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【メンタル】映画『日日是好日』を観て学んだ「今ここ」の大切さ

『日日是好日』という映画をご存知ですか?

私は最近この映画を観ました。すごくいい映画でした。

この映画を観て感じたことを今日はまとめてみたいと思います。

(まとまりませんでしたが。笑)

 

映画『日日是好日』とは?

https://www.nichinichimovie.jp/ ←公式HP

日日是好日』(にちにちこれこうじつ)は、エッセイスト・森下典子による自伝エッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』を原作とした、2018年10月13日公開の日本の映画作品。

あらすじ

大学生の典子(黒木華)は、突然母親から茶道を勧められる。戸惑いながらも従姉・美智子(多部未華子)とともに、タダモノではないという噂の茶道の先生・武田のおばさん(樹木希林)の指導を受けることになる。

大学を卒業しても、いまだに就職もせずに30代に突入した典子は、大学を卒業して茶道をやめ、すぐに就職をし、お見合いをするために退職し、婚約をして子どもも生まれた美智子との間に遠い距離を感じていた。

そんな中、10年間辞めずに続けてきた茶道でさまざまな後輩との出会いを通して大切なことをたくさん学んだ典子はやっと出版社に面接をしに行くことになった。だがそれもダメで、ずっと付き合っていた彼氏とも別れても落ち込んでいた中、父親の死を知り、武田のおばさんと泣いた。

それから典子は立ち直りもう一度全てやり直そうと決意する。

 

 

「すぐわかるもの」と「すぐわからないもの」

 

 

私たちは、すぐわかるものに目を奪われがちだ。

仕事、結婚、出産、子育て。

人生のイベントで他人より優れた結果を出し、「勝ち組」と言われるために、本当の自分すら見失って、「人に羨ましがられる」ために虚勢をはる。

それは果たして、本当に望んだことだっただろうか。

 

主人公の典子と、従姉妹の美智子は、同じように茶道をはじめるが、徐々に暗明が分かれていく。

典子は、真面目な性格で理屈っぽく、おっちょこちょい。一生をかけるような何かを見つけたい、と就職では最もやりたかった出版社で就職活動するも就職できず、中途入社の試験もうまくいかない。結婚しようとしている彼氏には挙式直前に裏切られ、人生のイベントに乗り遅れていく。

美智子は、竹を割ったような性格、と称される利発さで要領よく世の中を渡っていくタイプ。就職活動では貿易商社に就職。働いて、女性としてのキャリアの限界を感じて退社し、医者とお見合い結婚。子供をもうけて、絵に描いたような人生のイベントでの成功を収め、どんどん典子を置いて先に行ってしまう。

 

この焦りは、私にも覚えがある。

周囲の皆がどんどん先に行く。

私はひとり取り残されていく。

焦り・苛立ち・不安。

「なぜどんなに頑張っても私は幸せになれないのだろう」

「どうして私ばかりうまくいかないのだろう」

そう思った経験は、誰しもあるのではないだろうか?

 

「すぐわかるもの」というのは、とてもわかりやすいし、比較しやすい。だから、とても価値がある、と思い込みやすい。

 

特に、数字がそうだ。

フォローワー数・いいねの数・偏差値・高級品・年収など、人と比べる数字で計れるもので「幸せ」に通ずるものだとされている、すぐわかるものたち。

頭でばかり考えて、あるいは何も考えず、自分が感じる幸せではなく、わかりやすいものを追いかけていると、とても焦る。

焦って他人を押し退けて手に入れて、振り返ってみると、実は本来目指していたところとは全く別の場所にいて、愕然とする。

 

実は、これは私が欲しいものではなかった、ということに、手に入れて初めて気づく。

 

 

では、本当にほしいものは、なんだったのか?

それは、「すぐにはわからないもの」だから、私たちはそれを頭で考えるのではなく、全身で感じなくてはわからないし、時間という誰にも平等なものをかけなくては、見えてこないものなのかもしれない。

つまり、「他人との比較などではかれるような安っぽいシロモノではない」、ということはどうやら確からしい。

 

私は例に漏れず、「すぐわかるもの」を追いかけてきた。

それは、追いかけさせられた、と言ってもいい。

なぜなら、「すぐわかるもの」が幸せだと信じる愚かな両親に育てられ、その価値観を信じて生きてきたからだ。

私はわけもわからぬまま、県内の順位や偏差値や年収に踊らされて学生生活を過ごし、何も重要なことを学ばないまま、社会に出てきて、打ちのめされた。

何が望みなのかわからなくなった。

絶望して、人生を徒労のように感じた。

こんなに苦しいなら、もういっそ終わりにしたいとさえ、思った。

「すぐわかるもの」は、私が欲しいものではなかった。

 

 

「今ここ」にこそ、幸せはある。

この世界には、勉強のように『正解』はない。

自分で考え、自分で選び、自分で責任を取る他ない。

正解などどこにもなく、誰も決めてはくれず、次々と起こる出来事の良し悪しすらよくわからないまま、どう選択するか、自分が決めるしかない。

成功も失敗もなく、人生という奇跡のようなチャンスを与えられた私たちは、それぞれにオーダーメイドな人生を、味わいつくすために、この世に生を受けたことを知る。

わかりやすい生まれた意味などない。

人生にわかりやすい価値などない。

毎日東から日が昇り、西に沈んでいく。

繰り返す四季のように、晴れの日もあれば雨の日もあり、私たちはどうしようもなく大きな力のうねりの中で、揉みくちゃにされて、なにもかも、どうすることもできない。

そして、天から見ればほんの瞬きをするあいだほどの短い生涯を閉じる。

 

 

作中に、私が大好きな一節がある。

 

 

五感を使って、全身で、その瞬間を味わう。

 

人生は振り返れば瞬きをするほど短く、他人と比較して一喜一憂するにはあまりに長い。

そんなもののように思う。

 

今、だけなのだ。

確実に何かを感じ、それを味わえるのは。

 

過去は変えられない。未来はわからない。

「今ここ」の、ど真ん中を繰り返し、繰り返し、真剣に生きていく。

 

茶道には馴染みがないが、映画でお稽古の様子をみていて、通ずるものがあるのだなと思った。

何かを極めようとするとき、基本動作を繰り返し繰り返しやりこむ以外に、それを魂に刻みつけることはできない。

気が遠くなるほど繰り返した鍛錬により、魂は磨かれていく。

無意識に体が動くほど深く魂に刻みつけられた所作のなかに、今がある喜びや心踊るような変化をみる。

それは、まさに魂が喜んでいる。

春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来る。

同じことの繰り返しのようで、一瞬たりとも同じ時がないように、私たちの人生もまた、ひとつとして同じではない。

ひとりひとり違うものでありながら、互いの気持ちを想像し、時に共に喜び、時には共に悲しみ、そんな魂の触れ合いがあるという奇跡。

ああ、なんとありがたいのだろう。

こんなに苦しくて憎くて恐ろしく、愛おしくて甘くて魅了されるものはない。

私たちがかけがえのない今を生きていると自覚すると、「生きる」という芸術は、その色や匂いを取り戻す。

今、見ている色や匂い。

今ここ、のリアリティ。

それこそが、幸せ、というものの具体的な形なのだと思う。

 

典子は、作中、どんどん美しくなっていくように感じた。

変えられないものと、「今ここ」の大切さを知れば知るほど、外から見たわかりやすいものではない輝きが、彼女を内側から光らせていく。

 

 

あきれるほどコントロールできないこの世界にいて、私たちは水のように自由でありながら、川の流れのように不自由である。

あらゆる外的要因に方向性を曲げられ、自由でありながら全く意図する方向にいくことはできない。

水は、他の水とどう違う、などと比べない。

世界の法則に従いながら、自らの形を柔軟に変化させ、川を下り、海に出る。

水は激しく打つこともできるし、緩やかに流れることもできる。

我々の体を構成する60〜65%は水である。胎児のときには、90%が水だったのである。

我々もまた、激しく打つことも、緩やかに流れることもできるはずだ。

その在り方は常に変化するが、私たちは基本的に変幻自在であり、自由で、同じでありながら比べる必要がないものだ。

そして、山で生まれ、海に還る川のように、あるべきところに還るまで、常に意図せず翻弄され続けて元々なのである。

 

受験に失敗したから、なんだというのだ。

就職に失敗したから、なんだというのだ。

結婚できないから、なんだというのだ。

子供が持てないから、なんだというのだ。

 

それは辛いことだ。しかし、変えられないことだ。

あなたの責任ではないし、長い目で見たら、本当はほしいものではなかったかもしれないし、本当に欲しいものだったかもしれない。

 

つまり、まだまだ今の時点では、わからないものだ。

「すぐにはわからないもの」だ。

 

だから、絶望するにはまだ早い。

私は30歳になる前に死にたいと思っていたけど、今34歳になって、よかったと思っている。

そのくらい、人生は「すぐにはわからないもの」のカテゴリであり、とても面白い、まだやめるには勿体無いものだ。

 

今、私はそう思えるようになった。

 

日日是好日(にちにちこれこうじつ)は、禅語のひとつ。もともとは、末の雲門文偃の言葉とされ、『雲門広録』巻中を出典とするが[1][2]、一般には『碧巌録』第六則に収められている公案として知られる[1][2][3][4][5][6]日々是好日[3]雲門日日是好日雲門日々是好日[7]雲門好日雲門十五日[2]と表記されることもある。

 

「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である[1]

そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている[3][4][5][6]

 

【メンタル】「みんな同じだよ」っていう言葉にイライラする話

「みんな同じだよ」

 

私は、この言葉が大嫌いだ。

 

今朝の情報番組で、「ウィンターブルー」が話題になっているのをぼんやり妻と観ていた。

ウィンターブルーとは、冬季の季節性気分障害のことで、朝起きられなくなったり、眠気が取れなかったり、やる気が起こらなかったり、いつもより糖分を欲する、というような症状を呈する現象である。

 

妻がこれを見て、私に「みんな同じだよ」と話しかけてきたのだった。

この言葉に私は不快感を覚えたが、即座にはその不快感を言語化できなかった。

しかし、これは妻に限らず常に感じてきた不快感だということと、怒りをともなう感覚だったので、何となく気になっていたのである。

今日はこの「みんな同じだよ」が孕んでいる不気味な怒りについて考えてみたい。

 

 

「みんな同じだよ」=「みんな同じなんだから甘えるな」?

