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【仕事】会社の指示に従うことがつらいひとへ

会社に勤めている人にとって、共通の悩みなんじゃないでしょうか。

「今日中にあれをやれ」

「早くこれをみろ」

「なぜまだできてないんだ」

朝令暮改のくだらない指示が雨あられと降ってきます。その処理に右往左往していると、疲労感だけがずっしり肩にのしかかってきますよね。

そんなひとにぜひ読んでほしいなと思って書きます。なぜなら、私がそうだったから。

 

実は、会社の指示は真剣にやらなくてもいい

そんなわけないやん、と思うでしょう。

でも、私自身試してみたんですけど、事実でした。

提出物、リモート会議、営業ノルマ、KPI(Key Performance Indicatorの略で、日本語に訳すと「重要業績評価指標」という意味)。

これらを一か月間、形だけやっているふりをして、一つも真剣にやらないことにしました。

全部内心で無視してみたんですよね。そうしてみたら、誰もそれに気づきませんでした。

そして、驚くべきことに結果(売上や伸長率)も変わりませんでした。

それでいて、無駄が省かれて、私の心はとても落ち着いていて、穏やかでした。

当然、上司や他の従っている人は、私が指示に従うようにコントロールできなくてイライラしたり説得したりしようしているようでした。

しかし、結果が変わらないので、次第に黙りました。

 

 

意味がないのに「従わないといけない」と思い込んでいる理由とは?

結果が変わらないとしたら、私たちはなぜやらないといけないと思うのか?

なぜ、イライラし焦り、やりたくないと愚痴りながらもやろうとするのか?

 

それは、「もし従わずにうまくいかなかったとき、会社に言い訳ができない」からです。

 

会社の指示に従っている限り、うまくいかなくても「会社の指示が間違っていたからだ」という言い訳ができます。評価者から責められたときの私たちの心の安全を守ってくれます。

実は私たちは、「従いたくない」と言いながら、メリットがあるからあえて能動的に選択しています。従えば責任を負わずに済む。だから私たちは嫌々やるべきだ、それが仕事なんだ、と思って我慢しています。

そう、実はやりたくないのに我慢しています。それでもやる理由は、デメリットを上回る「責任転嫁」のメリットがあるから。

 

見定めないといけないのは、「本当にメリットがあるのか?」ということです。

会社は結局、結果が悪ければ守ってくれません。

失敗をすれば切り捨てるし、結果が出ない場合は契約更新してくれません。

結局は、なんだかんだ言っておきながら、私たちのことを深く考えてくれてなどいないのです。

替えがきく労働力。それが日本という国の、企業という組織の、労働者に対する扱いです。

つまり、どれだけ尽くして会社のために何かをしたとしても、報われる可能性はそこまで高くない。非常に効率が悪い。「慈善事業」に近い。ただの善意のボランティアです。

 

会社に使われるな、こちらが使ってやれ

私たちは、会社のほうが、労働力が必要だから、提供してあげているのです。

雇ってもらっているのではありません。

雇われてあげているのです。

雇用関係というのは対等です。契約に基づき労働に見合った賃金を支払う、というフェアトレードです。

 

だから、相手が望む最低レベルをきちんとこなしていれば、とやかく言われる筋合いはない、ということです。

 

逆に、会社を使いましょう。

会社はツールです。個人ベースではできないことを、組織の力を借りて実現することができる。それを可能にするために、私たちは能動的に会社に所属している、と考えましょう。

会社に尽くすことが生き方を磨く、みたいな稲盛和夫さんの時代の考え方は、正直もう不可能だと思っています。不平不満を漏らさず「自分は素晴らしい会社に勤めているのだ、素晴らしい仕事をしているのだ」と自己洗脳するには、あまりに報われない不義理が行われているのが現実です。稲盛和夫さんの時代のような終身雇用制度はもはや崩壊し、上が下を育てるような愛情は希薄になっています。

この時代、わたしたちには「この会社を選ばない選択肢だってある」と気持ちの上では組織と自分を切り離すことが重要です。今あるツールとして会社をこちらが使って、スキルアップすればいい。その結果、自分が実現したいワークスタイルが確立できればいいのだと思います。

 

まとめ:私たちは縛られず、好きにしていい

そう考えると、会社に従う価値は、どこまであるのでしょうか。

私は、会社に何度も改善提案をしてきました。

方針や指示に矛盾が有ったり、効率が悪かったり、意味がないことには、エネルギーを最大限に割いて真摯に提案してきました。

しかし、会社は「それはわかるけど、もうすでに決まってしまったから動かしたくない」ということで、何も汲んではくれませんでした。

私はここで底打ちしたといいますか、会社の方向性はもう私には影響できないものなんだな、と悟りました。「もっとこうしてほしい」という願望を持つことを諦め、コントロールを手放した境地に至りました。

そうすると、「もう好きなだけ、好きなようにやったらいいんじゃないかな」と思って聞き流すことができるようになってきました。

やりたいんだったらやったらいいと思います。結局やってもやらなくても同じなら、やって上司に評価されようと、やらなくて評価されなかろうと、私の本質的な価値は変わらないのです。ならやらなくていい。

お互い、好きなようにやったらいいんだなって感じます。

「給料分の、会社が株主に提出しなければならない『やってる雰囲気』は整えるよう協力してあげるから、まぁ好きにがんばってみて」と思って、会社の向かう方向を俯瞰して眺めることにしました。

納得してないことを無理にやらなくて良いって、分かりました。

もういちいち全部真面目に取らなくても良いんだなって思って、気が楽になりました。

 

あってるとか、間違ってるとか、やってみるまでわからないんですよね。

自分で思い描いたことは、やってみるまでわかりません。

私がやりたいやり方は本当はやってみたら効率が悪かったり間違ってるかもしれません。会社のやりたい方向性が結果的に成功するのかもしれません。

つまり、会社の方針も、個人の方針も、現時点では良いも悪いもない。

結果が出ないから悪いわけでもないし、結果が出たから正しいわけでもない。

結局、最も重要なことは「今ココの自分が、納得してやれることかどうか」だけなんですよね。

結果がまだわからないなら、確か道しるべはそれだけです。

だから、誤魔化さずにやりたいことを、あなたが決めてやるだけでいいのです。

そう、あなたが決めていい。やるかやらないかは。

それぞれ、会社も私たちも、やるときめたことをやればいいだけ、実はシンプルだった、ということです。

 

ちなみに、他の社員がイライラしたり不安になったり、上司が言うことをきかせたいっていうのは、実は相手のなかの課題であって、私の課題じゃないんですよね。

他人は鏡にすぎません。人は他人を鏡に見立てています。

うつった自分に対して、抱えているイライラをぶつけたり、怒鳴ったりしてるわけです。

だから、本質的には自分が言われてるわけじゃない、と思うと気が楽になります。

私たちは、私たちそれぞれの声だけに従えばいい。

シンプルに生きましょう。

【仕事】働きながら専門学校に行きたい人が押さえるべき4つのポイント

このたび、私は2年間かけて社会福祉士という国家資格に挑みました。

働きながら国家資格(社会福祉士)を取るってどんな感じなの?

