【ジェンダー】フェミニストを名乗る「隠れミサンドリー」

って書くと炎上しそうだが、我慢できないので書くことにする。

先日、いたく感動した。この漫画を見て。

成果出そうレースに参戦し始めた女性たち

この 成果出そうレース は、女性が社会進出するに伴い、女性にも適用され始めているように思う。

例えば、結婚。

家が決める縁談でしかたなく相手を選ぶ余地もなく決められたため、他責にできた今まで。 自由恋愛になり、女性にとって結婚は自らの狩猟能力を問われる実力至上主義の『狩り』と化した。

いかに高性能なATMを捕まえるか、という『成果』で比較されるようになり、数字でわかりやすく存在価値を競うレースに様変わりした。 私たちは簡単に比較できるほど貧相な存在価値ではないし、そもそも異性に好かれるかどうかなど、その人の魅力の一部でしかない。 にも関わらず女性もこのレースから降りようとはしない。

それはなぜか?

幸せというものは不透明で、己の幸せを明確に把握できている人はごく一部であり、大半は分かりやすく比較できるもので手っ取り早く安心したいからだ。これは男性も同じだ。

女性は社会から「女として」「母として」というレッテルを貼られた枠のなかでしか生きられないのが嫌になった。そりゃあ嫌になると思う。

だから、社会進出して権利を勝ち取り、結婚だけでなく資本主義経済社会においても『成果出そうレース』に自ら参戦し始める。

成果出そうレースにずっと生まれたころからぶち込まれていた男性と、成人して就職や結婚というイベントに直面して自ら選択して参戦した女性とでは、認知の歪みに大きな隔たりがあったのだが、そのことは今は知る由もない。

『成果出そうレース』は何でもありのバトルロワイヤルだから、当然、出産や育児で離脱しても誰も助けてくれない。敵にとってはまたとないライバルを蹴落とすチャンスだ。

今までの男たちが、家庭を省みたり休みを取ったら同僚に出し抜かれレースで不利になってきたのと同じに、このレースは不平等を補正してはくれない。 男性はそういう血も涙もないモノだ、それで当たり前だと育てられている(歪んでいる)。 女性は参戦してみて、いち早くこの不平等に気付いた。

だから「マタハラだ」とか「セクハラだ」というふうにハラスメントを顕在化できた。 その点で、女性が社会進出してくれたことにより、いかに不健全な競争をしていたかということが炙り出された形だ。

・婚活市場における勝ち組と負け組

・家事育児と仕事の両立の無理解

実はこれらは異性が悪いのではなくて、社会の歪みこそが真の戦犯だ。

前職で年収が低かったとき。 婚活パーティーで年収の欄をみてガッカリされ話も聞いてもらえなかった経験がある。

逆に転職して年収が跳ね上がり桁が変わった辺りから、『優良物件』という商品として異性の態度がコロッと変わるのも目の当たりにしてきた。

婚活でパートナーを探せば人間性より先に年収で足切りされるし、結婚してATMとして性能が低ければ、本来安息の地であるはずの家庭でも居場所がない。家事育児に寄与できなかった功罪は、熟年離婚という形で精算される。出がらしの茶葉が捨てられるように、年老いて金が産めなくなった男は棄てられる。男の一生なんてそんなにうらやましいものではない。

この『成果出そうレース』に参戦する人は、男も女も、そういう比較しやすい社会的価値(自分にとって意味があるかどうかわからない曖昧な価値)に振り回されて、満たされない承認欲求を抱えることになる。

実に不幸だ。

男性は漏れなくこの成果出そうレースにぶち込まれるわけで、その生きづらさも少しは汲んであげてもいいのかもしれない、とは思えないだろうか。

もちろん今のバトルロワイヤル方式はルール改定が必要だ。 女性も男性も『生きる喜び』を感じられるように、我々は群れをつくり社会を形成したのだから。

男を呪い殺したい「隠れミサンドリー」

女性は本当に長い間、男性によって(正確には社会構造に)苦しめられ、男性を憎んできて、それは今なお、少しも癒されていない。それが、いわゆる「男嫌い」の人々と話していると、よくわかる。

今はちょうど、男女平等こそ是とされる風潮になり、鬱積した怒りと憎しみが女性から噴出している時期なのだろう。

この今のタイミングで、フェミニストを名乗る「男嫌い」に対して、いくら男性の生きづらさを説いたとしても聞く耳は持てない。それは当然の展開なんだなと思う。 「男嫌い」の人たちの鬱憤が晴れてきたら、ようやく話し合うスタートラインにたてる気がするが、それはかなり先のように思える。

真の男女平等を実現したいとして、それは果たして男性を引き摺り下ろし叩き潰し、女性が社会の頂点に君臨する社会構造をつくることなのだろうか?

