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【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ③(セロトニン・オキシトシン・エストロゲン)

こんにちは、ちあき です。

ホルモンのトリセツシリーズ第3回ですね。

前回の【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ②(グレリン・インクレチン・副腎ホルモン)の続きです。

今日は、満足感が持てるホルモン「セロトニン」、愛情のホルモン「オキシトシン」、心身がアクティブになる「エストロゲン」を紹介します。そして、ホルモンを役立てるために日常でできる事を解説していきます。

 

セロトニン…満足感が持てるホルモン

分泌される部位:腸・脳

働く場所:腸・脳

セロトニンは、心身を安定させ、現状に満足感を与えてくれるホルモンです。

体内にアミノ酸の一種であるトリプトファンという栄養素を取り入れることで合成される物質です。
トリプトファンが腸から取り込まれると、血液の中を循環し、腸や脳などにあるトリプトファン水酸化酵素という酵素をもった細胞によって合成されます。腸で分泌されたセロトニンは基本的に腸で働きますが、腸と脳はお互いに影響しあっているため(腸脳相関)、腸で働いているセロトニンの情報が脳にもフィードバックされると考えられています。
トリプトファンは、和食であれば、豆腐や納豆、味噌、醤油などの大豆製品、洋食であれば、チーズやヨーグルトなどの乳製品に多く含まれています。特に、バナナにはトリプトファンが多く含まれます。さらにセロトニンを生成するのに必要な炭水化物やビタミンB6もバランスよく含まれています。
ただし、そのほかにもあらゆる食材に含まれており、偏食しなければ摂取できるので、それほど意識をする必要はありません。
逆に、普段の食事以外にサプリなどでトリプトファンを過剰に摂取することにより、発熱や痙攣など副作用が出る可能性があるため、過剰摂取は危険です。
自然に、バランスよく、
トリプトファン + ビタミンB6 + 炭水化物
を摂取していれば、原材料は十分調達できています。
もうひとつ必要な原材料は、実は太陽の光。
朝はなるべく同じ時間に起床し、太陽の光を浴びることが重要です。

 

 

セロトニンは男性よりも女性のほうが分泌量は少ないということが確認されています。「女性のほうが情緒不安定になりやすい」という説はこのエビデンスから言われ始めたようです。(個人的にはこのエビデンスはあまり信用していません。何故なら私が妻より情緒不安定だからです。)

またセロトニンは「強迫性障害」と「うつ病」に共通して欠乏する神経伝達物質です。

 

 

☆日常生活でできる事

・早寝早起 決まった時間に起きる
・毎朝太陽の光を浴びる
・リズム運動(ジョギング ウォーキング ガムを噛む)
・グルーミング スキンシップ
・感動する(どんな小さなことでもOK)
自然にバランスよく、バナナ・大豆製品・乳製品などを摂取し、
トリプトファン + ビタミンB6 + 炭水化物 で食物原料をそろえる。

 

 

オキシトシン…安心や幸福を感じるホルモン

分泌される部位:下垂体

働く場所:子宮・乳腺・脳

人と会って共感したり話をしたり触れ合ったりする「社会的接触」は内因性オピオイド(中枢神経や末梢神経に存在するオピオイド受容体への結合を介してモルヒネに類似した作用を示す物質の総称)=いわゆる「脳内麻薬」を分泌させます。
内因性オピオイドは体内で作られ、生理的状況あるいは生体に危機が迫ったときにも放出される物質ですが、種類としては、エンドルフィン、エンケファリン、ダイノルフィン、エンドモルフィン等があります。
エンドルフィンは、ランナーズハイの状態で分泌される代表的な脳内麻薬として有名ですね。
ランナーズハイ(runner’s high)とは、人が長時間の走行中に経験する陶酔感や恍惚感です。
マラソンやジョギングを行うと通常、次第に苦しさが増してきますが、それを我慢し走り続けるとある時点から逆に快感・恍惚感が生じることがあります。この状態をランナーズハイと呼びます。
多くの検証実験から、この状態においては脳内にα波とモルヒネ同様の効果があるβ-エンドルフィンに満たされていることが判明しています。βエンドルフィンの増大が麻薬作用と同様の効果を人体にもたらすことで起こるとされていますが、運動中にβ-エンドルフィンがどう働くかのメカニズムは解明されていないのが現状です[1][2]
なので、マラソン好きの人のことは、健康的というよりエンドルフィン・ジャンキーだと思ってみていて、街をものすごいスピードで走る人を見かけると「おう!今日も脳内麻薬キメて元気にラリってんなー!!」って思ってなんかアル中としては勝手に親近感を持ってしまいます。

オキシトシンは、長期的なこの内因性オピオイド(エンドルフィンなど)の分泌を促し報酬効果を増強する作用があるといわれています。また、オキシトシンはストレスホルモン(コルチコステロイド)を抑制する作用もあります。

つまり、ずっと幸せに生きるための脳内麻薬の効きを良くしてくれてストレスを感じにくくしてくれる、安心と幸せのホルモンなのです。

詳しくは【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ①(ホルモンと神経伝達物質の違い)の「例えば、オキシトシンってどんな働きをするの?」の段落をご覧ください。
☆日常生活でできる事
・人と社会的接触をもつことが大切です。
他者と強い絆を形成し、社会的接触を持つことは強力な報酬効果をもたらし、社会的親和関係構築へのさらなるモチベーションを生じさせることが考えられます。
アルコール依存症やその他の精神疾患の「自助グループ」で悩みを共有することは、脳内ホルモンの観点からも有効であると考えられます。
・また、人やペットなどと触れ合うスキンシップ『グルーミング』がおすすめです。グルーミングを行うと、オキシトシンが分泌されます。特に視線を合わせてくれるとさらに好影響が期待できるとされています。
(実は、オキシトシンは先ほどのセロトニンの分泌を誘発する働きがあるため、オキシトシンが増えるとセロトニンが増える。)

エストロゲン…心身がアクティブになるホルモン

分泌される部位:卵巣

働く場所:全身

女性ホルモンと呼ばれるものには、男性を追い求める”攻め”のエストロゲンと、妊娠出産を成立させようとする”守り”のプロゲステロンの2つがあります。

なかでもエストロゲンは肌の美しさや心身のアクティブさに関わり、艶のある女性はエストロゲンの分泌量が多いとされています。女性ホルモンはどんなに美しい人でも等しく加齢とともに減少する運命にあるので、減少スピードを緩めるアプローチが大切です。

 

☆日常生活でできる事

スキンケアやマッサージで日常的に皮膚を刺激することが重要です。

それが女性ホルモンの活性化につながります。エストロゲンの一部は皮膚や脂肪の細胞でも分泌されたり働いたりしているからです。そのため、女性ホルモンの分泌量は肌の美しさに比例するという恐ろしいデータが存在します。

 

 

 

 

今回でホルモン特集は終了ですが、いかがでしたか?

ホルモンとうまく付き合いながら「自分らしく」生きていきたいものです。

ではまた!

【依存症】「人は生きているだけで価値がある」のは、なぜか?

こんにちは、ちあき です。

今日は久々に断酒会でした。浄化されました。やはり自助グループは良い…。マンダム。

最近、「自助グループと他の人間関係はなぜこうも違うんだろう?」と不思議に思っていました。受け容れられる話とそうでない話ってなんなんだろ?と思いながら断酒会で話を聞いていると「自己開示」がキーワードだと気づいたので、少しまとめてみました。

 

自己肯定感の低い私たち

私たち依存症者は、なかなか他人を信じられません。

 

今までありのままを受け容れてもらえなかった恨みの歴史から自己肯定感が低いのか、自分の決定や思考に自信がないから理論に頼る傾向にあります。

というか、私がそんな感じです。

他のみんなも割と著書や著名な精神科医の講演内容などを引用して、やたらと他人の話が本当に自分が納得できるものなのかどうか、を石橋を叩いて渡るように慎重に吟味します。

 

AC(アダルトチルドレン)などは結果を出さなくては愛されないという不安感から、親や依存関係にある他人の指示や願いに従って生きてきた人もいます。

結果、心の満たされなさを抱え、ある種の憎しみを抱え続けています。

他人の反応が気になるくせに、他人を信用できないので素直に言葉通り受け取ることに抵抗感があります。

 

今日も私が「このシーズンにスリップして妻に嘘を吐いたことを思い出す。今、働きながら専門学校に行っていて、知らないことを知るのはとても勉強になる」という話をしましたが、メンバーの反応は様々でした。