特に何を押さえればいいの?

という疑問にこたえようと、まとめてみました。

 

「社会福祉士」とは?

社会福祉士は、いわゆる「ソーシャルワーカー」と呼ばれる社会福祉専門職の国家資格です。

身体的・精神的・経済的なハンディキャップのある人から相談を受け、日常生活がスムーズに営めるように支援を行ったり、困っていることを解決できるように支えたりすることが主な仕事となります。

また、他分野の専門職などと連携して包括的に支援を進めたり、社会資源などを開発したりする役割も求められます。地域を基盤として、さまざまな場所で活躍しています。

1987年の「社会福祉士及び介護福祉士法」制定と同時に誕生し、少子高齢社会がすすみ、さまざまな福祉的課題が注目される現在、社会福祉士への期待はますます高まってきています。

 

※国家資格には「名称独占」と「業務独占」の2種類の資格がありますが、社会福祉士の資格は「名称独占」です。資格を持っている人だけが「社会福祉士」と名乗れますが、業務に関しては資格を持っていない人も行うことが可能です。医師や看護師などの資格は「業務独占」となります。

 

仕事の内容は?

社会福祉士の仕事の範囲や対象は多岐にわたります。

お年寄りや身体・知的障害者、ひとり親家庭などの相談にのり、それぞれの状況に応じた支援を行います。また、行政や医療機関など各関連施設をつなぐ役割も担います。

社会福祉士資格取得者が働く職場としては社会福祉施設等が多く、その他社会福祉協議会、医療機関、行政機関、独立型社会福祉士事務所等が代表的なものです。

 

資格を取るまでの道のりは?

社会福祉士の資格を得るためには、「社会福祉士国家試験」に合格しなければなりません。

国家試験を受けるまでにはさまざまな道のりがありますが、大きくは大学等で指定科目を履修する、短大等で指定科目を履修して実務1~2年を経験する、養成施設を経る、指定施設で実務を5年以上経験するという4つのルートに分けられます。

※受験資格の詳細は、公益財団法人社会福祉振興・試験センターを参照ください。

 

つまり、現在働いている人で全く福祉にかかわりがなかった人で、4年制大学を卒業している人は、社会福祉士一般養成施設(実習込みの福祉系専門学校)に1年以上行けば国家試験を受ける権利を得ることができる、ということです。

 

社会福祉士国家試験について

国家試験は、年1回2月初旬に行われます。

筆記試験のみで、5つの選択肢から原則、正しいもの(適切なもの)を選ぶ形式です。

だいたい毎年4万人くらいが受験して、1万人くらいが合格(合格率25~30%)の試験です。

 

■第31回(2018年度)受験データ(厚生労働省発表)

受験者数/41,639名(43,937名)
合格者数/12,456名(13,288名)
合格率/29.9%(30.2%)
*( )内は前年データ。

 

参考:社会福祉士とは?(中央法規)

 

働きながら通える通信制専門学校

1年8ヶ月、私は専門学校生となり、無事卒業しました。

肝心な学費は、トータル 36~40万円前後でした。(教科書・実習費用込み)

「スクーリング」という学校へ実際に行き、講義を受ける日が11日間あります。いずれも、土日や大型連休に合わせて、仕事に支障があまりないようにスケジューリングされています。

「レポート」の提出が通学の証明となります。2か月に1回4通、40回ほど、約2000字のレポートを提出しました。これは仕事をしながら、空いた時間を見つけて書きます。テキストを読み、設問に対応する小論文を作成するようなイメージです。これで、100点満点中60点以上を毎回とれば、無事卒業となります。

「相談援助実習」が、働いている人には一番厄介です。

入学時に実務経験が1年未満の方(2020年3月31日時点で実務経験が1年以上ない方)は「相談援助実習」の履修が必要です。社会福祉の現場で実習を行い、相談援助に関する専門知識や専門援助技術、関連知識を学びます。

実習は、学校が指定する施設において、180時間以上(23日間)実施します。

時期は、スクーリング「相談援助実習指導(実習前)」受講後、だいたい1月~8月となります。

参考:日本福祉教育専門学校HP 四国中央医療福祉総合学院HP

 

押さえるべきポイント1:あらかじめ上司に了解を取る

事前に許可を取らなくてはならないのは、「相談援助実習」の実習期間、休みをいただくことです。

180時間以上(23日間)というと、ほぼ1ヶ月まるまる職場を離れることになります。なぜなら、実習は可能な限り連続して経験しなくてはいけないからです。

なので、どうしても出席しなくてはいけない会議以外はすべて有給休暇や代休を繋げて休ませてもらうことに、上司に了解をもらわなくてはなりません。

有給休暇は労働者の義務なので、本来であれば自由に取る権利があります。なので、上司が「困る」と言ったとしても、権利を行使して強行することは可能です。

しかし、現実的には一応了解をとるのが一般常識とされているので、事前に相談しておきましょう。あとあと「聞いていなかった!」などと騒がれて実習中に連絡されても迷惑ですし。

ちなみに、私は事前に直属の上司とその上長とその上にも了解を取り入学手続きをしたにもかかわらず、夏が来て休むことを改めて確認したとき「聞いてない!」と言われ、呆れ返りました。聞いていないわけないだろ、アホか。

 

押さえるべきポイント2:あえて仕事を詰めこみ過ぎない

実は、レポートが結構大変です。

学校によっては、手書きを強要されたりします。(コピペ防止のため)