「男嫌い」がやりたいのはそういうことだと思う。しかしそれは私怨であり復讐であって、男女平等の実現とは程遠い。 自分たちの恨みを晴らすだけ。

戦争の歴史が証明しているように、片方を叩き潰したら、長い歴史をかけて必ず報復されるのは、セオリーだ。 女性は今まさに絶賛報復中で、それは男性の今までの罪のかたち。それは受け止めるべき話だと思う。 しかし、フェミニストは元来、「男嫌い」でも「女嫌い」でもない。

どうやら、この「男嫌い」というのは、「フェミニスト ではなく、「ミサンドリー なんだそうだ。 

私はこのフェミニストを名乗る男嫌いを「隠れミサンドリー」と勝手に呼ぶことにした。

自分たちがしているのは「男尊女卑という巨悪を討つ聖戦だ」と言わんばかりに、男性であればけちょんけちょんにしてもいい、という狂信者たち。

「隠れミサンドリー」は自分たちが弱者であるということを最大の武器にしているし、男性をいくらでも傷つけてもいいという免罪符にしている。自分がされて嫌だった『レッテルを張り追い詰める』という責め苦を味わわせることに人生の喜びを見出した、哀しい復讐者である。

人類を減らしていく「隠れミサンドリー」の華麗なる暗躍

確かに私も アルコール依存症 になるまで、弱者の立場を理解していなかった。 スポーツでも学業でもある程度成功していたので、「結果が出せないのを外部要因のせいにするのは甘え」で、敗者の弁は「負け犬の遠吠えだから聞く価値がない」という実に高慢で嫌なヤツだった。

完全に間違っていた。

差別される側になり、疾患に対する無理解に憤慨した。苦しみを理解しない会社や世の中の人が殺したいほど憎かった。 だから「私たちが味わった生き地獄をお前らも味わうがいい」という異性嫌いの憎しみには懐かしさすらある。実に馴染み深い感情だ。ごく自然な憎悪で、私はそれを全く否定しない。

憎み続けて、病と生きづらさに向き合い続けて、ようやく最近「かつて憎んだ人たちも同じような生きづらさに認知を歪ませている被害者であり加害者だった」ということに気づいた。

気づくのに、実に7年の歳月がかかった。 だから、ミサンドリーの人たちの憎悪が簡単に消えないのには、同情の余地が多分にある。

だから、どっちかっていうと私は、男尊女卑を是正して男女平等の社会を実現するいうゴールを向いている。

弱者のつらさを味わったことのある人間なので、むしろフェミニストにとって味方であるはずなんだが、隠れミサンドリーの話は一方通行にも程がある。こうも議論にならず建設的な話ができなくては、辟易させて味方を減らすだけだ。

そうやって、理解ある異性すら攻撃対象にして、擬態しているフェミニスト勢の戦況を悪いほうに悪いほうに傾かせる。司馬懿もびっくりの天才的な見えざる内乱を実現している。

フェミニストを名乗る「隠れミサンドリー」が思い描く理想郷を実現するには、相手方を『根絶やし』にするしかない。

そうしなくては歴史は繰り返す。 結局そういう人は片方だけになったとしても、また別の立ち位置で二極化させていつまでも争いをやめない。つまりがん細胞みたいなものだ。

もうすでに男性たちは辟易としていて、肉食から草食になったり劇的に衰弱している。

全力で衰退の一途をたどっている。もはや絶滅寸前だと思う。隠れミサンドリーの皆さんには嬉しいニュースである。もう一歩で滅ぼせるよ。

そんな荒野で、結婚に対してメリットを感じている男性が、この世にこれからどれだけ残るだろうか。

このまま、女性が男性を目の敵にして「仕事をしていて当たり前」「家事育児をしていて当たり前」「年収は周囲より高くて当たり前」「妻にはいつも優しくて当たり前」「変な性癖があるやつはNG」などと条件を追加し続けていくとする。

もはやそこまで縛られて修行僧のような生活をしながら一人の女性と一緒にいることを選ぶ人のほうが少なくなるだろう。結婚しないで細々と自分が食べられるだけの給料を確保して、趣味にかけられるお金と時間を確保したほうがよほどQOLが高い。

どんどん、結婚は物好きな人がするものになっていくだろう。

女性は仕事をバリバリしたいし、出産や育児でタイムロスしたくないとさんざん言ってきたんだから、それに人生を費やせばいいし、男性は結婚したくないのだから、必然的にカップルは生まれず、ゆえに子供は生まれない。

