【依存症】12ステップ・プログラム STEP11の「黙想と祈り」を仏教から考える
横たわる大きな何か、支えてくれている大きな何か。それに感謝できる、存在を感じる。 そのために「祈りと黙想」はある。
アルコール依存症からの回復・社会福祉・家族との日々・時々キャンプ な ソーシャルワーカー ちあき の情報発信ブログ。
横たわる大きな何か、支えてくれている大きな何か。それに感謝できる、存在を感じる。 そのために「祈りと黙想」はある。
だから私はこんな恥ずかしいブログを書いているのだと思う。
仕事がゲーム化している以上、仕事依存症はゲーム依存症である。 例えるならば、サービス終わりかけのリアル『フォートナイト』なのかな。
「乾杯はビールだろ!烏龍茶で乾杯なんて失礼だぞ!」「上役やお客様から注がれたら、飲めなくても飲み干すもんだ!」「お酌しにくる立場で、瓶ビール片手に、自分は烏龍茶なんて、もしかしてバカなの?」これ、口にしている人は要注意です。ちなみに、全部、私が言われてきた言葉です。笑 ということで、今回は、アルコール依存症でない人々に向けての視点で書いてみたいと思います。
全ては必要だから、その時々に私の目の前に用意されていたのだと、今は感じます。 当時はとてもじゃないけどそんな風には考えられませんでした。無理で当たり前だと思います。
最近、人との関わりに興味が持てなくなっている。 酒は止まっているけど、人と人との関わりについてはまだまだわからないことだらけだ。 ...
狡く巧く生きる人をたくさん見てきて「私はなぜあんな風にできないのだろう」と自分以外の誰かと私を比べては、妬ましく思ってきた。
「もう酒はこりごりだから飲まないようにしようと思う」と話すと、「ちょっとくらいなら飲み過ぎることもあるよ」「俺も若い頃はいろいろ失敗したもんだ」などと引き留めてくれる。実に心優しい仲間たちに思えた。
依存症者の回復プログラムとして欠かせない「自助グループ」の在り方も、この社会情勢に対応するべく変化しつつある。私は両方のタイプの自助グループに携わってみて、それぞれによさがあると感じている。
私は神様は信じていない。無神論者である。 神様がいるなら、もっと世の中は幸せに満ちているだろうと思う。「むかし祈ったって助けてくれなかったじゃんサボんな」というのが本音だ。