【メンタル】生きるのが楽になる!コミュニケーションの2つの大原則(山田玲司)

この内容がすごく大事だったので、文章にまとめてみる。

コミュニケーションからは逃げられない

私はASDの特性からか、他人と話すのを苦痛に感じることが多い。

というか、他人に関わるのが結構しんどい。

そういうタイプなので、できればコミュニケーションを避けて生きていきたかった。

それこそ幼稚園の頃などは、とにかく幼稚園が好きではなかった。

なんでこんなよくわからない他人と一緒の空間にいないといけないんだろう…そう思って行きたくないと親に言い、着せられた服を脱いだりしたが、無駄な抵抗だった。

無慈悲にもバスは毎朝きて、暗澹たる気持ちでゆられていた白黒の世界を思い出す。

帰るときは嬉しかった。

何故かヤクルトを飲んでから帰るという風習がある幼稚園で、ヤクルトが配られるときは希望に満ち溢れていた。

やっと帰れる!このくそみたいな空間から、自分の居場所である自宅に帰れる!

そう思って幼稚園にいる時間のなかで、唯一ウキウキした。

小学校も嫌だった。

次第に、この変な集まりには絶対に参加しなくてはならない社会のルールなのだと理解した。

深く絶望した。

他人は必ず存在して、うまく付き合っていかなくてはいけない。

そういうことなのだと悟った。諦めた。

そこから私の戦いははじまった。

とにかく他人を模倣して、馴染むように徹底的に努力した。

偽りの関係しか結べない、偽りの人間関係だったが、徐々にコツがつかめてきて、周りから迫害されることはなくなった。

しかし、相変わらず空虚で、接すれば接するほど病んでいった。

もっとうまくやらないといけない。

そうしないと社会で生きていけない。

その危機感はあった。

だから、向いていない営業を仕事に選んだのだろう。

ほぼ無意識に、この欠点を補修工事しないことには、人間らしく生きていくことが不可能だと思っていたようだ。

そして地獄のような社会人生活がはじまった。

「空気を読め」「ちょっと想像すればわかるだろ」「相手の立場に立て」

意味不明だった。

今までは勉強とスポーツができていれば、ある程度の処世術になったが、社会人はそうはいかなかった。

より高度なコミュニケーションを要する社会人生活で、私は完全に挫折した。

アルコールで何とか不安をかき消し、頑張り続けた結果、うつになりアルコール依存症になり、ボロボロになった。

そんな私は今、ある程度人との関わりを前向きにとらえることができるようになった。

それは、私の病巣の根本に欠けていた「自己受容」を成し得たからだと思う。

ASD・ADHDである自分。アダルトチルドレンである自分。

生きづらさを生む根本的な他人との違いを、問題として認識し、受け容れ、それでも自分には価値があると思えたこと。

それにより「他人に合わせなくてはならない」「うまくやらないといけない」という呪いを祓った。

自分を認めることは、他人を認めることに繋がった。

違ってもいい、間違ってもいい、だから自分も他人も許せる。

そういう到達点にあって、山田玲司先生のおっしゃることは真理だと思った。

コミュニケーションの大原則①

「人は変えられない」

相手のためを思ってって言いながら

相手を自分の意のままにコントロールしようとするというのは

近代の病です。

そして人間の傲慢なんですよ。

とんでもない傲慢で 己を知らない

無知の知ってやつですよ。

自分が無知であることが分かってないから

自分が言ってることが正しいと信じて

相手をその考えのもとで変えようとしている。

私の親は、私を変えようとしたがった。

私が一人で居ようとすると、無理にでも友達と遊ばせようと外に追い出した。

私が他の子と違うと、悲しげな表情で「なんで他の子と同じようにできないの?」と聞いた。

違うんだからしかたないじゃないか。

そう思っても、そう言っても、違和感があってはダメだと言われた。

これはとてつもなく強い呪いとして、私の幼い心に冷たい楔を打ち込んだ。

「ちあきのためを思って、言っているのよ」

と何度言われたことか。

私のためを思うなら、私のありのままを受け容れてくれさえすればよかった。

最も私を肯定してくれるはずの両親が、私が私のままでいたらダメだと言われたら、立つ瀬がない。もうどこにも居場所がない。

親は、親自身の考えが正しいと信じ込んでいるとき、子どもを否定する。

自分たちのほうが正しいと思い込んで、それを刷り込もうとする。

何と傲慢なことだろう。

子どもだって一人の尊厳ある人間であり、その瞬間に感じることは、その子にとってのゆるぎない真実だ。それを否定してはいけない。そんな権利は、親にも、世界中の誰にもありはしない。

結局、私は私のままだった。全力で偽装と模倣はしたが、本質は変わらない。

人は他人が変えるものではなく、自ら変わろうとするときに変わるものだ。他人が変えようとすることは、そもそも不可能なのだ。

なのに、親は自分の子どもを「教育できる」「育てられる」と思っている。

自分の分身のように勘違いしているので、そういう発想になるのだと思う。

そうやって子供を自分の持ち物のように扱っていると、私のように病んだ子供になる。

まずは、自分が正しい、という思い込みを捨てること。

正しいことなんて、この世にありはしない。正しいように見えるだけで、本人が信じる世界が、そのすべてだ。それを書き換えようとするのは、人権侵害であり越権行為だ。

そして、影響を及ぼせるのは自分だけで、自分すらままならない、という事実を受け容れること。

まして、他人をや、である。

自分で自分をコントロールできる、ということすら、傲慢な思い込みで、そんなことはできはしない。

人間というのは、ありとあらゆるこの世のすべてから影響を受けていて、その一部でしかない。

木の葉が木の幹に逆らうことができないように、木の葉の栄養なしに木の幹が太くなることができないように、全は一、一は全である。

コミュニケーションの大原則②

「デスノート禁止」

自分内憲法によって相手を裁くのが、デスノート理論です。

(自分のなかの)「許せない」が多い人ほど不幸な人生になる。

自分憲法をやめて、自分美学にしなよ。

小さい頃から思い知ってきた。自分と他人とは違う、ということを。

価値観も違う。背丈や見た目も違う。育ってきた環境も、目指している場所も違う。

譲れないことも、許せることも違う。

他人とは、別の宇宙で生きているようなものだ。

同じ空間、同じ世界で生きているようで、心が通うように錯覚することはあれど、それぞれの精神世界は完全にシンクロすることはない。

違って元々。そしてそれぞれが美しくて元々。

私は自分の世界を否定されて育ったので、自分の世界を憎み、他人の世界をもっと憎んでいた。

「そんなにお前らが正しいって言うんなら、どんなに素晴らしいもんか見せてみろや」

と思っていた。

否定する気満々なので、見るものすべてが不快で、欠点ばかりに思えた。

それを心のなかで否定するにとどまらず、対外的に攻撃性として内包し続けた。

それを他人に直接ぶつけられないので、反転して自分に殺意が向いた。アルコールを過剰摂取していたようなもの。自傷したり、過食や拒食に陥る人も、同じような感覚なのかな、と思う。

私は私のなかで、他人を決して許しはしなかった。

虐めた人間はフルネームで覚えていて、どこかで会ったらいつか復讐してやろうと思っていたし、何か気に入らないことを言った人間のことを繰り返し思い出していた。

心のなかのデスノートは、たくさんの名前でいっぱいだった。

恨みを抱えて、誰も許せない。「許せない」が飽和状態になり、心を埋め尽くす。

それはそれは生きるのが辛かった。なんてしんどいんだろうと思った。

こんなに嫌な世の中、早く寿命がきて終わりにならないかな、いっそのこと終わらせてしまおうか。

そんな風に思って生きていた。

外への攻撃性を自分に向けた結果、自暴自棄になる。

そのまま外に攻撃性を向けた場合は、わかりやすく逮捕される。

それだけの違いだと思う。

つまり、自分の世界を認めさえすれば、他人の世界も許容できる。お互い様だから。

自分の世界を他人に否定され続けて、自分自身も否定するようになると、苦しくなる。

他人は、親も含めて、否定して当たり前だった。違う宇宙だから。

それを私に押し付けたことは、彼らの罪だが、それは彼らもそうされて育ってきた呪いを継承したに過ぎないのだろう。

だから私は親を許すことができた。彼らもまた被害者だから。

ただ、同じ呪いを受け継ぐつもりはないので、私は私をありのまま受け容れる決心をした。

そして私の世界を、他人に押し付けることをしないと誓った。

とはいえ、なかなか難しいもので、他人が私の世界を否定して変えてやろうと干渉してきたとき、境界線を越えてきたことへの怒りでついつい反撃したくなる。

そういうときは「この人は今なお、受け継いだ呪いに苦しんでいるんだな」と思うことだ。

ガンディーは狂信的なヒンズー教原理主義者の凶弾に倒れ暗殺されるとき、薄れゆく意識のなか、自らの額に手を当てた。

これはイスラム教で「あなたを許す」というジェスチャーだった。

つまり、彼は自分の命を奪いにきた相手にすら「それでもあなたを許そう」と思える偉大な人だった。

私はまだまだそんな域には達することはできないが、これが一つの解答だと思う。

まとめ

①変えられない自分を含めて、人は変わらないということを、それでいいんだと受け容れる。

②心のなかのデスノートを抱えて生きるより、自分も他人も許して生きていくほうが、楽しいし幸せだと理解する。

このふたつで、人生は、今までよりはるかに生きやすくなると思う。

私は遙かに楽になった。生きやすいし、毎日が楽しい。

心の大部分を占めていた怒りや恨みを手放すと、心のなかにゆとりができる。

それではじめて、世界の美しさや自分の心の声が視えてくる。それなしには、自分の世界を愛することなどできはしない。「他人」という負の意識に埋め尽くされているうちは、己を理解しようと耳を澄ます余裕すらないのだから。

仕事においては、呪いを背負いまくっている自称エリートの病人たちが同僚なので、度重なる過干渉に辟易とすることはある。

というか、この世の中はそんな病人ばかりだ。社会そのものの病み方がもはや末期的。そりゃしかたない、この人たち一人一人のせいじゃないよな、と同情する。

しかしまあ、それも含めて変えることはできないし、私の仕事ではない。私は私をご機嫌にすることが唯一他人ができる事なので、「御気の毒様」と思ってあまり触らず流している。流せるようになったのは、成長の証だ。

彼らからしたら「なんでいうことを聞かないんだ」「私が正しい、あんなのはダメだ」と心底受け入れがたいかもしれないが、申し訳ないけど私のなかで違うものは違う。違っていいと思うし、他人が違う世界の理で生きていてもいいと思う。私に押し付けさえしなければ。まあ押し付けてしまう気持ちも分かるので、それも含めて、彼らが思うように生きたらいいと思うよ。

私の世界を受け容れられないのは彼らの心の問題であって、私は私で生きていくほかない。それでベストだから、もうどうしようもない。あきらめてほしい。(笑)

なんだか、そういう最近よく感じることに重なる動画だったので、とても感慨深かった。

参考:冒頭にご紹介したまとめ動画の元動画はこちら↓

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