私の通っていた学校も途中まで手書きでした。私は課題をため込む典型的なサボりタイプなので、2か月ごとに2000字×4通=8000字のレポートを一晩で書いたりする羽目になり、泣きそうになりながら腱鞘炎一歩手前の手を引きずり、なんとか卒業した感があります。

真面目な皆さんにおかれましては、こんなことはないかもしれませんが、日ごろの仕事を詰め込み過ぎると、こんなことになってしまうかもしれません。

私は仕事で手を抜くことが当時、とても下手っぴだったので、全力でやって夜は泥のように眠り、土日は疲れて何もできない、ということになっていました。

なので、学校に通いだしたら、少し仕事のスケジュールは楽をするようなイメージでスケジューリングして、レポートを書く時間を少し開けるくらいの余裕があったほうが、いいなと思います。

土日にやろうと思っても、結構やれません。家庭の用事が入ったり、スクーリングが入ったり、結構時間ないです。平日にやれるように、調整したほうが無難です。

 

押さえるべきポイント3:試験対策は3ヶ月前からはじめると楽

せっかく2年近く学校に通っても、国家試験に合格できなくては当初目的としていた「社会福祉士」は取れません。

なので、国家試験の試験勉強はしっかりやる時間を必ず確保しましょう。

19科目あり、そのどれかで0点科目があると無条件で落ちます。

合計で60%が合格ラインとされていますが、その年の難易度により合格ラインは上下します。

だいたい100点以上取れていれば確実ですが、そうすると67%、約70%点数を取れなくてはなりません。この点数は過去問を見ていただいたら分かると思うのですが、結構勉強しないと取れません。

少なくとも3ヶ月は真面目に勉強する時間を設けたほうが無難です。

私の参考にならない試験対策レポートを、以前ブログにあげたので、もしよかったらご覧ください。勉強方法だけは参考になるかもしれません。

【社会福祉士】私はこうして5日間で合格率30%の国家試験に合格した(2020年最新版)

 

押さえるべきポイント4:学費サポートを活用する

失敗したのがこれです。
「専門実践教育訓練給付金」というのがあります。

「学費クッソ高いやん…」と思った方。ちゃんと卒業したら、お金50%戻ってきます。

教育訓練経費(学費)の50%に相当する額(最大40万円)が支給されます。さらに、資格取得をし、かつ修了した日の翌日から1年以内に一般被保険者として雇用された場合、教育訓練経費(学費)の20%(上限16万円)が追加で支給されます。

私はこれの申請時期をうっかり逃してしまいました。妻にめっちゃ怒られました。学費が40万円だったら、20万円返ってくるからです。

これはマジで本当に後悔しているので、専門学校の人によく話を聞き、ハローワークで現職の勤務状況と照らし合わせて支給対象になるか確認に行きましょう。ハローワークで所定の手続きが必要だからです。

※制度に関する詳細は最寄のハローワークへお問い合わせください。

 

まとめ:仕事をしながら資格取得するのは楽しい

「仕事をしながら学校なんて通えるかな」

「私はそんな余裕ないから」

と思って、興味がある資格取得を諦めかけている、そこのあなた。

やる前から諦めてしまったら、もったいないですよ。

あなたなら、できます。大丈夫。

 

資格取得のために通学する学校では、同じように働きながら資格取得を目指す仲間に会えます。本当にみんないろいろな仕事をしていて、異なる人生経験を積んでいます。全く知らなかった世界が開けます。それだけでも、学費を出して知らない世界に飛び込む価値があります。
トライすることに意味があります。応援しています。

【仕事】利己主義の集まりはチームではなくグループ

こんな自己中心的な考えばかりの人間が集まって何のメリットがあるのだろう、と今の組織で仕事をしていて、うんざりした気持ちになることはありませんか?
どんな組織が「チーム」なのでしょうか?

「チーム」とは?

チームteam)は、共通の目的、達成すべき目標、そのためのやり方を共有し、連帯責任を果たせる補完的なスキルを備えた少人数の集合体を理想とすることがある。
実際には、チームといっても目的、目標、やり方は指導者から与えられただけで、変更権がなく共有できていないことがある。
つまり、目的や目標が「同じもの」であり、そのためにやり方を創意工夫して、当事者意識をもって取り組む少人数の集合体である、ということですね。
同じ方向を向いて進んでいける仲間が「チーム」になります。

方向性が一致していない集団は「グループ」

では、私が働いている組織のように、方向性が一致していない集団は、どう表現したらよいのでしょうか?
そのような集団は、「グループ」であるといえます。
ただ集まっただけ。寄せ集められた烏合の衆。目的や統一された意識のない、当事者意識もない、人の群れです。
目的が同じでなくては、方向性やゴールはそれぞれ異なってしまいます。また、価値判断も異なり、最も重要視するべきコトにズレが生じます。
ましてや、利己的な人間が集まっても不協和音しか生まれません。
個人の営業成績の見栄えの良さを優先したり、表彰されるような功績をあげたいと他人の手柄を横取りしたり、そういう「自分さえよければいい」という人が集まったとしても、それはただの足し算であって、むしろ足を引っ張り合い、引き算にすらなりえるのです。

チームには、個人の利益の最大化から離れられる魅力的なビジョンが重要

とはいえ、自分の身はかわいいもので、それぞれ家族もありますので、個人の利益は大事です。
しかし、チームで集まる意味は、存在を掛け算することで、ひとりではできなかったことを成し遂げることにあります。
それは、自分一人では実現できなかった理想を実現できるという、夢のあるビジョンです。それが、個人の利益から、集団の利益の最大化へと行動をシフトさせます。
つまり、個人の利益追求よりも魅力的な「集団の利益」と感じられる、魅力的なビジョンが共有されていることが、「チーム」の前提条件だということです。
たとえば、「世界一お客様が感動してくれるレストランにしよう」とか、「ひとりでも多くの発達障害の当事者が、自分らしくイキイキと生きていける社会を創ろう」とか。
レストランがミシュランで三ツ星をとって、予約の取れないレストランになり、商売繁盛するのは、そのビジョンを実現するにあたって副次的に生まれたことであって、感動してくれるレストランを目指すから、人々が評価するほどの味やサービスになっていくのです。
もともと、ミシュランで三ツ星をとることや、商売が繁盛することを目的にしていたら、経費をケチったり、ミシュランの審査員っぽいひとにだけ過剰なサービスをしたりと、損得勘定が働きます。目先の利益にとらわれて動いている限り、お客様を感動させるようなサービスは生まれないし、結局目標は達成できないでしょう。
なぜなら、個人が目指すゴールが、それぞれに「このぐらいでいいだろう」という損得勘定により設定されるからです。
利益が出るなら多少質が悪くてもいいだろうとか、評価してくれる人にだけ評価されればいいだろうとか、あまり味に詳しくない客にはこのぐらいにしておけば騙せるだろうとか、そういう浅はかな気持ちが生まれます。これは、私利私欲をなげうってでも成し遂げたい夢のようなビジョンでなくては、人は往々にして、個人の利益(効率)の最大化を最終的な着地にしてしまうからです。

