【AC】「他人からどう見えるか」というのは 実は「あなたの幸せ」には全く関係ない
「他人からどう見えるか」というのは 実は「あなたの幸せ」には全く関係ない。 「他人からどう見えるか」ということばかり追いかけていると、自分がどう思い、どう考え、何を幸せと感じるのか、何もわからなくなってしまうよ?私みたいに。
アルコール依存症からの回復・社会福祉・家族との日々・時々キャンプ な ソーシャルワーカー ちあき の情報発信ブログ。
「他人からどう見えるか」というのは 実は「あなたの幸せ」には全く関係ない。 「他人からどう見えるか」ということばかり追いかけていると、自分がどう思い、どう考え、何を幸せと感じるのか、何もわからなくなってしまうよ?私みたいに。
「ひとりで生きてるような顔しちゃってさ」2年前、義母にそう言われたとき、私は「はぁ?」と青筋を立てた。
インナーチャイルドワークを通じて実感したのは、親を特別視して恨まなくてもいいんだな、他人を必要以上に怖がらなくてもいいんだな、ということ。
自称エリートだらけの職場で働いている。 確かに、一流大学を出て一流企業に勤めている。年収だって平均に比べてもらっているほうだろう。 しかし、その実態や現状認識は、気でも狂ってしまったんじゃないかと思うくらい実に shabby だ。
そのままで受け容れてもらえなかったから、何者かにならないといけないと思い込む。 だから、様々な「応急処置」をしながら、自分以外の何かになろうと一生懸命に努力していたのだ。
既婚者が未婚者より上だなんて誰かどっかのやつが決めたルールだ。 高学歴エリートが中卒より上だなんてどっかの誰かの妄想だ。
何もかも偽物だったのは、私だった。 影だと思ってみてきたものは、私そのものだった。 私が世の中に「私」を見つけていただけだった。
見縊られるのもそう。バカにされるのもそう。 他人がどう反応し、私をどう見るか。そんなことは、本当に『私には何にも関係がなかった』。些末なことだった。
自分の楽しいことが、いまいち何かよくわからなかった。いつもイライラしていた。 かたや「人生を終わりたくない。楽しいからいきていたい。」そういう妻。 いったい妻と私では何が違うのだろうか?
・負けた悔しさを切り離せず悩みから抜けられない人 ・勝負になると、すぐ勝ち負けに拘ってしまう人 いませんか?私は、そういうタイプです。