【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録①(恨みについての課題演習)

「ACのための12ステップ」という本があります。

 

『ACのための12のステップ』(”The 12 Steps for Adult Children”)の原著はACの問題からの12のステップに沿った回復の道を歩んでいる匿名の著者たち「フレンズ・イン・リカバリー」が、自分たちの経験と力と希望を分かち合い、「このメッセージを他の人たちに伝える」ためにアメリカのある出版社から出版した本です。

この日本語版は、自分自身がAC(アダルト・チャイルド)である、ACAの仲間たちが「ACの会」という形をとって翻訳・発行し、ACA事務局から配布しているものです。

 

ACAに繋がっている大切なひとから教えてもらい、私はAC(アダルトチルドレン)であることを自覚しました。

この本に沿って、私は自分のACの課題に取り組むことに決めました。

そして、step4において棚卸しすることの重要性を教えてもらい、まず今回は、「恨みについての課題」を整理したいと思います。

恨みの健康的な取り扱いを学ぶことは、回復の過程の重要な要素です。

 

私の恨み

「恨みが、あなたにとって問題であるような状況を調べなさい。そのような状況を記載するとき、次の質問に答えなさい。」

 

1、あなたは何を、誰を恨んでいますか?

→ 今は会社(特に上層部)です。そして今も昔も共通なのは、親です。

 

2、あなたに恨みを感じさせるものは何ですか?

→ 社会的なステータス、私を評価しないこと、期待した正しさを有していないこと。

私のそのままを受け容れてくれなかったこと。

期待した役割の私しか好きでいてくれなかったこと。

 

3、この恨みはあなたの考え方、感じ方、行動の仕方にどのような影響を与えましたか?

社会的ステータスを見下すようになった

評価しない人間の粗探しをするようになった

会社を低く見るようになった

会社を支持する人間を見下すようになった

会社の矛盾に厳しくなった

自分が文句を言える完璧さを持たなければならないと思った

認めさせるために結果にこだわるようになった

素直に評価してほしいと言えなくなった

他人を敵だと思うようになった

他人に頼ることを諦めた

常に仕事においてイライラするようになった

評価されない自分を責めるようになった

独りで生きていける道を探すようになった

会社の間違いを徹底的に許さず通報した

親や他人の顔色を常にうかがうようになった

家族としての在り方がわからなくなった

他人として安らぐことがわからなくなった

他人を満足させなくてはならないと思うようになった

 

4、どんな性格特質が目立っていますか?

「権威のある人たちを恐れること」

「承認を求めようとすること」

「抑圧された怒り」

「孤立」

「低い自己評価」

「コントロール」

「過剰に発達した責任感」

これらに関して、個々に事例を振り返りながら、棚卸ししていくようです。

これはまた次回以降。

 

感想:恨みをずっと抱えるのは苦しかった

今は会社に対してですが、常にだれかに恨みを持ってきた気がします。

そのもとにあるのは親でした。

私に向き合ってくれず、自分の見たいようにしか、私を見ようとしなかった両親。

 

恨みを抱えて生きるのは、苦しいです。

誰かを憎みながら生きるのは、つらいです。

したくもないことを、しないといけないからする人生は、つまらないです。

 

そういう自分の真実に気づくために。

大切な人を大切にするために。

まだ始まったばかりですが、丁寧にやっていきたいと思います。

 

 

✨出典の本の購入はこちらからできます✨

https://aca-japan.org/docs/books.html

 

ACAに繋がってなくても、欲しいと言えば送ってもらえます。

お求めの際には、ここの名前は出さないようお願いいたします。

【依存症】セックス依存症を誤解するアルコール依存症者の話

こんにちは、ちあき です。

アルコール依存症とセックス依存症について、考えてみました。

 

依存症をことごとく誤解していた私

何を隠そう、ブログタイトルの不届き者は、私自身です。

私はアルコール依存症になりましたが、それまではアルコール依存症を誤解してきました。

アルコール依存症はどうしようもなくダメないい加減な性格の人がなる、恥ずかしい病気だと思っていました。

だから自分がアルコール依存症だなんて認められずに、ズルズルと色々なものを失うまで否認し続けてきました。

肝臓の数値がまだ4桁ではないしもっと飲む人もいるとか。

人より少し(少しではないのですが)量が多いだけだとか。

ストレスが多いから飲んでも当たり前だとか。

世の中のサラリーマンは毎日飲んでるんだから普通だとか。

 

そう、ありふれているんですよね。酒は。
世の中に浸透して、飲み物として定着している。

実際はエチルアルコールに味をつけた合法ドラックなのにね。

CMでは煌びやかで美しい女性がさも美味しそうに飲み下し、ドラマでは爽やかイケメンがワインを傾けながら素敵な愛の言葉を囁き、イメージを美化しています。

国は酒税で税金が入るので、酒を決して悪者扱いしません。

周囲の大人もキメているし、大丈夫だろう、ということで、何も知らない子供たちも体に悪い飲み物ではない、と成人した途端に次々に手を染め、正しい知識がないまま乱用して一気飲みなどで急性アルコール中毒になり命を落とすこともあります。

アルコール依存症は、社会に酒が根付いているからこそ、文字通り根が深い関係にあるといえます。

(アルコールについては、三森みさ先生の厚労省監修の依存症啓発漫画「だらしない夫じゃなくて依存症でした」を読んでいただくとすごく良くわかります。めっちゃ面白いし、今なら無料なので、読んで損することはないでしょう。)

(現在、オリジナルストーリーが追加され全てに加筆修正が施され、待望の書籍化が実現間近で、予約が既に殺到しています。)

「だらしない夫じゃなくて依存症でした」書籍版(amazon)

 

 

セックス依存症かもしれない同僚の話

私は、セックス依存症と思われる同僚と出会ったことがあります。

毎日クラブに出向いては女性を誘い、自室に連れ込んで行為に至り、その一部始終を自身のiPadで盗撮するのが趣味の男性でした

容姿端麗でノリが良く、モテていました。
度々その卑猥な動画を見せびらかしては、自分がいかにオスとして優秀かを周囲に誇示している人でした。私は正直、その人が穢らわしいと思っていましたし、大嫌いでした。

しかし、ある時、珍しく弱々しい顔をして私に打ち明けてくれたことがありました。

「本当は本命の彼女がいる。その人のことを本当に愛しているけど、他の女性との行為をやめられなくて、本当は辛い。毎日誰かがそばにいないと、セックスしないと頭を掻き毟りたくなる。俺はタイガーウッズと同じ病気かもしれない。」

私はそれを聞いたとき無知だったので、
「何言い訳してんだ。本当に好きなら不貞行為をしたりしないだろう。」
と冷めきった対応をしてしまいました。

その後、彼はその話について触れることはなく、職場の周囲で性的関係を拡げすぎたのか、理由は会社内でも知らされないまま、別の会社へ転職してしまいました。

真偽のほどはわかりません。
しかし、私はかねてより津島隆太先生「セックス依存症になりました。を読んで、その時の対応に激しい後悔を感じています。

(この漫画も、毎週金曜に更新されているうえに、無料。どうなってんだ全く、依存症界隈の作家さんたちは…。良心的すぎます。)

 

 

ありふれているからこそ問題が理解してもらえない、セックスとアルコール

セックスも、正しい教育などあまりないままに、成人になると見様見真似で普及していき、多くの人が経験していながら、あまり深く掘り下げられにくい、という点で、アルコールと一緒なのではないか、と気づいたのです。

私は、アルコール依存症になって、同じように言われて理解されず、苦しんできたことを思い出しました。

「酒がやめられないなんて言い訳だ、意志が弱いからだ」
「本当にやめたいと思っていたら、やめられる筈だ」
「アル中になるほど飲むなんて頭がおかしい」

正直に差し出した自分の生身の苦しみに唾を吐きかけるようなそんな言葉をかけられて、私はどれだけ悲しくて惨めで怒りを覚え、人間関係に絶望したか、はっきりと重なって私の心にザックリと突き刺さりました。

