【ジェンダー】『英雄色を好む』という男らしさの固定概念について

ぽつりぽつりと思い出した男性ジェンダーロールについて、棚卸しさせてください。

私はあまり『肉食系』と言われる男性とソリがあいません。

しかし、男性社会においては、未だに『雄として有能であること』を誇示する傾向にあります。会社や趣味の集まりなど、リーダーシップを取ろうとしたがる人がいわゆるそうした『肉食系』にカテゴライズされるリア充的なキャラクターが多いなぁと思って、いつも遠巻きに眺めています。

転職したとき、7人しかいなかった同期は「自分たちは優秀だ」と思っている節があり、90%以上がそのようなキャラクターの人でした。たしかに転職試験の倍率は高く難関で受かった人が少なかったから、自負が芽生えるのも無理はないのですが、研修中の寮での共同生活は苦痛でした。

同期たちは、毎週末クラブに出かけてナンパしたり「何回やった」だの、「セフレがいる」だの、そういう雄自慢を酒の肴に飲むことが多い人たちでした。

私は本当はそういう話題が全く楽しくなく、むしろ嫌いだったのに「世の中はそういうもので、それが優れた人間のやることなら、真似しなくては」と、乗っかっていきました。

そんな自分を惨めに感じます。

同期は好きだったんですよね、そういうプレイボーイであると自負できる生活が。エロさえあれば男は喜ぶと思っていて、色を好むことこそハイランクな趣味だとさえ考えていたように見えました。価値観の相違が半端ではない。

私は当時まだ酒を飲んでいましたから、酒を飲むなら気を遣ったりしながらではなく、静かに部屋で酒の薬理作用だけに集中して、それこそしこたまただただ飲みたかったのです。すでにその飲み方がアディクトですよね。

わざわざ知らない女性に緊張しながら声をかけるのは嫌だったし、別にそんなに不特定多数の女性と関係を持ちたいわけでもなかったのです。

むしろ、当時はそういうフシダラな在り方を軽蔑し毛嫌いしてすらいました。

それでも、私は間違っているから、と気持ちや素直な感覚に蓋をして、盲目的に「社会で評価されているから」と同調し同化しようとしました。

そのようは卑屈な試みを拒否できなかった、自己肯定感の低さに吐き気がします。

厄介なことに、男性は少なからず、男性同士の集まりにおいてそういうノリの悪さを嫌い、馬鹿にします。

「ナンパの一つもできねーへたれ」

「男としての魅力や自信がないダサいやつ」

そう思われたくなくて、無理をしてそちら側の仮面を被っている人を見てきました。そのうちの1人だったからよくわかります。

むしろダサいのは愛する人をシンプルに大切にしない人だと今ならわかります。

何人と性交渉しようが、RPGのレベル上げじゃないんだから、人間的な価値がモリモリ上がるわけでもないのに、やはり性別が男性である以上「そうでなくてはならぬ」「そうあるべき性別」という固定概念がわたしの中にあったと思います。

私はその自身の中にある認知の歪みをちゃんと自分のものさしで考えて、拒否する勇気を持ちたかったです。とても恥ずかしいです。

わたしの認知の歪みにより傷つけた女性がいたはずで、私が「自分の気持ちをちゃんと見なかったこと」「自分の感じ方を大切にしなかったこと」が、その問題の根元にあります。

女性が傷ついた話を見るたびに、そのエピソードに対して何故かザワザワしました。

女性に対して過剰防衛的になったり、男性に対して不自然に攻撃的になったりしてきました。

私は男性として自分が誤った認識を持っていた時期があったことや、私がやってしまったことを、正しさで隠したかったのです。

私はそういう、あまりにも弱い、人間だったと認めます。

そういう弱さを覆い隠そうとするのをやめたいな、と思います。

今こそ、弱さや罪を覆い隠すために、強さや正しさを得ようとする心を、手放す勇気を。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする