【共依存】組織における最適化と個としての最適化の違い
「自分の本心以外の何かに隷属する」ことが美徳とされる共同体での在り方とは対極に位置するのが、個としての最適化である。
アルコール依存症からの回復・社会福祉・家族との日々・時々キャンプ な ソーシャルワーカー ちあき の情報発信ブログ。
「自分の本心以外の何かに隷属する」ことが美徳とされる共同体での在り方とは対極に位置するのが、個としての最適化である。
やりたくないことで毎日がいっぱいになって、本当は何をしたかったのか、どう生きたかったのか、わからなくなっているのである。
狡く巧く生きる人をたくさん見てきて「私はなぜあんな風にできないのだろう」と自分以外の誰かと私を比べては、妬ましく思ってきた。
我々は見えないところからあらゆるひとにイネイブリングされコントロールされて育ってきた。だから自分も他人を「コントロールできる」と信じられる。信じてしまう。
「もう酒はこりごりだから飲まないようにしようと思う」と話すと、「ちょっとくらいなら飲み過ぎることもあるよ」「俺も若い頃はいろいろ失敗したもんだ」などと引き留めてくれる。実に心優しい仲間たちに思えた。
私は、妻と出会って付き合おうと考えた当時、共依存的な関わり方をしていたと思う。
依存症者の回復プログラムとして欠かせない「自助グループ」の在り方も、この社会情勢に対応するべく変化しつつある。私は両方のタイプの自助グループに携わってみて、それぞれによさがあると感じている。
私は神様は信じていない。無神論者である。 神様がいるなら、もっと世の中は幸せに満ちているだろうと思う。「むかし祈ったって助けてくれなかったじゃんサボんな」というのが本音だ。
●自尊心を欠く ●自分を無価値に感じる