【依存症】祈りとは信じることだという話

どん底を経験して、今死なないならとにかく生きるしかない、ということで回復に向かって真剣に生きてきて、今思うこと。

 

死なないで生きてみる

やっぱりアルコール依存症は苦しかった。とても、二度と経験したいものではない。

ただ、苦しんだけど得るものがあったし、この病にかかることで導かれるようになってたんだな、と思うことがある。

途中で強制的に終わらせなければ。死ななければ、物語には続きがある。

人生とは何か。そのことを深く考えさせられる。そういうはっと目が覚めるような感覚を何度も味わった。

生きなきゃ、損だということかもしれない。

まだまだいろいろあるんだろうから。

上映している映画を途中で退席するようなもんだ。

私は、この人生という映画を、もったいないからまだまだ観たい。

 

生きることに真摯であること(内的なハイヤー・パワー)

私は最近になって、自分の力ではどうにもならないことを経験をした。

他人の考え方や生き方をどうにかすることなど、どれだけ近かろうと他人にはできはしない。

自分で気づかなくては、何も伝わらないこともある。言葉で伝わることは限られていて、真実や回復というものは、感じるものなのだと思う。

どんなに願っても、ならないもんはならないんだな、と思う。

自分もそうだった。頑なだったり、必死だったり。自分しか見えていなかった。今もまだまだそうだとも思う。

そんな自分が、今こうやって、何かの巡り合わせで回復に向かっている。

そう考えると、やっぱり、何か大きな見えない力が働いていると感じる。

真摯にやっていれば、諦めずに向き合い続けたら、ゆくゆくは同じところに繋がるものなんだと思う。

その己が持つ『真摯さ』は、己の自我を超越していながら内在している「自分を超えた大きな力」。つまり、『内的なハイヤー・パワー』なんだなぁって思う。

 

大乗仏教にも似た思想があって、『唯識学派』という学派がある。

各個人にとっての世界はその個人の表象(イメージ)に過ぎないと主張し、八種の「識」を仮定(八識説)する考え方である。

最も根底に、『阿頼耶識(あらやしき, ālaya-vijñāna)』という根本の識があり、この識が前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているものも生み出していると考えられている。

つまり、己のなかにいる『神』と言ってもいいだろう。それがハイヤー・パワーの一つであると思う。

回復しよう、よくなろう、という誠実な気持ちは、生きることを諦めない限り必ず常に己のそばにあるし、世界そのものであるがゆえに、信じられる。

それを、『神』を信じる、ハイヤー・パワーを信じる、と表現するのだと思う。

 

祈りとは信じること(外的なハイヤー・パワー)

「依存症が回復するかはぶっちゃけ運」

「家族が回復できると祈ることも運」

という言葉を聞いて、最初は少しだけ違和感があったのだが、結局そうなのだと最近はとても肚落ちする。

コントロールすることなどできない。己に誠実に真摯に向かい合うことしかできない。

それでも回復に向かうはず、と信じることこそ、『祈り』なんだと思う。

『祈る』ことは信じることなんだなと思う。

信じようって言えるのは、自分がそうだからだ。今までもそうだし、これからもそうだから、可能性を体現している。

私の場合、あんなにどうしようもなかった奴だったのに、これまで偶然にも生きてこられて、大事な仲間ができるんだから。しかも回復に向かうんだから、あらゆるひとにとって回復の可能性はゼロじゃないと信じられる。

絶対大丈夫とは言えんが、ゼロじゃないなら、終わりじゃない。

 

俺ができることはちっぽけだけど真摯にやってたら、何かが何処かに繋がってることが、往々にしてある。

だから安心して、誠実に自分に向き合い続ければいい。そしたら、川が海に流れていくように、外的な「自分を超えた大きな力」にしたがって、信じるとおりになっていくのだと思う。

その安心感が、『外的なハイヤーパワー』なのだと思う。常に自分とともにある。それは川が川であるために土手があるように、自分と一体になっている世界そのものだから。

つまり、ハイヤー・パワーとは、外在的な安心でもあり、内在するオーダーメイドな神でもあるのだと思う。

 

まとめ:きっと、大丈夫。

いつ、そういう風に信じることができるようになってきたのだろうか、と考えてみる。

アルコール依存症になって、向き合って生きるか、諦めて死ぬかどっちか選べって状況になった。

今日。まだ死にたくないから生きる決意をして、とにかく真剣に、一日、また一日とがんばって今に至る。

そしたらいろいろ、時間がかかったけど、今まで見えなかったものが見えてきて、今こうして生きてることや、回復を実感するときがある。

そんな、パズルのピースがぴったりハマったような偶然に、感謝の気持ちがこみあげてきて、ふふふ、と笑いがこみ上げてくることがないだろうか。

それこそ、どこの誰だか知らないが、天や神に、祈りたくなる。今までのすべてにありがとう、って祈りたくなる。嬉しいときの方が、祈りたくなるのは私だけだろうか。

自分自身の人生を生きる。その覚悟と、実行と、感謝。

その素晴らしさと有難さが、生きている喜びの実感そのものだと思う。

絶対信じられなかったもんな。

酒をやめ始めた時、また笑う日が来るなんて。

毎日毎日我慢して、いずれ死ぬと思っていたのに。

そんなゾンビみたいなのが、2年経てば、わりかし笑うんだから、大丈夫。

 

そう、きっと、みんな大丈夫なのだ。

私が信じられるくらいだ。ハイヤー・パワーは、信じてもいいものだと思う。

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【依存症】自分を超えた大きな力(ハイヤー・パワー)について考える

「ハイヤー・パワー」

この単語を聞くと、何となく胡散臭く感じるのは、わたしだけではないだろう。

「神」という単語にも、私は拒絶反応がある。

回復の道しるべである、12ステップ・プログラムに取り組んでいると、しばしばこの単語に遭遇する。

私たちは、これらの概念をどうとらえて、どう考えていけばいいのだろうか。

 

神様や仏様を信じられない私

私は神様や仏様を信じていない。

そんな高尚なものが意志をもっていて、この世を統括しているとしたら、一発ぶん殴りに行きたい。あまりにも無慈悲で理不尽なことが起こるし、生きることはほぼ苦行であると感じる。

それらが神のお導きとやらだとしたら、ドSにもほどがある。私はMだけど、ご褒美がないSはただのパワハラ野郎だと思う。単純に好きじゃない。

と、いきなり天に唾することを言っても仕方がないし、不遜かもしれないが、私は素直にそう思っている。

したがって神仏は一切信仰してこなかった。これからもそうだと思う。

 

大きな力によって生かされている私たち

でも、自分を超えた大きな力はあるんじゃないかと思う。

 

私たちはひとりでは生きていけない。

独りでできる事は、ものすごく限られている。

生きていくだけでも、様々な人のいろいろな偶然やめぐりあわせによって、今日も偶々何とか生きているのが、実際だと思う。

ちょっとボタンを掛け違えたら、人は簡単に死ぬ。明日が来ることは当たり前ではない。

 

そう考えると、自分が生きていく道筋は、自分を超えた大きな力によってほぼ完璧に決められていて、私たちはその大きな力には、全く逆らうことができない。

果てしなく無力である。

川の水が、川のかたちの通りにしか水が流れられないように、私たちは、人生の流れを自分で決めることができない。

自分が思い描いたように人生設計をして、思い通りに生きているように錯覚しているが、実は、そうではない。

自分ではコントロールできているつもりになっていることがほとんどだが、偶然に偶然が重なり、たまたま今があるにすぎないのである。

 

