【発達障害】ADHD治療薬まとめ(2019年11月)

こんにちは、ちあき です。

現在、ADHD治療薬には3種類の薬剤が発売されています。

ご専門の先生が様々な患者さんとの治療経験に基づいて治療しておられるので、主治医の先生によくご相談するのが最も重要なことであると前置きしたうえで、現在使える薬がどんな効果があり何に注意しないといけないのか、考えていきます。

 

脳の部位とモノアミンと脳の機能について

薬剤の話に入る前に、脳のどこと障害が繋がっているのか、整理しておきましょう。

 

☆表記方法

〇困りごと(障害の名前)

=脳の部位:関与しているモノアミン神経

☆脳の部位の解説

 

①やるべきことに集中できない(実行機能障害)

=前頭前野:ドパミン神経系・ノルアドレナリン神経系

☆前頭前野とは?=高次な認知・実行・情動・動機つけ・意思決定。

前頭前野はヒトをヒトたらしめ,思考や創造性を担う脳の最高中枢であると考えられている。前頭前野は系統発生的にヒトで最もよく発達した脳部位であるとともに,個体発生的には最も遅く成熟する脳部位である。一方老化に伴って最も早く機能低下が起こる部位の一つでもある。この脳部位はワーキングメモリー反応抑制行動の切り替えプラニング推論などの認知実行機能を担っている。また、高次な情動動機づけ機能とそれに基づく意思決定過程も担っている。さらに社会的行動葛藤の解決や報酬に基づく選択など、多様な機能に関係している。

出典:前頭前野-脳科学辞典

 

②我慢ができない(遅延報酬障害)

=腹側線条体:ドパミン神経系

☆腹側線条体とは?=快感・報酬・意欲・嗜癖・恐怖の情報処理。

腹側線条体はHeimer らによって提唱されたコンセプトで、側坐核とその周辺の領域を含む。入力元は腹内側前頭野・前頭眼窩野・島皮質といった皮質、扁桃体・海馬・視床髄板内核群を含む皮質下領域と中脳のドーパミンをはじめとした神経伝達物質関連領域であり、出力は、大脳基底核の腹側淡蒼球と黒質網様部・緻密部、基底核外への投射としては外側視床下部・脚橋被蓋核・中心灰白質・分界条床核がある。これらの領域間の情報統合とドーパミンを中心とした神経伝達物質物質の作用により、快感・報酬・意欲・嗜癖・恐怖の情報処理に重要な役割を果たし、意思決定や薬物中毒の病態の責任部位であると考えられている。

出典:腹側線条体-脳科学辞典

 

 

③段取り・要領が悪い(時間処理障害)

=小脳:ノルアドレナリン神経系

☆小脳とは?=学習機構があり、主に運動を制御する。

小脳は大脳の尾側、脳幹の背側に存在する。小脳皮質とその深部にある白質からなり、さらに白質の中に小脳核が存在する。原始小脳である片葉、垂と小節、中央に古小脳である虫部、外側に新小脳である半球に大別される。半球と虫部はさらに溝により葉に分けられる。小脳の神経回路は学習機械と考えられる。小脳の出力細胞であるプルキンエ細胞には、末梢感覚器や大脳皮質に起源をもつ情報が苔状線維―平行線維を介して入力するが、それらは、下オリーブ核に起源をもつ登上線維の入力により修飾を受ける。さらにプルキンエ細胞の出力は小脳核に伝えられ、そこでさらに長期記憶として保持される。小脳皮質にはプルキンエ細胞以外に4種類の主要な神経細胞が存在し、プルキンエ細胞の信号伝達の特性や可塑性を調節する。小脳はこのような学習の機構を用いて、運動が正確かつ円滑に行われるようにフィードフォーワード制御を行う。また小脳は情動や認知機能の遂行にも関与すると考えられている。

出典:小脳-脳科学辞典

 

 

 

出典:児童青年精神医学とその近接領域 Vol. 58, No. 1 S13︲3.成人の ADHD の薬物療法(大髙一則,岡田俊)

 

これら3つに加えて、もう1つ。

 

④イライラする(情動調節障害)

=扁桃体:神経系は特に限定的ではない(特定できない)

☆扁桃体とは?=恐怖感、不安、悲しみ、喜び、直観力、痛み、記憶、価値判断、情動の処理、交感神経に関与。

扁桃体(へんとうたい)は、神経細胞の集まりで情動反応の処理と短期的記憶において主要な役割を持ち、情動・感情の処理(好悪、快不快を起こす)、直観力、恐怖、記憶形成、痛み、ストレス反応、特に不安や緊張、恐怖反応において重要な役割も担っています

うつ病発症のメカニズムとして、強い不安や恐怖、緊張が長く続くと扁桃体が過剰に働きストレスホルモンが分泌され長く続く事により神経細胞が萎縮して他の脳神経細胞との情報伝達に影響し“うつ病” 症状が発現すると考えられています。

扁桃体の役割は、海馬からの視覚だったり味覚だったりそういう記憶情報をまとめて、それが快か不快か(好き嫌い)を判断。何かの行動が快不快感情を生んで、その情報を海馬へと送るというように、海馬と扁桃体は常に情報が行き来しています。

出典:大脳辺縁系のおはなし

 

痛みやストレス状態になると扁桃体が興奮します。

前頭前野は扁桃体の興奮を鎮めますが、痛みストレスが継続的に起こる場合は、扁桃体が興奮しっぱなしとなると痛みが増幅され血圧上昇、不眠となります。

体に触れることにより視床下部で合成され下垂体からオキシトシンを分泌させることにより扁桃体の興奮を鎮静化します。

 

参考:脳と心の発達メカニズム(成田奈緒子)

 

脳には様々な部位とそれに応じた役割があります。

それぞれの部位によって関与しているモノアミンも異なります。

表に出ている障害を上記のように3つに分け脳の部位とモノアミンに分けて整理すると、薬剤の特性がより分かりやすくなります。

 

 

1、コンサータ(メチルフェニデート)

患者向け医薬品ガイド

ドパミン再取り込み阻害剤で、分類としては中枢刺激薬です。

ということは、ドパミンを増やしてあげるので、上記でいう、①やるべきことに集中できない(実行機能障害)、②我慢ができない(遅延報酬障害)に影響します。

主に報酬系の強化により「我慢ができるようになる」というのが親や学校の先生としては感じるところです。

即効性があり、服薬したその日から効き目を実感することもあります。不注意・多動へ強力な効果があります。

本人の実感として「やらないといけないことを我慢してできるようになる。でも効きすぎるとやらないといけないことが目の前にたくさん常にあってしんどい。」というような感想を聞きます。

 

2、ストラテラ(アトモキセチン)

患者向け医薬品ガイド

ノルアドレナリン再取り込み阻害剤で、分類は非中枢刺激薬です。

ということは、ノルアドレナリンを増やしてあげるので、上記でいう、①やるべきことに集中できない(実行機能障害)、③段取り・要領が悪い(時間処理障害)に影響します。

効果発現は数週間かかり、ゆっくりです。

段取り・要領の改善が見られます。親からみると「何も言わなくても優先順位をつけてちゃんとやるべきことをするようになる」と感じられそうです。

本人の実感として「やるべきことの順番がよく見えるようになるけど、いつもやっていた考え事ができなくなった。」などという感想を聞きます。

3、インチュニブ(グアンファシン)

患者向け医薬品ガイド

選択的α2A受容体アゴニストで、分類は非中枢刺激薬です。

???となりますが、前頭前野や大脳基底核に作用しノルアドレナリンを中心としてシグナル伝達を増強する可能性が示唆されておりますが、作用機序は不明です。大脳辺縁系や扁桃体に働き、抑制する可能性もあるのではないか、と一部の医療関係者の間では言われております。

ということで上記でいう、①やるべきことに集中できない(実行機能障害)③段取り・要領が悪い(時間処理障害)④イライラする(情動調節障害)に影響します。

数日で効果を実感でき、比較的速やかな効果発現が期待できます。

情緒的な安定感が生まれます。怒りで衝動的に手が出たり暴言を吐いたりしてしまうことが少なくなり穏やかになる傾向があります。

親から見ると「落ち着いていて、怒りっぽくなくなる」ようです。

本人の実感として「心が落ち着いて優しい気持ちでいられる。心が穏やかに過ごせるのはとても快適。だけど、飲み始めたときはすごく眠たかった。」などという感想を聞くことが多いです。

 

まとめ

薬は、あくまでも手段の一つです。

孤独を感じにくく楽に生きられる「マジョリティー」であってほしいという親の願いを優先するのが最良なのでしょうか?たとえるならば、異性愛者が同性愛を強要されるようなもの(逆もまた然り)と同じ息苦しさを私は感じてしまいます。

それこそ、その子自身が判断することであり、本当の自分を消してまで社会に適応するかどうかは、その子が人生の中で選び取るべきことかもしれません。

その子がより自分らしく生きていくために、薬も治療も存在しています。

親が「受験だから」「学校でおとなしくしていてほしいから」「会社に行って自立してほしいから」という自分の想いだけで判断することがないように、願うばかりです。

【子育て】親の陰口が子供の心を騙すという話(アダルトチルドレン)