しかしそれがお互いのニーズが最適化された姿だろう。よもや恨むまい。

そして人類は人口を大きく減らし、衰退していく。それもひとつの選択肢だと思う。

私はそれもいいんじゃないかな、と本気で思っている。生きたいように生きるのが、人生においては大事だし、女性も生きたいように生きるならば、それでかまわないのではないだろうか。

まとめ:滅びの道を歩むのが望みではないのなら

しかし、そうではない、というのであれば、少し課題について整理してみたので、聞いてみてほしい。

フェミニストとひとくくりに呼ばれる人たちの中で、フラットに会話できないタイプのフェミニスト、いわゆる「隠れミサンドリー」の良くないところは『自分たちは被害者で、加害者性はない』と盲信していることだ。 無自覚なだけで、男女ともにそれぞれの役割に対して共依存してきた歴史がある。

相手との歪んだ関係に執着することにより、被害者でもあるが加害者でもある依存関係。それが、共依存という関係だ。

残念ながら、両性ともにこういう偏った被害者精神を堅持するタイプが一定数存在する。

それが続く限り、いつまで経っても話し合いは進まない。それらの人たちの騒音が鳴り止まない限り、互いの声は聞こえない。

隠れミサンドリーが、本気でジェンダーロールを破棄して社会をアップデートしたいと願っているとしたら、その実現を自ら阻んでいるのと同じだと思う。

ジェンダーの問題は被害者性と加害者性を等しく持っている。 女性も男性も。 どちらかを加害者にしようとしたり、自分たちだけを被害者にしようとしたりすると、話は歪む。

まずは両方がお互いに自分たちの辛さを受け入れてもらえること。 その上でどうだったら嬉しいのかを一緒に組み立てようとは、考えられないだろうか?

フェミニストを名乗り、男女平等を理想に掲げるならば、男性の生きづらさにも寄り添うマインドセットをして議論に臨み、社会に声を発するべきだと思う。 「隠れミサンドリー」とフェミニストを混同している限り、残念ながら女性も男性も自由にはなれない。

つまり「隠れミサンドリー」を明確に区別し回復を支援することこそ、フェミニストのみなさんに先頭に立っていただき、皆でフェミニズムを大切に育てるために必死になって取り組むべき課題だと思う。

どっちの方が辛いとか、そういう話はもう比較はやめにしたい。つまらない、そういう話は。

わかり合うには、この『成果出そうレース』から男女共に離脱して互いの存在価値を認めることだ。

お互いにお互いの辛さがある。聞くよ。それをお互いに否定せずに吐き出せる、心の安全が確保された空間が、男にも女にも必要なんだと思う。そこで思う存分、恨みは吐き出そう。そして、おいてこよう。

それから、お互いが生きやすくなるように、社会を一緒に変えていこう。

社会こそが歪みであり、真のラスボスだ。女も男もホントはRPGで言えば同じパーティなのに。 同士討ちしたって埒があかない。

そう思うのだけど、これもまた曲がった解釈でとんでもないクソリプをもらうような予感しかしない。

諦め半分で、しかし今の想いを書かずにはいられなかった、3月の寒い夜。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. MICHAEL より:

    ミサンドリーとかミソジニーと言う言葉を初めて知りました。
    ありがとうございます。

    私もミサンドリー・ミソジニーだったと思います。

    なぜなら、子供の頃、母親が私に愚痴とか悪口を話して聞かせた後、必ず言う〆の言葉が「男はズルい、女は損だ」だったからです。

    私は母に反発しながら、潜在意識に刷り込まれていったのだと思います。

    私も、男にたまたま生まれただけで、女を支配し利用しようとする男を憎んでたし、女に生まれた自分を呪ってました。

    私もアルコール依存症の自助グループで、さんざん夫や父親の悪口を吐いてましたが、仲間の話を聞くうちに男性もまた苦しんでることに気づき、母親の洗脳が解け、男性嫌悪もなくなりました。

    そういえば、12ステップの棚卸表にも、第1列には人・考え・仕組みとありますよね。

    ただ、男性は意識してないかもですが、力の強い男性が怒りを露わにすると、女性は恐怖を感じるものです。それは本能的な防衛反応だと思います。
    やはり男性の側も、配慮していただきたいなと思うし、配慮いただけないなら、そういう人がいるミーティングは避けられても仕方ないのではと思います。

    聞く側も話す側も、男女関係なく、配慮は必要だと感じます。
    ただ、勝手な話ですが、私が男性嫌悪モロだしに、夫や父親への怒りを吐き出していた時、黙って話をさせてくれた仲間には感謝しかありません。