コントロールできるという驕り

特に、受験や就職で社会的にスムーズに成功してしまった人に多い認知の歪みが、「自分は他人より優秀であり、状況や他人をコントロールできる」という傲慢さである。

勉強できる環境(金銭面・治安面など)があったことや、タイミング、景気、脳の特性など、さまざまな偶然が重なって、今生きている社会において「良い」と評価されている特性にたまたま合致しているに過ぎない。

それが優秀さの絶対的指標にはならない。なぜなら社会というものは常に変化しあいまいで、他人の評価というものはさらに流動的だからだ。確かなものなど、実は何一つない。

収入も学歴も美醜も、何一つ『かけがえのないもの』ではない。かけがえのないものだとしたら、それは時代によっても国によっても価値観は一定であるはずだが、そんなことはない。

すなわち、社会的評価というものは、水物で、それに適応していないからと言って劣等種ではないし、そういう価値観で物事を見ていると、世界が変化したときに対応できない。

 

世界の変化は突然起こる。

栄枯盛衰、驕れる者久しからず。結局ひとはいつか死ぬし、生まれて死ぬタイミングすら「自分を超えた大きな力」により決められていて、自分ではどうすることもできない。

生きている間に、うれしさや悲しみの感情の波が寄せては返す水面のように揺蕩い、そのなかでわずかばかりの金銭が行ったり来たりするだけ。

それが、生きるということを客観的にみるところの真の姿なのではないかと思う。

 

変えられないものを受け容れる限り、生きることは自由

私は、アルコール依存症である。私は発達障害(ASD・ADHD)でもある。

これらは、私にはどうすることもできなかったことで、これからもどうすることもできないだろう。

生まれる家は選べなかったし、生きていくにはエチルアルコールに頼るしかなかったし、発達障害を持たないように生まれることはできなかっただろう。

生まれた時点で、すでに大きな力に定められていたのかもしれない。

しかし、自分を超えた大きな力については、ただ単に無慈悲なわけではなく、何となく決めているとしか思えないくらい、一貫性がないように見えて、己に誠実に向き合うことさえできれば、学びとして活かせるほどの自由度がある気がする。

ようは、与えられた事象をどうとらえるか、という点で、我々は限りなく自由なのである。

川の水と同じである。水は、激しく打つこともできるし、ゆるやかに流れることもできる。流れる道筋は完璧に決められているかもしれないが、柔軟性をもって道を下ることそのものを受け容れる限り、その限りにおいては完全に自由であると思う。

 

そのわずかに見える余地が、生きる上で最も重要であり、ただ流れたくもないのにずっと流されていくのか、流れる道のりを楽しみ、反応し感じ考え、最後に海にたどり着くのとは、同じ川の流れだったとしても、その道中の景色の輝きは全く異なるだろう。

 

 

まとめ:ハイヤー・パワーは、川が海に続いていると信じるということ

全ての川は、海に続いている。

山のどんな険しいところから細々と始まった川であったとしても、どれだけ濁り澱んでしまい、流れが停滞しそうであったとしても、必ずや、海に繋がっている。

それを信じることに似ていると思う。

私たちの人生は、どこに繋がっているのだろうか。

生まれる、というところから、死ぬ、というところに物理的には確実につながっているわけだが、メンタル面・精神面でも、確実に一定のライフサイクルを辿るはずなのである。

ということは、良いことか悪いことかを抜きにして(その判断は自身のとらえ方によるので)、生きている限り、ある一定のゴールに向かって導かれていくものなのだと思う。

 

私がアルコール依存症になったことも、私が、マイノリティとしての痛みを知り自分を省みるチャンスをいただくために与えられたチャンスだったのではないかと思う。

この病気を患ったからこそ出会えた人がいる。かけがえのない仲間の優しさや強さに触れることができた。生きる喜びも、病気になる前よりも強く感じる。

世界はそういう、素敵なことが起こるようにできている、と信じることが、ハイヤー・パワーを信じる、ということなのではないだろうか。

そう信じてみたい。

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【発達障害】集団でいることは、とてもストレスだという話

私はとにかく、複数人で行動を共にするのが苦手だ。

 

たとえば、レストラン。

自分がA定食を頼んだとしよう。

一緒に来た人が、B定食を頼んだとしよう。

 

私は、A定食のコスパと今食べたいものを総合的に勘案して、ベストの選択としてA定食を選んでいるので、A定食を100%摂取することを前提として行動を組み立てているのである。

しかし、往々にして、一緒に来た人は、「それ一口ちょうだいよ」という。

それにより、私の計画は崩れる。

B定食を食べることを想定しなくてはならない。

そして、A定食のおかずが減ることを想定しなくてはならない。

となると、私はA定食ではなくて、C定食を選んで、相手にあげることを加味したうえで満足が最大化するように選択を変えなくてはならない。

それが、ものすごくストレスなのである。

 

A定食を食べたいなら、A定食を頼めばいいし、B定食を選んだなら、B定食を食べることに徹してくれればいいのだが、なぜか定型発達というか他の人は、他人が頼んだ物を欲しがる。

それなら、たくさん食べられるようトレーニングをして、A定食とB定食を両方食べられるようにすればいいのに、といつも思う。

 

遠足のお菓子についても同様である。

要りもしないお菓子を、バスのなかでまわされて、自分のお菓子を分けるように要求されるのが、本当に嫌いだった。

特に私は友達などいなかったので、なぜ顔見知りの他人に選びに選び抜いたお菓子を与えなくてはいけないのか、はなはだ疑問だった。

限られた予算のなかで、満足度が最大化するように厳選されたお菓子たち。それらは、私が食べるために準備されたものだ。その他の有象無象の胃袋におさめるためにあるのではない。

私は、しぶしぶお気に入りをあげるよりは、どうでもいい食べたくないもので、低予算かつ大量にあるものを、ひとつは選ぶようにして、お菓子を他人に見せないことで、うまく対策を講じてきた。

その「私としてはどうでもいいお菓子」をトレード用の生贄とした。有象無象たちの要求があれば提供し、自分のお菓子を守る。他の私のためのお菓子を見せさえしなければ、「あ、それおいしそう」などと言われて略奪されることが防げる。

その「私としてはどうでもいいお菓子」を買うために予算は削られるが、致し方ない。背に腹は代えられない。

 

同じことを何回も言わないといけなかったり、他人がしゃべり終わるタイミングを見計らって会話に入るのも、とてもストレスだ。

大縄跳びのようだ。

皆がタイミングよく飛んでいくのに、自分はうまく入れない。タイミングが掴めない。タイミングを見計らっている間に会話は終了する。

そういうことが起こりまくる雑談は、全く楽しくない。

ディベートは美しい。ちゃんとターン制になっていて、主張-反論-反証と筋が通っている。実に合理的だ。会話もそのようであってほしいが、そうはいかない。

海外の人が、お互いに話を聞かず同時に喋るシーンは、不快極まりない。

自分の話の方が相手の話より重要だと思っているから、そういう失礼なことをするのだ。はらわたが煮えくりかえる。そんな人とは話す価値がない。

 