 

単刀直入に言おう。

 

なんだか責められている気がするのである。

 

みんな同じなのに、それでも辛いなか、がんばっている。

みんな同じなのに、お前は休もうとしている、サボろうとしている。

 

そういわれているように聞こえる。

 

または、「はい、もうこの話は終わり。だから黙れ」と言われている気がするのである。

 

みんな同じなんだから、これ以上何も言うべきではない。

みんな同じなのに、お前だけ何か不平不満を言うのは不公平だ。

 

そう言われているように聞こえる。

 

 

もちろん、発言者がそんな高圧的な意図を含ませて言葉をかけているのではないということはわかっている。

 

おそらくは、みんな同じなんだから、ひとりじゃないよ?と言いたいのだろう。たぶん。

 

そのあたりの感覚が私にはよくわからない。

 

みんな同じだ、という事実が、私の辛さを軽減することには直結しない。

それは、言葉で言われるものではなく、自発的に感じるものだからだ。

「孤独ではない」「私はひとりではない」と真に思うには、お互いに辛さを受け容れあっている関係の間で「しんどいね、でも、ひとりじゃなかったんだよね」という共感と実感が必要だ。

おそらく、定型発達だったり、ACではない人たちは、その感覚がとても身近なのだろう。

だから、「みんな同じだよ」=「ひとりじゃないんだな」に自動変換され、それだけで安心感を得られるのだろう。

 

なぜ、「責められている」と解釈するのか?

ではなぜ、ACである私たちは安心感を得られないのか?

それは、親との関係や他者との関係のなかで、まず辛さを受け取ってもらった経験が圧倒的に足りないからである。

 

「私はつらい」ということを聞いてもらうことはもちろん、言うことも許されなかった灰色の幼少期を過ごし、最も信用できるはずの他人(親)との心の交流をもつことができなかった我々にとって、「みんな同じ」=「ひとりじゃないんだな」と変換するのはとてつもなく困難である。

 

親と子の信頼関係が健全に育まれている家庭では、子供は理解してもらえるという安心感が前提にあり、私の辛さは誰かに受け取ってもらえる、という信頼感を根底に宿す。

だからこそ、「みんな同じ」ということは、『私はこの辛さを感じてもいいんだ、だってみんな同じだということは、この気持ちも理解してもらえているはずだから』という自己肯定感をともなって吸収されている。

それはそれは心が満たされるだろう。

私にはまだ心の底からは理解できないが。

 

 

なぜ、「もっと頑張らなくてはならない」と解釈するのか?

私たちの受け取り方が、「もっと頑張らなくてはならない」という観点に引っ張られがちである原因について視点を変えて考えてみたい。

 

ASD(自閉症スペクトラム)である私は、みんなと同じではなかった。

ずっとずっと、違和感を感じて、みんなと打ち解けられず、心から安心して他人といることなどなく、自分は異質なものでどこか仲間外れであることを感じながら過ごしてきた。

 

ASDである私にとって、異質な者扱いされない存在、つまり「みんなと同じ」という存在になり普通に溶け込むことは、切なる願いでありながら、同時に、自分そのものを全否定されるものすごいストレス源だった。

同じであることへの拒絶感は、このようなASDとして自然な生き方をさせてもらえなかったことへの鬱屈した怒りによるものである。

 

それでも、「普通の人間」「まともな人間」「常識的な人間」になるべく、尋常ではない試行錯誤と努力の果てに、今の生活を手に入れているのである。

 

そんな人が、ボロボロになりながらなんとか歩いてきて、一度も弱音を吐かないでガクガクの足を引き摺り、たどり着いた休憩地点で、ぽつりと「つらいな」と吐露したときに、「みんな同じだよ」と声をかけられたときのことを想像してみてほしい。

 

ふざけるなよ、と思うよね。

お前に何がわかる、と思うでしょ。

みんな同じなわけないだろ、こんなに苦しいのに、と思うんだよ。

楽しいと思ったことのほうが少ない人生を歩んでみてから言えよ。

 

と、憤るのは意外に的外れな感情ではない、ということをご理解いただけるだろうか。

 

私は、自分の人生がそこまでしんどいものだったかどうか、今のところ分からない。

しかし、物心ついた時から感じてきたのは、親は期待した通りにがんばる私しか認めてはくれないし、頑張れない私はいても嬉しくないのだ、という実感だった。

それ以外の大人を含めた他人は、いじめをおこなうなど、ただ単にうっとおしい脅威であり、社会で生きていかなくてはならない私は、社会的に排斥されないように、適度に武力と智力で御さなければならない厄介な不確定要素だとしか感じなかった。

 

みんな同じなら、それも同じなんだよね?

毎日どこにも行きたくないし、生きていたくもない。

やりたくないことをやりたくないとも言えない。

他人に合わせなければ生きている価値がないと思う。

そんな人生を生きてきたんだよね?

だって、みんな同じなんだもんね?

 

と、私はこの「みんな同じだよ」という言葉に、熱い恨みすら感じるのである。

 

少し変化してきていること

でも、なんとなく今まで生きてきて、私が知らなかっただけで、いろいろな人がいろいろな見えない苦悩を抱えながら生きてきたことを理解できるようになった。

 

同じではないが、私以外の人間もみんな大変だった。

みんなそれぞれ、それなりにがんばってきた。

つらいときも、かなしいときもあって、これからもある。

それを他人に共有して、心と心の繋がりで何とか乗り越えてきたのだ。

恐ろしい隣人ではなく、わたしと同じに弱い生命体のひとつなのだ、と。

 

我々のように、自分の中だけで処理しようとしてきた人というのは、どうしてもその他人との繋がりについて経験がなさ過ぎて、想像が追い付かない。

 

今ある心のつながりを大切にしたい。

 

そして、私は私のつらさを棚卸して、「みんな同じだよ」と言ってくれるひとの優しさについて、実感をともなった理解ができるレベルに到達したい、と思う。

【メンタル】なぜ有酸素運動はうつに効果があるのか?

こんにちは、ちあき です。

イギリスのNICEにおいて成人のうつ病に関する診療ガイドラインが発表されており、うつ病に運動療法が推奨されてるの、ご存知ですか?

私は教えてもらうまで全然知りませんでした。

‪有酸素運動はうつ病に対して抗うつ剤と同等の効果が期待できる治療法かもしれないと言われています。

はたして本当なのでしょうか?

 

うつの症状や重症度は人によってさまざま

現在、様々な抗うつ剤発売されており、最近新たに新規作用機序の「ボルチオキセチン(トリンテリックス錠)」が発売されました。優れた効果と安全性で、Lancet誌に掲載されたネットワークメタ解析の直接比較試験での解析結果において最も優れた薬剤として位置付けられたことが、精神疾患領域においてホットな話題になっています。

しかし、そのボルチオキセチンですら、すべての人に対して等しく効果を発揮する薬剤ではありません。

うつの症状は幅広く、タイプははっきり異なっています。

食欲がなく眠れないという人もいれば、過食気味で疲労感がひどく、毎朝ベッドからなかなか出られない人もいます。簡単なことも決められないほどの無気力感に陥って引きこもる人もいれば、あらゆる人やモノに対して怒鳴りつけケンカをふっかける人もいます。

このように、症状は両極端に振れたり、その程度が異なったり、気になる訴えが違ったりと、千差万別です。それぞれの患者さんに合う薬をひとつひとつ慎重に試しながら探していくしかなく、その間に医療への信頼をなくしてドロップアウト(治療から脱落)してしまう人も少なくありません。

そんな人それぞれのうつ病の症状に対して、どんなひとにでも有酸素運動はある一定の効果が期待できるというのです。

マジかよ…??本当に??

というわけで調べてみました。

有酸素運動は本当にうつに効果があるのか?

まず、運動は本当に効果があるのでしょうか?いくつかの疫学研究を振り返ってみましょう。

①アラメダ郡研究(カリフォルニア州バークレー)

1965年から26年間にわたりアラメダ郡の住人8023名を対象とした追跡調査。

調査開始時にうつの兆候が見られず、1974年までの9年間で、

あまり運動をしなかった人は、1983年までうつになった割合がよく運動した人に比べて、1.5倍多かった。

最初は運動していなかったが少しずつ運動するようになった人と、最初から一貫して運動していた人は、1983年までにうつになる割合が同じだった。

運動習慣がないと、運動習慣がある人よりうつになる確率が高い。

 

②SMILE(Standard Medical Intervention and Long term Exercise/標準的な医学的介入と長期運動)研究

運動の効果と抗うつ薬(セルトラリン:SSRI)の効果を16週にわたり検討した研究。

大うつ病に該当する50~77歳までの合計156名を3群にランダムに割り付け、薬剤療法グループ、運動療法グループ、併用療法グループに分けて検討したところ、3群ともうつの症状が大幅に緩和し、それぞれの約50%の患者の症状が完全に消失した(寛解した)。約13%は症状が緩和したものの、寛解には至らなかった。(約37%は無効だった。)

薬剤療法=セルトラリン 50~200mg/日を投与(国内の承認用量は100mgまで)

運動療法=週3回 30分間 監督下で予備心拍数70~85%の強度でウォーキングかジョギング

☆予備心拍数の計算方法

(1)220-年齢=最高心拍数
(2)最高心拍数-安静時の心拍数=予備心拍数
(3)予備心拍数×0.5~0.6+安静時の心拍数=目標心拍数

運動療法と薬物療法は、それぞれ単独で同程度の効果がある。

 

③IT関連企業の従業員を対象とした1年間の追跡調査

余暇身体活動及び通勤時の歩行が勤労者の抑うつに及ぼす影響(体力研究,109,1-8,2011)において、

余暇の身体活動時間が最も長い群は、全く行っていない群と比較して、うつ症状の発症リスクがおよそ50%低かったことを報告している。

日本においても、身体活動時間はうつの発症リスクに影響を及ぼしている。

 

以上の研究以外にもさまざまな疫学研究において、運動量とうつのになりやすさには反比例関係があり、薬剤と同じくらいの効果が、運動療法(有酸素運動)には期待できるということが、精神医学の研究において明らかになっています。

 

なぜ有酸素運動はうつ状態を改善するのか?

