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【依存症】断酒会に行くのがだんだんしんどくなってきた話

こんにちは、ちあき です。

断酒会が今まで自分の心のオアシスだったんですが、最近はすこし様子が違ってきていまして…。

この心のモヤモヤは何なんだろう?ということで、よく考えてみました。

 

私は断酒会に救われて断酒を続けてきた

私は2015年3月から断酒を始めましたが、はじめて断酒会に繋がったのは、2017年。

得意先とのゴルフコンペが嫌で嫌で、スコアが悪いことをネチネチ言われるのに耐えかねてハイボールをがぶ飲みしました。「次に飲んだら離婚」と言われていたのに、飲みました。

妻が探してくれた専門病院に繋がり、先生から、入院か通院どちらがいいか聞かれました。

仕事をやめるわけにはいかなかったし、妻も仕事をつづけながら通院という選択を許可してくれたので、私の場合は通院しながら断酒会に通うことを約束しました。

 

断酒会にはじめて足を踏み入れた時は、「ああ、こんな人生の落伍者の集まりに参加するにまで、俺は落ちぶれてしまった」と思ったものです。(超失礼)

しかし、同じように止められない酒の問題に悩み苦しみ、一度は自死を意識した面々の赤裸々な酒害の告白に胸を打たれ、「苦しんできたのは私ひとりではなかったんだ」という安心感と内省を繰り返すうち、自分がどれだけひどいことをしてきたか、いかに酒が生活を壊してきたか、を認識できるようになりました。

そして、月日が経つにつれ、自分の話を打ち明けるだけで精いっぱいだった私も、自分のことばかりでなく次第に他の人の言うことに聞く耳が持てるようになりました。

他のアルコール依存症者の体験談や感じたことから学びを得て、共通の傾向・どんな状況でスリップしたり欲求が蘇ったりするのか、とても興味深く、また目が開かれるようでした。

 

少しずつ感じ始めた「違和感」

そこまではよかったんですけどね…。

 

最近、断酒会の「体育会系」な体質に少し辟易としています。(あくまでも私が参加している断酒会は、という話で、全国の断酒会にはそうではない会も多数あると思います。)

 

自助する人の心の安全が守られていないように感じてしまうのです。

 

例えばある日、入院患者さんが「実は酒を飲みたいです、退院したらうまく飲めると思うので、今度こそ失敗しないようにしたい」と本心を打ち明けました。

そうすると、断酒を1~2年継続しているような元入院患者の「先輩」が、自らの体験談を語る順番になるとこういうのです。

「うまく飲めるなどと言っているやつはまたすぐ再入院になる。私はそうだった。そんな心構えではまだまだ甘い」

 

あとは、基本的に断酒会はずっと着席していなくてもよく、聞きたくない話のときには席を外してもよいのですが、席を外して外で電話をしていた人がいて、部屋に帰ってきたら、

「なんでみんなの話を聞かないんだ?!」

と恫喝されていたこともありました。

 

これ、きつくないですか…?

 

本心を話しても受け容れてもらえる、心の安全があるから、一度過ちを犯して傷ついた人でも、「生きていていいんだ」「そのまま感じてもいいんだ」って思えるんだと思うんですが、私が通っている断酒会は、どうも『後輩を先輩が厳しくしごく』みたいな男性的縦社会の嫌な部分を見ることが多くなってきました。

断酒会のリーダーと古参の断酒継続者が対立していて、お互いの体験を話し時にライバル意識剥き出しで、どちらかと仲良くしていると、どちらかが不服そうにこちらを見ていたり。

 

おいおい勘弁してくれよ、いい年して中学生かよ、お前ら…。(白目

まだまだ甘い、とか少年ジャンプのスポ根漫画に登場する師匠かよ。

 

入院患者さんは、退院しても、だいたい、この断酒会に戻って来ることはありません。

そりゃそうだわな。

入院中に義務で連れてこられた断酒会で本心を話したら、なんだかしらないけど長いこと断酒しているという知らないおじさんおばさんにボッコボコに間接的に否定されたら、そんなとこ二度と行こうとは思わないですよね?

言いっぱなし、聞きっぱなしとは、いったいどこに消えてしまったのか?という状況です。

私が知っている断酒会が、

①古参の人々は入院患者を間接的にボコボコにすることで、「断酒継続できていてがんばっている自分」を再認識する『断酒会版生贄システム』により自己肯定感を保ち、

②入院患者はボコボコにされて、自助グループに繋がる機会を失い、自力で頑張ろうという一番過酷な道を自動的に選択するので、再飲酒してしまい、また生贄になるべく入院患者として病院に搬送される、

という①~②の地獄のようなループを繰り返す、回復とは程遠い実態であることに、私は気づいてしまいました。

それから、何となく行く気がなくなってしまい、困っています。

 

自助グループって、断酒会って、なんだっけ?

つまり、私は悲しいんですよね。

私は断酒会に繋がってからもスリップしたことがありました。

断酒会ではえらそうに「酒をやめていて毎日が素晴らしい、もう飲まないと思う」などときれいごとを言っておいて、あっさり隠れて飲んで頭を6センチ切って貧血で動けなくなり、バレバレなのに隠ぺいしようとし、妻にどちゃくそ怒られました。

死ぬほど恥ずかしくて、消えてしまいたくて、それでも何とか酒をやめたくて、それは独りではできないことが火を見るよりも明らかで。すがるような思いで断酒会に妻と足を運んだことがありました。

そのとき、みんなは黙って話を聞いてくれました。断酒会が終わった後、近づいてきて何も言わずに手を握ってくれました。

 

それで、どんだけ、私が救われたか。

それだけで、どんだけ、嬉しかったか。

黙って聞いてくれて、手を握ってただ頷いてくれて、あんなに死にたかったのに、苦しいけど生きてみようと思わせてくれたじゃんか。

みんな、そういういいやつだったじゃんか。

 

自助グループって、もう死ぬほど恥ずかしくて言えないようなことを「否定されずにただ聞いてもらえる」っていうかけがえのない居場所だから、今までの人生で自分一人では向き合うことができなかった本心や生きづらさに向き合う勇気をもらえるんじゃないかと思うんです。

 

「独りじゃ何もできなかった。それでも、今まで独りでがんばってきた。辛いことはもちろんまだまだあるし、正直お酒だって飲めるものなら浴びるほど飲みたいよ。でも生きていきたいと思うから、完全じゃないし弱いし醜いけど、今日一日、お酒をやめて生きてみよう。」

それが、私の本心そのままの『一日断酒』です。

 

その本心と自助の真理を私に教えてくれた断酒会なのに、なんだか嫌なしごきがある部活みたいで、がっくり来ています。

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【発達障害】アスペルガー症候群でACでHSPな私のツギハギ人生を振り返る

過去に書いた記事を、振り返り、投稿しています。

頭の整理のために。

 

『悪の教典』という小説の冒頭で、いつも心臓を鷲掴みにされる心地がします。

 

 

『小さな民家が 目の前に迫ってくる。

かなり老朽化した平屋の日本建築で、

屋根瓦の一部が 脱落 しており、

ブルーシートで “恒久的に応急補修” してあった。』

 

私は、この、恒久的な応急補修 に追われて過ごしてきて、未だその最中であります。

一度抜けたかと思ったのは、勘違いでした。

 

用語解説

アスペルガー症候群(AS)

アスペルガー症候群の人は、”3つ組みの障害”と言われる(1)社会的に適切に振る舞うことの難しさ、(2) コミュニケーションを円滑にすることの難しさ、(3) こだわりが強く柔軟に想像・思考することの難しさ、が特徴です。

社会性 他の人と一緒にいるときに、どのように振る舞うべきかの力です。いわゆる空気が読める力と考えてもよいでしょう。

コミュニケーション力 相手が言っていることを正しく理解する受信の力と、自分の思っていることを相手に伝える発信の力についてです。

こだわり 自分の安心できるルールや環境を強く求める状態です。生活や働く上で支障が出るほどこだわってしまう方が多くいます。想像力が弱い状態ともいえます。

大人のアスペルガー症候群 特徴・仕事・職場定着 : 大人の発達障害Q&A – 株式会社Kaien

 

AC

AC = Adult Childrenの略。アダルトチルドレンとは、機能不全家庭で育ったことにより、成人してからもこころに傷を抱えている人のことを指します。「機能不全家庭」とは、正常な機能を果たしていない家庭のことです。

さまざまなタイプがあり、優秀ないい子になることで、親から評価されようとがんばってきたタイプは、「良い結果を出せば褒められる」「悪い結果を出せばけなされる」という条件付きの愛を与える家庭で多いタイプです。

一生懸命勉強し、成績は優秀です。

しかし、自分自身の気持ちから頑張ったのではなく、「親から認められるため」「家庭が穏やかになるため」に頑張っている点が問題です。「頑張ることを辞めたら私は見捨てられる」という恐れを常にかかえています。

また「結果が良ければそれでいい」という考えになりやすく、人間としての温かみが十分に育まれません。「優秀でない人に価値はない」と損得で人と付き合うようになったりもしてしまいます。

また完璧にやろうとしすぎるため、身体が壊れても頑張り続けるなどの問題があります。

HSP

生まれつき「非常に感受性が強く敏感」な気質もった人の事です。 正式には「Highly sensitive person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と言います。

HSPとは?繊細で生きづらい人に贈る5つのヒント

一度ブログにもアルコール依存症との関連を含めてまとめております。

⬇︎

HSP と 脳 と アルコール依存症 [断酒162日目】 | アルコール依存症とともに私らしく生きる。

 

生きてきた道筋を振り返る

アスペルガー症候群として生まれた私は、ずっと“違和感”を感じながら生きてきました。

思考パターンや行動の異質さ、社会性の無さから、子供社会 地域社会 から虐めを受け、迫害にあい、他人への信頼や歩み寄りを、幼稚園の頃には諦めました。

自己肯定感はすぐに欠損しました。

なぜこの同じような形をした生き物は、似ているようで違う。なぜ、互いに理解しあったり、喧嘩しあったり、うまく交流できるのだろう?法則が全く分からないが、私にはどうやら、それができない、まずいな、私はこのままでは『欠陥品』だと思い始めました。

精神不安定な母は、変わった私が子供の輪に馴染めないことを随分と哀しみ、それゆえ過保護になりました。

母の子育てによるストレス・抑うつ状態が蔓延。その負の空気に引っ張られて、不安定な家庭環境であり、よその子と馴染めないのは教育が不行き届きだからだ、としつけは厳しくなり、「良い子でいなくては、親からも見捨てられる」と恐怖しました。完全に機能不全家族ですね。