集団行動は、だいたいすべてにおいて、そういう厄介さがつきまとうのである。

行き先を決めるにしても、意見を求めなくてはならない。合理的でない意見が出た場合、議論するのに要する時間がもったいない。感情的になり、説得が失敗する場合もある。そもそも、独りで行動するときとは、まったく別の考え方で臨まなくてはならない。

個人の利益の最大化ではなく、集団の利益の最大化を主たる目的にしなくてはならない。

私も驚いたのだが、こと日本において、多くの集団が求めているものは、実は達成すべき目的ではない。その「和」が保たれるかどうかなのである。

 

不可解極まりないと思い、私は提案してきた。

集団が最も利益を享受できる最善の選択ができるよう、忖度せず、空気を読まず、議論を尽くした。

結果、煙たい奴として集団から排除され迫害された。

彼らが求めていたのは、効率と合理性と利益ではなく、誰も傷つかないことなのだった。

であるならば、私のような空気が読めない人は最も毒である。

 

かくして、私は独りが最も快適でストレスが少ない、ということを今までの人生で経験から学んできたのである。

 

大勢の人と一緒にいたい、と願う人の想いが、私には想像しにくい。

想像しただけで蕁麻疹が出そうなほど、ストレスが目に見えていて、恐ろしくすらある。

集団で行動することは、擦り減る。自分の心が磨り減る。

だから、私は独りが好きだ。

 

これは、意地を張っているのではなく、本当にそうなのだと思う。

迫害されるのがつらかったし、違うことで他人に馬鹿にされたり認めてもらえなかったりすることがとてもつらかった。幼少期は漆黒の闇であった。

しかし、他人に認められることも、社会的な地位も、何もかも蜃気楼であり、さして気にしなくてもいいことで、最も重要なことは自分らしく生きる事だったのだ、ということを私は知った。

そうなると、他人の機嫌を取ることもしなくていいし、自分が変わっていて他人と相いれなくても、ある程度社会的に共存できていれば私がどれだけ人間嫌いだろうと大して問題ではない、ということになる。

私の定食の話も、遠足のお菓子の話も、「悪いこと」ではなかった。それは誰も教えてくれなかったことだった。

 

私は、そういうすこし変わったところがある。

でも、それでもいいと思えるようになってから、苛立ちやストレスは少なくなった。

【AC】Step8「傷つけた人」その② 『会社・上司』

会社や上司を「傷つけたこと」について整理します。

 

2015年3月の行動についての謝罪

私は、2015年3月に会社から懲戒解雇をちらつかされたとき、仕事を失い生活が立ち行かなくなることをリアルに想像して恐怖しました。

彼らもそうだったでしょう。

今まで一生懸命真面目に生きていたのに、突然それを知りもしない部下が、自分ならありえないようなことをしでかして、自分の責任問題になろうとしているのですから。とんだとばっちりであり、彼らにも守りたい家族がいますから、激怒するのも無理はないと思います。

結局、所長Sさんは責任を取らされて窓際部署に飛ばされました。

お子さんがいない家庭をもつ人でした。奥様とふたり、さびしいけど全国を所長夫妻として飛び回り人生を謳歌しようという、所長Sさんが奥様のために描いていた夢は潰えました。

支店長Tさんは、所長Sさんに責任を取らせることで、マイナス評価になることを免れ、今ものうのうと本社勤務しています。この人はSさんに押し付けることで、自分に減点が付くことをうまく回避しました。しかし、同じように、私という「とんでもない部下」のおかげで冷や汗をかいたことでしょう。

この二人について、私の行動は、お二人が大切に考えていた社内評価を下げることをしてしまいました。一生懸命やってきたであろう彼らの顔に泥を塗ったことだと思います。

このことについて、私は、心から謝りたいと思います。

私の行動は彼らを傷つけ、人生に悪影響を及ぼしました。大変、申し訳ありませんでした。

 

もっと本質的な、現在にも続いている認知の歪みに関する謝罪

私は大変根に持つ性格なので、このことを1日たりとも忘れませんでした。毎日毎日、毎朝毎晩、夢に見ては思い出して、粛々と仕事をしながら着実に恨みと憎しみを深めていきました。

そうしていくうちに私は、同じように私の上に立つ社員(本社勤務)や直属の上司に対して、敵愾心を隠さないようになっていきました。

『権威ある人を恐れる』というACとしての生き方の問題を強めていきました。

その人そのものを見ず、権威を敵視することにより、歪んだ受け取り方をしていました。

その頑なで凝り固まった偏屈な態度は、せっかく私に歩み寄ろうとしてくれたり、手を差し伸べようとしてくれた人々を傷つけました。とても後悔し、反省しています。

もうほんとにとんでもなく嫌なやつだっただろうな、と思います。

たとえば社内会議で、問題の本質がまだ見えておらず、上から言われただけの企画を上司が気軽に出してきたとき。「それ見たことか!」というふうに意気揚々と「そもそもこの企画は意味がない」ということを理論立てて部下全員がいるなかで全否定したりしました。上司のメンツは丸潰れで、私は爽快な気分でした。

私は、正義を行っていると勘違いしていました。実は、怒りをぶつけるという嗜癖に耽っていることに気づいていませんでした。

基本的に組織や職位を馬鹿にした態度をとっていたことで、上司が仕事をしにくいように妨害していたと思います。

上司から直接「君は正しいことを考え抜いて話すから皆怖がっているんだと思うよ…」とおそるおそる言われたことがありました。

私は必要以上に気を遣わせていたと思います。それは、大変ストレスだったと思いますし、私がフラットに物事を考え、上司にきちんと人として接することができていれば、関係が歪むことはなかったと思います。

必要以上に恐れ、敵視し、敵意を剥き出しにしたのは、私の未熟さでした。もし至らない点が上司にあったと言えど、私も完璧な人間ではありませんから、そんな失礼な態度をとるべきではありませんでした。

単純に、私には私の価値観が、上司には上司の価値観があり、それは完全に対等で、もし違いがあろうとも『正しさ』で糾弾しようとするのは、2015年3月から2年間、自分がされてとても傷ついたことでした。

私は、自分がされてとてもつらかったことを、彼らにしてきたのでした。それをとても後悔しています。

 

まとめ:反省を活かし、これからをどう改善するか?

私は、蓄積してきた恨みや憎しみを晴らそうと、怒りをぶつけるという嗜癖に耽り、むやみに他人を傷つけてきたことを認め、心から反省します。

これからは、上司や会社の人間にも私が見えていないバックグラウンドがあることを想像します。

私と同じように弱さを抱えて生きている人間なのだということを深く理解したうえで、どんなに違いがあろうとも、それぞれの生き方を尊重し、存在をリスペクトすることを誓います。

あくまでもアサーティブに対話するよう努力します。相手を攻撃するようなコミュニケーションを選択して、私の過去の恨みを当事者ではない人に不当にぶつけるべきではない、と繰り返し自分に言い聞かせながら、落ち着いて話をしていきたいと思います。

私の今までの歪んだ行動により、私に対して恨みをいただいているひともいるでしょう。私の過去の行動の結果は、様々な形で私の身に返ってくるでしょう。

そのときに、また同じ過ちを犯さないよう、違いを恐れず、権威を恐れず、対等性を心から信じること、対等であること、誠実であること、誰も攻撃しないことを守っていけるよう努力します。その大切なことを念頭に置いて、存在に対してではなく、行動に対して、アサーティブに向き合い、言葉を伝えます。