私は、私を傷つけた人たちと同じことをしていたのかもしれない。
そう思った瞬間、なんとも居た堪れない苦しい気持ちになりました

酒はありふれています。
だからこそ、皆安心だと勘違いします。
多くの人は上手に付き合っているように見えます。
「当たり前」ができない人間を、分かりやすくバカにすれば、自分がマシな人間に見えて、インスタントに自己肯定感を高められるのでしょう。
人は、「当たり前」のことも当たり前にできないひとなら、いくらでも馬鹿にして叩いて尊厳を踏みにじり身勝手に消費しても、一向に構わないと勘違いしやすい。

一歩間違えれば、自分がいつ、「当たり前」から踏み外すかもわからない。弱くて小さな存在だということを、いとも簡単に忘れてしまいます。

 

 

まとめ:歪んだ物差しを抱きしめて

私たちは、自分の物差しで測ることしかできません。
その物差しが実は歪んでいるかもしれないのに、絶対的に正しいと勘違いしやすい。

特にありふれたもの、酒や市販薬やセックスなどを含めたありとあらゆる事象は、ほかの人にとっては、私が定義しているカタチとは全然違うのかもしれない。

そういう想像力を欠いていた、または今も欠いているであろう自分を恥ずかしく思います。

ましてや経験したことのない、表面的にしか知らないことについて、わかったようなことを、どんな根拠で何を言うことができるのでしょうか?
例えば、違法薬物で逮捕された芸能人の方を声高に批判する、無関係なメディアのコメンテーターの下卑た表情を見、見下す興奮に上擦った声音を聴くにつけ、何を偉そうにわかったようなことを言っているのか、と思います。
同時に「あれは少し前の恥ずかしい私そのものだ」と感じます。
だからあんまりテレビは見ません。凹むだけですから。

私たちは、自分の物差しがもしかしたら見事に立派に歪んでいて、あらゆることを見誤っているのかもしれない、という謙虚さを脇に携えながら、他人の話を傾聴すべきなのかもしれません。

そうした己の不完全さ、弱さを認めたうえで、他人の言葉を聞きたいと思いました。

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【社会福祉】社会的スティグマとジェンダーロールに関する個人的見解

なんだか、生きづらい世の中ですね。

しんどすぎて、たまにくじけそうになりますね。

生きづらさについて、社会的スティグマとジェンダーロールについて考えてみました。

世間に誤解されて孤立する依存症

近年、覚せい剤取締法違反で芸能人や官庁職員が逮捕されるニュースが相次いで報道されている。

ワイドショーなどで面白おかしく取り上げられ、刑務所から出てくる前に完治させよ、というような暴力的な議論が笑いを交えながら展開されていることに戦慄を感じざるを得ない。

サイモン・フレーザー大学のブルース・アレクサンダー博士による有名な「ラットパーク」の試験で明らかになっているように、ネズミをモルヒネに耽溺させるのは、モルヒネという依存性薬物の存在ではなく、孤独で、自由のきかない窮屈な環境、すなわち「孤立」である、ということである。

このことはそのまま人間にも当てはまる。

薬物を使ったことがある人が必ず薬物依存症になるのかといえば、実は必ずしもそうではない。

たとえば酒などは、日本において宗教的にも深く文化に関わっているため成人したらほぼ全員が口にする機会がある。その後習慣飲酒になるか機会飲酒になるかは個人により様々だが、少なくとも依存性のあるアルコールを摂取することによりすぐに依存症が発症するわけではない。

では何が依存症にさせるのか?といえば、先に挙げた社会的な疎外感や孤独感ではないだろうか。

「社会的スティグマ」という社会的に望ましくないレッテルは、依存症という課題に直結していると考えている。

 

 

社会的スティグマが依存症からの回復を妨げている

社会的スティグマの観点からこの日本社会の不自由さに目を向けてみたい。

薬物を使用して警察に逮捕されると、犯罪者という耐えがたいレッテルを貼られて刑務所に収容される。一度踏み外してしまえば、「受刑者」「前科者」のいうスティグマを抱えて生きる人生から逃れることはできない。

なぜなら、学校や社会で間違った依存症教育が行われ、「1回でも薬物を経験すると、薬物の快感が脳に刻印付けられ、脳がハイジャックされてしまい、もう正常な判断はできなくなる」と『ダメ絶対』な教え込まれてきたからである。

実際はそうではなく、社会的孤立感や生きづらさから依存性薬物に頼り、依存から抜けられなくなったのであって、根本原因は人と人との繋がりの病であるにも関わらず、社会的スティグマを抱えさせられた薬物依存症者は社会的にさらに孤立した立場に追い込まれるのである。

このため、専門家のなかでは、薬物依存症の患者数が減っているのに再犯率は増えている現状を、「社会的スティグマに対する恐れから重症にならなくては捕まらないほど使用状況が悪化しており、逮捕後の社会復帰が困難な状況から再び孤立し薬物に手を出してしまうからだ」とする見方もある。

すなわち、社会的スティグマを背負わせるような現在のマスコミの誤った報道や学校での間違った依存症の理解と教育、社会における一般市民の無理解・無関心が依存症の問題をより根深くしているのではないか、と私は考えているのである。

 

社会が作り出したもうひとつの苦しみ「ジェンダーロール」

次に、DVやハラスメントに代表されるジェンダーの問題、性別によって社会から期待されたり自ら表現する役割や行動様式、すなわちジェンダーロールの問題がある。現代社会においてSNSで多くの怨嗟の声が聞かれ、男性からも女性からも憎しみと苦しみが表出してきている。

性差における議論は生物学的見地からアイデンティティとしての見地まで様々な切り口がある。

「わからないから遠ざける」という自己防衛的無理解が互いの耳をふさいでいることが最も大きな原因のひとつである。

我々は女も男も違うからこそそれぞれに魅力的であり、等しく尊厳があると思う。そのことを忘れて、バイアスを通してその人を判断しようと焦り、互いの尊厳を傷つけることに繋がっている不幸な状況だと私は感じている。

たとえば女性側には、今まで議論ではなく暴力や圧力で男性側にそうした尊い見解の相違を検討されず踏みにじられてきた悲しい歴史がある。私たちはその歴史に学び、違う価値観や生態をもつ相手を敬い、相手の立場を想像する力を身につけなくてはならない。

逆も然りで、「日本男児」に代表されるような男性像に縛られて社会的に自由さを失っている男性の苦しみや歪みに対して男性は自身の歪みや見えない苦しみを自覚する必要があるし、女性ももっと理解を深めることができる。

互いを異質なものとして非難するばかりでは歩み寄りなど成立しない。生きづらさを取り払っていけば、互いに自分らしく幸せに生きていけるのではないだろうか。

 

孤独感と無理解に満ちた世の中だからこその社会福祉

人は誰でも間違いを犯す。

そして孤独感は耐えがたいものである。

何らかの生きづらさを抱えていても、正しさを押し付けられ、他人には相談できないような社会的閉塞感が充満している現代では、そのような窒息しそうな社会背景が、さらに依存症やジェンダーロールの問題が深刻化しているように感じる。

依存症において違反者を厳罰化しても根本的な解決にはならない。

むしろ、厳罰化することでますます重症者を増やし、回復しにくくすることに繋がる。それは、社会的な恨みとなり犯罪の温床にもなりかねない。

ポルトガルでは依存性薬物について合法ではないが、罰を与えないようにしている。薬物依存症に苦しむ人に社会のなかで居場所をつくったら、治療に繋がる人が増え、10代の子供達の薬物使用が減り、全体についても、薬物に関連する問題が減った。

日本がこれから、平和で多様性を尊重するダイバーシティとインクルージョンを実現する、立派な人権国家を目指すなら、まずは社会的スティグマを背負わせる前に正義を叩きつけるのではなく傾聴しともに生きる術を模索する社会福祉的関わりが重要であると考えている。

そうした意味で、社会福祉士の役割は依存症やジェンダーロールという「孤独」に起因した社会問題の解決に寄与できる可能性が小さくないと考えて、期待している。

【メンタル】なぜ有酸素運動はうつに効果があるのか?

こんにちは、ちあき です。

イギリスのNICEにおいて成人のうつ病に関する診療ガイドラインが発表されており、うつ病に運動療法が推奨されてるの、ご存知ですか?

私は教えてもらうまで全然知りませんでした。

‪有酸素運動はうつ病に対して抗うつ剤と同等の効果が期待できる治療法かもしれないと言われています。

はたして本当なのでしょうか?

