【依存症】本当に自分が変われば、他人は変わるのか?

こんにちは、ちあき です。

先日尊敬する断酒会の先輩と、このタイトルの話になりました。

「果たして、自分が変われば、他人は変わるのか?」

私は『どう影響しようとも他人を変えることはできない』という立ち位置。

先輩は『自分の姿勢が変われば他人の所作や接し方は変わる』という立ち位置。

真っ向から反対の持論でした。はてさて、どちらなんでしょうか??

今日はそんなお話。

先輩が経験した他人の変容

先輩も穏やかな人ではありません。

割と強い言葉を言いがち。

そんな先輩は割と荒々しい性格の人たちのなかで所謂ブルーカラーの仕事に就いています。

御歳80代。

身体は上手く動きません。

「オラァそんなこともできんのかジジィ!」

「役立たねーなら帰れよ邪魔くせぇなぁ!」

そんな言葉が飛んでくる職場。

辛くないわけがありません。

しかし、先輩は固く守っていることがあるそうです。

「自分の頭を低くして、きつい物言いをされても一歩引いて考える。それから言葉を吟味しよく咀嚼したうえで発する。」

そしてその上で、ただ静かに自分ができる事をするそうです。

例えば、休憩所のゴミ掃除。自分でも運べるものの運搬。休憩用のお茶の準備。

「そんなこと後輩にやらせておけばいいんだよ、あんたは年長者なんだから。」

と親方が声をかけるので

「私にはできないことがたくさんあるのに、来させてもらっているだけで感謝しているから。」と笑って、ひたすらやり続けるそうです。

そうしていると、先輩に罵詈雑言を発していた若い子が、その姿を見ていて、次第に一緒に掃除をしてくれるようになり、

「おっちゃんは体しんどいんだから、無理すんなよ」

ある日、そんなこというようになった、と言うのです。

言葉と姿勢が他人に与える影響は、決して小さくはない

私は、にわかには信じられませんでした。

そんなに人は変わることができるのか?

素直な驚きと戸惑い。

私は、他人は他人の力でしか変わらない、だから私がアレコレと言ったりやったりしても意味がない、とあきらめて切り捨てていたけれど、そうではないかもしれない?

私の突き放した諦めの態度が水面に映るように、相手もそれを見て世界の変化を同じように諦めているだけなのかも。

自分の行動が必ず結果に結びつく、なんてことにはならない。

だけれど、影響は無視できないし、意外に小さくないのかもしれない。

7つの習慣 の 影響の輪

この話で思い出されるのは、一世を風靡したビジネス書、スティーブン・R・コヴィーによって書かれ1996年に出版された『7つの習慣』です。

コヴィーは、「影響の輪」「関心の輪」という概念を提唱しています。

関心の対象は、自分自身が影響を及ぼすことができるものとそうでないものに分かれます。

たとえば、天気に関心があっても自分の力で天気に影響を及ぼすことはできませんが、今晩の食事を何にするかについては影響を及ぼすことも可能です。

つまり、同じ関心事でも、影響を及ぼすことができることと影響できないことがあるというわけです。

このように、私たちの身の上に起こる出来事や周囲に存在する物事は、関心の有無、そして影響を及ぼせるか否かで分類することができます。

そのことをコヴィー博士は「関心の輪」と「影響の輪」という概念で説明しています。

引用:http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-11.html

影響を及ぼすことができるのは、自分の行動であり、その範囲が「影響の輪」。

関心や興味があるけれど、自分が影響できない事柄の範囲が「関心の輪」。

得てして「関心の輪」、つまり他人をどう変えるかとか、取り返しのつかない過去の失敗とか、天気や景気や世界情勢や悲しいニュースに、私たちは限られた脳のキャパシティを使いがちです。

しかし、私たちが影響できるのは、自分達の立っている「今、ここ」だけです。

『やることを、やる』

どんなに偉い人でも、どんなに立派な人でも、あるいはどれだけダメで邪悪な人でも、これ以外に影響を与える事は出来ません。

期待しないけど、諦めない。

私は、その影響の輪以上の効果を、拡がりを、期待しすぎて苦しくなり、結果を求めてしまった。

叶わないなら全て諦めた方が楽だから、手放そうとしたのではないかしら?

結果を期待して、相手に関わるのは、コントロールできないものをコントロールしようとすることで、「関心の輪」に手を伸ばしていたことになります。

それでは、影響の輪の境界線を見失う。

他人の在り方は他人の物。

私の願いは私の物。

しかし、影響の輪の中の事柄に集中し、自分がやれることが増えていき、その幅を拡げれば拡げるほど、かつて関心の輪だった範囲に手が届く。面積が拡がっていく。

それはあくまで、自分のやるべきことに徹していて、それだからこそ、かつて他人の範疇だった関心の輪の範囲まで、影響を拡大することができる。

まさしく先輩が休憩所を綺麗にする後ろ姿を見せ続け、他人から数歩引いて冷静に言葉をかけ続けた結果、若者が変わったように。

私は願いを諦めることで、影響の輪を拡げる事も手放していたのではないかしら?

他人には結果を期待しない。

だけど、関わりを諦めない。

他人の可能性を、諦めない。

それは、私が出来ることが拡がる可能性を信じる事と同じだから。

他人にもあるかもしれない、私の中にあると信じたい、可能性。

「希望」を諦めない行いは、他人に「希望」を見せる。

素晴らしい、美しい何かを、他人の世界にもたらす。

だから、他人が自然に変わりたいと思うようになる。

いつの日か。

そう信じる、美しさ。

信じる美しさの共有を、諦めないでいたい。

自分ができること以外のことばかり気になってしまったら。

スヌーピーがいいことを言っています。

ルーシー「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。)

スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)

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