【子育て】サンタクロースという欺瞞

「サンタクロースは本当にいるの?」

という子どもたちの質問に、なんかどっかの新聞社が美しい答え方をしたとか、夢を壊さないようにできるだけ合理的に説明できたとか、そんなツイートが12月になると溢れかえる。

反吐が出るな、と毎年思う。

結局やっていることは偽りと誤魔化しである。それは誰にも否定できない。

私は、12月24日の夜に「サンタクロースが届けてくれた」と称して自分が購入したプレゼントを子供の枕元に置くかどうか、親として嘘をついたり偽善を行なったりしたくなくて、かなり悩んだ。

そんな過程で考えたことをまとめてみる。

問1、サンタクロースは存在するか?

解答:存在する。

グリーンランド国際サンタクロース協会が実施している公認サンタクロースの資格を取得すれば、協会公認のサンタクロースになることができる。

試験はデンマークで実施される。

■公認サンタクロース 認定試験受験条件

  • 結婚していること
  • 子どもがいること
  • これまでにもサンタクロースとして活動した経験があること(履歴書の提出がある)
  • サンタクロースにふさわしい体型であること(衣装やその他装備込みで体重120kg以上)

そして、以下の体力テストを乗り切らないといけない。

■サンタクロース認定試験 体力テスト

  1. プレゼントの入った大きな袋を持って50mを全力疾走
  2. はしごで高さ2.8mの煙突に登り、煙突から家に入って暖炉から這い出る
  3. ツリーの下にプレゼントを置き、暖炉の上に置かれたクッキー6枚とミルク568mlを完食する
  4. 再び暖炉から煙突を登り、煙突から出たところで国旗を振る
  5. 煙突を降りたらさらに50mダッシュ

その後、先輩サンタクロースたちの圧迫面接に加えて、「HOHOHO」だけで宣誓文を延々と読まされる体育会系特有の嫌がらせにあう。その試練に耐え抜いたものだけが、サンタクロースになれる。

サンタクロース界とは、意外と縦社会で嫌な世界である。

2020年現在では、世界に180名のサンタクロースが実在し、日本にも1名の公認サンタクロースがいる。パラダイス山元さんという人だ。

まとめると「サンタクロース」というボランティア活動の国際資格はある。

その国際資格を取得した「サンタクロース」は存在するので、するかしないかと問われれば、存在する。

問2、では、子どもが想像する『サンタクロース』とはどんな人物だろうか?

解答:見ず知らずの白人・白髪・白髭・デブ・赤と白の服がユニフォーム・ソリに乗って24日の夜だけ上空を高速移動する・家宅に不法侵入をしても許される・自宅に不法侵入して何も盗らずプレゼントを置いていく・何らかの方法で思考を読みほしいものをあらかじめ突き止めてくる

こんなところだろうか。

おそらく、当初よりきちんと「サンタクロース」=「グリーンランド公認サンタクロース」の説明をしている保護者は少数だと思われる。

基本的には「いい子にしてたらサンタさんがプレゼントを届けてくれるよ」「サンタさん今年は何くれるかなぁ」などと供述しているパターンが散見される。このことから、多くの保護者が『サンタクロース』=「何かをくれるがいい子にしていないとくれない、保護者である自分たち以外の存在」として説明しているとみなすことができる。

これを踏まえて、前述の「『サンタクロース』は存在するか?」と子供に問われたなら、その答えは「NO」である。

なぜなら、『サンタクロース』の実態は現実には保護者と同一であり、購入予算は世帯主の収入から捻出されているからだ。どこかの誰かが、その子がいい子だからタダでくれるわけではない。つまり、両親が示唆するような『サンタクロース』という都合のいい存在は実在のものではない。

それは完全に噓偽りである。

問3、なぜ保護者は『サンタクロース』がいると嘘をつくのか?

解答:保護者が、子どもたちをぬか喜びさせることで、子どもたちの笑顔を見ることができるから。

つまり、保護者の為、親の為。

「子どもたちに夢を与えてあげたくて」

「子どもたちを喜ばせたくて」

というが、それは嘘だ。

つくりものの夢を与えることを、一般的には「詐欺」「欺瞞」「ペテン」という。

ありもしない幻想を信じ込ませ喜ばせて「親がみていたい笑顔」を搾取している。

だから、嘘をつくのは子どもの為ではない、自分の為である。

「人数が少なくて回り切れないから、本物のサンタさんから代行を頼まれたんだよ」というのも、残念ながら筋が通らない。

なぜなら、本当に公認サンタクロースから依頼がきていたとするならそれは事実だが、自発的にあちらから「代行よろしくお願いします」という依頼が発出されていないなら、それはただの妄想である。妄想ではないというなら、客観的な証拠が必要だ。

いやいや「本物のサンタクロースからは、テレパスで指令が送られてきたんだよ」と言うことができるかもしれない。

であるならば「サンタクロースからテレパスで代行の指令を受け取れる」ということを証明するために、子どもが一切情報を伝えなくても、本当に欲しいものを提供できなくてはならない。心を読めるサンタクロースが依頼者なのだ、そうでないとおかしい。