そんな家庭背景・社会背景から、ACとHSPの性質を、さらに醸成していきます。

当時早々と他人への信頼は諦めた私も、生きていかなくてはいけません。

安心して親に愛されなくてはいけません。

そのためには、「社会的常識」「一般的な価値観」の概念的理解の必要性を強く感じました。

常に周囲の顔色を伺い、観察し、行動に対する反応、思考パターンを学習することに必死でした。

幼稚園から小学4年の7年間、観察と模倣をひたすら繰り返しました。果てしない試行錯誤を経て、社会で生き延びるために必要な「明るく優しい良い子」に見合った、立ち居振る舞い、行動パターン、正解の受け答え、人物像を、演じる技術(ルール)を修得します。

しかし、虚しい。誰とも心通わすことなく『上手く』生きて、死ぬ。それだけのために、徒労が続くのか。

「だがしかし、そんなもんなんだろう、人生とは。」と、無理やり納得することにしました。

対外仕様の自分を維持するためのルールを欠かさず守らなくてはならない、というプレッシャーから、強迫症状がこの頃から始まりました。

大学に進学します。

人間関係のプレッシャーやストレスをアルコールで紛らわすことが出来ると知り、特に人格維持のための強迫症状によるストレスをアルコールを使って鎮静させる悪癖がつき始めます。

アルコール依存症の入り口に入りました。

社会人になりました。

今までに獲得した人物像を元に、明確な答えがある課題をただただ答案に記載していけばよかったルール遵守スタイルが通用する学生生活から、それらが通用しない、社会人生活にシフトし、状況が一変。

生来のアスペルガー症候群気質により、

「的確なホウレンソウ」

「認識の共有化」

「予測不可能な状況における創造性の発揮」

など、真の社会性を身につけていなければ実行不可能な「答えやマニュアルのない世界」の壁にぶつかります。

「ふつう」の模倣では、太刀打ちできませんでした。

「仕事」がスムーズに進行できなくなり、自信を完全に喪失。

 

自らの無能さに辟易とし、社会不適合者になることに恐怖し、その不安から逃れるために、アルコールを大量に摂取するようになり、アルコール依存症がさらに悪化します。

この頃から、うつ病の症状が出始め、動かない身体と心を動かすために、さらにアルコールを追加する、負のスパイラルに突入します。

しかし、寿命まで死ぬわけにはいきません。

仕事においても、社会常識、暗黙の了解、判断基準、権限の範囲、人間関係の調整の順序、など、「社会人に必要な社会性」を「ルール」として法則性を見つけ、体系化して理解し実践することで、なんとか人並みに「仕事をしていて違和感がない」という状態を獲得しました。

しかし、守るべきルールの厳密化と複雑化に伴い、ストレスは増大。飲酒量は比例して増加。毎日大量飲酒します。

今度は、持って生まれた性質よりも、アルコールという薬物への依存が、社会生活に影響を及ぼし始めます。

アルコール依存症が原因で、社会的失敗の常態化、信頼失墜、解雇勧告。

これ以上、「人間」として生きていくことは、機能的にも精神的にも難しい、と判断し、独りで山で首を吊ろうと、自殺を計画しました。

幸い、妻の言葉のおかげで、未遂に終わりました。

そこから、生きづらさを抱えている自己の受容、すなわち「断酒」に取り組み出します。

数年後、3回のスリップを経て、アルコール依存症専門医療機関と繋がり本格的なアルコール依存症治療を開始します。心療内科への受診も開始。

そこで、断酒によるうつ病の軽快が分かりました。

人格障害やHSPやACなどの精神病理を勉強し、自分の性質や障害を認知し、受け容れ始めました。

今ここに、ようやく、たどり着きました。

今が一番、幸せになっていると思います。

こんな私でも、あるがままでいい、と言ってくれる人に出会い、私自身も、あるがままでいい、と思えるようになれてきました。

事ここに至り、あるがままを受け容れてくれる人が、妻以外にもいるということは、とても素晴らしいことです。

 

 

【メンタル】ストレスの概念・理論とストレスマネジメントの実践

今回は、ストレスの概念・理論について整理する。

 

ストレスの語源

ストレスという言葉の由来は、中世のフランス語「ディストレス」である。

ラテン語の「加圧する」という意味から派生した言葉で、19世紀に入って物理学の正式な科学用語になった。ストレスは物体に何らかの力が加わって、結果物体の形が変わったり緊張した状態になるときの力を指す用語として物理学で用いられ、社会的には、身体的健康や心理的幸福感を脅かすと知覚される力を指す。

そうした力を生む出来事をストレッサーと呼び、ストレッサーにたいする人々の反応が、ストレス反応である。

 

ストレスと自己開示・自己呈示

ここで問題なのは、同じストレッサーに直面した場合でも、感じるストレスには個人差がある、という事実である。

ストレスの大きさはストレッサーそのものの深刻さにもちろん影響を受けるが、ストレスに対面する人の認識によって大きく影響が変わる。たとえば内罰的であるか他罰的であるかや、それまでの人生経験でどのように人に扱われてきたかは、その人のアイデンティティに大きな影響を与え今日のその人を形づくっている。

物事の受け取り方、という側面でより深くストレスについて考える場合、人との関わり、特に自己開示と自己呈示について正確に理解しておく必要がある。

 

自己開示とは、あるがままの自分について相手に伝える事である。自己開示による働きは3つあり、感情浄化・自己明確化・社会的妥当化がある。

感情浄化は心の葛藤の中心になっている思考や感情を他社に伝えて鬱積した感情を発散する浄化効果のこと。

自己明確化とは、自分の想いを話しているうちに自分の考えが次第にまとまりはっきりしてくる働き。

社会的妥当化とは、自己開示しているうちに何らかの意見や評価や反応がフィードバックされることで、今まで気づかなかった自分の別の側面を知ったり、他人の意見と比較して健全な自己評価ができるようになる働き。

 

自己開示と似て非なるものが、自己呈示である。

自己呈示は、「このように見てほしい・相手に見せたい」という自分のキャラクターを表現することである。

自尊心を維持したり高めたりする働きがあるが、主な行動としては、弁明・正当化・謝罪・取り入り(ごますり)・威嚇・自己宣伝・哀願などである。

このような具体的な行動から想起できるかと思うが、ありのままではない自分をプロモーションするために様々な行動を提示して認められようとする行為は、一時的に自尊心を満たしてくれるかもしれない。しかしながら、本当の自分を認めてもらえていない状態でいくら表面上尊敬されたとしても、それは自身が造り上げた偶像が認められたにすぎないため、承認欲求は本当の意味で満たされることはない。

むしろ、自分が造り上げた偽物が認められれば認められるほど、満たされない心の穴は大きく深くなっていく。それゆえに自己呈示ではなく自己開示をすることが大切なのである。

 

自己効力感と学習性無力感

自己効力感と学習性無力感は、ありのままの自分で生きていくために理解しておくべき感覚である。

自己効力感とは自分が行動を実行することについての現実的で確かな自信のことである。

学習性無力感とは、自ら状況をコントロールでいないだろうと予測し行動を諦めることである。あれこれ行動した挙句に避けられなかったという経験が、強固な無力感を形成する。

依存症の自助グループや信頼できる仲間に出会い、勇気をもって自己開示し、アクティブ・リスニング(積極的傾聴)される喜びと感動を積み重ねることで、その人の心を永い間閉ざさせてきた学習性無力感の壁を打ち破り、自己効力感を育てていくことが、ストレスに立ち向かい生きる力を回復することができるのではないだろうか。

つまり、そのように回復した自己認識をもって、自身も相手も尊重して率直にコミュニケートすること、アサーティブにコミュニケーションをとることができたなら、対人関係におけるストレスや認知の歪みは限りなく健全化していく。

 

対人関係で自己開示することが最も有効なストレスマネジメント

アドラー心理学では、すべてのストレスは対人関係だと説いている。私はアドラー心理学的側面から、最も有効なストレスマネジメントは、全て自己開示に通じるのではないか、と考えている。自分が受け入れられていない、という疎外感・自己肯定感の無さが、あらゆる認知の歪みと悲しみを生み、生きづらさを抱えさせているのが、現代社会におけるストレスの真の姿ではないだろうか。

それゆえに私はブログや自助グループで自己開示していくことが、今最もストレスマネジメントになっているし、愛や欲求を健全に自身の生きる力として昇華させる役割を担っている。

これからも自己開示により人として成長していきたいし、大切なものを大切にできる人間であり続けたいと思う。

【依存症】カフェイン依存症になっちゃってた話

こんにちは、ちあき です。

最近全く更新できていませんでした。

とほほ…

実はこの記事は8/3から下書きしたまま

無駄に温め続けてしまっていまして

もう夏の暑さで温まりすぎな感が否めませんが、更新します。(白目)

 

 

唐突ですが、私はコーヒーが好きです。

ここ最近は1日1ℓくらいコーヒーばかり飲んでいました。

そんな私のある日のツイートです。

 

そう、カフェイン依存症だということが分かりました。(いまさら感ハンパない)

 

私はこうしてカフェインに依存した!私のしくじり事例

まずは、私の生活習慣と症状を振り返ります。

私は2015年3月1日に断酒を志し、同年7月23日に禁煙をはじめ、今に至ります。

アルコールは4回のスリップを経験し、現在断酒継続は1年11ヶ月、禁煙はそのまま続いていて来月で4年になります。

それまでアルコールとニコチンに依存しつくした生活をしていたのですが、両方の薬物の摂取を止めた結果、「もんのすごい眠気」に毎日襲われました。

そこから、何とか日中起きているためにコーヒーを大量に摂取するようになりました。

その頃からつい最近までは、1日2ℓ飲んでいました。

 

〇朝起きて、まずコーヒー淹れてがぶ飲み。

〇午前中の仕事終わりにコンビニに寄って、1ℓ入りのコーヒーと1ℓ入りの緑茶を買って営業中にゴクゴク

〇夕方帰ってきて、夕食・風呂、落ち着いたらブログ書きながらコーヒー。

(あれ、1ℓ超えてる…まあいっか…)

 

 

そんなわけで

①浮動性めまい・耳鳴り

②無気力・日中の眠気(これをとるためなのに本末転倒)

③謎のイライラ感

これら3つの症状に毎日、苛まれだしました。

ついには、営業車から出て顧客のもとに訪問することもできないほど無気力になりました。

こりゃあまずいぞ、ということで再びたどり着いたのが、この漫画です。神。

「カフェイン依存症 前編」(@mimorimisa)

この漫画、もうなんていうか、すべてをわかりやすく詳しく書いてくれている作品なので、ぜひ読んでいただきたいなと思います。

この漫画のアドバイスに沿って、私の場合は「1日1杯までにコーヒーを制限」したところ、困らされていた3つの症状は改善してきています。

やはり、カフェイン依存に陥っていたと思われます。

そんなわけで、この漫画からの知識も引用させていただきつつ、”ネスレなぜなに?「コーヒーと健康」専門家インタビュー記事シリーズ  Nestlé, Coffee & Health (Vol.10) 2015 Nov. http://www.nestle.co.jp/nhw/coffee/interview” から図などもお借りして、カフェインの知識を整理していきたいと思います。

 

そもそもカフェインとはどんな物質なのか?