私は、過去を反省し、未来の行動を変えていきたいと思います。

【AC】Step8「傷つけやがった人」その② 『会社・上司』

まずは、会社や上司に「傷つけられたこと」について、整理します。

 

2015年3月のできごと

私は、アルコール依存症を自覚する前、お酒を飲んでは失敗を繰り返していました。医療関係の職場でありながら、職場の人たちには、依存症の知識はありませんでした。やはり、依存症については、当時の私も含め、社会的にはまだまだ浸透していませんよね。

 

そんななか、私は、2015年3月のある日、決定的に会社と上司を困らせることをしました。

泥酔して仕事現場である某一流ホテルに登場した私は、運営していた本部スタッフを激怒させました。とても悪目立ちしていたと言います。

前日に歌舞伎町に飲みに行き、後輩の話によると、飲み屋を2軒、キャバクラに1軒、そのキャバ嬢の子の知り合いのゲイバーに1軒と4軒はしごしたそうですが、最初の2軒まではしっかり覚えているものの、あとはうろ覚えです。

目が覚めたのは、朝方のタクシーのなか。かけていた眼鏡をなくして視界が悪く、時間を確認すると、9時から仕事なのに、8時。

私はふらふらになりながらホテルに一度戻りました。「仕事に行かなくては」その一心で荷物をまとめてヨレヨレのスーツのままシャワーも浴びずにホテルに向かい、会場周辺をふらふらしているところを、本部スタッフに保護されたかたちです。

直接取引先や顧客にご迷惑をおかけすることは幸いにもありませんでしたが、社内の風紀を乱したとして相当問題視され、全社に風紀の乱れに対する注意喚起としてアナウンスされました。

 

私を懲戒解雇すべく動き出す会社と上司

今までも遅刻やミスを繰り返していた私をかねてより迷惑に思っていた当時の直属の上司(所長Sさん)とその上司(支店長Tさん)は、私を組織として抱えることに限界を感じたのでしょう。私に懲戒解雇をちらつかせながら依願退職させよう、と本腰を入れて動き出しました。

数週間、自宅謹慎となりました。出勤が解禁されても、チリ紙を折るという明らかに何の役にも立たないことをやるように命じられました。

そして、これらの言葉を繰り返し繰り返し投げかけられる日々が数ヶ月続きました。

「もう仕事を任せることはできない」

「つまり残っていても仕事はないぞ」

「今お前がやっているのはなんだ?紙を折ることだろ?会社には何も貢献していない」

「これからも貢献するとは思えない」

「もう私たちはお前を必要としていない」

「このままだと懲戒解雇になって、退職金がもらえないぞ」

「お前が会社をやめてくれることが、私たちにできる最後の貢献だ」

結局、私は会社の労働組合が守ってくれて、解雇を免れ、戒告処分となりました。当初リーダーになるべく転職してきた私でしたが、新入社員よりも下の「半人前ですらない」というランクまで職務等級を降格されました。給料はぐんと落ちました。

当然、周囲からは馬鹿にされました。「失敗してもう終わった人間」として、指をさされて嗤われる日々が数年続きました。

その間、私は「死ぬなら全員見返してから死のう」と心に決めていたので、何も言わず、静かに屈辱を反芻しエネルギーにかえながら、臥薪嘗胆を座右の銘にして断酒しながら仕事に励みました。ちゃんと死ぬために生きました。

2年後、私は採用されたときの職務等級まで昇格することができ、周囲の人間より優秀な成績を収めることができるようになりました。

 

私は何に傷ついていたのか?

私は、この経験から、自分の行動に対する責任を問われて、いくら反省しいくら組織に貢献しても、所長Sさんと支店長Tさんに否定され続け、傷つきました。

もちろん私がアルコールを乱用して迷惑をかけたことが事実で、それに対していわゆる自業自得の扱いを受けたと思いますが、行動が改善され、己の罪を見つめ直した人間に対して、一度張ったレッテルをキープし続けて、思い込みから見たくない事実を見ようとしなかったことは、上長として適切な行動ではなかったし、私はそれを理不尽だと思いました。

私のほうが先に信頼を裏切りましたが、それを免罪符にして私の尊厳は踏みにじってもいいものだと言われているように感じました。私はいくら努力しても、しょせん失敗した人間なのだから、二度と日の目を見ることはないのだ、と繰り返し否定されていると感じました。

それは、当時は感じないようにしてきましたが、今思えば、とてもつらいことでした。

また、回復したのちも、アルコール依存症については口外しないように言われました。

アルコール依存症は「恥」であり、会社のイメージを損ねるから、やめてほしい、というのが、会社と上司から言われたことでした。

そんな身の上話に興味はない、みんなそんな話は聞きたくない、と言われました。

私は、人生を否定されたように感じました。

回復して生きていることが罪であるかのように感じました。

 

このことを棚卸するにあたり、とても抵抗がありました。

というのも、断酒会に参加していて、個人的な感想として抱いていたのが、アルコール依存症の当事者は犯罪者というか罪人であり罪人は罪人らしく陽が当たらないところを一生謝りながら生きていくものだ、というような感覚でした。

なので、酒害をまき散らした分際で、酒害を与えられた人に傷つけられた、なんて言うことは、タブーという印象で、許されざることだと思っていたのです。たとえるなら、殺人を犯したのに、私も傷ついていて苦しかったんだ、と法廷で弁明しているような感覚です。

人殺しが何を言っているのか?と言われたら口をつぐんでしまうもので、私も「酒害をまき散らしといて何言ってんの?」って言われたら、「まことにその通りです」としか言えないというのが正直な気持ちでした。

しかし、これで正しさで蓋をしてしまったので、私は私の本当の気持ちを感じることから離れて、長い間会社や上司という存在に対して怒りや憎しみを抱え続ける原因になったと今、振り返って考えています。

 

まとめ:傷ついていたことを認めることが、心からの謝罪につながる

私は、当時やはり傷ついていました。

自分が起こしたことや傷つけた人に対して、その行動を深く反省して謝罪し、償いをしていくということが大前提なのですが、先日のハートネットTVであったように依存症の当事者の傷は確実にあるわけで、依存症当事者だったとしても人としてリスペクトされるのは当然の人権なのだと思います。

その基本的人権の部分を軽視されたことに、傷ついたのだと思います。

正しさを振りかざして印象やイメージで私に対する偏見や差別を行ったことは、彼らの過失で在り、私の責任の範囲を超えたストレスだった、と改めて認識しておきたいと思います。

それを認められて初めて、私は、彼らを傷つけたことに真摯に目を向けることができるのではないか、と思います。

【依存症】イネイブリングをしないこと・境界線を引くこと

『だらしない夫じゃなくて依存症でした』

この本を繰り返し、ふと開いて読むのが日課になっている。

第6話「家族の接し方」について、最近読み返すと、連載当時にはわからなかった感覚が理解できるようになっていることに気づいた。

 

依存症者の家族側のつらさについて考える

「信じてもらえない」

「頼ってもらえない」

家族として、パートナーとして、これがどれほど、しんどいことかわかるだろうか。

家族側の苦しさは、正直あまり実感がなかった。

知らなかったが、最近になって実感することがある。

 

