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【発達障害】やたらと尊大な態度の人が周りにいて悩まされていませんか?(ASDにおける自己愛性パーソナリティ障害対策)

こんにちは、 ちあき です。

春が近づいてきました。

人事異動の季節ですね。

私の務めている製薬会社では春と秋に人事異動があります。

だいたい内資はそんな感じなんですよね。

さて、私があまり好きではない、というか心のなかで見下していた男性MRのHさんが異動になり、同じチームではなくなったので、ちょっとウキウキしています。

今日はASDの天敵である「自己愛性パーソナリティ障害」持ちの傾向と対策についてまとめていきたいと思います。

 

とにかく自分が一番でないと気が済まない「自己愛性パーソナリティ障害」

自己愛性パーソナリティ障害の大まかな特徴…周囲の人々を軽視し、周囲の注目と賞賛を求め、傲慢・尊大な態度を見せることが特徴です。

アメリカ精神医学会の診断と統計マニュアル「DSM-5」によると、自己愛性パーソナリティ障害の特徴は、「自分は特別で重要な存在である」と誇大な感覚を持っていることです。常に自分の能力を過大評価し、しばしば自慢げに見栄を張っているように見えます。自分は褒められて当然であると思い込んでおり、賛美が得られない時は驚くかもしれません。自分の成功や権力、美しさ、理想的な愛などについての空想にふけっていることもあります。

自己愛性パーソナリティ障害の人達は、自分を理解できるのは特別な人か地位が高い人だと思っていますし、そうした人達と関係があって当然だと思っていることがあります。一方で、他人の努力や貢献は過小評価します。相手の気持ちに共感できないため、しばしば人間関係上の困難を抱えます。

この障害のある人は心が傷つきやすく、抑うつ傾向があります。表には出さないかもしれませんが、批判された言葉が脳裡を離れず、恥をかいた、うつろで空しいなどと感じ続けるかもしれません。

診断基準…DSM-5

誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。

  1. 自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
  2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
  3. 自分が“特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係すべきだ、と信じている。
  4. 過剰な賛美を求める。
  5. 特権階級(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)。
  6. 対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。
  7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
  8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
  9. 尊大で傲慢な行動、または態度。

DSM-IV(1994年に出版されたDSM)の定義に基づく自己愛性パーソナリティ障害の有病率は、調査を実施した地域で0~6.2%の間と見積もられています。また、この障害と診断される人のうち、50~75%が男性です。

そして、自己愛性パーソナリティ障害の人は、障害を指摘されても、絶対に認めようとしないし自覚がない、というのが最大の特徴です。

そこはアルコール依存症にそっくりです。

 

※参考文献

『ICD-10 精神および行動の障害 臨床記述と診断ガイドライン(新訂版)』(医学書院)

『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』(医学書院)

『カプラン 臨床精神医学テキスト』(メディカルサイエンスインターナショナル)

 

実際にいたのはこんなやつ

職場を離れるHさんですが、まさにこの自己愛性パーソナリティ障害の典型的なタイプでした。

・自分は優秀だ、デキる男だ、と自慢する

・その自慢を聞き流している人に異常に嫉妬して認めさせようと躍起になる

・他人の成功を喜べないか、過小評価して影口を言う

・自分の権力を誇示して、従わせようとする

・ただヤりたいという自らの欲望を満たすためだけに女性に近寄る

・他の女とヤっても怒らないから、という理由で妻を選ぶ

・深夜に帰宅しておいて妻を叩き起こして性交渉をせまる

・得意先に共感しているようで気持ちがわかっていない言動が目立ち、大して認められていない

こんな感じで、大したことないくせに実にめんどくさいやつでした。

しかもこのHは、自分の自尊心を保つために、定期的にあまり物言わぬ温厚な人をターゲットにしては対象を軽んじたり罵ったりしていたので、側から見て「うわー…」とドン引きしていました。

 

なぜこんな事になってしまったのか?

一般にこれらの性質は、強力な劣等感および決して愛されないという感覚に対する防衛によるものと考えられています。

Hの幼少期の話を聞いてみると、親に認めてもらえなかった、という強烈なコンプレックスを抱えていました。

「医者か弁護士になれ」と言われて勉強漬け。クラスで一番でも、偏差値が全国トップクラスじゃないからダメ、薬学部に入ってもダメ、と、本人は親の期待をかけられるプレッシャーのなかで勉強を諦めない強靭な精神力があると自慢したかったようですが、その経験から人格が歪んでいったようです。

その辛い過去に目を背けるため、防衛本能で他人を軽く見て自分を褒めてもらわないと安心できない人間になってしまったと考えると、少し同情できます。1mmくらい。

 

ASDは真面目に取り合ってしまうのでターゲットにされやすい

ASD(自閉症スペクトラム)は、人とのコミュニケーションがうまく取れないので、他人にバカにされやすく、自己愛性パーソナリティ障害にとっては公然とバカにしても周囲から共感が得られるので、格好の餌食となります。

また、みんな実は聞きたくない自慢話をASDは真面目に取り合って話し相手になってしまうので、自慢話を延々と聞かされる羽目になります。

しかし、ASDは基本的に論理的なので、しばらく聞かされていると自慢話の矛盾に気づき、つい指摘してしまいます。

そうすると、自己愛性パーソナリティ障害は、自分より下の人間に馬鹿にされた、と怒り狂い、マウンティングしてこようとアレコレ指図し始めます。

ASDは論理的に間違っていたら従わないので、完全に対立の構図が出来上がってしまいます。

このように、相性最悪な組み合わせです。

 

ではどう対処すればいいのか?

「関わらない」

それだけです。

というか、もうそれしかありません。

それっぽい人がいたら、必要以上に話さないようにしましょう。

向こうは深く付き合えばいずれ敵になる存在だと認識して、必要以上に関わらず放置しておきましょう。

たまに「すごいね」とか「よかったね」とか言って遠巻きに見ておくのが一番です。

彼らは自分の承認欲求を満たすために他人を利用する寂しい人間とは別の生き物なのだと、理解しましょう。

「あちゃー、もうすでにターゲットだよ」

そんな人は、「この人たちに言われる事に意味はなく、彼ら自身のただのオナニーだから、聞かなくていい内容だ」と脳にプログラミングしましょう。

そして周囲は実はあなたと同じように「コイツめんどくさいからとりあえず同意しとこ」くらいの気持ちしかないので、あなたをみんなで悪く言っているような印象を持つかもしれませんが、それが自分の勘違いだと認識しておきましょう。

そうすれば、特に何か言われたりやられたりしても、「コイツは過去のトラウマで寂しいからこんな不毛なことしかできないんだな」と憐れむくらいしか、感情は湧いてこなくなります。

そして、相手が堪りかねて法に触れるような事をしてきたら、警察沙汰にして追放しましょう。

その前により簡単に欲求を満たせるターゲットを見つけたら、そちらに変更して去っていくこともあります。

これで対策は完璧です。

 

まとめ

彼らは、実に可哀想な存在です。

アダルトチルドレン に近いような満たされなかった幼少期のトラウマを抱え、それを自覚できずに満たされない承認欲求を抱えて必死で「だから私を見て」と言っているだけなのです。

エヴァの惣流・アスカ・ラングレーを彷彿とさせます。

こんな可愛い女の子だったらツンデレ的な立ち位置で、いいんですけどね。

ムカついたらアスカ思い浮かべて心のなかでヨシヨシしてあげましょう!

では、また!

【社会福祉士】戦後~現代社会における社会福祉の位置づけの変化をまとめてみた

日本における戦後社会と現代社会における社会福祉の位置づけは、時代の変遷の過程で、例えるなら「セーフティネット」から「トランポリン」に役割を変容してきた。

 

戦後社会における社会福祉

戦後社会において、被援助国として援助を受けつつGHQの福祉改革による旧生活保護法に始まり、日本国憲法が公布・施行されて、特に幸福追求権や生存権を規定した第13条・第25条がしめす民主主義的な機運が本格化され、社会福祉の出発点となった。

戦後社会の制度は、「措置制度」として徐々に拡充されていく。

生活保護法・児童福祉法・身体障害者福祉法の福祉三法が成立した。社会福祉事業全分野の共通事項の規定のため、社会福祉事業法(現・社会福祉法)が成立した。その後、精神薄弱者福祉法・老人福祉法・母子福祉法の立法により、前三法と合わせて福祉六法体制が確立した。

国家としての責任は、日本国内において「日本型福祉社会」を確立することであった。

それはつまり、「個人の自助努力」と「家族や近隣・地域社会等の連携」を基礎に、「効率の良い政府が適正な公的福祉を重点的に保障」することで「わが国独自の道」を目指すことであった。

まだ国際化が進んでいない戦後社会において、復興のために汗を流す製造業の工業労働者の都市生活や農民の生活を送る国民たちは、伝統的家族制度と近代的家族制度に根ざした家族による家族介護等のケアを頼りに、家族・近隣・地域社会との協力関係の下、基本的には社会福祉を当てにせず自助努力で生活するよう促す、形成途上の福祉国家として歩みを進めてきた。国としては、個人の自由を抑制しながら国民生活全般の支援を国家自らの任務ととらえていた。

それゆえに、公的福祉の位置づけが「選別主義」的であったことは否めない。実際に展開される公的部門の支援は限定的なものであり、自立できない者への対応は厳しいもので、道徳的に低位なものに対する差別が存在した。

まとめると、戦後社会の社会福祉の姿は、措置制度に象徴される行政主導のパターナリスティックな福祉供給システムであり、供給されるサービスは施設収容を中心とした非民主的で非対称的な処遇によって特徴付けられる「旧構造」であり、実質自立できない者への「セーフティネット」だったのである。

 

現代社会における社会福祉

そのような戦後社会から現代社会に時代が流れ、グローバル化と少子高齢化が進み、今まで当てにしてきた家族制度は崩壊し、終身雇用制度も終焉を迎え、旧態依然とした地域社会システムを前提としてきた社会福祉は再構築する必要に迫られた。

つまり、国民の産業が第一次産業から第三次産業(サービス業や知識産業)にシフトし、生活スタイルも「個別化」が進んだ現代において、個人を低としつつ社会的連帯によって成立する社会保障の役割が重要になっていったのだ。

そのような時代背景に呼応する形で制度も拡充・見直しが進められてきた。

1973年は福祉元年と称され、低水準の社会保障から脱却し西欧の社会福祉に近づこうと試行錯誤を開始した年である。特に、戦後差別され隔離されてきた社会福祉の対象者に愛して、1980年代からノーマライゼーションが認知され、今日の社会福祉全般にわたる理念として定着している。

その発展形態である「社会的包摂」は、多様な異質性をそのままに社会に包摂する、という、移民や少数民族のみならず、貧困者・障害者・高齢者・女性・非正規雇用者などのマイノリティに向けられた社会的な関係性からの排除=社会的排除と理解する重要な基本理念である。その基本理念のもと、老人保健法の改正による医療コストの見直し・福祉関係八法の改正を経て、介護保険法が施行された。

そして、今日の社会システムとしての社会福祉の制度的基盤、到達点である2000年の社会福祉法制度が確立した。貧困者にはホームレス自立支援法が制定され、障害者には障害者雇用促進法の改正が行われ、高齢者には高齢者雇用安定法が制定され、女性の社会進出の支援や非正規雇用者の待遇是正など、企業の取り組みも活発化している。多くの福祉分野において就労支援を含む自立支援政策が導入されていった。

 

セーフティネットではなく、自立支援(トランポリン)へ

戦後の「措置制度」「セーフティネット」としての社会福祉とは対照的に、現代の社会福祉の理念は「自立支援」であり、「トランポリン」である。多様な異質性をそのまま受け容れ、ダイバーシティ&インクルージョンを前提とし、自立と連帯のなか誰もが尊厳を持って国民が主体的に福祉サービスを受給して暮らせる社会を共に作り上げることが、現代のおける国家の責任であり国民の役割でもある。

【社会福祉士】発達障害(ASD)のクライエントに対する支援

発達障害には、自閉症スペクトラム、ADHDなど、さまざまなものがある。

今回は、大人の自閉症スペクトラムの発達障害を持つクライエントをサポートするケースでそのような点に気をつける必要があるか、についてまとめる。

 

自閉症スペクトラム(ASD)とは?

自閉症スペクトラムとは、精神障害の診断と統計マニュアル第5版(DSM-5)における精神発達症群における診断名のひとつで、しばしば医療関係者の間ではASDと略される。この第5版において、今まで別の疾患として扱われていたアスペルガー症候群・自閉症・その他広汎性発達障害を包括的に総称して扱う単語として、ASDは再定義された。

ASDの診断基準は「社会的コミュニケーションの障害」と「限定された興味」の2つを満たすとDSM-5では定められている。

症状としては生後2年以内に明らかになる場合が一般的である。子供のころに鑑別できなかった場合には、成人してから社会に出て就職した際に周囲とのコミュニケーションが図れず孤立してしまい、職を転々とする、または失業することがある。

特定の事柄や物事の進め方の順序に固執する性質が災いして職務を遂行できず評価されない状態が続いた結果、精神疾患を合併症として発症し、精神科や心療内科に繋がって初めて診断が下されるケースもある。

いずれにしても、集団や組織のなかでの人間関係に難があり、本人は生き辛さを感じ社会生活に悩みを抱えているケースが多い。

 

ASDのクライエントへのアプローチの方法

ASDのクライエントに対して、我々ソーシャルワーカーは発達障害者支援法に基づいて支援を検討することができる。

支援を行う場合、発達障害の場合は特に、大きく分けて医療・教育・福祉、労働の多職種連携が必要になる事例が多い。

発達障害者支援センターが都道府県・指定都市において運営されていて、発達障害児・障害者の地域における支援のために、関係施設職員や学校の教職員、福祉事務所、児童相談所、更正相談所、保健所、医療機関、学校、職業安定所等の関係機関との連絡調整業務を実施している。

発達障害者支援法にはないが、関連性のある支援制度が「発達障害情報・支援センター」のホームページに掲載されており、本人やご家族だけでなく、支援に関わる関係者の知識を補完する役割を果たしている。

 

精神障害者保健福祉手帳を取得するメリット

関連性のある支援制度の活用における具体的な支援行動のひとつとして、精神障害者保健福祉手帳の取得支援がある。

精神障害者保健福祉手帳は精神障害者が一定の精神障害の状態であることを証する手段となり、各方面の協力を得て各種支援策を講じやすくすることにより、精神障害者の自立と社会参加の促進を図ることを目的としている。

「障害者手帳を取得すると差別や偏見があるかも知れない」と心配されるクライエントには、障害者手帳を取得したからといって必ず周囲にオープンにする必要もないため、周囲に知られなくない場合は知られないようにすることもできると、障害者手帳のメリット・デメリットを正しく伝える必要がある。

精神障害者保健福祉手帳の申請は、市町村の窓口で行い、都道府県知事(指定都市にあってはその市長)の認定に基づいて交付される。

交付後、精神障害者に対する援助措置は下記のものがある。

① 心身障害者扶養共済

② 国税、地方税の諸控除及び減免税

③ 公営住宅の優先入居

④ NHK受信料の免除

⑤ 生活保護の障害者加算

⑥ 生活福祉資金の貸付

⑦ NTTの無料番号案内

⑧ 携帯電話使用料の割引

⑨ 公共施設の利用料割引や公共交通機関の運賃の割引 などである。

各自治体により対象者、サービス内容は異なる場合があり、福祉担当窓口に確認する必要がある。この手帳の取得により障害者雇用での就職を選択することが可能になり、働き方や通院などの配慮を受けやすくなる。