 

ある人は「私はそんなに日は経っていないが飲酒欲求もなくちゃんと働いている」と私を見ながら肩をいからせ鼻の穴を拡げて言っていました。おそらく「スリップした」という部分でマウントをとり、断酒期間の短さに対する自信の無さを隠したい心がうかがえました。

 

ある人は「私はスリップもせず、ほぼ毎回参加して5年間止められている」と私をチラチラ見ながら言っていました。「年数は長くスリップはしていない」という点でマウントをとりつつ、仕事をしていないという自身の焦りや不安を見て見ぬ振りしたいという心が見え隠れしていました。

 

事実は事実。

事実に意味を与えるのは、やはり自分自身であって、他人を信じたくても信じられないときは、私自身の心に恐れや不安があることから目を背けたいときなのだと思います。

 

 

「北風と太陽」の太陽で在るための条件

安心して接することができるひとは「自分の弱さや失敗を公表している人」だよね、という話を、今日一緒に返った断酒会の先輩と話していました。

同じように苦しんでいる「当事者」ということが分かれば、固く閉ざしていた心が開かれるのだと。

その大先輩は、ご経験をブログに書いてよいか?と打診したら、快く了承してくれたので、少し踏み込んで書いてみたいと思います。

(Kさんありがとうございます。)

 

 

Kさんはいつもご夫婦で断酒会に参加しています。

 

私はKさんご夫妻で断酒して20年以上(!)になるお二人に、絶望的な気持ちで参加した初の断酒会で見かけて、一筋の光明をみました。

 

なぜなら、Kさんは仕事ではトラブルを起こしまくり、奥さんに暴力を振るっていた、「ゴミくずのような人間」と本人をして言わしめる真っ暗闇の過去があったからです。

 

仕事で頭にきた棟梁を殴り倒して現場を1日で辞めたこと、

仕事先で殴り合いになって刑務所に入ったこと、

お互いに憎みあう間柄の宿敵と刃物で刺しあい、殺し殺される寸前までいったこと、

言い争いになり包丁で奥さんを刺したことがあること、

ろっ骨が折れるほど殴ったこと、

髪の毛をもって引き摺り頭皮が剥がれて血が天井まで吹いたこと、

それらのDVの酷さを見かねた近所の若い男衆に5~6人で寄ってたかってボコボコにされ死にそうになったこと。

 

奥さんは、

腰紐で何度も寝ているKさんを殺して自分も死のうと思ったけど手が震えてできなかったこと、

「おかえり」といっただけで殴られて顔が腫れあがり泣きながらパジャマと裸足で数キロ先の実家に逃げたこと、

知り合いの家の奥さんがアルコール依存症の旦那さんと離婚したらその数日後に自殺しているのが発見されたこと、それを聞いて離婚だけはできないと思いとどまったこと。

 

これらヘビーな話を爽やかに話すKさん夫婦の酒害体験を聞いて、当時離婚もあるかもしれないと思っていた妻と、何をしても酒を断てず自分の力ではどうにもならなかったことを認めざるをえない絶望感に打ちひしがれていた私は、それぞれに「もう一度がんばってみよう」と心の中で思ったのでした。

そのおかげで今があります。

 

「当事者」が、耳の痛い正論にたどり着くまでに、いかに苦しみ試行錯誤して、その正論にたどりついたのか、「失敗の歴史」を知ると、自分は他人から責められているのではないから、安心して聞いていいんだ、この人の話を素直に受け容れていいんだ、と自分に許可が出せる気がします。

 

Kさんが毎朝毎晩仕事をしながら寺に通い何年も座禅を組み続けたことや、今ご高齢になり床に臥せている奥さんが「もっとあんたが早いときに酒をやめてくれれば…」と声を押し殺して泣いている夜に、仏間でひとり悔しくて悔しくて噛んだ唇が切れて血が滲んだことを知っているから、私はKさんがどんなに厳しいことを感じて辛い事実を話されたとしても、受け容れられるかもしれない、と思います。

 

私は、Kさんの過去の過ちと弱さを、それを話せることを、尊敬しているから。

 

正論の先にすがる未来がなくては、自己肯定感が低い人は正論そのものには反発すると思います。

自己肯定感が低いまま、正論にそぐわない自分を何のよすがもなく認めるということは、今までの在り方や存在自体が否定され責められているような感覚になるので、受け容れる事は自身の死を意味するからです。だから、恐ろしくてたまらないので、なかなかできない。それは自然なことです。悪いことではない。

 

要するに「北風を浴びせるだけ」では、結局心が開かれず、当事者は救われないということなんだと思います。

 

過去の過ちや弱さを吐露する後姿は、尊敬の念で輝いて見えます。太陽の温かさに似ています。

正論だけをただ暴力的なまでにぶつける姿は暗く重く、北風を吹きつける暗雲に似ています。

 

太陽であることで、聞く人の心が開かれ、メッセージが伝わり、当事者に救われてほしいという祈りを実現し、生きる目的を達成することできるのではないでしょうか。

 

目的を見失い、手段に依存してはいけません。

 

人類が歴史から学び科学技術によりエビデンスを積み上げてきた論理的に正しい「正論」は、重要ではありますが、手段でしかありません。

 

せっかく酒を抜いたのに、今度は「強い言葉を使う」という行為に酔って依存しているのです。

 

他ならぬ自分と大切な人を救うための、正論であり太陽であることを忘れてはいけません。

 

 

 

私は正しさにこだわる北風だ、という反省

私はどうだったか?といえば、最近は北風ばかり吹かせていたのではないか、と反省しきりです。

 

正しいことは優しいこととイコールではない。

 

ここは私がもっとも反省すべきところです。

 

Kさんは「これは正しくないかもしれない」と苦悩しながら、定期的に手紙をくれました。

これが参考になったと断酒にまつわる新聞記事の切り抜きをくれました。

 

それは、自らの家庭内暴力のせいでもう子供も望めず、親兄弟もすでに死んでしまい、何も残せないと語るKさんにとって慰めのひとつだったし、過去の自分たちを見ているようで居た堪れないからついやってしまった「余計なお世話」かもしれない、とKさん自身は言います。

 

しかし、それがどれほど優しく勇気のある行いだったか、酒を断っている今になってようやくわかります。

もらい始めた当時は、「なんでこんなの送ってくるんだろう、飲んでいると疑っているのかな?」とか「自分が止められているからって偉そうに…」って思ってました。

 

私は自信がなかった。自信がないから、正しいことにこだわってきたのだと気づきました。

 

そして今も、正しいことを伝えるだけで、他人にいい影響があるだろう、と思っていました。

 

それは、少し違うかもしれません。

弱さや失敗を露呈した人に、ただ「こうすればよい」と正論をぶつけるのは攻撃であって、救う(間違いに気づいてもらう)ためという大義名分を振りかざして、最も主眼に置いていたのは、自分を守ることしか考えていなかったのだと思います。

それは正論に隠れて己の承認欲求を満たそうとするオナニーであり、自分のトラウマの解消のために他人を使っているということです。私の行いは、エゴでしかなかった。

 

正論にこだわる自分の性質が「自分に自信がもてないという不安感」が原因の一つで、その喪失感がモチベーションになっていると自覚しなくては、他人にマウントして犠牲にしていきているという意味では、そんな人間が関わらないほうが回復できるのでは、とすら思います。

過去の自分と同じように苦しんでいる人を食い物にするような人間には、最終的に社会も他人も自分自身も救えない。そう反省しています。

 

 

 

 

正しさは、愛とセット処方されて初めて効果が期待できる

率直に語っても、相手に攻撃ととられることもあります。今回の私の話のように。

 

他人は他人、自分は自分。

どう話を解釈するか、どう反応するか。他人の行動と思考は、最終的には実は完璧に何もコントロールできませんよね。

どんなに手を尽くしても、どんなに心を砕いても、ご家族がいくら手を尽くしても酒をやめなかったアルコール依存症患者のように、本人にしか、本人の人生はコントロールできません。

 

つまり、正しいことを言うだけで自己開示をしないということは「まだコントロールしようとしている」と言えます。

 

私自身がいま正しいと考えていることも「現時点で正しいと考えられる」だけで、不変の真理というわけではないし、絶対の正解などありえないのですから、精一杯言えるのは、『私はこうだと思うよ』ということだけです。

 