相手の課題と自分の課題を分ける境界線。

これを適切に引くことはとても難しい。自分のなかにあるコントロール欲求との戦いである。

依存症によく使われる言葉で『イネイブリング』というものがあるが、まさしくこれは自他の境界線をもち、自分も相手もリスペクトしようという考え方に基づいている。

出所:『だらしない夫じゃなくて依存症でした』(三森みさ著)第6話より

 

とはいうものの、渦中にあってはとても冷静にはなれないのが、常である。

自分という存在がそばにいて、愛情をもって接しているという自負があるにもかかわらず、自分にはわき目もふらず、アルコールやギャンブルに相手を取られてしまう。(と感じる。)

たかがモノに自分の存在が『負ける』。その悲しさと屈辱感と無力感。

 

親と自分がそうだったな、と思うからかもしれない。

私は両親にどんどんイネイブリングされるにしたがって、生きる力を弱くしていった。イネイブリングに気づいた今、「この人たちには何を言っても無駄だ」と感じている。

本当のことを伝えられない関係の空虚さ。絶望よりも深い諦め。

「イネイブリングされる側」の気持ちを味わっているから、頼れない存在として相手に認識されるのは、とても怖い。その距離の開きを、ひどく寂しく感じるからだ。

そのようなうっすい関係しか築けなかった、と落胆する気持ちは、やはり隠せないだろう。

 

イネイブリングする側の満たされなさは、会社でも味わってきた。

「会社のためにやったのに」という恩着せがましさを抱えて、尽くした結果、何も見返りがないことが多かった。

当然だ。今の会社からしたら、求めていない、ただの煙たいやつだったのだから。笑

当時はその怒りをどこにぶつけていいのかわからない感覚だった。なぜ正当に評価され『賞賛されないのか』に憤っていた。

すでにお分かりのように、会社に関して、私は、『相手が求めているかどうか』よりも、『正しいかどうか』を優先し、『自分を認めさせたい』という自己顕示欲を満たすために、自分勝手で一方通行なアプローチをしていたことを認めざるを得ない。

それはまさしく過干渉でありイネイブリングであり、親が幼い自分に対してやってきたことと全く同じことだった。それに気づいたときは認めたくなかった。

そういう苦い経験がある。

 

相手の課題は相手にしか解決できない

50/50であり、限りなく対等な関係だからこそ、私だけでは完結しない。

どちらかのせいにすることは、おかしな話なのだと思う。

 

そもそも、我々にとって明確な切り分けが難しい課題なのだ、と改めて認識したい。

良い意味でも悪い意味でもお互いに響きあう可変的な関係で、一見すると影響できるかのように見えるが、実は明らかに境界線があって、それぞれに独立しているのである。

①私たちには、各々の世界に明確に境界線がある

②しかし、私たちは相互に影響しあっている

そのことを何となく例えられないかな、と思って、考えてみた。

 

①私たちには、各々の世界に明確に境界線がある

相手の部分は相手にしか解決できない。

相手の行動でしか変化しない課題だから。

このことについて、なつかしい話をしようと思う。

x2+px+q=0

y2+ry+s=0

この数式のXとYはそれぞれ独立している。

なぜなら、全く別の解を持つ、独立した二次方程式だからだ。

人生はこのように、もともと条件が違う人生をそれぞれ生きているので、個別の二次方程式を解いているようなものだ。どちらかの数値が相手の方程式に関与することはしない。コントロールして代入させることはできない。あくまで(たとえば2次方程式なら)それぞれに因数分解して、自分の答えを探すほかない。

なのに、どうだろう。

私たちはこれを一生懸命、連立方程式だと思って相手の式を解こうとしてしまう。無意識にx=yだと思い込む。相手は、私と同じ答えだとは限らないのに。

つまり、相手が私を信じてくれず、相手の問題が解決しないのは、私が矮小で信頼できない存在だから、「私がダメだから」だと思い込んではいないだろうか。

それは正しくない。

相手がまだお互いの答えを見せ合いこする準備ができていないだけ。

 

相手との答えの違いをお互いに見せ合うのが会話であり対話だとしよう。

xの式を解いているのが自分。yの式を解いているのが相手だとして、相手の答えが出なかったり、x=yかどうかわからないのは、まだyの式のほうの因数分解が解けていないからだ。

それは100%、xの数値うんぬんのせいではない。

だから、私は私なりのxの答えを出すことに集中するしかない。

相手も問題(式)にあきらめず向き合ってくれると信じて任せる。答えを見せ合う機会を待つ。

すなわち、『自分ができることを自分のためにする』。できるのは、それしかない。

 

②しかし、私たちは相互に影響しあっている

他の人の因数分解の解き方をみるのが、「自助グループ」ではないかと思う。

何度も数値を当てはめてみてうまくいかないことがあるだろう。

似た形、だけど違う形。それぞれの式ににらめっこしながら試行錯誤する毎日。人生には公式はないし、数式よりよっぽど難解で、答えにたどり着けないことだってあるだろう。

私もまだまだ解きかけで、やっと最近「このぐらいしか進んでなくて恥ずかしいんだけどね…」と言いながら途中まで進んだ式の展開をさらけ出せるようになってきたようなものだ。

その途中までの式の展開を見せ合うことで、互いに共感する。

その嬉しさや喜びが、解き続ける力になる。悩んでもまた諦めずに立ち向かえる。必死に別の数式を解く仲間がとなりにいてくれる。

歯を食いしばって泣きながら机にかじりつく勇姿に、背中を押される。

影響しあっているというのは、式の展開を超えた世界線での、そういう響きあいだと思う。

 

まとめ:いつか通じる真心を信じる

 

自分が一生懸命やっているなら、わかってくれる人にだけわかってもらえたら、それが今の最大値なのだと思う。

もともと、手のなかに無かったもの。それを手のなかにあると勘違いして、私たちはよく悲しんだりぬか喜びしたりする。

寂しさから、自分と同じだと思い込んで境界線をなくしたり、踏み誤って傷つけたりする。それは、だれでもやることであり、やってしまったから終わり、では決してない。ちゃんと真心から伝えれば、いつか伝わる人には、ちゃんと伝わる。

 

最近、肩の力抜いて、相手にとって自分ならやってもらえたらうれしいかもなっていうことだけするようにしている。そうすると、不思議なことに、事態が好転することが多くなってきた。

今、伝えたい人に伝えたいことが届かなくて、哀しい思いをしている人もいるかもしれない。

そんなあなたに伝えたい。

伝わらないのはこっちばっかりの要素じゃないから、そんなに悲しまなくていいということと、伝わるときには伝わるので、時期じゃなかったんだなって長い目でみてたらいいんだよ、ということを。

焦らなくてもいい、ということを。

 

追伸:この本はめっちゃそういうことが分かりやすく書いてあるし、純粋に漫画としておもしろいので、一生に一回は読んだほうがいい。

 

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【メンタル】何かとざわつく今、大切にしたい『而今』という言葉

 

 

 

 