まとめ:マネージャーの仕事とは、まさにそれ

今回私は何を言いたいかというと、やはり結局マネジメント層に対する愚痴という、ものすごく俗物な主張なのでした。
そういうビジョンを掲げて「チーム」を引っ張るマネージャーは、そういう魅力的なフラッグを掲げなくてはいけないんだよな、ということです。
それは、組織のなかで全国No.1になろう!とか、全国で表彰されよう!とか、そんな安いフラッグではダメなのです。
そんなの、ただの横並びの比較じゃん。しかも、条件同じじゃないから、アンフェアです。全然面白くない。つまんない。
我々が働いているのは、なぜなのか?
どんな人に役に立ちたくて、私たちは毎日朝から晩まで駆けずり回るのか?
それは、社会の役に立つからです。
存在意義があるからですよ。
それによって、何よりも自分が生きている価値が認められるからです。
働く元々の意味は、お金をもらいたいからじゃない。
そんなことなら、テキトーに老人でも騙して金を巻き上げればいい。
お金を稼げばいいなら、合法か違法かくらいの違いで、そんなに変わりませんよ。
無知な人を騙してお金を動かす。それは詐欺師と一緒です。
詐欺師ではない、仕事人として、プロとして社会でお金をいただく意義は何なのか?
誇りに対して支払われる対価を受け取る。そういうイキイキとしたチームは、
・自分たちが成し遂げたい夢
・それは独りではできないほど大きい
それを常に忘れず、だからこそ仲間の存在に感謝していて、お互いに夢の実現という共通のゴールに向かって常に進化していけるのだと思います。
そういう矜持が足りないと、やはり虚しさを感じます。
そういう仕事人としての深みがちゃんとある人が好きです。
自分のことや目先のことだけのマネージャーは、一緒にやっているとイライラするし、発言にイラっとするんです。
メンバーも「グループ」であって、全然楽しくない。個人のボーナスや営業成績の見栄えしか考えていない。
そもそも、今の会社にはそういう人しかいなさすぎて、くそつまらんな、と思うことがあります。
特に、ある程度の偏差値の大学や大企業にストレートで入ってしまった、とてもかわいそうな価値観のひとたちが多いのです。
彼らは、人生がいかに多様性で失敗があるからこそおもしろい、その奥深さを知らない。この新自由主義において、学歴社会において、たまたま勝者になれたから、自分がすべて正しいと思って他人を見下しています。浅い経験が全てだと思っている。
このようなルールからあぶれた者たちは自分より劣悪な人間であると根本的に思い上がりをしているのです。いつ何時、自分たちが社会的弱者と呼ばれるそう見下していた人たちのように苦労するか、分からないのに。
そのような乏しい、幅のない人生をこれからも送っていくのでしょう。可哀想なことです。
これから社会は多様化に向けて動いていきます。それなのに、既定の価値観にとらわれて、様々な生き方を学ぶ気持ちもなく、おそらく中年以降は自分がいかに優れていたか、という誰も聞いてくれない自慢話をして嫌われていき、「周りはバカばっかりだ」と言いながら死んでいくのです。
マネージャーがゴミみたいなビジョンしか掲げられないと、このように下まで腐っていきます。
今まさに、大企業病に侵されたエリート(笑)が集まっているのが、今の日本の優良企業という泥船の正体です。
それを創ったのは、今ふんぞり返っている上司たちです。つまらない、表面的な価値だけにとらわれ、右往左往してきた人々。
言っても分からない人には、エネルギーを割くのはもうやめました。価値観の相違というやつで、私とは違う世界で生きている人たちだと考えるようになりました。
人生を40~50年近くもその価値観で生きてきた人に、その価値観の幅を広げてくれといっても、土台無理な話です。
私は、今の社会や常識になんか、認められなくていいや、と思っています。
こんな壊れた社会に認められている人は、いずれ滅びる気がします。だから、逆に認められて褒められて天狗になっている人は、やばいような気もします。
自分が実現したい未来に向かってがんばりましょう。そして、同志を見つけたら、そのときには「チーム」になり、夢を成し遂げましょう。

【仕事】働き方はやりたいようにデザインをしよう

コロナウイルスの感染拡大にもとなって、なかなか外回りはできないので、営業としては決算月が終わるのを指をくわえて待っているしかありませんでした。初めての経験。

さて、私は4月から「もう会社の指示に従うのは(表向き)一切やめていこう」という決意のもと、自由に時間を使うようにしてみました。

 

4月からのワクワク裏☆計画

4月からも私は今までと同じエリアを担当して、やる仕事も特に変わりません。

しばらく担当して要領も分かってきましたし、ここらあたりでもう好きにさせてもらおうかな、と思っています。

4月から、裏☆計画に従って行動します。

具体的には下記のとおりです。

 

■会社の仕事は形だけ整える!

・取引先には月に1回程度顔を出すくらいで十分なので、無理に頑張らない(報告はうるさく言われたら報告だけテキトーに入力)

・会社がKPIとして設定した行動指標は、とりあえずやった形を整える

 

■やりたいことだけに時間を割く!