このことはASDのクライエントで「配慮があった方が働きやすい人」にとって大きなメリットがある。

なぜなら、ASDにおいては得意なことと苦手なことの差が著しいため「苦手なことでも、慣れればできるようになる」といったような一般的な考え方が通用しないケースがあるからだ。業務や環境のミスマッチは、本人自身にストレスがかかることはもちろん、周囲も対応に疲弊してしまい悪循環を招く。したがって、特に就労支援においては、障害特性による強みと、一人ひとりの得意なことと興味関心を活かすことが大切になる。

 

まとめ:ASDという素晴らしい「個性」を活かした支援がカギ

ASDのクライエントの強みと興味関心について理解し、その長所を活かすサポートを可能にするために、我々は地域連携を推進していかなければならない。

地域連携をつくるベースの活動は、個別ニーズへの対応と、支援期間の役割分担によるコラボレーションである。

すべては、個別ニーズからスタートし、人と人、機関と機関が持てる機能を出し合い、補完し合うことで生み出されるということを常に忘れず、支援に取り組まなければならない。

【メンタル】あなたの脂質異常はストレスのせいかも?

こんにちは、 ちあき です。

健康的な食生活を心がけ、週3回以上の運動を習慣化して取り組んでいるのに、なぜか脂質だけが引っかかる…。そんな経験はありませんか?

私は、血圧・血糖・尿酸の値は正常値なのに、高コレステロール血症だけが健康診断でいつも引っかかってしまいます。

スポーツジムで週3回ウエイトトレーニングと有酸素運動を合計1時間/回実施し、毎日炭水化物を摂るのは朝のみのローカーボ食を採用して食事制限をしているにもかかわらず、です。

今回は脂質異常症、特に高コレステロール血症に悩む社会人のみなさんにとっての一つの可能性を探ってみたいと思います。

そもそも、高コレステロール血症って?

高コレステロール血症とは、文字通りコレステロールが高い状態を言いますが、具体的な基準値としてLDL-C、HDL-Cの数値を用いて診断します。

「LDL-C」=いわゆる悪玉コレステロール。中性脂肪がリッチなこのコレステロール。この数値は70~139が基準値で、これより高いとよくありません。

「HDL-C」=いわゆる善玉コレステロール。中性脂肪の比率が少なく、血管内を循環する際中性脂肪を吸収して肝臓に帰っていくため、善玉と言われています。男性は40~80・女性は40~90が基準値で、これより少ないと脂質のバランスが良くない状態といえます。

ちっちゃいLDLを含めて診断できるトレンドの検査数値:Non-HDL

最近では、Non-HDL-C(HDLではないコレステロールの総量)を基準にする考え方が実臨床において一般的になりました。

Non-HDL-C=総コレステロール-HDL-C(基準値:)

メタボリックシンドロームや糖尿病など生活習慣病を合併している患者さんの場合、LDL-CのちっちゃいVerである「small dense-LDL-C」が増えて、単純にLDL-Cの数値では計測できないからです。

この「small dense-LDL-C」が怖いのは、血管壁の細かい傷にくっつき、プラークという血管内にできる油の塊になりやすいのです。このプラークが大きくなる(肥大化する)と、動脈が狭くなり、動脈硬化が進んでしまいます。プラークに免疫細胞が寄ってきて炎症が起き、ますます大きくなると、その場で血管をふさいでしまうか、突然破裂して細かい血管をふさいでしまうリスクがあります。

また、Non-HDL-Cは2つの論文でその有用性が証明されたため、循環器の専門医だけでなく非専門医にも注目されるようになりました。

①Health Professional Follow Uup study において、non-HDL-Cが高ければ高いほど、心血管イベント(心筋梗塞や狭心症など)が上昇することが示されました。

②Women’s Health Study において non-HDLコレステロールが 果たして心血管イベントを予測しうるかどうかということも重要なポイントですが、このstudyでLDLコ レステロールよりもnon-HDLコレステ ロールのほうが予測因子として重要であったということがいわれております。

こうした学術的背景と、small dence LDL-C も計測できる現代の身体状況に即した測定が可能なことから、「Non-HDL-C」は、重要です。みなさんやご家族も健康診断の結果をよく見ておいたほうがよいでしょう。

ストレスでコレステロール高値を呈した自衛隊の論文

陸上自衛隊には、レンジャーという部隊があります。隊員の中でも特別な訓練を受けた精鋭集団で、有事の際には困難なミッションを遂行する特殊部隊です。

そんなレンジャー隊員において、レンジャー訓練後に高コレステロール血症が認められるという報告があります。

17名のレンジャー隊員に対し、想定訓練前後の健康診断時に循環器検診項目の採血検査を実施した。82%(14/17)の隊員で訓練後に高コレステロール血症を認めた。 総コレステロール(TC)は,訓練前平均160±26mg/dlから訓練後平均248±37mg/dlに上昇し、その増加率は,平均55%であった。 中性脂肪、HDLコレステロール、LDLコレステロールは、全て上昇し、増加率はそれぞれ平均74%,65%,63%であった。血中コレステロール濃度を規定しているのは、肝臓におけるコレステロール代謝と皮下や内臓の脂肪組織からのコレステロール動員である。 米陸軍レンジャー訓練における報告においても、訓練後にTCは上昇し、その原因を半飢餓状態における甲状腺機能低下及びインスリン分泌の低下とインスリン抵抗性増大を伴う糖尿病様状態としている。我々は、レンジャー訓練後に認めた高TC血症を、摂食制限、不眠不休によるレンジャー訓練のストレスが、これら内分泌学的変化を惹起し、肝臓におけるコレステロール代謝及び脂肪組織からのコレステロール動員に影響を与えた結果と考察した。 (著者抄録) Hypercholesterolemia after ranger training (レンジャー訓練後に認めた高コレステロール血症について) より

レンジャー訓練は壮絶で、普通に「あー、ストレスだなぁ」ぐらいのものではなく、「このままじゃ本当に死ぬ」というくらいの重圧を昼となく夜となくかけられ続ける状態ですから、そこまで追い込まれてはじめてコレステロールに影響を及ぼす、ということでしょう。

まとめ:厳格な食事制限・運動療法をしていてもコレステロールが高い場合は、もしかしてストレスかも?と考えてみる

もしも、あなたが強いストレスを抱えている状態がずっと続いていて、脂質のみ異常値をきたしているとしたら、それはストレスホルモンの過剰生成によるものかもしれません。

食事制限・ハードなトレーニングをしているのに何故?と思い、個人的に調べてみました。しかし、基本的には主治医の診断と治療方針にしたがってくださいね。治療中なのに、自己判断で服薬をやめたり通院を止めることは絶対にしないでくださいね。

ただ、近年ではバターコーヒー に代表されるように、良質な脂質を摂ることは動脈硬化をはじめ心血管イベントに悪影響を及ぼさない、ということが示され、新常識となっています。自らの身体を知る意味でも、常に新しい情報を得ていく努力は必要ですね。

では、また!