じゃあ、なんで有酸素運動が、あんなにどうしようもないうつの症状を改善できるのでしょうか?

生理学的機序として、有酸素運動は、以下のような要素が挙げられています。

・成長因子の増加

・神経細胞新生

・脳血流量の増加

・脳神経伝達物質(ドパミン、ノルアドレナリン、セロトニン)の増加

・セロトニン系の過活動状態の抑制

・自律神経系調節(副交感神経系の活性)

・視床下部・下垂体・副腎皮質系の機能調節

 

特に有酸素運動がうつに効果を発揮する生理学的効果を考える上で重要なのは、成長因子の増加のひとつである、「BDNF(脳由来神経栄養因子)の増加」です。

 

☆BDNF(脳由来神経栄養因子)とは?

記憶や学習、神経発達、神経新生などの脳機能に不可欠であり、主に、海馬、大脳皮質、視床下部などの中枢神経系で発現するほか、体内の器官や血液中にも存在する成長因子のひとつ。ニューロン同士の結合や成長を促す肥料のようなもの。

細胞の自己破壊的な活動にブレーキをかけ、抗酸化物質を放出し、軸先と樹状突起の材料になるたんぱく質を提供している。

うつ病の患者の脳内では、血清中のBDNF濃度は、健常者と比べて明らかに低く、うつ症状とBDNF濃度には負の相関が認められる。また、未治療のうつ病患者の血清BDNF濃度は治療中のうつ病患者や健常者に比べると明らかに低いことが報告されている。

 

うつ病では、脳のなかの扁桃体と呼ばれる情動を司る部位と、海馬と呼ばれる長期記憶を司る部位が委縮していきます。特に海馬はうつ病に罹患すると15%程度小さく萎縮してしまうと言われています。

原因は、ストレスホルモンであるコルチゾールと考えられます。

コルチゾールにまみれると海馬のニューロンは新しくできるどころか死滅していくのです。うつ病だった期間が長ければ長いほど縮む割合は大きくなります。

うつ病で否定的な感情や記憶ばかりがリフレインするのは、このニューロンの損傷により、細胞レベルで学習と記憶が遮断されるためだと言われています。

このコルチゾールによる損傷からニューロンを守るのが、BDNFの役割の一つであることが分かってきました。

コルチゾールが増えすぎるとBDNFは減ってしまいますが、このBDNFの濃度は抗うつ剤で増加することが確認されていて、有酸素運動でも増やすことができると確認されています。

つまり、運動をすれば、BDNF濃度が上がり、うつ症状悪化の原因の一つである海馬の萎縮を抑制することができると考えられます。

 

また、有酸素運動は、前頭前野においても同様に各種の神経伝達物質を調節させると考えられています。

前頭前野はヒトをヒトたらしめ,思考や創造性を担う脳の最高中枢であると考えられていて、高次な認知・実行・情動・動機つけ・意思決定の役割を担っている重要な脳の部位です。

認知行動療法と心理療法は、まず自分を肯定的にとらえられるようになって、上位組織である前頭前野からの『トップダウン方式』で下位組織へ波及していくアプローチですが、有酸素運動が前頭前野のモノアミンを調整するということは、治療法として、認知行動療法と同じ『トップダウン方式』としての性格を有していると考えることができます。

また、抗うつ剤は、まず下位組織である脳幹に働きかけ、その影響が大脳辺縁系に伝わり、最終的に前頭前野に影響を及ぼす『ボトムアップ方式』のアプローチですが、有酸素運動はダイレクトに体を動かすの脳の中枢である脳幹をダイレクトに刺激します。脳幹が刺激されると、エネルギー・情熱・関心・やる気が生む効果があります。

つまり、有酸素運動はうつに対して『トップダウン方式』と『ボトムアップ方式』の両方向からアプローチできる治療方法だと言えるのです。

 

どのぐらい有酸素運動すれば効果があるのか?

「有酸素運動がいいのはもうわかったよ。だから、どのぐらい運動すればいいんだよ?」

と、ここまで読んでくださったあなたは少しやきもきしているかもしれません。

ご安心ください。

有効だったと結論付けられ、ガイドラインに推奨されている強度や頻度がこちらです。

頻度:週3回以上

時間:45~60分/回

期間:最低10~14週

強度:中等度(心拍数:80~98くらい)のジョギング or ウォーキング

☆35歳女性の場合:適切な心拍数=80~98
(1)220-35=185(最大心拍数)

(2)185-70=115(予備心拍数)

(3)目標心拍数=115×(70~85%)= 80 ~ 98

☆参考文献

1、「うつ病運動療法の現状と展望」武田典子,内田直,ストレス科学研究,2013,28,20-25

2、「脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方」ジョンJ.レイティwithエリック・ヘイガーマン,2009,3,143-178

 

科学的に正しい、うつに対する運動療法として、上記の通りやれば、セルトラリンによるSSRI単剤治療と同じだけの効果が期待できる、ということになります。

経済的にいうならば、メーカー純正品の薬剤を服用する場合で、薬剤費約7200円分(自己負担は約2000円)の効果を発揮してくれる、ということです。

お得!!

まとめ:有酸素運動、まずは一緒にはじめてみましょう!

私もこれからトライするところなので、一緒にやってみませんか?

週3回の運動習慣が、脳内のモノアミンを調整して、うつを晴らしてくれるなんて、すごく爽やかで素敵ですよね。

こんな文章を書いている私も、じつはアルコール依存症からくるうつ病・うつ状態にずっと悩まされてきましたが、無気力感や性機能障害に悩まされて、SSRI単剤の薬物療法では限界を感じており、ある先生に本や実体験を教えていただいたのがきっかけで、この理論と実践に出会いました。

ともに回復していき、生きていてよかった、と思える朝を迎えられる一助になれば、こんなにうれしいことはありません。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。

 

【メンタル】性別を超えて相手を愛するということ

恋と愛と尊敬の違いについて、最近、よく考え、悩みます。

異性として大切に思うことと人として信頼し敬うことは、何がどう違うのでしょうか。

性別が違えば、慕うことは全て恋愛なのでしょうか。

尊敬とは

尊敬するということは、読んで字の如く「人格を」「尊いものと認めて敬う」こと。

相手が同性・異性に関わらず、その人そのもの、人格を尊いものとして扱うこと。

では、「尊い」とは?

貴重である、たいへん価値が高い、ありがたい、得がたい素晴らしさがある、という意味合いで用いられる表現古代階級社会においては人の身分の高さを「尊い」(尊し)と表現し得た。この用法今日では廃れている。神格を「尊い神様」のように表現する場合があるが、これは敬うべき・尊敬すべき・尊重すべきという意味合い捉えられる。

今日では「尊い」という表現は「たいへん価値がある」「貴重である」という意味において多く用いられている。たとえば「尊い犠牲」「尊い命」「尊い絆」「尊い努力」というような言い回しはよく用いられる。多分に理念的抽象的であり、金銭価値では置き換えられず、他の何かと比較することもできないような絶対的なもの、というニュアンス捉えられる場合が多い。

2010年代後半にはサブカルチャー分野中心に推しが尊い」というような言い回しで「尊い」の語を用いる言い方登場し、ネットスラングとして広がった。この「推し」は自分が好きなキャラクター(またはキャラ同士カップリング)のことであり、そこに見出された価値の高さが「尊い」と表現されているものと捉えられる。

「尊い」には自分と対象との間にある種隔絶があるというニュアンスも汲み取れる。その意味では「推しが尊い」も「萌え」と同様、自分と二次元世界との埋まらない隔たり無意識的前提した表現とも解釈し得る

『他の何かと比較することもできないような絶対的なもの』としての素晴らしさ(価値)がある事を意味しています。

つまり、同性であろうと異性であろうと、その人の人格に、他の誰かと比較することもできないような絶対的な素晴らしさを感じた場合は、「尊敬している」と捉えることができます。

とは

は、違うと思っています。

いろいろ見てみたら、この纏めが最もシンプルに纏まっているように思います。

恋は自分本位で、愛は相手本位。

恋は一時的で、愛は永遠。

恋はときめきで、愛は信頼。

恋は心配で、愛は安心。

恋愛とは言っても、愛恋とは言わないように、恋は先にあり愛へと変わる。

などなど、恋と愛の違いを挙げたら数え切れないほどあり、文学や哲学、芸術などのテーマにもされるものだが、どれも人それぞれの考えであって明確な定義ではない。

出典https://chigai-allguide.com/恋と愛/

つまり、自分本位に考え、相手に好かれたくて心配をして、一時的にときめいているような状態では恋をしている。

反対に、相手本位に考え、その人について考えるとき心から安らぎ、それは信頼関係からきている場合、『愛している』といえます。

尊敬し愛するということ

異性として魅力的だと思われたい、という気持ちは正直あります。

それは、尊敬し愛している人に評価されることは、深い喜びを伴うからです。

しかし、その喜びが得られなくても構わない、その人がその人自身の力で幸せになることを大切に考えて、その邪魔になるなら自分が報われなくても構わない、と思っています。

その人が素晴らしい人だと尊敬しているからこそ、自分が満たされることと相手が満たされることはイコールではなく、また自分という存在が影響しなくても、その価値は眩い光彩を放ち良い未来へ進んでいくことを信じて疑わない。

そういうこの気持ちは、恥ずべきものではない。

異性に対して、そのように貴び敬うことは、決してけがらわしいものではないと思う。

だから、愛しています、ということを私は悪いことだとは思えない。

それ以外に、表現のしようがない。

それでも間違っている、というならばその人は愛することを知らないのではないか、と思ったりします。

私はついこの間までそうだったから、受け容れてもらいにくいのも、なんとなくわかります。

でも、気持ちに嘘はつけません。

ただいつも心配なのは、私が本当に相手の気持ちを最優先できているのか?嫌な思いをさせていないか?私がいること自体がその人の害になっているのではないか?ということです。

