【AC】ACを生み出す親が帰省している子供にやりがちな6つのこと

こんにちは、ちあき です。
ACにとって年末年始は憂鬱な時期です。
なぜなら、実家に帰省することが世間一般では求められるからです。
私も例にもれず、今回もクッソ憂鬱でしたが、今回はがんばったと思います。
親の立場の人が読むと頭にくる記事かもしれません。
しかし、以下のような事例に当てはまるなら、もしかしたらお子さんはだいたいこんな気持ちかもしれません。

ACを生み出す親が帰省している子供にやりがちな6つのこと

今回の帰省のエピソードをもとに、ちょっとまとめてみました。

①やたらと子供を心配したがる

「8月から元気なさそうで心配しているのよ」と母親。
本当に心配しているのは「自分がいい母親でいられているかどうか」、だよね?
ACという課題に気づき、夏頃から気を遣って愛想笑いするのをやめたから、元気がなさそうに見えるんだろうけど、それが本来のあなたがたに対する私の態度なんだよ。
「息子を心配する素晴らしい優しい母親」という自己イメージを保ちたいから、息子には心配をかけてもらわないといけないし、心配な子でいてもらわなくてはいけない、と思っている。だから、心配したがる。
35にもなる息子(おじさん)を心配しなくていいから、自分の心配をしてほしい。
あなたは、自分の人生を生きていない。
「息子を立派に育てる」という世間的にも美しく素晴らしいとされている責務に寄りかかって、自分の心の穴を埋める作業から目を背けているだけ。
いい加減、子供を出汁にして人生を誤魔化すのはやめてくれ。

「ちゃんと仕事には行けてるのか?」
「本当は休んでいるんじゃないのか?」
「酒は本当に飲んでないのか?」
「体調が本当は悪いんじゃないのか?」

うるさい。

もしそうだったとしても、俺はもう成人して独り立ちしているんだから、「もう関係のない違う家の人」には答える義務がないんだよ。

頼むから自分の人生に集中してくれ。「心配な息子」の役をまだやらせようとするなよ。

その役割を押しつけて自分の人生から目を背けるのをいい加減やめろ。

60年も生きてきて何も学ばないのか。精神が未熟すぎる。

②核家族内だけの秘密を持とうとする(隠ぺいする)

妻がいなくなった隙を見計らい、父方の祖父が大腸癌で今年中に死ぬかもしれない、切除困難な部位に腫瘍ができたらしい、祖母は認知症だからこれから大変、などとコソコソ私だけに話そうとする母親が嫌いだ。
そういう隠蔽体質が嫌いなんだよなぁ。
なぜ妻に隠したがるのか。

それは、妻を外部の人間だと勘違いしているから。
身内の後ろ暗いことやあまり社会的に体裁が悪いことを隠そうとする。

妻はもう身内だろうが。

そんなふうに家族の中ですら隠し事をする家だから、俺はあんたらを信用できなくなったんだよ。

妹を含めまだ4人家族の気分でいる気持ちの悪いこの人たちと一緒に居たくない、というのが率直な気持ちだ。

仲間外れにされたら誰だって嫌なのに、妻を未だに外部の人間だと勘違いしているから、妻に嫌われる。

なぜそれが分からないのか?

だから自分たちのところに息子夫婦にあまり帰ってきてもらえないのだと、なぜ分からないのか?

自分たちがやったことを何もわかってないことに改めて絶望感しかない。

③子供の夫婦にアドバイスしたがる(過干渉)

「私がちあきを育てた時は、こうだったのよ」
「〇〇さん(妻)も、そろそろ子育てが落ち着いたから、働く時期なのではないかしら?」
ほんとうに余計なお世話でしかない。なぜこんなことを言うのか。
私が転勤族だし親元から遠いところで二人きりで頑張っているのだから、預けられないし働けないから、妻にはがんばってもらっているのだ。
公務員であるあなたがたには想像できないかもしれないが、想像が至らないのなら、せめて黙っていてくれ。
そして母親の古臭い子育て情報は聞かれていないのに披露することではない。
こちらが聞きたかったら、「こういうときはどうしてた?」と聞くだろう。
信頼してアドバイスをもらおうとする人に、人間は自発的に質問するものだ。
質問がないということは、信頼されていないのだ。
だからせめて黙っていればいいものを、口を出すのは、共依存的な過干渉が身に染みついているからだ。