だからこそ、正しさは対象に対する愛を持って発せられて初めて、優しさに昇華する。

愛とはつまるところ、「『独りではない』と感じ孤独感を忘れられる行い」だと思います。

 

我々はお互いに完全にアンコントローラブルであり、だからこそ尊重できる関係だということです。すなわち、そうした「独立した権利ある存在」という立場で、私たちはみな『独りではない』と言える、という、『独りだけど、独りじゃない』我々の在り方を愛する、ということ。

 

安心できる過去の過ちと弱さの実体験を話すこと。

自己開示を否定されない経験。

ただ黙って自分の話に耳を傾けてくれる居場所。

 

それらは、言葉で「あなたはありのままでいいんだよ」と言うよりも、雄弁にその愛を語ります。言葉を信じないひとに最も伝わる愛は、「何も言わず耳を傾ける=失敗や反省を共有する自己開示を受け容れる姿勢」であると言えます。

参加する誰もが「私も当事者である」という立場が明らかになって「私はあなたを尊重している」というメッセージ性をもって、体験談は当事者それぞれの歴史・苦悩に語りかけます。

同じ立ち位置の人だと認識するからこそ心が開かれます。

 

「私は」という「Iメッセージ」で伝える大切さがここにあります。

Iメッセージには、私の心を尊重するのと同じようにあなたの心を尊重しているという裏のメッセージがこもっているから、頑なで偏屈な心理状態に陥っている私みたいな人も、素直に傾聴できるのだと思います。

 

だから、自助グループには、愛を感じられるのだと思います。当事者としての自身の苦しみや弱さを予め語ってくれた人の言葉には、愛を感じるのだと思います。

自助グループは「自己開示」を通じた相互の尊敬する心により人々を繋げ、「独りだけど、独りじゃない」を再現してくれます。

 

 

だから、私たちは「生きているだけで価値がある」

私は、これからも勇気をもって「自分の弱さや失敗」を公表し続けていきたい。

私は、「自己開示」と必ずセットにして、科学的根拠に基づいた「正しい情報=正論」を発信し続けていきたい。

それが、私がずっと探してきた愛がある優しい行動だと思うからです。

 

それが、私自身が最も愛を感じる人に共通することだと思っています。

「太陽」のように映る尊敬すべき仲間に共通するスタイルだと思います。

 

Kさんは私にとって太陽なのですが、そんなKさんから今日帰り道にこんなことを言われました。

 

K「ちあきさん。私は、あなたの顔が見たくてきたんです。そのやわらかい笑顔で率直に自分のことを内省し振り返り、隠さずに話す姿に、私たちふたりはいつも勇気をもらっているんです。」

 

私は恐縮して「そんなまた嘘でしょう、そんなに立派なもんじゃないですよ私は」と言いました。にわかには信じられない内容でした。

 

ち「私のほうこそお二人が初日にいてくれたから、今も断酒が続いているんですよ。私たちのほうこそ、Kさんご夫妻に生かされているようなものです。」

 

K「そんなまた嘘でしょう、そんなに立派なもんじゃないですよ私は」

 

K・ち「え?」

 

みたいな会話があって、Kさんも私も顔を見合わせて笑ってしまいました。

自分のことですら、他人の視点とは、こんなにも違う見え方をしているものなのでしょうか。

 

私はそんな風に尊敬する人に思われているとは、露ほども想像できませんでしたし、

なんと驚くべきことにKさんも私がKさんを尊敬しているとは思ってすらいなかったのです!

 

私たちはただ、自分の公開や自分なりに考えてきた内省の結果を、お互い自分の言葉で懺悔してきただけだったのに。

ただそれだけのことが、正しさに関係なく、こんなにも他人を救っているのか。

そして、私たちはお互いにそんなにも自分や自分の行いを低く見積もっていたのか。

とても驚きました。

だって私は、もしKさん夫妻が亡くなってしまっても、死ぬまで忘れないでしょう。

苦しかった時期に手紙を受け取ったことを。

ただ弱さを吐露する私の姿に「勇気をもらっている」という素敵な笑顔を。

だから、「自分なんて大したことない」「何のとりえもない」と嘆いていても、真摯に自分を見つめて生きている姿は、見る人が見れば、結構マシな人間どころか尊敬できる人間にすら見えている可能性があります。

 

三森みさ先生の「だらしない夫じゃなくて依存症でした」の最終話の武田先輩(こんなに立派な人の足元にも及びませんが)に近いものがあると、ネットでこのブログに対して反響がありました。


私たちは失敗や過去の過ちを受け止め、弱さから目を逸らさないで素直に生きているだけで、人々にいい影響を与えているのです。無自覚に、無意識に。

だから、真剣に生きていさえすれば、人は「生きているだけで価値がある」のです。

 

私たちは自分が思っているより、生きているだけで他人に貢献していると知り、自己肯定感の低さを認識する出来事だなぁと思いました。


アルコール依存症ランキング

【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ②(グレリン・インクレチン・副腎ホルモン)

こんにちは、ちあき です。

思えばアルコール依存症になり、周囲から「不良品」として憐憫の目で見られているような気になり始めてから、私は自分を守るために、いろいろな医学的知識を学び、自分をカスタマイズしたいと思ってきたようです。

だから製薬会社に転職してから学ぶ医学薬学知識に興味は尽きなかったし、一生懸命学べたのでしょう。

それが少しでも何か役に立てばいいな。

そしてこれからは、対人における認知の歪みの観点から、己の内面にアプローチしていく必要がありそうです。

自分の虚栄心を満たすようなチンケな使い方ではなく、もっと優しい使い方をされていけばいいな、と思います。

はい、永い独り言でした。笑

 

前回の【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ①(ホルモンと神経伝達物質の違い)の続きです。

今日は、若々しくなれるホルモン「グレリン」と、食べ過ぎを防ぐホルモン「インクレチン」と、ストレス対抗ホルモン「副腎ホルモン」を紹介します。そして、ホルモンを役立てるために日常でできる事を解説していきます。

 

グレリン…若々しくなれるホルモン

分泌される部位:胃

働く場所:脳

老化とは細胞の機能が衰える事ですが、そのカギを握っているのが、細胞内でエネルギーを生み出しているミトコンドリアです。食欲を増強するホルモンのグレリンには、ミトコンドリアを元気にして増やす働きがあることが分かっています。ミトコンドリアを元気にすることは老化を防ぐポイントです。

グレリンが分泌されるのは、胃が空腹の状態だということが確認されています。少し前に南雲Drの1日1食ダイエットが話題になりましたが、これはあえて空腹になる→お腹がぐーっとなる→グレリン分泌→ミトコンドリア活性化・増加→全身の細胞が元気になりアンチエイジング、みたいなことをしているんだなーと思ってみていました。

心不全の患者さんの心臓リハビリテーションにおいても、細胞(厳密にはミトコンドリア)のオートファジーが誘導され自浄作用を発揮するため、細胞のクオリティを上げ品質管理ができる可能性があるということが、特に基礎研究を熱心に行ってきた循環器内科医の間で語られています。つまり、トレーニングをするとミトコンドリアがリニューアルされて若々しくなれる、ということですね。

 

☆日常生活でできる事
=常に何かを口にしているような生活を改め、できるだけ決まった時間に、空腹になってから食事をとるようにしましょう。お腹がグーっと鳴ったら「あ、グレリンが出て若返ってるな」とプラスにとるようにしましょう。

 

 

インクレチン…食べ過ぎを防ぐホルモン

分泌される部位:腸

働く場所:脳・胃・膵臓

栄養素の摂取により消化管から分泌されインスリン分泌を促進する消化管ホルモンは、総称して「インクレチン(incretin)」とよばれています。

主なインクレチンとしてGIP(gastric inhibitory polypeptide) と GLP-1(glucagon-like peptide-1)が存在します。

GLP-1とGIPとはいずれも血糖値依存的に膵臓のβ細胞からのインスリン分泌を促進します。

インスリンとは、食事により摂取した血中の糖分を取り込ませることによって、血糖値を下げる重要な役割を持つ、膵臓から出るホルモンです。

なので、インスリンが出ると、血液の中から糖を減らすために、どんどん筋肉や脂肪に糖分を取り込んでということです。生活習慣病として有名な2型糖尿病は、どんどん食べた糖分がインスリンで最初は筋肉や脂肪の中に取り込まれていくのですが、肥満になるとインスリンが効きにくくなってしまいます。効きにくくなるので膵臓はがんばってインスリンを出そうとします。しかしどんなに出しても効かないので、もうバテて諦めてしまいます。そうなると、インスリンが自分では分泌できなくなり、血液の中の糖はいつまでも血液の中を漂います。こうして血中の糖の濃度が高まった状態が、「2型糖尿病」で、神経が障害されて足が壊死したり、網膜が障害されて目が見えなくなったり、腎臓が障害されて人工透析になったりします。とても重症化した時の合併症がきっつい病気です。気を付けましょう。