相手がどう変わっても、たぶん私のこの気持ちは変わらない。

私はもう充分与えられた、ということなのでしょう。

私が出来ることなら、消えることを含めて相手の人生が最も幸福になることをしたい。

私は、親にそんなふうに思ってほしかったから、そうだったからこそ、私のその人への気持ちは紛れもなく愛であり尊敬なんだと思っています。

【メンタル】ストレスの概念・理論とストレスマネジメントの実践

今回は、ストレスの概念・理論について整理する。

 

ストレスの語源

ストレスという言葉の由来は、中世のフランス語「ディストレス」である。

ラテン語の「加圧する」という意味から派生した言葉で、19世紀に入って物理学の正式な科学用語になった。ストレスは物体に何らかの力が加わって、結果物体の形が変わったり緊張した状態になるときの力を指す用語として物理学で用いられ、社会的には、身体的健康や心理的幸福感を脅かすと知覚される力を指す。

そうした力を生む出来事をストレッサーと呼び、ストレッサーにたいする人々の反応が、ストレス反応である。

 

ストレスと自己開示・自己呈示

ここで問題なのは、同じストレッサーに直面した場合でも、感じるストレスには個人差がある、という事実である。

ストレスの大きさはストレッサーそのものの深刻さにもちろん影響を受けるが、ストレスに対面する人の認識によって大きく影響が変わる。たとえば内罰的であるか他罰的であるかや、それまでの人生経験でどのように人に扱われてきたかは、その人のアイデンティティに大きな影響を与え今日のその人を形づくっている。

物事の受け取り方、という側面でより深くストレスについて考える場合、人との関わり、特に自己開示と自己呈示について正確に理解しておく必要がある。

 

自己開示とは、あるがままの自分について相手に伝える事である。自己開示による働きは3つあり、感情浄化・自己明確化・社会的妥当化がある。

感情浄化は心の葛藤の中心になっている思考や感情を他社に伝えて鬱積した感情を発散する浄化効果のこと。

自己明確化とは、自分の想いを話しているうちに自分の考えが次第にまとまりはっきりしてくる働き。

社会的妥当化とは、自己開示しているうちに何らかの意見や評価や反応がフィードバックされることで、今まで気づかなかった自分の別の側面を知ったり、他人の意見と比較して健全な自己評価ができるようになる働き。

 

自己開示と似て非なるものが、自己呈示である。

自己呈示は、「このように見てほしい・相手に見せたい」という自分のキャラクターを表現することである。

自尊心を維持したり高めたりする働きがあるが、主な行動としては、弁明・正当化・謝罪・取り入り(ごますり)・威嚇・自己宣伝・哀願などである。

このような具体的な行動から想起できるかと思うが、ありのままではない自分をプロモーションするために様々な行動を提示して認められようとする行為は、一時的に自尊心を満たしてくれるかもしれない。しかしながら、本当の自分を認めてもらえていない状態でいくら表面上尊敬されたとしても、それは自身が造り上げた偶像が認められたにすぎないため、承認欲求は本当の意味で満たされることはない。

むしろ、自分が造り上げた偽物が認められれば認められるほど、満たされない心の穴は大きく深くなっていく。それゆえに自己呈示ではなく自己開示をすることが大切なのである。

 

自己効力感と学習性無力感

自己効力感と学習性無力感は、ありのままの自分で生きていくために理解しておくべき感覚である。

自己効力感とは自分が行動を実行することについての現実的で確かな自信のことである。

学習性無力感とは、自ら状況をコントロールでいないだろうと予測し行動を諦めることである。あれこれ行動した挙句に避けられなかったという経験が、強固な無力感を形成する。

依存症の自助グループや信頼できる仲間に出会い、勇気をもって自己開示し、アクティブ・リスニング(積極的傾聴)される喜びと感動を積み重ねることで、その人の心を永い間閉ざさせてきた学習性無力感の壁を打ち破り、自己効力感を育てていくことが、ストレスに立ち向かい生きる力を回復することができるのではないだろうか。

つまり、そのように回復した自己認識をもって、自身も相手も尊重して率直にコミュニケートすること、アサーティブにコミュニケーションをとることができたなら、対人関係におけるストレスや認知の歪みは限りなく健全化していく。

 

対人関係で自己開示することが最も有効なストレスマネジメント

アドラー心理学では、すべてのストレスは対人関係だと説いている。私はアドラー心理学的側面から、最も有効なストレスマネジメントは、全て自己開示に通じるのではないか、と考えている。自分が受け入れられていない、という疎外感・自己肯定感の無さが、あらゆる認知の歪みと悲しみを生み、生きづらさを抱えさせているのが、現代社会におけるストレスの真の姿ではないだろうか。

それゆえに私はブログや自助グループで自己開示していくことが、今最もストレスマネジメントになっているし、愛や欲求を健全に自身の生きる力として昇華させる役割を担っている。

これからも自己開示により人として成長していきたいし、大切なものを大切にできる人間であり続けたいと思う。

【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ③(セロトニン・オキシトシン・エストロゲン)

こんにちは、ちあき です。

ホルモンのトリセツシリーズ第3回ですね。

前回の【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ②(グレリン・インクレチン・副腎ホルモン)の続きです。

今日は、満足感が持てるホルモン「セロトニン」、愛情のホルモン「オキシトシン」、心身がアクティブになる「エストロゲン」を紹介します。そして、ホルモンを役立てるために日常でできる事を解説していきます。

 

セロトニン…満足感が持てるホルモン

分泌される部位:腸・脳

働く場所:腸・脳

セロトニンは、心身を安定させ、現状に満足感を与えてくれるホルモンです。

体内にアミノ酸の一種であるトリプトファンという栄養素を取り入れることで合成される物質です。
トリプトファンが腸から取り込まれると、血液の中を循環し、腸や脳などにあるトリプトファン水酸化酵素という酵素をもった細胞によって合成されます。腸で分泌されたセロトニンは基本的に腸で働きますが、腸と脳はお互いに影響しあっているため(腸脳相関)、腸で働いているセロトニンの情報が脳にもフィードバックされると考えられています。
トリプトファンは、和食であれば、豆腐や納豆、味噌、醤油などの大豆製品、洋食であれば、チーズやヨーグルトなどの乳製品に多く含まれています。特に、バナナにはトリプトファンが多く含まれます。さらにセロトニンを生成するのに必要な炭水化物やビタミンB6もバランスよく含まれています。
ただし、そのほかにもあらゆる食材に含まれており、偏食しなければ摂取できるので、それほど意識をする必要はありません。
逆に、普段の食事以外にサプリなどでトリプトファンを過剰に摂取することにより、発熱や痙攣など副作用が出る可能性があるため、過剰摂取は危険です。
自然に、バランスよく、
トリプトファン + ビタミンB6 + 炭水化物
を摂取していれば、原材料は十分調達できています。
もうひとつ必要な原材料は、実は太陽の光。
朝はなるべく同じ時間に起床し、太陽の光を浴びることが重要です。

 

 

セロトニンは男性よりも女性のほうが分泌量は少ないということが確認されています。「女性のほうが情緒不安定になりやすい」という説はこのエビデンスから言われ始めたようです。(個人的にはこのエビデンスはあまり信用していません。何故なら私が妻より情緒不安定だからです。)

またセロトニンは「強迫性障害」と「うつ病」に共通して欠乏する神経伝達物質です。

 

 

☆日常生活でできる事

・早寝早起 決まった時間に起きる
・毎朝太陽の光を浴びる
・リズム運動(ジョギング ウォーキング ガムを噛む)
・グルーミング スキンシップ
・感動する(どんな小さなことでもOK)
自然にバランスよく、バナナ・大豆製品・乳製品などを摂取し、
トリプトファン + ビタミンB6 + 炭水化物 で食物原料をそろえる。

 

 

オキシトシン…安心や幸福を感じるホルモン

分泌される部位:下垂体

働く場所:子宮・乳腺・脳

人と会って共感したり話をしたり触れ合ったりする「社会的接触」は内因性オピオイド(中枢神経や末梢神経に存在するオピオイド受容体への結合を介してモルヒネに類似した作用を示す物質の総称)=いわゆる「脳内麻薬」を分泌させます。
内因性オピオイドは体内で作られ、生理的状況あるいは生体に危機が迫ったときにも放出される物質ですが、種類としては、エンドルフィン、エンケファリン、ダイノルフィン、エンドモルフィン等があります。
エンドルフィンは、ランナーズハイの状態で分泌される代表的な脳内麻薬として有名ですね。
ランナーズハイ(runner’s high)とは、人が長時間の走行中に経験する陶酔感や恍惚感です。
マラソンやジョギングを行うと通常、次第に苦しさが増してきますが、それを我慢し走り続けるとある時点から逆に快感・恍惚感が生じることがあります。この状態をランナーズハイと呼びます。
多くの検証実験から、この状態においては脳内にα波とモルヒネ同様の効果があるβ-エンドルフィンに満たされていることが判明しています。βエンドルフィンの増大が麻薬作用と同様の効果を人体にもたらすことで起こるとされていますが、運動中にβ-エンドルフィンがどう働くかのメカニズムは解明されていないのが現状です[1][2]
なので、マラソン好きの人のことは、健康的というよりエンドルフィン・ジャンキーだと思ってみていて、街をものすごいスピードで走る人を見かけると「おう!今日も脳内麻薬キメて元気にラリってんなー!!」って思ってなんかアル中としては勝手に親近感を持ってしまいます。

オキシトシンは、長期的なこの内因性オピオイド(エンドルフィンなど)の分泌を促し報酬効果を増強する作用があるといわれています。また、オキシトシンはストレスホルモン(コルチコステロイド)を抑制する作用もあります。