『而今』という禅語は、命の真実は『今』にしかないことを説いた言葉です。

私たちは『今』この瞬間にしか生きることはできません。

昨日の自分はすでに死んでいるのと同じ。

明日生きているという保証もないのです。

であるからこそ、『今』という時期を大切に生きることが大事なのです。

出典:『おだやかに、シンプルに生きる』枡野俊明 著

「マインドフルネス」という言葉は、ビジネスパーソンの間で一時期流行り、ご存知の方も多いと思います。

「マインドフルネス」こそ、『今』に集中している状態を示していて、反対の状態を「マインドワンダリング」というそうです。

「マインドワンダリング(Mind Wandering)」とは、心が、「今この瞬間」に起こっていることに注意を向けないで、目の前の課題とは全く関係のないことを考えて、さまよう状態のことです。

 

私は、滅法、マインドワンダリングしやすいです。

 

つい、明日のアレをやらなきゃいけないから今はこれをしなきゃ、とか、昨日のあの言葉は○○じゃなくて△△って言えばよかったな、とか、心がワンダリングしまくります。

考えてもまだ来ていないか、もう過ぎ去っているか、どちらかだというのに。

特に風呂場とか、何気なく散歩しているときなんかに、思い出してしまうから質が悪いんですよね。リラックスしようと思っているときに、頭のなかにポツリポツリとそうした雑念がわいてくるのです。

 

特に今は、新型コロナウイルスの感染がひろがり、みなさんの心も私と同じように、不安や恐怖でいっぱいでしょう。

将来がどうなるのか全く見えないことについて、不安になることは当然だと思います。それによって苛立ち、いつもは言わないような言葉を大切な人にかけてしまうこともあるでしょう。それらの行いを悔いて、夜寝られないようなこともあるでしょう。

私も同じように、何となくざわざわしたような、怒りと不安にもみくちゃにされたような心でなんとか懸命に毎日を生きている、といった具合です。

 

そんなときに、SNSのタイムラインが政府への非難や世の中に対する怒りと悲しみに満ちていると、見るだけで疲れてしまいますよね。

私は疲れてしまいます。正直、結構キーワードミュートにしています。

 

だって、いくら考えても、いくら悲しんでも、いくら怒っても、仕方がないからです。

わたしたち一般市民には、最低限の衛生上の管理を守る、そのくらいしか、できることはないのですから。

政府の対応がいくらまずくても、困っている人のために自分がアクション出来る範囲で提言することしかできません。決定的にコントロールすることなど、残念ながら不可能なことです。何もかも汲んでうまくやってくれる政府であれば、私たちは日ごろもっと幸せに生きていたことでしょう。今それが変わるかどうかは、きわめて可能性が低いことです。

現状を変えていく努力はもちろん継続的にするべきことだと思います。

でも、コントロールはできないということを理解していてやるのと、変わらないことへ苛立ち精神を摩耗するのとでは、大きな違いがあるんじゃないかな、と思います。

 

いつ収束するか?なんて、新型コロナたんにしかわかりません。どのくらい繁殖したいかウイルスは答えられませんから、やはり世界でどうなるかは、もう神のみぞ知るといったところでしょう。

誰も答えを持っていない問いをいくら投げかけても、虚しくなるだけです。

 

会社でも同じですね。

すごくみんな不安そうにしているくせに、無理に前向きにアピールしようとしたりして、正直どんどん迷走しています。

人の小さな間違いを見つけてはやり玉にあげたり、皆ストレスが溜まっています。

自分の仕事が失われるのではないか?このまま何もしなければとんでもないことになるんじゃないか?と怯えている人ほど、他人に対して攻撃的になり、不安定になっていきます。

 

その不安や恐怖は、持っていて恥ずかしいものではない、ということを私は言いたい。

 

未来がわからないことは怖いです。

「これから生きていけないかもしれない」って思うことを怖いと思わない人は、生きていたくないか、もう人生がどうでもいいか、のどちらかだと思います。

つまり、一生懸命生きようとしているから、不安になる、ということについて、あなたの真摯な生きる姿勢が逆説的に証明されたようなものだと思います。

私も、まだ死にたくないし、貧困にも陥りたくないし、幸せに生きていきたいです。

それが、シンプルな願いであるということです。

私たちはその「生きたい」というシンプルな願いをかなえるために、今を生きることがもっとも「やりたいこと」であると思います。

そのためには、今何をすべきなのか?というところに、立ち返ってみましょう。

 

そのときに見えてくる答えが、『而今』という言葉なんじゃないかな、と思います。

私たちは『今』この瞬間にしか生きることはできません。

昨日の自分はすでに死んでいるのと同じ。

明日生きているという保証もないのです。

であるからこそ、『今』という時期を大切に生きることが大事なのです。

再度引用して読んでみます。

結局、新型コロナウイルスがどうなろうと、未来には予測不可能なことが次々と起こるのです。地震も起こるし、火災も起こるし、殺人も起こることがあります。それらはすべて、私たちがコントロールできるものではありません。「変えられないもの」です。

 

自分が世界に影響できる範囲は、ほんのわずか、これっぽっちしかない、ということを改めて認識すると、それら「変えられないもの」について思い煩うことの無意味さが実感としてわいてくるのではないでしょうか。

突然、明日コロナではなく交通事故で死ぬかもしれない。

昨日の私自身の行いをリセットすることはできない。

ならば、今。確実に変えられる、楽しめるのは、今、ということになります。

 

今、あなたは何をしたいですか?

 

こんな自粛のときに、できることなんてないよ!

そのやりたいことをできないようにさせられてんだよ!

やりたいことやってる場合じゃないよ、生活が最優先だよ!

 

様々な声が聞こえてきそうです。

そうですよね。うん。やりたいことを取り上げられ、生活のことだけで頭がいっぱいになるほど追い詰められていますよね。つらい状況です。

だからこそ、今できるやりたいことを探してみませんか?

家にいるなら、今まで目を向けていなかった家事の大変さを味わい、やってくれているパートナーに感謝することもできるし、子供と過ごす時間が取れなかった人は、子供の笑顔を見ることができます。

どうせ仕事ができないなら、遠くまで散歩に出てみるのもいいでしょう。今まで通ったことのない道を通ってみるのもいいでしょう。

未来に仕事があるかないか。そんなことは、未来の自分に任せましょう。

大丈夫、ここまで生きてきたあなたなら、きっとたくましく生きていける。何かを失っても、きっと別の何かを得て、喜びに顔をほころばせる日が来るでしょう。

なぜなら、今までも、この日本という国は、とても冷たい、つらいことが多い国だったからです。私は発達障害者・依存症者というマイノリティーとして生きてきて、この国がどれほど不寛容で、偏見に満ちていて、弱い民族の国であるかを身をもって味わってきたつもりです。

 

日本の自殺率は世界で6位です。↓

OECD (2020), Suicide rates (indicator). doi: 10.1787/a82f3459-en (Accessed on 07 April 2020) 

 

そのような過酷な国で今まで自殺せずに生きてきたんです。すごいんです。

 

それに、辛くて当然なんです。だから、弱音を吐いてもいいし、もうやってらんねーわ!って思ったっていい。

未来なんてわからないんだから、今できる楽しめることを探して、全力で今を楽しむしかない。

そのためには、私はお酒を飲まずに自分が正常な状態で世界を感じたい。もう、エチルアルコールで脳がラリった状態で死んだように生きるのは「やりたいこと」ではないから。

風の匂いや、空の色や、知識欲を満たしてくれる書籍や、愛すべき仲間との語らいに、時間を使いたい。

それが私を真に豊かにしてくれるものだからです。

 

そういうふうに、今を過ごしていけたらいいな。と思います。

 

 