GLP-1は胃の内容物排出速度を遅らせ、満腹感を助長することで食欲を抑制したり、食後の急峻な血糖上昇を抑制したりする作用があります。

一方GIPは脂肪細胞にそのGIP受容体が存在し、脂肪細胞への糖の取り込みを促進することで肥満を助長させます。

先ほどのグレリンが分泌された後、インクレチンが分泌される協調作用があるので、グレリンの分泌をよくすることも大事ですね。

☆日常生活でできる事
=グレリンの分泌をよくするために、空腹になってから食べましょう。そして腸内環境を整えましょう。インクレチンの分泌部位である腸の健康をが重要です。乳酸菌や発酵食品を積極的に摂取しましょう。腸内細菌のバランスを整えることでインクレチンを正常に分泌させて適量で食事を終えられる手助けを得られるようにしましょう。

 

副腎ホルモン(髄質・皮質)…ストレスに対抗する諸刃の剣

分泌される部位:副腎

働く場所:全身

副腎には皮質と髄質があり、それぞれ分泌するホルモンが異なります。

副腎(皮質):コルチゾール、アルドステロン

副腎(髄質):アドレナリン、ノルアドレナリン

様々な体の環境を動ける状態に整えてストレスに対抗するホルモンですが、これがずっと出続けると逆効果になる諸刃の剣です。
アドレナリンとノルアドレナリンは、ストレスに対処するために、「闘争 逃走 モード」にするホルモン。
逃げたり戦ったり体が最大限の働きをするように、心拍数を上げ、血圧を上昇させ、血を行き渡りやすくします。動くための酸素を体に届けられるようにするために。
そして、血管を収縮させます。攻撃により外傷を負っても血が出過ぎないように。
ストレスを感じた時に、どういう反応が体内で起こっているかというと、以下の図のようなフローになります。
体を稼働させるためのエネルギーの「糖」を血液に流し込みたいので、肝臓に指令を出し作らせたり、体のありとあらゆるところからエネルギー源を絞り出して血液に流します。
つまり、ストレスを感じ続けるということは、「交感神経優位になりっぱなし」+「アドレナリン ノルアドレナリン出っ放し」=「血圧が上がる!血糖値上がる!胸は高鳴る!やる気が出る!休まない!」が、ずっと維持され続けようとするわけです。
そんなのずっと続くわけがなく、いつか体も腎臓も疲れ切りますよね。

ストレスが過剰になり、これらのホルモンが大量に分泌されると、分泌する副腎はとっても疲れて疲労困憊状態になります。

副腎が疲れうまくホルモンを調節できなくなると、上記のような症状に見舞われます。
・やる気出ない
・血圧乱高下 朝起きられない 気分変わりやすい
・血糖乱高下 食べたあとめちゃ眠い
・免疫力低下
・うまく眠れない
☆日常生活でできる事
=たばこ・カフェイン・寝不足は副腎に負荷をかける要因になるので、適度が一番。できれば控えましょう。深呼吸・腹式呼吸・瞑想は副交感神経優位に体のバランスを意図的に傾ける作用があります。生活の中に無理なく取り入れ定期的に呼吸を整えられるといいですね。
今日は疲れたので、2つ。
あと5つあります。

【メンタル】知ってるつもりでよく知らない「ホルモン」のトリセツ①(ホルモンと神経伝達物質の違い)

こんにちは、ちあき です。

最初にお詫びしておきたいのが、この情報は何かの薬学系の雑誌で個人的に勉強していた時のメモなのですが、出典がわからず、引用元が記載できないものもございました。

申し訳ありません…。こういうのはメモっとかなきゃな…。

というわけで、知っているようでわかりにくい「ホルモン」と「神経伝達物質」について解説していきたいと思います。

 

ホルモンって?

ホルモンは種類によって、分泌される部位がいろいろ分かれています。

画像引用:東京女子医大学 高血圧・内分泌内科 患者さん向けHP

 

視床下部:ドーパミン

下垂体:成長ホルモン、オキシトシン

松果体:メラトニン

副甲状腺:副甲状腺ホルモン

胃:グレリン

副腎(皮質):コルチゾール、アルドステロン

副腎(髄質):アドレナリン、ノルアドレナリン

膵臓:インスリン

腸:インクレチン、セロトニン

卵巣:エストロゲン、プロゲステロン

精巣:テストステロン

 

ホルモンは、細胞から血管の中に放たれ(ホルモン分泌)、血管を通って全身を循環します。

ホルモンの種類には、蛋白質のもととなるアミノ酸が数個から100個以上つながった形のペプチドホルモン(成長ホルモン、インスリン、オキシトシン)、コレステロールを材料につくられるステロイドホルモン(副腎皮質ホルモン、エストロゲン、テストステロンなど)とアミノ酸のチロシンの誘導体であるアミン(甲状腺ホルモン、アドレナリン、ノルアドレナリン)があります。

引用:看護roo!ナースみんなのコミュニティ 標的細胞を刺激するホルモン|調整する(3)

 

神経伝達物質って?

神経伝達物質は、神経細胞間の領域であるシナプスにおいて情報伝達を介在する物質です。

神経伝達物質は大きくアミノ酸、ペプチド類、モノアミン類の3種類に分けられます。

神経細胞には神経伝達物質に対応する、アセチルコリン受容体、アドレナリン受容体、GABA受容体、ドーパミン受容体、セロトニン受容体などが存在し、受け取ることで活動電位が発生します。

神経細胞から放出される各種神経伝達物質のざっくりとした働きのイメージは下記の図の通りです。

引用:https://www.igaku.co.jp/pdf/1205_medicinal02.pdf

ノルアドレナリンやドーパミンはこのうちのモノアミン類に含まれます。

モノアミンは、アンモニアの水素原子を炭化水素基で置換した化合物であるアミンのうちで、アミノ基を一個だけ含むものを指します。ノルアドレナリンドーパミンセロトニンはいずれも非常に重要なモノアミン神経伝達物質です。

またオキシトシンはポリペプチド類で、中枢神経での神経伝達物質としての作用があります。

(引用:https://sankyobo.co.jp/dicdet.html)

 

この二つは何が違うの?

ここまで見て、あれ?とお気づきの方もいるかもしれませんが、先のホルモンの一覧の中には、神経伝達物質でもある、同じ名前がありますよね?

 

そう、「どこからどこに放出されるか」でホルモンと呼ばれたり、神経伝達物質と呼ばれたりするのだけで、同じ物質です。

「末梢組織から血液中に放出される」なら、ホルモン。(血液中を船で航海して遠くまで運ぶイメージ)

「神経細胞からシナプス間隙に放出される」なら、神経伝達物質。(神経細胞をA駅から近場のB駅まで快速電車で手紙を送るイメージ)

どちらも「細胞間情報伝達物質」というのが、最も誤解のない共通の呼び方だと言えます。

神経細胞の軸索から同じ物質が放出されたとしても、シナプスで放出された場合は神経伝達物質という括りになり、血液に放出された場合は、ホルモンという括りになったりします。

神経伝達物質の多くとホルモンと化学的特性としては、実はほぼ同じものなのです。

ですので、特にピンク色の物質については、どちらのほうが早いとかどちらのほうが遅いとか、そんな違いはありません。

だって、どこに放出されるかが違うだけで、神経にも血液にも流れる、同じ化学物質だからです。

 

引用:https://www.kango-roo.com/sn/k/view/1709

 

例えば、オキシトシンってどんな働きをするの?