 

うつの症状や重症度は人によってさまざま

現在、様々な抗うつ剤発売されており、最近新たに新規作用機序の「ボルチオキセチン(トリンテリックス錠)」が発売されました。優れた効果と安全性で、Lancet誌に掲載されたネットワークメタ解析の直接比較試験での解析結果において最も優れた薬剤として位置付けられたことが、精神疾患領域においてホットな話題になっています。

しかし、そのボルチオキセチンですら、すべての人に対して等しく効果を発揮する薬剤ではありません。

うつの症状は幅広く、タイプははっきり異なっています。

食欲がなく眠れないという人もいれば、過食気味で疲労感がひどく、毎朝ベッドからなかなか出られない人もいます。簡単なことも決められないほどの無気力感に陥って引きこもる人もいれば、あらゆる人やモノに対して怒鳴りつけケンカをふっかける人もいます。

このように、症状は両極端に振れたり、その程度が異なったり、気になる訴えが違ったりと、千差万別です。それぞれの患者さんに合う薬をひとつひとつ慎重に試しながら探していくしかなく、その間に医療への信頼をなくしてドロップアウト(治療から脱落)してしまう人も少なくありません。

そんな人それぞれのうつ病の症状に対して、どんなひとにでも有酸素運動はある一定の効果が期待できるというのです。

マジかよ…??本当に??

というわけで調べてみました。

有酸素運動は本当にうつに効果があるのか?

まず、運動は本当に効果があるのでしょうか?いくつかの疫学研究を振り返ってみましょう。

①アラメダ郡研究(カリフォルニア州バークレー)

1965年から26年間にわたりアラメダ郡の住人8023名を対象とした追跡調査。

調査開始時にうつの兆候が見られず、1974年までの9年間で、

あまり運動をしなかった人は、1983年までうつになった割合がよく運動した人に比べて、1.5倍多かった。

最初は運動していなかったが少しずつ運動するようになった人と、最初から一貫して運動していた人は、1983年までにうつになる割合が同じだった。

運動習慣がないと、運動習慣がある人よりうつになる確率が高い。

 

②SMILE(Standard Medical Intervention and Long term Exercise/標準的な医学的介入と長期運動)研究

運動の効果と抗うつ薬(セルトラリン:SSRI)の効果を16週にわたり検討した研究。

大うつ病に該当する50~77歳までの合計156名を3群にランダムに割り付け、薬剤療法グループ、運動療法グループ、併用療法グループに分けて検討したところ、3群ともうつの症状が大幅に緩和し、それぞれの約50%の患者の症状が完全に消失した(寛解した)。約13%は症状が緩和したものの、寛解には至らなかった。(約37%は無効だった。)

薬剤療法=セルトラリン 50~200mg/日を投与(国内の承認用量は100mgまで)

運動療法=週3回 30分間 監督下で予備心拍数70~85%の強度でウォーキングかジョギング

☆予備心拍数の計算方法

(1)220-年齢=最高心拍数
(2)最高心拍数-安静時の心拍数=予備心拍数
(3)予備心拍数×0.5~0.6+安静時の心拍数=目標心拍数

運動療法と薬物療法は、それぞれ単独で同程度の効果がある。

 

③IT関連企業の従業員を対象とした1年間の追跡調査

余暇身体活動及び通勤時の歩行が勤労者の抑うつに及ぼす影響(体力研究,109,1-8,2011)において、

余暇の身体活動時間が最も長い群は、全く行っていない群と比較して、うつ症状の発症リスクがおよそ50%低かったことを報告している。

日本においても、身体活動時間はうつの発症リスクに影響を及ぼしている。

 

以上の研究以外にもさまざまな疫学研究において、運動量とうつのになりやすさには反比例関係があり、薬剤と同じくらいの効果が、運動療法(有酸素運動)には期待できるということが、精神医学の研究において明らかになっています。

 

なぜ有酸素運動はうつ状態を改善するのか?

じゃあ、なんで有酸素運動が、あんなにどうしようもないうつの症状を改善できるのでしょうか?

生理学的機序として、有酸素運動は、以下のような要素が挙げられています。

・成長因子の増加

・神経細胞新生

・脳血流量の増加

・脳神経伝達物質(ドパミン、ノルアドレナリン、セロトニン)の増加

・セロトニン系の過活動状態の抑制

・自律神経系調節(副交感神経系の活性)

・視床下部・下垂体・副腎皮質系の機能調節

 

特に有酸素運動がうつに効果を発揮する生理学的効果を考える上で重要なのは、成長因子の増加のひとつである、「BDNF(脳由来神経栄養因子)の増加」です。

 

☆BDNF(脳由来神経栄養因子)とは?

記憶や学習、神経発達、神経新生などの脳機能に不可欠であり、主に、海馬、大脳皮質、視床下部などの中枢神経系で発現するほか、体内の器官や血液中にも存在する成長因子のひとつ。ニューロン同士の結合や成長を促す肥料のようなもの。

細胞の自己破壊的な活動にブレーキをかけ、抗酸化物質を放出し、軸先と樹状突起の材料になるたんぱく質を提供している。

うつ病の患者の脳内では、血清中のBDNF濃度は、健常者と比べて明らかに低く、うつ症状とBDNF濃度には負の相関が認められる。また、未治療のうつ病患者の血清BDNF濃度は治療中のうつ病患者や健常者に比べると明らかに低いことが報告されている。

 

うつ病では、脳のなかの扁桃体と呼ばれる情動を司る部位と、海馬と呼ばれる長期記憶を司る部位が委縮していきます。特に海馬はうつ病に罹患すると15%程度小さく萎縮してしまうと言われています。

原因は、ストレスホルモンであるコルチゾールと考えられます。

コルチゾールにまみれると海馬のニューロンは新しくできるどころか死滅していくのです。うつ病だった期間が長ければ長いほど縮む割合は大きくなります。

うつ病で否定的な感情や記憶ばかりがリフレインするのは、このニューロンの損傷により、細胞レベルで学習と記憶が遮断されるためだと言われています。

このコルチゾールによる損傷からニューロンを守るのが、BDNFの役割の一つであることが分かってきました。

コルチゾールが増えすぎるとBDNFは減ってしまいますが、このBDNFの濃度は抗うつ剤で増加することが確認されていて、有酸素運動でも増やすことができると確認されています。

つまり、運動をすれば、BDNF濃度が上がり、うつ症状悪化の原因の一つである海馬の萎縮を抑制することができると考えられます。

 

また、有酸素運動は、前頭前野においても同様に各種の神経伝達物質を調節させると考えられています。

前頭前野はヒトをヒトたらしめ,思考や創造性を担う脳の最高中枢であると考えられていて、高次な認知・実行・情動・動機つけ・意思決定の役割を担っている重要な脳の部位です。

認知行動療法と心理療法は、まず自分を肯定的にとらえられるようになって、上位組織である前頭前野からの『トップダウン方式』で下位組織へ波及していくアプローチですが、有酸素運動が前頭前野のモノアミンを調整するということは、治療法として、認知行動療法と同じ『トップダウン方式』としての性格を有していると考えることができます。

また、抗うつ剤は、まず下位組織である脳幹に働きかけ、その影響が大脳辺縁系に伝わり、最終的に前頭前野に影響を及ぼす『ボトムアップ方式』のアプローチですが、有酸素運動はダイレクトに体を動かすの脳の中枢である脳幹をダイレクトに刺激します。脳幹が刺激されると、エネルギー・情熱・関心・やる気が生む効果があります。

つまり、有酸素運動はうつに対して『トップダウン方式』と『ボトムアップ方式』の両方向からアプローチできる治療方法だと言えるのです。

 

どのぐらい有酸素運動すれば効果があるのか?