【AC】Step8「傷つけた人」その①『中学校の担任教師 M先生』

謝らなくてはならない、謝りたい人がいます。

その人は、私が中学校のときの担任教師、M先生です。

 

当時の状況

Mさんは、女性で、離婚していました。

子どもはふたりいました。確か、息子さんだったと思います。働きながら、子供二人を育てていました。

私は、その頃、心が荒れ狂っていました。

出会う人全てが嫌いでした。

家電量販店・コンビニ・スーパー・百貨店などで万引きを繰り返しては、中古屋に売ったり自分で使ったりしていました。

世の中をバカにして、大人は特にバカにしていました。

自分の問題に気づかず、あらゆる人を憎み、『権威ある人を恐れ』ていたので執拗に攻撃していました。

 

教師を憎むことと、反抗挑戦性障害

私にとって権威の象徴であった教師を特に攻撃しました。

私の両親が教師だったこと、正しさの象徴だったこと、このふたつで、天敵として認定するには十分でした。

反抗挑戦性障害(英: Oppositional defiant disorder ; ODD)というものがありますが、その状態におそらく近い状態でした。ADHDに併発しやすい障害で、反抗期とは少し異なります。

もちろん、これは言い訳にはならないことで、障害と名前がついていますが、自分の弁明ではなく、こういう状態だった、という説明のために名称を出しました。私がADHD合併のASDでもあり、関連が浅くないので、というだけです。私の行いは、ODDによらず、謝罪したいことであり、謝罪すべきことであると認識しています。

 

反抗挑戦性障害はどんな病気?
反抗挑戦性障害は、9歳前後~思春期前後にみられ周囲に対し挑戦的、挑発的でかつ反抗的な態度や行動を当然の様ににしてしまうものです。ADHDいわゆる注意欠陥多動性障害を持つ4割の子供が発祥するとされています。治療はADHDと合併症で出たものならば親子関係の修復(ペアレントトレーニング)や育児支援、ADHDへの薬物治療がほどこさせます。

反抗挑戦性障害の症状
反抗挑戦性障害の症状は、文字通り反抗的で挑発的な態度を取ることが主となります。例えば目上の人に対して必要以上に挑発的で、規則に対して必要以上に反抗したりします。口論や、意地悪などが多く感情をコントロールすることが苦手で、明らかに度が過ぎる行動を行います。主に9才から思春期に見られ、年齢と主に自然と落ち着くのが一般的です。

反抗挑戦性障害の原因
反抗挑戦性障害とは、精神状態が普通の状態ではなく、何事に対しても反抗的な態度をとってしまうことが特徴です。原因としては様々な精神疾患が考えられます。精神疾患が起因の場合もありますが、何か特定のショッキングな事件や事故が起こったあとにもこの障害は起こり易くなります。反抗的であるだけでなく挑戦的なところも特徴で、すべてのことに対して反してくることが問題です。

出所:https://www.hospita.jp/disease/2277/

 

具体的に何をしていたかと言えば、学校の備品やイベントで先生がたが作ったものをこっそり破壊しておいたり、授業をボイコットして全く違うこと(ゲームや授業妨害)をしたり、授業内容を予習して先生が間違ったことを言ったら指摘して訂正したりしていました。

基本的に先生という存在がすることをすべてを否定し、バカにして、周囲にも煽動していました。

担任は管理者責任を問われるので、M先生は、口うるさく私を注意しましたが、私は何も聞かず、むしろ逆のことをしました。うっとおしいと感じ、攻撃を激しくするばかりでした。三者面談では、私たち親子を睨みつけて「こんなに憎たらしい子は見たことがない」と言っていました。とにかく、教師と生徒としての関係は最悪でした。

ここまでのことについても、先生の職務を妨害し、QOLを著しく下げる態度をとったことに対して、本当に申し訳ないと思います。

当時の私にとってはしかたないことだったかもしれないけれど、それは、M先生を傷つけていいということではなかったから。

私は私の課題に向き合わずに、苦しさや悔しさを他人であるM先生をはじめ多くの大人たちに、当時押し付けました。それは、不当なことでした。

彼らは子どもを育て教え導くことに夢を持ち、教師になったはずです。私たちのことを考えていろいろなことをやっていてくれたかもしれないのに、その気持ちを踏みにじったことを、私は恥じて、とても後悔しています。

そのような失礼な態度を本当に心から謝りたい。まことに申し訳なかった、と思います。

 

最も謝らなくてはならないこと

それ以上に謝らなければならないことがひとつ、あります。

これを話すのは怖いですが、やはりこれこそ最も謝りたいことなのだと思います。

私はいつだったか、弁当を忘れたことがありました。M先生は、すごく嬉しそうな顔をして「分けてあげようか」とニヤニヤしながら提案してきました(というように私には見えました)。
しかし、今思えば、それは弱いところを見つけたので歩み寄るチャンスだと思ったのかもしれないし、優しさからくる笑みだったのかもしれません。

私は、放課後、教室の黒板に次のように書きました。

「先生のお子さんはお父さんがいなくてさびしいでしょうね」

あくる日の朝、黒板を見た担任のM先生は、しばらく言葉を失っていました。その後怒りで顔を真っ赤にして、泣きながら「これを書いた人は誰ですか?名乗り出なさい」と言いました。

1時間近く、誰なのか聞きましたが、私は手を挙げず、ダメージを与えられたことを密かに喜んでいるだけでした。

その後、先生は、心を病んで転勤していき、今はどうなさっているのか、分かりません。

M先生、もう謝っても償えることではありませんが、本当にごめんなさい。

なんてひどいことをしてしまったのだろう、と今でも後悔しています。

子どもができて、初めて分かりました。こんなことを言われたら、私はなんとしても犯人を突き止めて殺しているかもしれません。私は「相手が最もダメージを与えられることをして復讐しよう、心を折ってやろう」という残酷な発想で、言ってはならないことを言いました。こんなことは、どんな人にも言う権利など無いし、言うべきではなかったことでした。

そしてその発端となった復讐心も、逆恨みであり、もしかしたら優しさかもしれなかったのに、わたしが受け取る器がなかったことでした。M先生に何の落ち度もなかったことでした。受け取り方を誤ったのは私の過失であり、私の課題でした。それらを見つめることから逃げて、八つ当たりをしました。

「権威ある人を恐れること」の課題に向き合い、私は不当に先生という存在に対して敵愾心を抱いてきたことを認めます。

そして、その怒りや憎しみをぶつけて、私に対して与えようとしてくれていた人々を深く傷つけ裏切ってきました。それは、誠実に生きている人を苦しめ、哀しみを無用に与えるものでした。本当に申し訳ありませんでした。

先生のお子さんに対して、私は何も意見する権利はありませんでしたし、会ったこともないその子たちを「さびしい」と言ったことは、許されざる侮辱でした。

今、大切な仲間がお子さんをふたり立派に育てている姿を見ています。

「私は、このように懸命に誠実に愛をもって生きている人に、嗤いながら石を投げたのか」と自らの行いを深く後悔しました。自分がしたことの罪の重さに震えています。

そして、石を投げた後に隠れて、気持ちを真っすぐぶつけることもしなかった卑怯者です。隠れたのは、非がありいけないことだと分かっていたからです。私のこのときの行いは、先生と他の生徒たちとの信頼関係をも傷つけ、先生が遠くに行かざるを得ない状況をつくり、先生を孤独にしました。それを意図した冷酷さで先生を深く傷つけたことを、心から謝りたいです。

M先生とそのご子息に対して失礼なことを書き、卑怯にも当事者として逃げ隠れし、そのことにより先生の気持ちを傷つけたことを、深くお詫びいたします。本当に、ごめんなさい。

 

まとめ:これからどう改善するか?