オキシトシンは、情動に関するホルモンとして大変重要な働きをしています。

J-stageで「オキシトシン神経系を中心とした母子間の絆形成システム」(永澤美保,2013)において、以下のようにオキシトシンと内因性オピオイドの関係が分かりやすくまとめられていましたので、引用しながら紐解いていきます。

社会的接触はオピオイドの分泌を促すため、気持ちよさを感じる

“Love is addiction”(Insel, 1997)という言葉の通り、社会性を持つ動物は同種の動物に強く惹きつけられ絆を形成します。絆形成によってもたらされる社会的接触はオピオイドの分泌を促しますが (Panksepp & Bishop 1981;Nelson & Panksepp 1998)、オピオイドは鎮痛や不安緩和の効果を持ち(Panksepp他,1980;Billington他,1990)、さらにこのような鎮痛効果は、接触した相手との親和の程度に依存します(D’Amato 1997, 1998)。

つまり、他者と強い絆を形成し、社会的接触を持つことは強力な報酬効果をもたらし、社会的親和関係構築へのさらなるモチベーションを生じさせることが考えられます。

 

オキシトシンは長期的な内因性オピオイドの分泌を促し報酬効果を増強する作用がある

オキシトシン神経系の活性化はオピオイドの放出を促進すると言われています。

長期的なオキシトシン投与は、ストレスを軽減するのみではなく、鎮痛効果を持つことも実証されています(Uvnas-Moberg他,  1993)。

この長期投与による鎮痛効果はオピオイドアンタゴニストであるナロキソンによって抑制されるものの(Uvnas-Moberg, Bruzelius, Alster, et al., 1993;Uvnas-Moberg, 1997)、オキシトシンアンタゴニストでは効果が認められないことから、長期的なオキシトシン神経系の 活性化は内因性オピオイド伝達を増強していると考えられます。

オキシトシン神経系の活性化は、中脳辺縁系ドーパミン経路も増幅させます(Wang & Aragona 2004;Young & Wang 2004)。

つまり、オキシトシンは内因性オピオイドを適量に調整するというよりは、むしろ増強作用をしめすホルモンです(抑制作用を発揮するのはナロキソン)。

 

オキシトシンはストレスホルモン(コルチコステロイド)を抑制する

下垂体後葉から循環血中に放出された末梢性のオキシトシンは,副腎に作用してコルチコステロイド(副腎皮質ホルモン・ステロイドホルモン=コルチゾール・アルドステロン等)の分泌を抑制します。

コルチゾールは、俗に「ストレスホルモン」と呼ばれており、コルチゾールの分泌が慢性的に高い状態が続くと、うつ病、不眠症などの精神疾患の発症、高血圧や糖尿病など生活習慣病や骨粗鬆症の発症など、ストレス関連疾患の発症原因になると言われています(https://www.jniosh.johas.go.jp/publication/mail_mag/2016/87-column-2.html)。

たとえば、人前でスピーチさせるなどメンタルに負荷をかけた場合、10~20分で2~3倍に増加すると言われており、過剰なストレスにより大量に分泌され続けた場合、脳の海馬を委縮させることが、PTSD患者の脳のMRIなどを例として観察されています。

(「うつ病の脳科学的研究(最近の話題)」山脇成人,2005)

オキシトシンが抑制作用を示して調整するのは、コルチコストロイド(ストレスホルモン)の方、というのが医学的に正しい理解ということになります。

 

オキシトシンは発達障害(ASD)に関連がある

オキシトシンは、発達障害とも深い関連があると言われています。

一部の自閉症スペクトラムでは遺伝子変異によりオキシトシン分泌異常の可能性があると言われているのです。個体識別能の低下はヒトの自閉症にみられる症状の一つであり、その原因のひとつにオキシト シン異常による可能性が示されています。

たとえば、自閉症児の血中オキシトシン濃度は健常児よりも低いことが明らかになっています(Modahl他,1998 )。

また一部の自閉症患者では、オキシトシン分泌に関わる分子であるサイクリックADPリボースをつくる膜タンパク質であるCD38の遺伝子に特徴的な変異があることも報告されています(Munesue他,2010)。CD38遺伝子欠損マウスは社会記憶や養育行動が低下しますが、そのマウスにオキシトシンを投与すると、それらが正常化することから(Jin他, 2007)、オキシトシン投与による自閉症の症状改善の期待が持たれています。

 

一部の自閉症患者としたのは、2011年7月に『Archives of General Psychiatry』に発表された研究(カリフォルニアの192組の双子の調査と数学的モデルにより、自閉症のリスク要因は遺伝子が約38%であるのに対し、環境的要因は約62%であることを示した)によって、最新の研究では、遺伝的要因のみが注目されてきた今までの風潮から環境的要因にも目を向けるべきだという方向性に舵を切られているからです。

このあたりは親の愛情不足が原因になる可能性を過小評価する形で誤解されるケースがあり、その危険性についてアスペルガー等発達障害を中心に詳しくまとめておられる下記のブログでも警鐘を鳴らしています。

 


そんなわけで、自閉症スペクトラムの発達障害に悩む人たちのために薬剤開発も進んでいます。

研究代表者の山末教授らは、ASDの中核症状に対する治療薬の候補として、オキシトシン経鼻剤の有効性や安全性を検討してきました(JAMA Psychiatry 2014; Brain 2014; Molecular Psychiatry 2015; Brain 2015)。

欧米でも行われてきた研究と山末教授らの研究を統合してみると、オキシトシンの社会的コミュニケーションの障害への効果は、単回投与では有効だったと一貫して報告されている一方、反復投与では、効果がなかった、あるいは山末教授らの研究のように、副次評価項目で効果を示したものの、主要評価項目に対しては有効性が見られなかった(Molecular Psychiatry 2018a)などと報告されており、結果が異なっています。

この結果が食い違う理由として、評価方法の客観性が不十分であること、反復投与することでオキシトシンの効果が減衰すること(Molecular Psychiatry 2018b)、などが疑われていました。

そんななか、浜松医科大学精神医学講座の山末英典教授は、東京大学大学院医学系研究科の大和田啓峰医師らとともに英科学誌Brainに「Quantitative facial expression analysis revealed the efficacy and time-course of oxytocin in autism」を発表しました。

 

 

自閉スペクトラム症の方の表情の特徴である『中立症状』(=顔の表情に現れるとされる基本的な6種類の感情(喜び、悲しみ、怒り、嫌悪、驚き、恐れ)に沿って表情を分類した場合、特定の感情に分類されない表情を指します。)が、オキシトシンの投与で改善することが再現性をもって検証されました。さらにこの改善効果は時間と共に変化することが分かりました。これによって、オキシトシンによる自閉スペクトラム症の治療が最適化され開発が進むことが期待されます。

リンク:「世界初 自閉スペクトラム症へのオキシトシン経鼻スプレーの治療効果を検証しました | 国立研究開発法人日本医療研究開発機構」 

リンク:オキシトシン治療で表情が豊かに?―自閉スペクトラム症の改善効果とその経時変化―

このように、オキシトシンは分娩誘発や帝王切開術など産婦人科ですでに薬剤として使われていますが、今後は精神医療の観点から活用されることが期待されています。

 

次回は、様々なホルモンの生成部位や、働きについてまとめられればなーと思います。

 

【メンタル】絵描きばかりの世界だったら?という空想で「自己肯定感」を考えてみた

こんにちは、ちあき です。

 

今日は、生きている人全員が絵描きで、一人につき1枚の『自分らしさという絵』を完成させるのが決まり、とされる世界だったら?というifで自己肯定感とはどんな感じなのか、表現してみたいと思います。

 

自分らしさという絵

あるところに、みんなが絵描きの世界がありました。

この世界には、Aさんという人がいました。

実は、Aさんは絵が描けなくて、とても困っていました。

この世界では、一人につき1枚の『自分らしさという絵』を完成させるのが決まり、とされているからです。

 

来る日も来る日もキャンバスに向かいますが、どうも筆が進みません。

何を描きたいのか、どんな色が好きなのか、そもそも今何を描いていたのか、もはやAさんはわからなくなってしまっていました。

 

育ててくれた絵描きのお父さんとお母さんは、初めて筆と紙をもらってワクワクしている描き始めた当時のAさんに横から口々に言いました。

 

「もっとこんな色を使わないとダメよ」

「大きさはこのぐらいはないとダメだよ」

「こういうものは描いちゃダメだからな」

「皆に褒められるような絵を描かなきゃダメよ」

 

両親の言葉を信じて、言われた通りに一生懸命筆をとり書き始めましたが、ダメダメと言われたことが多すぎて、もうそればかりが頭をぐるぐる回ります。

 

次第に描くのがもう嫌になってしまって、ふと顔を上げると、同い年くらいの子たちはもう線を描き終えて色を塗り始めているではありませんか!