カフェインはメチルキサンチン類(アルカロイド) に属する化学物質で、苦みを持ち、もともとは植物が昆虫に食べられないようにするために作られた物 質のひとつと考えられています。

カフェインは我々の生活に深くかかわっています。

飲料では、茶、コーヒー、ココア、 コーラ飲料、マテ茶、滋養強壮ドリンク(一部医薬部外品)、エナジードリンク、食品では、チョコレート、眠気防止用のガム等に多く含まれています。

さらには、医薬品の総合感冒剤、鎮咳去痰配合剤(咳止め薬)、鎮痛配合剤、眠気防止剤、強心薬、呼吸促進薬などにも含まれていて、カフェインは非常に広範囲に使われている物質です。

またカフェインは比較的熱に強く、強い焙煎の場合に微量が昇華して失われる以外 は単一の成分として焙煎後もほとんどが残ります。お茶では一番茶に約90%のカフェインが出て、二番煎じのお茶カフェインが含まれにくく「実はデカフェに近い」ということが知られています。

 

カフェインは日本薬局方に中枢興奮・鎮痛薬として登録された薬物で、覚醒作用や倦怠感の抑制、強心・血管拡 張、片頭痛の緩和などの用途で風邪薬などの配合成分として処方されています。カフェインの作用がこちらになります。

 

 

カフェインはマイルドな中枢刺激作用の他、利尿作用、代謝亢進作用(脂肪燃焼や基礎代謝の向上)、胃液分泌作用など多くの作用があります。

カフェインは摂取後、約30分で吸収されて血管を通じて全身に行き渡ります。多くの化学物質は血液-脳関門(BBB)の働きにより脳内に入れませんが、カフェインはBBBを通過して脳にも入ります。

カフェインは核酸塩基のアデノシンと構造が似ています。

アデノシンはアデノシン受容体(Ad2-R)と結合することによって、神経終末から放出されるドーパミン、ノルアドレナリン、グルタミン酸といった興奮性の神経伝達物質の放出を抑制します。

アデノシンと拮抗するカフェインは抑制を抑えるので、間接的に脳を興奮、覚醒させます。カフェインの感受性には個人差があり、アデノシン受容体遺伝子の違いに基づくと考えられています2)。

アデノシン受容体のサブタイプAd1-Rは腎臓への血流を減らし、腎尿細管再吸収を促進します。カフェインはこのAd1-Rの働きも阻害するので、利尿作用があるのです。

アデノシンは細胞のエネルギー源であるアデノシン三リン酸 (ATP)が分解されてできるのですが、第2の睡眠物質と呼ばれる物質です。

アデノシンは覚醒中に脳に蓄積し、徹夜をするとさらに増え、眠ると減るということがわかりました。なぜなら、アデノシンはアデノシンA2A受容体と結合することで視床下部に存在する睡眠中枢を活性化し、ノンレム睡眠を誘発させる作用があるからです。

ところが、アデノシンと構造が似ているカフェインがアデノシンA2Aという鍵穴にぴったり合い、その上体内で吸収されるとアデノシンよりも先にアデノシンA2A受容体と結合してしまうので、睡眠中枢の活性化が抑制されてしまい、眠れなくなるというわけです。

カフェインを摂ると眠れなくなるメカニズムって、アデノシンという睡眠物質の働きを邪魔させるからなんですね。

カフェインはどのくらいなら摂っていいのか?

三森先生の漫画とその参考文献によれば、

「1回当たりの摂取量は成人は体重1kgにつき3㎎を目安に」

「1日の摂取量は健康な成人で400mg」

 

ふむふむ。

カフェインの1回当たりの摂取上限3mg/kgということは、私はMAX240mg

コーヒー100mL当たりカフェイン4060mg程度含有だから、1だと400600mg

「なんだ大丈夫やん」と思ったらお茶ー!🍵

 

これも1飲んでるー!

てことは、+200mgで一日600800mg摂取しとるー!

1日の摂取量は健康な成人で400mgだから、明らかにoverdose

 

そんなに摂取してないつもりでした。感覚のズレって、恐ろしいですね。

 

なぜカフェインは 欲しくなったり 摂り過ぎて不調になるのか?

カフェインの依存性については、アルコールの約1/50、ニコチンの約1/10程度という研究があります。(Deneau G et al (1969) Psychopharmacologia 16: 30.)

脳イメージングの研究では、カフェインが脳の依存の回路には関連していないという報告(Nehlig A (1999) Neurosci Biobehav Rev 23: 563.)もあります。

ここで見落としてはいけないのは、

「物質に依存性があるかないか」ということは依存症の問題の一部でしかなく

『離脱症状に苦しむほど摂取しなくては生きていられない人生の背景的課題』や『これさえあればなんとかなるという精神的依存状態』に、問題の根幹があるということです。

つまり、依存性が低いからといってこの物質の使用に危険性がない、とは言い切れない、ということです。どんなものにもリスクはあるし、リスクを含めて上手にお付き合いしていかなくてはなりません。

 

カフェインは依存性薬物と認定されてはいないものの、米国精神医学会は「カフェイン離脱症状」を精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)に掲載しています。

 

離脱症状①寝起きが悪くなる(目が開かない)

離脱症状②一日中妙にだるい

離脱症状③不眠

離脱症状④中途覚醒

離脱症状⑤集中力の低下

 

1、浮動性めまい・耳鳴り慢性的な末梢血管拡張作用+利尿作用で脳血管収縮するも脳血流量は低下?

2、無気力・日中の眠気・謎のイライラ感中枢刺激作用(睡眠・覚醒リズムに悪影響)

 

まさに、この1・2の症状はカフェインからきていたと確信しましたよね。

 

でも悪いばかりじゃない!様々な疾患に対して認められているカフェインの効果

最近では、カフェインが認知症にも効果を発揮するのではないかと期待されています。

脳の神経細胞が死滅することによって認知機能の低下(記憶障害、見当識障害等)が起こり、不安状態、うつ、幻覚、妄想、その他の譫妄、徘徊、 不潔行為といった周辺症状が出るのが認知症で、患者数は近いうちに700万人に達するといわれています。

周辺症状は大脳辺縁系という部位の支配下にあります。

認知症では人らしさを作る大脳新皮質の前頭前野の働きが低下することで、大脳辺縁系への抑えが効かなくなっていると考えられています。

カフェインは、前頭前野を活性化することが知られています。

まだ科学的根拠レベルは限定的とする評価もありますが、認知症の半数以上を占めるアルツハイマー病について、コーヒー摂取者は発症リスクが低下するという報告もあります11)。

アルツハイマー病と並ぶ神経変性疾患であるパーキンソン病のリスクは、カフェイン摂取により低下することも示唆されています12)。

 

 

まとめ:摂取量に注意して上手に活用しましょう!

コーヒーなどの嗜好品として摂取されるカフェインと 賢くつきあうことが大切です。

昨今、エナジードリンクな どのカフェインを含む飲料の摂取が増えたこともあり、 小児が摂取する可能性も含めカフェインはどのくらいまで日常的に摂取してよいのかという議論が世界的に進みました。

多くの疫学調査結果も踏まえると、コーヒーの適切な摂取量は1日3-5杯程度と言えるかもしれません。

また睡眠に対する影響があるので、カフェインに感受性の高い方や睡眠が浅くなりがちな高齢者などカフェインが気になる方は、夕食以降は摂取を控えた方が良いでしょう。

医薬品にもカフェインが入っているので、どのぐらい含まれているかをチェックすることも必要です。

カフェインを上手に使って、QOL(quality of life)を高めていきたいと思います。

 

引用文献 1)Yamada M et al. (2009) Public Health Nutr 16:1. 2)Retey JV et al. (2007) Clin Pharmaul Ther 81:691-8 3)Haskell DF et al (2005) Psychopharmacol 179: 813. 4)Satoh H (1994) J. Nara Med. Ass 45: 290 5)Ramakrishman S et al. (2014) J Theoret Biol 358: 1 6)Jarvis MJ (1993) Psychopharmacol 110: 45. 7)Wiles JD et al. (1992) Br J Sports Med 26: 116. 8)EFSA J (2011) 9: 2054 9)EFSA J (2011) 9: 2053 10)Drapeau C et al. (2006) J Sleep Res 15: 133. 11)Xu W et al. (2015) J Neurol Neurosurg Psychiatr doi:10.1136. 12)Costa J et al (2010) J Alzheimers Dis 20: S221. 13) 14)Nehlig A (1999) Neurosci Biobehav Rev 23: 563. 15)DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル 16)EFSA J (2015) 13:4102

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【依存症】本当に自分が変われば、他人は変わるのか?

こんにちは、ちあき です。

先日尊敬する断酒会の先輩と、このタイトルの話になりました。

「果たして、自分が変われば、他人は変わるのか?」

私は『どう影響しようとも他人を変えることはできない』という立ち位置。

先輩は『自分の姿勢が変われば他人の所作や接し方は変わる』という立ち位置。

真っ向から反対の持論でした。はてさて、どちらなんでしょうか??