④最近体調が悪いことを殊更にアピールする(か弱さアピール)

父方の祖父母はよく、体調悪いとか、もうすぐ死にそうとか、そういう話をしていた。

そういう無言の圧力みたいなのを、誰より私の母親は、一番嫌ってきた。

父方の祖父母宅への帰省のたびに悪態をついていたくせに、全く同じことをしているのが、全くわからないようだ。

父親ですら、最近咳が止まらない、などと言い出す始末。

母親は妻のほうの実家の義母と電話で話して聞いたことを持ち出して、「(妻の方の実家には)ご長女もご長男も帰ってきてるらしいわね、いいわねー」などと、しつこいくらい話題にしてくる。

反対の立場になったら真っ先に「将来的には実家に帰ってきてほしい」っていう圧力をかけてくる両親。

もはや怒りを通り越し諦観する。

⑤コントロールしようとする

直接言わずに、間接的に意図する答えを引き出そうとする。
両親は、この手法を用いて常に会話をするので、実に回りくどく、会話するだけで疲れる。

「子育ては親が近くにいたら、あなたたちも楽よね」

つまり、比較的距離が近い私たちが手伝いましょう、と言っているのだが、近いのが母方の実家ならまだしも、大嫌いな舅姑のいる家に頼るなんて逆に楽じゃないから。

自分たちが孫に会いたいだけ。それなのに、手伝ってもらえたら助かる、というこちら側からの要望があったから、いう形にしたいのだ。

「祖父が癌で亡くなりそう。年内には厳しいかも。私たちは2月に行くのよ」

言いたいことは、「ひ孫を見せに行かせたい」「2月に行くときに一緒にこい」のようだが、こちらも生活がある。そもそも遠いしいい思い出もないから、孫の私ですら行きたくないのに、妻や子供と行く理由がない。

こちらが、「それなら2月に一緒に行きたいな」と自らの意志で選択したように見せかけて期待を酌み返答するのを待っている。

そういうやり口が汚いのだ。

来てほしいなら言えばいい。

私は、そうやって放たれた意を酌み、今まで期待通りの返答をしてきた。

自分すら、本当に思っているのだと自らを騙して。

その結果、私はその行動に対する結果に責任を持てなかったし、達成感も持てなかった。ただ、決めさせられた事実だけが上滑りしていった。

不満を感じて親に文句を言おうものならこう言われるだろう。

「だってあなたが決めたことじゃないの」と。

いつだってその理論武装でうまい具合に動いてほしいように動かされてきた。

そのことに今は強い怒りを感じる。会社の活動方針やマインドコントロールに対して強い怒りを感じるのもこのためだろう。

⑥期待通りの反応でないと怒ったり悲しんだりする

期待していた通りにリアクションしないと悲しそうにされるのが、昔からすごくきつい。

今回もそう。

そんなとこまでご機嫌とりしてたんだなって思って愕然としたが、私はいつも「お母さんお料理おいしい!」と、別に食べたくないのに無理してお代わりしたりしてきた。

今回は何の気も遣わないと決めていたので、普通にお腹が満たされたら食べるのをやめた。

そうすると、もっと食べてほしいと言わんばかりに「え…?もう食べないの?まだあるよ?」と哀しげな顔をする。

その顔が大嫌いだ。

幾度となく、その哀しい顔をして俺の罪悪感を掻き立てて、思うように操ってきたことを、この人は無自覚にやっている。

習い事を辞めたいと言った時もそう。幼稚園に行きたくないと言った時もそう。これは食べたくないと言った時もそう。妹ができて寂しいと言った時もそう。

全部、その顔をするから言えなくなった。元気で頼りがいがあるお兄ちゃんをしないといけなくなった。自分の気持ちを言えなくなって、自分の気持ちがわからなくなって、母親の顔色ばかり窺うようになって、次第に何が欲しくて何がしたいのか、わからなくなっていった。

