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【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑦(孤立)

今回は、孤立 について棚卸ししていきます。

孤立とはどんなこと?

■孤立■

多くの場合わたしたちは、自分にとって快適でない状況から引きこもることで安全だと感じます。自分を孤立させることによって、私たちは、他の人が私たちの本当の姿を見ないようにします。自分は価値がない者であって、従って愛されること、注意を引くこと、受け入れてもらうことに値しない者なのだ、とわたしたちは自分自身に対して告げています。さらに、自分の感情を表現しなければ罰せられたり傷つけられたりしないのだ、とも言い聞かせています。わたしたちは危険を冒すよりも隠れることを選び、そうすることで不確実な成り行きに直面しなくて済むことを選びます。

自分を孤立させていることは、わたしたちは次のような問題を引き起こしているかもしれません:

●拒絶を恐れる
●孤独感を経験する
●自分を裁く
●負け犬のように感じる
●自己憐憫に陥る
●自分が他の人と違っているように思う

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
71Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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常に感じてきた孤独感と疎外感

私は、本当の自分のことを知られると、嫌われると思い込んできたように思います。

自分がありのままの感情や気持ちを表現してぶつけてしまったら、今周りにいる人は皆呆れた顔をして、あるいはガッカリした顔をして、離れていってしまうのではないかしら、といつも恐怖していました。

だから、人と必要以上に長くいることを好みませんでした。

なぜなら、長くいればいるほど、本当の自分の気持ちを押し殺して『外側の顔』を維持することに、疲れ果ててしまうからです。

人といるよりも、独りでいることが好きです。

しかし、比較して好きというだけで、孤独が好きなわけではありません。寂しいのは好きではありません。

皆が集まるのを楽しげに過ごしているのを見るにつけ、『なぜ私は楽しめないのだろう?』と自己嫌悪に陥ります。

私だけが皆とは見えている景色が違うんじゃないか?と思うほどの感覚の違いに愕然とします。

それでもなかに入れたら入りたいし、社会生活上『馴染まなければならない』と無理してはしゃいでみたり、出かけてみたりしました。

そうやって無理をして人と会った後は、しばらく独りにならなくては平静ではいられませんでした。

それだけ、私にとって人と会う、というのは『巣穴から出てきて外敵がウヨウヨしているジャングルを練り歩く』くらい恐怖をともなう行為だと思います。

なぜ外敵だと思ったのか?

それは、本当の私は嫌われるに違いないから、嫌ったら危害を加えようとしてくるはずで、他人とはすべからく警戒すべき存在だと認識していたからです。

なぜ、そんなに「本当の自分」に自信がないのでしょうか。

 

そのままの自分を受け入れてもらえなかった哀しい経験

私は、いじめられていました。

時期は幼稚園から小学校4年生くらいまで。

私は、私らしく過ごしていたと思います。友人はいませんでした。

皆、私が何かに集中している時にちょっかいを出してきたり、私が大切にしているものを壊したり、邪魔しかしてきませんでした。

他人の存在は、酷く不愉快でした。

私が話をしても皆笑ったり呆れたり馬鹿にしたりして、信じてくれませんでした。

私も彼らのいうことを信じるのをやめました。

そんな私に、両親は「お友達と仲良くしなさい」「お友達と遊んできなさい」と哀しげな切羽詰った顔でいいます。

私は本当は「あんなやつらと一緒に居たくない!独りでいる方がずっといい!なんで仲良くしなきゃいけないの?」と叫びたかったのですが、彼らの哀しい顔をみると、そうは言えずに、憎き外敵である『お友達』に頭を下げて遊びに混ぜてもらわざるを得ませんでした。

次第に私は、こいつら『お友達』は、うまくコントロールして手なづけないと厄介だ、と思うようになりました。

表面上でもいいから、仲良く振る舞わなくてはならない。そのためには、嫌われてはならない。私はそのままでいたら『お友達』に嫌われる。それはまずい。だから、本心は見せないようにうまく隠して、「上手に生きなくてはいけない」。

こうして、私は心を一切通わさない『お友達』との距離感を獲得していきました。

しかし、それは人生を過ごすうちに見せかけのメッキとしてボロを出し始めます。

 

自分も他人も騙しきれなくなった負け犬

寂しかったです。

私は、どうしようもなく寂しくて虚しい気持ちから、逃れられないことに気づき始めました。

警戒し欺いて距離をとって他人と接して、自らの内面に引きこもって生きていくスタイルは、己の孤独感が膨張するに従い、限界を感じさせるようになりました。

仕事が始まり、未知の世界を自ら切り拓かなくてはならない重責に耐えかね、私はエチルアルコール(酒)という薬物に精神的に頼り始めます。

おそらく、健全な他人との関係を築いてきた人にとって、酒とは交流を楽しむための補助的役割でしょう。

私にとっての酒は、エチルアルコールであり、外敵に囲まれながらも笑顔を絶やさず、さも楽しく過ごしているかのように道化をやるためのドラッグでした。

楽しい交流など、ありません。

ひたすらストレスをエチルアルコールで誤魔化すうち、エチルアルコールでドーピングしないと不安になるようになりました。

酔っていない時の世界は、未来への恐怖と周りの人間への恐怖でいっぱいでした。

そこから逃げるために、どんどん量が増え、飲み方も激しくなっていったように思います。

見せかけのメッキは自らの問題飲酒により、どんどん剥がれ落ち、酒に頼ってまで守ろうとした『お友達』との関係は、酒の問題でズタズタになり、終いには本当の自分以上に蔑まれ嫌われていました。

後に残ったのは、自分も他人も騙しきれなくなった寂しい負け犬の私でした。

やっと私はそこから、「自分も他人も欺かず生きていきたい、だから酒をやめたい」と思うようになりました。

 

孤立からの回復ってどんなこと?

□孤立からの回復□

自分についてより良く感じるようになり始めるにつれて、わたしたちは以前よりは積極的に、たとえ危険を冒しても新しい人々や環境に自分をさらけ出していくようになります。わたしたちは、過去のものよりは育んでくれるような、安全な、支えてくれるような友人や人間関係を求めます。わたしたちはグループとしての行動に参加し、それを楽しむやり方を学びます。人々が、あるがままの私たちを受け入れてくれることが分かってきたとき、自分の感情を、もっと楽に表現できるようになってきます。それと同時に、自分を受け入れられるようになり、自己評価が高まってきたことの結果として、さらに快適に落ち着いて生活するという、貴重な贈物を楽しむことができるようになってきます。

自分を孤立させることがより少なくなってくるにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

○自分自身と他の人たちを受け入れる
○支えてくれるような人間関係を造り育てていく
○自分の情緒を表現する
○自己中心的な度合いが小さくなる
○積極的に他の人と関わる

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
72Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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自助グループに参加して、本当に私は大きく変化してきました。

閉じて独りで立て籠もっていた精神の巣穴から、やっと這い出てきた私は、言いっぱなし聞きっぱなしの、心の安全が守られる場所で自分が感じてきたことをありのままに話す勇気を出しました。

何も言わずに、ただ聞いてくれる。

これが、どれほど嬉しかったことでしょう。私は心の底から、あぁずっとずっと私は私が大切だと思ってきた人たちに、こうして聞いて欲しかっただけだったのに、ときづいて泣きました。

その後は、言いにくい本心や、対立する意見を持っていることや、傷ついた事実など、以前の私には到底話すことができなかった自分の中の本物を、私は他人に差し出していく勇気を持ち始めました。

そしてその行いは、ことごとく美しい結末を見せてくれました。人と人とが言葉を交わし、心を通わせ、お互いを尊重することは、こんなに美しく、心が洗われる尊いことなのだな、と思いました。

だから、みんな、他人と関わるのがあんなに好きだったのか。

だから、みんなあんなに楽しそうに笑っていたのか。

それがはっきり実感をともなった時、わたしの中でやっと『お友達』は、憎くて恐ろしい存在ではなく、ありがたい仲間に見え方が変わりました。

 

まとめ:独りぼっちではなくなったから

わたしは今、随分と生きるのが楽になったと実感しています。

それは私が強くなったからでしょうか?それとも、本当の私が変化したからでしょうか?

どちらも正解ではありません。

本当の私を認め、愛してくれる仲間がいると分かったからだ、と私は思っています。

わたしは、自分から引きこもり、独りが一番安全だと思っていました。

また、本心さえ話さなければ、気に入られる言葉さえ話していれば、傷つけられたり責められたりしない、と思っていました。

それはしかたがなかったのだ、と私はわたしの当時の辛さを認めます。

わたしは私のそのままを話して拒絶された痛みに耐えられなかったし、幼い私が命を繋ぐためには、心の殻に篭るのは自己防衛で、生きるために必要なことでした。

その幼い私が考えた生き延びる術が、次第にうまくいかなくなり、エチルアルコールに中り様々なものを失いました。

しかし、今までの『お友達』に対するやり方が破綻している、という事実に気づくために、必要なエピソードだったと、今わたしは自分を許したいと思います。

独りぼっちでは生きていけなかった、ということを認めます。

わたしは、独りぼっちではなくなったから、今、生きていてよかったな、と思っています。

 

 

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑥(過剰に発達した責任感)

今日は、過剰に発達した責任感 について棚卸ししていきます。

 

過剰に発達した責任感 とはどんなもの?

■過剰に発達した責任感■

機能不全家族の子どもとして、私たちは自分が親の問題であること、または親の問題を作り出していることに対して責任を感じていました。わたしたちは「見本になる子ども」になり、問題をなくそうと努力しました。私たちは親が感じ、行動する仕方、さらにはその結果に対してさえ責任があると信じ込みました。今もってわたしたちは、他の人たちの感情や必要に対して、とてつもなく過敏であり、彼らの感情を生み出すことや、彼らの必要を満たすことに当然責任があると思い込んでいます。わたしたちにとっては、自分の仕事を「完全に」やることが重要です。わたしたちは他人の生活がより容易になり、ストレスがより少なくなるように物事をやってあげようと志願します。この大げさな責任感のおかげで、わたしたちは、とても捌き切れないくらいたくさんのことを引き受けようとします。わたしたちはしばしば、結局のところ犠牲になったように、利用されたように、認めてもらえなかったように感じ、恨みがましくなります。

責任過剰であると、わたしたちは次のようであるかもしれません:

●人生を重大にとりすぎる
●融通が利かない
●完全主義者である
●他人の責任を当然自分のものと思う
●高い業績を上げることにこだわる人である
●偽りのプライドを持っている
●他人を操る

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「見本になる子ども」

私はしばしば、親が不仲だったり不機嫌であることも、自分のせいだと思っていました。

私がちゃんとしていないから。

私が満足いくような結果が出せていないから。

私が両親にとって完璧ではないから。

私が他の子より優れていないから。

だから親は不満足で、父は不倫をするし、母はいつも父の愚痴を言うし、見せかけのような「幸せ」を維持するために離婚を選ぶことすらできないのだ、と。

だから、「子供がいるから離婚できない」と私たちを言い訳をするのも、自分が不完全だからだ、と思っていました。

しかし、それは間違いでした。

父や母の気持ちの機嫌まで私は気にする必要はなかったのでした。

なぜなら、父や母の人生は、それぞれ父や母のもので、私の責任の範囲外だったのだから。

私がどんな子供で、どう生きていたとしても、私は私の人生にのみ責任があるだけで、親の人生に対する影響まで考えて、そのために自分の気持ちを押し殺したり無理に笑ったりする必要はなかったのだ、と気づいたとき、「無駄なことをさせやがって俺の人生を返せ!」という強い怒りが湧き上がりました。

しかし、そのあとはスッキリしました。

私はもうこれ以上、『他人が見て完璧である必要がなくなった』んだな、と思いました。

 

 

完璧主義で献身的な偽善者

今もってわたしたちは、他の人たちの感情や必要に対して、とてつもなく過敏であり、彼らの感情を生み出すことや、彼らの必要を満たすことに当然責任があると思い込んでいます。

わたしたちにとっては、自分の仕事を「完全に」やることが重要です。

この部分は本当に耳が痛くて、耳がちぎれ飛びそうなぐらいです。

とにかく周りの人の機嫌が悪いと、私が何かやってしまったから機嫌を損ねているのではないか?という疑念が頭から離れません。

ぐるぐる考えてしまい、不機嫌な人の近くにいるだけで疲れてしまいます。

私がその人を怒らせたわけでもないのに、何かhappyなニュースを伝えたり機嫌が良くなるような手助けをしたくなります。

相手の反応が気になるあまり、行動心理学に手を出したのがいよいよ被害妄想を悪化させました。

「今腕を組んでいるからNoなんだな」とか

「利き腕と反対の方向に視線が泳いでいるから今は嘘をついているな」とか

「頰を触ったり手を揉んだりしているから不安に感じているな」とか

「拳を手で丸め込んでいるから、顔は笑っているけど内心ムカついていて戦闘態勢だな」とか

言い出したらきりがありませんが、つまりそういう一挙手一投足に注目して、悪く取られないようにいちいち反応や対応を変えていました。

それはとても疲れることでした。

嫌われるリスクを極限まで削るのと同時に、自分のメンタルもどんどん削れていきました。

なんで私はこんなにまでなって、他人の気持ちや要求に応えようとしてしまうのだろう?