今日はそんなお話。

 

先輩が経験した他人の変容

先輩も穏やかな人ではありません。

割と強い言葉を言いがち。

そんな先輩は割と荒々しい性格の人たちのなかで所謂ブルーカラーの仕事に就いています。

御歳80代。

身体は上手く動きません。

「オラァそんなこともできんのかジジィ!」

「役立たねーなら帰れよ邪魔くせぇなぁ!」

そんな言葉が飛んでくる職場。

辛くないわけがありません。

しかし、先輩は固く守っていることがあるそうです。

「自分の頭を低くして、きつい物言いをされても一歩引いて考える。それから言葉を吟味しよく咀嚼したうえで発する。」

そしてその上で、ただ静かに自分ができる事をするそうです。

例えば、休憩所のゴミ掃除。自分でも運べるものの運搬。休憩用のお茶の準備。

「そんなこと後輩にやらせておけばいいんだよ、あんたは年長者なんだから。」

と親方が声をかけるので

「私にはできないことがたくさんあるのに、来させてもらっているだけで感謝しているから。」と笑って、ひたすらやり続けるそうです。

そうしていると、先輩に罵詈雑言を発していた若い子が、その姿を見ていて、次第に一緒に掃除をしてくれるようになり、

「おっちゃんは体しんどいんだから、無理すんなよ」

ある日、そんなこというようになった、と言うのです。

 

言葉と姿勢が他人に与える影響は、決して小さくはない

私は、にわかには信じられませんでした。

そんなに人は変わることができるのか?

素直な驚きと戸惑い。

私は、他人は他人の力でしか変わらない、だから私がアレコレと言ったりやったりしても意味がない、とあきらめて切り捨てていたけれど、そうではないかもしれない?

私の突き放した諦めの態度が水面に映るように、相手もそれを見て世界の変化を同じように諦めているだけなのかも。

自分の行動が必ず結果に結びつく、なんてことにはならない。

だけれど、影響は無視できないし、意外に小さくないのかもしれない。

 

7つの習慣 の 影響の輪

この話で思い出されるのは、一世を風靡したビジネス書、スティーブン・R・コヴィーによって書かれ1996年に出版された『7つの習慣』です。

コヴィーは、「影響の輪」「関心の輪」という概念を提唱しています。

関心の対象は、自分自身が影響を及ぼすことができるものとそうでないものに分かれます。

たとえば、天気に関心があっても自分の力で天気に影響を及ぼすことはできませんが、今晩の食事を何にするかについては影響を及ぼすことも可能です。

つまり、同じ関心事でも、影響を及ぼすことができることと影響できないことがあるというわけです。

このように、私たちの身の上に起こる出来事や周囲に存在する物事は、関心の有無、そして影響を及ぼせるか否かで分類することができます。

そのことをコヴィー博士は「関心の輪」と「影響の輪」という概念で説明しています。

引用:http://www.franklinplanner.co.jp/learning/selfstudy/ss-11.html

 

影響を及ぼすことができるのは、自分の行動であり、その範囲が「影響の輪」。

関心や興味があるけれど、自分が影響できない事柄の範囲が「関心の輪」。

得てして「関心の輪」、つまり他人をどう変えるかとか、取り返しのつかない過去の失敗とか、天気や景気や世界情勢や悲しいニュースに、私たちは限られた脳のキャパシティを使いがちです。

しかし、私たちが影響できるのは、自分達の立っている「今、ここ」だけです。

『やることを、やる』

どんなに偉い人でも、どんなに立派な人でも、あるいはどれだけダメで邪悪な人でも、これ以外に影響を与える事は出来ません。

期待しないけど、諦めない。

私は、その影響の輪以上の効果を、拡がりを、期待しすぎて苦しくなり、結果を求めてしまった。

叶わないなら全て諦めた方が楽だから、手放そうとしたのではないかしら?

結果を期待して、相手に関わるのは、コントロールできないものをコントロールしようとすることで、「関心の輪」に手を伸ばしていたことになります。

それでは、影響の輪の境界線を見失う。

他人の在り方は他人の物。

私の願いは私の物。

しかし、影響の輪の中の事柄に集中し、自分がやれることが増えていき、その幅を拡げれば拡げるほど、かつて関心の輪だった範囲に手が届く。面積が拡がっていく。

それはあくまで、自分のやるべきことに徹していて、それだからこそ、かつて他人の範疇だった関心の輪の範囲まで、影響を拡大することができる。

まさしく先輩が休憩所を綺麗にする後ろ姿を見せ続け、他人から数歩引いて冷静に言葉をかけ続けた結果、若者が変わったように。

私は願いを諦めることで、影響の輪を拡げる事も手放していたのではないかしら?

他人には結果を期待しない。

だけど、関わりを諦めない。

他人の可能性を、諦めない。

それは、私が出来ることが拡がる可能性を信じる事と同じだから。

他人にもあるかもしれない、私の中にあると信じたい、可能性。

「希望」を諦めない行いは、他人に「希望」を見せる。

素晴らしい、美しい何かを、他人の世界にもたらす。

だから、他人が自然に変わりたいと思うようになる。

いつの日か。

そう信じる、美しさ。

信じる美しさの共有を、諦めないでいたい。

 

自分ができること以外のことばかり気になってしまったら。

スヌーピーがいいことを言っています。

ルーシー「Sometimes I wonder you can stand being just a dog ….」
(時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ。)

スヌーピー「You play with the cards you’re dealt …whatever that means. 」
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)

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【依存症】水のように生きる、ということ。

こんにちは、ちあき です。

久々更新です。

今日は久しぶりに断酒会にいけました。

そこで感じたことをちょっと書いてみたいと思います。

 

異動になりました

部署が異動になることになりました。

一応希望している領域にいけることになり、いいことなのですが、問題が一つ。

上司がまた変わること。

現在の上司は、依存症には想像力が働かないタイプの人でした。

私がアルコール依存症になったことは「恥ずかしいこと」で「あまり言うべきではないこと」だと、今の上司には映るようで、私が飲み会をすべて断ることもあまりよくは思っていない人でした。

それ自体は仕方がありません。人のとらえ方はそれぞれなので。

でも、アルコール依存症の病態と私の状態を説明して、チームのメンバーにも説明して、

「でも今はもう治ったんでしょ?」とか

「そんなの言い訳で飲めるのに頑張らないだけでしょ」とか

そういう勘違いをいちいち訂正するのは、結構大変でした。

またそうなるの正直面倒だし、嫌だな…と思ったんですよね。

自分の酒害を話したとき、眼の奥に揺らぐ侮蔑・嘲笑・憐憫。

それらをまた一から目の当たりにしつつ、『できないこと』を話して助けを求めるのは、やはりそれなりに勇気と覚悟がいるものなのです。

 

 

それでも、私は、そうでしかない。

しかし、それで怖がって隠していても、しかたがありません。

だって、飲めないんだから。

だって、飲んで失敗してきたんだから。

だって、できないものはできないんだから。

そこから逃げて目を背けてきたから、私は私を見失ったのだから。

今度は逃げないで向き合うと決めた。それが私の断酒なのだから。

 

今回、初回の面談で、新しい上司に素直に『できないこと』を伝えられたのは、私にとって大きな進歩でした。

 

私は今まで、人に、現実の自分よりもよく思われようとしてきたのではないかしら。

なぜ? 現実の自分には自信がないから。

アルコール依存症をバカにされる。

自分がやってきた過ちで人から見くびられ、軽んじられ、陰口をたたかれる。

「許せない、見返してやる」「俺の頑張りをどうして認めてくれないんだ」と、

私は他人に対して、認識を変えさせよう、そのためによく見せよう、と『背伸び』していました。

 

しかし、どう受け取るか、どう考えるかは、相手の問題です。

相手の器の成熟度にも左右されるし、何よりそれは「私にはどうすることもできないこと」というタッチできないカテゴリの事柄だということです。

だから、アルコール依存症のことをどれだけわかりやすく丁寧に話したとしても、理解してくれるかどうかは相手次第。

コントロールすることができないこと。

それと同じように、相手がいくら

「そんなんじゃだめだ」

「お前は頑張っていない」

「そんなことで恥ずかしくないのか」

と感じ、私に言葉を投げかけたとしても、私は、ただ、私としてしか生きられない。

言われたことが腑に落ちれば、行動を変容させるかもしれないけれど、それはどこまでも

「私がそうしたいと思った」からするわけで、誰かに言われたからするわけじゃない。

誰かに言われたから変える、というのは、今までやってきた『背伸び』と同じだから。

私は私として生き、私として死ぬ。

それ以外の道はありません。

それを「許すことができるようになった」のではないかしら…と思うのです。

 

自分も自分以外も許せない生き方は、自分も他人もしんどい

私は、許せませんでした。

自分をバカにする他人も、馬鹿にされるようなアウトカムしか出していない自分自身も。

飲めないから機会を失う、同僚の飲み会の中で交わされる会話についていけない、そんな惨めに見えた自分自身。

どれだけ言葉を尽くしても分かってくれない、分かろうともしない、思い通りにならない他人。

ああ、そんな風にすべてに憤り、青筋を立てて顔を真っ赤にして、私はどうしたかったのでしょうか?

 

そもそも、思い通りになることなど、そんなに世の中にはないのですから。

 

ブルースリーは、「友よ、水のようになるのだ」という言葉を残しています。

 

水は、たとえば川を流れるとき、川の在り方に沿ってしか、流れていけません。

傾斜・角度・川幅・方向…すべてが外の力で完璧に決められていて、それを水自身はどうすることもできません。

しかし、水自体はどんな形にもなれる。

速く流れることも、激しく打つことも、穏やかに揺蕩うことも。

そして、水は、水以外の何物でもなく、唯々、水であり続けます。

こっちの水とあっちの水のどちらが優れているとか劣っているとか、水自身は何も比べません。

比べる気持ちがある人(第三者)が、その気持ちを込めた目で視て、優劣を勝手に決めつけているだけ。

その勝手な優劣は、人の目の数だけ存在することになります。これが他人の評価、というもの。

 

つまり、そんなものを気にしていたら、そのニーズのすべてを満たすために、水は水で在ってはいけなく、他のどんな物質にもそれを成し遂げることなどできません。

「出会うすべての他人の意に沿おうとする」というのは、すなわち、水を水でなくす=「正体をなくす」ということです。

私たちは、正体をなくしてしまった。アルコールという薬物で、土台無理なことをしようとする自分自身を、隠しだまし裏切り続けてきたのではなかったか。

そう思うのです。

そりゃ、苦しいですよね。だって、「自分が自分で在ってはならない」って24時間365日思い続けているんだから。

そんな自分を許してくれない他人にも、常に苛立ち恨みを抱えているのだから。

そんなあなたを見た他人も、ずっと刀の切っ先を向けられているような、責められているような気持になっていたでしょう。

お互いに苦しいだけですよね。

 

