みなさんのなかには、こんなこと言ったり言われたりした経験がある人、いませんか?
「乾杯はビールだろ!烏龍茶で乾杯なんて失礼だぞ!」
「上役やお客様から注がれたら、飲めなくても飲み干すもんだ!」
「酒の上での失敗なら、俺もやったことある。多少飲み過ぎたって大丈夫だ!」
「記憶なんてなくなることなんて、たまにはあるよ。ふつうふつう。それは今日飲まない言い訳にはならんぞ。」
「ていうか、飲まない奴はつまらん、飲め!」
「飲まなくてもいいんだよ?飲まないなら、分かってると思うけど、それは君の自由だからさ。」
「お酌しにくる立場で、瓶ビール片手に、自分は烏龍茶なんて、もしかしてバカなの?」
これ、口にしている人は要注意です。
ちなみに、全部、私が言われてきた言葉です。笑
これから社会人になる皆さん、そして、大学生になる皆さんにも、ぜひ知っていてほしい知識として、「アルコール依存症」「急性アルコール中毒」の知識があります。
今回は、アルコール依存症でない人々に向けての視点でアルコール依存やアルハラについて書いてみたいと思います。
本人が認めたがらない病「アルコール依存症」
過度の飲酒により記憶をなくす事を『ブラックアウト』といいますが、これを2回以上経験していたり、酒の上での失敗を繰り返し、反省したり後悔したりしているのに、飲む量をコントロールできなかったり。
こんな経験がある人は、だいたい、「アルコール依存症」か、その一歩手前です。
「アル中ワンダーランド」という、まんきつ先生のノンフィクションアル中実体験漫画がありますが、その1コマにも「そんなのみんなそうじゃないですか」と自分がアルコール依存症だとは認められないシーンがあります。
アルコール依存症の診断をされても、当初は、本人は依存症だなんてこと、全く信じません。
もしかしたらご家族も、困ったような愛想笑いを浮かべるだけでしょう。
「ウチの旦那に限ってそんなこと…」ってね。
特に40〜60代の企業戦士時代の方々で、24時間働けますか?な超体育会系。
モーレツに仕事を頑張って高度経済成長期に時代を作ってきた、素晴らしい年代の方々。
この年代のお歴々は、特に「アルコール依存症」という病気に関してはいくら説明しても、平行線を辿るばかりで、全然伝わらないから、本当に辟易としています。
元々優秀な方々なのに、説明しても理解できない・しないのは、実は本音では「理解したくない」から。
実は、こういった人たちは『否認』しているだけで、むしろ本人たちそのものが「アルコール依存症」だったりします。
アルコール依存症が、「否認の病」と言われ、治療介入が遅れる所以です。
お酒をしつこく勧めるのは、とても危険
「失礼な!私はアル中なんかじゃない!」というなら、そうなんでしょう。
でも、せめて、無理やり飲ませるのは、ホントやめましょう。
アルコールは薬物です。
アルコールで人は死にます。
アルハラの定義は以下の通りです。
【アルハラ】
アルハラとはアルコール・ハラスメントの略。飲酒にまつわる人権侵害。命を奪うこともある。
特定非営利活動法人ASKおよびイッキ飲み防止連絡協議会では、以下の5項目を主要なアルハラとして定め、啓発活動を実施しています。
① 飲酒の強要
上下関係・部の伝統・集団によるはやしたて・罰ゲームなどといった形で心理的な圧力をかけ、飲まざるをえない状況に追い込むこと。
② イッキ飲ませ
場を盛り上げるために、イッキ飲みや早飲み競争などをさせること。「イッキ飲み」とは一息で飲み干すこと、早飲みも「イッキ」と同じ。
③ 意図的な酔いつぶし
酔いつぶすことを意図して、飲み会を行なうことで、傷害行為にもあたる。ひどいケースでは吐くための袋やバケツ、「つぶれ部屋」を用意していることもある。
④ 飲めない人への配慮を欠くこと
本人の体質や意向を無視して飲酒をすすめる、宴会に酒類以外の飲み物を用意しない、飲めないことをからかったり侮辱する、など。
⑤ 酔ったうえでの迷惑行為
酔ってからむこと、悪ふざけ、暴言・暴力、セクハラ、その他のひんしゅく行為。
これを読んで分かる通り、今ニュースになっている光本勇介さんの行為は、歴としたアルハラです。
恵比寿の飲食店の事件でお亡くなりになった女性に対して一定の責任があることは明らかです。
文春オンライン記事:『《恵比寿テキーラ20歳女性急死》「A子さんは段ボール箱に頭を突っ込んで……」NewsPicks系“天才起業家”「一気飲みチャレンジ」の真相』