今もその手が通じると思っているのか。愚かな。

「いやいや、お前何被害者ヅラしとんねん」と思うけど、なんか引っかかる。

罪悪感を掻き立て、その手の圧をかけるプロだから、さすがだ。伊達に子供たちをその罪悪感でコントロールして、自分が思い描く「理想的な子供」に洗脳しようとしただけのことはある。

コントロールできないと分かり、不安げなうかがうような目で見てくる。

虫唾が走るほど気持ちが悪い。でも、私も妻に「うかがうような目で見てこないでよ、気を遣わないでよ」と言われるから似ている自分がいるような気がして、自分の存在を滅したいと思ったりする。

こんなくそみたいな人間の遺伝子が半分入ってしまっているこの自分が嫌いで仕方がない。

世帯連鎖させるぐらいなら、呪いのようなこの存在は消えた方がいいのではと思う気持ちがやっぱりある。

親に会うほど強くなるから、どんどん会いたくなくなっていく。

愛情という名の支配に対してNoと言おう

「本当のところ体調はどうなの?」
などと言いながらすり寄ってきたタイミングで
そうやってコソコソ話されると頭に来るんだよね、妻も子供もみんないるときに聞いてくれる?」
と、母親に言うことができた。
これは私にとって大きな変化である。
今までは、愛想を振りまいていた。
思ってもない誉め言葉を言ったりした。
この家族が最高なんだと思おうとしてきた。
でも、そうではなかった。
今でも、そうなのかもしれない、私の勘違いであればどれだけいいか、と思う。
しかし、明らかにそうではないのだ。
私はこの家族の中で生きていて、楽しいと思っていなかった。人生なんてしんどいばかりで早めに終わってしまえばいいのにと思っていたし、他人と健全な関係を持つことができなかったし、最終的にその寂しさの心の穴を埋めるためにアルコール依存症になった。
それはどれもこれも、AC(アダルトチルドレン)の問題を知れば知るほど、機能不全家族のなかで育ち認知の歪みと心の穴を抱えて苦しんでいたからだった、私は幸せなどではなかった、と気づかされた。
「愛情とは、与える側と受ける側の双方があって成り立つのです。受ける側がそれを苦痛や拘束と感じれば、愛情ではなくそれは支配なのです。」(信田さよ子氏)
というかの有名な信田さよ子先生の言葉にある通り、私が受けていたのは愛情ではなく、支配だったのだ。
今回の帰省はかなり自分なりに自分を持てたし、嫌なことは嫌と言えた気がする。
本音を言うたびに落ち込むような顔を見せ無言の圧力をかけてくるリアクションに負けず、
私はあまりこの実家に帰りたくないし、私のところに来てほしくもないし、口を出されるのはまっぴらごめんであるということをしっかり態度で示せたと思う。

では、親とは、子供とどう接していくものなのか?

一生懸命育ててくれた親なのに、冷たいのではないか?

「世間」という何も知らないフィルターを通せば、そうかもしれない。

が、私はこの両親に今までずっと、自分らしく生きる権利を奪われ続けてきた。

暴力も暴言もなかったし、ネグレクトでもない。

しかし、この支配は明らかに虐待と同等だ。

だから、私は、率直にこの父母と妹の、かつての家族が大嫌いだ。

健全な親は、相手の気持ちを傾聴するという形で対話し和解するから、そもそも子供をACにさせない。

現に、妻の母親は、妻の志望校がハイランクで担任が「ここは難しいが、本当に大丈夫ですか?」と三者面談で質問してきたとき、「この子が頑張るって言って決めたなら大丈夫です」と返したそうだ。