そして、そのプレゼントは無料で提供されなくてはならない。

いやいや「本物のサンタクロースが運営資金が足りないというから補助していた」と言うことができるかもしれない。

ダメだ。それはもう、結局サンタクロースはただ指示を出しているだけで予算を出していない指示厨でしかない。結局プレゼントをくれているのはサンタクロースではなく保護者だと認めていることに他ならない。

「プレゼントをくれる」という行為は、予算を出して届けるまでを言うのであって、そのどちらもアウトソーシングしてしまったら、本物のサンタクロースは「あなたのお子さんはこれが欲しいらしいよ」という情報提供だけだ。情報提供はプレゼントをしていることにはならない。

「サンタクロースはテレパスでほしいものを教えてくれて、予算が無いから私たちが補填していた」と説明するとしても、サンタクロースの定義そのものの説明を改めなくてはならない。

『サンタクロース』=「何かをくれるがいい子にしていないとくれない、保護者である自分たち以外の存在」ではなく、「何が欲しいかを保護者に教え、こっそり購入することを促すが、いい子にしていないと情報すらくれない、保護者以外の存在」だと説明しなくてはならない。

そんな存在に子供が夢を抱くだろうか。かなり関与が低い。ぶっちゃけあまりいてもいなくても変わらない。結局買うかどうかは保護者次第であり、普通に買ってもらうこととほぼ遜色ない。

唯一違うのは、心を読まれて何が欲しいかを把握されているということだけだ。

子どもにとっては、プレゼントの限度額を最大化させるための駆け引きを不利にする要素でしかない。むしろ、いないほうがマシである。

問4、ではなぜ、世の中の保護者の大半が『サンタクロース』を偽装するのか?

解答:親にそうされてきたから。みんながそうしているから。(同調圧力)それを愛情だと信じたいから。

それが「当たり前」だという長年の洗脳の結果である。

他の家がそうしているのに、自分の家がそうしなかったら「変に思われるかもしれないから」「子どもが浮くかもしれないから」と他責にする。

騙すことになるかもしれない、などと深く考えない。

周りがそうだし今までそうだったから、自分たちも詐欺に加担している。

自分以外のひとたちがやっていて、「社会」が「世間」がそうするから私たちは悪くない、と責任転嫁をしている。

それを愛情だと勘違いしている。

私は子どもの頃、親に嘘をつかれたことがとても哀しかった。

私が信じてきた『サンタクロース』は幻想だった。

そのこともショックだったが、それよりも、両親が、信頼している味方だと思っていた人間が、私を騙していたことがただただ哀しかった。

見ず知らずの私を、友達もいない私の善行を、ちゃんと見ている保護者以外の存在がいるというのは希望だった。しかし、そんな第三者などいなかった。

そんな都合のいい存在などいないことを両親はわかっていた。

わかっていたのに、私に「サンタクロースがいる」と、虚偽の発言を繰り返していたのだ。毎年毎年、何度も騙していたのだ。

その事実に深い失望感を感じ、とても傷ついた。

クラスメートから「まだ信じてんのかよw」とバカにされたことがきっかけだった。

クラスメートとは「信じる両親が『存在する』と言っているのに、お前は何を言うんだ、失礼だぞ、私の両親を嘘つき呼ばわりしてバカにするのか」と取っ組み合いの喧嘩になった。

家に帰ってから「サンタさんいるよね?!そう言ってたもんね??!」と確認したときに、父と母の目は大いに泳いだ。

そしてそのあとゴニョゴニョと誤魔化したのだ。

情けない。

情けなかった。

この情けない両親を信じた私が情けなかった。

そのときの両親の有様が、とても惨めにみえた。

そしてそんな人たちの言うことを信じて戦ってしまった自分が、ただただ惨めだった。

もし「サンタクロースはいる」という嘘をつくのなら、正確に意義を認識して腹を括るべきだ。

子どもからの信頼を贄として、「大人になると人は他人を騙す」という社会の不条理を疑似経験させるためにやっていたのだ、と。

「他人の言葉や『皆が信じているから』という同町圧力に流されず、事実を洞察できる推理力を養ってもらうための伝統的な儀式」だという位置づけで、世帯主の責任の下、この家でもこの慣習を取り入れたのだ、と言うべきだ。

騙したことが明るみに出たときには、子どもには、非礼を真っすぐに謝るべきなのだ。

もっともらしく「いるにはいる」みたいな言い逃れをしないで。

自分たちが楽しみたくて嘘をついたのだと認めなくてはならない。

それができないなら、騙すべきではない。騙るべきではない。

だから、我が家にはサンタクロースは来ない。

クリスマスプレゼントはある。両親から渡す。

得体のしれない誰かからの贈り物だと嘘をつかず。

古代ローマから続く太陽を神とあがめて行われた祭りとして、素直に祝われる。

我が家の太陽。子どもたちは太陽だ。だから愛情の表現の一つとして贈り物がある。

それだけでよい。嘘は要らない。

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