なんで私は結局逆恨みするくせに、他人に献身的であろうとするのだろう?

他人に卑屈に関わり、こちらからお願いすることはできず、消費されているような気がして滅入っては恨み言をいう割に、他人に対する気苦労を一向にやめられない。

そんな自分がとても嫌いでした。

その根本には、「見本になる子ども」になって、親の人生の責任の肩代わりをしようとした、健気な幼少期の自分がいたのでした。

父や母を思うからこそ、そういった不安定な家庭が少しでも明るくなりますように、と道化を演じていたくせが、そのまま残っていて、それは今は必要のない技術にもかかわらず、他人に対していまも発揮されていたことに気づきました。

そう、今は必要がないのです。

そして、実は昔も必要がなかったのに、親が親として機能してなかったので、そうせざるを得なかっただけ。

私は悪くなかったし、いまも悪くはなく、いま必要がないことをやめればいいだけ。

そう気づくと、え?本当にそんなことできるのかな?と半信半疑ながらも、それっていいよなーと思いますよね。

 

過剰に発達した責任感 からの回復とはどんなもの?

□過剰に発達した責任感からの回復□

わたしたちは他人の行為や感情に責任はない、という事実を受け容れると、自分自身に目を向けざるを得なくなります。他の人の生き方をコントロールしないこと、人は自分に対して責任があることをわたしたちは理解します。自分の考え方、感情、行為に責任を持つようになると、余計な責任を引き受けがちな私たちの性向ではなくて、ハイヤー・パワー(回復の力)こそが、わたしたちの導きの源泉であることに気づくようになります。このようにわたしたちは、まず第一に自分を支え養う時間とエネルギーを取り、その後に他の人に適切に与えるようになります。

余計な責任取りを止めるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

〇自分を気遣う
〇仕事と余暇を楽しむ
〇自分の限界(弱さ)を受け容れる
〇責任を委譲する

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あらゆることは、それぞれの主体性により具現化しています。

親は親の決断で人生を形作っているし、他人も生きたいように生き、死にたいように死ぬ。

そこに私は私らしく人生を生きている限り、全く責任がありません。

まず第一に自分を支え養う時間とエネルギーを取るべきなのです。その後に他の人に適切に与えるようにすればいいのです。

最も大切な自分のために、きちんとリソースを割り振ることが実は自然で、それこそが最も他人に対して責任ある行動だったのだ、と気づきます。

 

今こそ、人生を取り返せ

私はずっと気づかないふりをしてきました。

『偽りのプライドを持っている』とは、つまりそういうことです。

私の「他人のために動ける徳が高い心優しい人だ」というプライドは、偽りです。

それは本当の私ではありません。

『他人に目を向けているうちは自分の問題を見なくて済む』という都合の良さを、他ならぬ自分のために利用していた、臆病な人が、私という人です。

自分が被害者のように思っていれば、居心地よく自分の問題に取り組まず先送りにできるから。

『完璧を強要されている風を装いながら周囲の機嫌をとることを無意識とはいえ積極的に選択していた』という事実を認めるのは都合が悪かったから。

 

ごめんなさい。私は自分で選んで、そうしてきたことを、ここに認めざるを得ません。

やりたくないと言いながら、やろうとしたのは、私の恐怖をみたくなかったからです。

自分の人生に向き合うのが怖くてたまらなかった。

なぜなら、それは今まで親のものだったから。自分の手で運用できたことがなかったから、自信がない。全部親が代わりにやろうとして取り上げてしまったから、経験もない。

うまくやれるわけがない!と思います。

しかし、それは私のせいではない、しかたがないことです。

機能不全家族のなかで一生懸命に生きようとして、私は他人に気を遣い、過度に責任を負わざるを得なかったのだから、身についたその過度な責任感のおかげで、今まで命を繋いできたことに感謝して、ついに私は手放します。

私が責任を持つのは、私の人生だけでいい。

そう生きるならば、私は私を最も重要だと考えていいし、自分が悪いから皆が悪くなる、というような呪いをもう信じなくていいのです。

それはとても楽です。心が軽いです。

私以外の人も同様です。

その人がしたいように、今を生きて、将来を決めていくのだから、どう取るか、どう思うかは、完全に私の範疇を離れています。変えられないものです。私にはそれに影響を及ぼす力はありません。あっても、少し背中を押す程度のものです。

他人や状況に対して、私は圧倒的に無力であることを受け入れます。他人に対して感じ方や機嫌をコントロールしようなんていうことは、土台不可能なことで、私の能力の範囲外だったのだ、ともうこの際、あっさり認めてしまいましょう。

そう考えると、とても自由だと思いませんか?

あれこれ考える必要はもうないのです。

だって、自分のこと、それひとつだけで良いのだから!

私が何をしても、どこにいっても、誰といても、私が生きたいように生きてよく、それがどう影響するかは他人の問題なのです。

つまり、私は私が自由に思い描く通りに、生きていていい、ということです。

私は今まで本当に楽しくなかったです。それは、人生を他人(親)に奪われていたからです。

今こそ、奪われていたハンドルを奪い返しましょう。

取り返して、自分でハンドルを握りましょう。

私は、外部のあらゆる状況に無力でありながら、自分が生きたい自分である限り、無限で自由自在なのです。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録⑤(コントロール)

今回は、コントロールについて棚卸ししていきます。

 

コントロールとはどんなこと?

■コントロール■

子どもの頃わたしたちは犠牲者でした。自分の環境や起こってくる出来事を、殆どあるいは全くコントロールできませんでした。その結果、成人に達したわたしたちは、安全さと予測可能性を異常なほどに必要とするようになって、ついには他人のと同様に自分の感情と行動をもコントロールするようになりました。わたしたちの恐れは固さを生み出し、自発的になることを妨げます。何かの課題をやり遂げるとき、あるいは何かの事態を取り扱うとき、私たちは自分しか信用しません。わたしたちは、他人が自分たちを承認するように操縦し、人々や状況を厳しいコントロールの下に置いて、初めて安心できるのです。わたしたちは、管理する立場を捨てると、自分の生き方が滅茶苦茶になってしまうのではないかと恐れ、また自分の権威が脅かされた時ストレスを感じ、不安になります。

わたしたちの、コントロール下にあることの必要・欲求は、結果として、次のようなことを生み出しているかもしれません:

●変化に対して過剰に反応する
●他人が信用できない
●失敗を恐れる
●人を裁く傾向があり、硬直している
●寛容ではない
●他人を操る

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
63Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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他人が信用できない

これが特に突き刺さります。

私は他人が信用できません。

弱みを見せたら騙されるのではないか?

今はいい顔をしているが、私が失敗してメリットを生み出せなくなったら容易にはなれてく薄い関係なのではないか?

そう思うと、本当に困っていることほど相談なんてできないし、常に役に立たなければ捨てられるという恐怖があります。

だから、相手に嫌われていないかどうか細心の注意を払い、嫌われる可能性のある選択肢を極力排除し、自分がよく見えているように常に他人の評価をコントロールしようとしていたと思います。

それが、常に他人の前で気を緩められない悪循環を生み、さらに他人との距離を開かせます。このように、真の信頼関係とは程遠い関係しか構築できないゆえんは、自分自身のコントロールしようとする心だったのだと思います。

 

自分の気持ちに蓋をした

他人だけではない、と書いてあるところが実に示唆に富んでいて、私は確かに感じ方をコントロールしようとしてきました。

別の構成要素である『凍りついた感情』にも関連すると思いますが、『感じてもいい』と思う感情や社会的に正しいと確信できる感情しか自分に許さなくなって、私は私が感じていることがわからなくなったのだ、と実感しています。

たとえば、『結婚しているのに他の異性を魅力的だと思ってはいけない』とか『仕事をしなくては生きていけないのだから、仕事をしたくないということは感じてはいけない』とか『育ててもらった恩があるのだから、親を大切にしなければいけない、嫌いになってはいけないし敬わなくてはならない』という風なことです。

賛否両論あると思いますが私は、結婚していても他の異性を魅力的に感じることはあるし、仕事がしたくなくて1日放心状態になるときもあるし、親なんて早くいなくなれと思っています。

常識的に、そして倫理的に見れば、もしかするとこれらは非常識だ、甘えだ、間違っている、と糾弾され裁かれることなのかもしれません。

でも、実際に湧き上がってきた感情や気持ちは、そのまま受け取っていいもののはずです。だって、そう感じている自分は確かにいるのだから。

それを歪めてなかったことにして蓋をすると、感情や気持ちは腐臭を放ちながら別の形で体現されます。

それが、『他人に対する異常な厳しさ』です。

 

とにかく自分にも他人にも厳しかった自分

●人を裁く傾向があり、硬直している
●寛容ではない

という項目がありますが、まさにその通りです。自分の気持ちを封じ込める代償に、他人にもそれを求めたのです。

『自分がこんなに我慢しているのに、お前がそれを許されるなんて不公平を、俺は絶対に許さない』という、青く揺れる炎のような憎しみを燃やしながら、目を血走らせて間違いを見つければ「ほらやはり正しくない」と相手をジャッジしていました。

間違っていることが許せず、徹底的に糾弾して、周囲を萎縮させ、自分自身も間違いができないようになって、どんどん気苦しくなっていきました。

自分の本当の気持ちが見えていないから、正しさが唯一の物差しになっていたんですね。

出発点は自分が自分の感情をないがしろにしたこと。それを他人にまで強要するなんて、嫌なやつだったなぁ、と呆れます。

私は他人が人生を謳歌しているのがとにかく憎くてたまりませんでした。

楽しそうにしている姿も、前向きに頑張る姿も、私がしてはいけない(と思い込んでいる)からできないことを、反則で自由にやっている、と思うと気が狂いそうなほど嫌いでした。全部燃え尽きて滅びればいい、目の前から消え失せてほしい、とすら思っていました。

今思えば、自分らしく振る舞い楽しそうに生きている姿が、羨ましかったのです。自分の感情のままに、生きていきたいと本当は思っていたから。

なぜそれができなかったのか?

それはやっぱり両親との不健全な関係からだったように思います。

 

何も決めさせてもらえなかった

私は小さい頃、自分では何も決めさせてもらえなかったように思います。

習い事も、行く学校も、目標とする将来ですら、自分で思い描くことを諦めるほど、両親から無言の圧力を感じていました。

どうせこの人達がむかってほしい方向にレールが敷かれて私はその通りに進まなくてはならなくなるのだから、考えたって無駄だ、いう通りにだけしていよう、と思っていました。

だから、何の喜びもありませんでした。

全ては義務でした。

子どもの頃わたしたちは犠牲者でした。自分の環境や起こってくる出来事を、殆どあるいは全くコントロールできませんでした。

上記の内容にある通り、それは「コントロール」だったと思います。

こうしなくてはならない、あれをしてはならない、なぜならそれが正しいことだから。

呪いのように正しさだけが私の周りを占拠して、世界がどんどん高くなる壁に覆い尽くされて見えなくなるような感覚。

足元の靴やそれより下にいる人だけを見ていれば、見えていたはずの空を思わなくて済むので、私は見上げるのをやめたのでした。

自分が行きたい方向なんてない。ここで言われた通りに生きるしかない。だから、下に人がいないと「これでいいんだ」と思えないし、不安になるのです。

だから、人より優れていようと必死になり、わかりやすい偏差値やランキングにこだわり、持っているもので必死に他人をジャッジして安心しようとしました。

それは、本当にその人そのものを見ていない、見ようともしない、失礼で浅ましい思考だったと思います。

安全さと予測可能性を異常なほどに必要とするようになって、社会的評価が高く、経済的に安定した何者かになろう、またはそういった組織の一員になろうとしました。

それが今ある程度叶っているのに、なぜこんなにも不満足なのか?