【子育て】発達障害持ちの私が親にしてほしかったこと(自閉症スペクトラム障害:ASDの場合)

こんにちは、 ちあき です。

 

さて、私はASD(自閉症スペクトラム障害)ですが、この事実に気づいたのは32歳になってからでした。

 

私の母は、私が ASD(自閉症スペクトラム)の傾向があることを、知識がないばかりに理解できず、上手に対応できなかったのだろう、と思います。

 

それは、仕方のないことです。

 

私も自分の違和感に向き合い続けてようやく、ASD.ADHDの知識を持つことができたぐらいです。当事者でもわからなかったことを理解するのは難しいことです。

 

母を責めるつもりはありません。しかし、苦しんだのは事実でした。

 

今日は私の子供時代を振り返りながら、もしも同じようなお子さんがいらっしゃるなら、その子が「自分らしく」生きられるように見守ってあげてほしい、という願いを込めて話をつづりたいと思います。

 

私が子供心に「諦める」までの軌跡

 

母はよく怒りました。

ヒステリックに怒鳴り散らして。

 

「なんで普通のことができないの?!」

「なんで約束を守れないの?!」

「なんで嘘つくの?!」

 

私だって、普通にしたかった。約束を守りたかった。嘘をつきたくなかった。

 

したくてもできないから困っている私に、

「なんでできないか?」を問うことは、まさに愚問であり、

その問いからは沈黙しかうまれないことが想像できない母ではないはずなのですが、

 

終ぞ「どうやったらできるか一緒に考えよう」と寄り添ってくれることはありませんでした。

 

その姿勢を見ていて、幼いながらに、子供だった私も本能的に理解したのです。

 

「あぁ、この人には理解してもらえない」

「この人には何をいってもダメだ」

 

ということに。

 

 

諦めの先にある自由意志の喪失と生きにくさ

 

頭ごなしに怒鳴られ続けて、分からないできない理由を問われ続けて、やがて、子供は、意志を諦めてしまいます。

 

だから、嘘をつくしかなくなってしまいます。

自分がやることや、やりたいと思うことは、悪いことだと思うからです。

 

美味しくないものは、美味しいといいました。

欲しいものは、欲しくないといいました。

好きじゃないものを、好きだといいました。

幸せが何かわからないのに、幸せだといいました。

1ミリも楽しくないのに、楽しいといいました。

辞めたくて仕方ないのに、続けたいという。

 

自分の意志を殺して、他人の意思を最優先にするようになりました。

 

母を、この人を怒らせないために、今何をすべきか。

 

パターン化して原因を分析して、叱責を回避することと褒められる行動を当てて実行することのみを追求するようになります。

結果として、ふと気づいたら自分が何をしたいか、完全に見失ってしまいます。

 

そんな私のような人間が「大人」になれないまま「成人」になって抱くのは、世の中や他人に対する言い表しようの無い怒りと純粋な興味です。

 

「なんでみんな普通にできるんだろう」

「それ、どうやってやるんだ?」

 

普通、と表現されることが理解できないのです。

皆がなんの気なしにできていることがさっぱりできない、これはとてつもない恐怖です。

 

 

「空っぽの子供」を育てる親の特徴

 

今振り返れば、父は当初約束を守れなくてよく母に怒られたと言っていました。

仕事のスケジュールに穴を開けることもあったといいます。

しかし、書の才能を開花させ腕一本で家族を食べさせた一点突破の鬼才だった父。

典型的な高機能型 ADHD ASD の特徴です。おそらくその遺伝子を受け継いで私が生まれたのでしょう。

 

そして母は、AC(アダルトチルドレン)でした。

祖父がアルコール依存症から荒れ、祖母は長女の母に辛く当たったそうです。

親の期待に応えるために進学し、なりたくもない教師になりなさいと言われたから地方大学の教育学部に入学した母。

 

彼女は、人とうまく話せません。

友人が作れず、長続きしません。

 

自己肯定感が低いため、形にこだわる完璧主義です。

社会的ステータスや、他人の評価に執着します。

こうした承認欲求の強さからくる思考の偏りは、自分に自信がない人に顕著です。

自分で自分にOKを出せないので、他人が与えてくれる価値や評価にすがりやすいと言われています。

 

よって、母が私に求めたことは以下のことでした。

 

「良い大学を出て、良い会社に就職して、良い家柄の人と結婚して、安定した生活をしてくれ」

自分が歩きたかったレールの上を代行して歩ませる事に大いなる期待を寄せ、熱量を費やし、転ばぬ先の杖を用意し続け、自発性や個性を重視して傾聴することなど一切せずに私を調教することが、彼女の唯一の生き甲斐になってしまったのです。

 

彼女自身の人生をほったらかしにして。

 

そんな彼女がもし正しい発達障害の知識を得ていたとしても、自分の宝物である我が子(私)が「発達障害」という「欠陥品」だと勘違いして、普通のレールから外れる恐怖に勝てず決して認めようとはしなかったでしょうから、やはり、この承認欲求に囚われている限り彼女の生き方は変わらなかった可能性が高いと言わざるを得ません。

 

発達障害は、欠陥ではなく、個性である、という見地に立つには、フィルターが多すぎるので、残念ながら期待できなかったでしょう。

 

そんな親でも子供は信じてついていく

 

私はといえば、必死でした。

 

親は、子にとってある意味世界そのものですから、当時は「親にまで嫌われたら私の存在は世界の中で一番完全に無価値なものになる」と恐怖していました。

 

だから全力でその期待に応えようとしました。生きるために。

 

結果はこのとおり、強迫性障害と不安障害を抱え、アルコール依存症になった立派なAC(アダルトチルドレン)に成長したわけです。笑

 

機能不全家族のゴールデンスタンダードを見事に体現した我が一家は、家族内にしか信頼を見出せない共依存にドップリとハマっていました。

他の家族の在りようとは、どんどん離れていって孤立しました。

それがさらに多様な価値観との交流を妨げ、コミュニケーション能力を欠落させる原因になったと思われます。

 

 

私が親になるにあたって思うことと切なる願い

 

そんな私も来月に長女が生まれ、親になります。

 

私は、この呪われた負の連鎖を私の代で、断ち切りたい。

願わくば、当時の私のような子らの不可解に今まさに直面している保護者が、ADHD ASD などの発達障害の正確な知識を持ち、人と違ったり理解に苦しむ行動をしたりする我が子を、ありのまま信じてあげてほしいです。

 

「なんでできないの⁈」系の答えられない質問 や

「そんな悪い子は知らない」系の存在否定 で

頭ごなしに子供の気持ちを叩き伏せる前によく耳を澄まし、

本心を話しているうちに、その声に耳を傾けてあげてほしいと思います。

 

親も人間だから、完璧じゃ無い、ミスもします。

それは仕方のないことだと思います。

同じように、子供達には、人生の選択権があり、ミスの練習をする権利があります。

彼ら彼女らが、自分の人生や気持ちに向き合い決定する権利を唯一有しているのです。

 

親は、水槽の金魚を見守るが如く、ただ、見守ることが、できる唯一のこと。

彼らの生き方をコントロールすることなどできないのです。

 

私も妻も自分がしてほしくなかったことを、我が子には絶対にしないように、お互い失敗を繰り返しながらも、子供と一緒に「自分らしく」楽しく生きていきたいと願っています。

では、また!

【社会福祉士】ソーシャルワーカーに学ぶ人間関係の考え方

社会福祉士の国家試験に向けて専門学校で勉強中です。

通信制の専門学校に入学し、土日にスクーリングを受けたりレポート提出したりしています。 個人情報保護の観点から書けないことのほうが多いのですが、勉強になったことで一般化できそうなことは書いていきたいな、と思っています。

ソーシャルワーカーって、何するひと?