12ステップ・プログラムを教えてくれる仲間に出会い、いかに人を傷つけたかを知りました。

私は今後このような過ちを犯さないように、これからも真摯に自らの課題に向き合っていきます。

過ちを犯すことがあったとき、傷つけた相手に対し、真摯に逃げ隠れせず誠実に、謝罪することを誓います。

また、過ちを犯した仲間がいたとしても、存在を否定せず、行動について共に考え、自分と相手の気持ちを受け止め、これからも真摯に考え続けることを誓います。

【依存症】焦らず一つひとつ『知る』ということ

回復したい。

そう思えば思うほど、焦る。

 

やらなければ、と思ってやるのはちょっと違う。

やりたい、と思ってやるとき、本当にやって変化が訪れる。

そう、変化は起こすものではなかった。訪れるものである。

自分を変えたい。

そう思うことは素晴らしいことで、勇気あるチャレンジだ。称えられるべき姿勢だ。

しかし、割と意図的に変えようと画策したことは、得てしてなかなかうまくいかない。

うまくいったように見えて、うわべを撫でていただけだったということは、よくある。

やはり、天から授かるように、変化は私たちがお呼びもしない何かに導かれて『訪れる』。

 

本当に、「理解する」というのは難しいな、と常々思う。

ただ情報を知ったとしても、理解しているとは言い難い。

行動しなければ、本当の意味で頭のイメージと体感イメージが一致しているかどうかは、わからない。

行動できることは限られているから、真偽を確かめられる事象は、必然的にほんの一握りのことだ。

しかも、同じ行動であったとしても、人によって感じ方や作法は様々で捉えどころがない。

王道だと思っていたことが、実は道のひとつであるということを、道半ばで知ると、人は固執し、己の価値観を変えたくないと抵抗するものだ。

なぜなら、「わからない」「違うかもしれない」ということは、不安や恐怖を感じさせるからだ。自分の足元が揺らぐようなことは、誰も信じたくない。

しかし、私たちは、様々なことを、本当の意味では知らないまま、生きていかなくてはならない。

知識として頭に入ったことを「理解した」つもりになってしまうことはよくある。

私はよくあるし、今もそうだと思う。

 

私は絶望的に様々なことを『知らない』。

未知の領域について、私は知っている範囲で想像することしかできない。

実際にやってみたとして、掴んだものがfakeである可能性はゼロにはできない。

しかし、やらずには、やはり何もわからないままだから、私は知りたい思うことを実際にやる以外にない。

 

私は未熟なのだろうか。

私は至らない人間だろうか。

私は能力が低いのだろうか。

 

そうではない、と思う。

というのも、自画自賛したかったわけではない。私はもちろん、まるでなっていない、てんでダメな状態だ。

私が言いたいのは「みんな、そうなんだ」ということだ。

 

立派そうに見える人も、社会で成功している肩書が立派な人も、知ったような澄まし顔をしている人も、素晴らしい技術を持つ人も、みな、『まるでなってないてんでダメな状態』なのには、変わりがない。

結局は皆知ったかぶりをして生きている。様々なことを『知らない』のが現状なのだから、多少の差はどんぐりの背比べのような違いなのである。

 

だから大事なのは、『知らない』ということを知っていて、常に忘れずにいるかどうか。

大事な違いは、この姿勢くらいなのだろう。

ソクラテスの「無知の知」は、まさにこういうことなんだと思う。

 

私はまだ忘れる。

私が『知らない』ということを、忘れる。

 

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【AC】今ここ、しかない。

私は無力だと思う。

あれやこれやと思いあぐねている。

それはコントロールできないものをコントロールしたいと思っているからだ。

 

元来、人には上下などない。

自分の認識が作り出す、まやかしに過ぎない。

私はよく「上からモノを言われているな」とか「お前に何がわかる」とか、正体不明の存在に対して思いやすい。

自己開示することは、相手の自己開示を要求する交換条件ではないのに。

私が洗いざらい見せているのに、何も見えないのが、おそろしく感じるのだ。

 

しかし、それは「見えない」のが恐いのであって、本当はその人は何も考えていないかもしれない。

あるいは本当に私を至らない未熟者と嘲笑っているかもしれない。

 

私は、それに関与しなくていいし、私にはどうしようもない。誰がどう思っていようと、私に対して直接はなんの意味もないということを、繰り返し思い出したい。

 

未熟者と嗤うひとは、私を「自分の経験しか材料がない」という謙遜に至らずに正しいと思って評価している時点で、まだその人のなかに解決すべき課題を抱えているだけのこと。

 

だから、この世に上下などない。

「この人はまだまだだな」という思い込みや、逆に「この人はすごい」と肩書きで恐れたりするのは、自分のなかの何かが他人をそう見せているだけだ。

自分の経験とは違う経験をして、様々な人が生きている。それはもはや、違う宇宙だと例えても過言ではないかもしれない。

だから、違って当たり前だし、上も下もない。

そもそも、比べられない。それを私はよく忘れる。

 

自分がまだ知らないことを知っていたり、よく見聞きしていても、その人の方が優れているわけではない。

また、よく知っている私が優れているわけでもない。

知る機会があったから知っている。それだけだ。

それを、求めている人に出し惜しみせず伝えられる人を今まで理解できなかったが、自分が知らなかったこと、これからも知らないことがたくさんあることを謙虚に受け止めているからだ。

だから、今まで出会ってきた尊敬すべき彼らは、自分が持っているものはごく一部であり、言葉で伝えられることは限られていると知りながら、相手にわかりやすいように骨を折って伝えてくれていたのだ。

なんとありがたい心だったのだろう。

彼らはそれがそのとき自分がやりたいことだったからやったのだろうけれど、そうありたいと思う。

自分の至らなさを知り、よく噛み締めているからこそ、他人に対して惜しまず、自己満足にならずに、伝える努力を自然にすることができる。

それが強い人であり、優しい人だ。そうありたいと思う。

 

私に問題があるから高みに至らないのだ、という思い込みは、幼少期のライフスキルが発動しているだけだと気づこう。

もうどうなとでもするがいい、と、天に預けることにする。

一切合切、自分ですら、ままならないのだ。

いわんや、他人をや、である。

自分の今までもこれからもコントロールできているように勘違いするのは、西遊記で孫悟空が釈迦の掌のうえを世界だと勘違いし、釈迦の指に斉天大聖と書いて得意になっている姿に似ている。

いくら優れた能力を持っていても、どこまでも自分すら、コントロールなどできなくて元々なのだ。

他人は別の宇宙だ。私の宇宙からどう頑張っても、変えられない。時空も空間も違うから。

私たちには、後にも先にも、限りなく『今ここ』しかない。

私にできることは、『今ここ』を楽しみ味わうことだけだ。

真剣に誠実に、向き合うことだけだ。

知りたいことを学び、感じたいことを感じる。

そのためだけに、今がある。

 

 

集中しよう。

それが生きるということだ。