それは、本当に求めていることではないからです。

コントロールされたことにより、コントロールしようとして、安全さや予測可能性を異常に欲した結果、今の場所にたどり着いたものの、本当にしたいことや本当に好きなことや、本当に得意なこととは違う場所にたどり着いているから、こんなに違和感があるのだと思います。

たしかにこれで正しいのだろう。そう納得できるし、そう生きてきて間違いはないはず。

なのになぜかイライラするし、毎日憂鬱で、なぜか悲しく虚しい気持ちになるのです。

正しさがほしかったのではないのでしょう。

では、何が欲しかったのか?あるいは欲しいのか?

それは、『楽しむ』ということではないかと最近思うのです。

コントロールからの回復とはどんなこと?

□コントロールからの回復□

自分が安全であると感じ、安心するために、人々や物事をコントロールしようとしてきたやり方に、私たちはもっと良く気がつくようになります。わたしたちの努力は無益だったこと -わたしたちのコントロールにもかかわらず、他人はその人のやり方で物事をやっていき、状況はそれ自身の成り行きを持っていること- が分かります。ハイヤー・パワー(回復の力)を自分の安全の源泉として受け入れ始めるとき、私たちの必要を満たすための、最も有効なやり方を発見します。わたしたちが降伏して、意志といのちをハイヤー・パワー(回復の力)の配慮に委ね始めると、ストレスや不安を経験する度合いは小さくなります。自分の安全にばかり気を取られることなしに、いろいろな活動に参加することが、前より良くできるようになります。平和の祈りを口に出してみることは、コントロールに対する欲求・必要がまた起こっていることに気がついた時なら、いつでも役に立ちます。

コントロールを捨てるようになるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます:

〇変化を受け容れる
〇自分を信じる
〇他の人に権限を与える
〇ストレスが減る
〇楽しむ方法を見つける
〇他の人たちをそのまま受け入れる

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『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
64Pより引用(読みやすさのため絵文字を加えてます)

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何も楽しくなかったのはコントロールしようとしたから

私が今一度認識し直さなくてはいけないのは、両親がそうしようとして無駄であったように、物事や、特に他人などは『コントロールできないものなのだ』ということです。

それぞれがそれぞれの行きたい方向があり、実現したい未来がある。それが叶うか叶わないかによらず、それを目指す自由があるし、失敗する権利がある。

そもそも、出発点はそうであるはずでした。

しかし私は両親に邪魔されました。いろいろな失敗する権利を奪われて、目指す自由を見失いました。

結構、楽しくなかったと思います。ワクワク心踊る!みたいな人生ではありませんでした。それは、自分の人生ではなかったから。

今は、経済的にも自立しました。年齢も成人と認められる歳になりました。今もなお親からの呪いを引き継ぐ必要はなくなりました。

私は、私がコントロールしようとしてきたことを手放します。

自分のこと、他人のこと、そして、常に正しくあること。

人は、常に正しくあることなんてできないのだから。

こうではないかな?と思ってやってみて、そうでなかった、なんてことは日常茶飯事です。

失敗の経験を積み重ねることで、私たちは成功の確率を上げてきました。それが正しさと言われるものです。

つまり、正しさこそ失敗から生まれたものであり、自分がきちんと正しくあろうとするなら、むしろ失敗を知らなければならない。生身で本気の失敗をしていない人が、真に正しいことを肌感覚で知りようがなく、知識として知っていてもその人の正しさは本物とは言えない、と思うのです。

そして、だからこそ、『正しい』なんてことは常に変化していてとらえどころがなく、陽炎のような存在であって、他の人の正しさに囚われて、右往左往したり、あるがままに感じることをやめてしまった途端、私たちは健全ではなくなってしまうのでしょう。

正しさも人生も、フル・オーダーメイドです。

それぞれがオーダーメイドの人生を楽しむために生まれてきました。

だから、比べる必要がない。羨む必要もない。妬む必要もない。見下したり蔑んだりジャッジしたりする必要もない。

どれひとつとして同じではないからです。

なるようになっていきます。状況はそれ自身の成り行きを持っていて、私がヤキモキしなくても勝手にあるべき姿に収束していくと信じることができます。

だから、私は、私が何をしたいか、何をして楽しみたいか、に全身全霊をかけていいと、全てを手放して、自分に許可を出してもいいのです。

正しくなくてもいい、社会的に価値がなくてもいい。私たち一人ひとりの自分らしさとは、常に自分だけのオーダーで形作られる「オーダーメイド」だからこそ、それだけで価値があります。

だからみんな、好きなように、生きていいんだよ。

誰に何を言われるかなんて気にしなくていい。みんな外野で脇役。親ですら登場人物のなかのひとりでしかない。

主人公は私たち自身。自由にオーダーが出せるそれぞれの世界の主役は、自分自身以外にいない。

自分の夢は、自分にしか見つけられないし、自分にしか叶えられない。

私は、コントロールされてきた私の人生を、今度こそ取り戻そうと思います。

そして、精一杯楽しんで胸を張って死んでやるぞ!とワクワクした気持ちでいます。

 

【AC】無理して親孝行なんてしなくていい、という話

親孝行なんてしなくていい。

こんなことを言うと必ずといっていいほど

「育ててもらった恩を忘れてなんて薄情なんだ?!」とか

「そういって親孝行しないと、親が死んでから後悔するんだよ」とか

もっともらしいことを言って否定される。そんな経験はないだろうか。私はある。腐るほど。

しかし、真実は「無理してやるくらいなら親孝行なんてしなくていい」なのだ。

 

親になり子育てをするのは、たしかに大変

私には1歳になる娘がいる。

親になってみて想うことは、私の親も大変だったのだろう、ということだ。

予測不可能な動きをするし、ちょっと目を離したすきにすぐどこかに行ってしまう。

夜は3時間おきに起きて泣きわめくが、なんで泣いているのかはすぐにはわからない。

仕事をしてヘトヘトになって帰ってきて、今まで独りで世話をしていた妻に代わって面倒をみたりしていたら、あっという間に1年経っていた、というのが素直な実感だ。

 

私はASDとADHDという発達障害を持っている。

簡単に言えば、集団行動が嫌いで、他の子と遊ぶのが好きでなくて、変な遊びをずっとやっているような子だったと思う。興味のないことにはとことん興味がなく、忘れ物は多く衝動的にどこかに行ってしまうようなタイプで、泣いているときは夜通しぶっ続けで泣いていたこともあったという。

そんな私を育てるのは、根気のいる、とても神経が磨り減る仕事だったに違いない。

事実、私の母親は周囲に馴染めずうまくいかない我が子(私)のことを、いつも眉間にしわを寄せて悲しそうな目で視ることが多かった。ため息をついて、いつもしんどそうにしていた。

私は、私が自分らしく私のままでいると、この女の人を悲しませることになるのだな、といつも思っていた。

そんな風に、私の実家はいつも灰色の空気が流れているイメージで、それだけ私という子供を育てることは両親にとってストレスフルだったということはよく理解している。

 

それでも子供は恩を売られる筋合いはない

それでも、子供がこどもであることに、罪はない。

泣きわめき、泥んこになって遊びまわり、結構なケガをして痛みを知るのも、成長するうえではどうしても必要だ。

彼ら彼女らにとっての『仕事』は、元気に失敗しまくって自分らしく生きることだ。

そもそも、生まれてきたのは両親のおかげ、というが、両親が勝手につくったのだ。

父と母、セックスがしたいからしたのか、あるいは子供が欲しいからセックスしたのか、いずれにしても主体的に父と母がセックスすることを選んだからこそ、卵子と精子が受精し私がいる。

それで負荷がかかる責任は、父と母にある。

私は生まれる時点で、「人間として生きてみたいので、生まれた暁にはどうぞ世話してください何卒よろしくお願いします。この世に産まれて楽しく生きてみたいんです。」なんて要望は出した覚えがないし、現時点でどっちかっていうとそんなに生まれたくもなかったな、と思っているので、逆に言えば勝手に生みやがって本当にいい迷惑である。

それを勝手に「育ててもらった恩を忘れて」と言われても困る。

それでは、要りもしないのに押し売りしておいて、多額の請求書をまわしてくるどこかの悪徳セールスと変わりないではないか。勝手に生んでおいて何をこっちに責任を押し付けようとしているんだ、ふざけるな、と言いたい。

そんなこと言うなら、私に対する「生ませてもらった恩」を忘れていませんか?と言いたい。

さんざん愛玩動物のようにあれやこれやと自分の人生の飾りのように好き勝手しておいて、自分が弱ってきたら恩を返せだなんて、自分たち専用の扱いやすい奴隷でも育てたつもりなのだろうか。いい加減にしてほしい。

つまり、育ててもらった恩=生ませてもらった恩なのであり、事実上相殺されるため、子供は育ててもらった恩を返す必要はない。

 

自分の面倒を自分でみる気がない人はまともな親ではない

よく、老後は娘にみてもらおうとか、長男家族の世話になろうとか、それで介護うつに悩まされたりノイローゼになったり、認知症になった義母を虐待してしまったり、死に至らしめてしまうということもニュースに取り沙汰されている。

人間は、結局は独りである。

どれだけ理解しあえると思っていても、自分と全く同じで、自分の肩代わりをしてくれる、ということはない。

助け合い、つながりあい、お互いに支えあうことはできても、結局は自分の力で生き抜くしかない。その根本がないと、助け合いやつながりのつもりがいつの間にか、健全ではない依存関係になってしまう。共依存やイネイブリングが、まさにそれである。

助け合いもつながりを持つのも、お互いに心理的に自立し自由に選択できている状態で「やりたい」と思うからするものではないか。

「やるべきものだから」「必要とされているから」という外的要因で、着手することではないのではないか。それはいずれ破綻する。なぜなら、本心では「やりたくない」ことかもしれないのに、無理にやることになるからだ。

 

そんなわけで、育てた見返りに子供に介護をしてもらおうなど親側が期待することは、言語道断だと思う。

親からしたら、それはそれはありがたいだろうと思う。頑張って育てた子供が、最後まで面倒を見てくれて、「お父さん、お母さん、ありがとう」と言われて手を握られながら生涯をとじる、なんとも吐き気のするくらい甘ったるい、都合のいい最後ではないか。

それは親からみた子供の理想像であり、それが世間の「常識」として君臨しているからタチが悪い。

「常識」はいつも大人の立場で語られる。だから子供の気持ちは盛り込まれていない。

そんな親側の常識を押し付けられて、納得いかないままに皆がそうしているからと従い、歪んだ軋轢を代々引き継いているのが、日本の伝統的な「家」という制度である。

 

親は、「子どもの幸せ」が望みではなかったのか。

「子どもの幸せ」は、子ども自身にしか決められない。

子どもが自由に幸せを見つけられるように、独り立ちしたら、それまでの自分の教育を信じて、できるだけ干渉せず、意志決定の邪魔にならないように、自分のことは自分でするのが、最も親として徹底するべきことなのではないだろうか。

 

