仕事がもうどうでもよくなってきた。
仕事のことをあれこれ愚痴ってきたけれど「もう、いいや」と思えてきた。
今も会議中だけどもう全然聞く気にならない。
それに対してイライラしてきたけど、もうイライラすらしない。
なお、Gとはゴキブリである。苦手なら速攻ブラウザバックしてほしい。
資本主義社会は好きじゃない
仕事は、生活するお金を得るために必要だからやっているけれど、本来したいわけがない。
お金が必要だからしぶしぶやっている。
できることなら、好きな本や映画を観て、他人に関わらずのんびり過ごしたい。
でもそんなことは不可能だ。
なぜなら、この世は資本主義社会だからだ。
何かメリットを生み出し、経済価値に還元しなくてはならない。
本当は、感謝されて、その感謝と敬意がお金として支払われるのが健康的だ。
だけど現実はそうではない。
本当は要らないものを必要そうに見せかけたり、業界を独占して提供するサービスの値段を吊り上げたりする。
なぜか?お金に対する恐れと不安から、よりたくさんのお金をより安定的に得ることを追い求めるからだ。
そのために、経済活動を突き詰めれば突き詰めるほど、本質を見失う。
要は、手段が目的になってしまうのだ。
本当に必要なものは何もしなくても売れるので、必要のないものをいかに騙して買わせるかというパワーゲーム・マネーゲームが目的になる。
本当は人と人とを繋ぐ一つの価値観でしかなかったのに、経済的価値は、人々の命と生活をお互いに縛り合う呪縛と化している。
だから楽しくないし疲れる。
人の役に立ちたいという誠実な願いを持つ人間が踏み台にされ「他人より優れていたい」「他人をコントロールしたい」という私利私欲に忠実な人間がのさばる腐りきった世の中。
それが今の世の中。
もうそんなもんだと思うしかない
仕事も、嫌すぎたら辞めりゃあいいし、結局どの仕事したって経済活動である以上、同じような人間の嫌らしさや醜さを見ざるを得ない。
それは、転職を経験してよくわかった。
規模の差でも、会社の差でもなかった。
この社会全体がもう醜く歪んでいるからだった。
最近そのことがよくわかった。
最終的には、この不快感を「人生の代謝物」として受け入れるしかないんだな、と悟った。
誰でもうんこすると思う。仕事はうんこだ。
どうしても生きていれば汚物を処理しないといけないみたいに。
仕事という呪縛も「変えられないもの」だと知った。
実際、今いる会社の規模がでかいことや、様々な組織が代々いろいろやってきたことの積み重ねで、今の私や私の家族が、社会生物として生きるうえで助けられている。
ゴキブリやハエがバクテリアと一緒に糞尿を分解してくれるから、地球の生命の循環が途切れないわけで、会社や経済的な繋がりは、まさにそんな感じだ。
「ぐえ~…気持ちわりい!」といくら嫌ったところでゴキブリやハエを絶滅させることは不可能だし、そんなことをしたら逆に困ることになる。また別の問題を抱えるだけ。
つまり私が、会社や仕事を「過度に恐れず」「過度に寄りかからず」うまく共生していけたらいいだけなんだよな。
いくら嫌っても仕方がないし、彼らは彼らの生き方を変えることはできない。
そしてもちろん、私は彼らの在り方を変えることはできない。
ゴキブリも仕事も 必要な世界の一部
ちなみに私はゴキブリを尊敬している。その不屈の生命力と身体能力の高さには、遭遇するたびに度肝を抜かれる。
でもゴキブリを嫌いな人は、見たくない、触りたくない、この世から抹殺されてほしい、という感じだと思う。私は仕事がそんな感じ。
でも仕事はなくならないし、生きていくためにどうしても付き合っていかなくてはならないものだ。
だから、もうしかたない。
嫌いでも割り切って適当に付き合っていくしかない。
そう思ったら、あまりイライラしなくなった。
バウンダリー(境界線)を引いて、侵略されたらしっかりアサーティブにコミュニケーションをとる。
ゴキブリに例えるなら、台所に現れてしまったら、目撃した個体をしっかり殺して、私の家の領域を守るために追い出す。
しかし、相手の在り方には干渉せず、違いがあっても、私が嫌いでも、存在を否定せずに、世界の一部として包摂する。
ゴキブリに例えるなら、世界の果てまでゴキブリを駆逐するようなことはせず、自分の家以外で目撃しても温かく見守る。
そんなふうに、お互いの価値観が違っても、境界線を守りながら存在を尊重する関係の在り方を、法人に対してもゴキブリに対しても適用していくのが、一番自然なんだよな、と思う。
私は少し大人になった。