【子育て】家事育児を妻に任せて仕事に夢中になる男性に語りたいこと

同僚と話が合わない。

年配の同僚は、ほぼモーレツ社員というか、昭和のノリで生きている。

男は仕事をするのが当たり前。

女が家事育児をするのが当たり前。

今の時代、表立ってはそう言わないものの、根底にはそういう価値観があり、無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)がある。

だから、職場の男性陣からこんな声を耳にする。

「仕事で忙しいんだから、家のことは妻が頑張るのが当たり前なのに、期待されても困る」

「夜泣きなんて対応してたら日中眠くて運転が危ないから、別々に寝るしかない」

「稼いできてるんだから、仕事ばかりで手伝ってくれないとか、文句言わないでほしい」

うーん。

仕事がしんどいのは分かるけど、ちょっと違うんだよな。

その辺の認識の違いについて今日は触れていきたい。

イクメン

『イクメン』という言葉は、あんまり好きじゃない。

ぶっちゃけ、ちゃんと子育てしていないメンズのことを指す単語だと思う。

「子育てやってる感を外にアピールしている男性」とでもいうべきか。

たとえば、ちょっとお風呂に入れるだけ、ちょっとオムツ替えるだけ、数時間面倒見るだけ。

寝かしつけはしない、夜泣きの世話を交代したりしてない、お風呂から上がった後の着替えまではやってない、オムツ替えるのでもウンチのときは妻に任せる。

そういう覚えのある人、結構いると思う。

お風呂に入れることすらできない人もいると聞いたときは驚いた。沐浴のときからやってないから、お風呂に入れる経験もスキルも習慣もない。

物心つく前の小さい頃に肌と肌を触れ合っていないと、父親になつかないというのはよく聞く話だ。さびしい話である。

まあなついてもらいたいからやるものでもないんだが、やってないのって結構子供の態度見ればすぐわかっちゃう、ってことだ。

いわゆる育児のドロドロの部分。

きつくて眠くてイラっとしちゃう、そんなことが毎日起こる。

「かわいいねー♡キラキラ(´∀`*)ウフフ」みたいなことばかりじゃない。

育児のドロドロ

やろうとしていたことが、半分もできない。

中断しては面倒を見て、再開しようと思ったらまた中断、みたいな環境で、やるべきことを終わらせないといけない。

少し眠り始めて、やっと少し休めると思ったら、起きて泣き出して抱っこしないといけなかったりして、結局できずに一緒に寝落ちするほど疲れ果てて。

自分のご飯は満足に食べるヒマもなく、子どものご飯をつくり与える合間に残り物をかき込む。

それが毎日毎日毎日・・・ずーっと逃げ場なく休みなく続く。

それが子育てのドロドロ。

仕事はと言えば、朝出勤してしまえば、夕方までは妻と子どもから離れられる。

ある程度は自分のペースでタスクを進めて、お昼はひとりで食べられる。

たとえその日の仕事がうまくいかなくたって、命がなくなるわけじゃない。

交代したら、天国みたいに感じると思う。

自分の裁量で時間配分ができて、自分の時間があることだけでも、相当恵まれている。

子育てをやったことがない人ほど、それをあまり実感できないと思う。

「やり方が悪い」と語るケース

「いやいや、やることそんなに多くないんだから、タスクの処理を効率的にやればいいんだよ、自分なら、時間内に完璧にできる」

そう思うなら、まず1年くらい代わってあげてほしい。

そんなに効率よくさばけるんなら、仕事と両立できるだろう。それが無理でも半分受け持つくらいわけないだろう。

ん?できない?なぜ?

日中は仕事があるから?

仕事のタスクの処理を効率的にやればいいんだよ。仕事を子育てができるくらいに圧縮して半日で済ませて半休でもとればいいじゃないか。妻に言っていることを自分がやればいいだけだ。

常に自分のペースではできない、睡眠も満足にとれない、そんな状況でも効率よく処理できるんだろう?

いかに自分が無理を言っているか、理解できるだろうか。

「私の仕事は妻より大変だ」というケース

「いやいや、私は妻より稼いでいるから、妻より仕事がハイレベルで多いんだ。妻とは違うんだよ。」

なるほど、では、そんな大変なお仕事で、年間どれぐらい稼いでいるのだろうか。

ちなみに私は年収としては平均的だが、休職せず夜泣きに交代で対応したし、一通りすべて面倒が見れるよう妻と一緒に学んだ。おかげで一週間に一日は、妻がひとりで外出できてゆっくりする時間をあげられるくらいには、なれた。

400~1000万円の年収帯の仕事なんて、おおかたそんなレベルである。やり方次第でどうとでもなる。

そして、どのくらい子だくさんかにもよるが、普通に生活していくだけならこれ以上の年収はほぼ必要ない。

つまり「生活するだけじゃ足りない、もっと贅沢をするためにお金が必要だ、もっと稼いでこい」と妻がいうのであれば、「自分で足りない分の収入の穴埋めをできない分、子育ての一切を担うので、お金を稼いできてほしい」と願っているので、仕事を優先する道理があると理解できる。Win-Winだから。そうでないならその限りではない。

「ちあき(筆者)、俺はお前の年収よりもはるかに多く稼いでいる、だからあてはまらない」という人は、妻に、今の収入を維持するべきか、それとも少し減らしてでも家庭のために時間を持つべきか、アサーティブに聞いてみてほしい。おのずと答えは妻の口から聞こえてくるだろう。