「自分のことは自分でできるから、あんたたちにはもうあんたたちの生活があるんだから、私なんかにいつまでも構ってないで楽しく生きてちょうだい」

こう、本心から言う親になりたい。

それは死の心細さはあるかもしれない。生涯をとじる前に自由にならなくなった体や頭に不安を覚えて、誰か親しみを覚えている人にそばにいてほしくなるかもしれない。

そうなったとき、思い浮かぶのが娘や息子だけのような、脆弱な人間関係のつながりや助け合いでは、やはり健全ではないのだ。

父母と言えど、結婚したら子どもは別の家庭を創るのであり、子供だった頃とは違い、「元・家族」と言っても過言ではない。

つまり「他の家にお世話になる」という意味では、近所を頼るのと何ら変わりない。それぐらいの遠慮があってしかるべきである。

それなのに、子供だから、育てた恩を着せているから、親孝行はするものだから、と「やるのが当たり前」と思っているほうこそ間違っているのだ。

「親孝行」という世間的に響きの良い言葉でごまかして、やってもらうのが当たり前と勘違いするだけでは飽きたらず「あんたたちもこれだけお世話になった大好きなパパやママのお世話やりたいでしょう?」と言わんばかりに居直っているその厚顔無恥な態度が、いよいよ気に食わないのである。

いくら一時期とても世話になっていても、基本的に年老いた老人のお世話がしたいわけがない。

 

まとめ:私は親孝行はやらないし、子供にも要求しない

私は、やりたくない。

だからやらなくていいと思っている。

むしろ、「普通の素敵な家族」というオママゴトに付き合わせるために勝手に配役してこの世に産まれさせられて、どれだけ苦しかったことだろう。その負担分で育ててもらった恩を超過しているので、差額を請求したいぐらいである。

あくまで子供は望んでもいなかったのに、親が勝手に生んで勝手に育てたのだ。恩があったとしても、子供のほうも育つうえで苦しかったのだということを勘案するべきだ。

 

親孝行をしない、というだけで済ませてもらえて、むしろ感謝してもらいたいくらいだ。

親孝行は「この両親にならしたいな」と子供が思うからする、ラッキーボーナスみたいなものだ。勘違いされては困る。そもそも、無くて当然なのだ。

だから私はパートナーとこの生きづらい世の中を生き抜くために、一生懸命、自分の人生を生きるつもりだ。

私のその後ろ姿が楽しそうなら、子供は生まれてきたことを希望に思うだろうし、勝手に楽しいことを見つけていくだろう。その背中をそっと押してあげることぐらいだ、親にできる事は。

まずは、自分が主人公の、自分の人生を、ちゃんと生きるのが先です。

 

 

【AC】息子は母親が生きるためのおもちゃじゃない(ムスコンの闇)

こんにちは、ちあき です。

マザコンとムスコンについてちょっと考えてみました。

母親の親としての愛情と異性としての愛情は紙一重のように感じています。

機能不全家族において、子供は母親の求めに応じてしまい、無意識に夫の役割をさせられているのではないでしょうか。

 

「マザコン」とは?

言わずもがなかもしれませんが、マザーコンプレックスのことです。

マザーコンプレックスとは、母親に対して子供が強い愛着執着を持つ状態を指す。なお、これは正確な心理学用語ではなく和製英語の俗語である。俗にマザコンとも略され、この場合、母親に強い愛着・執着を持つ子のことも指すことがある。

出典:Wikipedia「マザーコンプレックス」

 

これは、正式な概念としては「エディプスコンプレックス」と呼ばれます。

エディプスコンプレックス(独語:Oedipuskomplex,英語:Oedipus complex)は、ジークムント・フロイトが提示した概念である。男根期に生じ始める無意識葛藤として提示された。日本では訳語としてエディプス複合と呼ばれることもある。フロイト派では男女ともに適用される用語であり、心的発達の重要な転換点として、また神経症の発症段階として注目されている。

出典:Wikipedia「エディプスコンプレックス」

 

 

「ムスコン」とは

ムスコンは「息子コンプレックス」の造語です。

ムスコンとは、母親が息子のことに対して執着したり依存したりするということです。

母親なら、自分の息子だから可愛くて仕方ないのは誰でもそうですが、それが行き過ぎてしまうと近親相姦や虐待につながるということのようです。

心理学では、「イオカステーコンプレックス」という名前で定義されています。

イオカステーコンプレックス(英:Jocasta complex)は、母親の息子に対する近親相姦的、性的欲求である。エディプスコンプレックスに類似した概念として、スイスの精神分析家により、1920年に提示された。実の息子エディプスと結婚したイオカステーに因んで命名されている。エディプス的な近親相姦願望は母親の願望でもあるという。映画『怪人カリガリ博士』に登場するジェーンの、息子に対する愛着が、イオカステーコンプレックスとも言えると指摘されている。

出典:Wikipedia「イオカステーコンプレックス」

 

気持ちが悪いわたしの母親の話

さて、それぞれのコンプレックスの定義を整理したうえで、私の母親の話をしましょう。

一言でいえば、私の母親はムスコンだと思われます。

そして私は結婚するまでマザコンだったと思います。

 

両方とも、共依存の産物だと思います。

「マザコン」は、お母さんのことが大好きだったり、母親ばかりを大事にする、というよりも、「母親の言うことに逆らえない人」ではないかと考えてみると、私は小さい頃から長い間、母親に逆らえませんでした。

 

いつも母親が正しくて、私が自分で考えたり試したりしたいことは「危ないからダメ」でした。

転ばないように目の前の道を整備され続けている感覚。

自分で人生を突き進んでいるのではなく、歩かされている感覚。

いくら一生懸命歩いても、歩けたのは歩きやすいように整備してくれている母親の手柄で、私の頑張りではない。

そういう空虚な過保護のなかで生活していると、感覚が狂ってきます。

母親が育てたいように育たなくてはいけない。期待を裏切るダメな自分のままでは生きていてはいけない。

私は何不自由なく愛情をかけられて幸せなはずなのだから、明るく楽しい様子で家族には振る舞わなくてはいけない。

愛情を与えられているのだから母親を好きでなくてはならない。

この人を理想の母親で素晴らしいと思わなくてはならない。

そんな風に思っていました。

そう思うようにコントロールされて生きてきたと言っても過言ではないなと思います。

父が不倫をした後はより一層、父の代わりに私を褒め称え好きだ好きだと言ってきました。

中学になっているのにおやすみのキスをしようとしてきたり、筋肉を触ろうとしてきたりして、今思い出すと吐き気がします。

まるで理想の彼氏であるかのように、息子を自慢して、他の男性よりもかっこいいだとか、やたらと持ち上げました。

私も、母親に嫌われるのを恐れ、気に入られなくてはならないと思っていて、母親に対して「美人だ」と言ってみたり、隣人たちとうまくいかなくて凹んでいるときには「他の人はやっかみであなた(母親)を邪険にするのだろう」などとフォローしたりしました。

今思い出すと自分に怖気がします。

結婚することになり、明らかに妻に対して対抗心を燃やし、若さに対して嫉妬する母親を見て、妻は「女を出してきて気持ちが悪い」と言いました。

私は今なら、それがどれだけ的確だったか分かりますが、当時は生みの親を気持ち悪いと言われた衝撃で悲しみを感じ凹んだりしました。

私が結婚するということで情緒不安定になり、実家に帰ったときにはさめざめと泣いたり、手を握ってきたりしました。

これが、気持ち悪いムスコンとそのマザコン息子の生態です。

 

「ムスコン」は、何が病巣なのか?

マザコンもムスコンも共依存で原点は一緒です。

まさに、このブログに書いてあるので、要点を抜粋します。↓

出典:家庭に潜む「共依存」 マザコンの正体

 

以下、参照。

子どもが生まれた頃から夫は仕事が忙しく、場合によっては愛人がいたりして、帰ってこない。帰ってきても、関わろうとしない。

すると、母親は「夫は、もはや自分を必要としていない」と感じ始めます。

そうなると、子どもに夫の役割を求めます。

子どもは、唯一自分を必要としてくれる存在だからです。

しかし、子どもが思春期になって、秘密が増えたり彼女ができると、まるで失恋したかのような気分になります。

その痛みを乗り越えると、精神的にも母子分離ができて健全な親子関係になるのですが、母親の方が、自己肯定感が低く、依存的な場合、子どもを離そうとしません。

子どもが独立してしまったら、自分の存在価値がなくなるからです。

人は、本来、何がなくても、ありのままで価値があるのに、それが自分で認められないので、「よい母親」になることでここまで、自尊心を保ってきたのです。

なので、子どもが自立すると、自分の存在価値がなくなるような気がして、手放せないのです。

 

子供に夫の代わりをさせ、子供が自立されると存在意義を見失う、自己肯定感の低い母親が、ムスコンです。

必要とされないと、自分の人生を見失うから、息子を利用して、夫で埋められなくなった自尊心の穴埋めをします。

しかし、世間的には母が息子に愛情を注ぐことや、息子を思い世話をすることは美徳とされているので、基本的に咎められにくく、家庭という閉鎖空間で展開される愛情という名の支配と権利搾取の実態は、表に出てきません。

出てきたとしても、自分たちが必死で注いでいる愛情を否定されるような気がして、女性は母親の味方をします。洗脳済みのマザコンも母親の味方です。

洗脳された息子は、結婚というイベントに直面したとき、はじめて自分が育ってきた家庭の異常さに気づくチャンスを得ますが、妻にマザコン呼ばわりされて人間性を否定され、母親の支配にすごすごと戻るケースがほとんどだと思います。

マザコンになった息子が悪く、ムスコンの姑は異常者扱いですが、「母親」は悪者にはされません。

なぜなら母親や父親、つまり大人がこの世の常識を司り、常識という呪いは、子供の視点では考えられていないからです。

例えば。。
子どもが失敗したとき、

「ほら、ママの言う通りにしないからこうなったでしょ」

「ママの言う通りしておけば、間違いないのよ」

などのようなことを言います。

多分、言い回しはもっと穏やかでしょう。
強い口調には反発できまが、優しい口調だとその反発ができないので、受け入れます。

子どもは、失敗したとき、自信を喪失している状態ですので、

「そうか、ぼくは自分の意志でやると、ろくなことないな。ママの言う通りにしておこう」

となります。

そして子どもに出来上がるのが≪成長してはいけない≫というビリーフです。

子どもでいるから、母親は自分を愛してくれている。だから愛されるためには≪成長してはいけない≫のです。

しかし、人には元々、認められたいという欲求がありますので、いつまでも親から「あなたはできない子」と無能扱いされたり、親の自尊心を満たすために存在していると気づくと子どもの方では、ストレスが溜まります。

でも、外の世界は怖いから、親から離れられない。
そのジレンマが、自傷行為や家庭内暴力などに発展することもあります。

こうなると、親子間の共依存関係の出来上がりです。

強烈にカプセル化された関係は、強固で他人を寄せ付けません。

そして、カプセルの中では、
お互い満たされない思いを
ぶつけあっているのです。

生まれるタイミングを逃した卵は、腐ってしまう。

 

まとめ:息子は母親が生きるためのおもちゃじゃない

親も子育ては初心者だし、人として完璧ではないし、精一杯やったのでしょう。

しかし息子からしたらいい迷惑だということに変わりはないのです。

信じてきた母親に洗脳され、愛した人にマザコンと罵られ、誰とも心通わないなんて、地獄です。自分が悪いんだ、と思いながら誰に対してなのかもわからない恨みを抱えて、誰にも愛されないまま生涯を閉じるのです。

私は ACの概念に出会わなければ、それを教えてくれる仲間に出逢えていなければ、確実にそうなっていたことでしょう。

そのことを恨み憎む権利は、息子にはあります。子供にはあります。

親が自立していなかったばかりに共依存に巻き込まれた被害者だからです。

だから、親は、親だからこそ、自分を大事にして、最優先に満たし、自らの人生をど真ん中で生き抜く必要があります。

誤魔化さず、子供を言い訳にしたり拠り所にしたりせず、自分が生きたい人生を生きていなくては、子供が犠牲になり数十年単位で苦しみます。

そんなことにならないように、しっかり自分に向き合って生きていきたいと思います。

【AC】ACを生み出す親が帰省している子供にやりがちな6つのこと

こんにちは、ちあき です。
ACにとって年末年始は憂鬱な時期です。
なぜなら、実家に帰省することが世間一般では求められるからです。
私も例にもれず、今回もクッソ憂鬱でしたが、今回はがんばったと思います。
親の立場の人が読むと頭にくる記事かもしれません。
しかし、以下のような事例に当てはまるなら、もしかしたらお子さんはだいたいこんな気持ちかもしれません。