 

「貴方の絵の色キレイね」

「君のこの構図もかっこいいな」

 

みんな各々の絵を見せ合いながら楽しそうに色を塗っています。

 

Aさんは恥ずかしくなりました。

 

視線を落とすと、手元にあるのは、まだ線も満足に描けていない自分のみぼらしい絵。

 

Bさんが

「貴方の絵はどんな絵なの?」と突然Aさんの絵を覗き込んできました。

 

A「えっ…私は…」

Aさんは絵を隠して固まってしまいました。

 

B「なんだ、つまんないの」

とBさんはAさんには興味を失い、他の子のところに行ってしまいました。

 

Aさんは寂しくてたまらなくなりました。

 

みんなに見せられるような、キレイな絵を描かなきゃいけない。

そうじゃないと、他の子と見せあいこができない。でなくてはひとりぼっちだ。

見せあってワイワイ楽しそうにしている他の子がうらやましい。

 

最初は、うらやましいし寂しいから、見せられない自分の絵を後ろ手に隠しながら、なんとかして他の子の輪に入ろうとしました。

 

A「わ~すご~い!」

A「よくこんな風にかけたね!!」

 

どういいのか、何がきれいなのかもよくわからないけど、こんな風に声をかければ、無視はされないことに気づいて、心にもないことを口にしては色とりどりの他の子の絵に圧倒されて、作り笑いを浮かべるほっぺがどんどん引き攣っていくのが自分でも分かりました。

 

このままじゃなんだか寂しいままだ。

早く私も絵を完成させなくちゃ、みんなみたいにきれいに仕上げなくちゃ。

私も見せ合いこしたい。私の絵をみんなに褒めてもらいたい。

 

でもわからないのです。

 

私は何が描きたいの?

何色を塗ったらいいの?

みんななんでそんなに上手に描けるの?

 

誰かに聞きたい。教えてほしい。誰か助けて。

 

でも、描けていないままの絵を見せるのが怖いから、次第に話しかけること自体も怖くてできなくなってきました。

また、Bさんのときみたいに「なんだ、つまんないの」って言われたら悲しいからです。

助けてもらおうか…?

いやいや、他の子に自分の絵を見せて「どうやったら、こんなきれいな絵が描けるの…?」と聞いて、「そんなの知らないわよ」ってBさんみたいに冷たく言われて本当に独りぼっちになるのが、たまらなく怖い。無理だ。

 

Aさんは誰もいない小高い丘で、誰にもバレずにこっそり絵を完成させようと思い立ちました。

 

どんなふうに筆を動かしているか、どんなふうに構図を決めているか、「どうやったの?教えて?」って直接聞きにいくのが恐ろしいなら上から見ればいい。そうすればみんなの絵を盗み見て、ノウハウを盗んで絵を完成させることができる!とAさんと思ったのです。

 

小高い丘に着いて、Aさんは意気揚々と眼下に視線を移しました。

 

人が小さくなるくらい離れた丘からは、とてもではないけれど手元の絵など見えませんでした。

おまけに、丘の上は風が吹いて寒くてたまらない場所だということに気づきました。

 

Aさんは震えながら、涙を浮かべて強がり、大きな声で独り言を言い出しました。

 

「あんな絵、大したことないじゃない、そのくらい私だって描けるわよ」

「みんな小さい絵ばかりね、私の額は誰よりも大きいのよ」

「その色は使っちゃダメってママが言ってたのに使っちゃって!汚い色ね!」

 

虚しくこだまするAさんの叫び声。

誰の耳にも届きません。

 

そうこうしているうちに、Aさんはもう絵を描くのが、嫌で嫌でたまらなくなってしまいました。

でも、まだ真っ白で少し線が描いてあるだけだけど、お父さんとお母さんにもらった、たった一枚の紙を破り捨てるのは、手が震えて涙が出て、できませんでした。

 

もう苦しくて悲しくて、Aさんはどうしたらいいかわからなくなってしまったので、膝を抱えて下を向いていました。

 

肩をトントンと叩かれました。

 

顔を上げてみると、きれいな絵を持ったCさんが笑顔で話しかけてきました。

C「隣、いいかな?」

 

AさんはCさんのきれいな絵を見て「ちょっと嫌だな」と思いましたが、断るのも面倒なので、こくりと頷きました。

 

C「ありがとう!」

そういってCさんはAさんの隣に座りました。

 

隣に座ったCさんは丘からの景色を見て何も言いません。

もう、どのくらい経ったでしょうか。Aさんは堪りかねてCさんに言いました。

 

A「何しに来たのよ…あなたも私の絵をバカにしに来たんでしょう?」

C「なんでそう思うの?」

A「だって今まであそこでキャッキャしてる子たちは私の絵をバカにしてるもの」

C「そうなんだ、そういわれたことがあるのかい?」

A「…聞いたことはないけど…そう思ってるに決まってるわ。絶対そうよ。」

C「そうかなー。」

A「あなただって大したことない絵をぶら下げて、自慢しに来たんでしょ?」

C「ああ、僕の絵?大したことないかな?やっぱり(笑)」

A「ええ!しょぼくて見てられないわよ!そんな色使っちゃダメなのに!」

C「そうだったっけ?色はどれでも好きな色でいいって聞いたんだけどなー僕は…」

A「教えてくれた人が馬鹿だったのね、本当はそんなお魚も書いちゃダメなのよ」

C「え?そうなの?下の子たちの間ではお魚をいろんな色で描くのが流行ってるみたいだよ」

A「…えっ?そんなの嘘よ」

C「本当だよ。僕も全然うまくかけないから、みんなに教えてもらったんだよ。でもやっぱり大したことないよねー(笑)僕は好きなんだけどね、このお魚とかホラ」

 

AさんははじめてちゃんとCさんの絵を観ました。それはもう、びっくりするぐらいきれいな絵でした。しかしよく見ると、絵は何回も書き直した跡がありました。特に魚は、紙が少し擦り切れるくらい何回も何回も、描き直したらしく、うっすらにじんだ涙の痕もありました。

 

C「あっ、そこばっか見るなよー恥ずかしいじゃん!」

とCさんは顔を赤くしましたが、実際に穴が開くぐらい絵に見入っているAさんを嬉しそうに見るだけで、隠そうとはしませんでした。

 

A「どうやったら、こんなきれいな絵が描けるの…?」

Aさんはずっとずっとずっと胸の奥にしまっていた、聞きたくてたまらなかった質問をCさんに言うことができました。

絞り出すような小さな声でしたが、Cさんはしっかり聞き取って、こう答えました。

C「僕もどうしても描けなくて、この丘に来たことがあって。」

A「…」

C「独りで泣いていたら声をかけてくれた子がいたんだ。その子が教えてくれたんだ。『上手じゃなくてもいい。塗り間違えてもいい。好きな色で、好きなものを、好きなように描いていいんだよ』って。言われた瞬間、嘘だと思ったけどね。(笑)『こいつは描き終わったからそんな気楽なこといってるんだろう、この嘘つき』って。」

 

Aさんは、ドキッとしました。

Cさんに対してAさんがそう思っていたから。それを見抜かれている気がしたからです。

 

C「でもね、嘘じゃなかった。描けなくて泣いている子が集まって一生懸命描き直しているところに連れて行ってくれてね、そこで初めて分かったんだよ。」

A「何が?何が分かったの?」

C「描けなくても恥ずかしくないんだ、ってことがさ。こんなに僕と同じ悩みを抱えている子がいたんだ、独りじゃなかったんだって。」

 

Aさんは黙って聞いています。

 

C「そこにいるみんなは絵の具が足りなくて困っていたら『貸してほしいな』っていえば絵の具を貸してくれるし、みんなで助け合って絵を描いてる。独りで書く必要はなかったって、そこで初めて分かったんだ。うらやましくてたまらなかった丘の下で楽しそうに絵を見せあいしている子たちも、ここで助け合って描いて、遊びに出てきていたんだってわかったんだ。」

A「そうだったの…私は今までそんなこと知らなかったわ…」

C「そりゃ、教えてもらってないんだもの、知らなくてもAさんは悪くないさ。」

A「そう…そうよね…。だってママはそんなこと教えてくれなかったんだもの。それなのにパパとママはあれこれ指示してくるの。私はそんな絵なんて描きたくなかったのに!」

C「それじゃあ、自分の絵を好きになれないよね。絵を描くのも進まないよね。」

A「そうなの!そうなの!見てよ私の絵、白くてこんな汚い色でところどころ汚れていて、もうこんな好きじゃないもの、描きたくないって思っていたのよ!」

 