こんにちは、ちあき です。

 

最近になって、母親から呪いを受けていたことに気づく機会がありました。

 

ふとしたときに思い出された、活き活きした父の姿

あるデザイナー兼イラストレーターの先生と話をしていたときのことです。

 

「漫画書く仕事をしているときって、最初は話の構想を練ってネームを描いて、登場人物の心の動きとか設定とか考えながら作業してるんだけど、下書きしたりペン入れしたりして何回も何回も同じシーンを描いては修正し描いては修正しを繰り返しているときには、作業で精いっぱいになって、何を描いてたのかわけわかんなくなるんですよねー。だから、読んでくれた感想ってとってもありがたいんですよー。自分だともう作品をそのままフレッシュに見られないので。」

 

という、狂気が滲み出るエピソードとを聞き深く戦慄したわけですが、なぜか懐かしさがありました。

 

私の父は書道家で、よく自宅で籠って字を書いていました。

 

展覧会の前などは作品が仕上がらない、と言って何時間も部屋で独りでうんうん言いながら書いていました。

 

たまに、「あー!もうわからんくなった!!」と言いながら、リビングにきて

「ちょっとこっちきて」と私と妹を呼び寄せるのでした。

 

何かな?と思って作業部屋に行くと、2つの書が並べて壁にかけてあり、

「どっちをどう思う?」という謎の問いかけをされます。

楷書でなく行書なので、何と書いてあるかすらわからないのですが、特に説明はなく、「感じたままを教えてくれ」というので、ほとほと困り果て、

「うーん、右のほうが白いところが多いから寂しい感じがする」

などと感じたままのふわっふわな感想を話すと、目を輝かせて

「そうか、そうかー、なるほどなー、ふんふん」などと言いつつ、私たちを読んだことはすっかり忘れてまた作品に没頭してしまうのでした。

 

こうしたことが何度もあったことを唐突に思い出したのです。

父もまた、書道家としてずっと作品に向き合ってきて、たまによくわからなくなるのか、こうしたことがあるたびに当惑した思い出がよみがえり、爽やかな感じがしたのです。

 

なぜか?

自分の父が生身の人間として、心に還ってきたような、息づいてる感じがしたのでしょう。

(もうお亡くなりになったような書き方ですが、父はまだ存命しています。)

 

 

母親から授けられた、父を嫌わなくては、という呪い

母親は、ずっと、父の愚痴をいっていました。

繰り返し繰り返し、私は父の悪いところを母親から聞き続けてきました。

 

「仕事ばっかりして帰ってこないなんて、ひどいでしょう」

「なぜなら、私たち家族よりも仕事のほうが私たちより大事なのよ」

 

そんな話をずーっと聞かされてきて。

母は父に帰ってきてほしい、っていうだけだったんだろうけど、

私は父を「嫌わなきゃいけない」と思ったのだと思います。

 

私は母といる時間が圧倒的に長かったので、父と話すのはもっぱら休日で、情報量では母親サイドの話が圧倒的に暴露率が高く、父をどんどん心の中で悪者にしていきました。

 

そうしなければ、嫌われるのは私になるからです。

父が嫌われ者をやってくれているうちは、母から嫌われずに済む。

母に嫌われたら子供の私は生きていけないし、何より母に嫌われることを考えたらとても心が耐えられないだろうと感じていました。

 

それに、父がちゃんと仕事だけじゃなく家庭にリソースを割いてくれれば、母からこんな聞きたくもない話を延々聞かされたりしなくていいし、私が聞いてほしい話ができたのに、と、父を恨む気持ちは日に日に強くなりました。

この記憶は、今も「仕事をしているからといって家事や子育てに手を抜くことは許されない」という、ひとつのクサビになって、私を休ませてくれません。

 

ある研究によれば、父親が家に帰ってくる数が少なくても、母親が、父親に対する愛情をもっていることを、子供たちに伝えている場合と伝えていない場合とでは、父親に対する子供の好感度が異なるといわれています。

 

それを考えるにつけ、私は、やはり父を本当は嫌いになりたくなかったのだと思います。

 

私だって父との時間が欲しかった。

本当は嫌いになりたくなかった。

父の話をもっとしてほしかったし、もっと私も自分の話したかった。

 

しかし、それは叶わなかった。

母が父を遠ざけ、意図せず悪者に仕立て上げてきたから。

父を嫌わなくては、逆に母に嫌われる恐怖を植え付けてきたから。

 

呪いを子供に授けないために、どうすればいいのか?

ずっと探していた生身の父。

たしかにそこにいて、感情をもって懸命に生きていた父。

私は、漫画を執筆した先生のエピソードに、父とのかすかな思い出を重ねて、なんだか嬉しくなってしまったのでした。

 

そんな風にならないように、私はパートナーの悪口を子供に吹き込むようなことをしない親でありたい、と思います。

 

私も子育てを積極的にやっている父親の一人として、世の中のお母さんが辛い気持ちは少しはわかるつもりです。

帰ってきてほしい気持ちも、心細い気持ちも、家から出られずふさぐ気持ちも。

それは、感じても仕方がないことですし、その気持ちを否定するつもりもありません。

依存しないで生きていくなんて、人間にはできないと思います。

人は、そんなに強くない。

しかし、つらい気持ちを子供だけにぶつけることは、子供を共依存の犠牲にすることに繋がってしまいます…。それは本意ではないですよね?

他にも複数の健全な依存先を増やし、子供を自分が立っているために杖として使わないようにしていきたいですね。

【依存症】めんどくさい依存症専門用語(略語)をわかりやすく解説する話

こんにちは、ちあき です。

女優の沢尻エリカさんが逮捕されましたが、「反省して二度と薬物に手を出さないように」なーんて、どや顔で漫画ワンピースのハンコックかってくらい上から目線のメッセージを言っちゃうようなひと、いませんよね…?

依存症について、私も知らないことがたくさんあります。

特に略語。

何かを決めたとき、日本でも海外でもわかりやすいように略語にしますが、逆によくわかんなくなりますよね。それにイライラしたので、まとめてみました。

 

 

 

1、「SBIRTS」=早めに程度を調べて、治療や自助に繋がろう

はい。

早めにスクリーニングして、問題の程度を確認しときましょう ってことですね。

今までは結構「底付き」「底打ち」と言って、そりゃーもうボロ雑巾のようにボロボロになって、家族も財産も仕事も生きがいも何もかも失ってからようやく「アルコールを断つか、死ぬしかないかな( ^ω^)・・・(白目」という感じで専門病院に入院する、というパターンが王道でした。

尊厳もくそもないです。人として生きててすみませんレベルで自尊心も基本的人権もすべて引き剥がされてからの治療スタートです。正直しんどいです。つらすぎてくじけます。

家族も本人も疲弊しつくしてからではなくて、最初に問題を確認しておけば、被害が少なくて済みますもんね。みなさん、毎年だいたい健康診断するでしょ。あれです。

最初に定期的にスクリーニングテスト(血圧測定・血糖値測定)なんかをしておいて、異常が有ったり問題が有ったりしたら、とりあえず介入(診察・血圧管理・血糖コントロール)しますよね?それが現代の医療の在り方、と言われれば、まさに依存症も病気なんですから、そうあるべきなんですよね。たしかにたしかに。

Screening・スクリーニング
…「飲酒度」を「ふるい分ける」(「AUDIT」,「KAST」,「CAGE」等スクリーニングテスト実施)

Brief Intervention
… 簡易介入 “危険な飲酒”患者には、節酒を勧め、“乱用”や“依存症”患者には断酒を勧める

Referral to Treatment
…専門治療への紹介 専門治療の必要な患者には「紹介」を行う

Self-help group
…自助グループへの紹介 医療機関や健康診断機関のスタッフが強力に自助グループへ紹介する

1.SBIRT は専門医療機関においては、早期発見から早期治療のためのコンセプトとして定着した手法であるが、SBIRTS は、これに自助グループ(Self-help-group)の「S」を連結した考え方である。

2.アルコール依存症は進行性の慢性疾患であり、医学的治療の進歩により短期的予後は改善しても長期的な回復を持続することは難しい。アルコール依存症の受診患者が順調な長期的回復を実現するためには、自助グループに参加することが望ましい。

3.そのためには、治療にあたる医師が、積極的に、患者と自助グループの構成員との出会いの場を演出し、患者自身の持つ偏見を取り除き、自助グループへの抵抗を和らげるよう寄り添うことが大切である。視点を変えれば、医師による治療のための出会いの場という側面と、自助グループによる医師への治療支援という二つの側面があるといえる。

出典:https://www.dansyu-renmei.or.jp/news/pdf/SBIRTS.pdf

 

2、「ハームリダクション」=最悪使っちゃってもいいからせめて減らそう

ハームリダクションとは、「その使用を中止することが不可能・不本意である薬物使用のダメージを減らすことを目的とし,合法・違法にかかわらず精神作用性物質について、必ずしもその使用量が減少または中止することがなくとも,その使用により生じる健康・社会・経済上の悪影響を減少させることを主たる目的とする政策・プログラムとその実践である。」