「有酸素運動がいいのはもうわかったよ。だから、どのぐらい運動すればいいんだよ?」

と、ここまで読んでくださったあなたは少しやきもきしているかもしれません。

ご安心ください。

有効だったと結論付けられ、ガイドラインに推奨されている強度や頻度がこちらです。

頻度:週3回以上

時間:45~60分/回

期間:最低10~14週

強度:中等度(心拍数:80~98くらい)のジョギング or ウォーキング

☆35歳女性の場合:適切な心拍数=80~98
(1)220-35=185(最大心拍数)

(2)185-70=115(予備心拍数)

(3)目標心拍数=115×(70~85%)= 80 ~ 98

☆参考文献

1、「うつ病運動療法の現状と展望」武田典子,内田直,ストレス科学研究,2013,28,20-25

2、「脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方」ジョンJ.レイティwithエリック・ヘイガーマン,2009,3,143-178

 

科学的に正しい、うつに対する運動療法として、上記の通りやれば、セルトラリンによるSSRI単剤治療と同じだけの効果が期待できる、ということになります。

経済的にいうならば、メーカー純正品の薬剤を服用する場合で、薬剤費約7200円分(自己負担は約2000円)の効果を発揮してくれる、ということです。

お得!!

まとめ:有酸素運動、まずは一緒にはじめてみましょう!

私もこれからトライするところなので、一緒にやってみませんか?

週3回の運動習慣が、脳内のモノアミンを調整して、うつを晴らしてくれるなんて、すごく爽やかで素敵ですよね。

こんな文章を書いている私も、じつはアルコール依存症からくるうつ病・うつ状態にずっと悩まされてきましたが、無気力感や性機能障害に悩まされて、SSRI単剤の薬物療法では限界を感じており、ある先生に本や実体験を教えていただいたのがきっかけで、この理論と実践に出会いました。

ともに回復していき、生きていてよかった、と思える朝を迎えられる一助になれば、こんなにうれしいことはありません。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

 

【社会福祉】低所得者に対する支援についての考察(貧困問題)

現代社会の貧困の様相は、アメリカ軍に敗戦した戦後の日本が置かれた極度の貧困状態から、現代ではその性質が変わっている。

 

時代の編成とともに貧困の背景は変化してきた

物理的に壊滅しゼロから再興せざるを得なかった戦後から昭和にかけて、日本は国内の経済成長に支えられて経済的な豊かさを高めてきた。しかし、サービスや産業が成熟し高齢化が進む中で経済的な成長は停滞しはじめ、経済活動は限られた市場を奪い合う構図に移行してしまった。

このため、雇用の不安定・低賃金・失業といった労働に直接かかわる側面で影響が出始め、同時に経済的基盤の不安定さからくる消費の冷え込み、就労者世帯が維持可能な家族単位の縮小などが相乗効果で量的・質的貧困を生み出している。

こうした日本社会の厳しい資本主義経済社会のなかで経済競争力が無かったり障害により失ったりした場合、非常に厳しい生活を強いられることになるのが現状である。

働いても生活できないワーキングプアや、健康・障害・高齢・性別・国籍などハンディキャップを理由に労働市場から敬遠されることによる雇用機会の非平等な消失などがある。

 

現代における貧困(相対的貧困率・ひとり親世帯の子供の貧困)

相対的貧困率は貧困を考える上で重要な指標である。相対的貧困率とは、等価可処分所得の中央値の50%の値しかない人の割合を示す数字で、日本で経済的収入がちょうど中盤の人の半分しか所得がない人の割合を示す。

2012年は16.1%、2015年は15.7%で、約6人に1人が貧しいということになる。OECD加盟国のなかでは下から数えたほうが早いほど日本の相対的貧困率は高い。

離婚してシングルマザー・シングルファザーになった片親家庭の貧困は特に問題視されている。特に母子家庭において貧困問題は深刻である。

就業率は男女ともに80%代だが、非正規雇用が多い女性の場合、所得が特に少ないケースが多く、子育て中の一般世帯の年収が626万円として母子世帯の収入は223万円であり、経済的に安定しない。また、育児休暇などの福利厚生も充実しておらず、雇用保険にも入ることができなかったりすることから、生活の維持には常に緊張感が伴う。養育費の支払いの取り決めも半数しかなされておらず、取り決めしたとしても支払い能力が無いなどの理由で支払われるケースは少ないと聞く。

ひとり親世帯で何よりも問題なのは、子供の貧困である。2016年の報告ではひとり親家庭の子供の貧困率は50.8%であり、OECD加盟国など先進国のなかで最も高い貧困率である。

 

公的扶助の低所得者対策の転換期はリーマンショック

このような社会のシステムから不幸にも取り残されてしまい、苦しい生活を強いられている人々に対して、ナショナルミニマム機能とセーフティネット機能を発揮し、憲法第25条第1項に保障されている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を守るために、公的扶助の役割がある。

公的扶助の具体的な仕組みとして、生活保護制度や自立支援、低所得者対策などがある。高齢者や障害者など要介護者が安心して自立した生活を送れるよう、介護保険制度が開始され、続いて介護保険法と児童福祉法が改訂された。障害者自立支援法などが制定され、多様性を尊重して社会参加して自立できるよう国の支援の方向性が示されている。

貧困・低所得者層においてはリーマンショック前と後という2点の大きな起点がある。

リーマンショック前は生活保護水準は抑制の方向だったが、リーマンショック後の大量の失業者や生活困窮者に対応するために特に子供の貧困解消やナショナル・ミニマム、自立支援、低所得者対策の見直しに大きく舵が動いた。

 

貧困からの自立とは自分らしく生きる自己決定権を取り戻すこと

このような動向のなかで貧困への支援とそれによる自立とはどのような状態なのだろうか。

生活保護法によれば、自立は2つの見解から成っている。経済的自立と社会的自立である。

しかし、身体的自立が困難で継続的な支援が必要な高齢者や重度の身体障害者は自立していないのだろうか?

そんなことはない。あらゆる人は様々なかかわりによって生かされ、決して一人で生きているわけではない。それは障害が有ろうとなかろうと、老いも若きも皆社会的生命体である人間として生き社会に属する以上は全く同じである。

自立の概念は「個人の尊厳の保持」という社会福祉で一番に考えなくてはならない要点をもとに、自らの意志と選択により自立していく主体としてとらえる「自己決定による自立」を最重要視することが重要である。

そのうえで、日常生活レベル・社会生活レベル・経済的レベルを自発的に目指す目標指標として活用しながら自分の可能性を追求していくこと、要保護者自身が決定・選択した人生を切り開いていくことが支援していくうえで重要な状態であり、今ある制約条件の中で極限まで「自分らしく生きる」を楽しめる自発的な状態が、真の自立の在り方なのだと思う。

【社会福祉】更生保護制度においてソーシャルワーカーが真にアプローチすべきこととは?

こんにちは、ちあき です。

まずは、更生保護制度の概観を整理するにあたって、現代社会に対して少し思うところがあったので、まとめてみました。

 

更生保護制度の関連機関と問題点

更生保護制度の関連機関は大きく6つに分けられる。まず、それぞれの機関における問題点を整理する。

 

裁判所

まず裁判所だが、少年による事件はすべて家庭裁判所に送致される。これを全件送致主義という。

少年保護手続に沿って少年院を出た後も保護観察所を通じて健全育成と改善更生を支援する福祉的機能をもつわけだが、問題点はその性質から少年の自由を束縛し強制的な要素を持つことである。罪を裁くという司法的な処分が強制されることに反発したり腐ったりして更生を妨げる可能性もある。

 

検察庁

検察庁において検察官は刑の執行を監督する立場である。

問題点は、監視と援助という不信と信頼を両立しなくてはならない矛盾を孕んでいることである。福祉的観点から保護観察付きで執行猶予を求刑することもあるが、あえて前科者のレッテルを貼って本人の社会復帰を困難にする可能性がある。

 

矯正施設(少年院・刑務所・拘置所)

矯正施設は、少年院や刑事施設(刑務所・拘置所)である。

問題点は、矯正施設を出所後社会に居場所がなく、再犯して再度入所するケースが多いことである。施設で身につけた健全な習慣を社会に戻ってからも継続することは容易ではない。施設での教育・指導の充実と塀の外でも継続できる体制づくりが必要とされている。

 

児童相談所

児童相談所は児童を心身共に健やかに育成することを目的とする児童福祉法を根拠法令として児童を対象に非行相談を受けている機関である。

問題点は、年々増加し続ける児童虐待の通報への対応で職員が疲弊しており充分な対応ができない可能性が高まっている点である。職員の使命感で支えられているのが現状である。

 

公共職業安定所

公共職業安定所・自治体等は就労支援と生活支援が役割である。就労ができず経済的に困窮することは犯罪につながるリスクファクターであり、社会的に脱落し社会的排除を起こさないために大変重要である。

問題点は、生活自立を含めた包括的な就労支援制度がないことである。本人か機関の人間が発達障害や知的障害の知識が乏しいと、適正にサービスを享受できないという柔軟性の問題もある。

 

民間団体

民間団体は、たとえばNPO法人や社会福祉法人などである。住宅支援・就労支援・社会貢献活動を役割としている。

問題点は、民間であるために組織を継続性が不透明であること、個々のニーズに沿って展開する分細分化され、中には援助の質が低くなる可能性がある。

 

犯罪は関係ない出来事ですか?犯罪者はヒトではありませんか?