水と水を較べない。水が水である事を、もうそろそろ許そう。

水=自分・他人と置き換えてみると、どうでしょう。

自分と他人を較べない。

自分が自分であることを許そう。

自己啓発セミナーみたいな怪しげなところでも言っていそうなセリフでしょう?笑

 

でも、そうなんですよ。

私は、私でしかないんだから。他の誰にも成れないんだから。

『背伸び』しなくてもいいし、『できないこと』を隠さなくてもいい。

 

だって、水は水でしかないのと同じなんだから。

 

水はどんなに背伸びしても他の液体にはなれない。

水銀にもガソリンにもなれない。

 

「なんで水銀じゃないんだ?水銀になれないお前(水)は頑張ってない!!」

「ガソリンになれないなんていうのは、気持ちが弱いからだ。恥ずかしくないのか?!」

って言われても

「ごめんなさいね。でも、私は水なので、水でしかないんですよ」

と言って、ただそう在ることしかできないことを恥じる必要はないし、できないことは、できないと言ってもいい。いや、むしろできないと言わないと相手が見誤ってしまいます。

 

私はアルコール依存症であり、そういう「私」でしかない。

その事実を恥じて隠してしまったら、他人は私に「できないこと」を求めてしまうし、できると勘違いしてしまいます。

だから、私はこれからも、「アルコール依存症のちあきさん」として生きます。

そうでしかないのだから。

 

早朝に増水した川を愛犬と眺めていて、そんなことを考えていた、という話をした久々の断酒例会でございました。

 

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【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ③(セロトニン・オキシトシン・エストロゲン)

こんにちは、ちあき です。

ホルモンのトリセツシリーズ第3回ですね。

前回の【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ②(グレリン・インクレチン・副腎ホルモン)の続きです。

今日は、満足感が持てるホルモン「セロトニン」、愛情のホルモン「オキシトシン」、心身がアクティブになる「エストロゲン」を紹介します。そして、ホルモンを役立てるために日常でできる事を解説していきます。

 

セロトニン…満足感が持てるホルモン

分泌される部位:腸・脳

働く場所:腸・脳

セロトニンは、心身を安定させ、現状に満足感を与えてくれるホルモンです。

体内にアミノ酸の一種であるトリプトファンという栄養素を取り入れることで合成される物質です。
トリプトファンが腸から取り込まれると、血液の中を循環し、腸や脳などにあるトリプトファン水酸化酵素という酵素をもった細胞によって合成されます。腸で分泌されたセロトニンは基本的に腸で働きますが、腸と脳はお互いに影響しあっているため(腸脳相関)、腸で働いているセロトニンの情報が脳にもフィードバックされると考えられています。
トリプトファンは、和食であれば、豆腐や納豆、味噌、醤油などの大豆製品、洋食であれば、チーズやヨーグルトなどの乳製品に多く含まれています。特に、バナナにはトリプトファンが多く含まれます。さらにセロトニンを生成するのに必要な炭水化物やビタミンB6もバランスよく含まれています。
ただし、そのほかにもあらゆる食材に含まれており、偏食しなければ摂取できるので、それほど意識をする必要はありません。
逆に、普段の食事以外にサプリなどでトリプトファンを過剰に摂取することにより、発熱や痙攣など副作用が出る可能性があるため、過剰摂取は危険です。
自然に、バランスよく、
トリプトファン + ビタミンB6 + 炭水化物
を摂取していれば、原材料は十分調達できています。
もうひとつ必要な原材料は、実は太陽の光。
朝はなるべく同じ時間に起床し、太陽の光を浴びることが重要です。

 

 

セロトニンは男性よりも女性のほうが分泌量は少ないということが確認されています。「女性のほうが情緒不安定になりやすい」という説はこのエビデンスから言われ始めたようです。(個人的にはこのエビデンスはあまり信用していません。何故なら私が妻より情緒不安定だからです。)

またセロトニンは「強迫性障害」と「うつ病」に共通して欠乏する神経伝達物質です。

 

 

☆日常生活でできる事

・早寝早起 決まった時間に起きる
・毎朝太陽の光を浴びる
・リズム運動(ジョギング ウォーキング ガムを噛む)
・グルーミング スキンシップ
・感動する(どんな小さなことでもOK)
自然にバランスよく、バナナ・大豆製品・乳製品などを摂取し、
トリプトファン + ビタミンB6 + 炭水化物 で食物原料をそろえる。

 

 

オキシトシン…安心や幸福を感じるホルモン

分泌される部位:下垂体

働く場所:子宮・乳腺・脳

人と会って共感したり話をしたり触れ合ったりする「社会的接触」は内因性オピオイド(中枢神経や末梢神経に存在するオピオイド受容体への結合を介してモルヒネに類似した作用を示す物質の総称)=いわゆる「脳内麻薬」を分泌させます。
内因性オピオイドは体内で作られ、生理的状況あるいは生体に危機が迫ったときにも放出される物質ですが、種類としては、エンドルフィン、エンケファリン、ダイノルフィン、エンドモルフィン等があります。
エンドルフィンは、ランナーズハイの状態で分泌される代表的な脳内麻薬として有名ですね。
ランナーズハイ(runner’s high)とは、人が長時間の走行中に経験する陶酔感や恍惚感です。
マラソンやジョギングを行うと通常、次第に苦しさが増してきますが、それを我慢し走り続けるとある時点から逆に快感・恍惚感が生じることがあります。この状態をランナーズハイと呼びます。
多くの検証実験から、この状態においては脳内にα波とモルヒネ同様の効果があるβ-エンドルフィンに満たされていることが判明しています。βエンドルフィンの増大が麻薬作用と同様の効果を人体にもたらすことで起こるとされていますが、運動中にβ-エンドルフィンがどう働くかのメカニズムは解明されていないのが現状です[1][2]
なので、マラソン好きの人のことは、健康的というよりエンドルフィン・ジャンキーだと思ってみていて、街をものすごいスピードで走る人を見かけると「おう!今日も脳内麻薬キメて元気にラリってんなー!!」って思ってなんかアル中としては勝手に親近感を持ってしまいます。

オキシトシンは、長期的なこの内因性オピオイド(エンドルフィンなど)の分泌を促し報酬効果を増強する作用があるといわれています。また、オキシトシンはストレスホルモン(コルチコステロイド)を抑制する作用もあります。

つまり、ずっと幸せに生きるための脳内麻薬の効きを良くしてくれてストレスを感じにくくしてくれる、安心と幸せのホルモンなのです。

詳しくは【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ①(ホルモンと神経伝達物質の違い)の「例えば、オキシトシンってどんな働きをするの?」の段落をご覧ください。
☆日常生活でできる事
・人と社会的接触をもつことが大切です。
他者と強い絆を形成し、社会的接触を持つことは強力な報酬効果をもたらし、社会的親和関係構築へのさらなるモチベーションを生じさせることが考えられます。
アルコール依存症やその他の精神疾患の「自助グループ」で悩みを共有することは、脳内ホルモンの観点からも有効であると考えられます。
・また、人やペットなどと触れ合うスキンシップ『グルーミング』がおすすめです。グルーミングを行うと、オキシトシンが分泌されます。特に視線を合わせてくれるとさらに好影響が期待できるとされています。
(実は、オキシトシンは先ほどのセロトニンの分泌を誘発する働きがあるため、オキシトシンが増えるとセロトニンが増える。)

エストロゲン…心身がアクティブになるホルモン

分泌される部位:卵巣

働く場所:全身

女性ホルモンと呼ばれるものには、男性を追い求める”攻め”のエストロゲンと、妊娠出産を成立させようとする”守り”のプロゲステロンの2つがあります。

なかでもエストロゲンは肌の美しさや心身のアクティブさに関わり、艶のある女性はエストロゲンの分泌量が多いとされています。女性ホルモンはどんなに美しい人でも等しく加齢とともに減少する運命にあるので、減少スピードを緩めるアプローチが大切です。

 

☆日常生活でできる事

スキンケアやマッサージで日常的に皮膚を刺激することが重要です。

それが女性ホルモンの活性化につながります。エストロゲンの一部は皮膚や脂肪の細胞でも分泌されたり働いたりしているからです。そのため、女性ホルモンの分泌量は肌の美しさに比例するという恐ろしいデータが存在します。

 

 

 

 

今回でホルモン特集は終了ですが、いかがでしたか?

ホルモンとうまく付き合いながら「自分らしく」生きていきたいものです。

ではまた!

【依存症】「人は生きているだけで価値がある」のは、なぜか?

こんにちは、ちあき です。

今日は久々に断酒会でした。浄化されました。やはり自助グループは良い…。マンダム。

最近、「自助グループと他の人間関係はなぜこうも違うんだろう?」と不思議に思っていました。受け容れられる話とそうでない話ってなんなんだろ?と思いながら断酒会で話を聞いていると「自己開示」がキーワードだと気づいたので、少しまとめてみました。

 

自己肯定感の低い私たち

私たち依存症者は、なかなか他人を信じられません。

 

今までありのままを受け容れてもらえなかった恨みの歴史から自己肯定感が低いのか、自分の決定や思考に自信がないから理論に頼る傾向にあります。

というか、私がそんな感じです。

他のみんなも割と著書や著名な精神科医の講演内容などを引用して、やたらと他人の話が本当に自分が納得できるものなのかどうか、を石橋を叩いて渡るように慎重に吟味します。

 

AC(アダルトチルドレン)などは結果を出さなくては愛されないという不安感から、親や依存関係にある他人の指示や願いに従って生きてきた人もいます。

結果、心の満たされなさを抱え、ある種の憎しみを抱え続けています。

他人の反応が気になるくせに、他人を信用できないので素直に言葉通り受け取ることに抵抗感があります。

 

今日も私が「このシーズンにスリップして妻に嘘を吐いたことを思い出す。今、働きながら専門学校に行っていて、知らないことを知るのはとても勉強になる」という話をしましたが、メンバーの反応は様々でした。

 

ある人は「私はそんなに日は経っていないが飲酒欲求もなくちゃんと働いている」と私を見ながら肩をいからせ鼻の穴を拡げて言っていました。おそらく「スリップした」という部分でマウントをとり、断酒期間の短さに対する自信の無さを隠したい心がうかがえました。

 