つまり、使ってもいいから悪影響とダメージを減らすとこから始めましょう、ってことですね。

ハームリダクションは,薬物使用者,家族,コミュニティに対して,寛容さをもって問題を軽減するきわめて現実的な政策・プログラムであるとされ、欧州,オーストラリア,カナダなどを中心に,最も成功している効果的な薬物政策として広がっていますが、東南アジア、日本を含めた東アジアなど反対する国は少なくないそうです。

ハームリダクションは、薬物の使用量減少や中止を主目的とはしておらず,薬物使用を止めることよりも,ダメージを防ぐことに焦点を当てます。

薬物を使っているか否か,それが違法薬物であるか否かは問われない.ハームリダクションは,科学的に実証された,公衆衛生に基づく,人権を尊重した人道的で効果的な政策であり,個人と社会の健康と安全を高めることを目的とします。

このアプローチは,公衆衛生と基本的人権への非常に強いコミットメント(誓約)を基盤としています。尊厳はすべての人にあり,薬物使用を繰り返す依存症者であっても基本的人権と尊厳は守られ,薬物のコントロールや予防対策の名のもとで,彼らの尊厳と基本的人権をスティグマによって蔑ろにすることは許されないという哲学に基づいています。

 

ハームリダクションの考え方とは ~人権を尊重した支援~

日本は、薬物問題に「ダメ.ゼッタイ.」に象徴される「不寛容・厳罰主義」を一貫して進めてきた、先進国では稀有な国なんですよね。

これらは、「薬物依存症は病気」とする視点とは対極にあり、臨床的には「不寛容・厳罰主義」では治療にならないどころか、「反治療的」な行為です。さらには,偏見や人権侵害を助長し,スティグマを強化する可能性すらあります。

薬物依存症の治療・回復支援を考えた場合,ハームリダクションの考え方は、「当たり前のこと」。そもそも「不寛容・厳罰主義」は刑事司法の考え方であり,医療・福祉の考え方ではありません。
世界の先進国もかつては厳罰主義で対応していましたが、それではうまくいかなかった反省に立って、大きく方向転換をしてきた歴史があります。それが米国を中心としたドラッグコート(西海岸の薬物裁判所)であり、欧州を中心とした、この「ハームリダクション」であると言われています。

出典:ハームリダクションアプローチ やめさせようとしない依存症治療の実践

3、「SMARPP」=再発しないためにみんなで集まって素直に勉強しようぜ

「SMARPP」とは、解散した某アイドルグループを彷彿とさせるスペルですが、「せりがや覚せい剤依存再発防止プログラムSerigaya Methamphetamine Relapse Prevention Program」の略で、神奈川県立精神医療センターせりがや病院にて開発された『認知行動療法型の外来依存症治療プログラム』のことです。

このプログラムは2006年より、松本俊彦先生(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 薬物依存研究部部長 同センター病院薬物依存症センター センター長)が中心となって開発されました。

なんでか?

コカインや覚せい剤などの薬物だと、中枢神経抑制薬であるヘロインやアルコールのような薬物と薬理特性が違って、重篤な身体合併症や離脱症状がないので、どんどん途中で退院して外来診療からドロップアウトしてしまうことが問題になっていたから。

つまり、覚せい剤の場合は、ちょっと入院したら「もうしんどくないし、めんどいしいいや」と来なくなっちゃうんですね、病院に。

それじゃまた再発しちゃってるし、やっぱいかんやろ、ということで、このSMARPPで再発防止に取り組むというわけです。

 

で、じゃあ、このSMARPPは、具体的には何をするのか?

週1回24週の外来集団治療プログラムで、認知行動療法・依存症の生理学的知識をまとめた教科書(ワークブック)を用いて、10人くらいで集まって、主に平日昼間に外来で一緒に勉強します。

このとき、カウンセラーやグループが、当事者に対して支持的・受容的であることが重要です。

尿検査もしますが、治療状況の把握のみにとどまり、結果が陽性であっても決して警察に通報しません。正直であること、素直に向き合えることを最優先します。むしろ治療につながる重要な介入のチャンスととらえ、一緒に乱用を防げなかったことを省みて、再発防止プランを再考するようにします。

この方法は、平成22年から24年度の計3年間の厚生労働科学研究班「薬物依存症に対する認知行動療法プログラムの開発と効果に関する研究」により、平成28年度の診療報酬改定にて、SMARPPは依存症集団療法として診療報酬加算が認められました。研究の成果に基づいて、診療報酬を計上できるくらいの効果的な治療としてエビデンスを有している、と言えます。

出典:特集 認知行動療法と社会との接点「統合的外来薬物依存治療プログラムーSMARPPの試みー」(小林桜児)精神経誌(2010)112巻9号

 

 

結局、依存症は慢性疾患なので、先に挙げたように、高血圧や糖尿病と一緒なんですよね。

高血圧や糖尿病の人だって、単に薬物療法していれば治るわけじゃない。食事・運動療法などの非薬物療法を取り入れながらやらないと、治療継続できないし、結果的に改善しないことがほとんどです。

一回入院すれば、高血圧や糖尿病が完治するわけではないですよね。

それは、依存症も同じ。

一回入院したり、一回逮捕されて刑務所行ったら、もう二度と手を出さないはず!だって反省してるんだから!なんて、ちゃんちゃらおかしい話なんですよ。

病気になったことを反省して薬1ヶ月だけ飲んだら、血圧ずっと下がる?血糖ずっと下がる?いやー下がらないでしょ。笑

だから血圧の薬や糖尿病の薬飲みながら、先生に「またラーメン汁まで飲んで!」ってたまに叱られながら、コツコツ通院してる人が、全国各地にたくさんいるんじゃないですか。笑

定期的に検査して早めに治療につながること、繋がったら脱落しないように治療継続すること、何よりも依存症の人の基本的人権や尊厳を軽視しないこと、これ、実は当たり前のことですよね。

だって、慢性疾患の患者という意味で、薬物依存症の患者さんは、生活習慣病の患者さんと一緒なんだから。

しかも、本当に誰でもなる可能性のある身近な疾患なんだから。

高血圧なだけで、糖尿病なだけで、「だらしないから手を出すんだ」とか「病気になるのは意志が弱いからだ」とか、差別される世の中なんて嫌だよね?

それと同じなんですよね。

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【メンタル】性別を超えて相手を愛するということ

恋と愛と尊敬の違いについて、最近、よく考え、悩みます。

異性として大切に思うことと人として信頼し敬うことは、何がどう違うのでしょうか。

性別が違えば、慕うことは全て恋愛なのでしょうか。

尊敬とは

尊敬するということは、読んで字の如く「人格を」「尊いものと認めて敬う」こと。

相手が同性・異性に関わらず、その人そのもの、人格を尊いものとして扱うこと。

では、「尊い」とは?

貴重である、たいへん価値が高い、ありがたい、得がたい素晴らしさがある、という意味合いで用いられる表現古代階級社会においては人の身分の高さを「尊い」(尊し)と表現し得た。この用法今日では廃れている。神格を「尊い神様」のように表現する場合があるが、これは敬うべき・尊敬すべき・尊重すべきという意味合い捉えられる。

今日では「尊い」という表現は「たいへん価値がある」「貴重である」という意味において多く用いられている。たとえば「尊い犠牲」「尊い命」「尊い絆」「尊い努力」というような言い回しはよく用いられる。多分に理念的抽象的であり、金銭価値では置き換えられず、他の何かと比較することもできないような絶対的なもの、というニュアンス捉えられる場合が多い。

2010年代後半にはサブカルチャー分野中心に推しが尊い」というような言い回しで「尊い」の語を用いる言い方登場し、ネットスラングとして広がった。この「推し」は自分が好きなキャラクター(またはキャラ同士カップリング)のことであり、そこに見出された価値の高さが「尊い」と表現されているものと捉えられる。

「尊い」には自分と対象との間にある種隔絶があるというニュアンスも汲み取れる。その意味では「推しが尊い」も「萌え」と同様、自分と二次元世界との埋まらない隔たり無意識的前提した表現とも解釈し得る

『他の何かと比較することもできないような絶対的なもの』としての素晴らしさ(価値)がある事を意味しています。

つまり、同性であろうと異性であろうと、その人の人格に、他の誰かと比較することもできないような絶対的な素晴らしさを感じた場合は、「尊敬している」と捉えることができます。

