【依存症】アルコール依存症:どん底のときの日記を振り返ってみた

こんにちは、 ちあき です。

私は断酒を始めてから、日記がてらamebloにブログを書いて更新していました。

amebloは便利なもので、「1年前の今日」とか「2年前の今日」とかいう記事を振り返り投稿できるように案内してくれます。

先日、ちょうど3回目のスリップを経験した日のブログが案内されて内容を読んでいて当時のことを思い出したので、少し振り返ってみようと思います。

生きている価値がないと思っていた

当時、こんなことを書いていました。

アルコール依存性です。

妻から、次やったら離婚だからね、と言われていたのに、
また隠れて飲みました。
匂いですぐにバレました。

もう、情けなくて消えてなくなりたい。
早く終わりにしたい。
あと何十年も、こんな自分で生きて行かなくてはいけない。

どうしても、飲んだ時の酩酊状態に勝る、趣味や息抜きが見つけられない。
最終的に飲酒を望む、この頭はもう病気なのだ。
昨日、死ぬほど恥ずかしいけど、もう自分では無理だと悟った。
妻にも、病気だから病院にいこう、と言われた。

本当にそうだ。

妻に幸せになってほしいのに、全く逆に苦しめるだけの自分など、消えたほうがいいと思う反面、結婚までしてくれた、一度はまた信じてくれた妻がいる限り、絶対諦めてはいけない、と踏ん張る自分がいる。

人が嫌いで、自分がもっと嫌いで、心踊ることは一つもなくて、
毎日悪夢で手足が動くのを薬で押さえつけて。
信じてくれた人を裏切ってまで隠れて飲んで。
私とは一体なんなんだろう。
何回、間違えば気がすむのだろう。
どれだけ、愚かなことを続けるのだろう。

生きて行かなくてはいけないのに、
生きているのは、こんなにも情けなくて恥ずかしくて辛い。
周りにはもっと不遇でも人生を前向きに生きている人がたくさんいるのに、
わたしは弱くて狡くて、こんなにも下らない。

陽が当たらないところで、一生謝りながら生きていくなんて嫌だ。
でも何回も間違える。負ける。

俺は、生きていたいはずだ。
反面、義務さえ果たして終わらせてしまいたいとも思っている。

生きているのって、何がたのしいのだろう。

2017年04月24日(月) 10時25分00秒

https://ameblo.jp/bee0669/entry-12268462003.html

暗い!!

超絶暗い!

絶望しか感じさせないこの文章。

当時、「生きていたいかどうか」すら、わからない状態でした。

「私は生きている価値がないのではないか?」

「こんなに苦しみながら生きることに意味はあるのか?」

自己肯定感は欠片もなく、とにかく生きているのが苦しくて辛くてもうやめたい、

というのが率直な気持ちだったと思います。

三森みさ先生の「だらしない夫じゃなくて依存症でした」でも描写がありましたが、

シラフの世界がすごくしんどくて

なのにもうお酒なしで生きることを考えると

ずっと消えたかったな

という依存症者本人のショウちゃんと同じ心境でした。

違いは「独り」か「独りじゃない」か

スリップする前の記事に、こんなことを書いています。

生きてさえいれば、まだ感じることができる。

死んでしまってはおしまいだけど、
生きてさえいれば、喜びも悲しみも味わうことができる。
自分自身を生きることに躊躇している暇はない。
誰かに気を使って我慢しながら生きられるほど、人の一生に余裕はない。

生まれてきたことに意味はないかもしれない。
生まれたからには生きる権利と責任はある。
産んでくれた人に恩を返す責任ではない。
自分自身に向き合って正直に生き切る権利と責任が、
私たち一人ひとりにある。

だから、他人がどうであれ、
自分自身を裏切って誤魔化しながら生きるな。
生きるからには、言い訳しながら周りばかり伺うな。
私が、あなたが、主人公であり、
自分自身だけが、
一番自分自身を大切にしてやれる存在だということを忘れるな。

誰かのために生きるな。
誰かに、せっかくもらったたった一つの命を預けるな。
生きる権利を大切に。
同じように生きる他人を尊重し、
自分自身の人生を一歩も譲らない。

それでいい。
そうでなくては、生きているとは言えない。
周りに『生きている振り』をしているだけだ。

自分に負けるな。
他人を気にするな。
自分の声を無視しないであげてほしい。

2017年04月21日(金) 23時42分00秒

https://ameblo.jp/bee0669/entry-12267787324.html

こう考えていることは間違いではなかったし、

このように悩みを言語化して書いているということは、

生きたい、生きよう、としていたのでしょう。

でも、足りなかった。

「独りでは無力なんだ」という認識が足りなかった。

「独りでなんとかしなければ」と思っていたのです。

私は社会人なんだから・成人しているいい大人なんだから、

他人に頼ってはいけない、と思っていたのが間違いでした。

『義務感』で「ちゃんと正しく生きなくては」と思っていました。

人は、そんなに正しくないし、強くない。

独りでできる事など、限られているのです。

だから、断酒会に初めて参加したときのことを、こんな風に書いています。

アルコール依存症の院内例会(断酒会)に参加した。

私がたくさんいた。いてくれた。
同じ惨めさや苦しみを味わったことのある、
理解者たちがそこはたくさんいた。

理由は様々だし、入院したり警察沙汰になったり、
プライバシーなので詳しくはかけないが、
私より凄まじい体験をしていながら、
20年以上断酒を続けている先輩方がそこにはたくさんいた。

あぁ、よかった。

私はアルコール依存症になってよかった。

苦しんで死ぬか生きるか悩んでよかった。

どうしようもない苦しみを味わったから、
ありのままの自分を認めることができた。

自分を許せたから、本当に他人を信じることができるようになった。

俺だけじゃなかった。

2017年05月18日(木) 21時31分00秒

https://ameblo.jp/bee0669/entry-12275871595.html

まだここからいろいろ思い悩むんですが、「ここで救われたなー」と今振り返ると思います。

「俺だけじゃなかった」

っていう一言にすべてが集約されていて、

この感覚を今まで感じることができなかったから、

拭い去れない孤独感を感じて、

それがきっかけでお酒に頼ることになった。

ASDで理解されなくて孤立して「あいつはおかしい」とクスクス後ろ指を指されて

他人を頼らず信用せず生きてきたひとつの結果が、アルコール依存症だった。

でも、その病気のおかげで、一番欠けていた「心の穴」に気づけた。

だから、私はアルコール依存症になってよかった、と書いたんだと思います。

誰でもない、自分自身が、自分を許していないから、

自分のまま自分がやりたいように生きていくのが怖かった。

「正しさ」という『許可証』が必要だと思い込んでいたのでした。

だから他人が自由に生きているのも許せなかったし、

正しくないことに対して尋常でない怒りを抱いていました。

そういう束縛から解き放たれる最も最初のきっかけが、

「断酒会」という自助グループへの参加であり、

同じ悩みを持つ仲間との交流でした。

だから、今悩んでいる人に伝えたいことは。

「独りで悩まないでいい。私たちを信じて、一度相談してみてください。」ということ。

ダメ元でもいい、悩んでいるなら、相談してみる価値はあると思います。

全国の精神保健福祉センター一覧(厚生労働省HP)

あなたは、本当はひとりじゃない。

その寂しさを分かってくれる人が、すぐ近くに、きっといます。

私が、そうだったように。


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