C「じゃあ、なんでも好きな色で描いていいとしたら、どんなのを描いてみたい?」

 

A「そんなこと、本当にしてもいいのかしら。」

C「してもいいんだよ。しかも、何回描き直したっていいんだ。だから失敗したっていいんだ。僕の絵なんてほら、ちょっと恥ずかしいけど、ここなんて穴が開いてるし、ここの端っこがちぎれてるのは、意地悪な子に引っ張られて破れちゃったんだ。もうこれは元には戻らない。僕もその子に頭にきて、その子の絵、引っ張って破っちゃったことがある。」

A「それは、とても悲しかったでしょう?」

C「悲しかった。破られた悲しみが分かってるのに、その子の絵を破った僕は、自分の絵が破られたときと同じぐらい胸が痛んだよ。だから『さっきはごめんね』って言った。」

A「バカね、許してもらえるわけないのに…」

C「僕もそう思ったんだ、だから怖かった。だけど、その子も『こっちこそごめん』って言って、僕が持ってなかった色の絵の具を貸してくれたんだ。それがホラ、ここの色さ、綺麗だろう!?だから、ぼくはこの切れ端を見るたびに、ここのきれいな絵の具を貸してくれたその子のことを思い出す。だから、僕はボロボロのこの絵が、大好きなんだよ。」

 

AさんはここまでCさんの話を聞いて、心底うらやましくなりました。

 

そんな風に自分の絵を好きでいられたら、どんなに楽しいかしら。

他の子と一緒に絵を描いていいなんて、そんなズルみたいなことしてもいいのかしら。

丘の上からでよく見えなかったけれど、他の子の絵にも、そんな素敵なエピソードがあるのかしら。

 

Aさんは息をのんで、勇気を振り絞って言いました。

 

A「私も…その描けなくて泣いている子が集まって一生懸命描き直しているところに連れて行ってくれない…?できたら、でいいんだけど…最初にひどいことを言ってそんなの無理よね…」

 

Cさんは笑っていたのに、急に真剣な顔になりました。

 

Aさんは(ああ…やっぱり断られるわよね、わかってたわ…)と涙を浮かべてうつむきました。

しかし、返ってきた言葉は予想外の返事でした。

 

C「何しに来たのよ、って最初に君は言ったけど、僕は君を誘いに来たんだよ」

A「え…」

C「皆といるところから上を見たら、君がこの丘にいるのが見えたんだ。僕は独りであの丘にいたときのことを思い出した。君も、もしかしたら僕みたいに悩んでるんじゃないか?って思って、君を誘いに来たんだよ。だから、一緒にいこう。みんなで一緒に絵を描こう?」

 

Aさんは「ありがとう」と何度も言って初めて人前で泣きました。

 

Aさんは心底ホッとしました。

AさんはCさんみたいな子に出会って、はじめて『ほんとうに生きていてよかったな』と思いました。

 

CさんとAさんは手をつないで小高い丘からみんなのいるところに下りていきます。

AさんはCさんと一緒に、自分のまだ完成していない白い部分ばかりの絵を握りしめて、前を向いて走っていきます。

 

その後。

 

Aさんの絵は前よりも少しは筆が進みましたが、まだいびつでAさんは自分の絵を大好き、とまで思えていません。

でも、好きな色も少しは入れられるようになってきて、だんだん「悪くないかな」とも思えるようになってきました。

 

描いていて、自分の絵にうんざりしてもう描きたくないと思うときもあります。

でも、Aさんは、Cさんのように、自分の絵を自慢するばかりではなく絵が描けなくて困っている小高い丘にいたころの自分に似た子がいたら、「隣、いいかしら?」と言って隣に座ろうと思っています。そして、その子の話を聞き、これから描きたいお互いの絵の話をしたいと思っています。

 

 

そう、Aさんは、私そのものです。

【発達障害】依存症になる才能を開花させないために

こんにちは、ちあき です。

今日は発達障害の傾向から私が陥った依存症発症の背景を振り返ってみます。

 

ASD+ADHDタイプは依存症の才能があるかもしれないという説

私はASD+ADHDタイプの発達障害です。

ASD は、自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群・広汎性発達障害。

ADHDは、注意欠如多動性障害。

この二つはDSM5(※ DSM-5 = 「精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版」アメリカ精神医学会作成)という基準から診断すれば全く別物に見えますが、実臨床では見分けがつきにくい障害です。

 

 

引用:https://www.kaien-lab.com/faq/1-faq-developmental-disorders/adhdasd/

 

どうしてここまで判断が難しいのか?それは難しい話を少しだけすると、ASD であれ ADHD であれ、前頭前野という脳の部分に関わっている、つまり実行機能という判断や行動をつかさどるところが他の人と違うから、ということになるでしょう。

(中略)

こだわりの強さは ASD 的(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群・広汎性発達障害)、一方で切り替えの難しさは ADHD 的(注意欠如多動性障害)です。しかし、これらは混同されることが多いのが実際です。

引用:https://www.kaien-lab.com/faq/1-faq-developmental-disorders/adhdasd/

 

ADHDの傾向を分けるとわかりやすいと言われていますが、2つのうちのひとつとして、不注意優勢型 というタイプがあります。

物をなくしやすい、ミスが多い、気が散りやすい、過集中で切り替えが難しい、段取り良くできない等 がこのタイプです。

また、ASDの特徴の一つにこだわりの強さ があります。好き嫌いが極端、自分のルールを曲げられない、ルーティン通りにしないと不安等 が具体例です。

 

この二つが組み合わさるとどうなるか?

 

以下のような特性で「依存先が偏る」ということが起こりやすくなります。

 

○好き嫌いが極端で0か100かの思考なので、一つの拠り所に過集中する。一度集中のスイッチが入ると時間の経過を忘れ、気づくと今度はスイッチが切れたように疲れ切る。

○ASD的な常に全力投球の完璧主義思考で、手の抜き方がわからずに疲れすぎてしまう。少しのミスが許せず自分を責める、あるいはミスをした他者を責めてしまう。

○しかも自分のルールを曲げられないので他人からのアドバイスは耳に入りにくく、自分が納得しなくてはルールを変えられない。

○社会での情緒的な相互交流の障害があり、興味や感情、愛情など相手と共有できる割合が少ないために人間関係を築くことが苦手。一般的でない人へのかかわり方をしたり言葉のキャッチボールに失敗してしまったりしてコミュニティから孤立しストレスを抱えやすい。

 

つまり、ビジネスに例えるなら一社だけと濃い取引依存関係を続けるような、限られた取引先との一極集中型の依存関係になりやすいと言えます。

人間とはうまくいかないので、ASD ADHD が社会生活を送ることでストレスを抱えやすい脳の前頭前野を鎮静させてくれるアルコールや睡眠薬や薬物などの依存性物質に頼ったり、苦痛を紛らわすために快感ホルモンを分泌させてくれるギャンブルに傾注したり、他人に受け入れてもらいやすく他人と肌の触れ合いができオキシトシンを分泌できるセックスを繰り返したりしてしまうのでは、と考えています。

だから最終的に、アルコールやセックスやギャンブルや薬物など、自分が納得してのめり込める依存先のみに頼ったツケがまわり、キャパを超えて依存症になる、というわけです。

 

依存先を増やす、という解決策

たくさんのクライアントと少額で取引していれば、取引額が同じくらいだとしても、一斉に取引停止になることはないのでリスクは分散され、安定した経営や投資が可能になりますよね。

それと同じように、アルコールだけ、薬物だけ、ではなく、前頭前野を解放するような複数のストレス発散手段があれば「これがダメならあれでいこう」みたいなことができて依存し過ぎずにすみます。

 

 

 

アルコール依存症はうつを併発しやすいということがデータがあります。

うつ病とアルコール依存症の時間的な関係から、うつ病が先行してアルコール依存症が合併する場合は一次性うつ病、アルコール依存症が先行してうつ病を合併する場合は二次性うつ病と呼びますが、うつ病とアルコール依存症の合併には4つのパターンが考えられます。

  • a. 単なる合併または共通の原因(ストレス・性格・遺伝因子など)による場合。
  • b. 長期の大量飲酒がうつ病を引き起こした場合。
  • c. うつ病の症状である憂うつ気分や不眠を緩和しようとして飲酒した結果、依存症になった場合。
  • b. アルコール依存症の人が飲酒をやめることによって生じる離脱症状のひとつとしてうつ状態がみられる場合。

引用:https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/alcohol/a-01-006.html

 

上記のようにアルコール依存症を持っている人がうつ病を発症する確率は19〜21%です。

米国における一般住民を対象とした大規模調査で現在または過去にアルコール依存症と診断された人の調査によると、依存症の人には調査前1年間に限ってもうつ病が27.9%にみられて依存症ではない人と比べてうつ病になる危険性(オッズ比)は3.9倍、躁うつ病は1.9%にみられてオッズ比は6.3倍といずれも高い頻度で合併することが示されました[4]

参考文献:

1.Sherbourne, CD, Hays, RD, Wells, KB et al.
Prevalence of comorbid alcohol disorder and consumption in medically ill and depressed patients.
Arch Fam Med 2: 1142-1150, 1993.