実効的かつ安定した正規就労と社会復帰までの長い道のりを共に歩むことが可能な処遇プログラム、つまり点の支援ではなく線の支援ができるよう、各機関が相互に連携を強化することが、今後の課題である。

そのためには地域社会の理解が必要不可欠である。

犯罪者という偏見にまみれたレッテルでラベリングして排除しようとする不安感の正体は、とりもなおさず、「失敗を許さず一度落ちこぼれたら這い上がれない」現代の冷たい日本社会の在り方そのものである。

誰でも犯罪を犯す可能性はある。

間違いは誰にでもある。

そこからどう生きていくか、という姿こそ社会的に評価を得るべき視点であり、この視点を取り戻すことが閉鎖的な今の社会構造を打破する鍵であると考えている。

 

余談:少年法の適用年齢について

昨今、少年による親殺しや通り魔などのニュースが報じられている。

少年法の適用年齢を18歳に引き下げることや少年法を厳罰化し犯罪の内容に対応した刑罰にすることは、私は賛成である。

罪は償わなくてはならない。

それは成人でも少年でも変わらない。

罪を平等に受けることこそ人格の尊重の形の一つであり更生の第一歩である。

少年だから判断能力がないだろうと考えるのは、本人の人格を軽視していると考える。

ただ、10代の少年に長期の刑罰が科せられた場合、現在の受刑では社会復帰の道は閉ざされる可能性があるのは事実である。

問題は、未成年の犯罪における社会的背景と彼らの社会復帰に当事者意識を持てないことではないだろうか。彼らは「人生の落伍者」であり「自分とは違う下劣な人種」だと区別して安心を得ようとする心こそ、犯罪者のそれよりも下劣で卑しい考え方ではないだろうか。

 

マイノリティーが投影する、現代の失われた光と、闇の実態

依存症や発達障害や知的障害に対しても同様に、ラベリングされて社会的に排除されている現状がある。

ソーシャルワーカーとして真にアプローチすべきは、実は目の前の犯罪を犯してしまった子ではなく、その子を取り巻く地域・ひいては世の中への啓発活動であり、環境調整なのではないか。

長期に服役したとしても、刑期中にその子が抱えている問題を細分化して各種専門家が腰を据えてケアできる体制を整えれば、長い刑期は無駄ではなくなる。むしろ必要な回復のための有意義な期間になるだろう。その後の社会復帰を見据えたケアが行われ、NPO法人や社会福祉法人、提携する民間企業などでの就労支援と生活支援が遂げれなく繋がり、刑期満了とともに、刑期中に行われたケアの延長線上に社会での生活があれば、違和感なく脱落なく、スムーズに移行することができる。

復帰した社会で、「失敗してもいいんだよ」「再び立ち上がって頑張ればきっとまた輝くことができる」という光を感じることができれば、刑務所や少年院しか居場所がない、という悲しい現実に絶望し、再犯によるリターンしてしまう確率は限りなく低くなり、最終的に犯罪の発生率は低下し、世の中はより良くなって、地域の住民や世の中は本来の明るさを取り戻すことができるのではないだろうか。

【発達障害】ADHD治療薬まとめ(2019年11月)

こんにちは、ちあき です。

現在、ADHD治療薬には3種類の薬剤が発売されています。

ご専門の先生が様々な患者さんとの治療経験に基づいて治療しておられるので、主治医の先生によくご相談するのが最も重要なことであると前置きしたうえで、現在使える薬がどんな効果があり何に注意しないといけないのか、考えていきます。

 

脳の部位とモノアミンと脳の機能について

薬剤の話に入る前に、脳のどこと障害が繋がっているのか、整理しておきましょう。

 

☆表記方法

〇困りごと(障害の名前)

=脳の部位:関与しているモノアミン神経

☆脳の部位の解説

 

①やるべきことに集中できない(実行機能障害)

=前頭前野:ドパミン神経系・ノルアドレナリン神経系

☆前頭前野とは?=高次な認知・実行・情動・動機つけ・意思決定。

前頭前野はヒトをヒトたらしめ,思考や創造性を担う脳の最高中枢であると考えられている。前頭前野は系統発生的にヒトで最もよく発達した脳部位であるとともに,個体発生的には最も遅く成熟する脳部位である。一方老化に伴って最も早く機能低下が起こる部位の一つでもある。この脳部位はワーキングメモリー反応抑制行動の切り替えプラニング推論などの認知実行機能を担っている。また、高次な情動動機づけ機能とそれに基づく意思決定過程も担っている。さらに社会的行動葛藤の解決や報酬に基づく選択など、多様な機能に関係している。

出典:前頭前野-脳科学辞典

 

②我慢ができない(遅延報酬障害)

=腹側線条体:ドパミン神経系

☆腹側線条体とは?=快感・報酬・意欲・嗜癖・恐怖の情報処理。

腹側線条体はHeimer らによって提唱されたコンセプトで、側坐核とその周辺の領域を含む。入力元は腹内側前頭野・前頭眼窩野・島皮質といった皮質、扁桃体・海馬・視床髄板内核群を含む皮質下領域と中脳のドーパミンをはじめとした神経伝達物質関連領域であり、出力は、大脳基底核の腹側淡蒼球と黒質網様部・緻密部、基底核外への投射としては外側視床下部・脚橋被蓋核・中心灰白質・分界条床核がある。これらの領域間の情報統合とドーパミンを中心とした神経伝達物質物質の作用により、快感・報酬・意欲・嗜癖・恐怖の情報処理に重要な役割を果たし、意思決定や薬物中毒の病態の責任部位であると考えられている。

出典:腹側線条体-脳科学辞典

 

 

③段取り・要領が悪い(時間処理障害)

=小脳:ノルアドレナリン神経系

☆小脳とは?=学習機構があり、主に運動を制御する。

小脳は大脳の尾側、脳幹の背側に存在する。小脳皮質とその深部にある白質からなり、さらに白質の中に小脳核が存在する。原始小脳である片葉、垂と小節、中央に古小脳である虫部、外側に新小脳である半球に大別される。半球と虫部はさらに溝により葉に分けられる。小脳の神経回路は学習機械と考えられる。小脳の出力細胞であるプルキンエ細胞には、末梢感覚器や大脳皮質に起源をもつ情報が苔状線維―平行線維を介して入力するが、それらは、下オリーブ核に起源をもつ登上線維の入力により修飾を受ける。さらにプルキンエ細胞の出力は小脳核に伝えられ、そこでさらに長期記憶として保持される。小脳皮質にはプルキンエ細胞以外に4種類の主要な神経細胞が存在し、プルキンエ細胞の信号伝達の特性や可塑性を調節する。小脳はこのような学習の機構を用いて、運動が正確かつ円滑に行われるようにフィードフォーワード制御を行う。また小脳は情動や認知機能の遂行にも関与すると考えられている。

出典:小脳-脳科学辞典

 

 

 

出典:児童青年精神医学とその近接領域 Vol. 58, No. 1 S13︲3.成人の ADHD の薬物療法(大髙一則,岡田俊)

 

これら3つに加えて、もう1つ。

 

④イライラする(情動調節障害)

=扁桃体:神経系は特に限定的ではない(特定できない)

☆扁桃体とは?=恐怖感、不安、悲しみ、喜び、直観力、痛み、記憶、価値判断、情動の処理、交感神経に関与。

扁桃体(へんとうたい)は、神経細胞の集まりで情動反応の処理と短期的記憶において主要な役割を持ち、情動・感情の処理(好悪、快不快を起こす)、直観力、恐怖、記憶形成、痛み、ストレス反応、特に不安や緊張、恐怖反応において重要な役割も担っています