つまり、ずっと幸せに生きるための脳内麻薬の効きを良くしてくれてストレスを感じにくくしてくれる、安心と幸せのホルモンなのです。

詳しくは【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ①(ホルモンと神経伝達物質の違い)の「例えば、オキシトシンってどんな働きをするの?」の段落をご覧ください。
☆日常生活でできる事
・人と社会的接触をもつことが大切です。
他者と強い絆を形成し、社会的接触を持つことは強力な報酬効果をもたらし、社会的親和関係構築へのさらなるモチベーションを生じさせることが考えられます。
アルコール依存症やその他の精神疾患の「自助グループ」で悩みを共有することは、脳内ホルモンの観点からも有効であると考えられます。
・また、人やペットなどと触れ合うスキンシップ『グルーミング』がおすすめです。グルーミングを行うと、オキシトシンが分泌されます。特に視線を合わせてくれるとさらに好影響が期待できるとされています。
(実は、オキシトシンは先ほどのセロトニンの分泌を誘発する働きがあるため、オキシトシンが増えるとセロトニンが増える。)

エストロゲン…心身がアクティブになるホルモン

分泌される部位:卵巣

働く場所:全身

女性ホルモンと呼ばれるものには、男性を追い求める”攻め”のエストロゲンと、妊娠出産を成立させようとする”守り”のプロゲステロンの2つがあります。

なかでもエストロゲンは肌の美しさや心身のアクティブさに関わり、艶のある女性はエストロゲンの分泌量が多いとされています。女性ホルモンはどんなに美しい人でも等しく加齢とともに減少する運命にあるので、減少スピードを緩めるアプローチが大切です。

 

☆日常生活でできる事

スキンケアやマッサージで日常的に皮膚を刺激することが重要です。

それが女性ホルモンの活性化につながります。エストロゲンの一部は皮膚や脂肪の細胞でも分泌されたり働いたりしているからです。そのため、女性ホルモンの分泌量は肌の美しさに比例するという恐ろしいデータが存在します。

 

 

 

 

今回でホルモン特集は終了ですが、いかがでしたか?

ホルモンとうまく付き合いながら「自分らしく」生きていきたいものです。

ではまた!

【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ②(グレリン・インクレチン・副腎ホルモン)

こんにちは、ちあき です。

思えばアルコール依存症になり、周囲から「不良品」として憐憫の目で見られているような気になり始めてから、私は自分を守るために、いろいろな医学的知識を学び、自分をカスタマイズしたいと思ってきたようです。

だから製薬会社に転職してから学ぶ医学薬学知識に興味は尽きなかったし、一生懸命学べたのでしょう。

それが少しでも何か役に立てばいいな。

そしてこれからは、対人における認知の歪みの観点から、己の内面にアプローチしていく必要がありそうです。

自分の虚栄心を満たすようなチンケな使い方ではなく、もっと優しい使い方をされていけばいいな、と思います。

はい、永い独り言でした。笑

 

前回の【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ①(ホルモンと神経伝達物質の違い)の続きです。

今日は、若々しくなれるホルモン「グレリン」と、食べ過ぎを防ぐホルモン「インクレチン」と、ストレス対抗ホルモン「副腎ホルモン」を紹介します。そして、ホルモンを役立てるために日常でできる事を解説していきます。

 

グレリン…若々しくなれるホルモン

分泌される部位:胃

働く場所:脳

老化とは細胞の機能が衰える事ですが、そのカギを握っているのが、細胞内でエネルギーを生み出しているミトコンドリアです。食欲を増強するホルモンのグレリンには、ミトコンドリアを元気にして増やす働きがあることが分かっています。ミトコンドリアを元気にすることは老化を防ぐポイントです。

グレリンが分泌されるのは、胃が空腹の状態だということが確認されています。少し前に南雲Drの1日1食ダイエットが話題になりましたが、これはあえて空腹になる→お腹がぐーっとなる→グレリン分泌→ミトコンドリア活性化・増加→全身の細胞が元気になりアンチエイジング、みたいなことをしているんだなーと思ってみていました。

心不全の患者さんの心臓リハビリテーションにおいても、細胞(厳密にはミトコンドリア)のオートファジーが誘導され自浄作用を発揮するため、細胞のクオリティを上げ品質管理ができる可能性があるということが、特に基礎研究を熱心に行ってきた循環器内科医の間で語られています。つまり、トレーニングをするとミトコンドリアがリニューアルされて若々しくなれる、ということですね。

 

☆日常生活でできる事
=常に何かを口にしているような生活を改め、できるだけ決まった時間に、空腹になってから食事をとるようにしましょう。お腹がグーっと鳴ったら「あ、グレリンが出て若返ってるな」とプラスにとるようにしましょう。

 

 

インクレチン…食べ過ぎを防ぐホルモン

分泌される部位:腸

働く場所:脳・胃・膵臓

栄養素の摂取により消化管から分泌されインスリン分泌を促進する消化管ホルモンは、総称して「インクレチン(incretin)」とよばれています。

主なインクレチンとしてGIP(gastric inhibitory polypeptide) と GLP-1(glucagon-like peptide-1)が存在します。

GLP-1とGIPとはいずれも血糖値依存的に膵臓のβ細胞からのインスリン分泌を促進します。

インスリンとは、食事により摂取した血中の糖分を取り込ませることによって、血糖値を下げる重要な役割を持つ、膵臓から出るホルモンです。

なので、インスリンが出ると、血液の中から糖を減らすために、どんどん筋肉や脂肪に糖分を取り込んでということです。生活習慣病として有名な2型糖尿病は、どんどん食べた糖分がインスリンで最初は筋肉や脂肪の中に取り込まれていくのですが、肥満になるとインスリンが効きにくくなってしまいます。効きにくくなるので膵臓はがんばってインスリンを出そうとします。しかしどんなに出しても効かないので、もうバテて諦めてしまいます。そうなると、インスリンが自分では分泌できなくなり、血液の中の糖はいつまでも血液の中を漂います。こうして血中の糖の濃度が高まった状態が、「2型糖尿病」で、神経が障害されて足が壊死したり、網膜が障害されて目が見えなくなったり、腎臓が障害されて人工透析になったりします。とても重症化した時の合併症がきっつい病気です。気を付けましょう。

GLP-1は胃の内容物排出速度を遅らせ、満腹感を助長することで食欲を抑制したり、食後の急峻な血糖上昇を抑制したりする作用があります。

一方GIPは脂肪細胞にそのGIP受容体が存在し、脂肪細胞への糖の取り込みを促進することで肥満を助長させます。

先ほどのグレリンが分泌された後、インクレチンが分泌される協調作用があるので、グレリンの分泌をよくすることも大事ですね。

☆日常生活でできる事
=グレリンの分泌をよくするために、空腹になってから食べましょう。そして腸内環境を整えましょう。インクレチンの分泌部位である腸の健康をが重要です。乳酸菌や発酵食品を積極的に摂取しましょう。腸内細菌のバランスを整えることでインクレチンを正常に分泌させて適量で食事を終えられる手助けを得られるようにしましょう。

 

副腎ホルモン(髄質・皮質)…ストレスに対抗する諸刃の剣

分泌される部位:副腎

働く場所:全身

副腎には皮質と髄質があり、それぞれ分泌するホルモンが異なります。

副腎(皮質):コルチゾール、アルドステロン

副腎(髄質):アドレナリン、ノルアドレナリン

様々な体の環境を動ける状態に整えてストレスに対抗するホルモンですが、これがずっと出続けると逆効果になる諸刃の剣です。
アドレナリンとノルアドレナリンは、ストレスに対処するために、「闘争 逃走 モード」にするホルモン。
逃げたり戦ったり体が最大限の働きをするように、心拍数を上げ、血圧を上昇させ、血を行き渡りやすくします。動くための酸素を体に届けられるようにするために。
そして、血管を収縮させます。攻撃により外傷を負っても血が出過ぎないように。
ストレスを感じた時に、どういう反応が体内で起こっているかというと、以下の図のようなフローになります。
体を稼働させるためのエネルギーの「糖」を血液に流し込みたいので、肝臓に指令を出し作らせたり、体のありとあらゆるところからエネルギー源を絞り出して血液に流します。
つまり、ストレスを感じ続けるということは、「交感神経優位になりっぱなし」+「アドレナリン ノルアドレナリン出っ放し」=「血圧が上がる!血糖値上がる!胸は高鳴る!やる気が出る!休まない!」が、ずっと維持され続けようとするわけです。
そんなのずっと続くわけがなく、いつか体も腎臓も疲れ切りますよね。

ストレスが過剰になり、これらのホルモンが大量に分泌されると、分泌する副腎はとっても疲れて疲労困憊状態になります。

副腎が疲れうまくホルモンを調節できなくなると、上記のような症状に見舞われます。
・やる気出ない
・血圧乱高下 朝起きられない 気分変わりやすい
・血糖乱高下 食べたあとめちゃ眠い
・免疫力低下
・うまく眠れない
☆日常生活でできる事
=たばこ・カフェイン・寝不足は副腎に負荷をかける要因になるので、適度が一番。できれば控えましょう。深呼吸・腹式呼吸・瞑想は副交感神経優位に体のバランスを意図的に傾ける作用があります。生活の中に無理なく取り入れ定期的に呼吸を整えられるといいですね。
今日は疲れたので、2つ。
あと5つあります。

【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ①(ホルモンと神経伝達物質の違い)

こんにちは、ちあき です。

最初にお詫びしておきたいのが、この情報は何かの薬学系の雑誌で個人的に勉強していた時のメモなのですが、出典がわからず、引用元が記載できないものもございました。

申し訳ありません…。こういうのはメモっとかなきゃな…。

というわけで、知っているようでわかりにくい「ホルモン」と「神経伝達物質」について解説していきたいと思います。

 

ホルモンって?