2.Grant BF, Harford TC.
Comorbidity between DSM-IV alcohol use disorders and major depression: results of a national survey.
Drug Alcohol Depend 39: 197-206, 1995.

3.Regier DA, Farmer ME, Rae DS et al.
Comorbidity of mental disorders with alcohol and other drug abuse. Results from the Epidemiologic Catchment Area (ECA) Study.
JAMA 264: 2511-2518, 1990

4.松下幸生, 樋口 進.
飲酒とうつ状態の早期発見.
こころの科学 125: 43-48, 2006.

 

私は二次性うつ病と診断され治療をしておりました。

おもしろい!と思う脳の働きそのものが弱っていると、他の依存先を探すのに苦労する感覚があります。しかし、立ち直るためには、なんとかして多数の楽しみに繋がる努力を継続してみるしかありません。

だから、予防的に、依存しないのではなく、逆に依存先をあえてたくさん抱える、というアプローチが、逆に依存症発症を予防するんじゃないか、というのが今日伝えたい独り言です。

すでに発症してしまってからは、本当にしんどいです。

やる気が起こらないし、毎日何も楽しくないし、砂を噛むような日々。

なのに「飲まないことを共に称え、お互いに今と家族に感謝しなくてはならない」と言われて責められている気がして辛いです。

依存性の高い物質や行為を避け、限られたエネルギーを有効に活用するために、支えが多数できるまでは、不快に感じることはなるべく切り離すことが大切ですね。

やる気を怒りや悲しみに根こそぎ奪われては、他の杖を探すことができませんからね。

ぼちぼち、頑張りましょうね。

【メンタル】妻に学ぶ「人生を楽しむ」

こんにちは、ちあき です。

わりとSNSで人気がある、私の妻。

 

 

 

 

ありがとうございます。嬉しい。

なので、今日は、妻のこれまでの人生に対して敬意を表する意味で、勝手にまとめてみた。

(怒られませんように)

 

妻は『そのまま』を生きている

そこがすごいところだ。
私は妻を、心から尊敬している。
初めて出会った時の衝撃は忘れられない。
私はそれまで『人は本当のことは言わない』と思って生きてきた。
だから、思った事を、思ったように、
打算や駆け引き無しに放ってくる妻に
心底「まいった」と思った。
友情や正義なんてのは、漫画や本の世界だけで、欺瞞や嘘や欲に塗れて自分も含めた皆、
醜く這いずる罪悪のようだと信じてきたのに、180度覆された。
会ってすぐ感じた違和感は
話すうちに好意に変わった。
本当に、こんなに真っ直ぐに生きてる人いるんだ、と。心境としては、天然記念物を見ているようだった。
(この間、妻にそのまま話したら、キレられた)
この人になら、こんな俺も、
受け入れてもらえるかもしれない。
そのままで居られるかもしれない。
そう思った。
それは希望に溢れていたので、
つまり、すごく惹かれた。
出会って、いろいろな話をして、妻は決して楽に生きてきた人ではないと知った。
お父様は百貨店の外商、
お母様はその百貨店のパートをしていて、
その間の3番目に生まれたのが妻だった。
妻が生まれて数年経ったとき、
お父様が脱サラした。
長い間中間管理職として積もり積もったストレスで脱サラを決意して退職金で飲食店を始めたが失敗し、家計は火の車だったそうだ。
お母様は苦しい生活に耐えきれなくなり、
小学生の妻を置いて失踪してしまった。
泣きながら
「お母ちゃん行かないで」
と言った記憶が幼いながらにあるらしい。
父と姉と兄との生活が始まったが、
お金が無かったから中学生時代から年齢を偽ってアルバイトして家計を支えた。
高校は卒業したが、
大学に行く余裕もなく(選択肢にすら本人の中にはなく)迷わず雇ってくれた自動車販売会社に就職。
その頃にはお母様も戻ってきてくれたそうだ。
父母の喧嘩は絶えず不仲だったが、妻が鎹となり、今までやってきたという。
しかし、仕事は多忙を極め、出会った当初は食べても嘔吐してしまうためやせ細っていた。
生理も不定期で、体はおそらくボロボロだった。

 

妻にとって人生は楽しむもの

 

私はうめくように言った。
「辛い人生だったんだね…」
妻はさも不思議そうに答えた。
「え、そう?なんで?」
「確かに大変だったけど、みんなそれぞれ大変だろうし、私は私の出来ること、やるしかなかったから、後悔してないし、誰も悪いと思ってないよ?
だから、辛い人生だとは思ってない、ていうか、私は結構楽しいよ!」
私は二の句が継げなかった。
この人は、なんなんだ。
なんなんだ、この人は。
俺の今までの生き方って、なんだったんだ。
親の顔色うかがいながら
「こうしてほしいんだろう」
とうがった捉え方をして、
小賢しく先回りしては、責任感もなくやりたいとも思わないことをやってきた。
学歴や部活の成績が周りよりよければいいのでは、とメンツや外見ばかりを飾り立てて、人からはチヤホヤしてもらおうと必死になって。
だがその実はどうだ。
心から話せる友人も、血縁者すらなく、
『人生なんて所詮こんなもんだろう』とタカを括って浪費した時間。
仕事で壁にぶち当たったくらいで
今までのプライドをへし折られて踞り、
生きていていいと他人に言われないと立ってもいられず、
言い知れない無力感と苛立ちを酒に溺れてごまかし続けてきた、今の、俺の。
今までの。
このなんと、下らないことよ。

貴方みたいに生きてみたい

貴方のように強く美しく生きてみたい。
貴方は本当のことを話すから、
本当の友人がたくさんいる。
貴方は本当のことを知っているから、
人に優しい。
妻は私を「優しい」と言ってくれる。
私のは『優しく見える』だけだ。
私のは擬態だ。模倣だ。
こうすればこうなるはずだと、
「友達らしく」あるための、
「優しく見える自分」であるための。
観察と推測に基づいてただ嫌われないために、身を守る為に身につけた技術だ。
何にもない。
俺は、本当は、何にもない。
全部皮を剥いでいったら、
真ん中には何もない。
それは妻のように、本当の意味で、
自分の足で、頭で、生きてこなかったからだ。
それに気づかせてくれた妻がいなかったら、
俺はここでこうして踏ん張れてはいなかった。
確実に、途中で投げ出していた。
何にもないまま、土に還っていた。
妻がいたから、生きている。
本当に感謝しても仕切れない。
一生分の運はもう使い切った。
妻に会うことで使い切った。
俺自身の欲しいものは、
元から何もなかった。
妻に出会った日から、
俺が欲しいものは、妻の笑顔になった。
そんな出会いから、もう4年が経つのか。
早いなぁ。

 

私は私以外にはなれない

 

だから「楽しむ」ためには、周りばかり気にして比較するんではなくて、「私は私でしかない」ことを受け容れることが大切。

自分のそのままど真ん中を生きて、笑って泣いて悔しがって喜んで。

そういう『生々しい実感』が人生を彩り、それが「楽しめる」ようになっていく。

辛いことはたくさんある。

楽しいこともたくさんあるかもしれない。

 

私はやっぱり「オランダへようこそ」という、この素晴らしい詩に救われるのだけれど、今回はその最後の一節を引用して、結びとしたい。

 

心の痛みは決して、決して、消えることはありません。
だって、失った夢はあまりに大きすぎるから。

でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、
オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、
心から楽しむことはなかったでしょう。

みんなとは違う土地だけど、
私はオランダを思い切り楽しんで、そして大好きになりました。

オランダへようこそ!