ソーシャルワークとは、グローバル定義において以下のように定義されています。

ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエン パワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。 社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャ ルワークの中核をなす。 ソーシャルワークの理論、社会科学、人文学および地域・民族固有の知を 基盤として、ソーシャルワークは、生活課題に取り組みウェルビーイングを高め るよう、人々やさまざまな構造に働きかける。 この定義は、各国および世界の各地域で展開してもよい。 日本ソーシャルワーカー連盟(JFSW)公式WEBサイト より

つまり、ソーシャルワーカーとは、社会において様々な状況に置かれている人々が、本来持っている強み(ストレングス)を自覚し、必要なサポートなどを活用して、「自立して生きる」ことをサポートする人を指します。

例えば、ケースワーカー・生活相談員・児童相談員・成年後見人などの職業があてはまります。少し前にドラマで放映された「健康で文化的な最低限度の生活」で主人公たちがやっていた仕事といえば、わかりやすいかもしれません。先生方によれば、あれはとても分かりやすく教材にしたいくらい出来がいいドラマだそうです。ソーシャルワーカーを目指す人は全部見たほうがいい、と大変高評価でした。

どんな人にも偏見なく、という難しさ

非常に難しいのは、「偏見を持つことなく、その人そのままを見て話をして、本人の『自己決定』を支援する」というところです。

現在南青山に建設予定の児童相談所を含む複合児童施設を巡って港区と区民の間で対立が起こっていることが、ニュースになっていますね。なかなか理解は得られにくいのが世の常だと思いますが、とても胸が痛みますね。

生活保護を受けている人、障害をもっている人、DVやネグレクトを受けて保護された児童などに対して、どうしても接したことのない人は、想像で先入観を持ってしまいます。それは、ある種しかたのないことです。経験しなくては、人は想像することができないからです。

その結果、先入観や偏った価値観だけでイメージを作り上げてしまい、その人そのものを知らないまま、差別意識を持ってしまうという悲しいことが起こります。

「青山のブランドイメージが落ちる」と主張する人々の潜在意識には何があるかといえば、「我々はハイレベルな生活を手に入れた成功者である」という自尊心と、「児童相談所や社会福祉の補助を受けるような人は社会的地位が下で私たちとは違う存在である」という差別意識なのではないか、私には感じられてしまいます。また良くないことに、今回の反対運動を煽るように仕向けた不動産業者も、実は影に存在します。複合施設が建つ場所で商売をしようとしていた不動産業者です。

背景や金銭的思惑はあれども、本当にハイレベルな人々であれば、高い倫理観と社会的知識を持っているので、こうした困難に立ち向かっている人々も自分たちも「みな同じ」であること、一歩違えば逆の立場になる可能性について認識するのは、そう難しくないでしょう。

そのような人々からは、「青山のブランドイメージが落ちる」とか「物価の高さや華やかな生活に馴染めないのではないか」などという見当違いな反対意見は生まれないのではないでしょうか。

ましてや、同じ港区内で起きている児童虐待問題に対処するために企画されているのです。平成27年度の港区における児童虐待件数は478件で平成24年度の3倍です。新規受理件数は926件と過去最多。重篤化も進んでいるため、今回の施設建設が検討され始めたことすら、頭にないのかもしれません。

しかし、正論は言うに易く、行うは難し。現実にはとても難しいことです。誰しも今までの人生で培った経験や文化を背景にして「色眼鏡」をかけているものです。その「色眼鏡」は、かけていることすら気づくことが難しいからこそ、自分の判断や価値観が常に偏りがないか意識し続けなくてはいけません。

ソーシャルワーカーは、南青山の本来知識レベルや品行方正か素晴らしいはずの人々ですら獲得しえなかった「どんな人にも偏見なく公正で平等な視座」を獲得していることがプロとして前提条件となります。

「偏見」には「自分」が隠れている

ソーシャルワーカーは、「汚いな」「醜いな」「嫌いだな」「しんどいな」というマイナスの感情を感じたとき、その感情を否定せず、まずは素直に受け止めます。

そのあと、なぜ、自分はそういう受け止め方をしたのか?を考えます。

たとえば、私はアルコール依存症になる前、依存症患者に対して「だらしない人の病気」「自制心の無さからくる病気で自業自得」「もう依存症になったら人生の終わり」などとマイナスなイメージを持っていました。

なぜ、そういう受け止め方をしたのか?それは、『他人にそう思われたくない』という私の願望が背景にありました。

だらしない、自制心がない、何かに依存する弱い人間。

そんな風に思われたくない、という私自身の願望が、依存症患者を通して顕れていたのです。

実際、アルコール依存症は「真面目なひとがなる病気」で「アルコールは自制心とは関係なく飲まずにはいられなくさせる物質」であり、「依存症になったとしても人生が終わるわけではない」のです。治療に繋がり専門家から学んだ事実は、私が色眼鏡で見ていた患者像とは正反対の姿でした。

まとめ:人間関係のカギは、素直さにある

「あの人嫌いだな」「なんだかあの人疲れるな」

それはそれとして事実なので、まずは素直に受け止めましょう。注意してほしいのは、無理に仲良くしようとする必要はないし、合わない人はいても当然だということです。

誰にも嫌われない、みんなに好かれる、などということは不可能です。あなたは、あなたらしく生きる権利があり、あなたがあなたらしく生きていれば、人と違った価値観をもつことを恐れる必要はありません。

もし、あなたが「いろいろな人の価値観を認めて人間関係を広げてみたいな」と自ら願って行動するときは、なぜ嫌いだと思うのか?なぜあの人といると疲れるのか?を素直に考えてみましょう。

その背景には、あなたが「こう思われたい」とか「こう思われたくない」とか「こうあるべき」という、今までの人生や経験で培われた価値観や偏りが見つかるはずです。それ自体がいいわけでも悪いわけでもなく、「ああ、自分はそう思っているんだな」と思うことが重要です。

自分の偏りを傍らにおいて、改めて苦手意識のある人を見てみると、また違った見え方をしてくることが体験できると思います。

私もまだまだ学んでいる途中ですが、私が人生の課題だと感じている「人間関係」の考え方に一石を投じる考え方だと思ったので、記事にしてみました。

では、また!

【出産】転勤族の永遠の悩み「里不帰出産」vs「里帰り出産」のメリット・デメリットまとめ

こんにちは、 ちあき です。

転勤族は自宅から遠く離れて勤務している人が大半です。 そこで必ず問題になるのが、「出産をどこでするか?」です。

正直、結論から申し上げれば、どちらがいい、ということは言えません。

最も重要視すべきことは、妻がどちらが安心してお産に臨めるか、という一点だけです。あとはすべてオプションです。

人生において選択は、「損得」ではなく「納得」です。どちらの道にも、良い面と悪い面が半分ずつあり、いばらの道であることには変わりなく、どちらの道なら苦しみに「納得」できるか、という2択であると言っても過言ではないでしょう。

では、私たちが最終的に「里不帰(さとがえらず)出産」と「里帰り(さとがえり)出産」をどういった点で吟味して最終的に決定し、結果どうだったか、を振り返ってみましょう。

夫婦の譲れない条件を話し合う

まずは、妻と、よく話し合います。どんな出産をしたいか、は「夫婦で」決めましょう。私たちの譲れない条件は、下記の通りでした。

  • 安心して出産できる産院がある場所で産みたい
  • 立会い出産したい・してほしい
  • アルコール依存症の夫(私)が再飲酒しにくい状況にしたい
  • 産前産後の大変な時期に妻を姑にできるだけ近づかせたくない
  • ひとりでは心配で洗濯や炊事などを任せられるサポートを受けたい

この5つを満たす状況をつくるために、最終的には「里不帰出産」を選びました。

妻の実家付近は冬は積雪がひどく、すぐに産院に移動できない可能性がありました。また、充分なスタッフと設備を兼ね備えており安心して出産できる病院が県立中央病院くらいで、飛行機で国内乗り継ぎしなくては私も駆け付けられない距離であり、1番目・2番目の条件に里帰り出産が適合しませんでした。