 

ACを生み出す親が帰省している子供にやりがちな6つのこと

今回の帰省のエピソードをもとに、ちょっとまとめてみました。

 

①やたらと子供を心配したがる

「8月から元気なさそうで心配しているのよ」と母親。
本当に心配しているのは「自分がいい母親でいられているかどうか」、だよね?
ACという課題に気づき、夏頃から気を遣って愛想笑いするのをやめたから、元気がなさそうに見えるんだろうけど、それが本来のあなたがたに対する私の態度なんだよ。
「息子を心配する素晴らしい優しい母親」という自己イメージを保ちたいから、息子には心配をかけてもらわないといけないし、心配な子でいてもらわなくてはいけない、と思っている。だから、心配したがる。
35にもなる息子(おじさん)を心配しなくていいから、自分の心配をしてほしい。
あなたは、自分の人生を生きていない。
「息子を立派に育てる」という世間的にも美しく素晴らしいとされている責務に寄りかかって、自分の心の穴を埋める作業から目を背けているだけ。
いい加減、子供を出汁にして人生を誤魔化すのはやめてくれ。

「ちゃんと仕事には行けてるのか?」
「本当は休んでいるんじゃないのか?」
「酒は本当に飲んでないのか?」
「体調が本当は悪いんじゃないのか?」

うるさい。

もしそうだったとしても、俺はもう成人して独り立ちしているんだから、「もう関係のない違う家の人」には答える義務がないんだよ。

頼むから自分の人生に集中してくれ。「心配な息子」の役をまだやらせようとするなよ。

その役割を押しつけて自分の人生から目を背けるのをいい加減やめろ。

60年も生きてきて何も学ばないのか。精神が未熟すぎる。

②核家族内だけの秘密を持とうとする(隠ぺいする)

妻がいなくなった隙を見計らい、父方の祖父が大腸癌で今年中に死ぬかもしれない、切除困難な部位に腫瘍ができたらしい、祖母は認知症だからこれから大変、などとコソコソ私だけに話そうとする母親が嫌いだ。
そういう隠蔽体質が嫌いなんだよなぁ。
なぜ妻に隠したがるのか。

それは、妻を外部の人間だと勘違いしているから。
身内の後ろ暗いことやあまり社会的に体裁が悪いことを隠そうとする。

妻はもう身内だろうが。

そんなふうに家族の中ですら隠し事をする家だから、俺はあんたらを信用できなくなったんだよ。

妹を含めまだ4人家族の気分でいる気持ちの悪いこの人たちと一緒に居たくない、というのが率直な気持ちだ。

仲間外れにされたら誰だって嫌なのに、妻を未だに外部の人間だと勘違いしているから、妻に嫌われる。

なぜそれが分からないのか?

だから自分たちのところに息子夫婦にあまり帰ってきてもらえないのだと、なぜ分からないのか?

自分たちがやったことを何もわかってないことに改めて絶望感しかない。

③子供の夫婦にアドバイスしたがる(過干渉)

「私がちあきを育てた時は、こうだったのよ」
「〇〇さん(妻)も、そろそろ子育てが落ち着いたから、働く時期なのではないかしら?」
ほんとうに余計なお世話でしかない。なぜこんなことを言うのか。
私が転勤族だし親元から遠いところで二人きりで頑張っているのだから、預けられないし働けないから、妻にはがんばってもらっているのだ。
公務員であるあなたがたには想像できないかもしれないが、想像が至らないのなら、せめて黙っていてくれ。
そして母親の古臭い子育て情報は聞かれていないのに披露することではない。
こちらが聞きたかったら、「こういうときはどうしてた?」と聞くだろう。
信頼してアドバイスをもらおうとする人に、人間は自発的に質問するものだ。
質問がないということは、信頼されていないのだ。
だからせめて黙っていればいいものを、口を出すのは、共依存的な過干渉が身に染みついているからだ。

④最近体調が悪いことを殊更にアピールする(か弱さアピール)

父方の祖父母はよく、体調悪いとか、もうすぐ死にそうとか、そういう話をしていた。

そういう無言の圧力みたいなのを、誰より私の母親は、一番嫌ってきた。

父方の祖父母宅への帰省のたびに悪態をついていたくせに、全く同じことをしているのが、全くわからないようだ。

父親ですら、最近咳が止まらない、などと言い出す始末。

母親は妻のほうの実家の義母と電話で話して聞いたことを持ち出して、「(妻の方の実家には)ご長女もご長男も帰ってきてるらしいわね、いいわねー」などと、しつこいくらい話題にしてくる。

反対の立場になったら真っ先に「将来的には実家に帰ってきてほしい」っていう圧力をかけてくる両親。

もはや怒りを通り越し諦観する。

⑤コントロールしようとする

直接言わずに、間接的に意図する答えを引き出そうとする。
両親は、この手法を用いて常に会話をするので、実に回りくどく、会話するだけで疲れる。

「子育ては親が近くにいたら、あなたたちも楽よね」

つまり、比較的距離が近い私たちが手伝いましょう、と言っているのだが、近いのが母方の実家ならまだしも、大嫌いな舅姑のいる家に頼るなんて逆に楽じゃないから。

自分たちが孫に会いたいだけ。それなのに、手伝ってもらえたら助かる、というこちら側からの要望があったから、いう形にしたいのだ。

 

「祖父が癌で亡くなりそう。年内には厳しいかも。私たちは2月に行くのよ」

言いたいことは、「ひ孫を見せに行かせたい」「2月に行くときに一緒にこい」のようだが、こちらも生活がある。そもそも遠いしいい思い出もないから、孫の私ですら行きたくないのに、妻や子供と行く理由がない。

こちらが、「それなら2月に一緒に行きたいな」と自らの意志で選択したように見せかけて期待を酌み返答するのを待っている。

そういうやり口が汚いのだ。

来てほしいなら言えばいい。

私は、そうやって放たれた意を酌み、今まで期待通りの返答をしてきた。

自分すら、本当に思っているのだと自らを騙して。

その結果、私はその行動に対する結果に責任を持てなかったし、達成感も持てなかった。ただ、決めさせられた事実だけが上滑りしていった。

不満を感じて親に文句を言おうものならこう言われるだろう。

「だってあなたが決めたことじゃないの」と。

いつだってその理論武装でうまい具合に動いてほしいように動かされてきた。

そのことに今は強い怒りを感じる。会社の活動方針やマインドコントロールに対して強い怒りを感じるのもこのためだろう。

 

 

⑥期待通りの反応でないと怒ったり悲しんだりする

期待していた通りにリアクションしないと悲しそうにされるのが、昔からすごくきつい。

今回もそう。

そんなとこまでご機嫌とりしてたんだなって思って愕然としたが、私はいつも「お母さんお料理おいしい!」と、別に食べたくないのに無理してお代わりしたりしてきた。

今回は何の気も遣わないと決めていたので、普通にお腹が満たされたら食べるのをやめた。

そうすると、もっと食べてほしいと言わんばかりに「え…?もう食べないの?まだあるよ?」と哀しげな顔をする。

その顔が大嫌いだ。

幾度となく、その哀しい顔をして俺の罪悪感を掻き立てて、思うように操ってきたことを、この人は無自覚にやっている。

習い事を辞めたいと言った時もそう。幼稚園に行きたくないと言った時もそう。これは食べたくないと言った時もそう。妹ができて寂しいと言った時もそう。

全部、その顔をするから言えなくなった。元気で頼りがいがあるお兄ちゃんをしないといけなくなった。自分の気持ちを言えなくなって、自分の気持ちがわからなくなって、母親の顔色ばかり窺うようになって、次第に何が欲しくて何がしたいのか、わからなくなっていった。

今もその手が通じると思っているのか。愚かな。

「いやいや、お前何被害者ヅラしとんねん」と思うけど、なんか引っかかる。

罪悪感を掻き立て、その手の圧をかけるプロだから、さすがだ。伊達に子供たちをその罪悪感でコントロールして、自分が思い描く「理想的な子供」に洗脳しようとしただけのことはある。

コントロールできないと分かり、不安げなうかがうような目で見てくる。

虫唾が走るほど気持ちが悪い。でも、私も妻に「うかがうような目で見てこないでよ、気を遣わないでよ」と言われるから似ている自分がいるような気がして、自分の存在を滅したいと思ったりする。

こんなくそみたいな人間の遺伝子が半分入ってしまっているこの自分が嫌いで仕方がない。

世帯連鎖させるぐらいなら、呪いのようなこの存在は消えた方がいいのではと思う気持ちがやっぱりある。

親に会うほど強くなるから、どんどん会いたくなくなっていく。

 

 

 

愛情という名の支配に対してNoと言おう

「本当のところ体調はどうなの?」
などと言いながらすり寄ってきたタイミングで
そうやってコソコソ話されると頭に来るんだよね、妻も子供もみんないるときに聞いてくれる?」
と、母親に言うことができた。
これは私にとって大きな変化である。
今までは、愛想を振りまいていた。
思ってもない誉め言葉を言ったりした。
この家族が最高なんだと思おうとしてきた。
でも、そうではなかった。
今でも、そうなのかもしれない、私の勘違いであればどれだけいいか、と思う。
しかし、明らかにそうではないのだ。
私はこの家族の中で生きていて、楽しいと思っていなかった。人生なんてしんどいばかりで早めに終わってしまえばいいのにと思っていたし、他人と健全な関係を持つことができなかったし、最終的にその寂しさの心の穴を埋めるためにアルコール依存症になった。
それはどれもこれも、AC(アダルトチルドレン)の問題を知れば知るほど、機能不全家族のなかで育ち認知の歪みと心の穴を抱えて苦しんでいたからだった、私は幸せなどではなかった、と気づかされた。
「愛情とは、与える側と受ける側の双方があって成り立つのです。受ける側がそれを苦痛や拘束と感じれば、愛情ではなくそれは支配なのです。」(信田さよ子氏)
というかの有名な信田さよ子先生の言葉にある通り、私が受けていたのは愛情ではなく、支配だったのだ。
今回の帰省はかなり自分なりに自分を持てたし、嫌なことは嫌と言えた気がする。
本音を言うたびに落ち込むような顔を見せ無言の圧力をかけてくるリアクションに負けず、
私はあまりこの実家に帰りたくないし、私のところに来てほしくもないし、口を出されるのはまっぴらごめんであるということをしっかり態度で示せたと思う。

では、親とは、子供とどう接していくものなのか?

一生懸命育ててくれた親なのに、冷たいのではないか?