ある人は「私はスリップもせず、ほぼ毎回参加して5年間止められている」と私をチラチラ見ながら言っていました。「年数は長くスリップはしていない」という点でマウントをとりつつ、仕事をしていないという自身の焦りや不安を見て見ぬ振りしたいという心が見え隠れしていました。

 

事実は事実。

事実に意味を与えるのは、やはり自分自身であって、他人を信じたくても信じられないときは、私自身の心に恐れや不安があることから目を背けたいときなのだと思います。

 

 

「北風と太陽」の太陽で在るための条件

安心して接することができるひとは「自分の弱さや失敗を公表している人」だよね、という話を、今日一緒に返った断酒会の先輩と話していました。

同じように苦しんでいる「当事者」ということが分かれば、固く閉ざしていた心が開かれるのだと。

その大先輩は、ご経験をブログに書いてよいか?と打診したら、快く了承してくれたので、少し踏み込んで書いてみたいと思います。

(Kさんありがとうございます。)

 

 

Kさんはいつもご夫婦で断酒会に参加しています。

 

私はKさんご夫妻で断酒して20年以上(!)になるお二人に、絶望的な気持ちで参加した初の断酒会で見かけて、一筋の光明をみました。

 

なぜなら、Kさんは仕事ではトラブルを起こしまくり、奥さんに暴力を振るっていた、「ゴミくずのような人間」と本人をして言わしめる真っ暗闇の過去があったからです。

 

仕事で頭にきた棟梁を殴り倒して現場を1日で辞めたこと、

仕事先で殴り合いになって刑務所に入ったこと、

お互いに憎みあう間柄の宿敵と刃物で刺しあい、殺し殺される寸前までいったこと、

言い争いになり包丁で奥さんを刺したことがあること、

ろっ骨が折れるほど殴ったこと、

髪の毛をもって引き摺り頭皮が剥がれて血が天井まで吹いたこと、

それらのDVの酷さを見かねた近所の若い男衆に5~6人で寄ってたかってボコボコにされ死にそうになったこと。

 

奥さんは、

腰紐で何度も寝ているKさんを殺して自分も死のうと思ったけど手が震えてできなかったこと、

「おかえり」といっただけで殴られて顔が腫れあがり泣きながらパジャマと裸足で数キロ先の実家に逃げたこと、

知り合いの家の奥さんがアルコール依存症の旦那さんと離婚したらその数日後に自殺しているのが発見されたこと、それを聞いて離婚だけはできないと思いとどまったこと。

 

これらヘビーな話を爽やかに話すKさん夫婦の酒害体験を聞いて、当時離婚もあるかもしれないと思っていた妻と、何をしても酒を断てず自分の力ではどうにもならなかったことを認めざるをえない絶望感に打ちひしがれていた私は、それぞれに「もう一度がんばってみよう」と心の中で思ったのでした。

そのおかげで今があります。

 

「当事者」が、耳の痛い正論にたどり着くまでに、いかに苦しみ試行錯誤して、その正論にたどりついたのか、「失敗の歴史」を知ると、自分は他人から責められているのではないから、安心して聞いていいんだ、この人の話を素直に受け容れていいんだ、と自分に許可が出せる気がします。

 

Kさんが毎朝毎晩仕事をしながら寺に通い何年も座禅を組み続けたことや、今ご高齢になり床に臥せている奥さんが「もっとあんたが早いときに酒をやめてくれれば…」と声を押し殺して泣いている夜に、仏間でひとり悔しくて悔しくて噛んだ唇が切れて血が滲んだことを知っているから、私はKさんがどんなに厳しいことを感じて辛い事実を話されたとしても、受け容れられるかもしれない、と思います。

 

私は、Kさんの過去の過ちと弱さを、それを話せることを、尊敬しているから。

 

正論の先にすがる未来がなくては、自己肯定感が低い人は正論そのものには反発すると思います。

自己肯定感が低いまま、正論にそぐわない自分を何のよすがもなく認めるということは、今までの在り方や存在自体が否定され責められているような感覚になるので、受け容れる事は自身の死を意味するからです。だから、恐ろしくてたまらないので、なかなかできない。それは自然なことです。悪いことではない。

 

要するに「北風を浴びせるだけ」では、結局心が開かれず、当事者は救われないということなんだと思います。

 

過去の過ちや弱さを吐露する後姿は、尊敬の念で輝いて見えます。太陽の温かさに似ています。

正論だけをただ暴力的なまでにぶつける姿は暗く重く、北風を吹きつける暗雲に似ています。

 

太陽であることで、聞く人の心が開かれ、メッセージが伝わり、当事者に救われてほしいという祈りを実現し、生きる目的を達成することできるのではないでしょうか。

 

目的を見失い、手段に依存してはいけません。

 

人類が歴史から学び科学技術によりエビデンスを積み上げてきた論理的に正しい「正論」は、重要ではありますが、手段でしかありません。

 

せっかく酒を抜いたのに、今度は「強い言葉を使う」という行為に酔って依存しているのです。

 

他ならぬ自分と大切な人を救うための、正論であり太陽であることを忘れてはいけません。

 

 

 

私は正しさにこだわる北風だ、という反省

私はどうだったか?といえば、最近は北風ばかり吹かせていたのではないか、と反省しきりです。

 

正しいことは優しいこととイコールではない。

 

ここは私がもっとも反省すべきところです。

 

Kさんは「これは正しくないかもしれない」と苦悩しながら、定期的に手紙をくれました。

これが参考になったと断酒にまつわる新聞記事の切り抜きをくれました。

 

それは、自らの家庭内暴力のせいでもう子供も望めず、親兄弟もすでに死んでしまい、何も残せないと語るKさんにとって慰めのひとつだったし、過去の自分たちを見ているようで居た堪れないからついやってしまった「余計なお世話」かもしれない、とKさん自身は言います。

 

しかし、それがどれほど優しく勇気のある行いだったか、酒を断っている今になってようやくわかります。

もらい始めた当時は、「なんでこんなの送ってくるんだろう、飲んでいると疑っているのかな?」とか「自分が止められているからって偉そうに…」って思ってました。

 

私は自信がなかった。自信がないから、正しいことにこだわってきたのだと気づきました。

 

そして今も、正しいことを伝えるだけで、他人にいい影響があるだろう、と思っていました。

 

それは、少し違うかもしれません。

弱さや失敗を露呈した人に、ただ「こうすればよい」と正論をぶつけるのは攻撃であって、救う(間違いに気づいてもらう)ためという大義名分を振りかざして、最も主眼に置いていたのは、自分を守ることしか考えていなかったのだと思います。

それは正論に隠れて己の承認欲求を満たそうとするオナニーであり、自分のトラウマの解消のために他人を使っているということです。私の行いは、エゴでしかなかった。

 

正論にこだわる自分の性質が「自分に自信がもてないという不安感」が原因の一つで、その喪失感がモチベーションになっていると自覚しなくては、他人にマウントして犠牲にしていきているという意味では、そんな人間が関わらないほうが回復できるのでは、とすら思います。

過去の自分と同じように苦しんでいる人を食い物にするような人間には、最終的に社会も他人も自分自身も救えない。そう反省しています。

 

 

 

 

正しさは、愛とセット処方されて初めて効果が期待できる

率直に語っても、相手に攻撃ととられることもあります。今回の私の話のように。

 

他人は他人、自分は自分。

どう話を解釈するか、どう反応するか。他人の行動と思考は、最終的には実は完璧に何もコントロールできませんよね。

どんなに手を尽くしても、どんなに心を砕いても、ご家族がいくら手を尽くしても酒をやめなかったアルコール依存症患者のように、本人にしか、本人の人生はコントロールできません。

 

つまり、正しいことを言うだけで自己開示をしないということは「まだコントロールしようとしている」と言えます。

 

私自身がいま正しいと考えていることも「現時点で正しいと考えられる」だけで、不変の真理というわけではないし、絶対の正解などありえないのですから、精一杯言えるのは、『私はこうだと思うよ』ということだけです。

 

だからこそ、正しさは対象に対する愛を持って発せられて初めて、優しさに昇華する。

愛とはつまるところ、「『独りではない』と感じ孤独感を忘れられる行い」だと思います。

 

我々はお互いに完全にアンコントローラブルであり、だからこそ尊重できる関係だということです。すなわち、そうした「独立した権利ある存在」という立場で、私たちはみな『独りではない』と言える、という、『独りだけど、独りじゃない』我々の在り方を愛する、ということ。

 

安心できる過去の過ちと弱さの実体験を話すこと。

自己開示を否定されない経験。

ただ黙って自分の話に耳を傾けてくれる居場所。

 

それらは、言葉で「あなたはありのままでいいんだよ」と言うよりも、雄弁にその愛を語ります。言葉を信じないひとに最も伝わる愛は、「何も言わず耳を傾ける=失敗や反省を共有する自己開示を受け容れる姿勢」であると言えます。

参加する誰もが「私も当事者である」という立場が明らかになって「私はあなたを尊重している」というメッセージ性をもって、体験談は当事者それぞれの歴史・苦悩に語りかけます。

同じ立ち位置の人だと認識するからこそ心が開かれます。

 

「私は」という「Iメッセージ」で伝える大切さがここにあります。

Iメッセージには、私の心を尊重するのと同じようにあなたの心を尊重しているという裏のメッセージがこもっているから、頑なで偏屈な心理状態に陥っている私みたいな人も、素直に傾聴できるのだと思います。

 

だから、自助グループには、愛を感じられるのだと思います。当事者としての自身の苦しみや弱さを予め語ってくれた人の言葉には、愛を感じるのだと思います。

自助グループは「自己開示」を通じた相互の尊敬する心により人々を繋げ、「独りだけど、独りじゃない」を再現してくれます。

 

 

だから、私たちは「生きているだけで価値がある」

私は、これからも勇気をもって「自分の弱さや失敗」を公表し続けていきたい。

私は、「自己開示」と必ずセットにして、科学的根拠に基づいた「正しい情報=正論」を発信し続けていきたい。

それが、私がずっと探してきた愛がある優しい行動だと思うからです。

 

それが、私自身が最も愛を感じる人に共通することだと思っています。

「太陽」のように映る尊敬すべき仲間に共通するスタイルだと思います。

 

Kさんは私にとって太陽なのですが、そんなKさんから今日帰り道にこんなことを言われました。

 

K「ちあきさん。私は、あなたの顔が見たくてきたんです。そのやわらかい笑顔で率直に自分のことを内省し振り返り、隠さずに話す姿に、私たちふたりはいつも勇気をもらっているんです。」

 

私は恐縮して「そんなまた嘘でしょう、そんなに立派なもんじゃないですよ私は」と言いました。にわかには信じられない内容でした。

 

ち「私のほうこそお二人が初日にいてくれたから、今も断酒が続いているんですよ。私たちのほうこそ、Kさんご夫妻に生かされているようなものです。」

 

K「そんなまた嘘でしょう、そんなに立派なもんじゃないですよ私は」

 

K・ち「え?」

 

みたいな会話があって、Kさんも私も顔を見合わせて笑ってしまいました。

自分のことですら、他人の視点とは、こんなにも違う見え方をしているものなのでしょうか。

 

私はそんな風に尊敬する人に思われているとは、露ほども想像できませんでしたし、

なんと驚くべきことにKさんも私がKさんを尊敬しているとは思ってすらいなかったのです!