また、私は以前妻が実家に帰省したタイミングでスリップ(再飲酒)した前科があり、安心して里帰り出産できない、という妻の私に対する不信・心配もありました。

4番目・5番目を満たすためには、産前産後にサポートを頼むとすれば選択肢はひとつ、「義母の旅費を負担して私たちの自宅にお越しいただく」でした。

このように選択すれば、両者にとって納得感のある決定ができます。無論、私にとっては1ヶ月以上他人である義母が家にいるわけですから、強いストレスがかかる状況ではありますが、妻にとって最もConfortableであることが最優先なので、今振り返ってもこれで最適解でした。

「里不帰出産」のメリット・デメリット

メリット

  • 夫がほぼ確実に出産に立ち会える
  • 妻が心細いとき、夫がいつもそばで支えられる
  • 夫が新生児の我が子のケアに関われる
  • 出産という命を懸けた一大イベントを夫婦で乗り越えることで、夫婦間の絆が深まり、夫は父親になったという実感を持ちやすい
  • 義母がきてくれれば、生活もろもろのサポートをしてくれるので、家事の負担が激減し、妻は産前産後リラックスすべきときにリラックスできる。
  • 出生届や行政での手続きなど夫に依頼すればタイムリーに実施できる。
  • 夫がおむつ替え、沐浴、ミルクを作る、着替え、あやす、など一通りの技術を一緒のタイミングで学び習得できるので、その後夫に子供を任せて外出するなど産後比較的フレキシブルな対応が可能になる。

デメリット

  • お金がかかる。(帰れないほどの距離の旅費を往復分負担するのは結構痛手)
  • 生活リズムが乱れる。
  • 夫の仕事のパフォーマンスを下げ、支障をきたす。
  • 産後クライシスに陥る可能性がある。(妻はホルモンバランスの変化により感情的かつうつ傾向になりやすく、夫も育児参加をしていればいるほど負荷がかかりストレスをため込みやすくなるため)
  • 出産後、新生児の世話について、四半世紀前の知識で義母から口を出される。往々にして祖父母というものは自分の子供の教育と異なり、より過保護で神経質になりやすい。
  • 手伝いにきた人に対して、孫可愛さにだっこしたがる割には下の世話など汚れ仕事はせず、その都合のよさにイライラする可能性あり。
  • 長期間になると夫の精神が崩壊する可能性がある。(義母を含む他人との共同生活に強い耐性が有れば、あまり問題なし)
  • 夫がアルコール依存症の場合、義母が飲酒者だと地獄(これはかなり特殊)

旦那さんのデメリットが目立ちますが、覚悟するしかありません。私は覚悟してお呼びしたし義母のことはそれまでそんなに嫌いではなくむしろ好きなほうでしたが、今回の出産を機に死ぬほど大嫌いになりました。

一緒に生活をともにすれば、今まで見えていなかった部分が見えてきます。口を開けて食べるクチャラーだということとか、何度お願いしてもすぐ忘れるアホだということとか、「私はこういう性格だから慣れてください」と言ってしまうマイペース&気遣いができない図々しい性格だということとか。それらもろもろのストレスが積み重なると、本来お互いに喜ばしいはずの出産というイベントを経て関係が変化してしまう可能性があります。奥様は、万が一、私のように夫と自分の母親の関係が著しく悪化する可能性があることを、覚悟する必要があるかと思います。

「里帰り出産」のメリット・デメリット

メリット

  • 妻は自分の実家なので、勝手知ったる我が家であり、精神的に楽。
  • 妻は食事や洗濯などの家事を任せておけるので、肉体的にも楽。
  • 夫はいつも通り仕事ができる。(睡眠時間の確保・精神的負荷の軽減)
  • 第2子の場合、2番目の子の面倒も見てもらえることがある。
  • 産後のメンタルの不調により泣いて当たったりしても親なら多少大丈夫。

デメリット

  • 夫に家事を仕込んでから出発しないと帰ってみたら家がゴミ屋敷になっていることがある。
  • 飛行機に乗れるのは最低でも生後1ヶ月健診が終わってからなので、通算約3ヶ月近く夫と離れ離れになり、その間コミュニケーションがとりづらくなる。
  • 妻が里帰り先に移動する際、往路は身重で、復路は幼子を連れて、長時間の移動が必要になるので、大変。
  • 初産の場合、出産の大変さや新生児の夜泣きを経験できないため、父としての実感がわかない・実感を感じるのが遅くなる。
  • 夫がおむつ替えや沐浴などのやり方を全く知らないので、役に立たない。一から教えてもうまくいかず、育児スキルの向上に時間がかかるか、あきらめざるを得なくなる。
  • 夫が不摂生をしている場合、体調を崩す。
  • 妻は実家とはいえしばらく離れていた家であり、人によっては長期滞在するとそれなりにストレスが溜まり、お金の面で気がとがめることがある。

実は、転勤族の女性は里帰り出産をする人の割合のほうが高く、知り合いもおらず慣れない転勤先よりも、なじみのある地元に帰って出産することが多いようです。

転勤族の妻たちは、いきなり1か月前に通達される夫の辞令に振り回されて、転勤先で鬱になる人も少なくありません。同僚にヒアリングしたところ、転勤先での仲間のいない子育てや出産で鬱状態になり、夫との関係を悪くした、という事例は数多く確認できました。これまでに築き上げてきた友人とのコミュニティーから引きがはされ、単独で知り合いのいないエリアにぶち込まれる辛さは想像するに余りあります。しかも、子供を初めて出産する、となればなおのこと不安ですし、夫にあたりたくもなります。

奥様のタイプがもし、ナイーブで人付き合いが上手ではなく内気な性格であれば、里帰り出産がベストだと思います。

まとめ:妻と子供にとって何が最も快適か、がカギ

結局、妻と子供が健やかに安心して過ごせる環境を創るにはどうすればいいのか?だけが、選択する唯一の基準になります。夫はどちらを選んだとしても違う問題に苦しみます。奥様もどちらを選んだとしても違う問題に苦しみます。

私はいまとても苦しいです。しかし「里帰り出産にすべきだったか?」と聞かれれば、「そうではない、やはり選択は正しかった」と考えます。

夫や妻が、自分のことだけ考えてConfortableな選択肢に誘導し、それが叶ったとしても、いずれしっぺ返しを食らうことになります。ひずみは確実に夫婦関係やお互いの実家への人間関係に残ります。それは自然なことであり、仕方のないことです。

だから、私は妻を最優先する選択肢を選ぶことに「納得」して選択したので、想定外のきつさではありますが、なんとか耐えていられます。

これから一緒に一生を過ごしていくのは、それぞれの父母ではありません。妻であり、夫です。夫婦で育てていくのです。夫婦で家族を創り生きていくのです。それをはき違えて、形式に囚われたり、他人(親含む)の意見に翻弄されて、よく考え二人で話し合わないまま決定すると、後で必ず後悔することだけは間違いありません。

夫婦二人で、この難局を乗り切り、喜ばしい我が子の誕生を素直に祝福できるよう願っています。

では、また!

【出産】妻の壮絶出産レポ② 本陣痛から出産を迎えるまで~無力な夫には何ができるのか~

こんにちは、ちあき です。

出産から早いもので8日が経ちました。妻の体調は落ち着き、脱腸していた肛門も治癒して切開した会陰も出血が止まりつつあります。食欲も戻ってきて、一安心です。

さて、前回、前駆陣痛で妻がどれだけの痛みを味わったかを時系列でまとめさせていただきましたが、今回は本陣痛から出産までの戦いについてまとめてみたいと思います。

12/24の朝9時、妻、ついに入院

本陣痛の70%くらいの痛みが10分ごとに襲ってくる悪夢のような一夜が明け、「もっと痛くなってきた、耐えられそうにない」と妻が言い始めました。

トイレに行くと、お印(出血)が確認できました。出血するか破水した場合は速やかに病院に連絡するように、と前回の電話で告げられていた妻は、「電話できる!」と携帯を秒で手に取りました。

妻本人が電話しないといけないので、息も絶え絶えになりながら病院に電話をかける妻。

「急いで病院に来てください!」

おいおい、さっき追い返しといて急げなどとよく言えたもんだぜ、と思いながら、車を走らせました。

妻はすぐに内診にまわされ、子宮口は40%くらい開いているとのこと。

「100%まで開かないとダメですからね、でもこの分なら早そうなので、分娩台で待機していてください。旦那さんもそばについていてあげてくださいね!」

おお!いよいよか!妻とそう話しながら分娩室に待機する私たち。

分娩室にて、12時間経過

朝9時にきて、夜9時。あれー?早そうってのはどうなったんだ?

