【依存症】私を許さないでいてくれて、ありがとう。

私の酒害について、今日新たな気づきを得たので、棚卸しします。

「偽りの謝罪をぶつけて、相手から『許し』を強奪しようとしたことも、酒害の一種だったんだな」という気づきを得ました。

私はまだ断酒していない時期や、やめてすぐ(断酒から6ヵ月に満たない)の時期、自分が罪悪感から楽になるために、許してもらって楽になりたくて、よく偽りの謝罪をしました。

相手が許してくれないことに憤慨して「こんなに謝ってるのに許してくれない相手が悪い」「他にどうしろというんだ」などという気持ちを持ちました。

荒れ狂いました。

本当に、自分のことしか考えていなかったと思います。相手がどんな気持ちだったか、自分が何をしたのか、そういう事実にまだちゃんと想像が及んでいませんでした。

とにかく苦しいから罪悪感を取り払いたくて顔色を窺いながら謝りました。「もうわかったよ」「今回だけだよ」そんな言葉を期待して、引き出そうとしていただけでした。

つまり、あれは謝罪ではありませんでした。

自分が楽になるために相手をコントロールしようとしていました。

償うことができないなら、謝る意味がない、と考えていました。『自分にとって』意味がないからです。許してくれないなら、謝ることは無駄だと思っていたのです。

それは、私が相手のことではなく、自分のことだけを考えていたことの証明です。

そして、そういう私の謝罪は、軒並み受け取られませんでした。

私は、今は、それを感謝しています。もし偽りの謝罪で許された気になっていたら、また同じことをして、他人を傷つけて、その埋め合わせをしないまま、また自分のためだけに許しを引き出そうと偽りの謝罪をしたことでしょう。それを繰り返していたことでしょう。

受け取ってもらえないから、必死で考えたのです。

なぜ許されないのか。

何をしたからなのか。

答えは明白でした。

酒でした。

「酒を飲んでいる限り、誰に何を言っても、話を聞いてもらうことすらできないんだ。酒を飲んでいる自分は、とにかくダメなんだ。それに、酒をただ飲まないだけじゃなく、何が原因で私はこんなに酒に狂ったのかを、真正面から見据えて考え続けなければダメなんだ。」

これに気づくためには、私には許してほしい相手にことごとく拒絶されることが必要でした。

謝罪すら言わせてもらえないことが、必要でした。

今更、もう全てが遅い。許してもらうことなんて期待できない。でも、それでも謝る意味は何なのか?そう考えてはじめて、私が相手に謝罪する意味が見えてきました。

自分の保身や安心のためだけではない、他人の心の傷の埋め合わせのために謝罪をするべきでした。

私は、受け取られずとも、出来ることならしたいと思いました。

なぜなら、これからは自分の気持ちを大事にしたいし、それと同じように他人の気持ちを大事にしたいからです。

振り返ってみて、そう思えたのは、周りが率直に飲酒している私を忌み嫌ったからでした。

爪弾きにし、無視するようになって、様々なものを実際にポロポロと手から零れ落ちる『現実』を、真っ直ぐ与えてくれたからでした。

ステップ8をやっていて、やっと今、そういう気持ちです。

私は感謝します。

私の飲酒を、酒害を、偽りの謝罪を、拒絶してくださり、ありがとうございました。

あなた方には、許したことにして私に対して貸しを作り、何か不都合なことがあった際に持ち出して「あなたをあのとき許してやったのに」と私を黙らせ、従わせることができました。つまり、恩を着せて私をコントロールする共依存的な選択肢もありました。

そうすれば、私を支配下に置いて、優位に事を進めることができました。その方が、その瞬間は得をするし楽だったかもしれません。

この選択肢は、私の回復はもちろん、あなた方自身の回復にも陰を落とさせる道につながります。だから、その道を選ばないでいてくれてありがとう、と言いたい。

私なんかには言いにくいであろう、拒絶の言葉を与えてくれて、ありがとうございました。私はそのおかげで、現実を知るチャンスを頂きました。

私を許さないでいてくれて、ありがとう。

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