 

私たちはただ、自分の公開や自分なりに考えてきた内省の結果を、お互い自分の言葉で懺悔してきただけだったのに。

ただそれだけのことが、正しさに関係なく、こんなにも他人を救っているのか。

そして、私たちはお互いにそんなにも自分や自分の行いを低く見積もっていたのか。

とても驚きました。

だって私は、もしKさん夫妻が亡くなってしまっても、死ぬまで忘れないでしょう。

苦しかった時期に手紙を受け取ったことを。

ただ弱さを吐露する私の姿に「勇気をもらっている」という素敵な笑顔を。

だから、「自分なんて大したことない」「何のとりえもない」と嘆いていても、真摯に自分を見つめて生きている姿は、見る人が見れば、結構マシな人間どころか尊敬できる人間にすら見えている可能性があります。

 

三森みさ先生の「だらしない夫じゃなくて依存症でした」の最終話の武田先輩(こんなに立派な人の足元にも及びませんが)に近いものがあると、ネットでこのブログに対して反響がありました。


私たちは失敗や過去の過ちを受け止め、弱さから目を逸らさないで素直に生きているだけで、人々にいい影響を与えているのです。無自覚に、無意識に。

だから、真剣に生きていさえすれば、人は「生きているだけで価値がある」のです。

 

私たちは自分が思っているより、生きているだけで他人に貢献していると知り、自己肯定感の低さを認識する出来事だなぁと思いました。


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【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ②(グレリン・インクレチン・副腎ホルモン)

こんにちは、ちあき です。

思えばアルコール依存症になり、周囲から「不良品」として憐憫の目で見られているような気になり始めてから、私は自分を守るために、いろいろな医学的知識を学び、自分をカスタマイズしたいと思ってきたようです。

だから製薬会社に転職してから学ぶ医学薬学知識に興味は尽きなかったし、一生懸命学べたのでしょう。

それが少しでも何か役に立てばいいな。

そしてこれからは、対人における認知の歪みの観点から、己の内面にアプローチしていく必要がありそうです。

自分の虚栄心を満たすようなチンケな使い方ではなく、もっと優しい使い方をされていけばいいな、と思います。

はい、永い独り言でした。笑

 

前回の【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ①(ホルモンと神経伝達物質の違い)の続きです。

今日は、若々しくなれるホルモン「グレリン」と、食べ過ぎを防ぐホルモン「インクレチン」と、ストレス対抗ホルモン「副腎ホルモン」を紹介します。そして、ホルモンを役立てるために日常でできる事を解説していきます。

 

グレリン…若々しくなれるホルモン

分泌される部位:胃

働く場所:脳

老化とは細胞の機能が衰える事ですが、そのカギを握っているのが、細胞内でエネルギーを生み出しているミトコンドリアです。食欲を増強するホルモンのグレリンには、ミトコンドリアを元気にして増やす働きがあることが分かっています。ミトコンドリアを元気にすることは老化を防ぐポイントです。

グレリンが分泌されるのは、胃が空腹の状態だということが確認されています。少し前に南雲Drの1日1食ダイエットが話題になりましたが、これはあえて空腹になる→お腹がぐーっとなる→グレリン分泌→ミトコンドリア活性化・増加→全身の細胞が元気になりアンチエイジング、みたいなことをしているんだなーと思ってみていました。

心不全の患者さんの心臓リハビリテーションにおいても、細胞(厳密にはミトコンドリア)のオートファジーが誘導され自浄作用を発揮するため、細胞のクオリティを上げ品質管理ができる可能性があるということが、特に基礎研究を熱心に行ってきた循環器内科医の間で語られています。つまり、トレーニングをするとミトコンドリアがリニューアルされて若々しくなれる、ということですね。

 

☆日常生活でできる事
=常に何かを口にしているような生活を改め、できるだけ決まった時間に、空腹になってから食事をとるようにしましょう。お腹がグーっと鳴ったら「あ、グレリンが出て若返ってるな」とプラスにとるようにしましょう。

 

 

インクレチン…食べ過ぎを防ぐホルモン

分泌される部位:腸

働く場所:脳・胃・膵臓

栄養素の摂取により消化管から分泌されインスリン分泌を促進する消化管ホルモンは、総称して「インクレチン(incretin)」とよばれています。

主なインクレチンとしてGIP(gastric inhibitory polypeptide) と GLP-1(glucagon-like peptide-1)が存在します。

GLP-1とGIPとはいずれも血糖値依存的に膵臓のβ細胞からのインスリン分泌を促進します。

インスリンとは、食事により摂取した血中の糖分を取り込ませることによって、血糖値を下げる重要な役割を持つ、膵臓から出るホルモンです。

なので、インスリンが出ると、血液の中から糖を減らすために、どんどん筋肉や脂肪に糖分を取り込んでということです。生活習慣病として有名な2型糖尿病は、どんどん食べた糖分がインスリンで最初は筋肉や脂肪の中に取り込まれていくのですが、肥満になるとインスリンが効きにくくなってしまいます。効きにくくなるので膵臓はがんばってインスリンを出そうとします。しかしどんなに出しても効かないので、もうバテて諦めてしまいます。そうなると、インスリンが自分では分泌できなくなり、血液の中の糖はいつまでも血液の中を漂います。こうして血中の糖の濃度が高まった状態が、「2型糖尿病」で、神経が障害されて足が壊死したり、網膜が障害されて目が見えなくなったり、腎臓が障害されて人工透析になったりします。とても重症化した時の合併症がきっつい病気です。気を付けましょう。

GLP-1は胃の内容物排出速度を遅らせ、満腹感を助長することで食欲を抑制したり、食後の急峻な血糖上昇を抑制したりする作用があります。

一方GIPは脂肪細胞にそのGIP受容体が存在し、脂肪細胞への糖の取り込みを促進することで肥満を助長させます。

先ほどのグレリンが分泌された後、インクレチンが分泌される協調作用があるので、グレリンの分泌をよくすることも大事ですね。

☆日常生活でできる事
=グレリンの分泌をよくするために、空腹になってから食べましょう。そして腸内環境を整えましょう。インクレチンの分泌部位である腸の健康をが重要です。乳酸菌や発酵食品を積極的に摂取しましょう。腸内細菌のバランスを整えることでインクレチンを正常に分泌させて適量で食事を終えられる手助けを得られるようにしましょう。

 

副腎ホルモン(髄質・皮質)…ストレスに対抗する諸刃の剣

分泌される部位:副腎

働く場所:全身

副腎には皮質と髄質があり、それぞれ分泌するホルモンが異なります。

副腎(皮質):コルチゾール、アルドステロン

副腎(髄質):アドレナリン、ノルアドレナリン

様々な体の環境を動ける状態に整えてストレスに対抗するホルモンですが、これがずっと出続けると逆効果になる諸刃の剣です。
アドレナリンとノルアドレナリンは、ストレスに対処するために、「闘争 逃走 モード」にするホルモン。
逃げたり戦ったり体が最大限の働きをするように、心拍数を上げ、血圧を上昇させ、血を行き渡りやすくします。動くための酸素を体に届けられるようにするために。
そして、血管を収縮させます。攻撃により外傷を負っても血が出過ぎないように。
ストレスを感じた時に、どういう反応が体内で起こっているかというと、以下の図のようなフローになります。
体を稼働させるためのエネルギーの「糖」を血液に流し込みたいので、肝臓に指令を出し作らせたり、体のありとあらゆるところからエネルギー源を絞り出して血液に流します。
つまり、ストレスを感じ続けるということは、「交感神経優位になりっぱなし」+「アドレナリン ノルアドレナリン出っ放し」=「血圧が上がる!血糖値上がる!胸は高鳴る!やる気が出る!休まない!」が、ずっと維持され続けようとするわけです。
そんなのずっと続くわけがなく、いつか体も腎臓も疲れ切りますよね。

ストレスが過剰になり、これらのホルモンが大量に分泌されると、分泌する副腎はとっても疲れて疲労困憊状態になります。

副腎が疲れうまくホルモンを調節できなくなると、上記のような症状に見舞われます。
・やる気出ない
・血圧乱高下 朝起きられない 気分変わりやすい
・血糖乱高下 食べたあとめちゃ眠い
・免疫力低下
・うまく眠れない
☆日常生活でできる事
=たばこ・カフェイン・寝不足は副腎に負荷をかける要因になるので、適度が一番。できれば控えましょう。深呼吸・腹式呼吸・瞑想は副交感神経優位に体のバランスを意図的に傾ける作用があります。生活の中に無理なく取り入れ定期的に呼吸を整えられるといいですね。
今日は疲れたので、2つ。
あと5つあります。

【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ①(ホルモンと神経伝達物質の違い)

こんにちは、ちあき です。

最初にお詫びしておきたいのが、この情報は何かの薬学系の雑誌で個人的に勉強していた時のメモなのですが、出典がわからず、引用元が記載できないものもございました。

申し訳ありません…。こういうのはメモっとかなきゃな…。

というわけで、知っているようでわかりにくい「ホルモン」と「神経伝達物質」について解説していきたいと思います。

 

ホルモンって?