ゴール:依存症・発達障害・精神疾患のエキスパートになる。ソーシャルワークの一環として医療上の課題を解決するために役立つ(そのための製品利用やメーカー企画を立案し実施する)

①社会調査すべきこと
・各種自助グループに参加し現場に精通する。
・今ある自治体や非営利団体などのサポートや社会資源の情報収集、訪問する。
・それぞれの困りごとにおいて具体的にはどんなサポートが必要か?をリサーチする。
・精神疾患・発達障害・依存症の当事者の社会復帰のための治療や社会資源、公的支援をわかりやすくまとめる。

②現時点でできること(コロナ収束後)
・精神疾患・発達障害の啓発勉強会(社会福祉士として、医療従事者として)を実施する。
・精神科医、心療内科医と面会し、医療従事者のニーズや治療実態をヒアリングする。
・このエリアでは未だ無いACA(ACの自助グループ)を立ち上げて運営する。

③今後やりたいこと
・当事者たちは何に困り、どうなりたいのか、具体的には何がどうなればよいのか?をクリアにして、その課題をシェアできるイベントを企画する。(医療と社会資源を繋ぐ手助け)

・ASK依存症予防教育アドバイザーを受講・合格し、依存症について専門的見地に基づいた啓発勉強会を定期的に実施する。(自治体・保健所・精神保健福祉センター・地域包括支援センター・医療機関・一般市民など)

 

好きなことをしないと心が死ぬ

ワクワクすることは大事です。

このまま会社に飼い殺しにされて、やりたくもないことを毎日していたら、うつが悪化してしまうでしょう。

ACのための12のステップを進めるにしたがって、今の世の中がいかに狭量な価値観で構成されていて、それを正しいと信じている人たちの思い込みにより動いているか、ということを、肌身に感じます。

そしてそれは、会社においてもやはり同じことのように思われます。

「営業でいい成績を出しているほうが偉い」「会社の言うことを忠実にやっているからすごい」というのは、「いい子にしてママに褒められたい」「かけっこで一等賞だからすごい」と同じくらいの感覚で今勤めている会社の価値観が構成されていて、そのような勝ち負けの世界でしか生きてこなかったひとの寄せ集めが会社だということです。

限られた水槽(価値観の枠)のなかで、飼われている金魚のような感じです。

水槽から出ることすら想像できず、水槽のなかが全てだと思い込んだまま、えさを食べてフンをして死んでいくのも人生ですが、私はやはりそれは辛いなぁと思います。

それで幸せだと思える人が、常識的な人、という存在の姿なんだと思います。

私は非常識なのでしょう。それでは幸せだと思えません。

自分で自由に泳ぎたい。いろいろなところを泳ぎたい。泳ぐ場所は自分で決めたい。

だから、今あるルールはそれとしてうまく掻い潜りながら、水槽のなか以外でも泳げるように努力をしたり、いずれは川や海に出るべく、自らを鍛えていくことが、やはりワクワクする生きがいなのです。

だって、なんか変だな、と思うことありませんか?

嫌なのに、嫌なことずっとして、それを誤魔化しながら人生終わるなんて、嫌じゃない?

私は嫌なことは嫌だと認識して、これからは良い意味で自分勝手にやらせてもらおうと思います。

【仕事】新型コロナウイルスで浮き彫りになった日本人の「仕事依存症」

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、多くの会社では在宅勤務を推奨されているにも関わらず、出社することをやめられない、経済を最優先して状況を冷静にみられない、そんなひとがいますよね。

なんとなく、気持ちわかります。

なぜなのか?

少し考えてみました。

 

仕事に依存しているのではないか?

仕事依存症チェックプログラム というものがあります。

ちなみにこのチェックプログラムを監修しているかすみがうらクリニックの副院長、猪野亜朗先生は、アルコール依存症治療の最前線を歩かれる医師のお一人で、アディクションについてはスペシャリストであらせられます。

以下の質問にYES,NOで答えてください。

  1. 部下や同僚に任せた仕事でも,自分が全て目を通さないと気がすまない
  2. いつも仕事の期限に追われている
  3. 家に仕事を持って帰ることが多い
  4. 休日でも仕事のことを考える
  5. 休暇中も職場のことが気になって,職場に顔を出したくなる
  6. 大事な予定が入っていても,残業を断れない
  7. 同僚がみんな帰っても,残業を続けることがある
  8. 有給休暇をほとんど消化していない
  9. 仕事中に邪魔が入ると非常にイライラする
  10. 仕事の相手が時間に遅れると非常にイライラする
  11. 昼食をとりながら仕事をすることが多い
  12. 電話が鳴ると真っ先にとろうとする
  13. 会議などのテンポがのろいと非常にイライラする
  14. 職場では仕事以外の話をほとんどしない
  15. 職場の花や壁の飾りなどに興味がない
  16. 同僚の服装やおしゃれにはほとんど興味がない
  17. 仕事中はいつも早足で歩く
  18. 時計を持っていないと落ち着かない
  19. 通勤中はたいてい仕事のことを考えている
  20. 仕事中はほとんど息抜きをしない
  21. 仕事中にいれてもらったお茶を飲み忘れて,気がつくと冷めていることが多い
  22. 今取り組んでいる仕事が終わる前に次の仕事を考えている
  23. 自分にほんの少しの失敗があっても,一日中気になる
  24. 職場を離れた同僚や部下とのつき合いでも,必ず仕事の話になる
  25. 同僚や部下が自分の思い通りに動かないと,かんしゃくを起こす
  26. 同僚や部下のミスでも,自分が責任を感じる
  27. 仕事を引き受けるかと聞かれると,「やりたいか」ではなく「やるべきか」と考える
  28. 仕事で同僚に後れをとっていると考えると,いてもたってもいられない
  29. 他のスタッフは仕事の手を抜いていると思う
  30. 仕事はプロセスよりも結果が問題だと思う

現代の日本人は、仕事に没頭し仕事の中にしか自分の存在価値を見つけられないという不健康な状態になりがちです。

「会社のため」「家族のため」という大義名分のもと,自分自身を追いこんでいませんか?

このチェックプログラムは三重県立高茶屋病院(当時)・猪野亜朗医師によるものです。

手遅れになる前に対策を立てましょう。

 

うわ…、めっちゃ当てはまります。

ていうか全部YESでした。(白目)

皆さんはいかがでしたか?

 

仕事依存症だった人は、どうしたらいいのか?