その間もずっと10分おきに本陣痛の80%くらいの痛みが訪れます。この頃「お尻のあたりを押すほうが腰をさするよりも楽になるから頼む」と言われて、ひたすら10分おきに肛門と尾てい骨の間を押し続けました。

分娩室に通されてから、赤ちゃんの心拍と陣痛の強さを測定する医療機器をおなかに巻いている妻。別室でもモニタリングできる機器のようで、ナースステーションに実況中継されているようなのですが、この機械、ちょっと寝がえりを打つとすぐズレる。あまり様子を見に来ないくせにナースがその機械がずれて測定できなくなった時だけ現われて「あまり動かないで」という無理な注文を言い残して去っていくのでした。

ネットには楽な体勢で本陣痛を待つように書いてあるにもかかわらず、横向きに寝ることを強要されながら固い分娩台で痛みに耐え続けて、夜9時の段階で妻はもうすでに虫の息でした。

夜になってからは肛門付近のいきみ逃しよりも、背中の痛みが強く、しばらくさすっていましたが、最後のほうは両手を握って一緒に息を吐いては吸っての繰り返し。

そんな妻に「生まれるのは明け方かなー」などと死刑宣告に近い内容を笑顔で言い、全く気遣うそぶりもないナースに殺意を覚えました。

間隔を置かない本陣痛到来!

11:20頃、「ずっと痛い、もうヤダ、もう無理!」と叫びだしました。

この痛がり方は今までと違う、と思い、すぐさまナースコール。

のんきで空気の読めないナースがやってきて、「痛みの感じ方は人それぞれ」などとパブロンのCMみたいなどうでもいい話をしようとしだすので、

「至急Drを呼んで子宮口を内診してください。あなたは見ていないから知らないでしょうが、今までと痛がり方が明らかに違います。子宮口が開いたので痛みが変わったはずです。感じ方人それぞれはいまどうでもいいです。急いでください。」

と強く指示し退室しました。

案の定、Drが内診後「100%開いています。もう生まれます!」と言いに来ました。

オラ言った通りだろうが!何が痛みの感じ方は人それぞれじゃ!隣でお前らが爆笑しながら談話している間ずっと分娩室で妻の腰さすっとったんじゃ、わかるわ!お前らプロだろ!しっかりしろや、このボケ!

怒り狂いながら、分娩台が開脚している分娩室に再入室しました。

速攻終わった出産、我が子誕生

分娩室に入ると、開脚してDrにオマタを向けた状態で妻が死にそうな顔で座っています。

「ああ、こういうのドラマで見るな」という光景。

おそらくいきめないだろう、と判断されたのか、吸引機器を準備されていました。

「はい、いきんでいいよ~」

妻の頭を支えて力が入りやすいようにサポートします。

1回目のいきみで、先生がポツリと「あ、これ自力でいけるな」と言いました。

2回目のいきみで、妻曰く「お尻が爆発した」そうですが、もう出てきました。笑

あまりにもあっけなく出てきました。妻はさんざん我慢したいきみをこれでもかと渾身の力を込めてやりすぎ、直腸が裏返り脱肛しました。

胎盤もきれいに出てきて、グロに耐性がある私はとてもきれいだなと思いました。

最後は、あれ、もう終わり?というくらいあっさりしていました。妻はすべての力を出し切り、矢吹丈の「燃えたよ…真っ白に…燃えつきた…真っ白な灰に…」というテロップがはいりそうな穏やかな顔で目を閉じていました。マジでそのまま死ぬんじゃないかと思いました。

無力な私がやって妻から喜ばれたことまとめ

①手を握る

これがなくては耐えられなかった、独りではない、と安心できたといいます。力を込めて握り返しすぎると、妻が力を入れられないので、少し負けるくらいの強さで男性陣は妻の手を熱く握り返しましょう。

②そばにずっとついている

なんか文字にすると幽霊かストーカーのようですが、独りきりにされるのではなく、つらいとき常にそばにいてくれたということが、とても心の支えになった、と言います。我々の効能としては、できることは全然なく役立たずであろうとも、同じ苦しみの時間を放っておかれるのではなく共感していたかどうか、という心情的な作用が強いと思われます。

③「しんどいね」「あともう少しだよ」「ちゃんとそばにいるからね」

この三つを声かけ続けました。つい、「がんばれ」と言いたくなるところですが、鬱を患っている私からすると、死ぬほど頑張っているのに「がんばれ」と言われることと、痛みも知らないくせに「がんばれ」といわれるのはとても気分が悪いし発言した相手を敵視させる言葉だと認識していたので、言わないようにしました。事実、この3つで、特に「しんどいね」と共感する言葉が最も高評価でした。

④妻の変調をいち早く医療関係者に伝える

本陣痛の痛みは尋常ではないそうで、事実妻は叫ぶことしかできませんでした。とても「Drを呼んで」などという指示は出せる状況ではありません。半狂乱です。痛みの感じ方や、妻の必死の訴えを聞いてナースコールをできるのはそばにいる夫だけです。私が内診を指示せず放置されていたらと思うとぞっとする、と妻は言います。妻が頼れるのはそばにいる一番頼りになる夫=あなたです。

⑤そばにいるために予定日周辺は必ず休暇を取る

有給とはこのような有事のためにあります。迷わず取得しましょう。会社によっては育児休暇や配偶者の分娩に伴う特別休暇なるものがあります。事前に会社の制度をチェックして、予定日周辺1週間を休み、いつでも妻を病院に搬送したり、必要なものを買いそろえて持って行ったりできる時間を確保しましょう。飲み会などもってのほかです。飲み歩いていて、酒臭いままタクシーで駆け付けたら、もう生まれてた、なんてことになったら、妻から「くそやろう」という永久背番号をいただくことになるでしょう。

 

いかがでしたか?大変でしたが、結果として妻はとても満足してくれました。私としてはそのあとも大変で、いずれまた書きたいと思いますが、この記事が出産を控えた旦那さんたちの役に立ったらいいなと思います。

では、また!