うつ病発症のメカニズムとして、強い不安や恐怖、緊張が長く続くと扁桃体が過剰に働きストレスホルモンが分泌され長く続く事により神経細胞が萎縮して他の脳神経細胞との情報伝達に影響し“うつ病” 症状が発現すると考えられています。

扁桃体の役割は、海馬からの視覚だったり味覚だったりそういう記憶情報をまとめて、それが快か不快か(好き嫌い)を判断。何かの行動が快不快感情を生んで、その情報を海馬へと送るというように、海馬と扁桃体は常に情報が行き来しています。

出典:大脳辺縁系のおはなし

 

痛みやストレス状態になると扁桃体が興奮します。

前頭前野は扁桃体の興奮を鎮めますが、痛みストレスが継続的に起こる場合は、扁桃体が興奮しっぱなしとなると痛みが増幅され血圧上昇、不眠となります。

体に触れることにより視床下部で合成され下垂体からオキシトシンを分泌させることにより扁桃体の興奮を鎮静化します。

 

参考:脳と心の発達メカニズム(成田奈緒子)

 

脳には様々な部位とそれに応じた役割があります。

それぞれの部位によって関与しているモノアミンも異なります。

表に出ている障害を上記のように3つに分け脳の部位とモノアミンに分けて整理すると、薬剤の特性がより分かりやすくなります。

 

 

1、コンサータ(メチルフェニデート)

患者向け医薬品ガイド

ドパミン再取り込み阻害剤で、分類としては中枢刺激薬です。

ということは、ドパミンを増やしてあげるので、上記でいう、①やるべきことに集中できない(実行機能障害)、②我慢ができない(遅延報酬障害)に影響します。

主に報酬系の強化により「我慢ができるようになる」というのが親や学校の先生としては感じるところです。

即効性があり、服薬したその日から効き目を実感することもあります。不注意・多動へ強力な効果があります。

本人の実感として「やらないといけないことを我慢してできるようになる。でも効きすぎるとやらないといけないことが目の前にたくさん常にあってしんどい。」というような感想を聞きます。

 

2、ストラテラ(アトモキセチン)

患者向け医薬品ガイド

ノルアドレナリン再取り込み阻害剤で、分類は非中枢刺激薬です。

ということは、ノルアドレナリンを増やしてあげるので、上記でいう、①やるべきことに集中できない(実行機能障害)、③段取り・要領が悪い(時間処理障害)に影響します。

効果発現は数週間かかり、ゆっくりです。

段取り・要領の改善が見られます。親からみると「何も言わなくても優先順位をつけてちゃんとやるべきことをするようになる」と感じられそうです。

本人の実感として「やるべきことの順番がよく見えるようになるけど、いつもやっていた考え事ができなくなった。」などという感想を聞きます。

3、インチュニブ(グアンファシン)

患者向け医薬品ガイド

選択的α2A受容体アゴニストで、分類は非中枢刺激薬です。

???となりますが、前頭前野や大脳基底核に作用しノルアドレナリンを中心としてシグナル伝達を増強する可能性が示唆されておりますが、作用機序は不明です。大脳辺縁系や扁桃体に働き、抑制する可能性もあるのではないか、と一部の医療関係者の間では言われております。

ということで上記でいう、①やるべきことに集中できない(実行機能障害)③段取り・要領が悪い(時間処理障害)④イライラする(情動調節障害)に影響します。

数日で効果を実感でき、比較的速やかな効果発現が期待できます。

情緒的な安定感が生まれます。怒りで衝動的に手が出たり暴言を吐いたりしてしまうことが少なくなり穏やかになる傾向があります。

親から見ると「落ち着いていて、怒りっぽくなくなる」ようです。

本人の実感として「心が落ち着いて優しい気持ちでいられる。心が穏やかに過ごせるのはとても快適。だけど、飲み始めたときはすごく眠たかった。」などという感想を聞くことが多いです。

 

まとめ

薬は、あくまでも手段の一つです。

孤独を感じにくく楽に生きられる「マジョリティー」であってほしいという親の願いを優先するのが最良なのでしょうか?たとえるならば、異性愛者が同性愛を強要されるようなもの(逆もまた然り)と同じ息苦しさを私は感じてしまいます。

それこそ、その子自身が判断することであり、本当の自分を消してまで社会に適応するかどうかは、その子が人生の中で選び取るべきことかもしれません。

その子がより自分らしく生きていくために、薬も治療も存在しています。

親が「受験だから」「学校でおとなしくしていてほしいから」「会社に行って自立してほしいから」という自分の想いだけで判断することがないように、願うばかりです。

【子育て】親の陰口が子供の心を騙すという話(アダルトチルドレン)

こんにちは、ちあき です。

 

最近になって、母親から呪いを受けていたことに気づく機会がありました。

 

ふとしたときに思い出された、活き活きした父の姿

あるデザイナー兼イラストレーターの先生と話をしていたときのことです。

 

「漫画書く仕事をしているときって、最初は話の構想を練ってネームを描いて、登場人物の心の動きとか設定とか考えながら作業してるんだけど、下書きしたりペン入れしたりして何回も何回も同じシーンを描いては修正し描いては修正しを繰り返しているときには、作業で精いっぱいになって、何を描いてたのかわけわかんなくなるんですよねー。だから、読んでくれた感想ってとってもありがたいんですよー。自分だともう作品をそのままフレッシュに見られないので。」

 

という、狂気が滲み出るエピソードとを聞き深く戦慄したわけですが、なぜか懐かしさがありました。

 

私の父は書道家で、よく自宅で籠って字を書いていました。

 

展覧会の前などは作品が仕上がらない、と言って何時間も部屋で独りでうんうん言いながら書いていました。

 

たまに、「あー!もうわからんくなった!!」と言いながら、リビングにきて

「ちょっとこっちきて」と私と妹を呼び寄せるのでした。

 

何かな?と思って作業部屋に行くと、2つの書が並べて壁にかけてあり、

「どっちをどう思う?」という謎の問いかけをされます。

楷書でなく行書なので、何と書いてあるかすらわからないのですが、特に説明はなく、「感じたままを教えてくれ」というので、ほとほと困り果て、

「うーん、右のほうが白いところが多いから寂しい感じがする」

などと感じたままのふわっふわな感想を話すと、目を輝かせて

「そうか、そうかー、なるほどなー、ふんふん」などと言いつつ、私たちを読んだことはすっかり忘れてまた作品に没頭してしまうのでした。

 

こうしたことが何度もあったことを唐突に思い出したのです。

父もまた、書道家としてずっと作品に向き合ってきて、たまによくわからなくなるのか、こうしたことがあるたびに当惑した思い出がよみがえり、爽やかな感じがしたのです。

 

なぜか?

自分の父が生身の人間として、心に還ってきたような、息づいてる感じがしたのでしょう。

(もうお亡くなりになったような書き方ですが、父はまだ存命しています。)

 

 

母親から授けられた、父を嫌わなくては、という呪い

母親は、ずっと、父の愚痴をいっていました。

繰り返し繰り返し、私は父の悪いところを母親から聞き続けてきました。

 

「仕事ばっかりして帰ってこないなんて、ひどいでしょう」

「なぜなら、私たち家族よりも仕事のほうが私たちより大事なのよ」

 

そんな話をずーっと聞かされてきて。

母は父に帰ってきてほしい、っていうだけだったんだろうけど、

私は父を「嫌わなきゃいけない」と思ったのだと思います。

 

私は母といる時間が圧倒的に長かったので、父と話すのはもっぱら休日で、情報量では母親サイドの話が圧倒的に暴露率が高く、父をどんどん心の中で悪者にしていきました。

 

そうしなければ、嫌われるのは私になるからです。

父が嫌われ者をやってくれているうちは、母から嫌われずに済む。

母に嫌われたら子供の私は生きていけないし、何より母に嫌われることを考えたらとても心が耐えられないだろうと感じていました。

 

それに、父がちゃんと仕事だけじゃなく家庭にリソースを割いてくれれば、母からこんな聞きたくもない話を延々聞かされたりしなくていいし、私が聞いてほしい話ができたのに、と、父を恨む気持ちは日に日に強くなりました。

この記憶は、今も「仕事をしているからといって家事や子育てに手を抜くことは許されない」という、ひとつのクサビになって、私を休ませてくれません。

 

ある研究によれば、父親が家に帰ってくる数が少なくても、母親が、父親に対する愛情をもっていることを、子供たちに伝えている場合と伝えていない場合とでは、父親に対する子供の好感度が異なるといわれています。

 

それを考えるにつけ、私は、やはり父を本当は嫌いになりたくなかったのだと思います。

 

私だって父との時間が欲しかった。

本当は嫌いになりたくなかった。

父の話をもっとしてほしかったし、もっと私も自分の話したかった。

 

しかし、それは叶わなかった。

母が父を遠ざけ、意図せず悪者に仕立て上げてきたから。

父を嫌わなくては、逆に母に嫌われる恐怖を植え付けてきたから。

 

呪いを子供に授けないために、どうすればいいのか?