仕事依存症から回復する方法

  • 仕事中心の生き方を改めることに対して無力であり,日々の生活が空疎なものになってきたことを認める
  • 今までの生き方に無理があったことを認め,この世には富や名誉以上に大事なものがあることを認める
  • 今までの生き方を支えてきた意志の力への信仰をやめ,他人の評価を恐れることなく,あるがままの自分を受け入れる
  • あるがままの自分を発見するために今までの生き方を点検し,両親との関係から始まる人間関係を見直す
  • あるがままの自分とは隔たった自分をなぜ演じてきたかを理解する
  • 虚構の自分の衣装の下に隠れていた本来の自分の存在を実感し,この”もうひとりの自分”と和解しようと思う
  • 今までの生き方の誤りが、本来の自分を見失い、傷つけ、成長の最後の段階を踏み損なったことを理解する
  • 今までの生活の中で抑圧してきた本来の自分をいたわり、その言い分に耳を傾ける
  • 傷つけてしまった自分以外の人々に対して、謙虚に謝罪し、機会があれば、できる範囲でつぐないをする
  • 生き方の点検を続け、新たに気づいた無理な生き方は勇気をもって変える
  • あるがままの自分を実感し、自分の命の自然な流れがどの方向へ向かっているかを理解する

まさに、依存症やアダルトチルドレンの回復のために取り組む「12ステップ・プログラム」そのものですね。

私が仕事に依存しているわけない、と思う人へ

在宅勤務で家にいづらくはありませんか?

これが分水嶺になる気がしています。

 

なぜなら、仕事依存症になることで家庭に弊害が出ている客観的な事実だからです。

認めたくないけど、しわ寄せが来てるんですね。家庭の不和として。

 

新型コロナウイルス騒動で見えてきた日本人の闇

在宅勤務が推奨されて、まず上がったのは既婚女性の悲鳴でした。

「家にいるのに家事育児を手伝わない」

「在宅勤務とか言って暇そうに座ってる」

その後、既婚男性からも悲鳴が上がりました。

「家にいたら仕事にならない」

「仕事中なのに子どもや妻に暇だと思われ何もしていないと咎められる」

 

これは、割と身近に起こっていて、私の会社の人々(特に男性ばかり)は、少なくない人が少し前まで意味もなく会社に来ているのでした。

緊急事態宣言が全国展開されてからは、原則禁止になり、姿は見えなくなりましたが、私を含め、日本のサラリーマンは仕事依存症になるほど追い詰められているのだと思います。

好きで依存症になる人は、いません。あんな辛い病気、なりたくてなる人はいない。

生きづらいから、なるのだと思います。

それは、特に日本人男性のジェンダーロールであり、成果を常に求められる社会で認められなくては生きていけないサバイバルレースを生きてきたからです。

『成果出そうレース』。

生まれた時からこのレースに参加させられ、成果でしか評価されなかったから、自分の生きがいやあるがままの姿を受け入れられなくなり、合理的で効率的な『デキる男』を目指さなくてはならなくなりました。

本当は目指したいものは別にあったのに、忘れ去ってしまったのでしょう。

 

今このタイミングは、自分を見つめ直すチャンスでもあります。

仕事ばかりになって成果でしか満たされない、そんなのつらいですよね。

別の穏やかな幸せが、きっと見つかります。

 

私たちは、今までほんとうによく頑張ってきた。

成果が出ても出なくても、あなたも私も本当は仕事以外の価値を持っているのだと、同じ仕事依存症になって苦しんでいる人の、ありのままの姿を褒め称えたいと思います。

【仕事】複業型ワークスタイルの確立を目指そう!

今日は私が目指している「副業」ではなく「複業」型ワークスタイルを実現したい背景について、自分の方向性を確かめる意味でもまとめてみたいと思います。

これからの時代は「多動力」

堀江貴文氏の著書はだいたい読みました。

そのなかでも「ゼロ」は堀江貴文氏のメディアでのイメージとご本人とのギャップに驚くし、「多動力」の考え方は、私にとって方向性を示してくれた良著でした。

ぜひ読んでみていただきたいのですが、私が述べたい「多動力」についての説明が東洋経済Onlineさんに掲載されていたので、抜粋します。

 

この「多動力」。かつては、マイナスでしかなかったかもしれない。

「多動力」を仕事に生かす場面は少なく、おかしな人だと思われていたはずである。しかし、これからの時代は「多動力」こそが最も必要な能力だ。

ここでは、その理由を説明する。

IoT(Internet of Things =モノのインターネット)という言葉を最近ニュースでもよく耳にすると思う。これは、ありとあらゆる「モノ」がインターネットにつながっていくことを意味する。

調査会社ガートナーによると、2014年時点でネットにつながっているデバイスの数は38億個。その数が2020年には200億個を超えると予想されている。つまり、テレビなどの家電はもちろん、自動車も、家も、ありとあらゆる「モノ」がインターネットにつながるということだ。

すべての産業が「水平分業型モデル」となり、結果“タテの壁”が溶けていく。

たとえば、テレビとインターネットがつながると、テレビはスマホアプリの1つになり、電話やフェイスブックと同じレイヤーで競争することになる。フジテレビのライバルは日本テレビではなく、恋人からのLINEになるのだ。

また自動車がインターネットにつながり、自動運転が進めば、もはや自動車の形である必要はなくて、ただの移動するイスになるかもしれない。そのとき、自動車業界もインテリア業界もタテの壁はなくなる。あらゆる産業のタテの壁が溶けていけば、今までの経験や肩書きは通用しなくなる。

この、かつてない時代に求められるのは、各業界を軽やかに越えていく「越境者」だ。そして、「越境者」に最も必要な能力が、次から次に自分が好きなことをハシゴしまくる「多動力」なのだ。

出典:東洋経済Online_堀江貴文氏「多動力こそが最も重要な能力だ」

 

 

情報を持っていること自体はそんなに重要ではなくなる時代が来ます。

単なる情報戦ではインターネットやAIのほうに軍配が上がります。膨大なデータを蓄積でき、かつ計算も速く、そのうえ正確だからです。

対コンピュータだけでなく、人や企業の間のビジネスの戦力図も大きく変わります。コンテンツとしてWEBやITが使えるということは、かつては専門的とされていた情報は拡散され共有され、共通のリソースとして持てるようになるため、事業規模が違っても、経験年数が違っても、簡単に「情報」という形ではお金をかけなくても手に入るようになってきました。

だから、その道一筋で情報や知識を持っていることは、あまり経済的な価値や強みではなくなるというのです。

では、どんな人が自身の価値を高めていくのか?