「世間」という何も知らないフィルターを通せば、そうかもしれない。

 

が、私はこの両親に今までずっと、自分らしく生きる権利を奪われ続けてきた。

暴力も暴言もなかったし、ネグレクトでもない。

しかし、この支配は明らかに虐待と同等だ。

だから、私は、率直にこの父母と妹の、かつての家族が大嫌いだ。

健全な親は、相手の気持ちを傾聴するという形で対話し和解するから、そもそも子供をACにさせない。

現に、妻の母親は、妻の志望校がハイランクで担任が「ここは難しいが、本当に大丈夫ですか?」と三者面談で質問してきたとき、「この子が頑張るって言って決めたなら大丈夫です」と返したそうだ。

私は、そんな風に信頼されたかった。

干渉しなきゃ失敗するみたいに心配されて先回りされて、失敗できずに生きてきたこの人生は、空虚でしかなかった。

成功したら、何もかも親のおかげと言われているような気分だった。何の喜びもなかった。

私自身は何も掴めなかった。正直今は殺したいほど憎い。

 

親は、ここまで憎まれないためには、根本的に子供は違う一個の人間であることを自覚するべきだと思う。生きる力を信じて、人生の舵取りを任せるべきだと思う。

 

私は両親を許せそうにないし、それでいいと思っている。

両親に対して硬い表情してる俺を不思議そうに見てる娘が、俺と同じようにばあちゃんちにいくとき気を遣ったりするようになるのか、と思うと、暗くなる。

こんな暗澹たる気持ちにさせる楔を残した人間を許せというほうが無理だ。

そろそろ祖父母が死ぬということは、両親の年齢には私にとってのゴール。

60にもならなきゃ死なない(いなくならない)のか、と思うとちょっと気が遠くなる。

自由な時間は、実質10年もないではないか。
できることなら、早く病気か事故で早めに逝ってほしい。

施設探してきてぶち込むしかない。金はかかっても仕方ない。

晩年になり「頼れるのはちあきしかいない」とかすり寄ってこられたら、ストレスでほんとに刺しそうだから、絶対に言わないでほしい。

自力で頑張って生きてくれ、あるいは死んでくれ。

 

 

 

あとがき:これからを生きるために素直でありたい

自助グループで聞いてもらって、そのままの感覚を受け止めてもらえたこと、そのうえで明らかに異常だという客観的に感想もらったことが、大きかった。

仲間に出会えて、本当にありがたいと思う。

私が感じたそのままを、親は受け付けてくれなかった。

やはりどう考えても、期待通りの返答をするように求めてきた。それを感じ取れるようにして子供だった私をコントロールしてきた。感じたそのままを受け止める余裕がなかった。それは彼らにとっては「愛情」だったのかもしれないが、私にとっては「支配」だった。

 

私にはもう一つ解決しなくてはならないことがあった。

それは、私がこれから生きていくうえで「期待された役割」ではなく「自分が生きたい人生」を生きるために、妻に伝えるべき本音を話す、ということだ。

生きたい人生に対して素直であるということだ。

 

実家から帰るの車で、妻に以下のことを初めて打ち明けた。

「あまり実家にはもう帰りたくない」ということ、その背景には ACという概念があって、わかりにくいけど要は虐待されてきたようなものだ、という説明をした。

それぞれの家庭で、子供の頃の意見の受け止め方がどうであったか、その違いを再確認したあと、だからいつも私は「どうしたいとか、何が好きとか、いうのも気付くのも下手」で、「それを今一生懸命見つめ直していて、口に出したら否定せずにまずは聞いてほしい」し、「その上で、これは嫌だ、無理だ、ということは話してほしいし、俺も話すようにするから」と伝えることができた。

「それを踏まえて、一緒に暮らしていけるかどうかを再度考えていきたい、なぜなら、出会ったときに期待してくれた私とは違う私である可能性が高いし、それで嫌いになったり一緒に暮らしていけないということになっても仕方がないと思うから」と伝えられた。

それらを話し合ったうえで、「わかった、とりあえずやってみよう」という話になった。

 

私は、そのままの自分で生きてみたい。

素直にのびのびと、自分の言葉で話したい。

だから、ちゃんとアサーティブに説明して妻に伝えられてスッキリした。

離婚するという可能性も含めてリアリティをもって考えていくために、私はまず嫌なことは嫌だと言う必要がある。

気持ちが整理されて、思いを静かに話す覚悟ができたから、妻にも伝えてみることができた。

 

 

やりたくないことをやめる、というだけでも、存外に難しいものである。

結局、どんなに辛くても、人は自分が生きたいように生きるしかない。

生きたい方向が本当はあるのに分からなかったり、方向を曲げたり歪めたりしないために、「自分はこう感じてる」「自分はこっちがいい」って、はっきりと言えるようになりたい。

それでないと、ちゃんと生きてない気がする。
今までちゃんと生きてなかった。
断酒して拾った命。納得して生きていたい。どうせしんどいながらも生きるのなら。

ちゃんと生きることなんてできないなってのも結論の一つだとして、
諦めるにしても、やるだけやってから、諦めたい。

中途半端だった。だからイライラしてきた。

生きるなら気合入れて生きる。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録④(恐れについての課題演習)

今回は、「恐れについての課題演習」をしたいと思います。

恐れの健康的な取り扱いを学ぶことは、回復の過程の重要な要素です。

この記事の課題演習 の続きです。

 

私の恐れ

「恐れが、あなたにとって問題であるような状況を調べなさい。そのような状況を記載するとき、次の質問に答えなさい。」

 

1、あなたは何を、または誰を恐れていますか?

恐れを抱く人は、高圧的な人。自分に自信がある人。権力を持っていて私の生活を脅かすことができる人。噂話が好きな人。陰口を叩く人。裏表があり裏切る人。

私の判断や行動に影響してきて、私がそのまま思ったことから遠ざけたり、思い描いたようにやりたいことができなくなるからだと思われます。制限をかけられるイメージで、見えない圧力で自由に動けなくなる感じです。重力のようなもの。

信用したくてもできなかったり、信じたのに裏切られたりしたら痛みに耐えられないから、そういうリスクがある人も、恐いと感じます。

 

2、あなたに恐れを感じさせるものは何ですか?

大切な人に嫌われること。頼りにしていて愛を向けている人から何も反応が返ってこなくなること。

本心をうちあけたとき、これが恐すぎるからいつも喉がカラカラになります。

居場所がなくなること。ここにいてもいい、という権利がなくなること。誰にも望まれなくなること。いてもいなくても変わらないと思われること。

だから役に立たないと、と思うし、何かしてないと不安になるし、役に立ってないとその場にいてはいけないような気になる。望まれないと居てはいけないと思っている節があります。

酷評されること、つまり他人に低い評価をされること。生きている価値がないと思われること。これはやっぱり、評価をされてないといちゃダメだと思っているようです。さっきの「役に立たないといけない」に似ています。

今大切にしている人や場所失うこと。失った悲しみに耐え生きていかなければならないこと。人が去っていく、見捨てられるのがすごく辛いイメージがあって、いなくなられる悲しみに耐えられそうにないから、失うのが恐い。だから、自分が多少傷んでもキープしようとしがちです。それが歪んだ自己犠牲に繋がっています。

自分がやってきた失敗やされてきた苦しみを「繰り返す」こと。同じ過ちをすること。その時の後悔や悔恨を味わうこと。自分が許せなくて存在を消したくなるし、すっごくイヤーな苦しい気持ちになります。取り返しがつかないような気がしてしまいます。

たぶん親から「3回言われてできないような奴は一生できない」みたいなことを言われて育てられたことが起因しています。それで同じ間違いをするの怖いし人に聞けないのかもしれません。3回目は見捨てられる覚悟で聞かないと聞けません。その恐怖に負けて、わかったふりをしてしまう自分がすごく嫌いです。

自分をこれ以上嫌いになるのも、恐れてるんだと思います。

自分を大事にできないから。

 

3、この恐れはあなたの考え方、感じ方、行動の仕方にどのような影響を与えましたか?

とりあえず簡単には他人を信用せず、頼らず、借りを作らず、貸しをつくることでコントロールしようとしてきたと思います。

結局ダメだったし、コントロールなんてできないし、ブッつぶれてお酒にはしりました。

ひとりでなんとかしようとしました。嫌われるのが怖いし、居場所を失いたくないし、失敗できないから。

顔色伺ってほしいだろう反応ばかりして気に入られようって無理したり、やたらがんばって役に立たないとと自分を追い詰めてきたんですね。

同じミスを許せなくて、頭の中の自分が自分を罵倒しています。いつも。

そこまでしてひとりで頑張ってきたことが、正当に評価されなかったら烈火の如く怒ったし、評価しない人間を許せなかったです。それは恐れだったんだと思います。いてもいい権利を否定されたと感じて。

自分でやってただけなのに。

一人になったのも自分・

がんばったのも勝手にやったこと。

でも、他の人も許せなくなって、俺はがんばってなきゃここにいることすら安心できないのに、なんでみんなは頑張らなくてもいていいんだ、理不尽だ、ていう怒りに繋がってたと思われます。

 

 

4、どんな性格特質が目立っていますか?

「承認を求めようとすること」

「コントロール」

「見捨てられ不安」

「権威のある人たちを恐れること」

「孤立」

「低い自己評価」

「過剰に発達した責任感」

 

まとめ:

なんか全部、他人基準なんだよな、という感想です。

他人に認められないとダメ

他人に必要とされないとダメ

他人に愛されないとダメ

他人より優れてないとダメ

だから他人はライバルでありながら、顧客のようで常に緊張感がある存在になりだから、人といることそのものはすごくストレスに感じることになってしまっているんだろうと思います。

だから、適度に時間を空けないと人と話すのが難しいくらい追い詰められるし、人混みなんかはパニックに近いくらい神経が逆立つような感じがします。今でもそうです。

とにかく人がいると落ち着かない

だから営業は正直つらいです。人に会いたくない日もあります。

 

ネットの自助グループに繋がり、その仲間といるときは、神経が逆剥けになるような感覚がなくてすごく穏やかな気持ちでいられるから不思議です。

だから、その仲間に嫌われるのはすごく恐いと感じます。

ちょっとした誤解で、私はまた間違えて簡単に、今のこの大切な人たちも失うんじゃないか、と思うと恐いです。

だけど、仲間のみんななら、そのまま話しても受け容れてくれるかもしれない、という期待が捨てられないし、今まで受け容れてくれたから、話してみたい、頼ってみたい、信じたい、と思えます。

そう思って、いつもちょっとビビりながら、自分が今までやってきたより勇気を出して、手を差し出してる感じがします。

その手をとってくれる仲間に、大切な人に、感謝してもしきれない毎日です。

本当に、ありがとう。

 

 

性格特性に関して、個々に事例を振り返りながら、棚卸ししていく必要があります。

これはまた次回以降。

【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録③(凍りついた感情)

こんにちは、ちあき です。

今回は「凍りついた感情」について棚卸ししていきたいと思います。

 

凍りついた感情とはどんなこと?

わたしたちの多くにとっては、自分が感情を持っているということを認めることさえ難しく、ましてそれを表現することはとても困難です。子どものとき、わたしたちの感情は、非難や怒りや拒絶に出会いました。生き残るための手段として、わたしたちは自分の感情を隠すか、完全に抑圧しました。
成人になったわたしたちは、しばしばその存在や激しさに気づかずに、痛み、罪、恥、憤怒の感情を、わたしたちの深い部分に貯蔵して持ち歩いています。わたしたちは「安全」に感じるために、「持って良い」感情だけしか自分に許すことができません。
わたしたちが人生や生活に応答する仕方は、実際に感じている現実から自分を守るために、歪んでいます。歪んだ、抑圧された感情は、恨みや怒りや抑欝の原因となり、さらには時間が経つにつれて、身体的な病気を引き起こすこともあります。

感情が凍りついていることは、わたしたちに次のような問題をひき起こしているかもしれません:

● 自分の感情がわからない
● 歪んだ感情を持っている
● 感情を抑圧する
● 抑欝を経験する
● 身体的な病気になる
● 浅い人間関係しか持てない

出典:『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
69Pより引用

 

自分の感情がわからなくて困る

私は、自分が何が好きなのか、何を食べたいのか、どんなことをしたいのか、などがよくわからなくなることが頻繁にあります。というか、ほぼわかりません。

自分のやりたいようにしかしたくないくせに「好きなことしていいんだよ?」と言われるとひどくまごつきます。

好きなことってなんだったっけ?となり停止します。

食べ物を食べに行くとき、「なんでもいいよ?何にする?」と言われたとき、すごく悩みます。

 

それはなぜか?

「好きにしていいよ」って母親がいったときも、先生がいったときも、好きにしたら怒られたり、哀しい思いをさせて傷ついたりした結果、そのまま受け取れるほど性格が真っすぐではなくなってしまったからです。

例えば、父親がケーキを買ってきたとき。

イチゴのショートケーキが2個あり、チョコレートケーキがあります。

父、母、私の3人家族で食べる場合、「さあ、○○から好きなケーキをとっていいよ?」と母親に言われました。

あなたは、何をとりますか?

何をとるべきでしょうか?

 

正解は、イチゴのショートケーキです。

なぜか?