ずっと探していた生身の父。

たしかにそこにいて、感情をもって懸命に生きていた父。

私は、漫画を執筆した先生のエピソードに、父とのかすかな思い出を重ねて、なんだか嬉しくなってしまったのでした。

 

そんな風にならないように、私はパートナーの悪口を子供に吹き込むようなことをしない親でありたい、と思います。

 

私も子育てを積極的にやっている父親の一人として、世の中のお母さんが辛い気持ちは少しはわかるつもりです。

帰ってきてほしい気持ちも、心細い気持ちも、家から出られずふさぐ気持ちも。

それは、感じても仕方がないことですし、その気持ちを否定するつもりもありません。

依存しないで生きていくなんて、人間にはできないと思います。

人は、そんなに強くない。

しかし、つらい気持ちを子供だけにぶつけることは、子供を共依存の犠牲にすることに繋がってしまいます…。それは本意ではないですよね?

他にも複数の健全な依存先を増やし、子供を自分が立っているために杖として使わないようにしていきたいですね。

【依存症】めんどくさい依存症専門用語(略語)をわかりやすく解説する話

こんにちは、ちあき です。

女優の沢尻エリカさんが逮捕されましたが、「反省して二度と薬物に手を出さないように」なーんて、どや顔で漫画ワンピースのハンコックかってくらい上から目線のメッセージを言っちゃうようなひと、いませんよね…?

依存症について、私も知らないことがたくさんあります。

特に略語。

何かを決めたとき、日本でも海外でもわかりやすいように略語にしますが、逆によくわかんなくなりますよね。それにイライラしたので、まとめてみました。

 

 

 

1、「SBIRTS」=早めに程度を調べて、治療や自助に繋がろう

はい。

早めにスクリーニングして、問題の程度を確認しときましょう ってことですね。

今までは結構「底付き」「底打ち」と言って、そりゃーもうボロ雑巾のようにボロボロになって、家族も財産も仕事も生きがいも何もかも失ってからようやく「アルコールを断つか、死ぬしかないかな( ^ω^)・・・(白目」という感じで専門病院に入院する、というパターンが王道でした。

尊厳もくそもないです。人として生きててすみませんレベルで自尊心も基本的人権もすべて引き剥がされてからの治療スタートです。正直しんどいです。つらすぎてくじけます。

家族も本人も疲弊しつくしてからではなくて、最初に問題を確認しておけば、被害が少なくて済みますもんね。みなさん、毎年だいたい健康診断するでしょ。あれです。

最初に定期的にスクリーニングテスト(血圧測定・血糖値測定)なんかをしておいて、異常が有ったり問題が有ったりしたら、とりあえず介入(診察・血圧管理・血糖コントロール)しますよね?それが現代の医療の在り方、と言われれば、まさに依存症も病気なんですから、そうあるべきなんですよね。たしかにたしかに。

Screening・スクリーニング
…「飲酒度」を「ふるい分ける」(「AUDIT」,「KAST」,「CAGE」等スクリーニングテスト実施)

Brief Intervention
… 簡易介入 “危険な飲酒”患者には、節酒を勧め、“乱用”や“依存症”患者には断酒を勧める

Referral to Treatment
…専門治療への紹介 専門治療の必要な患者には「紹介」を行う

Self-help group
…自助グループへの紹介 医療機関や健康診断機関のスタッフが強力に自助グループへ紹介する

1.SBIRT は専門医療機関においては、早期発見から早期治療のためのコンセプトとして定着した手法であるが、SBIRTS は、これに自助グループ(Self-help-group)の「S」を連結した考え方である。

2.アルコール依存症は進行性の慢性疾患であり、医学的治療の進歩により短期的予後は改善しても長期的な回復を持続することは難しい。アルコール依存症の受診患者が順調な長期的回復を実現するためには、自助グループに参加することが望ましい。

3.そのためには、治療にあたる医師が、積極的に、患者と自助グループの構成員との出会いの場を演出し、患者自身の持つ偏見を取り除き、自助グループへの抵抗を和らげるよう寄り添うことが大切である。視点を変えれば、医師による治療のための出会いの場という側面と、自助グループによる医師への治療支援という二つの側面があるといえる。

出典:https://www.dansyu-renmei.or.jp/news/pdf/SBIRTS.pdf

 

2、「ハームリダクション」=最悪使っちゃってもいいからせめて減らそう

ハームリダクションとは、「その使用を中止することが不可能・不本意である薬物使用のダメージを減らすことを目的とし,合法・違法にかかわらず精神作用性物質について、必ずしもその使用量が減少または中止することがなくとも,その使用により生じる健康・社会・経済上の悪影響を減少させることを主たる目的とする政策・プログラムとその実践である。」

つまり、使ってもいいから悪影響とダメージを減らすとこから始めましょう、ってことですね。

ハームリダクションは,薬物使用者,家族,コミュニティに対して,寛容さをもって問題を軽減するきわめて現実的な政策・プログラムであるとされ、欧州,オーストラリア,カナダなどを中心に,最も成功している効果的な薬物政策として広がっていますが、東南アジア、日本を含めた東アジアなど反対する国は少なくないそうです。

ハームリダクションは、薬物の使用量減少や中止を主目的とはしておらず,薬物使用を止めることよりも,ダメージを防ぐことに焦点を当てます。

薬物を使っているか否か,それが違法薬物であるか否かは問われない.ハームリダクションは,科学的に実証された,公衆衛生に基づく,人権を尊重した人道的で効果的な政策であり,個人と社会の健康と安全を高めることを目的とします。

このアプローチは,公衆衛生と基本的人権への非常に強いコミットメント(誓約)を基盤としています。尊厳はすべての人にあり,薬物使用を繰り返す依存症者であっても基本的人権と尊厳は守られ,薬物のコントロールや予防対策の名のもとで,彼らの尊厳と基本的人権をスティグマによって蔑ろにすることは許されないという哲学に基づいています。

 

ハームリダクションの考え方とは ~人権を尊重した支援~

日本は、薬物問題に「ダメ.ゼッタイ.」に象徴される「不寛容・厳罰主義」を一貫して進めてきた、先進国では稀有な国なんですよね。

これらは、「薬物依存症は病気」とする視点とは対極にあり、臨床的には「不寛容・厳罰主義」では治療にならないどころか、「反治療的」な行為です。さらには,偏見や人権侵害を助長し,スティグマを強化する可能性すらあります。

薬物依存症の治療・回復支援を考えた場合,ハームリダクションの考え方は、「当たり前のこと」。そもそも「不寛容・厳罰主義」は刑事司法の考え方であり,医療・福祉の考え方ではありません。
世界の先進国もかつては厳罰主義で対応していましたが、それではうまくいかなかった反省に立って、大きく方向転換をしてきた歴史があります。それが米国を中心としたドラッグコート(西海岸の薬物裁判所)であり、欧州を中心とした、この「ハームリダクション」であると言われています。

出典:ハームリダクションアプローチ やめさせようとしない依存症治療の実践

3、「SMARPP」=再発しないためにみんなで集まって素直に勉強しようぜ

「SMARPP」とは、解散した某アイドルグループを彷彿とさせるスペルですが、「せりがや覚せい剤依存再発防止プログラムSerigaya Methamphetamine Relapse Prevention Program」の略で、神奈川県立精神医療センターせりがや病院にて開発された『認知行動療法型の外来依存症治療プログラム』のことです。

このプログラムは2006年より、松本俊彦先生(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 薬物依存研究部部長 同センター病院薬物依存症センター センター長)が中心となって開発されました。

なんでか?