そもそも、妻が自分より稼げないという主張は、それそのものが不公平だと認識する必要がある。

出産を経験するということは、男性にはできないので想像しにくいが、例えるなら交通事故でダンプカーに轢かれて全身を負傷するくらいの一大事だと思う。文字通り生きるか死ぬかである。

妊婦の頃から体調不良に悩まされ、お腹に重しをつけながら生活して、いざ出産したら骨はガタガタだし髪は抜けるし、もはや満身創痍である。

それだけの大事故を経験しても、入院せずどこ吹く風で仕事を続けるなんて、できるはずがない。どれだけ実力があっても、出世コースから外される可能性が高い。不平等だ。

かたや、妊産婦の苦しみを背負うことなくリソース全てを仕事に注ぐことができた男性が、妻より稼げていないとしたら、それはもう論外である。

妻より自分が努力しているから、今のポストにいるし、たくさん稼いでいるんだと信じたいかもしれないが、前述のとおり妻は女性だからというだけでとんでもないハンディキャップを背負っているので、出産時点で夫は妻より稼いでいるのがこの社会の仕組みでは自然なのだ。

だから、仕事が現時点で妻よりハイレベルで年収が多いというのは、だから自分のほうが大変だとか、優秀だとかという理屈には繋がらない。

満身創痍でも産後すぐに子供をつきっきりで世話しなくてはならない、という状況のほうが、よっぽどハイレベルで、年収に換算すれば3000万に匹敵する。

家事育児は、きつくて価値がある立派な「仕事」である。

「男は家族を養わなければいけない重圧を背負って仕事をしているんだ」というケース

なるほど。確かに男性には、収入を求められるプレッシャーがある。

稼いでこなければ存在価値がない、と言わんばかりの「世間」が押し付けてくるジェンダーロールに押しつぶされそうになる気持ちは分かる。

しかしそれは「妻」も押し付けただろうか?

あなたに妻が「ひとりで自分たちを生涯養え」と実際に言ったのだろうか。

ありもしない「世間」に負い目を感じて、勝手に重圧を背負っている可能性はないだろうか。

家族とは、一緒に協力して、楽しく暮らせる生活を維持しようという共同体である。

持ちつ持たれつ、協力し合いながら、営みを続けていくための仲間である。

あなたが家族に役割を押し付けられていると感じているなら、家族で話し合う必要がある。

「私の力では今、これぐらいの収入を得ることができる。しかし、申し訳ないが、仕事を二の次にして家事育児を半分担うとすると、生涯賃金でこのぐらい下がるかもしれない。さて、お互いにより良い生活を実現するには、どうしたらよいだろうか?」

と具体的に落ち着いてパートナーと相談しただろうか。

おそらく子育てと家事で追い詰められ疲弊している妻なら、「今は少しくらい下がってもいいから、助けてほしい」というだろう。

子供が成長してからなら、妻も収入を得られるように力を合わせることを、考えてくれるはずだ。

つまり、話し合いもせずに、勝手にジェンダーロールを背負っているのではないか?ということだ。

収入が少ないと言われるのが怖い。

できない夫だと思われるのが怖い。

家事育児ができなかったら見下されたりしないか不安。

自分の居場所がなくなるのが不安で怖いのだ。

そういう言葉にできない恐怖や不安を見て見ぬフリをするために、仕事に逃げていないだろうか。あるいは、今まで自分が妻に手を差し伸べなかったせいで悪化した家庭環境に対する罪悪感を「妻の無理解のせいだ」と他人に押し付けて無かったことにしていないだろうか。

「稼いでこないとどうせ文句を言うくせに」

「お金がなかったら妻だって生活できないのに」

それは、文句を言うかどうか、生活できなくなるかどうか、ちゃんと二人で話して検証して、そう言われてから、思い込むべきである。

思い込みで対話をせずに、勝手に責任をなすりつけようとするのは、罪深い。

パートナーを、家族をなめるな

妻は、夫に「年収」だけを期待しているのだろうか。

そうではない。

もしそうなら、お金様と結婚したのであって、あなたと結婚したのではないのだから、離婚してもいいと思う。もっとたくさんの「お金様」が、その女にはお似合いだ。他をあたってもらおう。

しかし、ほとんどの妻は、つまりあなたの妻は、別にお金だけに眼がくらんで婚姻届に判を押したのではないはずだ。

「この人となら、一緒に生きていける」

「この人なら、信頼し合える」

そう思って、あなたと何十年も一緒に生きることを決めたのだ。

その決断の重みをなめないでほしい、と思う。

健やかなる時も 病める時も
喜びの時も 悲しみの時も
富める時も 貧しい時も
これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い
その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?

この誓いの重みをなめないでほしい、と思う。

家族とは、役割分担できっちり割り切れるほど、簡単でもないし、軽くもない。

合理性とは対極にある。

だからこそ実直な対話が必要で、お互いを思いやり助け合う努力が必要で、様々なことを乗り越えていく過程で育まれるものなのだ。

もっとパートナーはあなたそのものを必要としている。

もっと信頼しているし、頼りにしている。お金ではなく、あなた自身を。

なんか、同僚と話していると、そんなことを悶々と思うことがある。

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