ちを犯して傷ついた人でも、「生きていていいんだ」「そのまま感じてもいいんだ」って思えるんだと思うんですが、私が通っている断酒会は、どうも『後輩を先輩が厳しくしごく』みたいな男性的縦社会の嫌な部分を見ることが多くなってきました。
断酒会のリーダーと古参の断酒継続者が対立していて、お互いの体験を話し時にライバル意識剥き出しで、どちらかと仲良くしていると、どちらかが不服そうにこちらを見ていたり。
おいおい勘弁してくれよ、いい年して中学生かよ、お前ら…。(白目
まだまだ甘い、とか少年ジャンプのスポ根漫画に登場する師匠かよ。
入院患者さんは、退院しても、だいたい、この断酒会に戻って来ることはありません。
そりゃそうだわな。
入院中に義務で連れてこられた断酒会で本心を話したら、なんだかしらないけど長いこと断酒しているという知らないおじさんおばさんにボッコボコに間接的に否定されたら、そんなとこ二度と行こうとは思わないですよね?
言いっぱなし、聞きっぱなしとは、いったいどこに消えてしまったのか?という状況です。
私が知っている断酒会が、
①古参の人々は入院患者を間接的にボコボコにすることで、「断酒継続できていてがんばっている自分」を再認識する『断酒会版生贄システム』により自己肯定感を保ち、
②入院患者はボコボコにされて、自助グループに繋がる機会を失い、自力で頑張ろうという一番過酷な道を自動的に選択するので、再飲酒してしまい、また生贄になるべく入院患者として病院に搬送される、
という①~②の地獄のようなループを繰り返す、回復とは程遠い実態であることに、私は気づいてしまいました。
それから、何となく行く気がなくなってしまい、困っています。
自助グループって、断酒会って、なんだっけ?
つまり、私は悲しいんですよね。
私は断酒会に繋がってからもスリップしたことがありました。
断酒会ではえらそうに「酒をやめていて毎日が素晴らしい、もう飲まないと思う」などときれいごとを言っておいて、あっさり隠れて飲んで頭を6センチ切って貧血で動けなくなり、バレバレなのに隠ぺいしようとし、妻にどちゃくそ怒られました。
死ぬほど恥ずかしくて、消えてしまいたくて、それでも何とか酒をやめたくて、それは独りではできないことが火を見るよりも明らかで。すがるような思いで断酒会に妻と足を運んだことがありました。
そのとき、みんなは黙って話を聞いてくれました。断酒会が終わった後、近づいてきて何も言わずに手を握ってくれました。
それで、どんだけ、私が救われたか。
それだけで、どんだけ、嬉しかったか。
黙って聞いてくれて、手を握ってただ頷いてくれて、あんなに死にたかったのに、苦しいけど生きてみようと思わせてくれたじゃんか。
みんな、そういういいやつだったじゃんか。
自助グループって、もう死ぬほど恥ずかしくて言えないようなことを「否定されずにただ聞いてもらえる」っていうかけがえのない居場所だから、今までの人生で自分一人では向き合うことができなかった本心や生きづらさに向き合う勇気をもらえるんじゃないかと思うんです。
「独りじゃ何もできなかった。それでも、今まで独りでがんばってきた。辛いことはもちろんまだまだあるし、正直お酒だって飲めるものなら浴びるほど飲みたいよ。でも生きていきたいと思うから、完全じゃないし弱いし醜いけど、今日一日、お酒をやめて生きてみよう。」
それが、私の本心そのままの『一日断酒』です。
その本心と自助の真理を私に教えてくれた断酒会なのに、なんだか嫌なしごきがある部活みたいで、がっくり来ています。