【出産】妻の壮絶出産レポ① ~前駆陣痛はどのくらい痛いのか~

こんにちは、ちあき です。

12月25日のクリスマス、妻が長女を産んでくれました。

同僚や先輩の赤ちゃんの写真を見ても、正直「サルみたい」と思っていましたが社交辞令で「かわいいですね」と言っていました。

が、

我が子を見た瞬間、価値観が変わりました。

動きといい、表情といい、かわいいですね、本当に。今までみんなが他人の赤ちゃんを見て「かわいいね」と言っているのが本心だとわかりました。赤ちゃんは自分では生きていけない分、面倒を見てもらえるように接するものをメロメロにさせる力を持っているんだな、と今なら思います。

そんな我が子でしたが、妻は前駆陣痛がとても長く、出産まで3日間寝られず、苦しみました。その過程を振り返り、レポートすることで、初産に臨む妊婦さんとその旦那さんの皆さんの参考になれば、と思います。

12/21~22 生理痛のチョイ痛くらいの「前駆陣痛」

妻が、「陣痛きたかも」と言い出したのは、21日の夜9時くらいのことでした。

夜から朝にかけて、おなかの中でもよく動く子でしたが、痛みも同じ時間帯に発生しやすいようです。

妻によると、今振り返れば「本陣痛の40%くらいの痛み」で、生理痛が「ちょっといつもより痛いなこれ」くらいの痛さだったそうです。なんとなく痛いけど、本陣痛は腰が砕けるくらい痛い、と聞いていた私たちは、「まだこれは本陣痛ではないだろう」と思い、その日は病院にもいかずそのまま過ごしました。

12/22~23 寝れないぐらいの「前駆陣痛」を本陣痛と勘違い

しかし、翌22日の夜の痛さは一味違いました。

妻は元々痛みに強く、「痛い」いう単語を発しないタイプで、私が呻いて痛がるような関節痛を伴う高熱でも全然弱音を吐きません。

その妻が、夜9時ごろ一緒に横になっていると、10分に1回1分程度の「結構痛い」痛みの波がくるというのです。痛みのレベルとしては、本陣痛の60%くらい。

最近は痛みのカウントをスマホのアプリで計測できます。

しかし、これが意外に曲者で、「カウントしてしまうと意識してしまう」という落とし穴に二人でハマってしまいました。カウント始めたことにより、そろそろ来るかも、と痛みに集中してしまったと妻はいいます。それにより痛みが気になり満足に寝られず、翌23日の朝9時ごろに一度耐えきれず病院に行きました。

しかし、病院を追い返されました。

「まだ子宮口が1cmしか開いていませんが。先週の妊婦健診のときと全然変わらなんで、帰ってください。ていうか本当に痛いん?」

とムカつく物言いをする不愛想な女医さんに鼻で笑われ、夫婦で怒りにめらめらと燃えました。

「痛いか?だと?こっちは寝れないほど痛いから来とんねんボケ」と思いましたね。笑

その出来事でキレた私たちは、「おう、そんなら気絶するほど痛くなってからいってやらぁコノヤロウ!!」と腹を括りました。(笑)

12/23~24 2日目の寝られない「前駆陣痛」の夜

しかし、その夜もめっちゃ痛かったそうで、本陣痛の70%くらいの痛みが10分ごとに襲ってきてしまい、ろくに寝られませんでした。

旦那の私もそのたびに背中をさすり、二人して寝たんだか寝てないんだかわからない2回目の夜を過ごしました。結構この時点でふたりとも疲労感満載でした。

これを見ている妊娠中の奥様の旦那さん、横で痛みに苦しんでいる妻の横では寝られないことを覚悟しましょう。妻が横で痛みに苦しんでいるのに自分だけ寝るのは結構難しいです。安心できるように手を握っていたのですが「妻にこんなに握力あったんだ」っていうくらい本気の腕力を体感します。

基本的に私たちは何もできません。超・無力です。痛みを代わってあげられない男ができることは、背中をさすることと、手を握ることと、「つらいね」「しんどいね」などと共感する言葉をかけること、の3つくらいです。

でも、それを産まれるまで全力でやることが、妻が安心して出産でき、出産後も「あのときは一緒に戦ってくれてありがとう」と言ってもらえる唯一の道かもしれません。

気合の入れどころです。

まとめ:前駆陣痛は人によっては本陣痛の60~70%くらいの痛さである

というわけで、私たち夫婦は強烈な「前駆陣痛」に翻弄されました。

前駆陣痛は意外に痛くて、眠れないくらいで「相当痛いな」と思っても、そこからさらに3~4割増しで痛くなるのが本陣痛だと言えるでしょう。

ただ、痛みの感じ方には個人差がありますので、耐えられないと思ったら迷わず病院に連絡しましょう。

また、早めに陣痛間隔を測りすぎると、そればかり気になってしまい、睡眠不足になりやすいということがわかりました。睡眠不足になって体力を消耗してしまうと、いざ出産というときに本陣痛がきてから陣痛が長引き苦しむことになります。

次回、本陣痛と出産編です。

では、また!

【出産】多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)に悩む妻との不妊治療あれこれ

こんにちは、ちあき です。

夫婦で不妊治療を続けて2年。念願の第1子が妻のお腹の中にいます。もう臨月になり、出産を待つばかりです。ドキドキしています。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)とは?

妻は、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)を患っていました。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS:polycystic ovarian syndrome)とは、若い女性の排卵障害では多くみられる疾患で、卵胞が発育するのに時間がかかってなかなか排卵しない疾患です。

自覚症状としては、
(1)月経周期が35日以上
(2)月経が以前は順調だったのに現在は不規則
(3)にきびが多い
(4)やや毛深い
(5)肥満             などです。

PCOSでは、超音波で卵巣をみると10mmくらいの同じような大きさの卵胞がたくさんできて卵巣の外側に1列に並び、なかなかそれ以上大きくならないことが特徴で、ネックレスサインと呼ばれます。

聖マリアンナ医科大学病院 生殖医療センター ホームページ より https://www.marianna-u.ac.jp/hospital/reproduction/feature/case/case03.html

 

忙しい仕事だったので生活リズムが乱れており、昼頃に起きて明け方近くに寝る生活だったので、なかなか生理が定期的に来ない、という状況が続いていても妻は、「疲れてるのかな」と単純に思っていたそうです。

タイミングをとろうにも生理が不規則なのでは対策しようがないので、医療機関にかかることにしました。

最初の産婦人科クリニックでは、原因がわかりませんでした。特に画像診断もせず、「とりあえず様子をみましょう」というような診察でした。

これではダメだな、と思った私たちは、病院を変えました。

次のクリニックは、きちんと画像診断し、ホルモンの数値を調べて、PCOSについて詳しく教えてくれました。

 

治療は3段階で試していきました。

 

①クロミッド

最初、クロミッドによる不妊治療を試しましたが、全く反応を示しませんでした。

軽症の場合には、クロミッド(クロミフェン)療法が有効ですが、重度のPCOSだと効果を示しません。15%程度がクロミッド抵抗性のPCOSとされています。

 

②ホルモン療法(FSH製剤治療)

次に、注射によるホルモン療法(FSH製剤治療)を試しました。

排卵誘発注射剤で卵胞刺激ホルモンと黄体化ホルモン(ゴナドトロンビン)を補充して排卵をサポートします。皮下注射を頑張り排卵を促しましたが、なかなかちゃんとした卵子が育ちませんでした。卵巣が腫れかけて、中止することもしばしばでした。

 

③ラパロドリリング(腹腔鏡手術)

最後に踏み切ったのは、ラパロドリリング(腹腔鏡手術)でした。

これは、直接卵巣を腹腔鏡経由で焼灼することで、卵巣内に溜まっている卵胞を一つ一つつぶしていき、一時的にすべての卵胞をなくする手術です。

この手術が奏効しました。

お腹に小さな傷は残りますが、生理が定期的に来るようになり、今まで効果がなかったクロミッドや排卵誘発注射剤で卵胞・卵子が育つようになりました。

薬剤治療を続けながら地道にタイミングをとり、2回の流産を経て、4回目のトライで今の我が子がいます。

 

まとめ

さまざま治療を先生と相談しながら、積極的にトライしてきた結果、比較的順調に治療を進めることができました。

しかし、流産で経験した悲しみは忘れられません。いつも明るい妻が沈んでしまうほど、妻にとってもすごくつらいことでした。

出産は命がけ、出産後の育児も、つらさをバネにふたりで乗り越えていきたいと思います。

私は痛みを変わってあげることはできないけれど、できる限りのサポートと、妻が心安らかに出産とその後の育児に安心して取り組めるように、最大限の努力をしていきたいと思います。

では、また!