とは

は、違うと思っています。

いろいろ見てみたら、この纏めが最もシンプルに纏まっているように思います。

恋は自分本位で、愛は相手本位。

恋は一時的で、愛は永遠。

恋はときめきで、愛は信頼。

恋は心配で、愛は安心。

恋愛とは言っても、愛恋とは言わないように、恋は先にあり愛へと変わる。

などなど、恋と愛の違いを挙げたら数え切れないほどあり、文学や哲学、芸術などのテーマにもされるものだが、どれも人それぞれの考えであって明確な定義ではない。

出典https://chigai-allguide.com/恋と愛/

つまり、自分本位に考え、相手に好かれたくて心配をして、一時的にときめいているような状態では恋をしている。

反対に、相手本位に考え、その人について考えるとき心から安らぎ、それは信頼関係からきている場合、『愛している』といえます。

尊敬し愛するということ

異性として魅力的だと思われたい、という気持ちは正直あります。

それは、尊敬し愛している人に評価されることは、深い喜びを伴うからです。

しかし、その喜びが得られなくても構わない、その人がその人自身の力で幸せになることを大切に考えて、その邪魔になるなら自分が報われなくても構わない、と思っています。

その人が素晴らしい人だと尊敬しているからこそ、自分が満たされることと相手が満たされることはイコールではなく、また自分という存在が影響しなくても、その価値は眩い光彩を放ち良い未来へ進んでいくことを信じて疑わない。

そういうこの気持ちは、恥ずべきものではない。

異性に対して、そのように貴び敬うことは、決してけがらわしいものではないと思う。

だから、愛しています、ということを私は悪いことだとは思えない。

それ以外に、表現のしようがない。

それでも間違っている、というならばその人は愛することを知らないのではないか、と思ったりします。

私はついこの間までそうだったから、受け容れてもらいにくいのも、なんとなくわかります。

でも、気持ちに嘘はつけません。

ただいつも心配なのは、私が本当に相手の気持ちを最優先できているのか?嫌な思いをさせていないか?私がいること自体がその人の害になっているのではないか?ということです。

相手がどう変わっても、たぶん私のこの気持ちは変わらない。

私はもう充分与えられた、ということなのでしょう。

私が出来ることなら、消えることを含めて相手の人生が最も幸福になることをしたい。

私は、親にそんなふうに思ってほしかったから、そうだったからこそ、私のその人への気持ちは紛れもなく愛であり尊敬なんだと思っています。

【依存症】断酒会に行くのがだんだんしんどくなってきた話

こんにちは、ちあき です。

断酒会が今まで自分の心のオアシスだったんですが、最近はすこし様子が違ってきていまして…。

この心のモヤモヤは何なんだろう?ということで、よく考えてみました。

 

私は断酒会に救われて断酒を続けてきた

私は2015年3月から断酒を始めましたが、はじめて断酒会に繋がったのは、2017年。

得意先とのゴルフコンペが嫌で嫌で、スコアが悪いことをネチネチ言われるのに耐えかねてハイボールをがぶ飲みしました。「次に飲んだら離婚」と言われていたのに、飲みました。

妻が探してくれた専門病院に繋がり、先生から、入院か通院どちらがいいか聞かれました。

仕事をやめるわけにはいかなかったし、妻も仕事をつづけながら通院という選択を許可してくれたので、私の場合は通院しながら断酒会に通うことを約束しました。

 

断酒会にはじめて足を踏み入れた時は、「ああ、こんな人生の落伍者の集まりに参加するにまで、俺は落ちぶれてしまった」と思ったものです。(超失礼)

しかし、同じように止められない酒の問題に悩み苦しみ、一度は自死を意識した面々の赤裸々な酒害の告白に胸を打たれ、「苦しんできたのは私ひとりではなかったんだ」という安心感と内省を繰り返すうち、自分がどれだけひどいことをしてきたか、いかに酒が生活を壊してきたか、を認識できるようになりました。

そして、月日が経つにつれ、自分の話を打ち明けるだけで精いっぱいだった私も、自分のことばかりでなく次第に他の人の言うことに聞く耳が持てるようになりました。

他のアルコール依存症者の体験談や感じたことから学びを得て、共通の傾向・どんな状況でスリップしたり欲求が蘇ったりするのか、とても興味深く、また目が開かれるようでした。

 

少しずつ感じ始めた「違和感」

そこまではよかったんですけどね…。

 

最近、断酒会の「体育会系」な体質に少し辟易としています。(あくまでも私が参加している断酒会は、という話で、全国の断酒会にはそうではない会も多数あると思います。)

 

自助する人の心の安全が守られていないように感じてしまうのです。

 

例えばある日、入院患者さんが「実は酒を飲みたいです、退院したらうまく飲めると思うので、今度こそ失敗しないようにしたい」と本心を打ち明けました。

そうすると、断酒を1~2年継続しているような元入院患者の「先輩」が、自らの体験談を語る順番になるとこういうのです。

「うまく飲めるなどと言っているやつはまたすぐ再入院になる。私はそうだった。そんな心構えではまだまだ甘い」

 

あとは、基本的に断酒会はずっと着席していなくてもよく、聞きたくない話のときには席を外してもよいのですが、席を外して外で電話をしていた人がいて、部屋に帰ってきたら、

「なんでみんなの話を聞かないんだ?!」

と恫喝されていたこともありました。

 

これ、きつくないですか…?

 

本心を話しても受け容れてもらえる、心の安全があるから、一度過ちを犯して傷ついた人でも、「生きていていいんだ」「そのまま感じてもいいんだ」って思えるんだと思うんですが、私が通っている断酒会は、どうも『後輩を先輩が厳しくしごく』みたいな男性的縦社会の嫌な部分を見ることが多くなってきました。

断酒会のリーダーと古参の断酒継続者が対立していて、お互いの体験を話し時にライバル意識剥き出しで、どちらかと仲良くしていると、どちらかが不服そうにこちらを見ていたり。

 

おいおい勘弁してくれよ、いい年して中学生かよ、お前ら…。(白目

まだまだ甘い、とか少年ジャンプのスポ根漫画に登場する師匠かよ。

 

入院患者さんは、退院しても、だいたい、この断酒会に戻って来ることはありません。

そりゃそうだわな。

入院中に義務で連れてこられた断酒会で本心を話したら、なんだかしらないけど長いこと断酒しているという知らないおじさんおばさんにボッコボコに間接的に否定されたら、そんなとこ二度と行こうとは思わないですよね?

言いっぱなし、聞きっぱなしとは、いったいどこに消えてしまったのか?という状況です。

私が知っている断酒会が、

①古参の人々は入院患者を間接的にボコボコにすることで、「断酒継続できていてがんばっている自分」を再認識する『断酒会版生贄システム』により自己肯定感を保ち、

②入院患者はボコボコにされて、自助グループに繋がる機会を失い、自力で頑張ろうという一番過酷な道を自動的に選択するので、再飲酒してしまい、また生贄になるべく入院患者として病院に搬送される、

という①~②の地獄のようなループを繰り返す、回復とは程遠い実態であることに、私は気づいてしまいました。

それから、何となく行く気がなくなってしまい、困っています。

 

自助グループって、断酒会って、なんだっけ?

つまり、私は悲しいんですよね。

私は断酒会に繋がってからもスリップしたことがありました。

断酒会ではえらそうに「酒をやめていて毎日が素晴らしい、もう飲まないと思う」などときれいごとを言っておいて、あっさり隠れて飲んで頭を6センチ切って貧血で動けなくなり、バレバレなのに隠ぺいしようとし、妻にどちゃくそ怒られました。

死ぬほど恥ずかしくて、消えてしまいたくて、それでも何とか酒をやめたくて、それは独りではできないことが火を見るよりも明らかで。すがるような思いで断酒会に妻と足を運んだことがありました。

そのとき、みんなは黙って話を聞いてくれました。断酒会が終わった後、近づいてきて何も言わずに手を握ってくれました。

 

それで、どんだけ、私が救われたか。

それだけで、どんだけ、嬉しかったか。

黙って聞いてくれて、手を握ってただ頷いてくれて、あんなに死にたかったのに、苦しいけど生きてみようと思わせてくれたじゃんか。

みんな、そういういいやつだったじゃんか。

 

自助グループって、もう死ぬほど恥ずかしくて言えないようなことを「否定されずにただ聞いてもらえる」っていうかけがえのない居場所だから、今までの人生で自分一人では向き合うことができなかった本心や生きづらさに向き合う勇気をもらえるんじゃないかと思うんです。

 

「独りじゃ何もできなかった。それでも、今まで独りでがんばってきた。辛いことはもちろんまだまだあるし、正直お酒だって飲めるものなら浴びるほど飲みたいよ。でも生きていきたいと思うから、完全じゃないし弱いし醜いけど、今日一日、お酒をやめて生きてみよう。」

それが、私の本心そのままの『一日断酒』です。

 

その本心と自助の真理を私に教えてくれた断酒会なのに、なんだか嫌なしごきがある部活みたいで、がっくり来ています。

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【発達障害】アスペルガー症候群でACでHSPな私のツギハギ人生を振り返る

過去に書いた記事を、振り返り、投稿しています。

頭の整理のために。

 

『悪の教典』という小説の冒頭で、いつも心臓を鷲掴みにされる心地がします。

 

 

『小さな民家が 目の前に迫ってくる。

かなり老朽化した平屋の日本建築で、

屋根瓦の一部が 脱落 しており、

ブルーシートで “恒久的に応急補修” してあった。』

 