ホルモンは種類によって、分泌される部位がいろいろ分かれています。

画像引用:東京女子医大学 高血圧・内分泌内科 患者さん向けHP

 

視床下部:ドーパミン

下垂体:成長ホルモン、オキシトシン

松果体:メラトニン

副甲状腺:副甲状腺ホルモン

胃:グレリン

副腎(皮質):コルチゾール、アルドステロン

副腎(髄質):アドレナリン、ノルアドレナリン

膵臓:インスリン

腸:インクレチン、セロトニン

卵巣:エストロゲン、プロゲステロン

精巣:テストステロン

 

ホルモンは、細胞から血管の中に放たれ(ホルモン分泌)、血管を通って全身を循環します。

ホルモンの種類には、蛋白質のもととなるアミノ酸が数個から100個以上つながった形のペプチドホルモン(成長ホルモン、インスリン、オキシトシン)、コレステロールを材料につくられるステロイドホルモン(副腎皮質ホルモン、エストロゲン、テストステロンなど)とアミノ酸のチロシンの誘導体であるアミン(甲状腺ホルモン、アドレナリン、ノルアドレナリン)があります。

引用:看護roo!ナースみんなのコミュニティ 標的細胞を刺激するホルモン|調整する(3)

 

神経伝達物質って?

神経伝達物質は、神経細胞間の領域であるシナプスにおいて情報伝達を介在する物質です。

神経伝達物質は大きくアミノ酸、ペプチド類、モノアミン類の3種類に分けられます。

神経細胞には神経伝達物質に対応する、アセチルコリン受容体、アドレナリン受容体、GABA受容体、ドーパミン受容体、セロトニン受容体などが存在し、受け取ることで活動電位が発生します。

神経細胞から放出される各種神経伝達物質のざっくりとした働きのイメージは下記の図の通りです。

引用:https://www.igaku.co.jp/pdf/1205_medicinal02.pdf

ノルアドレナリンやドーパミンはこのうちのモノアミン類に含まれます。

モノアミンは、アンモニアの水素原子を炭化水素基で置換した化合物であるアミンのうちで、アミノ基を一個だけ含むものを指します。ノルアドレナリンドーパミンセロトニンはいずれも非常に重要なモノアミン神経伝達物質です。

またオキシトシンはポリペプチド類で、中枢神経での神経伝達物質としての作用があります。

(引用:https://sankyobo.co.jp/dicdet.html)

 

この二つは何が違うの?

ここまで見て、あれ?とお気づきの方もいるかもしれませんが、先のホルモンの一覧の中には、神経伝達物質でもある、同じ名前がありますよね?

 

そう、「どこからどこに放出されるか」でホルモンと呼ばれたり、神経伝達物質と呼ばれたりするのだけで、同じ物質です。

「末梢組織から血液中に放出される」なら、ホルモン。(血液中を船で航海して遠くまで運ぶイメージ)

「神経細胞からシナプス間隙に放出される」なら、神経伝達物質。(神経細胞をA駅から近場のB駅まで快速電車で手紙を送るイメージ)

どちらも「細胞間情報伝達物質」というのが、最も誤解のない共通の呼び方だと言えます。

神経細胞の軸索から同じ物質が放出されたとしても、シナプスで放出された場合は神経伝達物質という括りになり、血液に放出された場合は、ホルモンという括りになったりします。

神経伝達物質の多くとホルモンと化学的特性としては、実はほぼ同じものなのです。

ですので、特にピンク色の物質については、どちらのほうが早いとかどちらのほうが遅いとか、そんな違いはありません。

だって、どこに放出されるかが違うだけで、神経にも血液にも流れる、同じ化学物質だからです。

 

引用:https://www.kango-roo.com/sn/k/view/1709

 

例えば、オキシトシンってどんな働きをするの?

オキシトシンは、情動に関するホルモンとして大変重要な働きをしています。

J-stageで「オキシトシン神経系を中心とした母子間の絆形成システム」(永澤美保,2013)において、以下のようにオキシトシンと内因性オピオイドの関係が分かりやすくまとめられていましたので、引用しながら紐解いていきます。

社会的接触はオピオイドの分泌を促すため、気持ちよさを感じる

“Love is addiction”(Insel, 1997)という言葉の通り、社会性を持つ動物は同種の動物に強く惹きつけられ絆を形成します。絆形成によってもたらされる社会的接触はオピオイドの分泌を促しますが (Panksepp & Bishop 1981;Nelson & Panksepp 1998)、オピオイドは鎮痛や不安緩和の効果を持ち(Panksepp他,1980;Billington他,1990)、さらにこのような鎮痛効果は、接触した相手との親和の程度に依存します(D’Amato 1997, 1998)。

つまり、他者と強い絆を形成し、社会的接触を持つことは強力な報酬効果をもたらし、社会的親和関係構築へのさらなるモチベーションを生じさせることが考えられます。

 

オキシトシンは長期的な内因性オピオイドの分泌を促し報酬効果を増強する作用がある

オキシトシン神経系の活性化はオピオイドの放出を促進すると言われています。

長期的なオキシトシン投与は、ストレスを軽減するのみではなく、鎮痛効果を持つことも実証されています(Uvnas-Moberg他,  1993)。

この長期投与による鎮痛効果はオピオイドアンタゴニストであるナロキソンによって抑制されるものの(Uvnas-Moberg, Bruzelius, Alster, et al., 1993;Uvnas-Moberg, 1997)、オキシトシンアンタゴニストでは効果が認められないことから、長期的なオキシトシン神経系の 活性化は内因性オピオイド伝達を増強していると考えられます。

オキシトシン神経系の活性化は、中脳辺縁系ドーパミン経路も増幅させます(Wang & Aragona 2004;Young & Wang 2004)。

つまり、オキシトシンは内因性オピオイドを適量に調整するというよりは、むしろ増強作用をしめすホルモンです(抑制作用を発揮するのはナロキソン)。

 

オキシトシンはストレスホルモン(コルチコステロイド)を抑制する

下垂体後葉から循環血中に放出された末梢性のオキシトシンは,副腎に作用してコルチコステロイド(副腎皮質ホルモン・ステロイドホルモン=コルチゾール・アルドステロン等)の分泌を抑制します。

コルチゾールは、俗に「ストレスホルモン」と呼ばれており、コルチゾールの分泌が慢性的に高い状態が続くと、うつ病、不眠症などの精神疾患の発症、高血圧や糖尿病など生活習慣病や骨粗鬆症の発症など、ストレス関連疾患の発症原因になると言われています(https://www.jniosh.johas.go.jp/publication/mail_mag/2016/87-column-2.html)。

たとえば、人前でスピーチさせるなどメンタルに負荷をかけた場合、10~20分で2~3倍に増加すると言われており、過剰なストレスにより大量に分泌され続けた場合、脳の海馬を委縮させることが、PTSD患者の脳のMRIなどを例として観察されています。

(「うつ病の脳科学的研究(最近の話題)」山脇成人,2005)

オキシトシンが抑制作用を示して調整するのは、コルチコストロイド(ストレスホルモン)の方、というのが医学的に正しい理解ということになります。

 

オキシトシンは発達障害(ASD)に関連がある

オキシトシンは、発達障害とも深い関連があると言われています。

一部の自閉症スペクトラムでは遺伝子変異によりオキシトシン分泌異常の可能性があると言われているのです。個体識別能の低下はヒトの自閉症にみられる症状の一つであり、その原因のひとつにオキシト シン異常による可能性が示されています。

たとえば、自閉症児の血中オキシトシン濃度は健常児よりも低いことが明らかになっています(Modahl他,1998 )。

また一部の自閉症患者では、オキシトシン分泌に関わる分子であるサイクリックADPリボースをつくる膜タンパク質であるCD38の遺伝子に特徴的な変異があることも報告されています(Munesue他,2010)。CD38遺伝子欠損マウスは社会記憶や養育行動が低下しますが、そのマウスにオキシトシンを投与すると、それらが正常化することから(Jin他, 2007)、オキシトシン投与による自閉症の症状改善の期待が持たれています。

 

一部の自閉症患者としたのは、2011年7月に『Archives of General Psychiatry』に発表された研究(カリフォルニアの192組の双子の調査と数学的モデルにより、自閉症のリスク要因は遺伝子が約38%であるのに対し、環境的要因は約62%であることを示した)によって、最新の研究では、遺伝的要因のみが注目されてきた今までの風潮から環境的要因にも目を向けるべきだという方向性に舵を切られているからです。

このあたりは親の愛情不足が原因になる可能性を過小評価する形で誤解されるケースがあり、その危険性についてアスペルガー等発達障害を中心に詳しくまとめておられる下記のブログでも警鐘を鳴らしています。

 


そんなわけで、自閉症スペクトラムの発達障害に悩む人たちのために薬剤開発も進んでいます。

研究代表者の山末教授らは、ASDの中核症状に対する治療薬の候補として、オキシトシン経鼻剤の有効性や安全性を検討してきました(JAMA Psychiatry 2014; Brain 2014; Molecular Psychiatry 2015; Brain 2015)。

欧米でも行われてきた研究と山末教授らの研究を統合してみると、オキシトシンの社会的コミュニケーションの障害への効果は、単回投与では有効だったと一貫して報告されている一方、反復投与では、効果がなかった、あるいは山末教授らの研究のように、副次評価項目で効果を示したものの、主要評価項目に対しては有効性が見られなかった(Molecular Psychiatry 2018a)などと報告されており、結果が異なっています。

この結果が食い違う理由として、評価方法の客観性が不十分であること、反復投与することでオキシトシンの効果が減衰すること(Molecular Psychiatry 2018b)、などが疑われていました。

そんななか、浜松医科大学精神医学講座の山末英典教授は、東京大学大学院医学系研究科の大和田啓峰医師らとともに英科学誌Brainに「Quantitative facial expression analysis revealed the efficacy and time-course of oxytocin in autism」を発表しました。

 

 

自閉スペクトラム症の方の表情の特徴である『中立症状』(=顔の表情に現れるとされる基本的な6種類の感情(喜び、悲しみ、怒り、嫌悪、驚き、恐れ)に沿って表情を分類した場合、特定の感情に分類されない表情を指します。)が、オキシトシンの投与で改善することが再現性をもって検証されました。さらにこの改善効果は時間と共に変化することが分かりました。これによって、オキシトシンによる自閉スペクトラム症の治療が最適化され開発が進むことが期待されます。