イチゴのショートケーキが好きだからではありません。

母親が何を食べたいかはっきりしない以上、先に選択肢をつぶさない唯一の方法は、2個あるものを選び、選択可能な状態を崩さないこと。母親が選びたかったものを選ばずに済み私に責任が及ばないのは、イチゴのショートケーキだけだからです。

 

私は無邪気に何も考えずとったケーキが、運悪く母が食べたいと思って買ってきたケーキだったことがありました。

母親は「本当は私はこれが食べたかったのに…」と哀しそうに食べ終わった後で言いました。

私は心から後悔しました。

「何でも好きに選んでいいよ?」というのは言葉通りにとっていはいけなかったのだ、そういうわけではなかったのだ…。

私は次から母親の視線や指をさす順番、何を好きで何を嫌いなのかを考えて、選択肢を選ぶようになりました。

妹が生まれてからは、妹に先に選択権が与えられるため、さらに難解になりました。

2個ある選択肢がつぶされる場合が増えたからです。

先に選ばせたり、手を伸ばしてみて顔色を窺ったり。様々な手段で『母親が選びたいものではないものを選ぶ』ことが、『好きなものを選んでいい』という言葉の真の意味だと理解していました。

さて、私は何を食べたかったのでしょうか。

今はそれがわからない。他人が欲しがりそうなものはわかる。それを譲るのは得意です。

しかし、私が欲しいものを選ぶことが、どうしてもできません。

今は私が稼いだお金だし、私の自由に時間が使えるし、成人しているのだから、もう誰の機嫌もうかがう必要がないのに。

 

復讐に爽快感を感じる(歪んだ感情を持っている)

そうした抑圧への不満や怒りは、ゲームや映画などの残虐な表現やプレイを好むという風に形を変えて現れていたように思います。

好きに人を轢き殺したり撃ち殺したりできる海外のゲームをよくやっていましたし、大事なものを奪われて、その復讐(リベンジ)を果たす、というストーリーにものすごく引き込まれます。

 

特に好きなのが、「完全なる報復」 と 「レヴェナント: 蘇えりし者」 です。

 

 

 

おそらく、親や大人に抑圧されてきた感情が怒りとして表出し、それを代わりにやってくれている主人公にあこがれて、すごく興奮しました。
現実でも、何か屈辱的な思いをさせられたことや、尊厳を踏みにじられたことをずっと覚えているタイプです。
何十年も前のことを執念深く覚えていて、絶対に10倍返しにして仕返しをしてやろうと、腹にため込んできました。

失礼な態度をとってきた人には、それ相応の報復をし返してきました。

そうした時折見せる厳しい冷徹な態度は、周りの人々を緊張させ、遠ざけていたように思います。

 

浅い人間関係しか持てない

私は、親しい友人というものがあまりありませんでした。(今はやっと本当に大事な仲間ができましたが。)

 

正直に伝えることが怖いです。

今まではそれを受け容れてもらえなかったから。

正解はわかります。今はこういうべき、今はこう返すべき。

そんなことばかり話していると、ちゃんと会話しようとしている人は気づきます。

「お前の本当のところはどうなんだ?それが聞きたいんだ」と言われたとき、私はひどくまごついてしまいます。

本当の気持ちがわからないからです。

 

私は本当は復讐をしたいわけではありません。

イチゴのショートケーキではなく、チョコレートケーキが欲しかったのかもしれません。

本当の気持ちを言ってもいいんだろうか?

本当にこの人はそう思っているのだろうか?

言葉の裏を読んで対応することばかりしてきて、額面通りに言葉を受け取れない私がいます。

 

「正解しか言えない」という目に見えない呪縛

私は正しいことや間違いないことに固執しそうでなくてはいけないと思ってきました。

でも、本当は正しくなくたって感じていることや好きって気持ちは事実なんだし、それはいいも悪いもないんですよね。

父親と母親はいつも正しかったので、何も言い返せませんでした。

私が感じていることは間違いで、父や母が言うとおりにしていれば、「正しい」。

私自身でやろうとしたことや、考えて言ったことは、全部正解以下でした。

だったら、もう正しいことだけでいいじゃないか。私の話なんて誰も聞いていないんだから。

私が感じることもどうでもいい。だれも望んでいないのだから。

私が感じたままに何かをすれば、私自身は傷つき、周りが哀しい顔をしました。

だから、感情を凍らせることは、必然だったと言えるでしょう。

 

しかし、このテーマをみたとき、私は自分の感情が凍っているとは思っていませんでした。いろいろなものを感じ、表現していると思い込んでいました。

しかし、実際は「正しさ」に縛られて、それ以外の感情を取捨選択して打ち消そうとしていたんだと気づきました。

それは、新鮮で、深い驚きと失望を感じさせました。

 

嫌なことを嫌と言い、手放す。その代わりにどうしたいか、を考えて伝えてみる

ACに詳しい尊敬する先生に聞いてみたところ、「まずは嫌いなものから始めてみるとよい」と教えていただいたので、今はそれをやってみています。

 

たとえば、私はベッドで寝るとき、娘に足蹴にされ、犬2匹に居場所を奪われ、無理な体勢で寝ていました。

私はそれが「つらい」と感じていました。

でも、家族みんなで一緒に寝る、というあるべき家族像を崩す気がして、何より「一緒に寝たくないのか?」と哀しい顔をされるのではないか?という恐怖で言い出せませんでした。

しかし、つらいし嫌なことは、言わなければ伝わりません。

私は、寝るスペースがないこと、それが原因で日々の生活に支障をきたしていること、できればベッドのわきに布団を敷いてそこで寝たいこと、を勇気を出して言ってみました。

そうすると、すんなり聞き入れてくれました。

 

また、うつ病で朝辛くて起きられない日も朝犬の散歩に行くのが日課だから、私の役割だから、と無理をしていましたが、調子が悪い日はいけない日もある、ということを伝えました。

それも、行ける日でいい、という話になりました。

 

実は、「~しなければならない」という正しさや自分の正当だというイメージに囚われていることをしなくても、私は許されるのではないか?と思うようになっています。

それならば、私はしたいことをするために、嫌なことを手放していって、もっと自由になってもいいのかもしれない。そうして身軽になっていけば、やりたいことや好きなことが見えてくるかもしれない、と思うのです。

 

凍りついた感情からの回復とはどんなこと?

自分の感情に触れ、それを表現するようになるにつれて、わくわくするような出来事が起こり始めるでしょう。自分の感情を正直に表現できるようになるにつれて、わたしたちのストレスの度合いは低くなります。
自分の本当の感情を表現することは、人と対話するための健康な方法であることが分かってきて、その結果の一つとして、他の人たちが彼らの感情を私たちと分かち合っていることを発見するかもしれません。蓄積された感情を開放し始めるとき、わたしたちは確かにいくらかの痛みを感じるでしょう。
しかし、自分の感情を表面に出すことについてわたしたちのやる気が高まるにつれて、その痛みは弱まっていき、そのことで脅かされたり圧倒されたりすることは少なくなってきます。自分の感情を敢えて解放しようとする気持ちが強ければ強いほど、自分自身のハイヤー・パワーと他者とに対する有益な、親密な関係を持つ能力が高まるでしょう。

自分の感情を経験し、表現するようになるにつれて、わたしたちは次のようになっていきます:

〇自分の感情をきちんと捉える
〇感情をオープンに表現する
〇人間関係において親密度が増す
〇自分の真の自己を経験する
〇自分の必要を他の人たちに表現する

出典:『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
70Pより引用

 

今はまだたどたどしいですが、少しずつ少しずつ、自分の感情を、まずは嫌だと言うことから初めて、解放していきたいです。

それでも人に受け入れられる、そのままでいいと思える。

そこから、私が本当に大切にしたいと考えていること、一緒にいたいと思っている人、やりたいこと、生きたい人生が見つかり、私は生きていてよかった、と心から思えるようになるのではないか、と思います。

そうなるように、私はがんばります。

【AC】7つの「否認」について(ACのための12のステップ)

こんにちは、ちあき です。

否認には、7つの種類があると言われています。

それぞれについて、自分自身の認知の歪みを認識すべく振り返ってみました。

 

否認はわたしたちの病気の中核的要素であって、わたしたち全員に多かれ少なかれ見受けられます。

否認はわたしたちの病気の破壊的な面です。

なぜなら、それはどんどん悪化していく行動パターンにわたしたちを封じ込めるからです。

否認は、わたしたちが現実に直面することを避けるために無意識に使う、多くの複雑な防衛や策略から成り立っています。

否認の見分けられる形として次のようなものがあります。

出典:『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷 45Pより引用

 

■単純な否認

:ある物事が本当はあるのに無い振りをする

(例:問題があることを示しているかもしれない身体症状を、割り引いて軽く見る)

私は自分の体や心の不具合を軽く見る傾向があります。

最近は朝起きれなくなるほど気持ちの落ち込みが激しいのですが、「まだ出社できているし」「ご飯も食べられなくなったわけじゃないし」と重症度として適切に評価せず、軽視しています。「私はつらい」「私は会社に行きたくない」ということを感じてはいけない、感じたらもう動けなくなってしまうから。そう、自分にとって「私はつらい」と認めることは、都合が悪いと思っているから、抑圧しているんですね。

 

■矮小化

:問題を認めるがその重大さは見ようとしない

(例:人間関係で、本当は明白な裏切りがあるのに、よそよそしくなっていることだけ認める)

私は、酒(エチルアルコール)を飲んでいるとき、特に自分の酒害を軽く見ていたと思います。前歯が折れたり、財布を無くしたり、携帯をなくしたり、カバンをなくしたり、頻繁に遅刻したり。明らかに社会人生活に悪影響を及ぼし、具体的な損失があるにもかかわらず、それを「みんなもよくあること」「もっとひどい人もいる」などと目を背けていました。問題を認めていても、その重さやどれだけ迷惑をかけているかについて、考えを及ぼさないようにしました。今、自分のダメさや起こしてしまったことの重大さを理解してしまったら、ギリギリで立っている当時受け止められないと思って恐ろしかったからでした。だからより、依存物質に逃げました。脳をエチルアルコールで麻痺させて、考えないように逃避しました。

その結果、どうにも逃れようのない、死ぬ手前まで追い詰められなくては、問題の重大さを見ることができず、様々なものを失いました。

 

■非難

:問題の原因として誰か他の人を非難する-その振る舞いは否定しないが、その原因は誰か他の人にある

(例:あなたの現在の不適切な振る舞いについて親を責める)

Twitterでよく見かける、政治や事件や芸能界のひとたちが起こした不祥事への怒りに代表されるように、何か他のことに怒りをぶつけることで、私たちは本当の問題を見ないようにすることができるので、自分とは関係のない、直接的な原因ではない人たちに怒りをぶつけるほうが楽で、しばしばそちらに流れがちです。

わたしも、凄惨な事件や不倫報道に対して、自分が自分に対して抱えている怒りに目を背けてきました。本当は、非難している対象の人がどうなろうとしったことではなかったのに「世の中のために」「この人は間違っているから正しく更生するために」などと体の良い『言い訳』を並べ立て、自分の怒りのはけ口に使いました。

本当は、自分が思うとおりに生きられない悔しさや哀しさ、弱さを認めたくない心、正しくない感情を持つことへの葛藤などを、抱えきれないで、目を逸らすために、他の人を非難したのでした。

 

■弁解

:自分や他人の振る舞いについて弁解したり、アリバイを言い立てたり、正当化したり、その他の説明をつけて言い訳する

(例:パートナーが仕事に行けないことの本当の原因は酔っぱらっているからなのに、病気だからと電話する)

わたしは、自分が欲しいものがわかりません。何を望んでいるのか、わからなくなることがあります。それは異常なことなのですが、しばしば見ないふりをしています。

「大切な家族が最優先だから」とか「アルコール依存症の私には欲しがる権利がない」とか「今ぱっと思い浮かばないということは本当にほしいものがないからだ」とか「そんなものより仕事が忙しく大事だから」とか。

本当はずっと、自分の自由にしたいし、好きなように時間を過ごしたかったはずなのに。願望があったはずです。それを「正しいこと」を目の前に置いて、見て見ぬふりをしているうちにわからなくなった、というのが今の状況だと思います。

 

■一般化

:問題を一般的に取り扱うが、状況や状態について個人的にまた情緒的に見ることは避ける

(例:化学物質への依存がそこにある問題であることを知っているのに、友達のインフルエンザの症状にだけ同情する)

私は、とてもしんどい・きついと感じているときほど、冷静に状況を分析して、原因と結果、課題と解決策にフォーカスし、一般的な分析指標を用いて問題をとらえようとします。