ホルモンは種類によって、分泌される部位がいろいろ分かれています。

画像引用:東京女子医大学 高血圧・内分泌内科 患者さん向けHP

 

視床下部:ドーパミン

下垂体:成長ホルモン、オキシトシン

松果体:メラトニン

副甲状腺:副甲状腺ホルモン

胃:グレリン

副腎(皮質):コルチゾール、アルドステロン

副腎(髄質):アドレナリン、ノルアドレナリン

膵臓:インスリン

腸:インクレチン、セロトニン

卵巣:エストロゲン、プロゲステロン

精巣:テストステロン

 

ホルモンは、細胞から血管の中に放たれ(ホルモン分泌)、血管を通って全身を循環します。

ホルモンの種類には、蛋白質のもととなるアミノ酸が数個から100個以上つながった形のペプチドホルモン(成長ホルモン、インスリン、オキシトシン)、コレステロールを材料につくられるステロイドホルモン(副腎皮質ホルモン、エストロゲン、テストステロンなど)とアミノ酸のチロシンの誘導体であるアミン(甲状腺ホルモン、アドレナリン、ノルアドレナリン)があります。

引用:看護roo!ナースみんなのコミュニティ 標的細胞を刺激するホルモン|調整する(3)

 

神経伝達物質って?

神経伝達物質は、神経細胞間の領域であるシナプスにおいて情報伝達を介在する物質です。

神経伝達物質は大きくアミノ酸、ペプチド類、モノアミン類の3種類に分けられます。

神経細胞には神経伝達物質に対応する、アセチルコリン受容体、アドレナリン受容体、GABA受容体、ドーパミン受容体、セロトニン受容体などが存在し、受け取ることで活動電位が発生します。

神経細胞から放出される各種神経伝達物質のざっくりとした働きのイメージは下記の図の通りです。

引用:https://www.igaku.co.jp/pdf/1205_medicinal02.pdf

ノルアドレナリンやドーパミンはこのうちのモノアミン類に含まれます。

モノアミンは、アンモニアの水素原子を炭化水素基で置換した化合物であるアミンのうちで、アミノ基を一個だけ含むものを指します。ノルアドレナリンドーパミンセロトニンはいずれも非常に重要なモノアミン神経伝達物質です。

またオキシトシンはポリペプチド類で、中枢神経での神経伝達物質としての作用があります。

(引用:https://sankyobo.co.jp/dicdet.html)

 

この二つは何が違うの?

ここまで見て、あれ?とお気づきの方もいるかもしれませんが、先のホルモンの一覧の中には、神経伝達物質でもある、同じ名前がありますよね?

 

そう、「どこからどこに放出されるか」でホルモンと呼ばれたり、神経伝達物質と呼ばれたりするのだけで、同じ物質です。

「末梢組織から血液中に放出される」なら、ホルモン。(血液中を船で航海して遠くまで運ぶイメージ)

「神経細胞からシナプス間隙に放出される」なら、神経伝達物質。(神経細胞をA駅から近場のB駅まで快速電車で手紙を送るイメージ)

どちらも「細胞間情報伝達物質」というのが、最も誤解のない共通の呼び方だと言えます。

神経細胞の軸索から同じ物質が放出されたとしても、シナプスで放出された場合は神経伝達物質という括りになり、血液に放出された場合は、ホルモンという括りになったりします。

神経伝達物質の多くとホルモンと化学的特性としては、実はほぼ同じものなのです。

ですので、特にピンク色の物質については、どちらのほうが早いとかどちらのほうが遅いとか、そんな違いはありません。

だって、どこに放出されるかが違うだけで、神経にも血液にも流れる、同じ化学物質だからです。

 

引用:https://www.kango-roo.com/sn/k/view/1709

 

例えば、オキシトシンってどんな働きをするの?

オキシトシンは、情動に関するホルモンとして大変重要な働きをしています。

J-stageで「オキシトシン神経系を中心とした母子間の絆形成システム」(永澤美保,2013)において、以下のようにオキシトシンと内因性オピオイドの関係が分かりやすくまとめられていましたので、引用しながら紐解いていきます。

社会的接触はオピオイドの分泌を促すため、気持ちよさを感じる

“Love is addiction”(Insel, 1997)という言葉の通り、社会性を持つ動物は同種の動物に強く惹きつけられ絆を形成します。絆形成によってもたらされる社会的接触はオピオイドの分泌を促しますが (Panksepp & Bishop 1981;Nelson & Panksepp 1998)、オピオイドは鎮痛や不安緩和の効果を持ち(Panksepp他,1980;Billington他,1990)、さらにこのような鎮痛効果は、接触した相手との親和の程度に依存します(D’Amato 1997, 1998)。

つまり、他者と強い絆を形成し、社会的接触を持つことは強力な報酬効果をもたらし、社会的親和関係構築へのさらなるモチベーションを生じさせることが考えられます。

 

オキシトシンは長期的な内因性オピオイドの分泌を促し報酬効果を増強する作用がある

オキシトシン神経系の活性化はオピオイドの放出を促進すると言われています。

長期的なオキシトシン投与は、ストレスを軽減するのみではなく、鎮痛効果を持つことも実証されています(Uvnas-Moberg他,  1993)。

この長期投与による鎮痛効果はオピオイドアンタゴニストであるナロキソンによって抑制されるものの(Uvnas-Moberg, Bruzelius, Alster, et al., 1993;Uvnas-Moberg, 1997)、オキシトシンアンタゴニストでは効果が認められないことから、長期的なオキシトシン神経系の 活性化は内因性オピオイド伝達を増強していると考えられます。

オキシトシン神経系の活性化は、中脳辺縁系ドーパミン経路も増幅させます(Wang & Aragona 2004;Young & Wang 2004)。

つまり、オキシトシンは内因性オピオイドを適量に調整するというよりは、むしろ増強作用をしめすホルモンです(抑制作用を発揮するのはナロキソン)。

 

オキシトシンはストレスホルモン(コルチコステロイド)を抑制する

下垂体後葉から循環血中に放出された末梢性のオキシトシンは,副腎に作用してコルチコステロイド(副腎皮質ホルモン・ステロイドホルモン=コルチゾール・アルドステロン等)の分泌を抑制します。

コルチゾールは、俗に「ストレスホルモン」と呼ばれており、コルチゾールの分泌が慢性的に高い状態が続くと、うつ病、不眠症などの精神疾患の発症、高血圧や糖尿病など生活習慣病や骨粗鬆症の発症など、ストレス関連疾患の発症原因になると言われています(https://www.jniosh.johas.go.jp/publication/mail_mag/2016/87-column-2.html)。

たとえば、人前でスピーチさせるなどメンタルに負荷をかけた場合、10~20分で2~3倍に増加すると言われており、過剰なストレスにより大量に分泌され続けた場合、脳の海馬を委縮させることが、PTSD患者の脳のMRIなどを例として観察されています。

(「うつ病の脳科学的研究(最近の話題)」山脇成人,2005)

オキシトシンが抑制作用を示して調整するのは、コルチコストロイド(ストレスホルモン)の方、というのが医学的に正しい理解ということになります。

 

オキシトシンは発達障害(ASD)に関連がある

オキシトシンは、発達障害とも深い関連があると言われています。

一部の自閉症スペクトラムでは遺伝子変異によりオキシトシン分泌異常の可能性があると言われているのです。個体識別能の低下はヒトの自閉症にみられる症状の一つであり、その原因のひとつにオキシト シン異常による可能性が示されています。

たとえば、自閉症児の血中オキシトシン濃度は健常児よりも低いことが明らかになっています(Modahl他,1998 )。

また一部の自閉症患者では、オキシトシン分泌に関わる分子であるサイクリックADPリボースをつくる膜タンパク質であるCD38の遺伝子に特徴的な変異があることも報告されています(Munesue他,2010)。CD38遺伝子欠損マウスは社会記憶や養育行動が低下しますが、そのマウスにオキシトシンを投与すると、それらが正常化することから(Jin他, 2007)、オキシトシン投与による自閉症の症状改善の期待が持たれています。

 

一部の自閉症患者としたのは、2011年7月に『Archives of General Psychiatry』に発表された研究(カリフォルニアの192組の双子の調査と数学的モデルにより、自閉症のリスク要因は遺伝子が約38%であるのに対し、環境的要因は約62%であることを示した)によって、最新の研究では、遺伝的要因のみが注目されてきた今までの風潮から環境的要因にも目を向けるべきだという方向性に舵を切られているからです。

このあたりは親の愛情不足が原因になる可能性を過小評価する形で誤解されるケースがあり、その危険性についてアスペルガー等発達障害を中心に詳しくまとめておられる下記のブログでも警鐘を鳴らしています。

 


そんなわけで、自閉症スペクトラムの発達障害に悩む人たちのために薬剤開発も進んでいます。

研究代表者の山末教授らは、ASDの中核症状に対する治療薬の候補として、オキシトシン経鼻剤の有効性や安全性を検討してきました(JAMA Psychiatry 2014; Brain 2014; Molecular Psychiatry 2015; Brain 2015)。

欧米でも行われてきた研究と山末教授らの研究を統合してみると、オキシトシンの社会的コミュニケーションの障害への効果は、単回投与では有効だったと一貫して報告されている一方、反復投与では、効果がなかった、あるいは山末教授らの研究のように、副次評価項目で効果を示したものの、主要評価項目に対しては有効性が見られなかった(Molecular Psychiatry 2018a)などと報告されており、結果が異なっています。

この結果が食い違う理由として、評価方法の客観性が不十分であること、反復投与することでオキシトシンの効果が減衰すること(Molecular Psychiatry 2018b)、などが疑われていました。

そんななか、浜松医科大学精神医学講座の山末英典教授は、東京大学大学院医学系研究科の大和田啓峰医師らとともに英科学誌Brainに「Quantitative facial expression analysis revealed the efficacy and time-course of oxytocin in autism」を発表しました。

 

 

自閉スペクトラム症の方の表情の特徴である『中立症状』(=顔の表情に現れるとされる基本的な6種類の感情(喜び、悲しみ、怒り、嫌悪、驚き、恐れ)に沿って表情を分類した場合、特定の感情に分類されない表情を指します。)が、オキシトシンの投与で改善することが再現性をもって検証されました。さらにこの改善効果は時間と共に変化することが分かりました。これによって、オキシトシンによる自閉スペクトラム症の治療が最適化され開発が進むことが期待されます。

リンク:「世界初 自閉スペクトラム症へのオキシトシン経鼻スプレーの治療効果を検証しました | 国立研究開発法人日本医療研究開発機構」 

リンク:オキシトシン治療で表情が豊かに?―自閉スペクトラム症の改善効果とその経時変化―

このように、オキシトシンは分娩誘発や帝王切開術など産婦人科ですでに薬剤として使われていますが、今後は精神医療の観点から活用されることが期待されています。

 

次回は、様々なホルモンの生成部位や、働きについてまとめられればなーと思います。