リンク:「世界初 自閉スペクトラム症へのオキシトシン経鼻スプレーの治療効果を検証しました | 国立研究開発法人日本医療研究開発機構」 

リンク:オキシトシン治療で表情が豊かに?―自閉スペクトラム症の改善効果とその経時変化―

このように、オキシトシンは分娩誘発や帝王切開術など産婦人科ですでに薬剤として使われていますが、今後は精神医療の観点から活用されることが期待されています。

 

次回は、様々なホルモンの生成部位や、働きについてまとめられればなーと思います。

 

【メンタル】絵描きばかりの世界だったら?という空想で「自己肯定感」を考えてみた

こんにちは、ちあき です。

 

今日は、生きている人全員が絵描きで、一人につき1枚の『自分らしさという絵』を完成させるのが決まり、とされる世界だったら?というifで自己肯定感とはどんな感じなのか、表現してみたいと思います。

 

自分らしさという絵

あるところに、みんなが絵描きの世界がありました。

この世界には、Aさんという人がいました。

実は、Aさんは絵が描けなくて、とても困っていました。

この世界では、一人につき1枚の『自分らしさという絵』を完成させるのが決まり、とされているからです。

 

来る日も来る日もキャンバスに向かいますが、どうも筆が進みません。

何を描きたいのか、どんな色が好きなのか、そもそも今何を描いていたのか、もはやAさんはわからなくなってしまっていました。

 

育ててくれた絵描きのお父さんとお母さんは、初めて筆と紙をもらってワクワクしている描き始めた当時のAさんに横から口々に言いました。

 

「もっとこんな色を使わないとダメよ」

「大きさはこのぐらいはないとダメだよ」

「こういうものは描いちゃダメだからな」

「皆に褒められるような絵を描かなきゃダメよ」

 

両親の言葉を信じて、言われた通りに一生懸命筆をとり書き始めましたが、ダメダメと言われたことが多すぎて、もうそればかりが頭をぐるぐる回ります。

 

次第に描くのがもう嫌になってしまって、ふと顔を上げると、同い年くらいの子たちはもう線を描き終えて色を塗り始めているではありませんか!

 

「貴方の絵の色キレイね」

「君のこの構図もかっこいいな」

 

みんな各々の絵を見せ合いながら楽しそうに色を塗っています。

 

Aさんは恥ずかしくなりました。

 

視線を落とすと、手元にあるのは、まだ線も満足に描けていない自分のみぼらしい絵。

 

Bさんが

「貴方の絵はどんな絵なの?」と突然Aさんの絵を覗き込んできました。

 

A「えっ…私は…」

Aさんは絵を隠して固まってしまいました。

 

B「なんだ、つまんないの」

とBさんはAさんには興味を失い、他の子のところに行ってしまいました。

 

Aさんは寂しくてたまらなくなりました。

 

みんなに見せられるような、キレイな絵を描かなきゃいけない。

そうじゃないと、他の子と見せあいこができない。でなくてはひとりぼっちだ。

見せあってワイワイ楽しそうにしている他の子がうらやましい。

 

最初は、うらやましいし寂しいから、見せられない自分の絵を後ろ手に隠しながら、なんとかして他の子の輪に入ろうとしました。

 

A「わ~すご~い!」

A「よくこんな風にかけたね!!」

 

どういいのか、何がきれいなのかもよくわからないけど、こんな風に声をかければ、無視はされないことに気づいて、心にもないことを口にしては色とりどりの他の子の絵に圧倒されて、作り笑いを浮かべるほっぺがどんどん引き攣っていくのが自分でも分かりました。

 

このままじゃなんだか寂しいままだ。

早く私も絵を完成させなくちゃ、みんなみたいにきれいに仕上げなくちゃ。

私も見せ合いこしたい。私の絵をみんなに褒めてもらいたい。

 

でもわからないのです。

 

私は何が描きたいの?

何色を塗ったらいいの?

みんななんでそんなに上手に描けるの?

 

誰かに聞きたい。教えてほしい。誰か助けて。

 

でも、描けていないままの絵を見せるのが怖いから、次第に話しかけること自体も怖くてできなくなってきました。

また、Bさんのときみたいに「なんだ、つまんないの」って言われたら悲しいからです。

助けてもらおうか…?

いやいや、他の子に自分の絵を見せて「どうやったら、こんなきれいな絵が描けるの…?」と聞いて、「そんなの知らないわよ」ってBさんみたいに冷たく言われて本当に独りぼっちになるのが、たまらなく怖い。無理だ。

 

Aさんは誰もいない小高い丘で、誰にもバレずにこっそり絵を完成させようと思い立ちました。

 

どんなふうに筆を動かしているか、どんなふうに構図を決めているか、「どうやったの?教えて?」って直接聞きにいくのが恐ろしいなら上から見ればいい。そうすればみんなの絵を盗み見て、ノウハウを盗んで絵を完成させることができる!とAさんと思ったのです。

 

小高い丘に着いて、Aさんは意気揚々と眼下に視線を移しました。

 

人が小さくなるくらい離れた丘からは、とてもではないけれど手元の絵など見えませんでした。

おまけに、丘の上は風が吹いて寒くてたまらない場所だということに気づきました。

 

Aさんは震えながら、涙を浮かべて強がり、大きな声で独り言を言い出しました。

 

「あんな絵、大したことないじゃない、そのくらい私だって描けるわよ」

「みんな小さい絵ばかりね、私の額は誰よりも大きいのよ」

「その色は使っちゃダメってママが言ってたのに使っちゃって!汚い色ね!」

 

虚しくこだまするAさんの叫び声。

誰の耳にも届きません。

 

そうこうしているうちに、Aさんはもう絵を描くのが、嫌で嫌でたまらなくなってしまいました。

でも、まだ真っ白で少し線が描いてあるだけだけど、お父さんとお母さんにもらった、たった一枚の紙を破り捨てるのは、手が震えて涙が出て、できませんでした。

 

もう苦しくて悲しくて、Aさんはどうしたらいいかわからなくなってしまったので、膝を抱えて下を向いていました。

 

肩をトントンと叩かれました。

 

顔を上げてみると、きれいな絵を持ったCさんが笑顔で話しかけてきました。

C「隣、いいかな?」

 

AさんはCさんのきれいな絵を見て「ちょっと嫌だな」と思いましたが、断るのも面倒なので、こくりと頷きました。

 

C「ありがとう!」

そういってCさんはAさんの隣に座りました。

 

隣に座ったCさんは丘からの景色を見て何も言いません。

もう、どのくらい経ったでしょうか。Aさんは堪りかねてCさんに言いました。

 

A「何しに来たのよ…あなたも私の絵をバカにしに来たんでしょう?」

C「なんでそう思うの?」

A「だって今まであそこでキャッキャしてる子たちは私の絵をバカにしてるもの」

C「そうなんだ、そういわれたことがあるのかい?」

A「…聞いたことはないけど…そう思ってるに決まってるわ。絶対そうよ。」

C「そうかなー。」

A「あなただって大したことない絵をぶら下げて、自慢しに来たんでしょ?」

C「ああ、僕の絵?大したことないかな?やっぱり(笑)」

A「ええ!しょぼくて見てられないわよ!そんな色使っちゃダメなのに!」

C「そうだったっけ?色はどれでも好きな色でいいって聞いたんだけどなー僕は…」

A「教えてくれた人が馬鹿だったのね、本当はそんなお魚も書いちゃダメなのよ」

C「え?そうなの?下の子たちの間ではお魚をいろんな色で描くのが流行ってるみたいだよ」

A「…えっ?そんなの嘘よ」

C「本当だよ。僕も全然うまくかけないから、みんなに教えてもらったんだよ。でもやっぱり大したことないよねー(笑)僕は好きなんだけどね、このお魚とかホラ」

 

AさんははじめてちゃんとCさんの絵を観ました。それはもう、びっくりするぐらいきれいな絵でした。しかしよく見ると、絵は何回も書き直した跡がありました。特に魚は、紙が少し擦り切れるくらい何回も何回も、描き直したらしく、うっすらにじんだ涙の痕もありました。

 

C「あっ、そこばっか見るなよー恥ずかしいじゃん!」

とCさんは顔を赤くしましたが、実際に穴が開くぐらい絵に見入っているAさんを嬉しそうに見るだけで、隠そうとはしませんでした。

 

A「どうやったら、こんなきれいな絵が描けるの…?」

Aさんはずっとずっとずっと胸の奥にしまっていた、聞きたくてたまらなかった質問をCさんに言うことができました。

絞り出すような小さな声でしたが、Cさんはしっかり聞き取って、こう答えました。

C「僕もどうしても描けなくて、この丘に来たことがあって。」

A「…」

C「独りで泣いていたら声をかけてくれた子がいたんだ。その子が教えてくれたんだ。『上手じゃなくてもいい。塗り間違えてもいい。好きな色で、好きなものを、好きなように描いていいんだよ』って。言われた瞬間、嘘だと思ったけどね。(笑)『こいつは描き終わったからそんな気楽なこといってるんだろう、この嘘つき』って。」

 

Aさんは、ドキッとしました。

Cさんに対してAさんがそう思っていたから。それを見抜かれている気がしたからです。

 

C「でもね、嘘じゃなかった。描けなくて泣いている子が集まって一生懸命描き直しているところに連れて行ってくれてね、そこで初めて分かったんだよ。」

A「何が?何が分かったの?」

C「描けなくても恥ずかしくないんだ、ってことがさ。こんなに僕と同じ悩みを抱えている子がいたんだ、独りじゃなかったんだって。」

 

Aさんは黙って聞いています。

 

C「そこにいるみんなは絵の具が足りなくて困っていたら『貸してほしいな』っていえば絵の具を貸してくれるし、みんなで助け合って絵を描いてる。独りで書く必要はなかったって、そこで初めて分かったんだ。うらやましくてたまらなかった丘の下で楽しそうに絵を見せあいしている子たちも、ここで助け合って描いて、遊びに出てきていたんだってわかったんだ。」

