【依存症】アルコール依存症者にとって「オンライン飲み会」はリスクでしかない

メディアで最も早く「オンライン飲み会」の危険性について言及してくれた記事は、私が知る限りではこのKarma氏のnoteの記事である。

瑞々しい情景描写に続けて綴られる美しい文章は、専門知識を持たない読者に配慮され計算された文脈で構成されており、読んだものの脳裏に冒頭の描写のようなしなやかさと美しさを感じさせる。

ぜひ、一読してほしい記事である。

というか、もはやここに全部書いてあるので、もう私が蛇足を付け加えることもはばかられるくらいである。

とにかく読んでほしい。そしてヒマだったら戻ってきて私の文章も読んでほしい。

さて、この記事が指摘している「オンライン飲み会」に対する懸念を、少し他人事のように考えていたことを、私は反省しなくてはならない。

なぜなら、私自身もこの「オンライン飲み会」によって、断酒を脅かされかねない経験をしたからだ。

普通の飲み会より断りづらい「オンライン飲み会」

私は会社員である。

多くの会社がそうであるように、現在オンラインでミーティングを行っている。

そしてよくメンバーから、会議の予定のインビテーションがメールで投げられてくる。

そのなかで、とても厄介だったのが、オンライン飲み会付きのミーティングのインビテーションである。

ミーティングが終わったら、そのまま回線を切らずに、彼らは飲み始めるのである。

私はこれがとても厄介で、久々に飲酒欲求がわいた。

つまり、スリップしそうになった。

まず、家にいるのが確定的に明らかなので、「断る理由を考えるのが困難」だということである。

外食する予定も外出する予定も、新型コロナウイルスの影響で自粛であり、できないことは周知の事実である。

家庭のことで、という言い訳が唯一のよりどころだが、毎回断るのはさすがに気が咎める、というひとは多いだろう。断ることも大変なストレスなのである。

私はアルコール依存症であると、会社に公言している。

今年の1月から、取引先にも公言している。

そして「酒のある席は基本的に参加することはない、誘わないでくれ」と公言している。

なので、そのことがあってから、「飲み会」自体に接することが激減した。

いつもの飲み会なら、会議が終わった後会場を移動する。私は、会議は会議室で参加して、飲み会でみんなが飲み屋に移動するのをしり目に帰宅する。

今までは実に気分爽快であった。

「会議」と「飲み会」は明確に境界線がひかれていた。

それが、私の断酒を支え、ストレスを軽減してくれていたのだ。

しかし、オンラインミーティング+オンライン飲み会で、一続きになっていると、疎外感が半端ではない。

「私がいなくなった後どんな話するのかな」

「みんな楽しく飲むんだろうなぁ」

「もしかして私の悪口を言うんじゃないだろうか」

そういう悪い想像が頭をかすめて、正直会議どころではない。

私はもう絶対に何を言われようと、どれだけ不利になろうと、酒だけは飲みたくない、という一念で「じゃ、私はアル中なんで消えます、おつでしたー」とブチっとWEBの接続を切ったが、こういうことがしにくいのが本来だろう。

なんとなくなあなあで残ってしまったら最悪である。

日ごろ我慢している酒をおいしそうに飲む同僚のライブ映像を延々何時間も自宅で見せつけられる拷問のスタートである。

アルコール依存症の患者に対する配慮を

「私はもう酒の席なんて断れる」と天狗になっていた節がある。

今まで見ない努力をしてきただけで、脳の報酬系の回路の異常は今もしっかり脳に焼き付いている。それを浅はかにも「コントロールできている」と見誤り軽視していたことを私は反省した。

ここで依存症者でない方に向けて、オンライン飲み会をするうえで配慮できたらしてほしいことを書いてみようと思う。

①会議のインビテーションは、別々に案内する

わかる。面倒くさいって言うんだろう?でも、やってくれさい。

「会議」と「懇親会」は別のイベントである。分けてインビテーションを送るだけで、「断りづらい」ということでズルズルと残ってしまい、断酒していたのに飲んでしまった、なんてことを防げる。飲まないためには「元から参加しない」。これが一番良い。

考えてみてほしい。

ひとりだけ砂漠で水も飲んでいないのに、このあと水を飲む人たちとハードなトレーニングをして、そのあと美味しそうに水を飲む人たちの映像を見せられたらどうだろう?

どんなに我慢強い人でも、水を飲みたくなるし、水を飲むなって言われたって、飲むだろう?意志がどうとかそういう次元ではない状況なのである。

そういう酷なことをしているのだという自覚を持ってほしい。

②開始と終わりの「時刻」を明確に決める

本物の飲み会でもそうだが、ダラダラと長い。

しかも家で、すぐ隣にベッドがあり、日ごろさみしさを抱えていれば、あと少しあと少しと延長したい気持ちは痛いほどわかる。

しかし、それにより酒量は確実に増えていく。

私は毎朝犬の散歩をしていて気づいてしまったのだ。新型コロナウイルスで在宅勤務が推奨され始めてから、空き缶のゴミが増えていることに。

このことにとても恐ろしさを感じている。

しかも特にストロングゼロ(アルコール度数9%の酎ハイ)の空き缶が多い。

長々と酒を飲み、家で飲む習慣ができ、いずれは私のように昼から飲みながら仕事をするようになる。そうなると、もう依存症まで待ったなしである。つまり、あなたも他人事ではない、ということだ。

③「飲まなきゃやってられない」はなぜか見つめよう

そんなこと言ったって、飲まなきゃこのストレスをどうやりくりすればいいんだよ?

おっしゃるとおりである。私はそう思って飲み続け依存症になったので、気持ちは痛いほどわかる。

それは、なぜなのだろうか?

私の場合は、生きづらさから目を背けたことだった。

自分が抱えている苦しみや不安や恐れや悩みに向き合わず、逃げるために「酒」という名で販売されているエチルアルコールという薬物に頼った。

酒は飲み物ではなく、最も厄介で体を蝕む薬物である。合法だが、良いものではない。これは科学的に間違いない。

そのような薬物を頼ろうとした、その背後にあるものに目を向けてほしい。私みたいになる前に。

もしあなたが「やってられねぇよ」という気持ちで酒をあおっているのだとしたら、そういう気持ちをもっている仲間はちゃんといる。そして、その薬物に頼らなくても、生きていける回復の道がある。孤独でつらく、助けを求めづらかったと思うが、それこそ今はオンラインで気軽に仲間に繋がることができる。

まとめ:オンライン飲み会ではなく、オンライン自助がおすすめ

結局、オンラインを求める満たされない気持ち、それは「さびしさ」である。

人と人との繋がり、ひとりじゃないということ、不安感や孤独感を紛らわせたいから、人は集まりたいし、話を聞いてほしいし、話を聞きたいのだ。

そういうことなら、いい場所がある。オンライン自助グループである。

実際足を運ぶのがためらわれた人も、恐ろしそうだから敬遠していたという人も、今ならボタン一つで、酒を買い込まなくても参加できる。

もし興味があったら、気軽にアクセスしてみてほしい。

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