【AC】「恨み」の棚卸し②

恨みが、あなたにとって問題であるような状況を調べなさい。そのような状況を記載するとき、次の質問に答えなさい。

1、あなたは何を、誰を恨んでいますか?
2、あなたに恨みを感じさせるものは何ですか?
3、この恨みはあなたの考え方、感じ方、行動の仕方にどのような影響を与えましたか?
4、どんな性格特質が目立っていますか?

引用:『ACのための12のステップ』 より

上から目線のアドバイスを長文で送りつけてきた人のエピソード

1、あなたは何を、誰を恨んでいますか?

私は、一緒にプロジェクトをやろうと話しかけたとき、やたら高圧的な上から目線のアドバイス(しかもわかりきったような稚拙な内容)を長文で送りつけてきたBさんを恨んでいました。

しかも、Bさんは他の人を経由して私たちがやっているプロジェクトには頼ろうとしてきました。

どのツラ下げて頼んできてんだよ…と呆れ返りましたし、侮蔑の気持ちを持ちました。

2、あなたに恨みを感じさせるものは何ですか?

相手の一方的で不遜な態度です。

自分のほうが優れているという思い上がりがにじみ出ていて不快でした。

私が「助けてほしい、頼りにしている」と伸ばした手をぴしゃりと叩き落されたような気がしました。

それが哀しかったし、怒りと恥ずかしさを感じました。

仲間だと思っていた気持ちを裏切られたと感じました。

3、この恨みはあなたの考え方、感じ方、行動の仕方にどのような影響を与えましたか?

この恨みにより、私はその人が高圧的に他人を批評する姿を見るのが不快になりました。

回復者のふりをしているだけで、承認欲求と傲慢さを克服できていない未熟な人間だと思うようになりました。

そのような未熟な人間に頼る必要もないんだし、むしろこちらから願い下げだ、と距離を置くようになりました。

それ以来、同じようなネットワークで知り合った人に頼ることをやめました。こいつらに頼るのは金輪際もうやめようと思いました。

仲間だとか横のつながりだとか上辺だけ綺麗ごとを言っているだけで、そのつながりはあてにならないと思いました。本当に困っているときには手を振り払うような、薄情な人間しかいないと思い込むようになりました。

その人たちが「仲間のおかげで」「仲間のために」などというたびに、胸やけがしました。飽きもせず嘘ばっかり言ってんじゃねーよ偽善者が、と思って鼻で笑っていました。

4、どんな性格特質が目立っていますか?

「孤立」

「コントロール」

「権威ある人を恐れること」

私は拒絶されたことに、正直ショックを受けました。

目的やゴールが同じなので、協力してくれるだろうと期待していたし、80%は固いと踏んで声をかけたからです。

そして予想外のしっぺ返しを食らったダメージを緩和させるため、「孤立」して自己防衛しようとしていたと思います。

私としては、他人を頼るということはかなり勇気を出したことでした。

その行いは賞賛されるべきもので、何かを成すのに自分ではすぐにはできないから、という無力を自覚しての行動です。素晴らしい。私はそのように手を伸ばせるまでに回復したということです。

そして、私が認識しなくてはならないのは、私に悪いところは何もないし、ショックを受ける必要はなかった、ということです。

結局、私が勝手に期待しただけでした。それは「コントロール」であり、おそらくOKをもらえるだろうと計算して、他人の能力を利用しようとしたのは確かです。

相手は、それができないと言っただけでした。

まあ、その人がご高説を垂れる必要もなかったのですけれど。

それは、他人の課題でした。

つまり、その人には、相談されて一緒にできる自信がなかった、やる能力がなかった。能力があっても、今はいっぱいいっぱいで手伝えないと思った。

「自分は今、何らかの能力不足で要望を受け付けられない」をそのまま伝えるのは恥ずかしい、とてもその勇気が持てないので、もっともらしい正論を並べ立てて私を追い返すしかなかった。

それは、私ではなくその人の「否認」です。

「自分には余裕が無くて今はできない」というのは、実はちゃんと相手を尊重しているからできる事です。

無理をして引き受けたとしても、相手を傷つける断り方で強くrefuseして自尊心を守ったとしても、結果的に良い状況は生まれません。

強く拒否するのは恐れているから。つまり、相手の恐れが私を傷つける形になって表出していただけでした。

私は当時強がりで「相手がショボいだけだ」と思っていましたが、奇しくもそれは的を射ていました。相手に、私の要望を一緒に実現するだけの能力が無いから受けることができなかった、その事実を恥ずかしくて認められず、素直に言えなかった、というだけでした。

だから私は「孤立」しなくていいということです。

その繋がりのすべてが腐ったリンゴなのではない。

たまたま今回は腐ったリンゴに語りかけてしまっただけで、他の人にトライする価値は常にある。

そして、他の人も、できないならしかたない。それ自体は悪いことではない。

なぜなら、私にもできないことはたくさんあるから。それと同じ。

できるひとでやれることをやるしかない。

できないことは、できない、と素直に言うことが最も優しいこと。

人々が、あるがままの私たちを受け入れてくれることが分かってきたとき、自分の感情を、もっと楽に表現できるようになってきます。

それと同時に、自分を受け入れられるようになり、自己評価が高まってきたことの結果として、さらに快適に落ち着いて生活するという、貴重な贈物を楽しむことができるようになってきます。

引用:【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑦(孤立)>孤立からの回復ってどんなこと?

あるがままの私たちを受け容れてくれることを理解するには、私たちがあるがままで生きてみないといけません。

その勇気と引き換えに、本当のつながりが見えてきます。

そのつながりのなかで私たちは自分の感情をもっと楽に表現できるし、その結果、できないことについて他人を頼れるようになってきます。

私はまさに、回復するにつれて、自己評価が高まってきたことを実感してきています。

自分らしく表現しながら生きていて他人に批判的な態度をとられたとしても、認めてくれる人は認めてくれる。

否定されたとしても「私とは少し価値観が違う人だったんだな」と理解するようになりました。

バカにしたり失礼な態度をとる人には「おそらく余裕や能力が不足しているんだな」あるいは「何か哀しい辛いことがあって健康な精神状態ではないのかもしれない」と思うようになりました。

自分の側にばかり責任があると思い込まない。

それこそが、ACからの回復を、ある意味決定的に特徴づける、思考方法の大転換なのだと思います。

参考:恨みの課題演習の過去の取り組みは以下のリンクから見られます。

【AC】「恨み」の棚卸し①

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録①(恨みについての課題演習)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする