「チーム」とは?
チーム(英: team)は、共通の目的、達成すべき目標、そのためのやり方を共有し、連帯責任を果たせる補完的なスキルを備えた少人数の集合体を理想とすることがある。実際には、チームといっても目的、目標、やり方は指導者から与えられただけで、変更権がなく共有できていないことがある。
チーム(英: team)は、共通の目的、達成すべき目標、そのためのやり方を共有し、連帯責任を果たせる補完的なスキルを備えた少人数の集合体を理想とすることがある。実際には、チームといっても目的、目標、やり方は指導者から与えられただけで、変更権がなく共有できていないことがある。
コロナウイルスの感染拡大にもとなって、なかなか外回りはできないので、営業としては決算月が終わるのを指をくわえて待っているしかありませんでした。初めての経験。
さて、私は4月から「もう会社の指示に従うのは(表向き)一切やめていこう」という決意のもと、自由に時間を使うようにしてみました。
4月からも私は今までと同じエリアを担当して、やる仕事も特に変わりません。
しばらく担当して要領も分かってきましたし、ここらあたりでもう好きにさせてもらおうかな、と思っています。
4月から、裏☆計画に従って行動します。
具体的には下記のとおりです。
・取引先には月に1回程度顔を出すくらいで十分なので、無理に頑張らない(報告はうるさく言われたら報告だけテキトーに入力)
・会社がKPIとして設定した行動指標は、とりあえずやった形を整える
ゴール:依存症・発達障害・精神疾患のエキスパートになる。ソーシャルワークの一環として医療上の課題を解決するために役立つ(
①社会調査すべきこと
・各種自助グループに参加し現場に精通する。
・今ある自治体や非営利団体などのサポートや社会資源の情報収集、訪問する。
・それぞれの困りごとにおいて具体的にはどんなサポートが必要か?をリサーチする。
・精神疾患・発達障害・依存症の当事者の社会復帰のための治療や社会資源、公的支援をわかりやすくまとめる。
②現時点でできること(コロナ収束後)
・精神疾患・発達障害の啓発勉強会(社会福祉士として、医療従事者として)を実施する。
・精神科医、心療内科医と面会し、
・このエリアでは未だ無いACA(ACの自助グループ)を立ち上げて運営する。
③今後やりたいこと
・当事者たちは何に困り、どうなりたいのか、
・ASK依存症予防教育アドバイザーを受講・合格し、依存症について専門的見地に基づいた啓発勉強会を定期的に実施する。(自治体・保健所・精神保健福祉センター・地域包括支援センター・医療機関・一般市民など)
ワクワクすることは大事です。
このまま会社に飼い殺しにされて、やりたくもないことを毎日していたら、うつが悪化してしまうでしょう。
ACのための12のステップを進めるにしたがって、今の世の中がいかに狭量な価値観で構成されていて、それを正しいと信じている人たちの思い込みにより動いているか、ということを、肌身に感じます。
そしてそれは、会社においてもやはり同じことのように思われます。
「営業でいい成績を出しているほうが偉い」「会社の言うことを忠実にやっているからすごい」というのは、「いい子にしてママに褒められたい」「かけっこで一等賞だからすごい」と同じくらいの感覚で今勤めている会社の価値観が構成されていて、そのような勝ち負けの世界でしか生きてこなかったひとの寄せ集めが会社だということです。
限られた水槽(価値観の枠)のなかで、飼われている金魚のような感じです。
水槽から出ることすら想像できず、水槽のなかが全てだと思い込んだまま、えさを食べてフンをして死んでいくのも人生ですが、私はやはりそれは辛いなぁと思います。
それで幸せだと思える人が、常識的な人、という存在の姿なんだと思います。
私は非常識なのでしょう。それでは幸せだと思えません。
自分で自由に泳ぎたい。いろいろなところを泳ぎたい。泳ぐ場所は自分で決めたい。
だから、今あるルールはそれとしてうまく掻い潜りながら、水槽のなか以外でも泳げるように努力をしたり、いずれは川や海に出るべく、自らを鍛えていくことが、やはりワクワクする生きがいなのです。
だって、なんか変だな、と思うことありませんか?
嫌なのに、嫌なことずっとして、それを誤魔化しながら人生終わるなんて、嫌じゃない?
私は嫌なことは嫌だと認識して、これからは良い意味で自分勝手にやらせてもらおうと思います。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、多くの会社では在宅勤務を推奨されているにも関わらず、出社することをやめられない、経済を最優先して状況を冷静にみられない、そんなひとがいますよね。
なんとなく、気持ちわかります。
なぜなのか?
少し考えてみました。
わかりみ。
たぶん在宅勤務が奨励されているのに出勤したがる人は、真剣に仕事依存症だと思う。
何かと理由をつけて必要がないのに行きたがるのは、仕事しか居場所がないから。
おそらく義務化されても一定数は何かしら理由をつけて出社する。私の会社がそうであるように。#Workaholic#在宅勤務 https://t.co/RabgMGVZde
— ちあき@A4C (@8ZYrA2k21DgF4c7) March 17, 2020
仕事依存症チェックプログラム というものがあります。
ちなみにこのチェックプログラムを監修しているかすみがうらクリニックの副院長、猪野亜朗先生は、アルコール依存症治療の最前線を歩かれる医師のお一人で、アディクションについてはスペシャリストであらせられます。
以下の質問にYES,NOで答えてください。
- 部下や同僚に任せた仕事でも,自分が全て目を通さないと気がすまない
- いつも仕事の期限に追われている
- 家に仕事を持って帰ることが多い
- 休日でも仕事のことを考える
- 休暇中も職場のことが気になって,職場に顔を出したくなる
- 大事な予定が入っていても,残業を断れない
- 同僚がみんな帰っても,残業を続けることがある
- 有給休暇をほとんど消化していない
- 仕事中に邪魔が入ると非常にイライラする
- 仕事の相手が時間に遅れると非常にイライラする
- 昼食をとりながら仕事をすることが多い
- 電話が鳴ると真っ先にとろうとする
- 会議などのテンポがのろいと非常にイライラする
- 職場では仕事以外の話をほとんどしない
- 職場の花や壁の飾りなどに興味がない
- 同僚の服装やおしゃれにはほとんど興味がない
- 仕事中はいつも早足で歩く
- 時計を持っていないと落ち着かない
- 通勤中はたいてい仕事のことを考えている
- 仕事中はほとんど息抜きをしない
- 仕事中にいれてもらったお茶を飲み忘れて,気がつくと冷めていることが多い
- 今取り組んでいる仕事が終わる前に次の仕事を考えている
- 自分にほんの少しの失敗があっても,一日中気になる
- 職場を離れた同僚や部下とのつき合いでも,必ず仕事の話になる
- 同僚や部下が自分の思い通りに動かないと,かんしゃくを起こす
- 同僚や部下のミスでも,自分が責任を感じる
- 仕事を引き受けるかと聞かれると,「やりたいか」ではなく「やるべきか」と考える
- 仕事で同僚に後れをとっていると考えると,いてもたってもいられない
- 他のスタッフは仕事の手を抜いていると思う
- 仕事はプロセスよりも結果が問題だと思う
現代の日本人は、仕事に没頭し仕事の中にしか自分の存在価値を見つけられないという不健康な状態になりがちです。
「会社のため」「家族のため」という大義名分のもと,自分自身を追いこんでいませんか?
このチェックプログラムは三重県立高茶屋病院(当時)・猪野亜朗医師によるものです。
手遅れになる前に対策を立てましょう。
うわ…、めっちゃ当てはまります。
ていうか全部YESでした。(白目)
皆さんはいかがでしたか?
仕事依存症から回復する方法
- 仕事中心の生き方を改めることに対して無力であり,日々の生活が空疎なものになってきたことを認める
- 今までの生き方に無理があったことを認め,この世には富や名誉以上に大事なものがあることを認める
- 今までの生き方を支えてきた意志の力への信仰をやめ,他人の評価を恐れることなく,あるがままの自分を受け入れる
- あるがままの自分を発見するために今までの生き方を点検し,両親との関係から始まる人間関係を見直す
- あるがままの自分とは隔たった自分をなぜ演じてきたかを理解する
- 虚構の自分の衣装の下に隠れていた本来の自分の存在を実感し,この”もうひとりの自分”と和解しようと思う
- 今までの生き方の誤りが、本来の自分を見失い、傷つけ、成長の最後の段階を踏み損なったことを理解する
- 今までの生活の中で抑圧してきた本来の自分をいたわり、その言い分に耳を傾ける
- 傷つけてしまった自分以外の人々に対して、謙虚に謝罪し、機会があれば、できる範囲でつぐないをする
- 生き方の点検を続け、新たに気づいた無理な生き方は勇気をもって変える
- あるがままの自分を実感し、自分の命の自然な流れがどの方向へ向かっているかを理解する
まさに、依存症やアダルトチルドレンの回復のために取り組む「12ステップ・プログラム」そのものですね。
「#在宅困難者」
ここ最近Twitterで発見して
一番笑ったパワーワードだ。▼在宅困難者#在宅勤務 を推奨され家で仕事をしなくてはならないが、配偶者または家族から存在を快く思われておらず、邪魔者として午前中に放逐されるため自宅滞在が困難であり、在宅勤務を遂行できない者。#テレワーク
— ちあき@A4C (@8ZYrA2k21DgF4c7) March 18, 2020
在宅勤務で家にいづらくはありませんか?
これが分水嶺になる気がしています。
なぜなら、仕事依存症になることで家庭に弊害が出ている客観的な事実だからです。
認めたくないけど、しわ寄せが来てるんですね。家庭の不和として。
在宅勤務が推奨されて、まず上がったのは既婚女性の悲鳴でした。
「家にいるのに家事育児を手伝わない」
「在宅勤務とか言って暇そうに座ってる」
その後、既婚男性からも悲鳴が上がりました。
「家にいたら仕事にならない」
「仕事中なのに子どもや妻に暇だと思われ何もしていないと咎められる」
これは、割と身近に起こっていて、私の会社の人々(特に男性ばかり)は、少なくない人が少し前まで意味もなく会社に来ているのでした。
緊急事態宣言が全国展開されてからは、原則禁止になり、姿は見えなくなりましたが、私を含め、日本のサラリーマンは仕事依存症になるほど追い詰められているのだと思います。
好きで依存症になる人は、いません。あんな辛い病気、なりたくてなる人はいない。
生きづらいから、なるのだと思います。
それは、特に日本人男性のジェンダーロールであり、成果を常に求められる社会で認められなくては生きていけないサバイバルレースを生きてきたからです。
『成果出そうレース』。
生まれた時からこのレースに参加させられ、成果でしか評価されなかったから、自分の生きがいやあるがままの姿を受け入れられなくなり、合理的で効率的な『デキる男』を目指さなくてはならなくなりました。
本当は目指したいものは別にあったのに、忘れ去ってしまったのでしょう。
今このタイミングは、自分を見つめ直すチャンスでもあります。
仕事ばかりになって成果でしか満たされない、そんなのつらいですよね。
別の穏やかな幸せが、きっと見つかります。
私たちは、今までほんとうによく頑張ってきた。
成果が出ても出なくても、あなたも私も本当は仕事以外の価値を持っているのだと、同じ仕事依存症になって苦しんでいる人の、ありのままの姿を褒め称えたいと思います。
今日は私が目指している「副業」ではなく「複業」型ワークスタイルを実現したい背景について、自分の方向性を確かめる意味でもまとめてみたいと思います。
堀江貴文氏の著書はだいたい読みました。
そのなかでも「ゼロ」は堀江貴文氏のメディアでのイメージとご本人とのギャップに驚くし、「多動力」の考え方は、私にとって方向性を示してくれた良著でした。
ぜひ読んでみていただきたいのですが、私が述べたい「多動力」についての説明が東洋経済Onlineさんに掲載されていたので、抜粋します。
この「多動力」。かつては、マイナスでしかなかったかもしれない。
「多動力」を仕事に生かす場面は少なく、おかしな人だと思われていたはずである。しかし、これからの時代は「多動力」こそが最も必要な能力だ。
ここでは、その理由を説明する。
IoT(Internet of Things =モノのインターネット)という言葉を最近ニュースでもよく耳にすると思う。これは、ありとあらゆる「モノ」がインターネットにつながっていくことを意味する。
調査会社ガートナーによると、2014年時点でネットにつながっているデバイスの数は38億個。その数が2020年には200億個を超えると予想されている。つまり、テレビなどの家電はもちろん、自動車も、家も、ありとあらゆる「モノ」がインターネットにつながるということだ。
すべての産業が「水平分業型モデル」となり、結果“タテの壁”が溶けていく。
たとえば、テレビとインターネットがつながると、テレビはスマホアプリの1つになり、電話やフェイスブックと同じレイヤーで競争することになる。フジテレビのライバルは日本テレビではなく、恋人からのLINEになるのだ。
また自動車がインターネットにつながり、自動運転が進めば、もはや自動車の形である必要はなくて、ただの移動するイスになるかもしれない。そのとき、自動車業界もインテリア業界もタテの壁はなくなる。あらゆる産業のタテの壁が溶けていけば、今までの経験や肩書きは通用しなくなる。
この、かつてない時代に求められるのは、各業界を軽やかに越えていく「越境者」だ。そして、「越境者」に最も必要な能力が、次から次に自分が好きなことをハシゴしまくる「多動力」なのだ。
出典:東洋経済Online_堀江貴文氏「多動力こそが最も重要な能力だ」
情報を持っていること自体はそんなに重要ではなくなる時代が来ます。
単なる情報戦ではインターネットやAIのほうに軍配が上がります。膨大なデータを蓄積でき、かつ計算も速く、そのうえ正確だからです。
対コンピュータだけでなく、人や企業の間のビジネスの戦力図も大きく変わります。コンテンツとしてWEBやITが使えるということは、かつては専門的とされていた情報は拡散され共有され、共通のリソースとして持てるようになるため、事業規模が違っても、経験年数が違っても、簡単に「情報」という形ではお金をかけなくても手に入るようになってきました。
だから、その道一筋で情報や知識を持っていることは、あまり経済的な価値や強みではなくなるというのです。
では、どんな人が自身の価値を高めていくのか?
それは、業界と業界の垣根を超える者、越境者だと考えられています。
様々な業界のケーススタディを積み、業界の垣根を越えて活躍することで、異なる価値観を融合できる=新しいモノやサービスやコンテンツを生み出せる=AIやコンピュータにはできない自分オリジナルの仕事を創ることができる、というわけです。
しばしば会社の中堅社員や上司と話していて辟易するのが、この奴隷根性あふれる以下のセリフです。
「嫌なことでも我慢していれば、会社が守ってくれる」
はあ?そんなわけないでしょ。
私たちが勤めている会社はそりゃ業界TOP3に入る会社ですが、リストラはそこかしこで始まっていますし、いずれ業界全体の流れとして社員は減らされることに間違いありません。
私は一度会社から目を付けられて会社を追われそうになった経験がありますが、そのときの会社の対応はえげつないです。
「なんとかしてこの社員をやめさせる材料はないか」と会社で総力を挙げて必死で叩いて埃を出させようとします。会社は人間をやめさせようと思ったらとことん冷たくなれるし、平気でパワハラもします。
嫌なことを我慢していても、会社が首を切りたくなったらあっさり切り捨てます。
それが会社です。
だから、会社がいつまた私を追い出そうとしても
「どうか切らないでください…生活できなくなってしまいます…」と靴を舐めるようなことはしないでいいようになっていなくてはいけません。
そんな状況を回避するためには何をすべきか?
それは『収入源を分散し複数確保する』ことです。
会社に支配されない働き方を実現するためには、複数の収入減を確保しておき、1本の収入パイプが潰れても他のパイプで収入が得られる状況にしておくことが重要です。
私の場合、働きながら専門学校に行き、社会福祉士を取得しました。
多くの国内の会社は副業禁止を謳っていますが、実は、法律的な観点からいえば、たとえ会社の就業規則において副業が禁じられていたとしても、法的な拘束力はもちません。
現行の憲法および、その付属法(民法や商法など)においては、特に会社員の副業を禁ずる旨の条文は定められていないのです。むしろ、会社側が就業規則をはじめとして組織内の規定によってスタッフの副業を全面的に禁ずることが、法律上許されないという見方が大勢となっています。
これは企業のスタッフといえど一個人であることに変わりはなく、企業とは雇用契約によって決められた時間に労務を提供することになっているわけですから、それ以外の時間は一人ひとりが自らの意思で自由に使えるのが当たり前だからです。
多くの企業にとって、副業を禁止している根拠は就業規則によるものですが、スタッフのプライベートタイムにまで介入し、その時間の活動に制限を設けることは法律上許されないというのが法律的観点からの見方です。
また、労働基準法などの労働関連法規にも、特に副業に関する規定はありません。個人が同時に複数の企業と雇用契約を結ぶことや、会社員として働きながら個人事業主としてビジネスをすることに対する規制は、本来は存在しないということです。
ただし、本業に明らかに悪影響を及ぼす場合や企業の信頼を失墜させかねない場合は、懲戒を受ける可能性があります。
引用:https://boxil.jp/mag/a3874/#3874-7
つまり、「有給休暇」というプライベートな時間に、何をしようと私の自由であり、副業を制限する法的拘束力はないわけですから、私が専門学校で得た知識をもとに個人的に活動する分には、何の制約もないといっていいでしょう。
私はこのような背景から、うまく有給休暇などの法定休暇をとりつつ、資格を活用してフリーランスとして仕事を持ちたいと考えています。
もう一つは、このブログ運営です。
自力で初めて、このクローズドな趣味の延長ともいえるブログをゼロから自分で調べて立ち上げたことは、私にとって大きな自信になりました。
自身が書いた記事で構成されたブログがGoogleアドセンスの審査を通過して、Webサイトの収益化には成功しました。まだ微々たるものではありますが、コツコツとお金を生むことができています。定期的なブログ更新を今後も継続していけば、月数万のプラスには近いうちになっていくでしょう。
このように、現在3本の収入源を確保しよう!ということで、動いており成果が上がってきています。
これが、私が実現したい複業型ワークスタイルです。
私は悔しかったんですよね。
会社から意味のない指示や命令をもらって、それに対して反論した時に上司に言われました。
「誰に飯食わしてもらっとんねん、って話やから、結局」
札束で顔を叩かれたような屈辱的な気持ちになりましたね。
確かに、私は会社から給料をもらう形で組織に雇用されている、被雇用者だ。
でも、金を払っているんだからつべこべ言ってないで言うこと聞け、3回まわってワンと言え、みたいなこと言われて言い返せない立場は嫌だな、と思いました。
こんど言われたときには、
「へー、別に私は別にかまいませんけど、ちゃんとした退職金を積んでくれるんなら、やめてやってもいいですよ?」
と返してやろうと思います。
そのためにも、日々精進して、絶対にフリーランスとして仕事ができるようにスキルアップしていきます。そしてゆくゆくは、フリーランスのほうを主軸にして、独立してやろう!と野望を持っています。
やろうと思えばできないことはない、そう思って、調子が出ないときは休みつつ、頑張っていきたいな、と思います。
今のご時世、懐は氷河期を迎えているんじゃないかというくらい冷え込んでいます。
だからこそできるだけいい評価をもらいたい。
だから人事評価の時期は特にストレスを感じますよね。
「成果を出しているのに思うように評価してもらえなくてつらい…」
「評価面談時にいつも書類を準備するけど、正直しんどい…どんなに頑張って作ったところで結局上司の主観じゃないか」
こんな声が聞こえてきそうです。(特に私の心から…笑)
今日は従来型の人事評価がいかに無意味で気にする必要がないか?を考えます。
#アドビ 調査、従業員の #人事評価 のやり方が時代遅れになっていることを示唆
上記のサイトにおいてAdobe社が以下のように報告しています。
アメリカで1,500人の会社員を対象に実施した調査「Performance Reviews Get a Failing Grade(パフォーマンスレビューに不合格判定)」によると、人事評価の多くは時代遅れで、多くの時間を費やなくてはならないストレスフルなものと認識されています。
調査では、従来型の人事評価が、従業員やマネージャーから、いかに非生産的で無意味だと思われているかを明らかにしています。
調査対象となった従業員の88%は、ランク付けや数値の評価をともなう文書によるレビューなど、体系的な従来型の人事評価を定期的に受けなければならないと答えています。そして、こうしたレビューが同僚間の競争を激化させ、人間関係上のストレスを増やしており、感情的なやりとりや退職にも繋がると回答しています。
従来型の人事評価は、特にマネージャーにとって時間の無駄
従来型の人事評価とAdobeの評価制度「check-in」の違い
Adobe社は、従来型の年次の人事評価早くから廃止した企業の一つであり、2012年には独自の評価制度となる「チェックイン(Check-in)」を導入しました。
この新しい制度では、従業員とマネージャーが常に対話を行い、その中で明確な目標を決め、何度もフィードバックし合いながら、キャリアアップについて話し合います。
従来型の年次の人事評価を廃止する前は、数値による評価、ランク付け、評価を文書化して提出する厳格な手続きを行っていましたが、「チェックイン」導入後、以前のプロセスで必要だったマネージャーの所要時間を最初の1年間で8万時間(フルタイム従業員40人分)削減しました。
従業員数が増加した現在、マネージャーが人事評価にかける時間を年10万時間以上削減していると推定しています。また、従業員に関しては、意欲、定着率が高まり、自らパフォーマンス管理ができるようになりました。
つまり、アメリカにおいて約70~80%の人が「年1回の人事評価は時間の無駄」と考えており、約60%の人が「仕事に対する影響はないか不必要だ」と考えているのです。
これは、日本においても同様ではないでしょうか。
一人の人間(マネージャー)によりその人の仕事内容を評価するのは、極めて難しい仕事だ、ということが大前提にあります。
人事評価によるランク付けや数値による評価は、同僚間の競争や感情的なやりとりを生み、ストレスの原因となると言われています。
従業員の半分以上が、人事評価によって同僚との競争が生まれた(57%)、直属の上司が気に入った部下をひいきする(61%)と答えている。
私は零細のベンチャー企業で新卒時代を過ごし、国内大手・東証一部上場企業の異業種に転職して、事業規模と事業領域の異なる二つの会社を経験しましたが、いずれも人事評価については平等とはいいがたいと感じました。
上記の調査の「ひいきすると客観的に感じている人が60%以上いる」という状況は、現在の日本における従来型人事評価制度にも当てはまると思われます。
とくに「忖度」を重んじる日本企業において「上司の俺に忠実に従う使い勝手のいい部下」を評価する短絡的思考の上司がアメリカよりも多くの割合存在すると推定され、適切にその機能を果たせていない可能性すらあります。
ここでひとつ、いかに人事制度にみる目がないかを示す事例を紹介します。
先輩のNさんは面倒見もよく、担当エリア全体を見る視座の高さもあり、尊敬すべき先輩の一人です。
しかし、このNさんは降格されました。
理由は「職責に見合ったパフォーマンスを発揮していない」「先輩社員として後輩に手本となる活動ができていない」でした。
両方とも上司(エリアマネージャー)の「見る目の無さ」からくる誤解であることに、私以外は気づくこともなく、また上司に意見することもなかったのです。
まず、「職責に見合ったパフォーマンスを発揮していない」ですが、これは上司が職責に合わせた仕事を差配していないからです。つまり、上司の過失です。パフォーマンスを発揮できるように適切な人員配置をするのが、マネージャーの役割ですが、その能力不足を部下に押しつけて責任逃れする典型的無能パターンの上司が陥りやすい思考です。
次に、「先輩社員として後輩に手本となる活動ができていない」ですが、できています。会社の『手本となる活動』の認識に問題があることと、手本となっている場面を上司が診ていないだけ、という2点で説明がつきます。
会社が求める『手本となる活動』は、「何でもいいから新製品を売ってくること」というユーザー目線ではない会社本位のものなので、「顧客満足度を一番に考えてエリアに貢献する活動をし、その延長線上に売上最大化を見込む」という尊敬すべきNさんの視点は会社の方針にそぐわず、理解できない人が多いという悲しい状況です。
そうした意味で少なくとも私には、社会貢献のあるべき姿を示しているという意味で、この上ない手本になっているし、それを上司が視野狭窄に陥っているため知らないだけなのです。
このように、上司は必ずしも社員を評価できるほど有能ではありません。
それは上司も人間なので仕方のないことですし、人としての成熟度にも違いがあって当然です。
なぜそのような不適格な人間がマネージャー層に昇格してしまったか、といえば、前述の通り、「『上司の俺に忠実に従う使い勝手のいい部下』を評価する短絡的思考の上司」がマネージャーの器がないゴマすりしか巧くない人物を、無理やり引き上げてしまったからです。
つまり、人事評価すべき人間が評価する能力に乏しいため、社内評価には全くと言っていいほど信憑性とその意義が失われてしまったのです。
見る目がない人の評価を気にしてビクビクする必要はありません。
逆に、そのような器の小さい人間の顔色をうかがってユーザーを蔑ろにしてはいけません。
私たちはユーザーを通じて社会に貢献するために、仕事をしているのです。社内の権力争いやマウントの取り合いなどにかまけて優秀な貴方の心が顧客から心が離れてしまっては、それこそ社会的損失です。
上司の顔色をうかがっていても自分の為にも会社の為にも、社会の為にもなりません。
だから、気にするのはもうやめましょう。
それにどのみちそんな無能が昇進するような会社は、これから社員も金も離れていきますから、これから自分が別の会社で活躍するためにもスキルを磨いて社会貢献度を高めておきましょう。
そうして能力を伸ばしていれば、ちゃんとあなたのことを評価してくれる会社と巡り合うこともあるでしょう。
社員に諦められる将来性のない会社のために、あなたの貴重な時間をつかうことはありません。
気を楽にして、建設的な働き方をしていきましょう!