私は、そんな風に信頼されたかった。

干渉しなきゃ失敗するみたいに心配されて先回りされて、失敗できずに生きてきたこの人生は、空虚でしかなかった。

成功したら、何もかも親のおかげと言われているような気分だった。何の喜びもなかった。

私自身は何も掴めなかった。正直今は殺したいほど憎い。

親は、ここまで憎まれないためには、根本的に子供は違う一個の人間であることを自覚するべきだと思う。生きる力を信じて、人生の舵取りを任せるべきだと思う。

私は両親を許せそうにないし、それでいいと思っている。

両親に対して硬い表情してる俺を不思議そうに見てる娘が、俺と同じようにばあちゃんちにいくとき気を遣ったりするようになるのか、と思うと、暗くなる。

こんな暗澹たる気持ちにさせる楔を残した人間を許せというほうが無理だ。

そろそろ祖父母が死ぬということは、両親の年齢には私にとってのゴール。

60にもならなきゃ死なない(いなくならない)のか、と思うとちょっと気が遠くなる。

自由な時間は、実質10年もないではないか。
できることなら、早く病気か事故で早めに逝ってほしい。

施設探してきてぶち込むしかない。金はかかっても仕方ない。

晩年になり「頼れるのはちあきしかいない」とかすり寄ってこられたら、ストレスでほんとに刺しそうだから、絶対に言わないでほしい。

自力で頑張って生きてくれ、あるいは死んでくれ。

あとがき:これからを生きるために素直でありたい

自助グループで聞いてもらって、そのままの感覚を受け止めてもらえたこと、そのうえで明らかに異常だという客観的に感想もらったことが、大きかった。

仲間に出会えて、本当にありがたいと思う。

私が感じたそのままを、親は受け付けてくれなかった。

やはりどう考えても、期待通りの返答をするように求めてきた。それを感じ取れるようにして子供だった私をコントロールしてきた。感じたそのままを受け止める余裕がなかった。それは彼らにとっては「愛情」だったのかもしれないが、私にとっては「支配」だった。

私にはもう一つ解決しなくてはならないことがあった。

それは、私がこれから生きていくうえで「期待された役割」ではなく「自分が生きたい人生」を生きるために、妻に伝えるべき本音を話す、ということだ。

生きたい人生に対して素直であるということだ。

実家から帰るの車で、妻に以下のことを初めて打ち明けた。

「あまり実家にはもう帰りたくない」ということ、その背景には ACという概念があって、わかりにくいけど要は虐待されてきたようなものだ、という説明をした。

それぞれの家庭で、子供の頃の意見の受け止め方がどうであったか、その違いを再確認したあと、だからいつも私は「どうしたいとか、何が好きとか、いうのも気付くのも下手」で、「それを今一生懸命見つめ直していて、口に出したら否定せずにまずは聞いてほしい」し、「その上で、これは嫌だ、無理だ、ということは話してほしいし、俺も話すようにするから」と伝えることができた。

「それを踏まえて、一緒に暮らしていけるかどうかを再度考えていきたい、なぜなら、出会ったときに期待してくれた私とは違う私である可能性が高いし、それで嫌いになったり一緒に暮らしていけないということになっても仕方がないと思うから」と伝えられた。

それらを話し合ったうえで、「わかった、とりあえずやってみよう」という話になった。

私は、そのままの自分で生きてみたい。

素直にのびのびと、自分の言葉で話したい。

だから、ちゃんとアサーティブに説明して妻に伝えられてスッキリした。

離婚するという可能性も含めてリアリティをもって考えていくために、私はまず嫌なことは嫌だと言う必要がある。

気持ちが整理されて、思いを静かに話す覚悟ができたから、妻にも伝えてみることができた。

やりたくないことをやめる、というだけでも、存外に難しいものである。

結局、どんなに辛くても、人は自分が生きたいように生きるしかない。

生きたい方向が本当はあるのに分からなかったり、方向を曲げたり歪めたりしないために、「自分はこう感じてる」「自分はこっちがいい」って、はっきりと言えるようになりたい。

それでないと、ちゃんと生きてない気がする。
今までちゃんと生きてなかった。
断酒して拾った命。納得して生きていたい。どうせしんどいながらも生きるのなら。

ちゃんと生きることなんてできないなってのも結論の一つだとして、
諦めるにしても、やるだけやってから、諦めたい。

中途半端だった。だからイライラしてきた。

生きるなら気合入れて生きる。

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