記事を読む限り、客という立場で上下関係と金に物を言わせて、女性たちに飲むことを断れない圧力をかけてきたことが、まず問題です。
光本氏は本人が飲むことを選択したと言いますが、そんなことはありません。
権力を振りかざされて、チャレンジすることを選ばざるを得ない状態に誘導されています。
コントロールしているのは他ならぬ光本氏であり、そのように金と権力の力で自分の思い通りにコントロールできることを楽しんできたのです。
『相手に無理やりやりたくないことを強要できる』それだけの力があるのだ、と自己顕示欲と自尊心を満たすために、他人をコントロールしたのです。
その結果、一人の女性が命を落としたのです。
『命は、カネより重い』。
それがこの殺人行為の本質です。
光本氏が、そして彼の行為を見て見ぬ振りをし続けてきた関係者全員が省みなければならないことです。
光本氏のように、人の命を奪わないまでも。
飲まない、という人にしつこく勧めたり、「つまらんやつ」等と飲まない事を侮辱するのは、ホントやめましょう。
言われる側は、たまったもんじゃありません。
めっちゃストレスです。キレます。
少なくとも10年は恨みます。
体質的に本当に飲めない人もいます。アルコール依存症の患者さんの場合は、『アルコールを解毒できなくする薬』である、「抗酒剤」を飲んでいることがあります。
どちらの場合でも、ビール一杯でも救急車行きの可能性があります。
呼吸が止まります。
全身が痙攣して泡を吹きます。
飲ませることは、もはや殺人です。
酔った勢いであろうが何だろうが、その気があろうがなかろうが、なんの言い訳にもなりません。
もしあなたがすでに誰かにストレスをかけているなら…。
あなたはもう他人から、深く深く怨まれているかもしれませんよ。
自己責任だとか聞いてないとか、本気で言ってますか?
「私は強要してない、自己責任だよ」
「そっちが勝手に飲んだんだ、私は悪くない」
「そんな理不尽な!病気ならちゃんと話せばいいじゃないか!そんなの聞いてない、知らなかったんだ!」
「そんな厄介な地雷みたいなやつ、そもそも飲み会に来るんじゃねーよ!」
と、アルハラしたことを認められず、生死を彷徨うトラブルを起こしてから責任逃れを言う人がいます。
正直、私はアルコール依存症になるまで、ガッツリ「アルハラする側」の考え方でした。
周りより酒に強かったのも災いして、じゃんじゃん飲んで、「大量に飲めること」を誇りに思っていました。
だから、「アルハラする側」の気持ちも、感覚も、わかります。
でも、ですよ…
社会的に間違った認識や差別がまだ根強い、この病。
アルコール依存症と聞いたら、どんなイメージでしょうか?
「仕事ができないダメなやつがなる病」
「心が弱いやつがなる病」 などなど。
そう思われるのを覚悟するのは、当たり前ですか?
「アル中です」と公言することは、義務ですか?
反対の立場だったとして、言えますか?
アルコール依存症でなくても、お酒を酌み交わすことが当たり前という空気の中で、飲まないことを選択できますか?
「飲まない人」というマイノリティの立場で、楽しいはずの場を白けさせるのを厭わず、嫌われたくない人に嫌われるのを厭わず、公明正大に、本当に言えますか?
私は職場の仲間に打ち明けるだけで、口はカラカラに渇き、汗が止めどなく流れて、情けなくも、声が震えました。
誰もが飲めるわけではない、という当たり前の配慮
言えないだけで、実は今隣にいる彼・彼女は、お酒があまり得意ではないかもしれません。
もしかしたら、アルコール依存症を患ってきたかもしれません。
あなた方との付き合いを大切にしたいから、必死で努力しながら、烏龍茶で参加してるかもしれません。
「アルコール依存症」は、糖尿病や喘息や統合失調症と同じぐらい、サラリーマンにとって身近な病気なんですが、なかなか知られていません。
そんなこと気にせず、飲みたい人もいるでしょう。
それは、別に否定できません。後悔してもしなくても、それぞれの人生です。
でも、他人に苦しみを与える飲み方・飲ませ方なら、いつの日か、己れに天罰が下ります。
飲むシーズンになるといつもそう思います。
飲まない人のあたりまえ、飲む人のあたりまえ、両方あっていい当たり前ですが、少しのやさしさでお互いに気持ちよく過ごせるのにな、と思います。