コカインや覚せい剤などの薬物だと、中枢神経抑制薬であるヘロインやアルコールのような薬物と薬理特性が違って、重篤な身体合併症や離脱症状がないので、どんどん途中で退院して外来診療からドロップアウトしてしまうことが問題になっていたから。

つまり、覚せい剤の場合は、ちょっと入院したら「もうしんどくないし、めんどいしいいや」と来なくなっちゃうんですね、病院に。

それじゃまた再発しちゃってるし、やっぱいかんやろ、ということで、このSMARPPで再発防止に取り組むというわけです。

 

で、じゃあ、このSMARPPは、具体的には何をするのか?

週1回24週の外来集団治療プログラムで、認知行動療法・依存症の生理学的知識をまとめた教科書(ワークブック)を用いて、10人くらいで集まって、主に平日昼間に外来で一緒に勉強します。

このとき、カウンセラーやグループが、当事者に対して支持的・受容的であることが重要です。

尿検査もしますが、治療状況の把握のみにとどまり、結果が陽性であっても決して警察に通報しません。正直であること、素直に向き合えることを最優先します。むしろ治療につながる重要な介入のチャンスととらえ、一緒に乱用を防げなかったことを省みて、再発防止プランを再考するようにします。

この方法は、平成22年から24年度の計3年間の厚生労働科学研究班「薬物依存症に対する認知行動療法プログラムの開発と効果に関する研究」により、平成28年度の診療報酬改定にて、SMARPPは依存症集団療法として診療報酬加算が認められました。研究の成果に基づいて、診療報酬を計上できるくらいの効果的な治療としてエビデンスを有している、と言えます。

出典:特集 認知行動療法と社会との接点「統合的外来薬物依存治療プログラムーSMARPPの試みー」(小林桜児)精神経誌(2010)112巻9号

 

 

結局、依存症は慢性疾患なので、先に挙げたように、高血圧や糖尿病と一緒なんですよね。

高血圧や糖尿病の人だって、単に薬物療法していれば治るわけじゃない。食事・運動療法などの非薬物療法を取り入れながらやらないと、治療継続できないし、結果的に改善しないことがほとんどです。

一回入院すれば、高血圧や糖尿病が完治するわけではないですよね。

それは、依存症も同じ。

一回入院したり、一回逮捕されて刑務所行ったら、もう二度と手を出さないはず!だって反省してるんだから!なんて、ちゃんちゃらおかしい話なんですよ。

病気になったことを反省して薬1ヶ月だけ飲んだら、血圧ずっと下がる?血糖ずっと下がる?いやー下がらないでしょ。笑

だから血圧の薬や糖尿病の薬飲みながら、先生に「またラーメン汁まで飲んで!」ってたまに叱られながら、コツコツ通院してる人が、全国各地にたくさんいるんじゃないですか。笑

定期的に検査して早めに治療につながること、繋がったら脱落しないように治療継続すること、何よりも依存症の人の基本的人権や尊厳を軽視しないこと、これ、実は当たり前のことですよね。

だって、慢性疾患の患者という意味で、薬物依存症の患者さんは、生活習慣病の患者さんと一緒なんだから。

しかも、本当に誰でもなる可能性のある身近な疾患なんだから。

高血圧なだけで、糖尿病なだけで、「だらしないから手を出すんだ」とか「病気になるのは意志が弱いからだ」とか、差別される世の中なんて嫌だよね?

それと同じなんですよね。

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【メンタル】性別を超えて相手を愛するということ

恋と愛と尊敬の違いについて、最近、よく考え、悩みます。

異性として大切に思うことと人として信頼し敬うことは、何がどう違うのでしょうか。

性別が違えば、慕うことは全て恋愛なのでしょうか。

尊敬とは

尊敬するということは、読んで字の如く「人格を」「尊いものと認めて敬う」こと。

相手が同性・異性に関わらず、その人そのもの、人格を尊いものとして扱うこと。

では、「尊い」とは?

貴重である、たいへん価値が高い、ありがたい、得がたい素晴らしさがある、という意味合いで用いられる表現古代階級社会においては人の身分の高さを「尊い」(尊し)と表現し得た。この用法今日では廃れている。神格を「尊い神様」のように表現する場合があるが、これは敬うべき・尊敬すべき・尊重すべきという意味合い捉えられる。

今日では「尊い」という表現は「たいへん価値がある」「貴重である」という意味において多く用いられている。たとえば「尊い犠牲」「尊い命」「尊い絆」「尊い努力」というような言い回しはよく用いられる。多分に理念的抽象的であり、金銭価値では置き換えられず、他の何かと比較することもできないような絶対的なもの、というニュアンス捉えられる場合が多い。

2010年代後半にはサブカルチャー分野中心に推しが尊い」というような言い回しで「尊い」の語を用いる言い方登場し、ネットスラングとして広がった。この「推し」は自分が好きなキャラクター(またはキャラ同士カップリング)のことであり、そこに見出された価値の高さが「尊い」と表現されているものと捉えられる。

「尊い」には自分と対象との間にある種隔絶があるというニュアンスも汲み取れる。その意味では「推しが尊い」も「萌え」と同様、自分と二次元世界との埋まらない隔たり無意識的前提した表現とも解釈し得る

『他の何かと比較することもできないような絶対的なもの』としての素晴らしさ(価値)がある事を意味しています。

つまり、同性であろうと異性であろうと、その人の人格に、他の誰かと比較することもできないような絶対的な素晴らしさを感じた場合は、「尊敬している」と捉えることができます。

とは

は、違うと思っています。

いろいろ見てみたら、この纏めが最もシンプルに纏まっているように思います。

恋は自分本位で、愛は相手本位。

恋は一時的で、愛は永遠。

恋はときめきで、愛は信頼。

恋は心配で、愛は安心。

恋愛とは言っても、愛恋とは言わないように、恋は先にあり愛へと変わる。

などなど、恋と愛の違いを挙げたら数え切れないほどあり、文学や哲学、芸術などのテーマにもされるものだが、どれも人それぞれの考えであって明確な定義ではない。

出典https://chigai-allguide.com/恋と愛/

つまり、自分本位に考え、相手に好かれたくて心配をして、一時的にときめいているような状態では恋をしている。

反対に、相手本位に考え、その人について考えるとき心から安らぎ、それは信頼関係からきている場合、『愛している』といえます。

尊敬し愛するということ

異性として魅力的だと思われたい、という気持ちは正直あります。

それは、尊敬し愛している人に評価されることは、深い喜びを伴うからです。

しかし、その喜びが得られなくても構わない、その人がその人自身の力で幸せになることを大切に考えて、その邪魔になるなら自分が報われなくても構わない、と思っています。

その人が素晴らしい人だと尊敬しているからこそ、自分が満たされることと相手が満たされることはイコールではなく、また自分という存在が影響しなくても、その価値は眩い光彩を放ち良い未来へ進んでいくことを信じて疑わない。

そういうこの気持ちは、恥ずべきものではない。

異性に対して、そのように貴び敬うことは、決してけがらわしいものではないと思う。

だから、愛しています、ということを私は悪いことだとは思えない。

それ以外に、表現のしようがない。

それでも間違っている、というならばその人は愛することを知らないのではないか、と思ったりします。

私はついこの間までそうだったから、受け容れてもらいにくいのも、なんとなくわかります。

でも、気持ちに嘘はつけません。

ただいつも心配なのは、私が本当に相手の気持ちを最優先できているのか?嫌な思いをさせていないか?私がいること自体がその人の害になっているのではないか?ということです。

相手がどう変わっても、たぶん私のこの気持ちは変わらない。

私はもう充分与えられた、ということなのでしょう。

私が出来ることなら、消えることを含めて相手の人生が最も幸福になることをしたい。

私は、親にそんなふうに思ってほしかったから、そうだったからこそ、私のその人への気持ちは紛れもなく愛であり尊敬なんだと思っています。