A「そうだったの…私は今までそんなこと知らなかったわ…」

C「そりゃ、教えてもらってないんだもの、知らなくてもAさんは悪くないさ。」

A「そう…そうよね…。だってママはそんなこと教えてくれなかったんだもの。それなのにパパとママはあれこれ指示してくるの。私はそんな絵なんて描きたくなかったのに!」

C「それじゃあ、自分の絵を好きになれないよね。絵を描くのも進まないよね。」

A「そうなの!そうなの!見てよ私の絵、白くてこんな汚い色でところどころ汚れていて、もうこんな好きじゃないもの、描きたくないって思っていたのよ!」

 

C「じゃあ、なんでも好きな色で描いていいとしたら、どんなのを描いてみたい?」

 

A「そんなこと、本当にしてもいいのかしら。」

C「してもいいんだよ。しかも、何回描き直したっていいんだ。だから失敗したっていいんだ。僕の絵なんてほら、ちょっと恥ずかしいけど、ここなんて穴が開いてるし、ここの端っこがちぎれてるのは、意地悪な子に引っ張られて破れちゃったんだ。もうこれは元には戻らない。僕もその子に頭にきて、その子の絵、引っ張って破っちゃったことがある。」

A「それは、とても悲しかったでしょう?」

C「悲しかった。破られた悲しみが分かってるのに、その子の絵を破った僕は、自分の絵が破られたときと同じぐらい胸が痛んだよ。だから『さっきはごめんね』って言った。」

A「バカね、許してもらえるわけないのに…」

C「僕もそう思ったんだ、だから怖かった。だけど、その子も『こっちこそごめん』って言って、僕が持ってなかった色の絵の具を貸してくれたんだ。それがホラ、ここの色さ、綺麗だろう!?だから、ぼくはこの切れ端を見るたびに、ここのきれいな絵の具を貸してくれたその子のことを思い出す。だから、僕はボロボロのこの絵が、大好きなんだよ。」

 

AさんはここまでCさんの話を聞いて、心底うらやましくなりました。

 

そんな風に自分の絵を好きでいられたら、どんなに楽しいかしら。

他の子と一緒に絵を描いていいなんて、そんなズルみたいなことしてもいいのかしら。

丘の上からでよく見えなかったけれど、他の子の絵にも、そんな素敵なエピソードがあるのかしら。

 

Aさんは息をのんで、勇気を振り絞って言いました。

 

A「私も…その描けなくて泣いている子が集まって一生懸命描き直しているところに連れて行ってくれない…?できたら、でいいんだけど…最初にひどいことを言ってそんなの無理よね…」

 

Cさんは笑っていたのに、急に真剣な顔になりました。

 

Aさんは(ああ…やっぱり断られるわよね、わかってたわ…)と涙を浮かべてうつむきました。

しかし、返ってきた言葉は予想外の返事でした。

 

C「何しに来たのよ、って最初に君は言ったけど、僕は君を誘いに来たんだよ」

A「え…」

C「皆といるところから上を見たら、君がこの丘にいるのが見えたんだ。僕は独りであの丘にいたときのことを思い出した。君も、もしかしたら僕みたいに悩んでるんじゃないか?って思って、君を誘いに来たんだよ。だから、一緒にいこう。みんなで一緒に絵を描こう?」

 

Aさんは「ありがとう」と何度も言って初めて人前で泣きました。

 

Aさんは心底ホッとしました。

AさんはCさんみたいな子に出会って、はじめて『ほんとうに生きていてよかったな』と思いました。

 

CさんとAさんは手をつないで小高い丘からみんなのいるところに下りていきます。

AさんはCさんと一緒に、自分のまだ完成していない白い部分ばかりの絵を握りしめて、前を向いて走っていきます。

 

その後。

 

Aさんの絵は前よりも少しは筆が進みましたが、まだいびつでAさんは自分の絵を大好き、とまで思えていません。

でも、好きな色も少しは入れられるようになってきて、だんだん「悪くないかな」とも思えるようになってきました。

 

描いていて、自分の絵にうんざりしてもう描きたくないと思うときもあります。

でも、Aさんは、Cさんのように、自分の絵を自慢するばかりではなく絵が描けなくて困っている小高い丘にいたころの自分に似た子がいたら、「隣、いいかしら?」と言って隣に座ろうと思っています。そして、その子の話を聞き、これから描きたいお互いの絵の話をしたいと思っています。

 

 

そう、Aさんは、私そのものです。

【メンタル】妻に学ぶ「人生を楽しむ」

こんにちは、ちあき です。

わりとSNSで人気がある、私の妻。

 

 

 

 

ありがとうございます。嬉しい。

なので、今日は、妻のこれまでの人生に対して敬意を表する意味で、勝手にまとめてみた。

(怒られませんように)

 

妻は『そのまま』を生きている

そこがすごいところだ。
私は妻を、心から尊敬している。
初めて出会った時の衝撃は忘れられない。
私はそれまで『人は本当のことは言わない』と思って生きてきた。
だから、思った事を、思ったように、
打算や駆け引き無しに放ってくる妻に
心底「まいった」と思った。
友情や正義なんてのは、漫画や本の世界だけで、欺瞞や嘘や欲に塗れて自分も含めた皆、
醜く這いずる罪悪のようだと信じてきたのに、180度覆された。
会ってすぐ感じた違和感は
話すうちに好意に変わった。
本当に、こんなに真っ直ぐに生きてる人いるんだ、と。心境としては、天然記念物を見ているようだった。
(この間、妻にそのまま話したら、キレられた)
この人になら、こんな俺も、
受け入れてもらえるかもしれない。
そのままで居られるかもしれない。
そう思った。
それは希望に溢れていたので、
つまり、すごく惹かれた。
出会って、いろいろな話をして、妻は決して楽に生きてきた人ではないと知った。
お父様は百貨店の外商、
お母様はその百貨店のパートをしていて、
その間の3番目に生まれたのが妻だった。
妻が生まれて数年経ったとき、
お父様が脱サラした。
長い間中間管理職として積もり積もったストレスで脱サラを決意して退職金で飲食店を始めたが失敗し、家計は火の車だったそうだ。
お母様は苦しい生活に耐えきれなくなり、
小学生の妻を置いて失踪してしまった。
泣きながら
「お母ちゃん行かないで」
と言った記憶が幼いながらにあるらしい。
父と姉と兄との生活が始まったが、
お金が無かったから中学生時代から年齢を偽ってアルバイトして家計を支えた。
高校は卒業したが、
大学に行く余裕もなく(選択肢にすら本人の中にはなく)迷わず雇ってくれた自動車販売会社に就職。
その頃にはお母様も戻ってきてくれたそうだ。
父母の喧嘩は絶えず不仲だったが、妻が鎹となり、今までやってきたという。
しかし、仕事は多忙を極め、出会った当初は食べても嘔吐してしまうためやせ細っていた。
生理も不定期で、体はおそらくボロボロだった。

 

妻にとって人生は楽しむもの

 

私はうめくように言った。
「辛い人生だったんだね…」
妻はさも不思議そうに答えた。
「え、そう?なんで?」
「確かに大変だったけど、みんなそれぞれ大変だろうし、私は私の出来ること、やるしかなかったから、後悔してないし、誰も悪いと思ってないよ?
だから、辛い人生だとは思ってない、ていうか、私は結構楽しいよ!」
私は二の句が継げなかった。
この人は、なんなんだ。
なんなんだ、この人は。
俺の今までの生き方って、なんだったんだ。
親の顔色うかがいながら
「こうしてほしいんだろう」
とうがった捉え方をして、
小賢しく先回りしては、責任感もなくやりたいとも思わないことをやってきた。
学歴や部活の成績が周りよりよければいいのでは、とメンツや外見ばかりを飾り立てて、人からはチヤホヤしてもらおうと必死になって。
だがその実はどうだ。
心から話せる友人も、血縁者すらなく、
『人生なんて所詮こんなもんだろう』とタカを括って浪費した時間。
仕事で壁にぶち当たったくらいで
今までのプライドをへし折られて踞り、
生きていていいと他人に言われないと立ってもいられず、
言い知れない無力感と苛立ちを酒に溺れてごまかし続けてきた、今の、俺の。
今までの。
このなんと、下らないことよ。

貴方みたいに生きてみたい

貴方のように強く美しく生きてみたい。
貴方は本当のことを話すから、
本当の友人がたくさんいる。
貴方は本当のことを知っているから、
人に優しい。
妻は私を「優しい」と言ってくれる。
私のは『優しく見える』だけだ。
私のは擬態だ。模倣だ。
こうすればこうなるはずだと、
「友達らしく」あるための、
「優しく見える自分」であるための。
観察と推測に基づいてただ嫌われないために、身を守る為に身につけた技術だ。
何にもない。
俺は、本当は、何にもない。
全部皮を剥いでいったら、
真ん中には何もない。
それは妻のように、本当の意味で、
自分の足で、頭で、生きてこなかったからだ。
それに気づかせてくれた妻がいなかったら、
俺はここでこうして踏ん張れてはいなかった。
確実に、途中で投げ出していた。
何にもないまま、土に還っていた。
妻がいたから、生きている。
本当に感謝しても仕切れない。
一生分の運はもう使い切った。
妻に会うことで使い切った。
俺自身の欲しいものは、
元から何もなかった。
妻に出会った日から、
俺が欲しいものは、妻の笑顔になった。
そんな出会いから、もう4年が経つのか。
早いなぁ。

 

私は私以外にはなれない

 

だから「楽しむ」ためには、周りばかり気にして比較するんではなくて、「私は私でしかない」ことを受け容れることが大切。

自分のそのままど真ん中を生きて、笑って泣いて悔しがって喜んで。

そういう『生々しい実感』が人生を彩り、それが「楽しめる」ようになっていく。

辛いことはたくさんある。

楽しいこともたくさんあるかもしれない。

 

私はやっぱり「オランダへようこそ」という、この素晴らしい詩に救われるのだけれど、今回はその最後の一節を引用して、結びとしたい。

 

心の痛みは決して、決して、消えることはありません。
だって、失った夢はあまりに大きすぎるから。

でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、
オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、
心から楽しむことはなかったでしょう。

みんなとは違う土地だけど、
私はオランダを思い切り楽しんで、そして大好きになりました。

オランダへようこそ!