過去に書いた記事を、振り返り、投稿しています。
頭の整理のために。
『悪の教典』という小説の冒頭で、いつも心臓を鷲掴みにされる心地がします。
『小さな民家が 目の前に迫ってくる。
かなり老朽化した平屋の日本建築で、
屋根瓦の一部が 脱落 しており、
ブルーシートで “恒久的に応急補修” してあった。』
私は、この、恒久的な応急補修 に追われて過ごしてきて、未だその最中であります。
一度抜けたかと思ったのは、勘違いでした。
用語解説
アスペルガー症候群(AS)
アスペルガー症候群の人は、”3つ組みの障害”と言われる(1)社会的に適切に振る舞うことの難しさ、(2) コミュニケーションを円滑にすることの難しさ、(3) こだわりが強く柔軟に想像・思考することの難しさ、が特徴です。
社会性 他の人と一緒にいるときに、どのように振る舞うべきかの力です。いわゆる空気が読める力と考えてもよいでしょう。
コミュニケーション力 相手が言っていることを正しく理解する受信の力と、自分の思っていることを相手に伝える発信の力についてです。
こだわり 自分の安心できるルールや環境を強く求める状態です。生活や働く上で支障が出るほどこだわってしまう方が多くいます。想像力が弱い状態ともいえます。
大人のアスペルガー症候群 特徴・仕事・職場定着 : 大人の発達障害Q&A – 株式会社Kaien
AC
AC = Adult Childrenの略。アダルトチルドレンとは、機能不全家庭で育ったことにより、成人してからもこころに傷を抱えている人のことを指します。「機能不全家庭」とは、正常な機能を果たしていない家庭のことです。
さまざまなタイプがあり、優秀ないい子になることで、親から評価されようとがんばってきたタイプは、「良い結果を出せば褒められる」「悪い結果を出せばけなされる」という条件付きの愛を与える家庭で多いタイプです。
一生懸命勉強し、成績は優秀です。
しかし、自分自身の気持ちから頑張ったのではなく、「親から認められるため」「家庭が穏やかになるため」に頑張っている点が問題です。「頑張ることを辞めたら私は見捨てられる」という恐れを常にかかえています。
また「結果が良ければそれでいい」という考えになりやすく、人間としての温かみが十分に育まれません。「優秀でない人に価値はない」と損得で人と付き合うようになったりもしてしまいます。
また完璧にやろうとしすぎるため、身体が壊れても頑張り続けるなどの問題があります。
HSP
生まれつき「非常に感受性が強く敏感」な気質もった人の事です。 正式には「Highly sensitive person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と言います。
一度ブログにもアルコール依存症との関連を含めてまとめております。
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HSP と 脳 と アルコール依存症 [断酒162日目】 | アルコール依存症とともに私らしく生きる。
生きてきた道筋を振り返る
アスペルガー症候群として生まれた私は、ずっと“違和感”を感じながら生きてきました。
思考パターンや行動の異質さ、社会性の無さから、子供社会 地域社会 から虐めを受け、迫害にあい、他人への信頼や歩み寄りを、幼稚園の頃には諦めました。
自己肯定感はすぐに欠損しました。
なぜこの同じような形をした生き物は、似ているようで違う。なぜ、互いに理解しあったり、喧嘩しあったり、うまく交流できるのだろう?法則が全く分からないが、私にはどうやら、それができない、まずいな、私はこのままでは『欠陥品』だと思い始めました。
精神不安定な母は、変わった私が子供の輪に馴染めないことを随分と哀しみ、それゆえ過保護になりました。
母の子育てによるストレス・抑うつ状態が蔓延。その負の空気に引っ張られて、不安定な家庭環境であり、よその子と馴染めないのは教育が不行き届きだからだ、としつけは厳しくなり、「良い子でいなくては、親からも見捨てられる」と恐怖しました。完全に機能不全家族ですね。