それはビジネスにおいて奨励されるスキルであり、資本主義経済では正しいと言われてきた方法でした。

しかし、こと私の問題の状況や状態について同じ捉え方をすることは、ひとつ欠落するものがあります。それは私の感情や素直な気持ちです。

分析手法により正しい解決方法や問題点の整理は可能です。その手前にある自分が感じた感情を、わたしは余計で邪魔な、とるに足らないものだと思い込むことで、軽視し、封じ込めようとしました。

しかし、それは抑圧され深い怒りとなり、認知を歪めてきたのです。本当の問題は、私自身の論理の前にある心を軽視したことだったのでした。

それは、親に与えられた唯一の物差しは、正しいかどうか、だけだったからです。

 

■ごまかし

:脅威を感じるような話題を避けるために主題を変える

(例:「世間話」に巧みになる)

わたしは「世間話」は苦手です。ASDだから、意味のない話はあまり頭に入らないし、いつ終わるかもわからない話は精神的に大変苦痛です。

しかし、あえて話があまり話したくないと思うような話題になりそうなとき、わたしはしばしば、相手が話したいであろう話を聞くことに専念する傾向があります。

わたしがしゃべらなくてもいいからです。そして、相手は自分の話したいことを話して満足する。聞かれる心配がなくなる。自分が認めたくない、傷に触れられる機会をつぶすことができるから、わたしは「相手が話したい話を聞く」という先手を打つことで相対します。

しかし、私は本当は自分がどう感じたか、なぜそうなのか、を話したい人です。

だから、相手が話したい話は実はどうでもいいのです。だから、人と話すと疲れるのです。聞きたくないことをずっと聞くことが、自分の核心に触れさせず、自分自身に対しても本心を誤魔化す最も有効な方法のひとつだから。

それをやめない限り、人と居心地の良い関係を構築することはできないのでしょう。

 

■攻撃

:今現在の状況に話が及んだとき怒り、いらいらする。そのことによってその問題を避ける

(例:あなたの今感じていることを分かち合おうとしない)

わたしは、今現在の辛いと感じたくないこと、認めたくないことを他人に言及されたとき、黙りこんでしまいます。分かち合おうとしません。

また、本当は言いたいことがあるのに、それを表に出すことがためらわれて、しかし我慢ができないとき、私はその「本当は言いたいこと」を認めたくないくせに、他人にわかってほしいという願望を抑えきれず、あえて不機嫌になったり、イライラしたりします。

それは、遠回しで卑怯なやり方です。自分が感じていることは、話さなければわからないし、そもそも感じていることを認めなくてはいけません。

その勇気が持てないでいることを、相手が理解をしてくれないことにすり替え、責任転嫁してイライラいていることがあります。

 

 

まとめ:自分を素直に理解するために

12のステップを踏むことは、わたしたちが現実に直面することに対する防壁になっていた、否認に気づくことを手助けしてくれます。

ある意味では否認は、私たちがかろうじて保っていた、わずかばかりの価値や尊厳の意識を持ち続けさせてくれたのです。

ステップ4によってわたしたちは、現在にいたるまで生き残りのための主要なテクニックの一つであった、自分の否認システムをよく見ることができるようになります。

また否認はわたしたちの知覚を歪め、判断を大きく狂わせ、自分を騙し、正確な自己理解を妨げていました。

出典:『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷 46~47Pより引用

 

そう、わたしは、今まで否認してきました。ありとあらゆる手段を講じて、見るべきものを見ないようにしてきました。

それは、私が悪いからではなかった。親が「正しさ」しか教えてくれなかったこと、本当の気持ちを大切にしてくれなかったこと、親からの影響に対して私が無力だったことは、私のせいではなかった。

この否認のシステムは、今までの私を守ってきてくれました。なんとか今まで命をつないでいくために、必要なものでした。しかし、歪んだものでした。

私はもう親の機嫌をうかがいながら生きなくても、自分で稼いで自分で生活できるようになった。もうこの期に及んで、否認システムに頼らなくても、私はわたしらしく生きていていい。たとえ誰に何を言われようとも。

否認システムを卒業して、私は私をそのまま生きられるようになりたい。

今度こそ、親が望む自分ではない、自分が望む「成りたい自分」になるために。

 

 

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【AC】12step-step4に基づくわたしの棚卸し記録②(低い自己評価)

前回の棚卸しにしたがって、まずは「低い自己評価」について棚卸ししていきたいと思います。

 

「低い自己評価」とはどんなこと?

子供時代を通じて、わたしたちは自分の能力を信じるようには決して奨励されませんでした。終始批判されてきた結果として、自分は「悪く」、家族の問題の原因なのだと信じ込みました。愛され、受け容れられていると感じるために、わたしたちは人を楽しませ、完全であって、批判の余地がないようにしようと、さらに一生懸命努力しました。一生懸命やればやるほど、私たちの欲求不満は大きくなりました。私たちが何をしても、「偉い人たち」を楽しませることは決してできませんでした。私たちは自己評価を低く保っていて、そのことは目標を設定し、それを成し遂げる私たちの能力に影響を与えました。間違いをすることを恐れて、私たちは危険を冒すことを避けます。物事がうまくいかないと、そのことに責任があるように感じてしまい、うまくいくと、そのことに自分が功績があることを受け容れようとしません。そうする代わりに、自分はそれに価しないと思って、「もう一方の靴がなくなる」のを待っているのです。

わたしたちの自己評価が低いと、わたしたちは次のようであるかもしれません。

●主張できない
●失敗を恐れる
●無能のように見える
●拒絶を恐れる
●他の人たちからひきこもる
●否定的な自分像を持っている
●完全である必要がある

出典:『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
73Pより引用

 

 

ありのままではダメだという呪縛

小さいころから「そのままではダメなんだ」という気持ちが常にありました。

 

親は私がありのままに振舞うと哀しい顔をしました。

 

小さいころから好きな遊びもはたから見れば危険なことが多かったので「止めなさい!」とヒステリックに叱責され、したいことをするといつも否定されていた、おぼろげな記憶しかありません。

幼稚園に行きたくないと泣けば哀しい顔をされ、ショッピングモールで「もう疲れた帰りたい」と言えば哀しい顔をされ。

「どうしてみんなと同じようにいい子にできないの?」

「なんで普通のことが普通にできないの?」

「なんでいうことを聞かないの?」

「お母さんのことが嫌いなの?」

母親からそんな質問を投げかけられ続け、次第に「ごめんなさい」しか言わなくなりました。

 

みんなと同じでなくてはダメ、普通でなくてはダメ、言うことを聞かないとダメ、そうじゃないとお母さんが嫌いということになる。悲しまれる。

だから、私はそのままでいちゃダメなんだ、何か自分とは違う別の物にならないと、お母さんに認めてもらえない、好きだと言ってもらえない人間なのだ、と思いました。

 

 

「求められている完璧な自分」になり愛されるために

だから文字通り死ぬ気で、一生懸命努力しました。

ありのままと違う、優秀で愛される自分になるために。

小学校のテストは100点以外は失敗だと思っていたしそういわれてきました。受験の合格ラインも親が満足し社会的に評価が高いレベルでなければならないと思って偏差値で決めました。

勉強を理由にして部活で成績を残せないのは甘えであり、全国大会に行くレベルでなくてはならない。だから、県内3位なんて中途半端な成績で満足していてはいけない。だれも認めてくれないと思っていました。

将来の夢など、どのタイミングでも思い描いたことはありませんでした。すべてが義務でした。

 

勉強もスポーツも親の望み通りになるように、愛してもらえるように、完璧な長男で在ろうと頑張りました。

誰にも相談できませんでした。弱音を吐いて聞いてくれるはずの親にいいところを見せないといけないのですから、当然ですよね。

どんどん一人で抱え込んでいきました。

結果が不十分なのは自分が未熟だからだ、自分が悪い、まだ至らないから幸せになれないのだ、もっともっと完璧にならなくてはならない、そうでないと誰も私を必要としてくれない。

 

 

自分にも他人にも厳しくなり、どんどん孤独になる

それはとても、さびしいことでした。

そのままでは私は親にすら必要とされないのか?そんなに私は生きる価値のないダメな人間なのか?なら、のうのうと生きている私以外の人間は、私以上に正しく結果を残していて、偉くなくてはならないはずだ。でないとつじつまが合わない。

 

だから、他人に対して、自分と同じようにどんどん厳しくなっていきました。

少しのミスも許されないのだから、お前らにも許されるべきではない。

完璧でなければ愛されないのだから、愛されて幸せなお前らは完璧でなくてはならない。

 

そうやって正しさと理屈を振りかざして防御を固め続けて、気がつけばさらに独りになっていて、そばにはお酒しかありませんでした。

ただただ、ずっと寂しかった。

酒という名の簡単に手に入る薬物であるエチルアルコールに耽溺しているときだけが、自分の脳を麻痺して停止させ、「こうでなくてはならない」という義務感から解放される唯一の安息でした。

次第にそれも、より多くの問題を引き起こすだけの代物だとわかったわけですが。笑

 

失敗という財産を今度こそ 自分の足で歩くために

振り返ると、私は、なんとかエチルアルコールという薬物の力を借りて、ぎりぎりで命をつないできたのだと思います。

今は、その杖をなくし、今断酒しているということは、たとえば足を骨折して松葉づえをついていたのに、杖をすてて骨折したまま歩いているようなものだと思います。

だから、棚卸をして、自分の問題に目を背けず、立ち向かわなければ、この足はまた歩けるようにはならない。今まで生まれてからずっと引きずってきたこの足をリハビリしなければ、2本の足で真の意味で自立できない。だから、がんばりたいのです。

 

失敗は恐ろしい損失ではなく、むしろ財産でした。

私はアルコール依存症になりそれはそれはたくさんの失敗をしてきましたが、そのおかげで私は自分の問題に気づくことができました。失敗はしてしまったら終わりではなく、そこから学ぶことができる。そして、自分の失敗をそのまま受け入れることが、他の人の至らなさに対して寛容になれる最善の方法だったのだと最近よくわかります。

 

「失敗してもいい、失敗してきたからこそいい、そのままの黒い心を含めてあなたはそのままですばらしい」といってくれる最も大切な人と出会い、あこがれを抱き、好意を持っています。ここ数ヶ月交流があり、いろいろな学びをもらったおかげで、行動することの大切さや、プロセスを認めてもらう喜びを教えてもらいました。

 

「低い自己評価」からの回復とはどんなもの?

わたしたちは、ハイヤー・パワーと協同して、自分自身と自分の能力をより現実的に見るようになるにしたがって、私たちの自己評価は高まります。他の人たちと、もっと自信をもって交際できるようになり、自分自身をそのまま受け入れて、自分の弱さと同じように、自分の力も評価できるようになります。失敗から学ぶことができるということが分かってくるにつれて、前には可能だとは夢にも思わなかったことが、気が付いてみたらできています。他の人たちを知り、他の人たちに自分を知ってもらうようになるにつれて、私たちはより安全に感じます。人間関係はさらに健康になります。ーなぜなら、自分を信じ、自分を保証できて、もう保証してもらうために他の人たちを当てにする必要がないのですから。

わたしたちの自己評価が高まるにつれて、わたしたちは次のようになり始めます。

〇もっと自信がつく
〇より積極的に行動する
〇他の人と交際するのが楽になる
〇自分を愛し、大事にする
〇感情をオープンに表現する
〇危険を冒す

出典:『ACのための12のステップ』フレンズインリカバリー 第7刷
74Pより引用

 

自分に言い聞かせる意味でも、私が気づかせてもらった私の真実を話して〆たいと思います。

 

 

私は失敗してもいい。

私は完璧でなくてもいい。

私は普通と違うところがあってもいい。

私は他人の言うとおりにせず、自分がしたいように生きていい。

親に愛されようと無理に自分を飾らなくてもいい。親はありのままの私を見てくれなかったが、今は他に大切な人が、私自身を見てくれるのだから。

そして、もし見てもらえなくても、私を一番大切にできるのは私であり、親ではないことが分かった今、親の顔色をうかがう必要はもうなくなった。

だからこそ、私は、そのままの自分をこれからはずっと好きでいていい。