ソーシャルワークの形成過程は、産業革命の諸問題に端を発する。
貧困が最も重大な問題のひとつとして認識され、社会調査が行われた結果、個人に問題があるのではなく、経済活動を優先する社会が貧困を生み出していることが明らかになった。このことから、ソーシャルワークの源流が生まれた。
COS(慈善組織協会)発足からの「基礎確立期」
COS(慈善組織協会)が発足する。組織化された慈善事業は、友人として対等な立場に立って積極的に接点を持つというアプローチを実践した。これはやがてケースワークの発展に寄与することとなる。
セツルメント運動も社会的弱者の立場を身を持って経験することで社会福祉の向上を図ろうとする事業の展開として発足した。
この活動の特徴は、子供たちや移民や労働の問題に、グループの力を使ってアプローチした点にあり、グループワークやレクリエーション療法に発展する源流となっている。YMCAやYWCA、ボーイスカウトやガールスカウトなどの青少年団体等の活動も、グループワーク・コミュニティーワークへと発展していった。
「基礎確立期」はケースワークの確立を特徴とする。COSの活動はアメリカに広がる。この時代にケースワークはCOSの友愛訪問から脱却し科学的かつ客観的な観点から支援を考える方法として体系化されていった。ソーシャルワークは慈善事業から専門職への進化に向かう。ミルフォード会議によって「専門化」「ひとつの専門職としてまとまり」をもつ活動に発展していく。また、ソーシャルワークほどではないが、この時代、グループワーク・コミュニティワークにも専門化の兆しが現れている。ソーシャルワーカーたちが集まる会議においても問題中心であった会議から技術中心の会議への変化が見られた。
グループワークが取り入れられ始めた「発展期」
第二次世界大戦でさまざまな形で分断され脆弱化した家庭基盤に求められ、ソーシャルワークはその要求にこたえるべく「発展期」を迎える。この時代に最も特徴となる発展は、グループワークの形成である。コイルやニューステッターらにより、グループワークが学問として教育されたり、全国ソーシャルワークグループ会議において議論されるようになり、地域社会のニーズに応える組織化された住民参加型インターグループワークの理論を確立するに至る。以前から地域における援助活動の展開が重要視されてきたが、特に第二次世界大戦後、コミュニティの自己決定やコミュニティ構成による具体的成果が求められる時代的背景の求めにより、専門職としての業務遂行能力や基盤となる理論が必要となった。
技術主義的在り方からの脱却=「展開期」
1950年代半ばから、ソーシャルワークは展開期を迎える。それは、失業や貧困だけでなく、さまざまな社会問題の出現とその解決が求められ、社会変革を必要とした時代背景が大きく起因している。パールマンにより、かつて対立関係にあった診断主義と機能主義の折衷を図った「問題解決アプローチ」が提唱された。生活上の困難は個人の病理などが原因ではなく、当たり前に生じる問題であり、問題の解決に取り組み続けることが人間が生きる過程であるという見方を示した。クライエント自身が、ワーカーとの関係のなかで自発的に機能を活用しながら問題解決に向けて進んでいく過程を形成する支援がケースワークであると定義した。この時代において、技術主義的なあり方に傾倒してしまっていたケースワークは、当時の社会的な問題に対応できなかったことから厳しい批判にさらされ、パールマンの論文である「ケースワークは死んだ」にもあるように、広範囲の社会計画や制度の変革が必要であるとして、「社会的要因」への視点を取り戻していく。クライエントの立場に立ち、制度や施策を含めた社会資源の開発や改善など大きな枠での改善を目指す活動を重要視し実践する活動へと方法論・技術として発展していくのである。
ソーシャルワークの統合化(人+状況+関係の在り方全体)
現代につながる最後の系譜として、ソーシャルワークの統合化とジェネラリストアプローチの成立に我々はたどりつく。この流れは、現代ソーシャルワークの特質を反映するものである。今までそれぞれに専門化・発展してきたソーシャルワーク・グループワーク・コミュニティワークの共通基盤を明らかにして、一体化して捉えようとする一連の流れが、ソーシャルワークの統一化である。1955年にNASWが結成されたのを契機として統合化への動きに一気に弾みがつき、コンビネーションアプローチ、マルチメソッドアプローチ、ジェネラリストアプローチを経て、ジェネラリスト・ソーシャルワークへ展開していく。ソーシャルワークは、人のみでなく、また状況のみでもなく、その関係のあり方全体に焦点を当てて、クライエントと環境との双方に働きかけて「関係のあり方」を変えるという相互作用への専門的介入であるという論点に至る。