私は、この、恒久的な応急補修 に追われて過ごしてきて、未だその最中であります。

一度抜けたかと思ったのは、勘違いでした。

 

用語解説

アスペルガー症候群(AS)

アスペルガー症候群の人は、”3つ組みの障害”と言われる(1)社会的に適切に振る舞うことの難しさ、(2) コミュニケーションを円滑にすることの難しさ、(3) こだわりが強く柔軟に想像・思考することの難しさ、が特徴です。

社会性 他の人と一緒にいるときに、どのように振る舞うべきかの力です。いわゆる空気が読める力と考えてもよいでしょう。

コミュニケーション力 相手が言っていることを正しく理解する受信の力と、自分の思っていることを相手に伝える発信の力についてです。

こだわり 自分の安心できるルールや環境を強く求める状態です。生活や働く上で支障が出るほどこだわってしまう方が多くいます。想像力が弱い状態ともいえます。

大人のアスペルガー症候群 特徴・仕事・職場定着 : 大人の発達障害Q&A – 株式会社Kaien

 

AC

AC = Adult Childrenの略。アダルトチルドレンとは、機能不全家庭で育ったことにより、成人してからもこころに傷を抱えている人のことを指します。「機能不全家庭」とは、正常な機能を果たしていない家庭のことです。

さまざまなタイプがあり、優秀ないい子になることで、親から評価されようとがんばってきたタイプは、「良い結果を出せば褒められる」「悪い結果を出せばけなされる」という条件付きの愛を与える家庭で多いタイプです。

一生懸命勉強し、成績は優秀です。

しかし、自分自身の気持ちから頑張ったのではなく、「親から認められるため」「家庭が穏やかになるため」に頑張っている点が問題です。「頑張ることを辞めたら私は見捨てられる」という恐れを常にかかえています。

また「結果が良ければそれでいい」という考えになりやすく、人間としての温かみが十分に育まれません。「優秀でない人に価値はない」と損得で人と付き合うようになったりもしてしまいます。

また完璧にやろうとしすぎるため、身体が壊れても頑張り続けるなどの問題があります。

HSP

生まれつき「非常に感受性が強く敏感」な気質もった人の事です。 正式には「Highly sensitive person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と言います。

HSPとは?繊細で生きづらい人に贈る5つのヒント

一度ブログにもアルコール依存症との関連を含めてまとめております。

⬇︎

HSP と 脳 と アルコール依存症 [断酒162日目】 | アルコール依存症とともに私らしく生きる。

 

生きてきた道筋を振り返る

アスペルガー症候群として生まれた私は、ずっと“違和感”を感じながら生きてきました。

思考パターンや行動の異質さ、社会性の無さから、子供社会 地域社会 から虐めを受け、迫害にあい、他人への信頼や歩み寄りを、幼稚園の頃には諦めました。

自己肯定感はすぐに欠損しました。

なぜこの同じような形をした生き物は、似ているようで違う。なぜ、互いに理解しあったり、喧嘩しあったり、うまく交流できるのだろう?法則が全く分からないが、私にはどうやら、それができない、まずいな、私はこのままでは『欠陥品』だと思い始めました。

精神不安定な母は、変わった私が子供の輪に馴染めないことを随分と哀しみ、それゆえ過保護になりました。

母の子育てによるストレス・抑うつ状態が蔓延。その負の空気に引っ張られて、不安定な家庭環境であり、よその子と馴染めないのは教育が不行き届きだからだ、としつけは厳しくなり、「良い子でいなくては、親からも見捨てられる」と恐怖しました。完全に機能不全家族ですね。

そんな家庭背景・社会背景から、ACとHSPの性質を、さらに醸成していきます。

当時早々と他人への信頼は諦めた私も、生きていかなくてはいけません。

安心して親に愛されなくてはいけません。

そのためには、「社会的常識」「一般的な価値観」の概念的理解の必要性を強く感じました。

常に周囲の顔色を伺い、観察し、行動に対する反応、思考パターンを学習することに必死でした。

幼稚園から小学4年の7年間、観察と模倣をひたすら繰り返しました。果てしない試行錯誤を経て、社会で生き延びるために必要な「明るく優しい良い子」に見合った、立ち居振る舞い、行動パターン、正解の受け答え、人物像を、演じる技術(ルール)を修得します。

しかし、虚しい。誰とも心通わすことなく『上手く』生きて、死ぬ。それだけのために、徒労が続くのか。

「だがしかし、そんなもんなんだろう、人生とは。」と、無理やり納得することにしました。

対外仕様の自分を維持するためのルールを欠かさず守らなくてはならない、というプレッシャーから、強迫症状がこの頃から始まりました。

大学に進学します。

人間関係のプレッシャーやストレスをアルコールで紛らわすことが出来ると知り、特に人格維持のための強迫症状によるストレスをアルコールを使って鎮静させる悪癖がつき始めます。

アルコール依存症の入り口に入りました。

社会人になりました。

今までに獲得した人物像を元に、明確な答えがある課題をただただ答案に記載していけばよかったルール遵守スタイルが通用する学生生活から、それらが通用しない、社会人生活にシフトし、状況が一変。

生来のアスペルガー症候群気質により、

「的確なホウレンソウ」

「認識の共有化」

「予測不可能な状況における創造性の発揮」

など、真の社会性を身につけていなければ実行不可能な「答えやマニュアルのない世界」の壁にぶつかります。

「ふつう」の模倣では、太刀打ちできませんでした。

「仕事」がスムーズに進行できなくなり、自信を完全に喪失。

 

自らの無能さに辟易とし、社会不適合者になることに恐怖し、その不安から逃れるために、アルコールを大量に摂取するようになり、アルコール依存症がさらに悪化します。

この頃から、うつ病の症状が出始め、動かない身体と心を動かすために、さらにアルコールを追加する、負のスパイラルに突入します。

しかし、寿命まで死ぬわけにはいきません。

仕事においても、社会常識、暗黙の了解、判断基準、権限の範囲、人間関係の調整の順序、など、「社会人に必要な社会性」を「ルール」として法則性を見つけ、体系化して理解し実践することで、なんとか人並みに「仕事をしていて違和感がない」という状態を獲得しました。

しかし、守るべきルールの厳密化と複雑化に伴い、ストレスは増大。飲酒量は比例して増加。毎日大量飲酒します。

今度は、持って生まれた性質よりも、アルコールという薬物への依存が、社会生活に影響を及ぼし始めます。

アルコール依存症が原因で、社会的失敗の常態化、信頼失墜、解雇勧告。

これ以上、「人間」として生きていくことは、機能的にも精神的にも難しい、と判断し、独りで山で首を吊ろうと、自殺を計画しました。

幸い、妻の言葉のおかげで、未遂に終わりました。

そこから、生きづらさを抱えている自己の受容、すなわち「断酒」に取り組み出します。

数年後、3回のスリップを経て、アルコール依存症専門医療機関と繋がり本格的なアルコール依存症治療を開始します。心療内科への受診も開始。

そこで、断酒によるうつ病の軽快が分かりました。

人格障害やHSPやACなどの精神病理を勉強し、自分の性質や障害を認知し、受け容れ始めました。

今ここに、ようやく、たどり着きました。

今が一番、幸せになっていると思います。

こんな私でも、あるがままでいい、と言ってくれる人に出会い、私自身も、あるがままでいい、と思えるようになれてきました。

事ここに至り、あるがままを受け容れてくれる人が、妻以外にもいるということは、とても素晴らしいことです。

 

 

【メンタル】ストレスの概念・理論とストレスマネジメントの実践

今回は、ストレスの概念・理論について整理する。

 

ストレスの語源

ストレスという言葉の由来は、中世のフランス語「ディストレス」である。

ラテン語の「加圧する」という意味から派生した言葉で、19世紀に入って物理学の正式な科学用語になった。ストレスは物体に何らかの力が加わって、結果物体の形が変わったり緊張した状態になるときの力を指す用語として物理学で用いられ、社会的には、身体的健康や心理的幸福感を脅かすと知覚される力を指す。

そうした力を生む出来事をストレッサーと呼び、ストレッサーにたいする人々の反応が、ストレス反応である。

 

ストレスと自己開示・自己呈示

ここで問題なのは、同じストレッサーに直面した場合でも、感じるストレスには個人差がある、という事実である。

ストレスの大きさはストレッサーそのものの深刻さにもちろん影響を受けるが、ストレスに対面する人の認識によって大きく影響が変わる。たとえば内罰的であるか他罰的であるかや、それまでの人生経験でどのように人に扱われてきたかは、その人のアイデンティティに大きな影響を与え今日のその人を形づくっている。

物事の受け取り方、という側面でより深くストレスについて考える場合、人との関わり、特に自己開示と自己呈示について正確に理解しておく必要がある。

 

自己開示とは、あるがままの自分について相手に伝える事である。自己開示による働きは3つあり、感情浄化・自己明確化・社会的妥当化がある。

感情浄化は心の葛藤の中心になっている思考や感情を他社に伝えて鬱積した感情を発散する浄化効果のこと。

自己明確化とは、自分の想いを話しているうちに自分の考えが次第にまとまりはっきりしてくる働き。

社会的妥当化とは、自己開示しているうちに何らかの意見や評価や反応がフィードバックされることで、今まで気づかなかった自分の別の側面を知ったり、他人の意見と比較して健全な自己評価ができるようになる働き。

 

自己開示と似て非なるものが、自己呈示である。

自己呈示は、「このように見てほしい・相手に見せたい」という自分のキャラクターを表現することである。

自尊心を維持したり高めたりする働きがあるが、主な行動としては、弁明・正当化・謝罪・取り入り(ごますり)・威嚇・自己宣伝・哀願などである。

このような具体的な行動から想起できるかと思うが、ありのままではない自分をプロモーションするために様々な行動を提示して認められようとする行為は、一時的に自尊心を満たしてくれるかもしれない。しかしながら、本当の自分を認めてもらえていない状態でいくら表面上尊敬されたとしても、それは自身が造り上げた偶像が認められたにすぎないため、承認欲求は本当の意味で満たされることはない。

むしろ、自分が造り上げた偽物が認められれば認められるほど、満たされない心の穴は大きく深くなっていく。それゆえに自己呈示ではなく自己開示をすることが大切なのである。

 

自己効力感と学習性無力感

自己効力感と学習性無力感は、ありのままの自分で生きていくために理解しておくべき感覚である。

自己効力感とは自分が行動を実行することについての現実的で確かな自信のことである。

学習性無力感とは、自ら状況をコントロールでいないだろうと予測し行動を諦めることである。あれこれ行動した挙句に避けられなかったという経験が、強固な無力感を形成する。

依存症の自助グループや信頼できる仲間に出会い、勇気をもって自己開示し、アクティブ・リスニング(積極的傾聴)される喜びと感動を積み重ねることで、その人の心を永い間閉ざさせてきた学習性無力感の壁を打ち破り、自己効力感を育てていくことが、ストレスに立ち向かい生きる力を回復することができるのではないだろうか。

つまり、そのように回復した自己認識をもって、自身も相手も尊重して率直にコミュニケートすること、アサーティブにコミュニケーションをとることができたなら、対人関係におけるストレスや認知の歪みは限りなく健全化していく。

 

対人関係で自己開示することが最も有効なストレスマネジメント

アドラー心理学では、すべてのストレスは対人関係だと説いている。私はアドラー心理学的側面から、最も有効なストレスマネジメントは、全て自己開示に通じるのではないか、と考えている。自分が受け入れられていない、という疎外感・自己肯定感の無さが、あらゆる認知の歪みと悲しみを生み、生きづらさを抱えさせているのが、現代社会におけるストレスの真の姿ではないだろうか。

それゆえに私はブログや自助グループで自己開示していくことが、今最もストレスマネジメントになっているし、愛や欲求を健全に自身の生きる力として昇華させる役割を担っている。

これからも自己開示により人として成長していきたいし、大切なものを大切にできる人間であり続けたいと思う。

【依存症】カフェイン依存症になっちゃってた話

こんにちは、ちあき です。

最近全く更新できていませんでした。

とほほ…

実はこの記事は8/3から下書きしたまま

無駄に温め続けてしまっていまして

もう夏の暑さで温まりすぎな感が否めませんが、更新します。(白目)

 

 

唐突ですが、私はコーヒーが好きです。

ここ最近は1日1ℓくらいコーヒーばかり飲んでいました。

そんな私のある日のツイートです。

 

そう、カフェイン依存症だということが分かりました。(いまさら感ハンパない)

 

私はこうしてカフェインに依存した!私のしくじり事例

まずは、私の生活習慣と症状を振り返ります。

私は2015年3月1日に断酒を志し、同年7月23日に禁煙をはじめ、今に至ります。

アルコールは4回のスリップを経験し、現在断酒継続は1年11ヶ月、禁煙はそのまま続いていて来月で4年になります。

それまでアルコールとニコチンに依存しつくした生活をしていたのですが、両方の薬物の摂取を止めた結果、「もんのすごい眠気」に毎日襲われました。

そこから、何とか日中起きているためにコーヒーを大量に摂取するようになりました。

その頃からつい最近までは、1日2ℓ飲んでいました。

 

〇朝起きて、まずコーヒー淹れてがぶ飲み。

〇午前中の仕事終わりにコンビニに寄って、1ℓ入りのコーヒーと1ℓ入りの緑茶を買って営業中にゴクゴク

〇夕方帰ってきて、夕食・風呂、落ち着いたらブログ書きながらコーヒー。

(あれ、1ℓ超えてる…まあいっか…)

 

 

そんなわけで

①浮動性めまい・耳鳴り

②無気力・日中の眠気(これをとるためなのに本末転倒)

③謎のイライラ感

これら3つの症状に毎日、苛まれだしました。

ついには、営業車から出て顧客のもとに訪問することもできないほど無気力になりました。

こりゃあまずいぞ、ということで再びたどり着いたのが、この漫画です。神。

「カフェイン依存症 前編」(@mimorimisa)

この漫画、もうなんていうか、すべてをわかりやすく詳しく書いてくれている作品なので、ぜひ読んでいただきたいなと思います。

この漫画のアドバイスに沿って、私の場合は「1日1杯までにコーヒーを制限」したところ、困らされていた3つの症状は改善してきています。

やはり、カフェイン依存に陥っていたと思われます。

そんなわけで、この漫画からの知識も引用させていただきつつ、”ネスレなぜなに?「コーヒーと健康」専門家インタビュー記事シリーズ  Nestlé, Coffee & Health (Vol.10) 2015 Nov. http://www.nestle.co.jp/nhw/coffee/interview” から図などもお借りして、カフェインの知識を整理していきたいと思います。

 

そもそもカフェインとはどんな物質なのか?

カフェインはメチルキサンチン類(アルカロイド) に属する化学物質で、苦みを持ち、もともとは植物が昆虫に食べられないようにするために作られた物 質のひとつと考えられています。

カフェインは我々の生活に深くかかわっています。

飲料では、茶、コーヒー、ココア、 コーラ飲料、マテ茶、滋養強壮ドリンク(一部医薬部外品)、エナジードリンク、食品では、チョコレート、眠気防止用のガム等に多く含まれています。

さらには、医薬品の総合感冒剤、鎮咳去痰配合剤(咳止め薬)、鎮痛配合剤、眠気防止剤、強心薬、呼吸促進薬などにも含まれていて、カフェインは非常に広範囲に使われている物質です。

またカフェインは比較的熱に強く、強い焙煎の場合に微量が昇華して失われる以外 は単一の成分として焙煎後もほとんどが残ります。お茶では一番茶に約90%のカフェインが出て、二番煎じのお茶カフェインが含まれにくく「実はデカフェに近い」ということが知られています。

 

カフェインは日本薬局方に中枢興奮・鎮痛薬として登録された薬物で、覚醒作用や倦怠感の抑制、強心・血管拡 張、片頭痛の緩和などの用途で風邪薬などの配合成分として処方されています。カフェインの作用がこちらになります。

 

 

カフェインはマイルドな中枢刺激作用の他、利尿作用、代謝亢進作用(脂肪燃焼や基礎代謝の向上)、胃液分泌作用など多くの作用があります。

カフェインは摂取後、約30分で吸収されて血管を通じて全身に行き渡ります。多くの化学物質は血液-脳関門(BBB)の働きにより脳内に入れませんが、カフェインはBBBを通過して脳にも入ります。

カフェインは核酸塩基のアデノシンと構造が似ています。

アデノシンはアデノシン受容体(Ad2-R)と結合することによって、神経終末から放出されるドーパミン、ノルアドレナリン、グルタミン酸といった興奮性の神経伝達物質の放出を抑制します。

アデノシンと拮抗するカフェインは抑制を抑えるので、間接的に脳を興奮、覚醒させます。カフェインの感受性には個人差があり、アデノシン受容体遺伝子の違いに基づくと考えられています2)。

アデノシン受容体のサブタイプAd1-Rは腎臓への血流を減らし、腎尿細管再吸収を促進します。カフェインはこのAd1-Rの働きも阻害するので、利尿作用があるのです。

アデノシンは細胞のエネルギー源であるアデノシン三リン酸 (ATP)が分解されてできるのですが、第2の睡眠物質と呼ばれる物質です。

アデノシンは覚醒中に脳に蓄積し、徹夜をするとさらに増え、眠ると減るということがわかりました。なぜなら、アデノシンはアデノシンA2A受容体と結合することで視床下部に存在する睡眠中枢を活性化し、ノンレム睡眠を誘発させる作用があるからです。

ところが、アデノシンと構造が似ているカフェインがアデノシンA2Aという鍵穴にぴったり合い、その上体内で吸収されるとアデノシンよりも先にアデノシンA2A受容体と結合してしまうので、睡眠中枢の活性化が抑制されてしまい、眠れなくなるというわけです。

カフェインを摂ると眠れなくなるメカニズムって、アデノシンという睡眠物質の働きを邪魔させるからなんですね。

カフェインはどのくらいなら摂っていいのか?