そんな家庭背景・社会背景から、ACとHSPの性質を、さらに醸成していきます。
当時早々と他人への信頼は諦めた私も、生きていかなくてはいけません。
安心して親に愛されなくてはいけません。
そのためには、「社会的常識」「一般的な価値観」の概念的理解の必要性を強く感じました。
常に周囲の顔色を伺い、観察し、行動に対する反応、思考パターンを学習することに必死でした。
幼稚園から小学4年の7年間、観察と模倣をひたすら繰り返しました。果てしない試行錯誤を経て、社会で生き延びるために必要な「明るく優しい良い子」に見合った、立ち居振る舞い、行動パターン、正解の受け答え、人物像を、演じる技術(ルール)を修得します。
しかし、虚しい。誰とも心通わすことなく『上手く』生きて、死ぬ。それだけのために、徒労が続くのか。
「だがしかし、そんなもんなんだろう、人生とは。」と、無理やり納得することにしました。
対外仕様の自分を維持するためのルールを欠かさず守らなくてはならない、というプレッシャーから、強迫症状がこの頃から始まりました。
大学に進学します。
人間関係のプレッシャーやストレスをアルコールで紛らわすことが出来ると知り、特に人格維持のための強迫症状によるストレスをアルコールを使って鎮静させる悪癖がつき始めます。
アルコール依存症の入り口に入りました。
社会人になりました。
今までに獲得した人物像を元に、明確な答えがある課題をただただ答案に記載していけばよかったルール遵守スタイルが通用する学生生活から、それらが通用しない、社会人生活にシフトし、状況が一変。
生来のアスペルガー症候群気質により、
「的確なホウレンソウ」
「認識の共有化」
「予測不可能な状況における創造性の発揮」
など、真の社会性を身につけていなければ実行不可能な「答えやマニュアルのない世界」の壁にぶつかります。
「ふつう」の模倣では、太刀打ちできませんでした。
「仕事」がスムーズに進行できなくなり、自信を完全に喪失。
自らの無能さに辟易とし、社会不適合者になることに恐怖し、その不安から逃れるために、アルコールを大量に摂取するようになり、アルコール依存症がさらに悪化します。
この頃から、うつ病の症状が出始め、動かない身体と心を動かすために、さらにアルコールを追加する、負のスパイラルに突入します。
しかし、寿命まで死ぬわけにはいきません。
仕事においても、社会常識、暗黙の了解、判断基準、権限の範囲、人間関係の調整の順序、など、「社会人に必要な社会性」を「ルール」として法則性を見つけ、体系化して理解し実践することで、なんとか人並みに「仕事をしていて違和感がない」という状態を獲得しました。
しかし、守るべきルールの厳密化と複雑化に伴い、ストレスは増大。飲酒量は比例して増加。毎日大量飲酒します。
今度は、持って生まれた性質よりも、アルコールという薬物への依存が、社会生活に影響を及ぼし始めます。
アルコール依存症が原因で、社会的失敗の常態化、信頼失墜、解雇勧告。
これ以上、「人間」として生きていくことは、機能的にも精神的にも難しい、と判断し、独りで山で首を吊ろうと、自殺を計画しました。
幸い、妻の言葉のおかげで、未遂に終わりました。
そこから、生きづらさを抱えている自己の受容、すなわち「断酒」に取り組み出します。
数年後、3回のスリップを経て、アルコール依存症専門医療機関と繋がり本格的なアルコール依存症治療を開始します。心療内科への受診も開始。
そこで、断酒によるうつ病の軽快が分かりました。
人格障害やHSPやACなどの精神病理を勉強し、自分の性質や障害を認知し、受け容れ始めました。
今ここに、ようやく、たどり着きました。
今が一番、幸せになっていると思います。
こんな私でも、あるがままでいい、と言ってくれる人に出会い、私自身も、あるがままでいい、と思えるようになれてきました。
事ここに至り、あるがままを受け容れてくれる人が、妻以外にもいるということは、とても素晴らしいことです。