それは、業界と業界の垣根を超える者、越境者だと考えられています。

様々な業界のケーススタディを積み、業界の垣根を越えて活躍することで、異なる価値観を融合できる=新しいモノやサービスやコンテンツを生み出せる=AIやコンピュータにはできない自分オリジナルの仕事を創ることができる、というわけです。

 

もはや「会社に尽くしていれば養ってくれる」はあり得ない

しばしば会社の中堅社員や上司と話していて辟易するのが、この奴隷根性あふれる以下のセリフです。

「嫌なことでも我慢していれば、会社が守ってくれる」

はあ?そんなわけないでしょ。

私たちが勤めている会社はそりゃ業界TOP3に入る会社ですが、リストラはそこかしこで始まっていますし、いずれ業界全体の流れとして社員は減らされることに間違いありません。

私は一度会社から目を付けられて会社を追われそうになった経験がありますが、そのときの会社の対応はえげつないです。

「なんとかしてこの社員をやめさせる材料はないか」と会社で総力を挙げて必死で叩いて埃を出させようとします。会社は人間をやめさせようと思ったらとことん冷たくなれるし、平気でパワハラもします。

嫌なことを我慢していても、会社が首を切りたくなったらあっさり切り捨てます。

それが会社です。

だから、会社がいつまた私を追い出そうとしても

「どうか切らないでください…生活できなくなってしまいます…」と靴を舐めるようなことはしないでいいようになっていなくてはいけません。

そんな状況を回避するためには何をすべきか?

それは『収入源を分散し複数確保する』ことです。

 

会社に支配されない働き方を実現するためには、複数の収入減を確保しておき、1本の収入パイプが潰れても他のパイプで収入が得られる状況にしておくことが重要です。

私の場合、働きながら専門学校に行き、社会福祉士を取得しました。

多くの国内の会社は副業禁止を謳っていますが、実は、法律的な観点からいえば、たとえ会社の就業規則において副業が禁じられていたとしても、法的な拘束力はもちません

現行の憲法および、その付属法(民法や商法など)においては、特に会社員の副業を禁ずる旨の条文は定められていないのです。むしろ、会社側が就業規則をはじめとして組織内の規定によってスタッフの副業を全面的に禁ずることが、法律上許されないという見方が大勢となっています。

これは企業のスタッフといえど一個人であることに変わりはなく、企業とは雇用契約によって決められた時間に労務を提供することになっているわけですから、それ以外の時間は一人ひとりが自らの意思で自由に使えるのが当たり前だからです。

多くの企業にとって、副業を禁止している根拠は就業規則によるものですが、スタッフのプライベートタイムにまで介入し、その時間の活動に制限を設けることは法律上許されないというのが法律的観点からの見方です。

また、労働基準法などの労働関連法規にも、特に副業に関する規定はありません。個人が同時に複数の企業と雇用契約を結ぶことや、会社員として働きながら個人事業主としてビジネスをすることに対する規制は、本来は存在しないということです。

ただし、本業に明らかに悪影響を及ぼす場合や企業の信頼を失墜させかねない場合は、懲戒を受ける可能性があります。

引用:https://boxil.jp/mag/a3874/#3874-7

 

つまり、「有給休暇」というプライベートな時間に、何をしようと私の自由であり、副業を制限する法的拘束力はないわけですから、私が専門学校で得た知識をもとに個人的に活動する分には、何の制約もないといっていいでしょう。

私はこのような背景から、うまく有給休暇などの法定休暇をとりつつ、資格を活用してフリーランスとして仕事を持ちたいと考えています。

 

もう一つは、このブログ運営です。

自力で初めて、このクローズドな趣味の延長ともいえるブログをゼロから自分で調べて立ち上げたことは、私にとって大きな自信になりました。

自身が書いた記事で構成されたブログがGoogleアドセンスの審査を通過して、Webサイトの収益化には成功しました。まだ微々たるものではありますが、コツコツとお金を生むことができています。定期的なブログ更新を今後も継続していけば、月数万のプラスには近いうちになっていくでしょう。

このように、現在3本の収入源を確保しよう!ということで、動いており成果が上がってきています。

これが、私が実現したい複業型ワークスタイルです。

 

元々の出発点は、会社への反骨精神から

私は悔しかったんですよね。

会社から意味のない指示や命令をもらって、それに対して反論した時に上司に言われました。

「誰に飯食わしてもらっとんねん、って話やから、結局」

札束で顔を叩かれたような屈辱的な気持ちになりましたね。

確かに、私は会社から給料をもらう形で組織に雇用されている、被雇用者だ。

でも、金を払っているんだからつべこべ言ってないで言うこと聞け、3回まわってワンと言え、みたいなこと言われて言い返せない立場は嫌だな、と思いました。

こんど言われたときには、

「へー、別に私は別にかまいませんけど、ちゃんとした退職金を積んでくれるんなら、やめてやってもいいですよ?」

と返してやろうと思います。

そのためにも、日々精進して、絶対にフリーランスとして仕事ができるようにスキルアップしていきます。そしてゆくゆくは、フリーランスのほうを主軸にして、独立してやろう!と野望を持っています。

やろうと思えばできないことはない、そう思って、調子が出ないときは休みつつ、頑張っていきたいな、と思います。

【仕事】社内評価を気にすることが無意味である理由

今のご時世、懐は氷河期を迎えているんじゃないかというくらい冷え込んでいます。

だからこそできるだけいい評価をもらいたい。

だから人事評価の時期は特にストレスを感じますよね。

「成果を出しているのに思うように評価してもらえなくてつらい…」

「評価面談時にいつも書類を準備するけど、正直しんどい…どんなに頑張って作ったところで結局上司の主観じゃないか」

こんな声が聞こえてきそうです。(特に私の心から…笑)

今日は従来型の人事評価がいかに無意味で気にする必要がないか?を考えます。

 

Adobe社が実施した調査「Performance Reviews Get a Failing Grade(パフォーマンスレビューに不合格判定)」

#アドビ 調査、従業員の #人事評価 のやり方が時代遅れになっていることを示唆

上記のサイトにおいてAdobe社が以下のように報告しています。

アメリカで1,500人の会社員を対象に実施した調査「Performance Reviews Get a Failing Grade(パフォーマンスレビューに不合格判定)」によると、人事評価の多くは時代遅れで、多くの時間を費やなくてはならないストレスフルなものと認識されています。

調査では、従来型の人事評価が、従業員やマネージャーから、いかに非生産的で無意味だと思われているかを明らかにしています。

調査対象となった従業員の88%は、ランク付けや数値の評価をともなう文書によるレビューなど、体系的な従来型の人事評価を定期的に受けなければならないと答えています。そして、こうしたレビューが同僚間の競争を激化させ、人間関係上のストレスを増やしており、感情的なやりとりや退職にも繋がると回答しています。