三森先生の漫画とその参考文献によれば、

「1回当たりの摂取量は成人は体重1kgにつき3㎎を目安に」

「1日の摂取量は健康な成人で400mg」

 

ふむふむ。

カフェインの1回当たりの摂取上限3mg/kgということは、私はMAX240mg

コーヒー100mL当たりカフェイン4060mg程度含有だから、1だと400600mg

「なんだ大丈夫やん」と思ったらお茶ー!🍵

 

これも1飲んでるー!

てことは、+200mgで一日600800mg摂取しとるー!

1日の摂取量は健康な成人で400mgだから、明らかにoverdose

 

そんなに摂取してないつもりでした。感覚のズレって、恐ろしいですね。

 

なぜカフェインは 欲しくなったり 摂り過ぎて不調になるのか?

カフェインの依存性については、アルコールの約1/50、ニコチンの約1/10程度という研究があります。(Deneau G et al (1969) Psychopharmacologia 16: 30.)

脳イメージングの研究では、カフェインが脳の依存の回路には関連していないという報告(Nehlig A (1999) Neurosci Biobehav Rev 23: 563.)もあります。

ここで見落としてはいけないのは、

「物質に依存性があるかないか」ということは依存症の問題の一部でしかなく

『離脱症状に苦しむほど摂取しなくては生きていられない人生の背景的課題』や『これさえあればなんとかなるという精神的依存状態』に、問題の根幹があるということです。

つまり、依存性が低いからといってこの物質の使用に危険性がない、とは言い切れない、ということです。どんなものにもリスクはあるし、リスクを含めて上手にお付き合いしていかなくてはなりません。

 

カフェインは依存性薬物と認定されてはいないものの、米国精神医学会は「カフェイン離脱症状」を精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)に掲載しています。

 

離脱症状①寝起きが悪くなる(目が開かない)

離脱症状②一日中妙にだるい

離脱症状③不眠

離脱症状④中途覚醒

離脱症状⑤集中力の低下

 

1、浮動性めまい・耳鳴り慢性的な末梢血管拡張作用+利尿作用で脳血管収縮するも脳血流量は低下?

2、無気力・日中の眠気・謎のイライラ感中枢刺激作用(睡眠・覚醒リズムに悪影響)

 

まさに、この1・2の症状はカフェインからきていたと確信しましたよね。

 

でも悪いばかりじゃない!様々な疾患に対して認められているカフェインの効果

最近では、カフェインが認知症にも効果を発揮するのではないかと期待されています。

脳の神経細胞が死滅することによって認知機能の低下(記憶障害、見当識障害等)が起こり、不安状態、うつ、幻覚、妄想、その他の譫妄、徘徊、 不潔行為といった周辺症状が出るのが認知症で、患者数は近いうちに700万人に達するといわれています。

周辺症状は大脳辺縁系という部位の支配下にあります。

認知症では人らしさを作る大脳新皮質の前頭前野の働きが低下することで、大脳辺縁系への抑えが効かなくなっていると考えられています。

カフェインは、前頭前野を活性化することが知られています。

まだ科学的根拠レベルは限定的とする評価もありますが、認知症の半数以上を占めるアルツハイマー病について、コーヒー摂取者は発症リスクが低下するという報告もあります11)。

アルツハイマー病と並ぶ神経変性疾患であるパーキンソン病のリスクは、カフェイン摂取により低下することも示唆されています12)。

 

 

まとめ:摂取量に注意して上手に活用しましょう!

コーヒーなどの嗜好品として摂取されるカフェインと 賢くつきあうことが大切です。

昨今、エナジードリンクな どのカフェインを含む飲料の摂取が増えたこともあり、 小児が摂取する可能性も含めカフェインはどのくらいまで日常的に摂取してよいのかという議論が世界的に進みました。

多くの疫学調査結果も踏まえると、コーヒーの適切な摂取量は1日3-5杯程度と言えるかもしれません。

また睡眠に対する影響があるので、カフェインに感受性の高い方や睡眠が浅くなりがちな高齢者などカフェインが気になる方は、夕食以降は摂取を控えた方が良いでしょう。

医薬品にもカフェインが入っているので、どのぐらい含まれているかをチェックすることも必要です。

カフェインを上手に使って、QOL(quality of life)を高めていきたいと思います。

 

引用文献 1)Yamada M et al. (2009) Public Health Nutr 16:1. 2)Retey JV et al. (2007) Clin Pharmaul Ther 81:691-8 3)Haskell DF et al (2005) Psychopharmacol 179: 813. 4)Satoh H (1994) J. Nara Med. Ass 45: 290 5)Ramakrishman S et al. (2014) J Theoret Biol 358: 1 6)Jarvis MJ (1993) Psychopharmacol 110: 45. 7)Wiles JD et al. (1992) Br J Sports Med 26: 116. 8)EFSA J (2011) 9: 2054 9)EFSA J (2011) 9: 2053 10)Drapeau C et al. (2006) J Sleep Res 15: 133. 11)Xu W et al. (2015) J Neurol Neurosurg Psychiatr doi:10.1136. 12)Costa J et al (2010) J Alzheimers Dis 20: S221. 13) 14)Nehlig A (1999) Neurosci Biobehav Rev 23: 563. 15)DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル 16)EFSA J (2015) 13:4102

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【依存症】本当に自分が変われば、他人は変わるのか?

こんにちは、ちあき です。

先日尊敬する断酒会の先輩と、このタイトルの話になりました。

「果たして、自分が変われば、他人は変わるのか?」

私は『どう影響しようとも他人を変えることはできない』という立ち位置。

先輩は『自分の姿勢が変われば他人の所作や接し方は変わる』という立ち位置。

真っ向から反対の持論でした。はてさて、どちらなんでしょうか??

今日はそんなお話。

 

先輩が経験した他人の変容

先輩も穏やかな人ではありません。

割と強い言葉を言いがち。

そんな先輩は割と荒々しい性格の人たちのなかで所謂ブルーカラーの仕事に就いています。

御歳80代。

身体は上手く動きません。

「オラァそんなこともできんのかジジィ!」

「役立たねーなら帰れよ邪魔くせぇなぁ!」

そんな言葉が飛んでくる職場。

辛くないわけがありません。

しかし、先輩は固く守っていることがあるそうです。

「自分の頭を低くして、きつい物言いをされても一歩引いて考える。それから言葉を吟味しよく咀嚼したうえで発する。」

そしてその上で、ただ静かに自分ができる事をするそうです。

例えば、休憩所のゴミ掃除。自分でも運べるものの運搬。休憩用のお茶の準備。

「そんなこと後輩にやらせておけばいいんだよ、あんたは年長者なんだから。」

と親方が声をかけるので

「私にはできないことがたくさんあるのに、来させてもらっているだけで感謝しているから。」と笑って、ひたすらやり続けるそうです。

そうしていると、先輩に罵詈雑言を発していた若い子が、その姿を見ていて、次第に一緒に掃除をしてくれるようになり、

「おっちゃんは体しんどいんだから、無理すんなよ」

ある日、そんなこというようになった、と言うのです。

 

言葉と姿勢が他人に与える影響は、決して小さくはない

私は、にわかには信じられませんでした。

そんなに人は変わることができるのか?

素直な驚きと戸惑い。

私は、他人は他人の力でしか変わらない、だから私がアレコレと言ったりやったりしても意味がない、とあきらめて切り捨てていたけれど、そうではないかもしれない?

私の突き放した諦めの態度が水面に映るように、相手もそれを見て世界の変化を同じように諦めているだけなのかも。

自分の行動が必ず結果に結びつく、なんてことにはならない。

だけれど、影響は無視できないし、意外に小さくないのかもしれない。

 

7つの習慣 の 影響の輪

この話で思い出されるのは、一世を風靡したビジネス書、スティーブン・R・コヴィーによって書かれ1996年に出版された『7つの習慣』です。

コヴィーは、「影響の輪」「関心の輪」という概念を提唱しています。

関心の対象は、自分自身が影響を及ぼすことができるものとそうでないものに分かれます。

たとえば、天気に関心があっても自分の力で天気に影響を及ぼすことはできませんが、今晩の食事を何にするかについては影響を及ぼすことも可能です。

つまり、同じ関心事でも、影響を及ぼすことができることと影響できないことがあるというわけです。

このように、私たちの身の上に起こる出来事や周囲に存在する物事は、関心の有無、そして影響を及ぼせるか否かで分類することができます。

そのことをコヴィー博士は「関心の輪」と「影響の輪」という概念で説明しています。

引用:http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-11.html

 

影響を及ぼすことができるのは、自分の行動であり、その範囲が「影響の輪」。

関心や興味があるけれど、自分が影響できない事柄の範囲が「関心の輪」。

得てして「関心の輪」、つまり他人をどう変えるかとか、取り返しのつかない過去の失敗とか、天気や景気や世界情勢や悲しいニュースに、私たちは限られた脳のキャパシティを使いがちです。

しかし、私たちが影響できるのは、自分達の立っている「今、ここ」だけです。

『やることを、やる』

どんなに偉い人でも、どんなに立派な人でも、あるいはどれだけダメで邪悪な人でも、これ以外に影響を与える事は出来ません。

期待しないけど、諦めない。

私は、その影響の輪以上の効果を、拡がりを、期待しすぎて苦しくなり、結果を求めてしまった。

叶わないなら全て諦めた方が楽だから、手放そうとしたのではないかしら?

結果を期待して、相手に関わるのは、コントロールできないものをコントロールしようとすることで、「関心の輪」に手を伸ばしていたことになります。

それでは、影響の輪の境界線を見失う。

他人の在り方は他人の物。

私の願いは私の物。

しかし、影響の輪の中の事柄に集中し、自分がやれることが増えていき、その幅を拡げれば拡げるほど、かつて関心の輪だった範囲に手が届く。面積が拡がっていく。

それはあくまで、自分のやるべきことに徹していて、それだからこそ、かつて他人の範疇だった関心の輪の範囲まで、影響を拡大することができる。

まさしく先輩が休憩所を綺麗にする後ろ姿を見せ続け、他人から数歩引いて冷静に言葉をかけ続けた結果、若者が変わったように。

私は願いを諦めることで、影響の輪を拡げる事も手放していたのではないかしら?

他人には結果を期待しない。

だけど、関わりを諦めない。

他人の可能性を、諦めない。

それは、私が出来ることが拡がる可能性を信じる事と同じだから。

他人にもあるかもしれない、私の中にあると信じたい、可能性。

「希望」を諦めない行いは、他人に「希望」を見せる。

素晴らしい、美しい何かを、他人の世界にもたらす。

だから、他人が自然に変わりたいと思うようになる。

いつの日か。

そう信じる、美しさ。

信じる美しさの共有を、諦めないでいたい。

 

自分ができること以外のことばかり気になってしまったら。

スヌーピーがいいことを言っています。

ルーシー「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。)

スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)

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【依存症】水のように生きる、ということ。

こんにちは、ちあき です。

久々更新です。

今日は久しぶりに断酒会にいけました。

そこで感じたことをちょっと書いてみたいと思います。

 

異動になりました

部署が異動になることになりました。

一応希望している領域にいけることになり、いいことなのですが、問題が一つ。

上司がまた変わること。

現在の上司は、依存症には想像力が働かないタイプの人でした。

私がアルコール依存症になったことは「恥ずかしいこと」で「あまり言うべきではないこと」だと、今の上司には映るようで、私が飲み会をすべて断ることもあまりよくは思っていない人でした。

それ自体は仕方がありません。人のとらえ方はそれぞれなので。

でも、アルコール依存症の病態と私の状態を説明して、チームのメンバーにも説明して、

「でも今はもう治ったんでしょ?」とか

「そんなの言い訳で飲めるのに頑張らないだけでしょ」とか

そういう勘違いをいちいち訂正するのは、結構大変でした。

またそうなるの正直面倒だし、嫌だな…と思ったんですよね。

自分の酒害を話したとき、眼の奥に揺らぐ侮蔑・嘲笑・憐憫。

それらをまた一から目の当たりにしつつ、『できないこと』を話して助けを求めるのは、やはりそれなりに勇気と覚悟がいるものなのです。

 

 

それでも、私は、そうでしかない。

しかし、それで怖がって隠していても、しかたがありません。

だって、飲めないんだから。

だって、飲んで失敗してきたんだから。

だって、できないものはできないんだから。

そこから逃げて目を背けてきたから、私は私を見失ったのだから。

今度は逃げないで向き合うと決めた。それが私の断酒なのだから。

 

今回、初回の面談で、新しい上司に素直に『できないこと』を伝えられたのは、私にとって大きな進歩でした。

 

私は今まで、人に、現実の自分よりもよく思われようとしてきたのではないかしら。

なぜ? 現実の自分には自信がないから。

アルコール依存症をバカにされる。

自分がやってきた過ちで人から見くびられ、軽んじられ、陰口をたたかれる。

「許せない、見返してやる」「俺の頑張りをどうして認めてくれないんだ」と、

私は他人に対して、認識を変えさせよう、そのためによく見せよう、と『背伸び』していました。

 

しかし、どう受け取るか、どう考えるかは、相手の問題です。

相手の器の成熟度にも左右されるし、何よりそれは「私にはどうすることもできないこと」というタッチできないカテゴリの事柄だということです。

だから、アルコール依存症のことをどれだけわかりやすく丁寧に話したとしても、理解してくれるかどうかは相手次第。

コントロールすることができないこと。

それと同じように、相手がいくら

「そんなんじゃだめだ」

「お前は頑張っていない」

「そんなことで恥ずかしくないのか」

と感じ、私に言葉を投げかけたとしても、私は、ただ、私としてしか生きられない。

言われたことが腑に落ちれば、行動を変容させるかもしれないけれど、それはどこまでも

「私がそうしたいと思った」からするわけで、誰かに言われたからするわけじゃない。

誰かに言われたから変える、というのは、今までやってきた『背伸び』と同じだから。

私は私として生き、私として死ぬ。

それ以外の道はありません。

それを「許すことができるようになった」のではないかしら…と思うのです。

 

自分も自分以外も許せない生き方は、自分も他人もしんどい

私は、許せませんでした。

自分をバカにする他人も、馬鹿にされるようなアウトカムしか出していない自分自身も。

飲めないから機会を失う、同僚の飲み会の中で交わされる会話についていけない、そんな惨めに見えた自分自身。

どれだけ言葉を尽くしても分かってくれない、分かろうともしない、思い通りにならない他人。

ああ、そんな風にすべてに憤り、青筋を立てて顔を真っ赤にして、私はどうしたかったのでしょうか?

 

そもそも、思い通りになることなど、そんなに世の中にはないのですから。

 

ブルースリーは、「友よ、水のようになるのだ」という言葉を残しています。

 

水は、たとえば川を流れるとき、川の在り方に沿ってしか、流れていけません。

傾斜・角度・川幅・方向…すべてが外の力で完璧に決められていて、それを水自身はどうすることもできません。

しかし、水自体はどんな形にもなれる。

速く流れることも、激しく打つことも、穏やかに揺蕩うことも。

そして、水は、水以外の何物でもなく、唯々、水であり続けます。

こっちの水とあっちの水のどちらが優れているとか劣っているとか、水自身は何も比べません。

比べる気持ちがある人(第三者)が、その気持ちを込めた目で視て、優劣を勝手に決めつけているだけ。

その勝手な優劣は、人の目の数だけ存在することになります。これが他人の評価、というもの。

 

つまり、そんなものを気にしていたら、そのニーズのすべてを満たすために、水は水で在ってはいけなく、他のどんな物質にもそれを成し遂げることなどできません。

「出会うすべての他人の意に沿おうとする」というのは、すなわち、水を水でなくす=「正体をなくす」ということです。

私たちは、正体をなくしてしまった。アルコールという薬物で、土台無理なことをしようとする自分自身を、隠しだまし裏切り続けてきたのではなかったか。

そう思うのです。

そりゃ、苦しいですよね。だって、「自分が自分で在ってはならない」って24時間365日思い続けているんだから。

そんな自分を許してくれない他人にも、常に苛立ち恨みを抱えているのだから。

そんなあなたを見た他人も、ずっと刀の切っ先を向けられているような、責められているような気持になっていたでしょう。

お互いに苦しいだけですよね。

 

水と水を較べない。水が水である事を、もうそろそろ許そう。

水=自分・他人と置き換えてみると、どうでしょう。

自分と他人を較べない。

自分が自分であることを許そう。

自己啓発セミナーみたいな怪しげなところでも言っていそうなセリフでしょう?笑

 

でも、そうなんですよ。

私は、私でしかないんだから。他の誰にも成れないんだから。

『背伸び』しなくてもいいし、『できないこと』を隠さなくてもいい。

 

だって、水は水でしかないのと同じなんだから。

 

水はどんなに背伸びしても他の液体にはなれない。

水銀にもガソリンにもなれない。

 

「なんで水銀じゃないんだ?水銀になれないお前(水)は頑張ってない!!」

「ガソリンになれないなんていうのは、気持ちが弱いからだ。恥ずかしくないのか?!」

って言われても

「ごめんなさいね。でも、私は水なので、水でしかないんですよ」

と言って、ただそう在ることしかできないことを恥じる必要はないし、できないことは、できないと言ってもいい。いや、むしろできないと言わないと相手が見誤ってしまいます。

 

私はアルコール依存症であり、そういう「私」でしかない。

その事実を恥じて隠してしまったら、他人は私に「できないこと」を求めてしまうし、できると勘違いしてしまいます。

だから、私はこれからも、「アルコール依存症のちあきさん」として生きます。

そうでしかないのだから。

 

早朝に増水した川を愛犬と眺めていて、そんなことを考えていた、という話をした久々の断酒例会でございました。

 

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