 

従来型の人事評価は、特にマネージャーにとって時間の無駄

  • 従業員とマネージャーの多くが、人事評価の準備は時間の無駄であると考えている。(従業員:72%、マネージャー:88%)
  • マネージャーは人事評価の準備に、従業員1人あたり平均17時間を費やしている。
  • 従業員とマネージャーの3分の2近くが、人事評価は時代遅れと考えている。(従業員:64%、マネージャー:62%)
  • 従業員の半数以上が、人事評価は仕事に対する影響力はない(59%)または、不必要である(58%)と考えている。

 

 

 

従来型の人事評価とAdobeの評価制度「check-in」の違い

Adobe社は、従来型の年次の人事評価早くから廃止した企業の一つであり、2012年には独自の評価制度となる「チェックイン(Check-in)」を導入しました。

この新しい制度では、従業員とマネージャーが常に対話を行い、その中で明確な目標を決め、何度もフィードバックし合いながら、キャリアアップについて話し合います。

従来型の年次の人事評価を廃止する前は、数値による評価、ランク付け、評価を文書化して提出する厳格な手続きを行っていましたが、「チェックイン」導入後、以前のプロセスで必要だったマネージャーの所要時間を最初の1年間で8万時間(フルタイム従業員40人分)削減しました。

従業員数が増加した現在、マネージャーが人事評価にかける時間を年10万時間以上削減していると推定しています。また、従業員に関しては、意欲、定着率が高まり、自らパフォーマンス管理ができるようになりました。

 

つまり、アメリカにおいて約70~80%の人が「年1回の人事評価は時間の無駄」と考えており、約60%の人が「仕事に対する影響はないか不必要だ」と考えているのです。

これは、日本においても同様ではないでしょうか。

 

そもそも、社内評価はあてにならない

一人の人間(マネージャー)によりその人の仕事内容を評価するのは、極めて難しい仕事だ、ということが大前提にあります。

人事評価によるランク付けや数値による評価は、同僚間の競争や感情的なやりとりを生み、ストレスの原因となると言われています。

従業員の半分以上が、人事評価によって同僚との競争が生まれた(57%)、直属の上司が気に入った部下をひいきする(61%)と答えている。

 

私は零細のベンチャー企業で新卒時代を過ごし、国内大手・東証一部上場企業の異業種に転職して、事業規模と事業領域の異なる二つの会社を経験しましたが、いずれも人事評価については平等とはいいがたいと感じました。

上記の調査の「ひいきすると客観的に感じている人が60%以上いる」という状況は、現在の日本における従来型人事評価制度にも当てはまると思われます。

とくに「忖度」を重んじる日本企業において「上司の俺に忠実に従う使い勝手のいい部下」を評価する短絡的思考の上司がアメリカよりも多くの割合存在すると推定され、適切にその機能を果たせていない可能性すらあります。

 

尊敬する先輩が降格された話

ここでひとつ、いかに人事制度にみる目がないかを示す事例を紹介します。

先輩のNさんは面倒見もよく、担当エリア全体を見る視座の高さもあり、尊敬すべき先輩の一人です。

しかし、このNさんは降格されました。

理由は「職責に見合ったパフォーマンスを発揮していない」「先輩社員として後輩に手本となる活動ができていない」でした。

両方とも上司(エリアマネージャー)の「見る目の無さ」からくる誤解であることに、私以外は気づくこともなく、また上司に意見することもなかったのです。

まず、「職責に見合ったパフォーマンスを発揮していない」ですが、これは上司が職責に合わせた仕事を差配していないからです。つまり、上司の過失です。パフォーマンスを発揮できるように適切な人員配置をするのが、マネージャーの役割ですが、その能力不足を部下に押しつけて責任逃れする典型的無能パターンの上司が陥りやすい思考です。

次に、「先輩社員として後輩に手本となる活動ができていない」ですが、できています。会社の『手本となる活動』の認識に問題があることと、手本となっている場面を上司が診ていないだけ、という2点で説明がつきます。

会社が求める『手本となる活動』は、「何でもいいから新製品を売ってくること」というユーザー目線ではない会社本位のものなので、「顧客満足度を一番に考えてエリアに貢献する活動をし、その延長線上に売上最大化を見込む」という尊敬すべきNさんの視点は会社の方針にそぐわず、理解できない人が多いという悲しい状況です。

そうした意味で少なくとも私には、社会貢献のあるべき姿を示しているという意味で、この上ない手本になっているし、それを上司が視野狭窄に陥っているため知らないだけなのです。

このように、上司は必ずしも社員を評価できるほど有能ではありません。

それは上司も人間なので仕方のないことですし、人としての成熟度にも違いがあって当然です。

なぜそのような不適格な人間がマネージャー層に昇格してしまったか、といえば、前述の通り、「『上司の俺に忠実に従う使い勝手のいい部下』を評価する短絡的思考の上司」がマネージャーの器がないゴマすりしか巧くない人物を、無理やり引き上げてしまったからです。

つまり、人事評価すべき人間が評価する能力に乏しいため、社内評価には全くと言っていいほど信憑性とその意義が失われてしまったのです。

 

だから、あなたは上司の評価など気にする必要はない

見る目がない人の評価を気にしてビクビクする必要はありません。

逆に、そのような器の小さい人間の顔色をうかがってユーザーを蔑ろにしてはいけません。

私たちはユーザーを通じて社会に貢献するために、仕事をしているのです。社内の権力争いやマウントの取り合いなどにかまけて優秀な貴方の心が顧客から心が離れてしまっては、それこそ社会的損失です。

上司の顔色をうかがっていても自分の為にも会社の為にも、社会の為にもなりません。

だから、気にするのはもうやめましょう。

それにどのみちそんな無能が昇進するような会社は、これから社員も金も離れていきますから、これから自分が別の会社で活躍するためにもスキルを磨いて社会貢献度を高めておきましょう。

そうして能力を伸ばしていれば、ちゃんとあなたのことを評価してくれる会社と巡り合うこともあるでしょう。

社員に諦められる将来性のない会社のために、あなたの貴重な時間をつかうことはありません。

気を楽にして、建設的な働き方をしていきましょう!